わたしのこだわりブログ(仮)

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2012年05月30日
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​​星 最新の「アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 」シリーズのリンク先をラストに載せました。​

さて、今回は(ラ・トーレ・ローザ(la Torre Rosa)の内部の写真を紹介です。​

が・・、ぶっちゃけガウディ博物館について詳しく説明できるすべはないのです。
パンフもないし、昨今のように説明書を写してきていないし・・。
そんな訳で今回内部に関しては写真のみです。しょんぼり

ガウディ博物館 3 (ガウディ家の人々)
グエル公園( Parc Guell)
ガウディ博物館( Casa Muse Gaudi)


ガウディの出生と病気
一家、不幸の転機
ガウディの姪

pict-ガウディの家 9.jpg

ガウディの本は多々あれど、建築物件の紹介がメインで人間ガウディを語るどころか、ガウディについて詳しく語っている本も箇所も見つからない。
手探りで散らばったピースを集めて探ってみました。

pict-ガウディの家 10.jpg

早世するガウディの兄弟
ガウディの家族は不思議に夭折(ようせつ)している者が多い
ガウディは5人兄弟の末っ子として生まれた。
しかし、長兄は2歳でなくなり、長女も5歳で亡くなっている。
そして残った1つ違いの兄(フランセスク・ガウディ・イ・コルネット)は25歳で亡くなり、もう一人の姉(ローザ・ガウディ・コルネット)は35歳で亡くなっている。

バトリョベンチのおかれているこの部屋はたぶんバトリョの間
pict-ガウディの家 13.jpg

pict-ガウディの家 14.jpg

ガウディの出生と病気
ガウディは1852年父39歳、母33歳の時に末っ子として生まれる。
父の職業は銅細工師。
実は 父方だけでなく、母方の家系も銅細工師 であった事が解っている。

この事は建築を志したガウディにとって、「建築を空間でとらえると言う考え方を養ってくれた」 ・・とガウディ自身が認めている。
つまり この 家系によりガウディは三次元の想像力を自然に得る事ができた・ ・と言う事だろう。

母、アントニア・コルネット・イ・ベルトラン(Antònia Cornet i Bertran)(1819年~1876年)
父 フランセスク・ガウディ・イ・セラ(Francesc Gaudí i Serra)(1813年~1906年)


ガウディの父はレウスのサン・ホアンに店を構えていたようだが従業員は一人の 零細企業であり、また病気がちの子供(ガウディ)の為に、決して裕福とはいえない家 だったようだ。

あまり記録している所はないが、 実はガウディはリウマチで足が悪く、 6歳の時に  すでに若年性関節リウマチだった 事が知られている。

子供の頃は人並みに 歩く事もままならず、郊外に出る時はロバに乗っていたと言う

だからこそ、いつもいた身近な故郷のタラゴナ平野の自然をよく観察し、愛したのかもしれない・・。
(リウマチについては次回に・・)

ガウディの書斎
pict-ガウディの家 11.jpg

pict-ガウディの家 12.jpg

一家、不幸の転機
1874年~1875年兵役。
1876年、 ガウディが24歳の時
医学を志していた兄(フランセスク・ガウディ・イ・コルネット)が25歳で亡くなり、
同じ年の9月に母(アントニア・コルネット・イ・ベルトラン)が57歳で亡くなっている。

もともと レウス近郊のリウドスムにガウディの家はあったが、二人の死により、ガウディの父と姉に姪、そして叔母がバルセロナのガウディのアパートに越している

ガウディがバルセロナに来たのは1868年、ガウディ16歳の時であるが、
一家がバルセロナに来た事により、その生計をガウディが負うことになり、あちこちのアルバイトを掛け持つようになった ようだ。

その3年後、1879年、ガウディ27歳の時
今度は8歳上の姉が、まだ幼い娘を残して35歳の若さで亡くなっている。

姉 ローザ・ガウディ・コルネット(Rosa Gaudí Cornet)(1844年~1879年)
兄 フランセスク・ガウディ・イ・コルネット(Francesc Gaudí i Cornet)
                                                                   (1851年~1876年)

因みにガウディの家族の中で一番長生きしたのがガウディの父です。
la Torre Rosa(ラ・トーレ・ローザ)に移り住んで半年後に93歳で、肺炎で亡くなっています。
早世した他の家族に比べかなり長生きだったのには驚きです。

寝室
pict-ガウディの家 22.jpg

洗面所
pict-ガウディの家 23.jpg

ガウディの姪
1879年、35歳で亡くなった姉(ローザ・ガウディ・コルネット)には、3歳の女の子がいました。
それが ガウディが晩年一緒にくらしていた姪(ローザ・ガウディ・コルネット)です

姉が亡くなった時に祖父にあたる父は66歳。
すでにガウディ家の生計はガウディの肩にかかっていましたが、この時 姪のローザを自分の子として育てる決心をしたと言われています

姪 ローザ・エーゲ・ガウディ (Rosa Egea Gaudí) (1876年~1912年)

この姪についての記述は少なく、全寮制の寄宿学校に行っていた事はわかっていますが、その後の職業などは不明。

1906年にla Torre Rosa(ラ・トーレ・ローザ)に移り住んだ時、ローザは30歳。
彼女にとって祖父であるガウディの父を介護していただろう事は予想がつきます。
彼女の結婚歴についても不明ですが介護で婚期をのがした可能性もありますし、修道女であった可能性もあります。(どこかで読んだような気がするが思いだせない。)

しかし彼女もまたその6年後(1912年)に36歳の若さで肺結核で亡くなりました。

生涯結婚する事のなかったガウディにとって、父亡き後、唯一の身内が彼女でした。
二人は親子のような関係だったように思えます。

pict-ガウディの家 21.jpg

つづく
リンク ​ ガウディ博物館  4 (ガウディの病気)


Back number​
リンク  アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 1 高級住宅
リンク ​ アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 2 コロニア・グエル教会とカテナリー曲線


リンク ​ ガウディ博物館 1 (グエル公園)
リンク ​ ガウディ博物館 2 (ラ・トーレ・ローザ・la Torre Rosa)
    ガウディ博物館 3 (ガウディ家の人々)
リンク ​ ガウディ博物館  4 (ガウディの病気)

リンク ​ グエル公園(Parc Guell) 1 (2つのパビリオン)
リンク ​ グエル公園(Parc Guell) 2 (ファサードのサラマンダー)
リンク ​​ グエル公園(Parc Guell) 3 (大階段のタイル) ​​
リンク ​ グエル公園(Parc Guell) 4 (列柱ホール)
リンク ​ グエル公園(Parc Guell) 5 (ギリシャ劇場)
リンク ​ グエル公園(Parc Guell) 6 (擁壁と柱廊)
リンク ​ グエル公園(Parc Guell) 7 (テクスチャーにこだわった柱廊と陸橋)

​リンク ​​ アントニ・ガウディ カサ・ミラ 1 (外観) ​​
リンク ​​ アントニ・ガウディ カサ・ミラ 2 (パティオ) ​​
リンク ​​ アントニ・ガウディ カサ・ミラ 3 (屋上1) ​​
リンク ​ アントニ・ガウディ カサ・ミラ 4 (屋上2) ​​​
リンク ​ アントニ・ガウディ カサ・ミラ 5 (屋根裏の梁)

関連
リンク ​ コミーリャス(Comillas)エル・カプリーチョ(El Capricho)
リンク ​ ガウディの椅子
リンク ​ モンセラート(Montserrat)







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Last updated  2024年05月25日 17時35分22秒
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