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まー坊3歳の成長記録も今回で最後です。幼稚園入園、3歳検診で引っかかり、3歳2ヶ月で診断を受けたのですが、幼稚園の対応がよく、担任のM先生も凄く頑張ってくれました。私も妻も予期せぬ障害告知でおそらく今の何倍も悩み、苦しみ、もがいていた時期でもありました。今考えると必死だったんですね。あと書いておくことと言えば、まー坊の言語能力。3歳6ヶ月のときのビデオを見る機会がありました。公園で弁当を食べている時の会話の多くがオウム返しのまー坊。言葉は、よくて2、3語繋がる程度。なのですが何となく通じ合えているようにも見えます。そしてもう一つ。外出時にはパニックがなかったまー坊ですが、一度だけ大きなパニックがあったのを思い出しました。それは水族館での出来事です。休憩がてらジュースを買ってベンチで飲んでおりました。ペットボトルでしたので半分は残しておいて飲もうと親は勝手に思っておりました。半分くらい飲んで私がペットボトルのふたを閉めると大パニック!周りの人達は「何があったの?」と言うような目で見ております。とっさにその場を離れまー坊が落ち着くまで待っていたのを覚えております。まー坊は、最後までジュースを飲みたかったんですね。でも言葉での表現より感情が先に出たようです。あとは・・・極端な運動音痴でもなく、自転車も4歳の誕生日には補助輪なしで乗れるようになっておりました。まあ!こんな感じの3歳のまー坊でした。^^;
2008年02月29日
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振り返れば凄くよい環境にあった年少のまー坊ですが失敗も多々ありました。思いで深い出来事を書いてきます。【1】一度だけ幼稚園内から脱走しました。 今でこそまー坊幼稚園は、園児が通園してくると入り口のシャッターを下ろすのですが その時点ではまだしていなかった記憶があります。 原因は判りませんが幼稚園近くにいたのを捕獲?いえ補導?されたらしいです。^^;【2】それから避難訓練の時、まー坊が大きな音が嫌いで動けない、 ですので補助のI先生がそばについて頂いていたようです。^^;【3】運動会の徒競走のスタートのペストルの音が音が嫌で耳ふさぎスタートでした。^^;【4】最後は忘れようにも忘れられない出来事。 それは園での発表会。練習を見に行った妻が言うにはそれなりだったそうですが、 本番のまー坊は、ステージ上で固まっておりました。 他の子は踊っているのにまー坊は立ち尽くすのみ。この時は、本当に涙が出ました。 親にとっては幼稚園での一番の想い出かもしれません。^^;3学期となり教室からの脱走は相変わらずですが、隣のクラスの様子を少し見に行く程度になっていたようです。年少時の習い事は、週一回の少人数(5人)の幼児教室。言葉の理解が遅いながらも毎回楽しそうに通っておりました。そして週2回の公文教室。始めてからちょっと嵌ってしまったまー坊は国語&算数のプリントを一日40~50枚程度こなしていたと思います。親も付きっ切りで数を数えたり文字をなぞったりしておりました。この公文教室に行くときに線路沿いを少し走るのですが、電車小僧のまー坊はその瞬間が楽しくて公文に言っていたのかもしれません。そして先生にたくさん褒めて頂けるのも自信になったようです。私と妻もこの頃、まー坊を一番褒めていたと思います。以前にも書きましたが小出監督が高橋選手を褒めるような感じです。「まー坊いいぞ~!その調子~!」って感じです。今、思い出すと結構笑えます。^^次回がまー坊3歳の成長記録最後となる予定です。^^
2008年02月28日
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まー坊が始めて児童精神科の先生の診察を受けたのはIクリニックでした。非常に経験豊かな年配の先生で県内でも有名な方。まー坊の遊んでいる様子、会話、人物画をみて白か黒かと言うと黒だけど、シッカリとした障害名ではなく「広汎性発達障害」とだけ言われました。2つ目は、4ヶ月待ったA病院。生育暦、会話、遊んでいる姿を見てT先生も同じような診断でした。私達は「やっぱり・・・」って感じでした。^^;障害の疑いの時点で出来ることし気持ちもある程度は固まっていたので動揺というものはそれ程ありませんでした。それよりも何が出来るのか?どんなサービスが受けれるのか?などを考えました。調べたのですが診断されても特別なことがあるとすれば、我が県では医療費免除ぐらいで(非常に大きいですが)あとは、特別なにかが優遇されることはないようです。2件の病院の診察を受けたのが夏休みでしたので、まずは幼稚園に診断名を伝えこのまま預かって頂けるか?が心配だったのを覚えております。それは通っていたのは非常に行事が多く、やっている事が高度な幼稚園。障害があるまー坊がこの幼稚園でやっていけるのか?他の子に迷惑にならないか?先生は特別な配慮をして頂けるか?考えれば考えるほど不安な日々を送っていました。ですが診断名が付いたら幼稚園には報告すると伝えてありましたので、園長先生に時間を設けて頂きました。この時点で私達は最悪幼稚園を変わることも考えておりました。園長先生と話した内容は、あまり記憶がありませんがたしかこんなお言葉を頂いたように記憶しております。「特別な配慮は出来ませんが、やれる範囲で指導していきます。障害があってもなんら変わることなく責任を持ってお預かりします。」そんな内容だったと思います。この時は、担任のM先生も同席しておりました。若い先生ですがお話を聞いていてまー坊を任せて大丈夫だと何となく思ったのです。実はまー坊幼稚園の年少は2クラスで40人ほどでしたが、年少だけ補助の先生であるI先生がおり、この先生が要所要所でまー坊の手助けをして下さっておりました。例えばジッとしているのが苦手なまー坊をひざの上に座らせたり、特別な行事ではまー坊の近くにおられた先生でした。話は戻りますが1学期のまー坊は、教室からの脱走が多くちょっとした有名人。ですが人懐っこい性格でしたのでどの先生からも可愛がられておりました。その脱走も次第に少なくなりましたが完全になくなることはありませんでした。でも担任のM先生を始めどの先生にも優しく指導して頂けたそうです。運動会の徒競走は何とかゴールできたし、遠足や散歩も補助のI先生のおかげで事故も怪我もなく参加出来ました。園バスでの通園でしたがまー坊は、元気良く挨拶し毎日元気に幼稚園を楽しんでおりました。面白いのはお気に入りの担任のM先生が園バスの担当だと挨拶の声が大きいこと。自宅にいる私にもその声が聞こえてくるほどでした。そういった意味では担任のM先生とまー坊の愛称は非常によかったと思います。よく先生とハグしておりました。他の先生とも・・・。^^;このように楽しそうな幼稚園年少生活ですが上手くいかないことも多々ありました。その話は、また後日・・・。^^
2008年02月27日
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4月某日めでたく幼稚園入園となりました。さすがに感無量と言うか・・・でもこの時点でまー坊に障害があるなんて思ってもいませんでした。翌日は、3歳児検診。早生まれのまー坊は検診が遅いのです。^^;そして夕方、仕事場に立ち寄った妻から聞かされた言葉は・・・まー坊に障害があるかも知れないと言う衝撃的な言葉でした。その名は「自閉症」昨日、嬉しい入園式だったのに天国から地獄とはこのことです。ですが・・・私も妻も自閉症の意味を全然理解していなくて字のごとく「引きこもり」のことだとばかり思っておりました。ネット検索するまでは・・・調べれば、調べるほど大変なことだと判ってきました。色んな資料をプリントアウトし帰宅して妻に見せ今後どうするかを話しました。3歳児検診では「疑い」と言うか児童精神科の先生ではないので「もし気になるのでしたら専門医の診察を受けてください。」との事でした。しばらく様子を見ると言う選択肢もありましたが、ネット検索した自閉症の特徴にあまりにもまー坊がぴったりなので、すぐに児童精神科の診察を受けようと電話したのでしたが、勧められた病院は4ヶ月待ち。そんなに待てないので自分で調べ県内でも第一人者ですが個人病院の為、あまり待ちがない病院の先生に診て頂くこととなりました。それでも待ちは1ヶ月ほどあったと思います。疑われた日から1日でここまですすんだのですが、もちろん私も妻もかなりショックを受けていたのは言うまでもありません。とにかく必死で何かしなければと思ったのでした。次に行動したのは児童相談所での面談。専門医ではありませんが長い経験を持つ指導員の方がお見えです。運良く2週間後位に面談させて頂くこととなりました。ここでは今までの生育状況、K式発達検査も行われました。まー坊は、この発達検査が大好きで休憩も入れずに1時間くらいだったでしょうか・・・最後まで飽きることなく課題に取り組んでおりました。その結果は、自閉症的な特徴が出ているものの知的には通常の範囲内、ただし言葉の遅れが若干見られると言うお話だったと思います。もちろん児童精神科ではないので診断は出来ません。それから児童精神科診察前に行ったことは市民病院での脳波検査。麻酔が切れても翌日までまー坊はふらふらしており可哀想でした。もちろん脳波の異常はなく。同時に行われた違う種類の発達検査での数字も通常の範囲内のものだったと思います。さらに近所の幼児教室に入会し(自閉症である可能性も教室には伝えてあります)、ネットで障害児を受け入れてくれる公文教室があると言うことでしたので、教室に伺い入会することとなりました。診察前でしたが後悔しないように今出来ることを何でもやろうと凄く必死だった時期だと思います。続きは後日・・・。^^;
2008年02月26日
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これからが本番。障害がある事を指摘された3歳の話です。4月から幼稚園入園が決まっていたまー坊ですが、思い出深い出来事がありましたので書き残しておこうと思います。京都の知人と某お寺に訪れたときのことでした。まっすぐな直線の道、私達の10Mくらい前をまー坊が歩いておりました。その道がつきあたってまー坊が10数秒見えなくなる。私達がその曲がり角に着いたときには、まー坊の姿がありません。お寺の中なのでこの時点ではあまり心配しておりませんでした。しかし4人で20分くらい探しても見つかりません。幸い外に通じる小さな門のところには警備員がたっていて聞いたのですが、まー坊らしい子は見なかったということ。ただひとつ考えられるのは・・・有料で入る境内でした。この時点ではさすがに焦っておりました。入り口の方は見ていないといっておりましたが、まー坊の身長だとちょうど見えない位置からチケットをチェックしていましたので理由を言って中を捜索することとなりました。そしてまー坊はすぐに見つかったのです。泣きもしないで境内をチョロチョロしていたそうです。普通はこの時点でおかしいな?と思うのですが。それよりも安心感のほうが先にきて、このときはそんな事は全く思わなかったのです。これがまー坊が起こしたはじめての大事件でした。^^;次回からは、遂に幼稚園での生活に突入します。
2008年02月24日
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現在小学校2年生のまー坊ですが今まで山あり大谷ありの成長記録を思い出しながらまとめて書いていこうと思います。今回は記憶が、かなりあいまいな誕生~3歳までです。^^;まー坊が生まれた日。忘れもしない朝方に破水した妻を病院におくり私は仕事へ・・・。生まれそうだと電話があり車で5分の市民病院に急いだが、すでにまー坊は生まれておりました。まってろよな!超安産でした。^^髪の毛は少ないくおサルのような顔。(誰もがそうでしょうが^^)3000g+αで自然分娩。手足の指5本を看護士さんと一緒に確認したのを覚えております。初めて抱いた感想は、正直言って軽すぎてどうしたらいいのか分からずおっかなびっくりでした。^^仕事はなるべく定時で切り上げて帰宅してまー坊をお風呂に入れるのが私の日課となっておりました。そう言えば気持ちいいのか湯船でぷかぷか浮いてよく寝る子でした。^^夜泣きはありましたが少し寝不足になる程度で問題なし。(それが問題だったのか?)10ヶ月くらいで立って、1歳前には歩いていた記憶があります。ちなみに私がスパルタで(冗談)歩かせました。^^;離乳食も順調。ただし鯉の口のようにパクパク舌を出すのが癖でした。おしゃぶりは早めに取れておりましたがこの「鯉」が原因?で出っ歯になりました。^^;1歳半検診・・・言葉が少し遅いが問題なし!(と思っていたのは親だけか?)2歳半頃・・・妻が事が遅いのかも心配していたので知り合いのドクターに相談すると「男の子は遅い子多いよ!しゃべりだしたらうるさいよ!」といわれ「そんなものなのかな?」と妻に伝える。でも今思えばこの時点で自閉症の特長出ていたのかも?この頃のまー坊は、電車のビデオが好きで何時間も見ていたそうです。(とは言っても妻が掃除や選択をしているときです)時々外に遊びに行っておりましたが他の子と比べるようなことは全くしない私達。特に拘りが強いわけでなく、カンシャクが強いわけでもなく言葉は遅いがまさか、まー坊に障害があるなんてこれっぽっちも思っていないのでした。親に手間をかけさせない静かな子だった記憶があります。一番印象に残ったのは、1歳半のとき白樺湖に旅行に行ったときの行動。台風がきていたのですが予約してあったので予定通り目的地に。ホテルに着いて食事をしお風呂に行ったのですが、脱衣所からお風呂にはいると、まー坊は突然泣き出しました。空いていたのでお風呂には私とまー坊だけ・・・。少ししたら泣き止むと思っていたのですが、泣き止むどころか酷くなる一方。仕方がないので早々に風呂場をあとにするのでした。そして部屋に帰ってから、まー坊は不思議な行動に出たのでした。それは・・・浴衣の帯を握って右から左へ引っ張り出しました。(手をトンネルに見立てて引っ張るような感じです)その行動は延々と続きました。(30分くらいはしていたかも?)横に流れる感覚遊びだったようです。^^翌日、そばうち体験を私がしていたときも静かでした。牧場に行ったときも静かでした。それからもうひとつ。車で何が気に入らないのかチャイルドシートに頭(後頭部)を打ち付けることが何度かありました。今考えるといつもと違った道を通ったときに多かった行動のような気がします。これは一種の拘りだったんですね~!^^;とにかく、あまり手のかからない子だった記憶があります。そしてあの衝撃な出来事が旅行中の京都で起こったのは、まー坊が3歳の誕生日を過ぎ知り合いの家に遊びに行ったときのことでした。次回、まー坊3~4歳にへ続く・・・。ちびまるこちゃん風!^^;
2008年02月23日
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私の帰宅が遅いせいか子供達は寝るのが遅いです。まー坊は、以前より早く寝るようになったのですが21:30分くらいかな?友達関係はもっと早く寝ているそうです。^^;問題は4月から幼稚園に通う予定の妹アヤヤです。園バスのお迎えは早い時間のときは8:00。今の感じだとしたく出来る可能性0%。バスが行ってしまったら幼稚園と仕事場の位置の関係上、私が送っていかなければなりません。週末は、なるべく早く帰るように心がけているのですが昨日は21:30に帰宅。当然のごとくアヤヤはお風呂にも入っておりませんでした。私と一緒に入って出たのが22:30ですが寝ようとしません。そこで・・・「アヤヤ、お父さんが帰ってくるときにお化けが外にいておうちに入ってもいいかと言っていたよ。入ってこなくていいよと言っておいたよ。」と言うとアヤヤは・・・「お父さん、ありがとう!」と言って布団の部屋にいったのでした。^^;最近は「夜遅くまで起きているとお化けがくるよ!」と言ってあるのですがあまり脅かすとしっぺ返しがあるのかもしれません。暗いところを過度に怖がるようになったりとか・・・何事も程ほどにしないといけませんね。(反省)^^;そんな私は帰宅22:00~23:00くらいで寝るのは0:00~1:00起きるのは(起こされる?)7:00~9:00くらいです。^^;
2008年02月23日
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「ずる休みってどんな事?」私はまだ起きていなかったのですが妻にまー坊がそう聞いてきたそうです。どうやら登校時間が少し憂鬱のようです。近所のW君との関係は修復されたのですが、通学班に文句があるようなまー坊?私は直接聞いていないのですが気に入らないようです。班長が叩いたとか?でもそれってまー坊にも原因がまったくないのか?何かあるような気がします。結構シッカリした班長らしいので・・。^^;それ以外は小さな揉め事はあるようですが、校内では楽しくやっているようです。こちらが良ければあちらが駄目!そう全部が全部上手くいくわけないですよね~!それを自分の中でどう処理するかが課題となりそうです。
2008年02月22日
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昨日のスキーの話の続きです。リフトがとまる1分前に「最後の1本お願いします!」と親子で乗り込みました。(16:44)急いでもどうせ渋滞するので我が家のスキーは、最後の最後までフルにリフト券を活用します。^^;そしてゆっくり帰り支度をしてゆっくり温泉に入って食事をして帰宅がいつものパターンですが今回は違っていました。温泉まではよかったのですが温泉内のレストランが満席。(7組待ち)仕方がないのでみんなで牛乳を飲んで少しだけ腹満たして移動し、地元に帰ってから夕食にしました。(19:50)いつもは風呂に入って食事もしているので子供たちは、高速道路を走っている段階で就寝。車から布団へ私が抱っこしていくのがいつものパターン。今回は、車で寝てしまいました。(20:10)ですが、さすがに食事となると起きるまー坊。(20:50)そして食べるだけ食べて帰宅して布団に入ると30秒で寝てしまいました。(21:40)翌朝、妻がまー坊を起こすと・・・(6:55)「僕ぜんぜん寝てないよ~!」とまー坊の一言!^^寝ていないと思うほど熟睡していたんでしょうね。さて来週は、スイミングのスキースクール。月曜日は、また同じ事を言うかも知れません。^^;
2008年02月19日
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昨日、今年2回目のスキーに行きました。あいにく天気は、曇ったり雪が降ったりでしたが、その分雪質はこの地方としては最高だったと思います。好コンディションもあって、まー坊の滑りも絶好調!昨年、コケまくりの中~上級斜面も驚くことにこなしておりました。それを見た私も妻もビックリ!「まー坊上手く滑れたよ!」と言うと笑顔!^-^妻と私とババは交代でアヤヤの面倒を見ていたのですが、まー坊は小まめに休憩を取りながら朝から最終まで滑っておりました。来週は、スイミングスクール主催のスキー教室に一人で参加しますが、今回のスキーで本人はだいぶ自信がついた様子。心配なのは当日、調子にのって暴走しないとよいのですが・・・。先生宜しくお願い致します。^^;
2008年02月18日
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妻から聞いた妹アヤヤの会話。最近、ぽっちゃりのアヤヤ。お風呂に入る前に妻がアヤヤのおなかをひとつまみ!それを見たアヤヤは・・・トイレにいった。そして声を出して力んでいる。妻 「アヤヤ、ぷよぷよはウンチのように出ないんだよ!」 「夜のご飯のフリカケをやめたり、おやつなしにしないとね。」 「フリカケやめる、おやつをやめる?」アヤ「フリカケやめる」妻 「おやつを食べないほうがいいよ」アヤ「おやつ食べない」妻 「本当に?」アヤ「食べない」妻も本気ではないですがアヤヤは本気っぽい?妻曰く、我が家ではあまりに太ると豚になり一緒に住めないことになっているらしい?まー坊にも子豚になると一緒に住めなくなるといっているらしい。食べ過ぎるな!という意味なのですが二人とも結構マジに思っているようだ。でもいつかそんな言葉も効かなくなるのだろう。まー坊はおぼこいのでアヤヤの方が先に効かなくなるかもしれないとマジで思う。^^;お子さん食べ過ぎていませんか?ちなみにまー坊の友達のS君、会う度に大きくなっているので、メタボ子供になっております。大丈夫かS君???人事ではない!私も気をつけなければ・・・。^^;※まー坊はI先生からチョコもらえませんでした。(当然・笑)
2008年02月14日
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今日は、バレンタインデー!まー坊は、早速近所のKちゃんにチョコを貰ったそうです。それからババ&おばさんからも一足早く貰っております。でも、まー坊が本当に貰いたいのは・・・幼稚園の年長でお世話になったI先生からだそうです。おいおい!お前は小学2年生だろ~!って突っ込みたくなります。 (’’;)ウーンタイミングよく今日は幼稚園で体操教室がある日。まあ!もらえる可能性は0.0001%程度だと思いますが奇跡を祈りましょう!そろそろI先生から卒業しろよなまー坊!(・∀・)ニヤニヤ
2008年02月14日
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今日から3連休(私は今日は仕事)ですが、まー坊はスイミングが終わったら一人でババ(妻のお母さん)の家に遊びに行きます。バスで・・・。もちろん到着場所にはババが待っていてくれます。今回で2回目なのですがまー坊は冒険気分で楽しいようです。ですが遊びに行く前にやることが一杯あります。そうです公文の宿題です。国語はあまり進んでいないので宿題にそれほど時間がかかることはないのですが、問題は算数のG教材です。いや~苦戦しております。でも今日は朝から頑張っておりました。やっぱり目標があると動きが違いますね~!毎日こうだと良いのですが・・・。^^;
2008年02月09日
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学校公開日でしたので2時間目から見に行ってきました。●2時間目 算数4桁の数字を比べてどちらが大きいか小さいかを比べる。そして何故そう思うのか?も答える授業でした。まー坊は威勢よく手を挙げておりましたが、その説明はどうかというと・・・微妙です。^^;授業態度も目立って悪いと言うわけでもなく普通でした。そして2学期よりも鉛筆などをかじっているのが少なくなったのかもしれません。●3時間目 出来たよ発表会!これは小学校になってから練習して出来るようになった事を二人ペアになって発表することです。まずは、出来るよいになった事の作文を発表しそれから実際にみんなの前でそれを行うのです。なわとび、習字、本読み、マット運動、一輪車など・・・まー坊は、仲良しのT君とエレクトーンで演奏でした。T君はヤマハ音楽教室にかよっているのですが、まー坊は、幼稚園での貯金だったようなきがしますが、作文もまー坊にしては出来が良かったように思えます。付き合ってくれたT君ありがとうね!仕事の関係で私が見れたのはここまででしたが無難にこなしていたような気がします。私が一番驚いたのは発表を見る態度でした。今までのまー坊なら姿勢がすぐに崩れて寝そべったりする事もあったのですが、この日は、体操座りで最後まで(私の見ていた)見ることが出来ておりました。少しづつ成長しているまー坊をみれて嬉しかったです。
2008年02月08日
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