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心の闇のそばにこそ光があります。絶望の淵に立っているときにこそ一筋の光が差し込んでいるのが見えるはずなのです。 闇ばかりのように見えても必ずわずかながらも光はあるはずで、見ようとしていないから見えないだけで必ず闇のそばにも光はあるはずなのです。信じて見つめてみればそこに細い糸のように光が存在しているのがわかるはずです。 パンドラの箱の底にも最後に希望が残っていたように、生命というものは最後の最後まで生き続けることをあきらめないものです。あきらめたらそこで終わりです。必ずどこかに光に通じる道は残されているはずなのです。 怖くなれば逃げればいい。誰かに恥も外聞もなく頼ってもいい。自分というものをしっかりと見つめる心さえ失わなければ歩き出す先は必ずあるものです。 仏教の世界でも地獄の闇の中にも地蔵菩薩がおられて、少しでも救い上げようと闇を歩いておられると教えています。自分を見失わなければ必ず光の下にたどり着けるはずなのだと信じて歩き続けてみることが必要なのだと思っています。
2017年01月31日
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人の魂のタイプは海系山系と区分される場合もあります。私は自分では山系だと感じています。 だから時に海系の魂の方の場合には氣視しにくい状況になる場合があります。何故なのだろうと思いますが、子供のころに海で溺れかけたりした記憶がそういうものにつながっているのかもしれません。 何しろあまり海では楽しい思い出が無いので、もしかしたら海の神様には愛されていないのかもしれません。海で深い足のつかないところで泳いでいると足の下の海の底から何かが浮かび上がってきて襲われるような感覚がとても強いです。深い海の底に対する根源的な恐怖のようなものがあるように思います。だからなのか「アビス」という海洋SF映画には強い興味を覚えました。 山にいるときはとても心が落ち着きます。解放されるような感覚や包まれている感覚にも満たされる感じがあります。私は「山の子」なんだなといつも実感しています。山の中で海を感じることもあります。それは古代に海底だった地形だったりするせいなのだろうと思います。そういう時には山の中で海をとても身近に感じて親しく感じるから不思議です。 日本は島国ですが、海洋国家だと断じるわけにはいかないほど山塊の力も得ている国です。海系山系の魂を持つ人たちが混在している国でもあるわけです。とても貴重な国の質なのだと思います。
2017年01月29日
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本当に子供のころから本が好きで、幼いころ我が家では「貸本屋」という仕事を一時期していたことがあって漫画などをタダで読みたいだけ読めたという環境がありました。それでルビというか読み仮名が振られた漢字を数多く読むうちに漢字わ数多く覚えてしまって、書籍を読むときにほとんど抵抗なくスラスラと読めたという偶然もあって、極度の本好きになってしまいました。 下手をすると月に十冊以上は新しい作品を読んでいる感じです。面白い本だと中ぐらいの厚さの文庫本でも一日で読み切ってしまいます。分野については現在は推理ものだけがあまり好きではないくらいで、他の分野はほとんどスキキライせず読み漁っております。 施療で氣視をする際にもこういう情報の蓄積は潜在意識の中で役に立っているのかもしれません。きっと審神者と呼ばれる人たちはこういう読書を欠かさずしていたに違いないと思っています。少なくとも情報の蓄積や分析は審神者にとっては必須だったのではないかと思います。 問題は読んだ本の処理です。きっと地震があったら私は本に埋もれて死ぬだろうと思います(笑)。
2017年01月27日
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これまでの生きてきた道を眺め返していると、本当に何かに守っていただいているとしか思えないような出来事が数多くあります。生かされている存在なのだなとつくづく実感します。 それでは何のために行かされているのだろうと考えます。それは何かの為になることを多少でも自分がするためにいるんだろうなぁと思うわけです。 生きているということ。生かされているということ。それは必ずなにがしかの意味があり、役目があり、価値があることなのだと思います。どんな人にも、どんな生き物にも、どんな物事にも意味があり、役目があり、価値がある。 毎日、一瞬一瞬が奇跡だ・・・などとは言うつもりはありません。淡々と過ぎていく日々があり、時間もあるのですが、何かの折にこれは行かされているのだとしか思えない瞬間が訪れるものです。 だからこそ心の底から「ありがたい、ありがとうございます。」という思いが湧き上がってきます。 人は基本的に罪深い生き物です。何かの命を日々奪っていなければ生きていけない生き物です。それに対して日々の感謝を深くして謙虚な気持ちを忘れずに生きて行かなくてはなりません。 食べるものに感謝、自分の身体に感謝、自らを犠牲にして私を生かしてくださっている全てのものに感謝、地球に感謝、そしてここまで命をつないでくださって来たご先祖様たちに感謝です。
2017年01月25日
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人はそれぞれに自分のラッキーナンバーを持っているものです。自分で勝手にこの数字が縁があると思って決めているのだと思いますが、私にもそういうナンバーがあります。 お伝えしてしまうとパスワードの関係やらなにやらでまずいことになるのでお知らせすることはできないのですが、この数字には何度も助けられてきました。 後になって氣づくとその数字がどこかに入っているのです。ですからその数字が好きになっていきました。特別なこだわりを持っているわけではありませんが、その数字があれば「縁」があると決めています。 人にはそういう意味の大切な「鍵むがいくつかあるようですね。
2017年01月23日
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これも私が好きなNHKの番組です。先日の回では古墳についての企画を放映していました。 古代の古墳や遺跡についてはエジプトの遺跡との関連性や世界の遺跡との相似性など様々な謎があるようですが、日本は島国であり様々な世界の地域から海を渡って多様な知識が伝搬してきたと思われます。 日本人という民族自体が五目御飯のようなごちゃまぜ民族であると私は思っています。ただ四季があり高い山や深い湖があり、もちろん海に面していて地球上のあらゆる自然環境のひな型のような土地である日本の国土は何かの象徴として存在しているのではないかと思ってしまいます。 太陽の舟、空飛ぶ船、ストーンサークル、山岳信仰、即身仏とミイラとの関連、日本はなにがしかのスピリチュアル・シンボルとしての国なのではないかと私は考えています。 竜の国、日本。本当に面白い国に生まれてきてよかったと思っております。
2017年01月21日
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昨日は還暦の厄払いに白山ヒメ神社へ行ってきました。何とも良い天気で数日来の雪模様が嘘のように晴れて暖かい日になりました。母といっしょに行ったのですが、どうも母は白山さんに歓迎される率が高いように感じます。 遊神殿という場所で受付を済ませて数分後には本殿で他数人の方達とともにお祓いわ受けました。本当にこの本殿は広くてすがすがしい雰囲気が漂っていて気持ちの良い場所です。巫女舞いもとても美しくて一幅の絵画を見ているように思いました。 お祓いを受けている間神様の雰囲気を感じていたのですが、数年前からこちらの神様は天から舞い降りる感じではなくなって白山の山塊の中にどっしりと居座っておられるような感覚を覚えるようになりました。白山も活火山であり火山帯にも連帯しているのですが、その地震や噴火を抑えてくださっているように感じています。本当にありがたいことだと感じています。 こちらの神社の古い社が近くを流れる手取川の反対斜面にあることを先日知りました。気候が良くなって雪が消えたら一度訪ねてみたいと思っています。 白山ヒメ神社のご祈祷はとても素晴らしいものだと感じています。一度受けて見られるものもいいのではないでしょうか。とても清々しい気持ちになります。
2017年01月19日
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寒くなると外の世界の「氣」の流れがスムーズになります。そのせいなのか、神様が人界を通り過ぎていく雰囲気がとても早くなります。 空の雲が速く流れて行くように神様の雰囲気が通り過ぎていくときに感じる時間が短くなって、スッと素早く走り去っていくのがわかります。 名の知れた神様の場合は先導役の神様が就いているのがわかります。でもそういうケースは滅多に無くて、昔の人はこういう雰囲気に敏感で「龍神様が通って行かれた」などと語り継いでいったのかもしれません。 神様の雰囲気に感覚のスイッチを合わせておくのはちょっと難しくて長い時間チューニングし続けていると疲れてしまいます。人の視えざるもの、人の触れざるもの、それが神様という存在なのかもしれません。
2017年01月17日
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外は吹雪です。金沢もついに積雪生活に入ったようです。気温の低下と風が強い日が昨日あたりから続いています。積雪は他の地方ほどひどくはないのですが、今季一番の寒さを記録しています。 昨日は休日だったので少し郊外のショッピングモールへ行ってきたのですが、外は猛吹雪でも屋内は快適で何十軒とある店舗を見て回っていれば楽園にいるようなものです。人の消費生活というのは限りなく快適さを求めていくものなのだなぁと感じました。 冷えが身体に溜まりやすくなります。甘いものは身体を冷やすのでなるべく避けて塩分や肉類を適度に摂取して体を中から温めるようにしていきたいものです。雪の下でも草木はじっと春の温かみを待っているのですね。
2017年01月15日
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人にはタイプのようなものがあって、「氣」を身体の外へ放出できるタイプと出せないタイプがいます。私は出せないタイプです。氣は身体の内に留まり、他人に対して自分の氣の影響わ及ぼすことはできません。 その代わり他者の氣の状態には敏感で、読み取る力は優れていると思っています。逆に氣を外に出せるタイプは他者に影響を与えて治したり整えたりできる人になります。 ある意味出せるタイプの方は治療家に適していると思います。ただしこのタイプの方が治療家でおられる場合には常に他者に接して治療を続けていないと自らの氣を持て余す形になって自らの健康を害したり精神不安定になる傾向があるようです。お酒なども深酒する傾向が出てくるようです。 氣を出せないタイプは性格的にも内向的で自らの健康状態などにも敏感になるので、心身ともに気を使って維持することに努めるように思います。 氣を出すタイプは社長業などのボス的な性格にもなりやすいので、成功者になる確率も高いように思います。両刃の剣ではありますが、力強いタイプの人とも言えます。 治療家にも二種類あるということです。私は氣を出せるタイプの方に対して憧れもありますが、そういうタイプには成れないことは自覚しているので、自分の特徴に合った治療スタイルを磨いていこうと思っています。
2017年01月13日
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もうすぐ60歳になります。厄払いをしなければいけないと家内や母には言われますが、なんだか納得できない気分があります。 60歳は還暦という年でめでたいと皆が祝ってくれる節目なのに、その一方で厄払いもしなくてはならないというのはちょっと矛盾しているようにも感じます。たぶん「好事魔多し」ということなのだろうとは思います。めでたい時というのは逆に戒めが必要な時でもあるということなのだろうと。 まぁしぶしぶではありますが、白山ヒメ神社でお祓いをしてもらって来ようと思います。 白山さん、金沢の人はこの神社を愛情をこめてこう呼びます。以前母の厄払いに訪れたときに美しい巫女舞いとともに菊理姫様の息吹を感じて感動したのが記憶にあります。 もう一度お会いできるかどうか、それは楽しみです。
2017年01月11日
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最近お客様のご相談を受けていて感じるのは、「人は悩みやストレスにぶつかると一人で苦しんで自分が一人だけで生きていてその問題にぶつかっている。」と感じている方が多いということです。 氣視してみればその方の周りには助けてくださる人や応援してくれている人、またはその人を頼りにしていてその人がいないと困ると思っている人などが数多くいられるということです。 なぜ自分一人で問題に立ち向かっているのか?それは人に頼ることを潔くないと思ったり、周りに迷惑はかけられないと思っているから。 でもそんなことはないと私は思います。応援してくれている人たちに思いっきり頼ればいいのです。その人たちに精一杯愚痴ればいいのです。仲間なのですから。友達なのですから。それを迷惑だなどとその人たちは決して思わないはずだから。 視野狭窄のようになってしまって一人で悩むことは自分への責任感や成長するためには必要かもしれませんが、周りの人たちの助けを借りることも同じように自分の心の成長に必要なことなのかもしれません。恥ずかしがらずに周りを見渡してみれば必ず助けてくれる人たちがいるはずだと思います。
2017年01月09日
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来院された母娘のお客様。娘さんのほうが少し問題がありそうで、これで二回目か三回目の来院です。 氣視すると包丁が視えました。三徳包丁というか万能包丁というか要するに普通のご家庭の台所に一本はあるなんでも切るのに使える便利なタイプです。 けれど錆びついているのが視えました。 そこで私の解釈です。娘さんは何でも人並み以上にできる能力を持っている人。けれど自分に対して極端に自信を持てないでいるために何もかもうまくできない、つまり錆びついた包丁のような状態でいるということ。 でもそれは錆さえ落とせばすぐに何でも人並み以上にできるようになるということ。私は娘さんにそのことを伝えました。この娘さんは私の言うことをとても素直に聞いてくださる方なので、目を輝かせて聞いてくださいました。 お母さまが娘さんに望んでいることもきっと自信を持つということだったのだと思います。お母さまも納得した様子で聞いておられました。 自分を信じて周りの言うことなど気にせずにしっかりと自分ができる事を着実にやっていくことがさらに自分への信頼につながります。やせ我慢でも独りよがりでも構わない、自分を信じて何でもやってみることが若いうちは大切だと思います。
2017年01月07日
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今日から新年の営業開始です。 政府も「セルフ・メデュケーション」ということを奨励する形が出来てきているようで、自分の健康は自分で守ることが大切です。ただそのためにお医者様の言うことを素直に聞いて、出されたお薬を全部きちんと飲んでいれば大丈夫というのはダメだろうと思います。 重病の方はやむを得ないと思いますが、慢性病や生活習慣病、肩こりやひざ痛腰痛などの慢性疾患については「セルフ・メデュケーション」ということが必要です。 東洋医学はこれに特化した医学だと思われます。体質改善や養生ということについての指針を適確に与えてくれる医学だと思います。 身体の冷えや栄養過多という身体状況を自らどの程度のものなのか認識して改善のためにはどういう運動生活や食生活が必要なのか真剣に考えていくことが大切だと考えております。 そういう面でのアドバイスをきちんとできるようにしていきたいと思います。今年もよろしくお願いいたします。
2017年01月05日
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毎年のことですが、初詣はその年の恵方を調べて自宅からその方角にある近くの神社へ行くことにしています。 今年の恵方は北北西だったので、兼六園近くの石浦神社へ行きました。ここは大山咋神様の神社です。つまり去年までの干支であるお猿さんが眷属である神社です。なかなかエネルギッシュな神様なので元気が出る感覚があります。 いつもそうなのですが、神様の元を訪れるときには猿田彦の尊様が付き添ってくださいます。この神様と友達のような関係になったことで本当に助かっています。ほとんどの神様がすんなりと懐に入れてくださる感覚があります。ありがたいことです。もちろんそんな不遜な気持ちは持ってはいないのですが、近くにいる感覚だけは感じれると信じて神社には行くようにしております。何しろ神様というのは「氣」の特別な集合体のような存在だと私は思っております。 今年は自分の芯にあるものをもう一度見つめなおすことを神様に約束させられたように思います。嫌なことから目を背けないでしっかりと再確認していくことが今年のテーマなようです。がんばります。
2017年01月03日
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今年は雪の無い穏やかなお正月です。 今年はどんな一年になるのでしょうか。「予測不可能」という言葉が最近よく頭の中に出てきます。 社会全体が想定外の出来事にきらめいているといったほうが良いような気がします。気象も災害も社会情勢も人の心も何かでたらめな軌道を描いているように感じられます。 資本主義社会も崩壊しつつあるように思えますし、地球温暖化も科学者の予測を超えて歪な方向へ突き進んでいるように思えます。 何か確かなものを人はどこかに求めようとしていますが、今の地球上では確かなものというのは数少ないように思います。昨日まで当たり前にあったものが今日は消えてなくなっているということも無くはないというのが本当のところのように思えます。 何を礎に生きていくのか?難しいところです。 とりあえず私は「きっと良くなる」ということを信じて生きていこうと思います。必ず状況はいったんは悪くなっても必ず意志と希望を持ってさえいれば「きっと良くなっていく」と信じて生きていくしかありません。どんなにつらい逆境に落ち込んでも「きっと良くなる」と信じて生きていくことが人が為すべきことだと私は思っています。 究極の楽天主義なのかもしれません。しかしこの予測不可能な世の中を惰性で生きていくのは危ういことだと思います。強く明日を信じて生きていく心の姿勢だけは持っていようと思います。
2017年01月01日
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