わたしのこだわりブログ(仮)

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2012年06月20日
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星 最新の「アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 」シリーズのリンク先をラストに載せました。​


グエル公園(Parc Guell) 4 (列柱ホール)
ドーリス式列柱ホール
ガウディと職人

今回写真は正面ファサードに見えるギリシャ風のドーリス式列柱の並ぶホール内部から・・。
pict-パークグエル 39.jpg

もともとここは グエル公園住宅が完成したあかつきには入居者達の買い物市場となる場所 でした。
(市場と言っても農家などが野菜を持って来て露天販売をする・・と言うスペースです。)

因みに現在は自称ミュージシャンが生ライブしてCDを売ったりしています。

pict-パークグエル 40.jpg

実はここは 3層構造になっています
1層目の屋上部分が眺望の良い集会広場(通称・・ギリシャ広場)
2層目が市場予定だったユーティリティースペース
3層目が公園で使用する為の雨水集積所となる地下貯水槽


列柱の図面
前回書いた 「円や弧を使ったコンパス造形」 と言うのがこれです。
pict-パークグエル 47.jpg
見本に色をつけた所がドーリス式の柱の部分

大きな円は下の写真に見えるくぼみです。
下からは凹んでいますが、上から見ればドーム型に突出しています。

pict-パークグエル 41.jpg

屋上にあたる上の広場のうち、列柱部分は広場の半分くらいを占める。
面積は40×40m。(広場は40m×86m)
83本の円柱で屋上広場の人工地盤をささえている

柱の高さはおよそ6m。勾配により場所で多少異なる。
太さは上端直径1m。下端1.3m。
ギリシャの神殿のように外周の柱は内転びしている。

・・など
ガウディ はわざと柱の太さに変化を付けたり、曲線を加えたり・・と、ギリシャの神殿建築で用いられた視覚的錯覚を計算した技法を取り入れているようです。

ガウディ友の会が出している本より・・・等角投影図法(ラモンボッシュによる)
pict-パークグエル 48.jpg

柱の中央は穴が開いていて、人工地盤に降った雨などが溜まって地下に落ちやすい構造 になっている。

柱の空洞部はレンガ造り、円柱表面はプレキャスト・コンクリート製
あらかじめ工場で運搬可能な大きさに制作して分割して運び設置されたと言う事です。

pict-パークグエル 43.jpg
天井部分も場所によりタイルがより細かく破砕したものがはめ込まれている
とかくガウディの設計は細かい。

pict-パークグエル 42.jpg

柱の数は83本・・のはず。(86本と書いている本もありますが・・。)
計算ではその本数になるのかもしれませんが、 柱の何本かは抜かれています

モザイクの・・トレンカディスで装飾されたメダイヨン(medaillon)
pict-パークグエル 44.jpg
メダイヨン(medaillon)・・・・大型メダル。建築では円形の浮き彫り装飾など。

抜かれた柱の天井にはメダイヨンが取り付けられています

メダイヨンがとりつけられているのは ファサードに近い前方部分。
3ヶ所に空間をもうける為に柱が抜かれたようです


正確には数えてないので不明ですが、大1-2-1個の計4個? 
大小で14個くらい。

ガラスの破片をあしらった美しいトレンカディス
pict-パークグエル 46.jpg
このトレンカディス装飾はジョゼップ・マリア・ジュジョール(Josep Maria Jujol)(1879年~1949年)の作品です

トレンカディス(Trencadis)とジョゼップ・マリア・ジュジョール(Josep Maria Jujol)については「アントニオ・ガウディ カサ・ミラ 1と4 」(2012年05月)で紹介しているから見てね。

pict-パークグエル 45.jpg
メダイヨンは色柄こそ異なるが、刻まれている文様は全て同じようだ。
左右対称の文様である。何だろう?


柱の傾きが解る写真です。(外の柱が内転び)
pict-パークグエル 49.jpg

列柱が山側の壁に接した部分・・の装飾
pict-パークグエル 50.jpg
とにかく細部のデザインも手を抜いていない・・。
雨どいにライオンのガーゴイル(gargoyle)がデザイン されている。

ガーゴイルと言うと魔除けの怪物の彫刻・・と言うイメージが強いが、本来ギリシャの神殿では大理石のライオンの口などが付いていたと言う。
・・・こちらが正統なのだろう。


ガウディと職人
グエル公園の建設現場では、毎日午後3時にガウディと14人の左官とのミーティングがおこなわれていた ようで、前日の予定通りに作業が進まないと、ガウディが怒り出す・・と言う場面もあったそうでかなり仕事に厳しい人だった事が伺えます。
(職人の方も当然グチが多かった事でしょう。)

実は労働者の権利が特にうるさく言われたこの時代です。 カサ・ミラの工事が完了した1909年にガウディは左官など職人100人以上を連れて慰安旅行に出かけています
場所はモンセラート。9世紀に創建されたベネディクト会の修道院であるモンセラート修道院があります。(モンセラートは2012年05月06日に山だけ紹介)

ガウディが汽車賃とミサ代(おそらくモンセラート修道院の)を払い、ミラ氏がワイン付きのお弁当代を出したそうです

出かけたのは聖アントニオの日とありますから、おそらく6月13日の聖人である聖アントニオ(パドバ)司祭教会博士 (1195年~1231年)の日。

1909年と言えばここグエル公園でもドーリア式神殿列柱の前部と鉄骨構造のコーニス部
の建築が進められていた頃です。
もしかしたらカサ・ミラの職人はそのままグエル公園に来ていたかもしれません。

つづく
リンク ​ グエル公園(Parc Guell) 5 (ギリシャ劇場)


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リンク  アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 1 高級住宅
リンク ​ アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 2 コロニア・グエル教会とカテナリー曲線


リンク ​ グエル公園(Parc Guell) 1 (2つのパビリオン)
リンク ​ グエル公園(Parc Guell) 2 (ファサードのサラマンダー)
リンク ​​ グエル公園(Parc Guell) 3 (大階段のタイル) ​​

リンク ​ グエル公園(Parc Guell) 5 (ギリシャ劇場)
リンク ​ グエル公園(Parc Guell) 6 (擁壁と柱廊)
リンク ​ グエル公園(Parc Guell) 7 (テクスチャーにこだわった柱廊と陸橋)

リンク ​ ガウディ博物館 1 (グエル公園)
リンク ​ ガウディ博物館 2 (ラ・トーレ・ローザ・la Torre Rosa)
リンク ​ ガウディ博物館 3 (ガウディ家の人々)
リンク ​ ガウディ博物館  4 (ガウディの病気)

リンク ​​ アントニ・ガウディ カサ・ミラ 1 (外観) ​​
リンク ​​ アントニ・ガウディ カサ・ミラ 2 (パティオ) ​​
リンク ​​ アントニ・ガウディ カサ・ミラ 3 (屋上1) ​​
リンク ​ アントニ・ガウディ カサ・ミラ 4 (屋上2) ​​​
リンク ​ アントニ・ガウディ カサ・ミラ 5 (屋根裏の梁)

関連
リンク ​ コミーリャス(Comillas)エル・カプリーチョ(El Capricho)
リンク ​ ガウディの椅子
リンク ​ モンセラート(Montserrat)







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Last updated  2024年05月25日 17時42分41秒
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