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白山さんへお礼参りに行ってきました。母が去年厄が大量に来て困ってしまい、早々に白山ヒメ神社へ厄払いに伺いました。効果覿面で厄が払えて順調な年が過ごせたので、母はとても感謝していて早くお礼に伺いたいと願っていました。 やっとお礼参りが済んで母もほっとしているようでした。昨日は降雪も少し穏やかになり、冬の中休みというところだったでしょうか。それでかどうか神社の参詣客も少なく、静かにお参りが出来ました。白山の奥宮とのつながりが強くなっているのを感じました。神様方は森閑とした静けさや寒さがお好きなようです。 ここのおみくじはよく当たるのですが、私は「吉」でした。身を慎んで軽挙妄動を避けるようにとのご託宣でした。少しずつ前向きに努力していこうと思います。
2013年01月31日
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言わずと知れた世界遺産の地域です。青森県と秋田県にまたがって広がるブナの原生林が広大で私もいつか一度行きたいと思っている場所でもあります。 秋田県からお客様が来られて氣視をしたら、この白神山地の神様が守護しておられました。神様の正体がわからなかったのですが、何となく見覚えのあるようなお姿なのできっと存知寄りの神様だろうと思っていたのですが、どうも後で調べてみると大国主命様のようでした。 そう言えば氣視の後に神様から伝言で出雲にもいらっしゃいと言うメッセージが来ていたので、それはそういう意味だったのかなと思います。石川県を真ん中にして出雲と白神の両地点が大国主命様と関わりがあるというのは面白いですね。 それと神様のお姿を視ているときに何となく感じたのは大陸とのつながりでした。韓国や中国との類似性がそのお姿から感じられました。もしかしたら大陸の地脈と今もつながっている神様なのかもしれません。それで日本海側がメインの居住地となっているのかなぁ・・・。 大国主命は何となく古代日本の神々の代表者のような位置におられるのかもしれません。そしてそれは日本列島が大陸と地続きだった超古代の時代から繋がっている神様の霊脈があるのかもしれません。
2013年01月30日
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昨日は少しだけ時間が空いたのでお米を買いに「ほがらか村」というJA直営のお店にお米を買いに行ってきました。 雪に埋もれた車を掘り出し(と言ってもいつもほどの積雪ではありませんでした。)、融雪装置の付いた幹線道路をなるべく選んでお店へ直行。 しかし雪が久しぶりに降ったせいか野菜も果物もあまりなく、お客さんもあまりいませんでした。精米したてのお米を15キロ購入してその他もろもろの野菜とともに持って帰りました。 雪が生活の一部を妨げているのはどうしょうもないことですが、昔に比べれば融雪装置も普及して幹線道路はある程度普通に通行できるようですし、暮らしやすい雪国になりつつあります。ありがたいことです。
2013年01月29日
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氣視の中でハワイの火山の女神ペレを視ました。 情熱の赴くままに生きている火の女神ペレ。フラと呼ばれる古代のフラダンスは彼女へ捧げるために生まれた踊りのようでした。 私は「火」の神様系統とは相性が悪いので、遠くから視ているだけにしておきます。ハワイという土地には惹かれるものがあるのですが、きっとあまり呼ばれてはいないはずだから中々行けないだろうなぁと思います。
2013年01月28日
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ある本の中で出会った言葉です。 「弱い人間は優しくしかできない。強い人間は優しくすることが出来る。」 確かにそうだなぁと思いました。すると人として弱いとか強いというのはどういう事なんだろうというところに考えが至ります。 その本の中では弱い人というのは自分というものがきちんと出来上がっていない人、というように書かれていたように思います。出来上がらなくても、自分というものが「こう在る」ということについて真摯に向き合い、考え、覚悟をすることを培っていく姿勢がある人が逆に「強い人」なのだと書かれていたように思いました。 世の中の女性が男性全般に求める「優しさ」というものにもいろいろな種類があるのだろうと思います。優しくしかできない人の優しさと優しくも厳しくも出来る人の優しさをきちんと区別できるのだろうかとも思います。 男女を問わず相手がではなく自分が人として「優しくできる」人間になれるようになりたいものです。 言葉足らずなところがあります。申し訳ありません。
2013年01月27日
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アルジェリアから無言の帰国をされた方達の空港でのお姿を見て、日本という国の母なる姿を感じました。 島国であり侵略を受けたことがない単一民族の国家であるということや、世界でも有数の治安の行き届いた国であるということ。 そして今、国内での景気の低迷を受けて多くの中小企業や大企業が海外に生産拠点を移設しつつあり、母なる国から出てゆく人達が増えているということも何となく感じてはいましたが、今回の悲惨な出来事は母なる御手を離れた子供たちが物言わぬ姿となって帰ってきた形になり悲しみの極みと感じています。 中国や東南アジアに残されている日本人の兵士の方達の遺骨収集のお仕事をされている方達とも少しご縁があって関わったことがありますが、戦後何十年経っても亡くなられた方達の魂は故郷の土へ還ることを強く望んでおられました。 海外の戦場に散るという悲しい結末を経ても母なる国はその大地にいつでも温かく迎え入れてくれるようです。 平和にこの国の上で暮らしている我が身に深く感謝していきたいと思います。亡くなられた方達のご冥福をお祈りいたします。
2013年01月26日
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お客様から相談の電話があり、車で事故現場を通ったらその直後から寒気がして食欲が無くなり辛いとの事。 来ていただいて氣視してみると事故現場にいた黒い蛇のような霊体が彼女の身体に巻き付いたようで、それでも寝ている間に守護霊様が引き抜いてくれたようで私のところに来た段階ではいなくなっていました。 彼女の守護霊様に聞いたところによると「寒の蛇」というもので寒さの塊のような霊体で負のオーラを持っている人に憑く傾向があるらしいです。 彼女の負のオーラはいろいろと考えすぎてにっちもさっちも行かなくなってしまう思考超過によるものでした。性格が完璧主義なのでそうなってしまうのですが、それがプラスの方向に向かっている間はいいのですが、マイナスに向くとすぐに「負」になってしまうようです。 とりあえず溜まっていた余分な「氣」を身体から抜いて心と体の中に「空」の部分を作っておきました。しばらくは守護霊様と連携して守ってもらえるだろうと思います。
2013年01月25日
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気功という能力があり、中国人の方などが氣を使って人の身体を治したりする映像を時々見かけます。 あれは外気功というもので特殊な体質の方しかできない事なのですが、私には自分の内臓を外に出して他人の内臓に触っているような感覚があります。悪く言っているのではなくて、それぐらい凄く特殊な能力なり技術であると感じているという事です。 私にはあのような能力はありません。私の「氣」に関する技術はあくまでも「受動的」なものが主体です。感じ取る能力が少しだけ普通の人よりもあるのかもしれません。読み取る力を磨くことを心がけてきました。 でも時々外気功が出来たらなぁと思います。決して叶わない夢ですし、もしできたとしたら人格さえも変わってしまうだろうなぁと何となく解っているような気がします。 人それぞれ。自分に与えられた能力の範囲内で出来るだけ頑張っていくのが人の理なのだろうと思っています。
2013年01月24日
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大きな音が苦手です。以前能登の和倉温泉で有名な歌手のミニコンサートがあって招待されて行ったのですが、小さな会場に似合わない大音量のスピーカーでがなり立てるような音響だったために気分が悪くなったことがありました。 太鼓なども私にはお祭りのときに神社の本殿の奥から少しずつ聞こえてくるトントントントンという厳かな響きが好きです。野外で聞く能登のご陣乗太鼓(つづりこれでよかったかな?)も音が広く響いて好きです。太鼓というのは屋外でこそ聞くべきもののように思っています。 コントロールされている音が好きなのかもしれません。野放図に響かせられている音にはあまり楽しさを感じられないです。じじくさい感性の持ち主なのかもしれませんね。
2013年01月23日
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義を重んじる人がいます。困っている人を放っておけない、少しのことにも恩を感じて恩返しをしようとする、上下関係を重んじて年長者を大切にする等々素晴らしい美徳だと思います。 キリスト教では「義」とは「義しい(ただしい)」と呼ぶとか。 日本では「義の人」と言えば武将の上杉謙信を思い出します。助けてくださいと頼まれると必ず助けに行く「義を重んじる」人だったらしいです。そのために天下を取ることは出来なかったのですが。 義はとても大切で貴重な美徳です。人の欲の対極にあるものと言ってもいいかもしれません。ただし、囚われすぎては心が固くなってしまいます。柔らかく「義」を捉えることも大切かもしれません。
2013年01月22日
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今年は寒さが一段と厳しいように感じます。お客様のほとんどが「冷え」を身体の中にため込んでしまっておられます。 身体の中の「冷え」を取り除くには「塩分」の適度の摂取と肉類を食べること。豚肉などがベターだと思います。 塩分は出来る限り「自然塩」にしていただくことが良いと思います。調味料として使う場合は岩塩か海水塩をお使いください。体内に入った時に自然塩に含まれるミネラルが余分な塩分の排出を助ける働きをするらしいです。 逆に白砂糖などは身体を冷やす働きがあるので、甘いものを取る場合は黒砂糖や蜂蜜などを利用されることをお勧めします。 後は入浴時にゆっくりと体を温めること。寒い日の入浴はご馳走ですね。寒いときは無理をせずに早めの就寝で睡眠時間をたっぷり取ってほしいものです。
2013年01月21日
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人の心の中には必ず御仏を求める心が宿っているように思います。 それは実は激しく安らぎを求めるものだったりします。幼いころの母親の懐の中に抱かれていた時のような安らぎや安堵の心を御仏に求めるのかもしれません。 それはある意味飛び続けている「矢」のようなもので、どこかの「的」に突き刺さるのを待ち望んで飛び続けているようなものなのかもしれません。 その「的」当たるのが現代では一つ「宗教」という形を持っているものなのかもしれないと思います。数多くの新興宗教が勃興していますが、それは人々の中にあるその御仏を希求する心を指しとめる「的」になっているのではないかと思います。 ただし「的」に刺さってしまえば「矢」はある意味「自由」を失います。 私は自由でいたい。 心の「矢」は「矢壺」に納めて悉皆成仏(しっかいじょうぶつ=全ての物象に御仏は宿っているとする仏教の教え)を信じて、あらゆる物事・人達の中に御仏を感じて生きていきたいと願います。
2013年01月20日
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富士山には月見草がよく似合うと言った有名な作家さんがいましたが、冬の雪には炬燵が良く似合うというのは北陸に住み、雪国に暮らしてきた私には納得の似合うモノです。 一度お正月に能登の和倉温泉の加賀屋という有名旅館の特別室というところに宿泊したことがありましたが、和倉温泉の街並みから温泉の湯気が立ち上り、朝日がさして、それを炬燵に入りながら見ていた時に「なんて贅沢で似合う時間と光景なんだろう」と思ったものでした。 炬燵にどてらを着て潜り込み、ミカンをぼつぼつと食べているときが冬の至福の時間かもしれません(笑)。
2013年01月19日
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自分で考えるということが中々難しいと言うことは何となく解っている人もそう多くは無いのかもしれないと思っています。 誰かの考えだったり、何かで入ってきた情報に左右されて、いつの間にかそれを自分の考えだと思っていることも多いのかもしれません。 子供の頃の私は(それこそ20歳過ぎても)自分で考えるということをしていなかったような気がします。日本人というのは多少「付和雷同」の傾向があるのかもしれません。 自分が何の主義に依って立つ人間なのかと言うこともはっきりと自覚していないのかもしれないなぁと思うこともあります。 自分独自の思想基盤を確保して、信念を培って、覚悟を持って生き抜くために自分で何事かを我が身に確立していく・・・難しいことなのかもしれません。 すみません。今日は変なことを書いてしまいました。
2013年01月18日
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若い思春期の頃の思い出の道があります。金沢を流れる二つの川の一つ浅野川沿いの小道です。小橋という小さな橋のたもとから浅野川大橋と呼ばれる少し大きい橋までの一キロにも満たない道ですが、様々な思い出が詰まった道です。 子供の頃のワンコの散歩道、家族で出かけた卯辰山への道、初恋の恋人と通った道、深く淀んだ川底に何かを視たような気がした道、いつも何がしかの思いを感じさせる道でした。 今は住まいが変わって犀川というもう一つの大きな川の近くに住んで、いつもワンコの散歩には川辺を歩いています。近くの犀川神社には私の守護神様が祀られていて、天気の良い日は境内の大きな高いご神木の梢に神気が凝縮しているのを感じます。 浅野川は女川、犀川は男川なんていいます。雰囲気が正反対の二つの川ですが、日本人にとって川というのは大切な思いを寄せる存在なんだろうと思います。
2013年01月17日
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先日のNHKの特集番組で深海の巨大生物ダイオウイカの生態を追ったものを放映していました。 真っ暗な深海のトワイライトゾーンと呼ばれる中間ゾーンに生息すると言われるダイオウイカの撮影をあの手この手で決めようとする生物学者の方達とNHkの撮影班の国際協力チームの奮闘ぶりはとても興味深かったです。 全長最大では18メートルにもなる巨大なイカがあの真っ暗な深海に生息して捕食して交配を重ねて泳ぎ回っているというのは、世界にはまだまだ未知の部分があるんだなぁと思わせて心が湧き立つ思いでした。 深海では重要な要素は光です。生物発光という自ら光り輝くことで捕食の手段にしている生物がほとんどのようですが、ダイオウイカはどうも自ら発光することは無いようです。 しかし、初めて撮影されたその姿は鈍色に金属光沢を放って、生物とは思えないような微妙絶妙の美しさを持っていました。 彼らはマッコウクジラを別にすれば食物連鎖の頂点に君臨する生物です。イカ、タコの類は優れた知能を持つことでも知られています。そういう生物が暗く深い海の中でうごめいているというのは何ともワクワクする事実のように感じます。
2013年01月16日
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和船の一種で江戸時代の千石船と呼ばれる大型の船はほとんどこの形式の帆船だったようです。 前世でこの船の一艘だった人を視ました。前世が船なんて変わっていますね。でも全身を木で作られて、乗り手の船乗りたちの愛情をたっぷりと受けて、その命を預かって大海原を走り回ったわけですから命も宿ったのかもしれません。 凪の海をゆっくりと微風に乗って走るその船を俯瞰で視ているようなビジョンがありました。たぶん今年一年は何事もなく平和な一年になるよというメッセージなのだろうと思って、その方にはそう告げました。その方は一家の主婦ですから、その方という船に今は一家全員が乗って航海を続けているわけです。ご主人が舵取りさえ間違えなければ無事に航海し続けることだろうと思いました。
2013年01月15日
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強い風が吹いた後は晴れる だから吹き荒れる風に耐えながらもじっと我慢をして待ちなさい そうすれば晴れ渡る青空と日の光が貴方を包み込むでしょう そう。いつまでも不幸やトラブルが続くということは無いはずで、いつかはそれらのものは過ぎ去って新しい局面が現れてくるはず。そう信じて人は生きて行かなくてはならないのだろうと思います。 風の中にいるときはそんなことは信じられなくて「どうして?何故?自分がこんなに苦しまなくてはならないのか?」と思ってしまうでしょうが、明けない夜は無いということも事実。信じる心が新しい世界を呼び込んできてくれるのかもしれません。 私が視た「空見師」(昔の気象予報士)の前世の方が伝えてくれました。
2013年01月14日
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コミュニケーションというのはとても大事なことです。会話があり、挨拶があり人との絆が生まれてきます。 ただ何でも話せばいいというものでは無いというところが難しい所です。そっとしておくほうがいい場合もあり、沈黙は金ということわざもあり、親しい人同士の場合には余計な言葉はいらないということもあります。 心を込めて話すことは大切ですが、それが相手にはうざかったり重荷になる場合もあるようです。 霊界からのメッセージは必要なことしか伝わってこないことが多く、言葉足らずだしどう解釈していいのかわからない場合も多々あります。仲介者である私も余計な推測をなるべく入れないように言葉少なに伝えています。寄り添わず離れずのような感覚のように思います。 過ぎたるは及ばざるがごとしとはコミュニケーションの場においても大切なことなのかもしれません。
2013年01月13日
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藤沢周平さんの小説です。テレビ化も映画化もされたので名作なのだろうと思いますが、先日もお正月というか年末特番のような形でBSで一挙放送されていて録画して観ています。 NHKのテレビで放映されたものが一番原作に近くて好きです。幼馴染の主人公と娘の叶わなかった恋が縦軸になっているのですが、何とも切ない感覚があって時代劇では秀逸なものだと思います。 一途で純粋で相手を心から思いやっているのに、決して積極的に自分の思いを貫こうとはしないいじらしさのようなものが描かれていて、日本人の恋愛の節度のある儚いけれど強い心の絆のようなものが感じられていいです。 主人公の養い親である武士は藩の勢力争いに巻き込まれて切腹させられてしまうのですが、彼はお百姓さんや領民の人達の幸せを常に願っていた「義の人」だったわけで、罪人の息子となった主人公に「私のことを恥じてはならぬ」と告げて死んでいきます。 私も子供に対して「父を恥じてはならない」と告げて死んでいけるならいいなぁと思います。そういう人の生き様というようなものが横軸として描かれているのがまた藤沢作品の良い所だと思います。 懸命に真面目に生きていれば必ず人は報われるものだと藤沢さんの作品は語りかけてくるように思います。
2013年01月12日
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たいていの方は出産後には骨盤は自動的に修復されて正しい形に落ち着くようになっているようです。 ただ中には歪んだままになってしまったり、出産後の精神的な動揺から骨盤が再度歪んでしまう方もおられるようです。 出産後三週間ほどしたら一度整体で信頼のおける施療者のもとで骨盤の状態を診てもらった方が良いと思います。 出産後は「脾」という経絡がフル活動の状態になります。この経絡は全身の消化腺と乳腺などの作用を司っているものです。産後の脾立ちが悪いというのは本来こういう字を書くらしいです。脾の経絡は大脳の働きにも関連しているものなので、女性は産後にとても大脳の働きが活発になるのだろうと思います。それは自然の働きの上でも産んだ子供を守ることがすぐに必要なのでそういう成り立ちになっているのかもしれません。 子供は宝物ですが、母という存在はそれ以上の宝です。私も含めて男性陣は大切にして差し上げるように心がけねばなりません。
2013年01月11日
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昨日ワンコの散歩に川辺を歩いていたら、雲間から日の光が差し込んでラファエロの絵画風の光景になっていました。 光の筋がすーーっと差し込んで壮大なスポットライトのようでした。 冬の分厚い雪雲の上にはやっぱり青空があるんだなぁとちょっぴり感動しつつ観ていました。 川にはカモたちが数多く飛来していました。普段は見かけないカモたちもいて、渡ってきたんだなぁと感慨深いものがありました。今度の休みには加賀の鴨池観察舎へ行ってこようかなぁと思っています。
2013年01月10日
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その方の氣視を始めると聖人の銅像が仰ぎ見る形で視えました。周りにはハトなんかがたくさんいて、どこか欧州の町の広場のようでした。「聖バレンチノ」という名称が伝わってきて、「聖バレンタイン」のことだろうなぁ、そういう呼び方になる国なんだろうなぁと思いました。 見ている人は女性で家業は傘職人。そして銅像の背後の空は曇っていて、でも片隅に少しずつ青空が広がりつつあるのがとても印象的でした。 伝わってきたメッセージは「空には雲もあり、雨も降り、風も吹き、それでも晴れている場所もあり、空も世界も様々な表情をしているのが当たり前。自分のところが雨降りだからとか、嵐だからとか嘆いていてばかりではいけない。同じ時間に日照りで苦しんでいる人もいれば、天気が良くて空の神様に感謝している人達もいる。自分の不幸を嘆くのは止めなさい。どこかの空は必ず晴れている。自分も必ず日の光が降り注いでくることもある。そう信じて前向きに生きなさい。」というものでした。 傘職人だからと言って雨降りばかりを望んでいるわけではないから、生き方にも広い視野と感じ方を持って、前向きに生きることを望んでいることをこの守護霊は伝えたかったようです。 伝えられた彼女は何故か涙を落としておられました。気づかれることがあったのかもしれません。
2013年01月09日
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氣視している最中に聖徳太子の画像(掛け軸になったもの)を信仰している姿が視えました。太子信仰というのは有名だったので、そういう庶民信仰の一部なのだろうと思いましたが、何故こういう姿が視えたのかはわからずじまいでした。 先ほどネットで調べてみると太子信仰には二種類あって、一つは仏教を日本に広めた方として開祖と同じように高僧として聖徳太子を祀っている形のものと、大工さんや木工職人さんたちが物差しや曲尺を日本で初めて使った方として聖徳太子を祀ったというものがあるらしいです。 聖徳太子という方は超能力などがあったとまことしやかに語り継がれている方だけに尊崇の対象となって庶民の中に根付いてきたのだろうと思います。 私の父方の祖父が夢の中で聖徳太子のお姿を見て、近所の古道具屋へ行き夢の通りに聖徳太子の掛け軸を見つけて東別院という大きなお寺に寄贈したというのは我が家に伝わる不思議話です。 私の中では聖徳太子様は弥勒菩薩の化身として捉えられています。
2013年01月08日
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子供の頃、我が家は貸本屋をしていたことがありました。母が家計を助けるために家の玄関部分を改造して小さな店舗にして漫画や小説を置き、駄菓子も置いて商売をしていました。 小学生だった私にとっては夢のような世界でした。毎週出版される漫画雑誌の付録はタダで手に入るし、好きなマンガは読み放題でした。漫画のセリフにはルビという読み仮名がふってあるので難しい感じも段々と読めるようになっていきました。 何よりも「少年マガジン」「少年サンデー」「少年キング」「少年画報」等々漫画雑誌は花盛りで、様々な漫画家の作品を読み漁ったものです。漫画の単行本では水木しげるさんの漫画なんかがあったものです。 読書が趣味の中心に居座ったのはこういう子供時代を過ごしたのですから当然だったかもしれません。駄菓子は時々おやつに少しだけ食べさせてもらえました。 母の手伝いで漫画雑誌に手作りのビニール表紙をつける作業をしたものです。漫画雑誌というものの中身は創意工夫の塊でした。何とか読んでもらおうと様々な工夫がされていたものです。「工夫する」という心の作業を少し学んでいたのかもしれません。
2013年01月07日
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体重が五キロ落ちました。毎日一回ロングブレス・ダイエットを続けていただけなのですが、お腹のだぶつきも減り腹筋も出てきました。 顔のむくんだような感じも少し減って、いつのまにか少しシャープな雰囲気です。 呼吸全般に注意するようになったように思います。ロングブレスの際にお尻の筋肉を引き締めるようにしているせいか、泌尿器系の衰えも少し止まったようです。普通に食事制限などはしていないのでとても楽なダイエット法かもしれません。 続けていきたいと思います。
2013年01月06日
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大きな平たい岩の上で琵琶を抱えつつ身体を揺らして踊っておられる弁財天を視ました。 巨岩は御座という神様のおられるべき場所なのですが、その上で踊っておられるのは弁財天が芸能の神様だからなのか、どういう意味なのか測りかねて視ていました。 神様の踊りというのは大抵、放心状態のような踊りなので巨岩とはいえ落ちたりしないのか何となく不安になりました。 氣視していたのは女性なのですが、施療後にお聞きすれば踊りは苦手とのこと。伝わってきたメッセージは本当は「実らない望みにすがりついていつまでもあがいていても無駄だからやめなさい。」というものだったのですが、お正月からこんなマイナスのメッセージを伝えると間違いなく凹むだろうなぁと思って、少し言葉を変えてお伝えしました。 弁財天は美しくて優しい女神様のイメージですが、伝えてくるメッセージは大抵厳しいものが多いです。華やかなイメージに惑わされやすいですが、とても自律心を求めてくる神様のように感じています。
2013年01月05日
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今日から仕事始めという方もおられると思います。我が家も家内、娘ともに今日から仕事始めです。 働かせていただいているときの方が身体も心も元気なのは誰でも同じなのかなと思います。休みの方が疲れてしまうような気がする55歳であります。 飛び去る弓矢のように過ぎていく時間の流れの中に、さてさて飛び込みますか。
2013年01月04日
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10年間ほど両親と絶縁状態の時間がありました。娘が生まれて一、二年経った頃からの10年でした。 今考えると、一人の社会人としての修行の10年だったように思います。長男として生まれ育ってぼっこりとしたのんびり屋に育っていた私にとって一人で妻子を養いつつ自宅まで購入してローンを背負って何だか必死に生きていたような10年間でした。 何かに助けられ導かれ決して独りきりになっていたという感覚はなく、いつも「何とかなる」という楽天的な気持ちが根底にあったような時間でした。その時は必死でああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返しながら、泥の海を泳いでいたような感じでしたが、それが一人で世間の海を泳ぐ力を身に付ける時間にもなったような気がします。 何でも「無駄」というものはなくて、偶然というものも無くて全てが必然だったと思える時間を過ごしてきたように思います。 今、一人でお客様の方達と接しながら心の底に何かをがっちりと受け止める力が湧いてくるのは一人きりで生きていたあの時間のお蔭かなぁとも感じています。
2013年01月03日
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元旦の朝、ぼーっとテレビを見ていたら京都の西芳寺の庭園が映っていました。 何と美しい。苔の美しさは木漏れ日にキラキラと水滴が反射して幻想的なまでに際立っていました。 地形的に湿気が集まりやすい谷あいに配置されていたことから自然に出来上がった120種類もの苔が密集している奇跡の庭園でした。 夢想国師と言われる造園能力に秀でた僧侶の方が再建された庭園と寺院なのだそうですが、元々苔寺にするつもりはなかったわけで、偶然が重なって作られたものであるわけです。 何かが生まれ育ってそこに「在る」のは必ず何らかの理由があるのだよ、お前もそこに生まれ育って何事かを成し遂げなさい。そう庭園の在り様が告げているような気がしました。
2013年01月02日
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薄く積もった雪が金沢の町を白く染めています。少し寒さが戻った感じです。 あけましておめでとうございます。 初春、そうですね、またもうすぐ春がやってきます。辛く長い冬の真っ最中ですが、心浮き立つ春を思って心だけでも温かくして生きて行こうと思います。 きっと良い年になるに違いない。そう強く信じて。
2013年01月01日
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