PR
Keyword Search
Category
Freepage List
メルク修道院教会(Stift Melk Kirche)
ペテロとパウロ(Peter and Paul)
初期の修道院はキリストの禁欲思想に由来すると言われています。キリストと同じ境地にたどり着きたい? とでも言う所なのでしょう。
つまり修道士は現世の儚(はかな)さやこの世の価値を体現する事で得られるかもしれない究極の精神世界を求めた。
己がまさに使徒的な立ち位置にいる・・と言う事も重要だったろうし、二元論(天国と地獄)の存在が広まると今度は緊迫感を持って禁欲はより広まったようです。
あくまで 初期の禁欲的修行はそれぞれが己の為に・・と言う所に端(たん)を発していたと思います
。
(たぶん傍(はた)から見たら彼らはちょっと? かなり? 変わり者だったかも・・
)
しかし、時代は取り巻く環境を大きく変えます。
まさに メルクができた頃の中世の修道院の主眼は布教
です。だから敢えて辺境地に作られ始めます。
前にドナウ川は異教徒との国教・・と書きましたが 、この時代の修道士は己の精神世界を追求するよりもやらねばならない仕事(宣教活動、復興、文化活動など)がたくさんあった
のです。
強いて言えば彼らは学校の先生・・と言う存在だったかも・・。
そう言う修道士らの生活や仕事、守るべき、あるいはこうあるべき模範となる戒律を作ったのが聖ベネデイクトゥス(Benedictus)です。
メルク修道院教会
大理石の間と図書室の間はテラスでつながれていて、その間にコロマンの庭と教会があります。
間の悪い事に現在修復中で工事中でした ![]()
バロックのこれだけ凝った立派な装飾が現存しているのが凄い。
教会内部の装飾はイタリアの建築家アントニオ・ベトウィッチ。
ベルトルド・ディートマイヤー(Berthold Dietmayr)院長は本当は一部ゴシック教会からの改修工事だった所を全面改築にしてこの教会を建立。
一時は、教会の豪華さや贅沢さは非難されもしましたが
、 当時も、今日も、観光の目玉になっているのですから結果的には元がとれているかも・
・![]()
円蓋の下、市民祭壇から
祭壇左に聖コロマンの祭壇が置かれている。
円蓋
アントニオ・ベトウィッチのデザインを元にザルツブルグの画家ヨハン・ミヒャエル・ロットマイヤが描1716年~1717年に完成。
聖コロマン
(St.Koloman)の祭壇

聖コロマンについては前々回紹介していまいすが、メルクに最初に祀られた聖人です。
主祭壇左手に聖コロマン、右手には聖ベネディクトゥス祭壇があり、双方シンメトリーにデザインされている。
聖櫃の上方のオベリスクの前で跪くのが聖コロマン。
主祭壇
ザルツブルグの大理石と金箔をほどこした木造でつくられているこの祭壇のコンセプトは教会の戦いと凱旋らしい。
祭壇後陣の像 中央はこの教会の守護聖人である、パウロ(右)とペテロ(左)
別れを惜しみ、二人はこれから最後の戦いに出かける・・図らしい。
ペテロとパウロ(Peter and Paul)
伝説によれば、二人はネロ帝の時代、同じ日にローマのフォロ・ロマーノにあったマメルティヌスの牢獄から引き出されて処刑されているそうだ
。
ペテロ外伝では逆さ十字架にかけられている。
パウロについての聖書に記載は無いが、エルサレムで捕らえられ、ローマに送られ64年か67年にローマ市民として斬首されたらしい。
それ故パウロは殉教の印から剣が象徴される事もある。
因みに ペテロはとりわけ天国の鍵が象徴される事が多い。キリストより天国の鍵を預かった人物だからである。それによりカトリック教会はペテロを初代のローマ教皇とみなしていて、初期の教皇はペテロの後継者を名乗っていたようだ
。
大きな王冠は、勝利の王冠らしい。
つまり聖ペトロと聖パウロの為の勝利の王冠。
布教は殉教との戦いであったが、二人は天に 凱旋した?
教会の思想らしいが、資料の説明からは今いち、意図している事が読み解けないです
身廊側面には祭壇のブースがたくさん・・。
これだけ見たら教会と言うよりはやはり豪華な宮殿です。
Michael Altar(ミカエル 祭壇)
ミカエルに献げられたこの祭壇の下、聖櫃にいるのはクレーメンスと名付けられた殉教者の遺骨
だそうだ。
そのお骨自体が、寄贈品だそうで、 昔は殉教者のお骨は神的に崇められていたのだろう
。
Johannes der Täufer
Altar(洗礼者
ヨハネ 祭壇)
こちらのお骨はローマのカタコンベから運ばれた身元不明者のもの。
寄贈したのはマリア・テレジア
だそうだ。
※ それぞれ祭壇にかかげられている絵画から区別できる。
殉教者=聖人 の考えがまだあったからなのだろうが、身元不明まで持ってくる意味がちょっと解りませんね (
・_・?)
ハテ?
メルク修道院(Stift Melk)おわり いよいよ次回船に乗ります
メルク back number
リンク ヴァッハウ渓谷 (Wachau) 1 (メルク)
リンク ヴァッハウ渓谷 (Wachau) 2 (メルク修道院)
リンク ヴァッハウ渓谷 (Wachau) 3 (メルクの十字架)
メルク修道院おまけ
リンク メルク修道院(Stift Melk)のバロック庭園とパビリオン
ヴァッハウ渓谷のクルーズ
リンク ヴァッハウ渓谷 (Wachau) 5 (ドナウ川クルーズ船)
リンク ヴァッハウ渓谷 (Wachau) 6 (シュピッツ界隈)
リンク ヴァッハウ渓谷 (Wachau) 7 (デュルンシュタイン)
リンク ヴァッハウ渓谷 (Wachau) 8 (リチャード1世)
リンク ヴァッハウ渓谷 (Wachau) 9 (クレムス)
アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 2 … 2024年03月03日
アントニ・ガウディ(Antoni Gaudí) 1 高… 2024年01月22日
ウィーン国立歌劇場とハプスブルグ家の落日 2023年10月08日