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私ではなくて妻ですが、先日免許証の自主返納をしてきました。運転に不安があるとかではなくて、妻の場合はずっとペーパードライバーで免許を取ってから二度しか運転をしていないという経歴の持ち主です。歩くことが大好きで結構な距離もトコトコ歩いている女性です。 免許センターで申請をすると「経歴証明書」を発行しますか?と聞かれました。これは運転免許証の代わりになるもので身分証明書としても使えるもののようです。妻の場合はマイナンバーカードがあったので必要ありませんと答えていました。それでも五年以内なら再発行してもらえるようです。この経歴証明書を提示すると提携しているタクシーには一割引きで乗れるのだそうです。我が家は市内中心部にあるので大体どこでもバスで行けるので必要ないかなと思います。 妻は大体、他人様に迷惑や負担をかけることが好きではなくて目立つことが大嫌いな性格なので、公共の無料負担とか割引負担などもあまり利用しないように努力する性質です。自主返納にしてもそういう思想から決断したのではないかと思います。私とはちょっと考え方が違っているので大変付き合っていると面白いです。夫婦というものの妙のようなものを感じた事柄でした。
2020年01月30日
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お客様から江原啓之さんの著書を頂いて、現在精読中です。 「あなたが危ない!」という題名の警鐘本ですね。内容は簡単に言うと「日本総憑依時代」ということかな。悪いものに憑依されて自分を見失っている人たちが増えているということですかね。 そう言えば他人に悪意を憑依させる人が良く見かけます。そういう人(生霊になっている人)は私が氣視すると自分自身が不幸の真っ只中にいる人が多いです。大抵家庭内に不幸が詰まっている人が他人に悪意を飛ばします。自分はこんなに苦しんでいるのに、何故あいつはのほほんと幸せそうにしているの?許せない、というわけです。 でも結局は「人を呪わば穴二つ」の例え通り、自分が最終的なところへ追い詰められていってしまって遂には悪意を飛ばすことさえできなくなるところへ行ってしまいます。可哀想なことです。 江原さんの御本はまだ途中ですが、読んでいてある映画を思い出しました。それは「妖怪大戦争」という映画です。確か神木隆之介君が主人公を演じていたかな。内容は、人間に捨てられた器具たちの怨霊、付喪神というようなものが集まって人に祟りを為そうとする、それを主人公たちが頑張って止めようとするというようなものでした。 江原さんの書いておられる「憑依」はこの付喪神が人の心に憑りつき始めているということなのかもしれないと思いました・物質文明が悪い形で進化し続けていることが人の魂を簾が入ったような状態にしていっているということなのかな。 自分を見つめ直して、しっかりと今の自分の状態を言葉にして再認識せよと江原さんは訴えています。流されるままに社会を受け入れているのはダメで、自分が今の現実の中でどうなりたいのか、どうしていきたいのか、はっきりと自覚して生きていきなさいとおっしゃっています。 付喪神、愛用品、普段使っている物たち、私はそれらに宿る魂を常に感じます。たから壊れたりしょうがなく捨てたりするときには必ず「ありがとう、役に立ってくれて感謝します。」と伝えています。 いつまでも同じようにあり続けるものはないと自覚しています。それは人も同じ、親も兄妹も親戚も友人たちもいつまでも自身を愛してくれて行ってるわけではないと分からないといけない。 全ての物と人に感謝して生きなければならないと私は思っています。そうしないと必ずその報いを受けます。お互いがお互いのために生きているのが世の中の真理なのだと思っています。
2020年01月28日
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中国の事です。新型肺炎についての情報が最初は何だか隠蔽されていて、段々あからさまになってきて、ついには都市ごと隔離ですか。やっていることが無茶苦茶です。国としての倫理観を疑います。以前にも似たようなことをやっているというか、「パンデミック(感染爆発)」というものをきちんと理解している人が国の上層部にいないのかもしれません。 結局被害を被るのは庶民というわけです。一党独裁の政治体制についても別に批判も非難もしたくはありませんが、国際的な倫理基準というか他国に人的な被害を及ぼすようなことだけはやめてほしいと思います。疾病に関しては常にオープンで正直な姿勢であってほしいものです。 しかも今回は春節という民族大移動の時期と重なります。これは火薬の近くでタバコを吸っているのと同じことになります。中国の方は非常に合理的な考え方の方が多いですが、若干自己中心的なところがあるように思われます。だから他者の生命や財産に対しての関心が薄いように思われます。少し前に書いた「自分勝手と個人の自由」というものの境界があいまいなのかもしれません。 中国は老子、荘子、孔子などの偉大な哲人を生み、東洋医学の全般を生み出した偉大な国です。どうか国際社会の中でも偉大な歩みを見せ続けていってほしいものです。
2020年01月26日
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以前から感じていたことですが、霊的な世界に本質的な変革が始まっているようです。 例えば眠っていた神様が起き始めています。日本の各地で地方に眠っておられた神々が目覚めて波動を発信し始めておられます。中には人の心をざわめかせるタイプの神様もおられるので、それを受けてしまう人は感情が不安定になってしまうかもしれません。 私は氣を受け流す修行を仕事柄続けているので、そういう波動は感じた瞬間に受け流しています。 それよりも古代の遺跡や神社跡や古城なども再現されたり整備されたりしつつありますが、これもその土地に眠っていた霊的な存在の覚醒に伴っておきていることではないかと推測しています。人が何かを為そうとするときにそれの原因となるものには、人の心に触れる霊的な波動が必ずあるものです。 人の心も乱れやすい時期になります。霊的な変革を自覚していないと駄目です。目に見えない世界が何某かの進化を遂げようとしていることを自覚してほしいです。ただ大げさに捉えないでほしいです。さりげないことなのです。わかっていて道筋をしっかりと見つめていれば、歩んでいく道が少しずつ曲がったり、登ったり、下ったりしていることはわかるはずです。その道筋をちょっと注意して視ている意識を持っていれば大丈夫です。後は守護してくださっている方達に任せておけば正しい生き方ができるはずだと思います。
2020年01月24日
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ちょっと考えてみますシリーズになるかなと思います。 第一弾「自分勝手と個人の自由」 自分勝手というのと個人の自由、どこが違うのかなと思うとたぶん「他人に迷惑をかけるかかけないか」が違いなのかもしれません。 最近は自分勝手な出来事が本当に増えています。犯罪というのは究極の自分勝手ですが、それでなくても「モンスタークレイマー」とか「モンスターペアレント」とか、「いじめ」にしても犯罪にとても近い自分勝手だと思われます。 けれどそれが「個人の自由」という一つの権利が声高に言われることで、周囲の他人や個々の他人に大きな迷惑を与えているにもかかわらず法的には取り締まれずにいるような感じです。 自分勝手な人に接したときに「それはダメです。」と言えるかどうか。難しい問題です。日本が欧米に比べて、その「社会性」が成熟していない。いまだに幼稚な村社会的な部分が残っているのが問題なのかもしれません。 個人個人を大切にするというのは「保護」するのではなくて「育成」する観点が必要なのではないかと思います。社会全体が個人に対して保護と育成をバランスよく与えていくことができるようにならないと社会は成熟していかないと思います。 小学校のころに学校で学んだ「道徳」という時間には、そういう個人の保護と育成も含まれていたように思います。今も昔のような道徳というカリキュラムがあるのかどうか、教育というのは社会を良いものにしていくためには必須のものですが、そこが社会全体にどんな影響を与えていくのかしっかりと理解し進めている人がどれだけいるのか、最近は大いに疑問に感じています。
2020年01月22日
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かぐや姫の伝説や天女伝説って不思議ですよね。何かの寓話かとはとても思えないし、宇宙人飛来説を思わせてしまいます。 先日イギリスの女性宇宙飛行士の方が宇宙人はもう地球に飛来しているなんて説を発表していましたが、飛来しているとすれば最低でも何光年も離れた星からきているわけだから、技術的には地球と隔絶した超文化技術を持っているわけで、思考能力も隔絶したものを持っているわけで、地球人には理解できない考え方をしているだろうから、地球人と接触なんかしないだろうと思えるわけで、それでも中には物好きというか変わり種の人がいるか、何かのトラブルで接触した場合もあるかもしれません。 それがかぐや姫伝説や天女伝説になったのかもしれないなぁと思います。だって接触したとするなら危害を加えられない形にしなければならないから、そうなれば女性でしかも美女でないと駄目なわけでそこは論理的に合っているわけです。 もしかしたら地球人が核戦争に突入しないで済んでいるのって、そういう見守っている存在が何らかの支援をしているお陰かもしれないなぁと思います。だって地球人て結構おバカだから、これまで核戦争に突入していないのって奇跡のように思えます。何か目に見えない力が守ってくれているように思えます。地球を破滅から守るために。
2020年01月20日
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出雲の地と金沢の地には何某かの深い地縁を感じています。25年以上前になりますが、会社勤めをしていたときにフランチャイズ契約をしていた個人オーナーさんが境港市におられて、その関係で何度も出雲の地にはお邪魔することになりました。 大山の威容にも驚かされましたが、皆生温泉から境港へと至る風景に何故か心が深く安らぐ感があったことを覚えています。境港の先の美保の関あたりに行った時もしきりとデジャヴュ(既視感)のようなものを感じました。 金沢でも能登半島の奥地に行くと深い郷愁というか、魂のルーツに触れているような安堵感が生まれますが、出雲の地にもそこかしこにそれと同じ感覚を覚えたものです。 日本海が運んできたものが日本の土壌で熟成されて、独特の霊的な風土を生み出しているような気がします。出雲はもちろん国の祖となった地です。きっと隠岐の島と並んで神宿る地なのだと私は感じています。隠岐と出雲が表の霊地だとすると、能登と出羽が裏の霊地ではないかと私は考えています。大陸に端を発する霊脈の至る場所がこのあたりに表出しているような気がしてなりません。もちろん京都や伊勢もそういう表出地ではありますが、後者は人との関係がちょっと濃いような気がします。 出雲や能登は何かもっと根源的な霊地を隠しているような気がしてなりません。
2020年01月18日
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運転免許の更新に免許センターへ行ってきました。金沢の人にしか通じないネタですが、今の免許センターは河北潟干拓地の近くの平野の近くに立派な建物が建っていますが、昔私が免許を取ったころは金沢の市街地に古くてボロボロの建物でありました。近くには代書屋さんが何軒もあって、独特な雰囲気だったものです。 在りし日の免許試験の日、試験に来ているのに筆記用具を持たないで来ているニッカボッカのお兄さんに軽いカルチャーショックを受けたのも懐かしい思い出です。 お陰様で私は優良者講習で30分講習で済みました。5年間無事故無違反で居られたわけで本当にありがたいことです。交通事故については貰い事故もあるわけで、どんなに自分が気を付けていてもあちらからぶつかってこられたらどうしょうもないわけです。守っていただいているとしか言いようがありません。この20年ほどは事故・違反とは無縁で過ごさせていただいています。 感謝しかありません。本当に死んでいったワンコたちの霊などが守っていてくれることを日々実感しています。飼っていたワンコ・ニャンコの霊たちはこういう交通事故などから守るために就いていてくれることが多いです。私はその子たちのために毎日お水だけは仏壇にお供えして感謝しています。感謝させていただいているその環境が無事故につながっているのではないかなと思っています。
2020年01月16日
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日本は水の国ですね。温帯に属していて湿度が比較的に高く、樹林帯が山の多くを占めていて家屋も木造が多い。水がどこでも湧き出していて、名水と呼ばれるものがどこでもふんだんに手に入る環境です。 河川の数も非常に多くて暗渠になって地面の下を流れている川もたくさんあります。スピ的なことを言うと川にはそれぞれに神様がおられるので、それぞれの神様だけでも何万何十万の神様がおられることになります。 水は命の源ですから、川というのは命の流れでもあり、そこに神様が宿られるというのは当たり前と言えば当たり前ですね。去年は日本全国で川の氾濫がありましたが、これは別に神様が怒っているわけではありません。神様というのは自然そのものですから、人の感情の範疇にあるものではないからです。 海洋国家でもあり水の豊かな国ですから、水による自然災害というのは当たり前に起こるわけです。津波にしても堤防決壊による洪水にしても、それは自然が怒っているわけではなくて自然に起きているわけです。水による恩恵と被害、どちらも必然と言えるようです。人がそれにどう備えるかが問われるわけです。 砂漠の国、草原の国、凍土の国、それぞれに生きている人がいて皆、懸命に環境を大切に思って生きているのだと私は思います。
2020年01月14日
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生きていくのって大変ですね。働かなくちゃならないし、他者と付き合っていかなくっちゃならないし、家族の世話もしなくっちゃならないし、自分の世話もしなくっちゃならないし、本当にどこか深い山の中で一人で自給自足で暮らしていけたら楽かもしれないなぁなんて思ったりします。 それでも自分の世話は自分でしなくちゃならないから・・・でも迷惑をかけることもないから多少は楽かもしれませんね。 でも社会の枠組みにきっちりとはまり込んでしまったら、なかなかそんな突拍子もないことはできません。 外から見ればかぞくと仲良くしているし、仕事もやりがいがあって充実しているし、自分の楽しみも半分以上満たしているし、全く問題なく生きているように思います。それでも生きるっていうのが大変なのは多少感じています。不平不満、不足な部分がやっぱりありますし、もっともっとと感じる部分があるものです。人の欲というのは際限がないものなのですね。 お釈迦様は「我」を捨てなさいとおっしゃいます。しかし、この「我」というものがなかなか捨てがたいのです。悟りというのはループになっていて、悟ったと思うと最初の立脚点に戻っていたりします。つまりは生きるとは何ぞやという点に戻るのです。 生きるというのは息を吸って吐くこと。自然の中から何かを得てまた与える事。ありがとうとよろしくお願いしますを繰り返すこと。良いことがあれば悪いこともあると納得すること。命を与えられて、また命を生み出すこと。永遠の循環の中にいることを意識すること。生きるって大変です。
2020年01月12日
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霊的なことが原因で日々の生活に障害が起きることを霊障と呼ぶ場合があるようです。霊能力を持っておられる方の中には、「視え過ぎる」「霊的存在に呪われやすい」などの不都合を得て苦しんでおられる方を何人か知っています。 魂が、なのか、大脳の機能なのか、そういう普通の人には視えないもの、波長が合わないものにそういう能力者の方は波長が合ってしまう。そしてそれを現実と被せてしまう。そのために現実の生活の中に、それを物質的に招き入れてしまうということなのかもしれません。 私には霊能力はありません。しいて言うなら氣能力でしょうか。「氣」を視ることで霊的な世界に別の角度からアクセスしているようです。それだからでしょうか、簡単にスイッチをオンオフできるので霊障というものとは比較的に無縁でいられるようです。とは言っても強力な守護仏様や守護神様が守ってくださっているのもあるのかもしれません。霊障に対する防衛方法についてもお導きがあって修行して得られたものを持っています。 わかっているのは霊障を防ぐ手立ては全て自分自身の心の中に在ると言うこと。他者に救ってもらうことはなかなかできないということ。自らが心の内に打ち立てなければ、救われにくいということです。心の中におわす御仏の存在に確信を持って気づかなければ、人の心は救われないと言うことです。厳しく冷たい言い方になりますが、他者に救われたいと思うことは「逃げ」でしかないのかもしれません。自らを救うものは自らの中にしかないと私は思っています。
2020年01月10日
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もう十年くらい前になるでしょうか、金沢の文化サークルみたいなものの会員になって「古文書」の解読やら市内の珍しい仏像の由緒などを調べるなんていうことを楽しんでいました。 仏像めぐりは週一くらいで研究者の先生が金沢市内のお寺さんを巡って、そこの仏像や墓石の墓碑銘なんかを紹介してくださる活動でした。参加者はもちろん高齢者の方ばかりで50代の私が一番若い感じでした。 印象深かったのは泉鏡花ゆかりの寺院と日蓮宗のお寺さんでした。鏡花のお寺には天狗が棲んでいたとされる松の木が今もあって、しかもその場所が子供のころか私がよく遊びに行っていた橋の上から見上げた山の崖の上の特徴的な開けた場所で、あそこはいったい何なのだろうといつも不思議に思っていた場所だったことでした。ここに惹かれていたんだなぁと長年の不思議が判明した瞬間でした。 日蓮宗のお寺さんは全くご縁が無かった場所でしたが、中身がとてもユニークでした。まずお坊さんがユニークで、私のお経を聞かないと見学させないという頑固者で、そのお経が仏具の楽器様のものを数多く使ってまるで西洋音楽のドラム演奏を聴いているような感じでした。そして仏壇には様々な仏像が祀られていて、中に鬼子母神像があって日蓮宗のお寺には必ずあるとわかったのは驚きでした。 そのほかにも私が読んでいた時代小説の中の登場人物の有名な剣豪さんのお墓を見ることが出来たりして本当に有意義な仏像巡りでした。
2020年01月08日
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施療に音叉を使えないかと探求していたら、「癒し」の音叉と「浄化」の音叉というのが手に入りました。とは言ってももう随分前のことになります。 「浄化」の音叉については働かせるためには水晶に打ち当てるということが必要だと霊的に導かれるように判明して、偶然手に入れた水晶によって機能が十全に使えるようになりました。 お客様に憑いているものが軽い場合にはこの浄化の音叉を使います。浄化した後は癒しの音叉も使って心と体の霊的な波長を整えて終わることにしています。 憑いているものが強力な場合は、もっと強い祓い方をする必要があるのですが、最近はそのような方はあまりおられなくなりました。元々そういう方は当院へは来られなくなってしまうようですが。ご縁があれば来られることもあると思います。 それでもご本人が「救われたい」と心から思っておられないとこちらも手を付けることが出来ないのが本当の所です。まぁ私は霊能者ではありません。霊的に深いところには入れないので、今の状況がちょうどよいのかもしれません。
2020年01月06日
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今日から仕事開始です。経絡指圧の施療はほとんど施術者に負担をかけず、逆に施術を繰り返すことによって身体の経絡はスムーズな氣の流れを促します。多少の筋肉疲労はありますが、部位的に過度の負担が無いのがこの指圧の素晴らしいところです。 ただ最近は加齢のせいもあるのか連続で三人くらいの施術が続くと、ちょっとしんどくなってきました。加齢というのはおそろしいものです(笑)。 それでもお客様が少しでも身体と心が楽になるように努めていきたいと思っています。守護神様、守護仏様また一年よろしくお守りください。特に守護仏である不動明王様は元来、慈愛の念の強い御仏でもあります。強い破邪の様相をされていますが、そこには弛み切った人の怠け心を切って捨てる強さが現れています。私の心の中の緩みも切って捨てて行かなくてはならないのかもしれません。頑張ります。
2020年01月04日
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あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いいたします。 今年の恵方は西南西ということで自宅からその方向にある神社 神明宮さんへ初詣に行ってきました。ここは天然記念物の大銀杏の樹がある神社として有名です。そんなに大きな神社でもないので初詣のお客さんもそんなに居られなくて、天気も我が家の晴れ女コンビのお陰で晴れて、少し暖かな気温で気持ちよくお参りできました。 金沢ではステンドグラスの付いた楼門があることで有名な尾山神社が初詣でにぎわいますが、あそこは戦国時代には戦城としてあった場所なのでちょっと血なまぐさい感じがして、私はあまり好みません。ごめんなさい。人が神様として祀られている神社は、私はちょっと嫌厭気味です。 戦争の無い時代が続いていますが、世界では今でも内戦が続いている国もありますし、日本の近辺にもバカなでぷっちょ独裁者の愚かな国があります。 平和な国で在り続けることを切に切に願ってやみません。一年の初めに平和を心より願いたいと思います。
2020年01月02日
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