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その方の霊視を始めると「悲しみ」が心の中に溢れました。 江戸時代の薪炭屋の店内。炭団というか炭の粉を丸める作業をしている女の子が手も顔も真っ黒にしながら「母ちゃん・・・」と言いながら泣いていました。口減らしの為に奉公に出されたようです。 この方は「悲しみ」が友達だなぁ・・・と思いました。大きくなっていっしょに奉公している男性と恋仲になったのですが、二人共大人しい性格なので、年季があけるまでは誰にも言わずに付き合っていました。 しかし、江戸でよく起きた大火でこの店が燃えて、彼は行方知れずになってしまいます。彼女は悲しみにまた包まれてしまいます。元の店が再建されて前と同じように一人になって働き始めた彼女。 ある日、彼女の前に小さな汚い男の子が現れます。孤児になって一人で暮らしている男の子でした。同じ悲しみを心に抱えているもの同志で仲良くなり、いっしょに暮らすようになりました。彼女の心の中に小さな温かい火が灯りました。 孤児たちを少しずつ面倒をみるようになりね彼ら彼女らといっしょに暮らすようになっていきます。悲しみはまだ彼女の心の中にありますが、それはいつのまにか暖かな人のぬくもりで満たされていきました。 現世の彼女も悲しみが友達という感じの人。胸を大きく張って、腹式呼吸を心がけて、言えないこともお腹に溜めないでどんどん周りに伝えていくように。カラオケ行って吐き出してしまいなさい。まだ若いんだから、悲しみは人への慈しみにもなるけれど、それオンリーではいけないと私は彼女に伝えたかった。
2009年01月31日
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何度か書いたことがありますが、母の母である私の祖母は92歳で亡くなりました。もう十年以上前になりますが、今でも彼女の思い出は私の中に深く残っています。 私の母が末っ子だったこともあって私と弟の兄弟はとても可愛がってもらいました。何度も書きましたが、祖母の家に遊びに行って帰るときに家の前でいつまでもいつまでも私達の姿を見守っている祖母の小さな姿に兄弟揃って大泣きしながら帰ったものでした。 結婚したときにはもう寝たきりになっていたので、嫁さんを見せに祖母の所には張り切って逢いに行ったものです。それは弟も同じようでした。いつもいつも笑っている顔以外は見たことがないばあちゃんでした。どんなに大きくなっても小遣いをあげると言って聞かない人でした。自分の事よりも子や孫のことを第一に考えて生きてきた人でした。若い時はゴムひも売りの行商をして家計を助け、私の母が脊椎カリエスという病気で寝たきりになったときも、必死の看病と病院・医者探しに奔走して命を救ったのも祖母でした。 先日、母が「祖母がそば来ている気がする。」と言っていました。年老いた叔母たちがいるので、そのどちらかが危ないのかもしれないと思っていましたが、よくよく聞いて見ると私の母を心配して来ていてくれたようでした。いつまでも我が子を愛する祖母です。
2009年01月30日
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何て不吉なフレーズなのでしょうか(笑)。でも事実ですね。人は生まれた瞬間から「死」という何人も逃れられないゴールに向かって歩き始めているのです。 私は自分の寿命は65歳くらいかなぁと思っています。父は82歳まで生きましたが、そこまで長生きしたくないような気がします。だとすると後13年くらいですね。13年で何ができるんだろう?やろうと思えば何でもできるかも。とりあえず、死ぬまで現役で働いていてやろうとは思っています。でも、世界が後13年平和に無事に過ぎていくでしょうか?2012年には何かが起きるかもしれないし、でも娘が幸せになって生きていってほしいとは思いますしね。 世界は常に滅亡の淵にいるのかもしれません。でも世界の人達の大半が世界の存続を心の底で願っているから、世界は続いているような気がします。地球という大きな生命体も人々の心の総意というのは無視できないのかもしれません。世界中の皆が平和で美しい地球を思えば、きっとそうなるはずなんですけれどね。 誕生日に願うこと。「美しい平和な地球」です。
2009年01月29日
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庭師という職業の方が時々、前世の職として視えることがあります。「庭師」というのは、禅僧の方と同じようにとても精神修養をしておられて、また自然の理に詳しかったりして、ある意味とても徳を積んでおられるのかもしれません。 先日視た庭師の方が作庭の基本にしていたのが「ごり押し」。変な言葉なのですが、やっておられる姿勢を視ていると「全ての流れ」を複合的・総合的に一つの空間に押し込むように作っていくようです。 水の流れ 木々の流れ 石の流れ 大地の蠢き 風の流入と流出 そして 季節のうつろい そういうものが全て盛り込まれて一つの「庭」という空間を作り出していく。完成された美ではなく、変化していく自然の儚さを「美」と捉える。そのためにはあらゆる「流れ」を盛り込んでいかなくてはならなかったようです。 そして、人が作ったものには必ずどこかに欠けた部分があるべきだという自然への敬虔な崇拝があり、庭のどこかを一部必ず未完成にしておいたようです。 「素にして細、豪にして敏、楽にして能」そんな言葉を残しておられました。
2009年01月28日
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霊戦というのは過去に幾度かあったことは間違い無い事だと思っています。 判りやすいところでは、過去の日本でも日本原住の蝦夷や蛇神信仰種族たちに対して南方由来や大陸由来の霊的種族の侵攻があって、これらの新興種族によって霊的駆逐を受けた原住種族たちは、自らの霊的ルーツのアイテムやパワーポイントを地の底深くに封印しつつ、眠りについたと思われます。 まだ、詳しい内容はつまびらかになっていませんが、日本の各地に深く封印された古代神達の痕跡が残っているように思います。 現在の「時」というものが何となく「変革」というリズムを刻み始めていて、それが古代の日本古来の大地の魂を揺り動かし始めているような気がします。 きちんと正しい手順を踏んで、霊的封印を解いて行くという作業が出来ていけば、何か素晴らしいことが起きそうな気がします。 ここで大切な事があります。霊的浄化ということなのですが、これはその地の霊的に邪悪なものを排除すればいいということではありません。いろいろと難しい問題があるのです。それは、霊的に邪悪なものというのは原則ありえないということ。邪悪に視えても、それはそれなりに意味や存在価値があるということ。そして、完璧に浄化などをしてしまうと、そこは霊的な燈台を建てたかのように忌まわしいものたちの標的になりかねないという事。 だから、大地の底深くの封印にはとても強力で邪悪に思える霊体がくっついているし、まず間違いなく見事に隠されていて相当注意深く霊視をしていかなければ決して見つけられないようになっているということです。 まぁ、私の妄想の産物なのだと思います。夢物語だと思って読み流してください。
2009年01月27日
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本当の幸せって、やっぱり「青い鳥」のように自分のそばの気付かないところに息づいているのかなぁ。
2009年01月26日
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そんなことは断じてありません。親が懸命に生きて背負いきれない負債を負ったとしても、それが子に報いとして覆いかぶさってくるという事は決してありません。 親がいい加減に生きて、「生きる」という事をないがしろにしていれば子供にその因果が報いとしてくるという事もあるかもしれませんが、懸命に生きて頑張って頑張って、その結果としてどうしてもダメだった・・そういう事の負債が子供に影響するということは決してありません。世の中の繋がりや仕組みというのは「バランス」というものが絶妙に働いているものです。そして、世の中のもし支配者としての神様がおられるとしたら、その方が価値基準としておられるのは「生」をどれだけ大事にしていたか?ということなのだと思います。 別に多くの人を救ったとか、そういうこともどうでもいいことだと神様は思っています。自分の「生」をどれだけ大切に思って生きたかということがその人の価値となり、子孫に受け継がれていくのだと思います。
2009年01月25日
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「思い上がり」という病気は怖いです。いつの間にか感染していて気付かない怖さがあり、しかも気付いてもなかなか治せない病気です。しかも「プライド」という嘘の皮を被っていることもあるので、自分自身どこまで叩き潰せばいいのか判断できないことが多いです。 人のために尽くすという気持ちがいつのまにか、人のためにしてあげているという言葉に自分の中で置き換えられていることがあります。危ない、危ない、要注意です。 自分と言うのは何の存在価値もない人間なんだと思わないといけない。それくらいの逆ショックを与えていかないと、この「思い上がり」という病気は治りません。 「優しさ」というのも過ぎれば押し付けがましさになってしまいます。「思いやり」というのも手段を間違えれば「余計なお世話」になってしまいます。それでも、全く無関心よりもしたほうがよいという考え方もあるでしょうが、それももしかしたら「思い上がり」の症状の一種かもしれません。 「先生」という呼び方があまり好きではありません。この言葉は間違いなく「思い上がり」を助長します。「先生」などと言う言葉は全廃にすればいいのかもしれません。 「先生」より「同志」と呼んでもらおうかなぁ・・・共産主義者や社会主義者に思われてしまいかねませんね。 「あの・・・」がいいかなぁ。何としても自分の中の「思い上がり」を根絶しておかないと自分の一番大嫌いな人間に自分がなりそうです。反省。反省。
2009年01月24日
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お一人の方はイギリスのウェールズ地方の王国の女王でした。はるかに広がる緑の丘陵。なだらかな緑の丘の全てを自分のものにしたいと彼女は願っていました。そして、それを叶えてくれる男性と結婚し、ウェールズ地方の女王になりました。 穏やかな風と大地の匂い、緑と湖水の青、静かに咲く白い花々、そういうもの全てを愛して平和な王国での生活を満喫していたようです。 強い意思と花や緑を愛する豊かな感情、しかしさすがに少しわがままなほどの個性を持った女性だったようです。 そして、もう一人の方はかの有名なシバの女王。実はその乳母をしていた方の魂がメインなのですが、シバの女王の魂も乳母を心配して付いてきておられるために一人の身体の中に二つの魂が同居しているような形になっていました。だから現世の彼女からすると精神が不安定に感じることが多かったようです。 それにしてもシバの女王と言う人はとても賢い立派な人だったようで、一人の人間の器の中には納まりきれないほどの英知を持っていたようです。乳母の魂がメインで女王の魂は分霊の形なので、うまくバランスが取れていたようです。 シバの女王は「不純なもの」を一切受け付けない聖なる魂なので、現世の彼女の身体も食品に含まれる不純なものを受け付けにくい身体になっていました。懸命に身体を純粋な形に保とうと努力していたようですが、現代社会でそういう食生活は難しいようです。身体に食品の毒素が悪さをしていました。アドバイスとして出来る限り有機野菜や自然食品を摂って貰うようにアドバイスしましたが、結婚するとシバの女王の魂は役目を終えて昇天するので、それまでは我慢かもしれません。 友人同士で女王様同士という珍しい女性お二人のお客様でした。やっぱり女王同士だから気が合ったのでしょうか?
2009年01月23日
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未来を霊視すると選択肢が幾つも視えます。一番強く視えるものをお話していますが、正解である確率はとても低いです。知ったことでますますそうなる確率が下がるのかもしれません。つまりは、人は未来を知ろうとは思わないほうが良いということだろうと思います。 予知というのは当たったということをあまり聞きません。当たったというのは事が起きてからのこじつけに過ぎない事がとても多いように思います。 「明日を思い煩うことなく、今を懸命に生きよ。」というのが本当の霊界からのメッセージなのだろうと思います。「今」を一生懸命生きていれば、必ず自分の思い描く理想の自分に明日にはなっているはずだと思います。 成功実現のコツはなりたい自分を強くイメージしてから、忘れてしまうこと。忘れることで潜在意識の中に刷り込まれているはずだから・・・この潜在意識の力というのがとても強いんです。未来の自分を作っていくのは現在の自分の心持なんですね。
2009年01月22日
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神隠しと言っても民間によく伝わるのは天狗や狐や山男が人をさらうという類いのものが多いです。 神様が本当に人を隠すのは浦島太郎のケースなんかが典型的な例かもしれません。私の独断と偏見によると、神様はその人の魂や命の緊急避難のために異次元に連れ込む場合が多いのではないかと思うのです。 巨木や巨石の中に入り込むという経験が時々知られています。入れるはずの無い空間に入り込む・・・出てきたときに時間がずれている・・そのままの時間の場合もあるけれど、その時の危難を免れているというケースが本当の神隠しなのではないかと思います。 「千と千尋の神隠し」という映画は神隠しというキーワードではよく検索されるものですが、あれのストーリーにしても少女の魂の緊急避難だったと解釈することが出来るかもしれません。 何にしろ神隠しに遭うというのは神様にとても強く愛されている人のみだということは間違いないようです。神様との縁が深いと不思議な経験を数多くするか、一度のみだけれどとんでもない経験をするかということになるのかもしれません。
2009年01月21日
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NHKのドキュメンタリー番組で男性という性が近い将来から五百万年くらいの間に滅亡するという内容を伝えていました。男性にあるY染色体という奴が遺伝していく間に遺伝子の欠損や破壊で段々小さくなっていっていて、ついには消滅してしまうということらしいです。そうなると、男性の遺伝子に含まれている女性の身体に胎盤を作る指令を出す遺伝子も失われてしまうので、人類自体が滅亡してしまうということらしいです。 でもなぁ・・・生物の種というのはなかなかしたたかでしぶといものです。何とか切り抜けるのではないかと思います。ただ、最近の男性の精子は数も少なくなり活動も不活発になり、奇形のものも増えていたりするそうで、それは最近の若い男性を見ていると女性化していたり、逞しさがかけていたりするのは気付いていたので、ちょっと不安はあります。 ただ、何か新種の人類が生まれてくるのではないかという予感のようなものがあります。 最近、子供達の霊視をしていると「雑鬼」に取り付かれている子供を見かけることがあります。これは最近の傾向ということではなくて、昔からあったことなのかもしれません。ただ、雑鬼に憑かれて子供の魂自体から角のようなものが生えてしまっているのを視ると、何か影響が魂自体に残るのではないかと思ってしまいます。 子供達の魂の復元力というようなものが少し失われているような気がします。昔の子供達が持っていた魂の再生力のようなものは、とても強いものでした。何が起きても必ず前以上の強さを持って蘇えってきたものです。最近の子供達には再生する前に固まってしまうような「頑なさ」があるような気がしてなりません。 もっと自然の中に放り込んでほって置くような育て方が必要なのかなぁ?魂自体を強く鍛える育児法というのを人は学ばなければならない時期が来ているのかもしれません。
2009年01月20日
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何故か江戸時代に憧れています。 テレビも新聞も無い時代。情報というのは「風の噂」とか時々手にする瓦版、もしくは行商の人達からの口伝えのものしかなかったのだろうと思います。 自分の生活している空間しか認識できなかった人達。暮らしに追われ、飢餓に怯え、身分制度の中で固められて生活していた人達。 でも、何だかとても温かい風のようなものに包まれていたような気がするんです。 モノを粗末にしない社会。年長者が大切にされた社会。人の命や生き物の命の大切さを皆がとてもよくわかっていた社会。 「助け合う」ということがどうしても必要だったから、皆が皆の事を常に考えていただろうと思います。「お互い様だ、何かあってもその一人だけのせいではない。」という意識が皆を結び付けていたであろう社会だったように思います。 今でも地方の山間部の部落などの中には残っているだろうと思いますが、お互いがお互いを気遣って生活していた空間というのが何だかとても懐かしい気がして、情報が溢れかえり、人と人の関係が希薄になりすぎて、家族間でさえ崩壊している現代社会が空恐ろしくなってしまいます。 江戸時代の大切な何かを取り戻していかなくてはならないのかもしれない。それが、これからの私の課題のような気がします。
2009年01月19日
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女性にとってお子さんを失うという事は、身体をズタズタに切り裂かれるよりもつらい事だと思います。それこそ、心がズタズタになってしまうと思います。「喪失感」などと言う言葉では表しきれない苦痛、嘆きがあることだろうと思います。 それでも、女性は立ち上がる。また、頑張る。男にはとても太刀打ちできるものではありません。 先日お会いした女性。彼女は二人のお子さんを天国に返しています。でも、その時を乗り越えて再度大学に入りなおして、今春からは先生として多くの子供達と出会う旅を始めようとされていました。 目がキラキラと輝いて、元気と明るさが充満している女性でした。守護霊さんは中国人の鍼灸師のおじさん。中国で「赤ひげ」のような活動をしていた人です。貧民窟を中心に多くの子供達の病気を治してきました。その子達の生まれ変わった姿と彼女はこれから出会っていくようです。何百人、何千人という「彼女の子供達」。彼女の愛がその子達の心に届くはず。そして、彼女自身がその大きな「愛」に包まれて生きていくことを強く願ってやみません。 彼女の生き方は多くの人に勇気を与えてくれるものです。天国へ帰った彼女の子供達も強く応援しているに違いありません。彼女自身の言葉です。「命の大切さを子供達に教えたい、教える事が私なら出来る。」 こういう先生が一人でもいてくれるなら子供達は「光の子」になれるだろうと思います。
2009年01月18日
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彼女達は二人で来られて、霊視をさせていただいたのですが、最初の方はこれまでにも二三度来られたことのある方。 ヨーロッパのお屋敷が視えてきて、白い壁に窓が幾つもシンメトリーに並んでいる角家のお屋敷。でも悲しみの雨に濡れている。子供さんが亡くなったんだ。男の子。でももう一人女の子が残されている。お母さんは亡くなった子供の事ばかり考えていてもう一人の子の事を忘れてしまっている。メイドや執事に育てられている孤独な女の子と悲しみの雨の中に佇んでいる女性。 そして、もう一人の女性の霊視を始めると前述のお屋敷の筋向いのお屋敷に住んでいる女性だった。屋敷の前の庭のガーデニングをしている。この女性、霊的能力があってほんわか人の心が読めるようだ。ご主人と二人の男の子がいるけれど、彼らは独立していて何の世話もいらない。だから彼女はちょっぴり退屈・寂しい。そんな時に彼女は向かいのお屋敷の「雨」に気付いた。 まず、女の子をガーデニングに呼び込んだ。花や植物たちの世話が彼女の心を癒し始める。 そして、次にそのお母さんも招きいれた。彼女の心を娘の心と寄り添わせる。一生懸命楽しい時間を二人に提供していく。三人の輪が楽しい日の光に包まれていくようになっていった。 現世の二人にも友情があるようです。お互いがお互いを必要とする優しさに包まれた友情が現世でも続いていかれることを願うばかりです。
2009年01月17日
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妖精というのは微妙な存在だなぁと思います。妖怪ではないし、神様でもないし、霊体なのかなとも思うけれど、それともちょっと違うような気がします。 いるのかな?いないのかな?という微妙なボーダーライン上に位置している存在のような気がします。見える人には見えるらしいし、見えない人も夢うつつというような状態になったときには見えるらしいです。 残念ながら霊視していても「妖精」という存在は私は視たことがありません。「小さき神々」は視たことがあります。スクナヒコナノミコトやコロボックル達は妖精とは違うものと感じています。見た目が小さいというだけで、何か存在する次元が違うように感じています。 どうも「妖精」というのは次元の狭間にいる存在のように思います。扉が開ききっていない、半開きのような段階で垣間見える存在。人と神の中間の「白き闇」とでも言うべき場所に生きているもの達なのかもしれません。
2009年01月16日
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昨日は眼科へ緑内障の検診に行ってきました。もうすぐ五十二歳になる初老の人間としては体のいろんな所にガタがき始める頃です。 眼科の検査というのは眼圧を測ったり、眼底写真を撮るために瞳孔を広げたままにしたりするので、目がしょぼしょぼになって結構つらいものです。 結果は眼圧も視野の欠損もなく症状は出ていないので問題は無いのだけれど、視神経が大分くたびれてきているのでいつ緑内障が発症してもおかしくないと脅かされました。もちろん強度の近視で乱視も少し入っていて、老眼もばっちりという目ですから負担は充分にかけているのだろうと思います。半年毎の検査が必要と御託宣を賜りました。 瞳孔が開いたままの目で明るい日差しの射す白い雪道を歩いて帰って来るのはなかなかつらいものでした。それでも、まだ発症していなかったことに少しホッとしながら晴れた冬の道を楽しんできました。 目が見えなくなったらどうすればいいんだろうか?まず、大好きな本が読めなくなるから家人に読んでもらうしかなくなるなぁ・・・読んでくれるだろうか?テレビも映画も見れなくなる。音だけの世界になってしまうわけで、ラジオの世界に入ってしまう。落語が好きだから、落語のCDを沢山買って聴けばいいのだろうか?仕事は目が見えなくても出来るかもしれないから続けられるだろうかなぁ・・などと考えてしまいました。やっぱり目は・・・と言うか与えられた身体の健康というのがとても大切な宝物なのだということを新たに実感しています。
2009年01月15日
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その方の前世はとても気風のいい女性でした。しかも、お酒を飲んで暴れだしたら男の二三人はコロコロ転がしてしまうほど腕っ節もいい女性でした。 彼女は武家の娘だったのですが、家が貧しいために金貸しの家に嫁に出されてそこで苦労をしていたのです。その金貸しの旦那が借金の取立てに使っていた地回りの親分がいたのですが、この人はとても男気のある立派な人だったようです。 それで、どういういきさつかはわかりませんが、金貸しの家の妻からいつのまにかその親分の妻になってしまったようです。 武家の出ですから、武芸も嗜んでいて先にも述べたように男の二三人なら相手にならないくらいの技を持っている人でした。そして、この親分のおかみさんになってからはとてもイキイキとした生活をしていたようです。 こういうお話を現世の彼女にしていたら、「私はどうも外国との縁がとても深いように思うんですけれど・・・」「留学もしたりしていましたし・・・」というお話です。 「それは、これだけ日本にどっぷりと漬かった前世をお持ちですから興味の対象が外国に向くのが当たり前なのかもしれません。今世ではそういう生き方をしてみたいと魂が望んでいるのではないですか?」とお話していました。また、彼女の姉妹(お二人のお姉さんがおられるそうで)がとても外国との縁が深い人達で、しかも彼女に対して支配的な因果を持っているようなので、そういう影響もあるようでした。 何しろ攻撃がとても得意で防御が苦手なタイプの魂のようでした。積極的に何事にも取り組んで行く時にパワーが出るタイプのようでした。いいですね、こういう女性が世の中を元気にすると思いました。
2009年01月14日
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その方の前世を視ると、明治時代くらいの新興宗教の教祖をされていた女性でした。霊能力が多少あって、地方での小さな宗教団体を主宰していたらしく、基本的には大人しい方だったようです。 能力的には三日くらい先の未来が時々視えるのと、多少物質化の能力があったようです。でも、霊視をしていてもこういう方は周りに因果の糸がごちゃごちゃと絡み合っていて、人の姿がびゅんびゅん飛び交って視えてとても視えづらい・・・。 四十五歳くらいで喀血して亡くなっておられるのですが、どうも原因はお酒のようでした。しかも、この霊視の最中に以前私のスクールで学んでいた男性でやはりお酒の飲みすぎから肝硬変になり、喀血して亡くなられた男性の霊体が心配そうに周りをウロウロし始めましたから、これは自分と同じ症状になりそうなので心配のあまりやってきたのだろうと思いました。 それで彼女にお話しているとお酒が大好きとの事。必ずお酒を止めるか、酒量を落とすようにお話しました。 また、彼女に霊視の内容をお話していると現世ではご両親が新興宗教に入信していて、しかも最近身内の何人かに不幸が立て続けに起きていて、実のお兄さんもICU(集中治療室)に入っているとか・・・どうすればいいですかね?と聞かれましたが、「新興宗教に入信するということは、とても深い業の中に取り込まれることでもあるので、ご利益もあるかもしれないけれど、数十年かかっても解けない糸に絡まれてしまう結果になるんですよ。今の時点ではどうしょうもないですね。」としか申し上げられませんでした。 彼女が入信しているのかどうかまでは聞かなかったのですが、お酒を止めて肝臓の機能を改善していってくれることを祈るばかりです。
2009年01月13日
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霊界からのアドバイス(と思われる)に時々、「もっとわがままになっていいよ。自分の思うように生きなさい。」というのがあります。 現代の人達(特に女性)には自分を押し殺して、我慢し続けて生きている人が多いのだろうかと思います。確かに会社などの大きな組織の中にいれば自分をあからさまに出して生きるというのは無理な話なのかもしれません。 でも、それ以上に「いい子」でいなさい・・と教育されてきた人が多いのだろうと思います。「いい子」というのは従順で素直で人に言われたことは「ハイ」と何でもすぐ聞いてやる人なのだろうけれど、そういう「いい子」でいることは「魂」にとってはとても負担が大きい。閉じ込められたような状況に等しいのかもしれません。 「悪い子になりなさい。もっとわがままになっていいのですよ。」という言葉は一見無責任な言葉のように捉えられるかもしれないけれど、私にはそう思えない部分もあります。 自分の心の欲求というのは満たしてあげるととても気持ちのいいものです。逆に満たされない状態というのはストレスのかかっている状態と言えるでしょう。自分の心を素直に見つめて、その求めているものをきちんと理解していくというのは「人として正しい道」なのではないかと思います。他の人や周囲に迷惑をかけることになったとしても、その責任を自分がきちんと取るという覚悟さえあれば、何をしてもいいのではないでしょうか? 人はもっと自由に生きるべきなのだ。そう見えないモノ達は言っているのかもしれません。
2009年01月12日
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今朝の日経新聞で歌人の方がコラムで亀について書かれていましたる三島由紀夫さんが亀が鳴くという古代からの短歌の意味とかについて書かれていることについてのコラムで、亀は鳴いたりしないのだけれど、そういう亀に鳴声を求める人の心の機微のようなものが面白いらしい。 鳴かず飛ばずの「亀」であるけれど、長生きだし案外とても早く走ることもできる。一ヶ月くらいの断食もOKだし、かと言って食欲は旺盛でもある。子供の頃飼っていた亀に池の金魚を次々と食べられていった記憶があります。 亀と言えば「ドリトル先生」に出てくる「ドロンコ」という名前の巨大な亀はノアの箱舟の時代から生きていた亀で、箱舟にまつわる若い男女の物語をドリトル先生に語ったりする。何だかとても印象深い。 亀といえば「ガメラ」。このスーパーヒーロー怪獣にはこどもの頃も最近のリバイバル作品でも楽しませてもらいました。亀って何か見ていると安心感を与えてくれるところがあるような気がします。 そう言えば霊視の中にも北の守護神玄武として亀が出てきたことが一度だけあったような気がします。 お寺の法生会のための池に沢山放されている亀たち・・・これも子供の頃飽きずに眺めていた記憶があります。
2009年01月11日
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今年の歳神様が視えます。何だか戸口から顔だけ出して左右をキョロキョロ見ているようです。何かやってくるのを待っているような感じです。 そしたら、とても大きな白馬に乗った男神様が笑いながら駆け抜けていかれました。 そしたら歳神様は「善哉、善哉。」と喜ばれていました。 これは一体どういう意味なんでしょうか?白馬だからイザナギノミコトだと思うんだけれど・・・これはもう吉兆と考えておいたほうがいいですね。 多分、今年も目まぐるしく変化が起きていく年になるのかもしれません。それに振り回されること無く、しっかりと一歩一歩真面目に生きていく覚悟をしておいたほうが良いようです。
2009年01月10日
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男女で霊視に対する対応が違うように思います。男性の場合、女性よりも依存性が強い・弱いが極端です。頼り切ってしまう人と「フン!そんなものか!」という感じでちょっとバカにするような人がおられます。 女性の方が霊視というものを冷静に見ている様に思います。頼りすぎず、かと言って信頼しないわけではなくて、楽しんでいる風もきちんとあって、こちらも話しやすいです。男性は下手に視えたままを話すとドーンとショックを受けてしまいそうで、怖くなります。やはり、精神的にに男性のほうが弱いのかもしれません。 それと男性は自分勝手というか自己中心的な方が多いですね。こちらはいつでもどんな時でもベストコンデションで霊視が出来るわけではなく、プロの霊能者ではないわけなので、身体のコンデションを調整してほしいという欲求にはどれだけでも答えますが、霊視に関しては私の自由にはならないことが多いので、その辺りがわかってもらえず、いつでもどんな質問にも答えてくれるはずという態度で来られると困ってしまいます。 多分、私は霊界というか見えない世界とのつなぎ手に過ぎないので、私を尊重する必要は無いのですが、私を通じて視るあちらの世界に対しては「気遣い」を最大限にしてほしいと男性のお客様には言いたいと思います。視えにくいときもあるんだぞぉ・・・。(多分そういう時は「お前には今の所これ以上知る必要は無い。現世でしっかり頑張りなさい。」という霊界の意思が働いているのだと思います。)
2009年01月09日
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母が白内障の手術を受けています。日帰りの手術なのですが、昨日までに片目が終わり、今日残りの左目の手術です。母は軽い糖尿病も持っているので、普通なら苦痛のない手術らしいのですが、相当痛かったようです。それでも、手術の終わった目がとても綺麗に見えるようになったので喜んでいます。76歳の母なので白内障はよく罹患している年代になりますが、三十代の女性も同じ手術を受けていたそうです。 金沢の郊外にある眼科としてはとても有名で繁盛している病院に通っていますが、沢山の患者さんが来院されていて、診察室は一度に何十人もの患者さんと看護師さんが動き回っていて大忙しです。それでも母に言わせると看護師さんの手際がとても良くて決して待たせることも放置されることもなくスムーズに診察や手術が行われていっているそうです。 目を患うというのはとても怖いことです。見えなくなってしまったら私の場合なども楽しみのほとんどが奪われてしまいます。緑内障の危険があるので一年に一度は定期的に検査を受けています。眼圧が高くなると危険らしいです。でも、眼科の診察は小さい頃のトラウマがあって歯科の診察と同じように苦手です。 目は心の窓と言いますが、健常な目で一生過ごして行きたいものですね。
2009年01月08日
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時々とんでもない前世が視えることがあります。千人に一人くらいですが、別の惑星での前世というのが視えるときが・・・。全くこういうのが視えるときは私の妄想かもと本気で思ってしまいます。 彼女の前世はピカ☆パランパタ星人。ピカ☆・・という所は言葉ではなくて光る光を表しているそうです。植物から進化した人達で、頭上には大きな傘のようなものが付いています。その星の太陽は生命体に有害な放射線を出しているので、頭上にそういうものを避ける傘のようなものが付いているらしいです。 「慈愛」という心の要素が溢れかえっている星で、お互いがお互いを思いやることが当たり前の星だったようです。彼女の前世の人は、周りに迷惑をかけてしまう病気を持っていて申し訳ない気持ちで生きていたようです。時々、彼女の身体から赤い液体が噴出して周りの人にかかるとかぶれたような状態になるのです。いつ液体が噴出するのかは予測できないので、周りの方にどれほど迷惑をかけるものか・・・でも皆慈愛の心が当たり前にある人達ばかりなので、全く気にしないで責める人は皆無だったようです。それだけに彼女は周りに気遣いばかりしていたようです。 だから、現世の彼女は自分の存在に違和感があり、地球の人達の慈愛の念のない行為が理解できず、また周りに気遣いをしすぎる性格が出ていて身体がとても気疲れして背中なんかがパンパンに硬くなっていました。そういうヘンテコリンな前世の影響で、この現世で心が疲れてしまうのは可哀相です。何とかこの前世の突拍子も無い話を聞いたことで、心のブレーキが緩んで、もっと楽に生きて行けるようになってもらいたいと思いました。
2009年01月07日
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二日に金沢神社に呼ばれて初詣に行ってから、白蛇様が就いているようで変な事が起きています。 まず、三日の早朝四時二十一分地震を感じてぼんやりと目を覚ましました。震度2くらいだったので、そのまままた爆睡したのですが、起きてからニュースを見ても家人に聞いてもそんなものは知らない感じで・・・。その日の夕方午後四時何分かに宮城県で地震。そして翌日の早朝(日本時間)午前四時何分かにニューギニアで大きな地震。何かの偶然だろうと思っていたのですが、どうも施療中の霊視が去年よりもはっきりくっきり視えるし、視るまでにかかる時間もすごく短い。 そして、何か私の五メートルくらい離れた辺りをウロウロしている霊体を感じてよく視てみると「白蛇様」がのたくっているようで・・・。あぁ就いて下さったんだぁと気付いた次第です。 地震の予知のようなものが私の初夢になったのも貴方のせいですか?今年はまた地震が多いって事?それは嫌だなぁ、勘弁してください。
2009年01月06日
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その方の霊視を始めると平安時代の戦乱の真っ只中でした。兵士たちが暴れまくっているのが視えて、その姿はまさしく「鬼」のようでした。彼女の前世は幼い娘でした。逃げ惑っているうちに家族は次々に殺されていき、彼女は悟って行きました。「鬼」から目をそらしてはいけない。「鬼」となっている人を見つけたら、逃げずに目を見開いて見つめ続けていかないと生き延びれない。背中を見せて逃げ出すのが一番先に殺されてしまうケースだと・・・気付いていったのです。 この前世の伝えようとしているのは、人の中の「鬼」の部分。嫌なところや汚いところから目を背けてはいけないという事。きちんと目を背けずに見つめていくことが生きていく内に大切な事だということのようです。「あぁ嫌だ嫌だ人ってなんて醜い生き物なんだろう。」そう思うことが現代社会で生きていく中では見られることが多々あるようです。でも、その部分が見えたら逃げ出すということを繰り返していくのは精神的な「死」を早めることになります。 人の醜い部分、汚い部分も含めて他人をきちんと見つめ続ける。そういう勇気が必要なのかもしれません。 人の中には「神」のような部分も「鬼」のような部分もあります。人も宇宙の一部なのだから、人の中には何もかもが含まれているのかもしれません。
2009年01月05日
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去年我が家から見えた虹の写真です。冬の北陸は雷が多いのですが、去年の冬の始まりの頃は虹が時々見えました。 何故、自然は虹なんていうものを人に見せてくれるんでしょうね。綺麗で儚くて切なくて夢幻の類いのものなのに、人はそこに「遠い希望」というようなものを感じてしまいます。明日はきっと良い事があるに違いないと思ってしまいます。綺麗なものを見ると人はそこに「吉事」を感じてしまうようです。多分、人類の歴史の中でくじけそうに、へたれそうになってしまう場面が何度もあったのだろうと思います。そんな時に人の心というのは「美しいもの」を見て勇気付けられてまた頑張ろうと立ち上がってきたのだろうと思います。 もう一枚の写真は我が家の階段の窓際に上がりこんできたアマガエルです。彼は、時々入り込んできて和ませてくれます。でも、彼も厳しい自然の中で生き抜いている野生動物です。それなのに、人はその姿に和んでしまいます。こいつに負けずに頑張ろうなんて思ってしまいます。人の心というのは何故か自然のものに向かうとき、素直な前向きな状態になっているようですね。 自分に対して「頑張ろう」と言おうと思います。人に「頑張ろう」と言うのは止めようと思います。一人、心の中で「よし頑張ろう」と思っている仕事始めの私です。
2009年01月04日
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昨日は親戚一同で会食。金沢のスカイホテルという17階建ての高層ホテルの16階の和食レストランで春の懐石というのをランチにいただきました。親戚と言っても弟夫婦と姪っ子二人と私の家内、娘、母の八人なのですが。 16階からの展望は久しぶりに見たけれどとても素晴らしくて会食の間中見とれていました。ここの料理は美味しいのが定評なので、堪能しました。姪っ子の一人が高校バスケで全国ベストエイトまで残ったという事が話題の中心に・・・。準々決勝で優勝候補に当たって惜しくも敗退しました。弟夫婦は娘二人のバスケットボールに付きっ切りで世話をしていて大変ですが、とても楽しそうです。姪っ子二人は同じ高校の三年と二年で同じクラブに所属しています。私にも可愛くてしょうがない女性たちです。 夜は家内の正月定番のぶたまんを食べて、心もお腹もホカホカになりました。
2009年01月03日
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今年の初詣は金沢神社に行ってきました。この神社は兼六園に隣接していて、「金沢」という地名の元になった金城霊沢という湧水井戸があります。昔、芋掘り籐五郎という人が砂金を洗った井戸という謂れがあって、金沢の人なら誰でも知っている場所です。 ここは加賀藩主の前田公何代目かの方が建立した神社で「白蛇龍神」という神様や菅原道真公が祀られています。この白蛇様にどうも呼ばれている感じがしたので行ってきました。学問の神様なので受験生やそのご家族がいっぱい来ておられました。 呼んだくせにさすがに白蛇、フン来たのか・・という感じで静かに境内の池の中で鎮座しておられました。どうも私と仲が良い孔雀明王が苦手なようで、呼んだくせにビビッているような感じも・・・。どうも私よりも娘と縁が深いようです。まぁ、こんな神様に好かれているようならお金の苦労はせずに済むようなので親としては少し安心です。 それにしても金沢というのは古代神である蛇神と縁の深い土地なのだなぁと改めて思いました。
2009年01月02日
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黎明の金沢の町は、うっすらと雪景色です。 近くの小橋菅原神社から年賀の雅楽の音色が響いてきます。 昨晩はダウンタウンの笑ってはいけないを最後まで見て眠りに付きました。紅白は見ません。 今年は良い年になる・・・かな?イスラエルではまだ空爆が続いているようですし、その影響で原油価格はまた上がりそうです。 神に関わる人達が戦争をしています。神は冷徹な目でそういう人の行為を見つめているだろうと思います。 日本の食料自給率はどんどん下がって行っています。鳥インフルエンザのパンデミックもいつ起こるかわかりません。景気は悪化し続けています。 でも、人は希望の光を瞳に宿して生き続けていきます。きっと明日には何かが少しずつ良くなるはずだと信じて、自分の周りの小さなことから手をつけて頑張って世界を良くしていこうと生きています。 そういう人達に見えない方達も手を差し伸べています。そういう人達にこそ、あらゆる力が集結していくのだろうと思います。一人ひとりが小さく世界を良くしようと決意するだけで、世界は必ず少しずつ良くなっていきます。そう信じて新しい年の扉を明けたいと思います。
2009年01月01日
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