2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全31件 (31件中 1-31件目)
1
8月の世界選手権大会(ヘルシンキ)の代表選考会を兼ねた大阪国際女子マラソンが、30日に長居競技場を発着点として行われた。 エレナ・プロコプツカ(ラトビア)が32キロ過ぎで大南博美(UFJ銀行)を捉えて2時間22分56秒で初優勝した。 日本勢では小崎まり(ノーリツ)が2時間23分59秒で2位となり、「2時間26分を切って日本人トップ」の選考基準を満たし、選手権代表の内定者となった。 3位には、2時間25分56秒で弘山晴美(資生堂)が入った。 大南は6位となり、注目のシドニー五輪で銀メダリストであるリディア・シモン(ルーマニア)は5位であった。 やはりマラソンは前評判どおりとはならず、そのときの体調やレース運びで大きく左右されるようである。 今後の選手権代表に誰が選ばれるか、興味津々である。
2005年01月31日
コメント(0)
2月1日から各地において一斉にキャンプインし、いよいよプロ野球が始動する。 今季各球団ともに選手との触れ合う機会を設けるなど、フアンサービスに力を注ぐ意向である。 巨人が、いち早く具体的な方針を打ち上げている。 特に史上初のストライキを実施したなど昨年の一連の騒動が、引き金になっているとも思える。が、 単なる一過性の出来事に終ることなく、フアンを重視してより身近なものとなるよう努力を重ねて欲しい。 IT関連事業の参入で、インターネットを活用したサービスが検討されている。 各球団とも知恵を知恵を絞って、機構改革を実現しフアン離れそして低落に歯止めをかけてもらいたい。
2005年01月30日
コメント(0)
明30日、大阪国際女子マラソンが、大阪長居陸上競技所場を発着点として行われる。 今回のマラソンは、8月実施される世界選手権(ヘルシンキ)の代表選手選考会を兼ねている。 内定条件は、2時間26分を切って日本勢のトップでゴールインすることのようである。 注目は、98年から大会3連覇を達成しシドニー五輪銀メダリストのリディア・シモン(ルーマニア)に対し、00年の大会で2秒差で2位となった弘山晴美(資生堂)や昨年9月のベルリンで2位の大南博美(UFJ銀行)が期待されている。 さらに大山美樹(三井住友海上)、小崎まり(ノーリツ)大越一恵(ダイハツ)らが上位争いに加わりそうな状況である。 速いレース展開が予想されており、記録の出そうなレースとなる気配である。
2005年01月29日
コメント(0)
プロ野球の12球団監督会議が27日開催され試合の使用球についてミズノ製のボールを見直し、将来的に国際使用球と同規格に統一する方針を確認したと報道である。 巨人・中日・横浜と楽天を除くパ・リーグ5球団の計8球団が新開発の低反発ボールを使用する方針であり、残りの4球団は従来通りで、メーカーの一本化はしない。 強制力はないにしても球団ごと使用するボールが異なることになると、違和感があり少なからず差異がでるのではなかろうか。 さらに各層で論議し、12球団が同じボールでプレーすることが望まれる。
2005年01月28日
コメント(0)
パ・リーグの理事会が26日開催され、06年のシーズンから国際で使用されている球と同規格のボールに統一する方向で検討するとのことである。 ミズノが反発係数を抑えた新ボールを開発し、そのボールをテストした結果を踏まえて議論するとのことである。 国際球の使用により、アテネ五輪でも苦戦した経緯がある。 これからもより以上に国際交流など国外や外国での試合が想定されることもあり、日ごろから馴染んでおく必要がある。 公式戦で使用することが必要不可欠であると思われる。
2005年01月27日
コメント(0)
労使合同によるプロ野球のあり方を議論する構造改革協議会の初会合が25日に開催された。 報道によれば戦力均衡と球団の経営収支の観点から・ドラフト・フリーエイジェント(FA)制など選手の移籍・選手年俸などの3項目を重点に議論するとのことである。 昨年9月のストライキから4ヶ月が経つが、一向に進展していないように思われる。 やっと今回の開催であるが、球界発展に実のある議論をしてもらいたい。 さらには、フアンの意向を尊重してもらいたいものである。
2005年01月26日
コメント(0)
首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」の初会合が本日開催される。 いよいよ女性天皇の誕生をめぐる議論がスタートする。 報道によると、まず議論の対象となるのが「男系」の継承の是非とのことである。 皇室の歴史で10代8人(2人は2回即位)の女性天皇がいるが、全て男系である。 世論も多くが女性天皇容認であり、議論を尽して道筋をつけてほしいと願う。
2005年01月25日
コメント(0)
萩本欽一が監督を務める社会人野球チームの「ゴールデンゴールズ」に、女子野球日本代表の片岡安祐美選手(18:熊本商高3年)が入団したとのニュースである。 小学生の頃からプロ野球選手の夢を抱き、中学生で日本代表に選ばれた。 引き続き商高でも野球部に籍を置き、男子と同様の練習をしたとのことである。 この度、チームからの打診があり入団を決意した。 欽ちゃんの”プロ野球選手の夢を叶えてあげる”との言葉に、夢への実現に新たな第一歩を踏み出すことになった。 是非とも、プロ野球女子選手第1号になってもらいたい。
2005年01月24日
コメント(0)
巨人が、フアンサービスなどを見直す「G改革」を進めていると報道されていた。 狙いは、野球人気と巨人ブランドの復活との事である。 野球界の盟主との認識が上層部に常にあるように思えるが、度を過ぎるとかえって顰蹙を買う結果となる。 主な改革案として・フアンサービス部の新設・東京ドーム新内野席「エキサイトシート」設置・デーゲームや薄暮ゲーム導入計画など9項目ほどあげているが、特に目新しいものはなく既に着手されていても良かったとも思える。が、 着目しはじめたことに対しては、敬意を表する。 これも、新たな球団の加入やその姿勢がある意味では影響を与えたのかも知れない。 看板倒れせず、実のあるものにして欲しい。 巨人フアンの一人として、改革の行方を見守って行きたい。
2005年01月23日
コメント(0)
文久2年(1863)3月、近藤勇や芹沢鴨ら京都残留組は会津藩お預かりの壬生浪士組となる。 勇は、義父・周齋や日野宿下名主・佐藤彦五郎宛に窮状の書状を認めた。 そんな折、勇や歳三や井上源三郎らの大きな力になった一人が松五郎である。 天然理心流免許の腕前で、人柄は温厚だったという。 松五郎は、源三郎の兄で八王子千人同心石坂弥次右衛門組世話役を勤め、3月初め14代将軍家茂の上洛の供をして京都へ入った。 時として、腕白ぶりを発揮する勇の諌め役であったと言われている。 松五郎は、彦五郎ともども最後まで勇や歳三そして新選組を支え続けた人である。
2005年01月22日
コメント(0)
先日の世論調査において、女性天皇容認が85%以上の高率であった。 主要政党もほぼ容認論で足並みもそろっている。 今朝の朝刊によると、皇室典範の改正で対応すべきとの意見が多勢を占めているが、一部憲法2条での「皇位の世襲を定めている」ことで”見直しが必要”との見解もあると報じられている。 国外には女王をいただく国も多くあり、日本古来においても女性天皇の時代があった。 道筋をつけて、女性天皇容認に漕ぎつけても良いと思う。
2005年01月21日
コメント(0)
万延元年(1860)3月、島崎勇は清水家家臣・松井八十五郎の長女ツネと結婚した。 その折義父の天然理心流宗家三代目の近藤周助(のち周齋と改める)が、勇に近藤姓を名乗るよう申し出て近藤勇となる。 同年9月、武蔵国の総社で多摩の神仏信仰の中心である府中六所宮(大国魂神社)に一門の名を連ねた額を奉納された。 揮毫は、歳三の書の師匠である下谷保村(国立市)の書家・本田覚庵であり門人1200余名とのことである。 翌年に勇が宗家四代目を襲名し、同年8月に府中六所宮の境内で襲名披露の野試合が行われた。 35人ずつ紅白に分け、実戦的な模擬試合であったという。 紅組には歳三や山南敬助らが、白組には免許を取得していた日野宿下名主・佐藤彦五郎や井上松五郎らが属した。 三本勝負の結果は、2対1で白組が勝ちを収めた。井上源三郎や沖田惣次郎(総司)は試合に参加せず、本陣詰であったらしい。
2005年01月20日
コメント(0)
土方歳三が天然理心流に入門した安政6年(1859)頃の江戸は、佐幕・尊王、開国・攘夷との論争に湧いていた。 そんな折、奥州伊達藩(宮城県)出身の北辰一刀流免許の敬助が試衛館を訪れた。 木刀による稽古を行う天然理心流に興味を抱き、手合わせを願いでて勇と立ち合う。が、 所詮経験のない敬助は勇みの相手ではなく、木刀を飛ばされ床に転がされた。 敬助は、その場で入門を願い周助に快く許された。 敬助が納めた北辰一刀流は、神田お玉ヶ池(千代田区)のほとりにある玄武館で、流祖の千葉周作は安政2年(1855)に他界し、三男の道三郎が跡を継いでいた。 門弟数は三千人とも言われ各藩の藩士も多く、いろいろの情報が寄せられていたという。 敬助からの京都の治安や各地の情勢話に、勇は傾聴したようである。 新選組の”芽生え”は、案外この辺りに存在していたのかも知れない。
2005年01月19日
コメント(0)
元治元年(1864)9月、近藤勇が永倉新八や武田観柳齋らとともに隊士確保のために江戸へ下った。が、 先立って東下していた藤堂平助が隊士の募集に活躍していた。 平助の勧誘により江戸深川佐賀町(江東区)で北辰一刀流の道場を開いていた伊藤甲子太郎と弟の三木三郎(鈴木三樹三郎)、篠原泰之進及び小野派一刀流の大石鍬次郎、大坪流馬術の安富才助らが入隊した。 伊東は天保6年(1835)年に生まれ、土方歳三と同し年である。 常陸国志筑(茨城県)の出身で水戸学を修めた論客であり腕と弁も立つとして知られていた。 勇が十月下旬に京へ戻り、早速歳三に”知恵袋”として紹介した。 その折、「柔和な笑顔の中、時折目の端に”陰が走る”のを見逃さなかった」と言われている。 歳三が”何か企んでいるな”と伊東を警戒したのは、初対面のこの時点からか。と改めて洞察力に感心する。
2005年01月18日
コメント(0)
○全日本卓球 全日本選手最終日は16日、東京体育館で男女シングルス決勝などが行われた。 女子は、19歳の平野早矢香(ミキハウス)が末益亜紗美(日本生命)を4-0のストレートで降し、2年連続2回目の栄冠を手にした。 男子は、吉田海偉(日産自動車)が前回覇者の偉関晴光(健勝苑)を4-0のストレートで降し初優勝した。 ○都道府県女子駅伝 第23回全国都道府県対抗女子駅伝競走大会は16日、京都市の西京極陸上競技場を発着点とする9区間42.195キロで行われた。 京都が1区から首位をキープし2時間16分22秒で3年ぶり9回目の優勝を果たした。 2位は兵庫(2時間17分19秒)、3位は山形(2時間17分49秒)である。 冬シーズン、これからも多くの競技が楽しめる。
2005年01月17日
コメント(0)
全日本選手権第5日は15日、東京体育館で男女ダブルス決勝などが行われた。 女子では小西杏・福原愛組が、末益紗美・金沢咲希組を3-2で降ろし3連覇を成し遂げた。 愛ちゃんは、混合ダブルスとで2冠を達成した。が、 シングルスだは、6回戦で末益にフルセットの末に敗れ、期待されていた伊藤和子以来44大会ぶりの女子3冠並びに最年少シングルス優勝は果たせなかった。 男子では、シングルスで岸川聖也(仙台育英高2年)が準決勝に進出した。 52大会ぶりの最年少記録との事である。
2005年01月16日
コメント(0)
全日本選手権の第4日は東京体育館で混合ダブルス決勝などが行われ、坂本竜介・福原愛組が渡辺将人・東郷媛を3-0で降ろし初優勝を果たした。 愛ちゃんは、女子ダブルスで一昨年と昨年の2年連続優勝しており、全日本タイトル(一般)が3個となった。 今大会の女子ダブルスにおいてもベスト8入りしており、3連覇を目指している。 更には、この日シングルスの初戦(4回戦)を迎え圧勝したとの報道である。 シングルス・ダブルスそして混合ダブルスの3冠も決して夢ではない。 女子3冠は伊東和子以来44大会ぶりになるようで、是非獲得して欲しいものである。
2005年01月15日
コメント(0)
卓球全日本選手権が行われているが、ジュニアの活躍が目立っている。 13日には第3日目の男女シングルスなどの3回戦が東京体育館で実施された。 女子ダブルスは、前回覇者の小西杏・福原愛組がベスト8に入り、さらに愛ちゃんは坂本竜介との混合ダブルスでも第1シード組に勝ち14日の準決勝に進んだ。 女子シングルスでは、今大会最年少の石川佳純(11歳、山口ジュニアク)は残念ながら3回戦で敗退した。が、 中学生チャンピオンの石垣優香(卓伸ク)は、4回戦にコマを進めた。 明日の卓球ニッポンを背負うジュニア、さらなる活躍を期待したい。
2005年01月14日
コメント(0)
甚五郎は、天保5年(1834)に堀之内村・八王子千人同心の横倉家に生まれる。 同年には上石原村(調布市)で近藤勇が生まれている。 幼児から剣の修行に励み、1里ほど離れた日野宿(日野市)の天然理心流佐藤道場へ通っていた。 甚五郎は、文久3年(1863)の幕府浪士組には参加しなかったが、元治元年(1864)に勇の江戸での隊士募集後に参加。 当初は六番組(組長は武田観柳斎、後に井上源三郎)に配属される。 慶応3年(1867)、功績により新選組が幕府直参となり、甚五郎も見廻組並御雇の格式を与えられる。 同年11月、勇の蜜命を受け大石鍬次郎、岸島芳太郎、宮川新吉と共に新選組転覆を計る御陵衛士の首魁である伊東甲子太郎を本光寺門前にて惨殺。天満屋事件にも参加する。 同年12月18日には二条城から勇を警護しての帰途御陵衛士残党の襲撃を受け、肩に銃弾を負った勇を馬で帰隊させた。 翌慶応4年の鳥羽・伏見の戦いに参加するが、敗戦し歳三とともに江戸へ。 同年3月、甲陽鎮撫隊に参加し甲州勝沼で惨敗する。 その後、歳三とともに宇都宮、会津、仙台、箱館と転戦する。 歳三が五稜郭城外で戦死後の明治2年(1869)5月15日、箱館弁天台場で降伏する。 数ヶ月の後、東京(江戸を改名)に護送され、坂本龍馬暗殺の嫌疑により尋問される。 明治3年(1870)8月、37歳に獄中で病死する。
2005年01月13日
コメント(0)
泰助は、安政4年(1857)に井上家八代当主松五郎の次男に生まれた。 井上家は、武州日野宿に代々屋敷を構えた八王子千人同心の家柄である。 松五郎は、新選組副長助勤で六番組長井上源三郎の兄であり 同心世話役を務め天然理心流免許の腕前であった。 歳三は、慶応3年(1867)に江戸で行った隊士募集の際、松五郎の依頼により泰助を伴って上洛する。 入隊当初は勇の小姓を努めていた。 慶応4年(1868)1月の鳥羽・伏見の戦いに参戦した折、叔父源三郎が銃弾を受け壮烈な戦死を遂げる。 泰助は、叔父の「首と刀」をもって大阪へと向かうが途中寺の門前に穴を掘って埋め、船で大阪へ。 その後、泰助は勇や歳三らとともに富士山丸で江戸に戻り、日野で別れる。 明治4年(1871)に父母や兄の死で家督を継ぎ、日野町の要職を勤め昭和2年(1927)に亡くなる。
2005年01月12日
コメント(0)
捨助は、弘化2年(1845)に本宿村の農家松本友八の長男とした生まれた。 少年時代は、2里はど離れた日野宿の天然理心流佐藤道場で剣術修業に明け暮れていた。が、 博徒に身を崩して、16歳のときに勘当される。 文久3年(1863)に壬生浪士組結成を知り上洛、兄弟子の歳三に相談するも入隊が許されなかった。 慶応3年(1867)十月、歳三の江戸での隊士募集の際に入隊する。 4年の鳥羽・伏見の戦いに敗れた後、甲陽鎮撫隊に加わり甲州勝沼で勇が官軍に捕捉されると、会津の斉藤一のもとで白河城攻略に参戦した。 同年十月に仙台にて官軍に降伏するが、放免される。 明治20年(1887)に井上松五郎(源三郎の兄)長女と再婚する。 大正7年(1918)年4月6日、逝去。
2005年01月11日
コメント(0)
登は天保9年(1838)、中島又吉の長男として誕生する。 安政3年(1856)に天然理心流・山本満次郎道場に入門する。 満次郎の師は、八王子千人隊同心・天然理心流宗家二代目近藤三助門下の増田蔵六であるが、文政2年(1819)に急死したため周助が宗家三代目を襲名した。 登は、一時八王子千人同心となるが刃傷を起こし出奔する。 元治元年(1864)十月に新選組の募集に応じるが、入隊かなわずに相模などの動静を探索する役を命じられる。 そして3年後の慶応3年(1867)十月に歳三の江戸での隊士募集時に入隊を許される。 「中島登覚書」「箱館海戦図」や「戦友姿絵」など新選組に関する貴重な資料を書き残している。
2005年01月10日
コメント(0)
天然理心流試衛館道場と同様、日野宿の佐藤道場も井上松五郎・源三郎兄弟や佐藤彦五郎を中心に近在から門弟が集まっており、試衛館で塾頭の沖田総次郎(総司)や山南敬助が指南に訪れていた。 実戦に不向きと承知しながらも時流にのって”竹刀”での稽古を取り入れていたが、源三郎と歳三だけは竹刀を使用せず”木刀”での実戦的な稽古に拘ったと言われている。 天然理心流では、源三郎が免許、歳三が目録であった。 歳三は、『近藤周斎は心の師、勇は何でも話し合える良き友、総司は凄腕の弟そして源三郎は剣の師』と思い描いていた、ということである。 新選組を支えた真髄が、この実戦的稽古によって培われたものと思われる。
2005年01月09日
コメント(0)
「消費するエネルギーよりも摂取するほうが多いと太ることになるが、加齢により消費エネルギーが減り中年太りとなる」ことは誰しも承知していることである。が、 消費エネルギーには、 基礎代謝:体温を一定に保つことに使用 活動代謝:運動などによる 食事誘導性熱産生:食物の消化の過程で発生 の3種類があり、 基礎代謝は30~40代以降自然減少し、加齢及び運動量の低下で減少する。 また、食事を少なくしても減少する。 特に食生活が高カロリーになりがちな現代では、「脂肪を溜め込む」ので要注意とのことである。 防止策は、「過食を避け、体を動かすこと」そして「リバウンドを防ぐために、3~6ヶ月で5%減程度のなだらかな目標が望ましい」とされている。 新年を迎えて、摂取量の増大と日ごろの運動不足に輪をかける状況であるがゆえに、より要注意である。
2005年01月08日
コメント(0)
知人から「新選組」に関する資料を頂戴した。 文久元年(1861)年、近藤勇が天然理心流宗家四代目を継承し試衛館の道場主となり、山南敬助の勧めで竹刀の稽古を取り入れた時期があった。 他流試合に訪れる浪士の中には”食客”となる者もおり、その中に永倉新八(23)・原田左之助(22)・藤堂平助(18)らがいた。 土方歳三が、日野宿の佐藤道場から出向いた。が、そのころ『幼い時から荒波にもまれてきた歳三には、表裏を見抜く目が備わっている』と評されていたという。 これが、後の副長としての歳三を支えた大きな要因の一つとも思える。
2005年01月07日
コメント(0)
日本陸上競技連盟が強化選手の格付けの見直しをしたとの記事が掲載されていた。 格付けのランクはS:個人合宿の費用が、年間300万円まで支給A:同200万円まで支給B:同150万円まで支給となっており Sには、男子ハンマー投げの室伏広治(ミズノ)と女子マラソンの野口みずき(グローバリー)が指定された。 男子短距離の末続慎吾(ミズノ)ほか3人がAに格下げとなり、女子マラソンの高橋尚子(スカイネットアジア航空)はBへの降格となっている。 選考基準など細部が不明かつ関係各位の熟考の上での決定であろうと推察するので、軽々しく口を挟むことは控えるべきである。が、 単に最近の実績のみに捉われることなく、過去の著しい実績と将来性との絡みで格付けの決定をしてほしいと思う。
2005年01月06日
コメント(0)
楽天本拠地である県営宮城球場の整備が進んでいる。 基本は、”地域密着でフアン第一主義”の発想のもとに「地元のフアン一人ひとりを大切にする」こと。 選手には、フアンサービスへの取り組みを年俸更改に反映させ、査定も導入する方針である。 さらには球場にも、バックネット裏に大相撲をヒントにした「砂かぶり席」を設けたり、外野席に隣接して公園設置や全試合でイベントを開催する構想である。 どんどん斬新なアイディアで趣向を凝らて欲しい。 そして、是非とも球界へ一石を投じてもらいたいと願う。
2005年01月05日
コメント(0)
第81回東京箱根間往復大学駅伝競走の3日は、箱根町から東京(大手町)までの復路5区間109,9キロで行われた。 往路において2位の駒大が、往路優勝の東海大より30秒遅れでスタートし7区でトップに立ち4年連続6回目の復路を制した。 通算11時間3分48秒で、4年連続5回目の総合優勝を果たした。 2位には日体大で11時間7分23秒、3位は日大で11時間7分48秒、以下4位中大、5位順大、6位東海大、7位亜大、8位法大、9位中央学院大そして10位が神奈川大となった。 10位まが来年のシード権を獲得する。 なお、4連覇以上のチームは4連覇(35~38年)日大6連覇(59~64年)中大5連覇(69~73年)日体大4連覇(86~89年)順大4連覇(02~05年)駒大
2005年01月04日
コメント(0)
第81回東京箱根間往復大学駅伝競走が2日計20チームが参加して、往路5区間108キロで行われた。 33年連続出場の東海大が、前回総合2位に続き5時間32分11秒で初の往路優勝を飾った。 2位には、前回の覇者で4連覇を目指していた駒大、3位は日大が制した。 東海大は、1区でトップに立つと終始その座を譲らずゴールインした。 このところ着実に順位をあげており、レベルアップしていることが実感される。 3日は、箱根からの復路5区間109,9キロで行われる。
2005年01月03日
コメント(0)
1日、第49回全日本実業団対抗駅伝競走大会が前橋市の群馬県庁を発着点とする7区間100キロのコースに37チームが出場して行われた。 コニカミノルタがアンカー勝負を制し、4時間48分57秒で2年振りに4回目の優勝を果たした。 コニカミノルタは4区で主将の磯松大輔がトップに立ち。 中国電力に、5区特に6区では1分33秒差を8秒差まで追い上げられる展開となった。が、 7区でアンカーの前田和之が7キロ過ぎでスパートし中国電力の森政辰巳を突き放して王座に返り咲いた連覇を狙った中国電力は2位となり、以下3位は日清食品、4位はカネボウ、5位はホンダ、6位はスズキ、7位はトヨタ自動車、8位は富士通となった。 ※ 区間賞【◎は区間新】1区 D・ムワンギ(JAL・AGS) 34分24秒2区 高岡寿成(カネボウ) 1時間02分33秒3区 M・マサシ(スズキ) ◎ 30分59秒4区 磯松大輔(コニカミノルタ) 29分37秒5区 佐藤敦之(中国電力) 46分31秒6区 重成英彰(中国電力) 34分32秒7区 堀口貴史(ホンダ) 46分36秒
2005年01月02日
コメント(0)
元朝詣でにて、新年を迎える。 昨年は、アテネ五輪での快挙や紀宮様の婚約など嬉しいニュースの半面、児童への残虐な犯罪や台風・震災など大きな災害があった。 今年は、是非とも平穏な年となってもらいたい。 『今世紀初の万国博覧会が、名古屋東部丘陵地で愛称「愛・地球博」として3月25日~9月25日まで開催される。 テーマは、「自然の叡智。 自然保護、環境破壊、エネルギー問題など---人類が直面する地球規模の課題の解決と、新しい生き方の方向性を探る』とのことである。 絶好のタイミングでもあり、英知を尽して世界レベルでの考察が必要と思われる。
2005年01月01日
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1


