2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全6件 (6件中 1-6件目)
1

今日は家での急ぎの仕事があったので、一日中家にいた。でも家にいてよかった。ってぐらい外は暑かった。太陽が暑いというより、空気がやたら熱くて重いのである。部屋からベランダに出たとたん、もあっという熱気に襲われる。アンタルヤの観光業者は書き入れ時であるけど、私には関係ないもんね。涼しくなったらうんと働くよ・・・・。というわけで!? 日本に夏休み兼出稼ぎ!? に行きます。さて今年の夏は8月(お盆過ぎごろ)に鹿沼で展示会をする予定。今回の目玉はオリジナル状態でほとんど修復の必要なかった(骨董では重要なポイントのひとつ)カイセリのアンティークキリム。薄くて細かくて、色はもちろん古い時代の草木染め。色数が多いのでとてもきれいです。画像にあるようにコチニールもある。9月上旬まで千葉と鹿沼に滞在しますので、商談、個人的相談は、この機会にどうぞ。連絡は鹿沼のアクチェに入れていただくか、メールでお待ちしております。では、日本でお会いしましょう・・・!!
2007年07月24日

日本で発売される雑誌の取材があった。日本からの通常の取材と違って、ちょっとおもしろい経験をさせてもらった。というのも、ライターはトルコ在住6年のイギリス人で取材はトルコ語。カメラマンはトルコ人。他の有名雑誌でも仕事をしている人で、トルコ人には珍しく、プロ意識と仕事に対するポリシーがはっきりしていて、感激した。彼に比べたらよほどミフリ社長のほうがトルコ的にいい加減・・・・・。アンタルヤの特集のようで、私以外にもアンタルヤ在住の日本人のルポが掲載されるらしい。本当は事前に美容院にでも行ってセットしてもらおうと思っていたのだけど、月末に日本旅行に行くアンカラ大学の学生さんの実家に遊びに行って、寿司などごちそうになって、おしゃべりしているうちに時間が過ぎて、着の身着のまま取材現場に飛んでいった。というわけで何も用意する間もなかったのである・・・・なんて、言い訳、言い訳。
2007年07月19日
あの事件から約1か月が経った。あの事件・・・・全財産が入ったカバンを盗まれた・・・・である。この1か月間で何ができたかというと、まずパスポートの再発行ができた。そしてパスポートができたので、警察の外国人課でikamet(居住許可証)の再発行の手続きがとれるようになった。盗難にあったということで、過去のファイルから前回と同じ条件での再発行になり、同日発行してくれた。これで日本にも帰れるもんね・・・。手帳代の75YTL(約7300円)と1年分の料金13YTL(約1270円)。あとは日本の銀行の手続きだけなんだけど、これは本人がいかなきゃどうしようもないので、帰国してからにする。パスポート、居住許可、クルマのキー、登録証、携帯電話、そのほかの書類の再発行など、まだ全てが完了したわけじゃないのだけど、主なものは手続きがすんで、一応ホッとしたところ。ところでここまでの費用は・・・というと、手続きのためのガソリン代、交通費なども含めると・・約3500YTL(約34万円)。これに銀行からお金がおろせないために貸してもらった生活費、学費、会社運営費などの一部3000YTL(約29万円)、盗難での現金や物品の実質被害金額約30万円。これからトルコでは金庫の鍵の取替え、会社の社印、書類の再発行、公証役場での認証、公的機関の会員証などの再発行がある。日本では銀行関連の手続き。会社名義のクルマや書類があるから、どうしても公的な場所への費用負担が大きい。30秒の不注意が、これだけの時間とお金の損失になるのである。何度も何度も繰り返すけど、カバンに何もかも持ち歩くのは、後に何かあったときに精神的にも経済的にも打撃を受けるので、くれぐれもご注意を。・・・・といいつつ、またもや現段階の全財産の入ったカバンを持ち歩いているミフリ社長である・・・・。懲りないのである。
2007年07月17日
久しぶりにバスに乗った。たぶん6、7年ぶりのこと。アンタルヤからアンカラまで8時間の行程。だって身分証明書がないから飛行機に乗れないし、クルマの車検証がなかったからクルマでも出かけられなかったんだもん・・・。私は実は乗り物酔いをする。タクシー、バス、少しの距離でも乗ると気分が悪くなる。大学に入って免許をとってからは、自分で運転する分には酔わないけど、他人の運転するクルマに乗るとダメ。その後はなんとか乗れるようになったし、実際は酔わないこともあるのだけど、乗り物に乗る、って考えただけで、酔っている自分を頭に浮かべて、気分が悪くなる。アンカラまでバスで、しかも深夜バスで眠れないのに8時間も・・・・これは苦痛以外の何者でもないわけである。私にとって・・・。そうは言っても行かないわけにはいかないので、息子には横になれるようにと2席、私は自分用に1席とってでかけた。アンカラへはアンタルヤ発深夜0:30。途中、アフィヨンとウシャクへの分岐路で休憩があり、8:30に到着。バスターミナルからは地下鉄が市内へ走っていて、クズライまで乗ってそこからは大使館までタクシーを使った。その日のうちにアンタルヤへ戻れることになり、アンカラの友達の家で、休ませてもらい、夕食をごちそうになり、予約した夜10:00のバスに乗り、アンタルヤへは早朝6:00に到着。連続2晩をバスで過ごしたわけだけど、使ってみたらバスもそんなに悪いわけじゃない。思い込みでバスはつらい・・・って思っていたけど、体調がよかったらバスはかなり便利である。こんなことでもなければバスに乗ってアンカラへ行くなんて経験もなかっただろうし・・・・。アンカラへ行ったら、いろいろ見て歩こうなんて思ったりもしたけど、実際は眠いし、面倒だしで何もできなかった。でもやはりアンカラは首都だし、大都市。アンタルヤにはないスターバックスでなじみのメニューで感激したミフリ社長であった。
2007年07月13日

今年も絨毯畑の季節がやってきた。正確には今年は6月15日から始まっているわけだけど、太陽光線の強さと気温の高さは今年は特別で、まあ、1番絨毯たちがすでにできあがっていた・・・・。絨毯畑とは、絨毯やキリムのどぎつい色や、濃い目の色を太陽にさらすことで、雰囲気のある色に落ち着かせる作業である。太陽下に1週間から1か月ほどの期間おいておくので、晴天日が多く、気温の高い地域であることが条件である。アンタルヤ、ボドルムなどで行われる。特にアンタルヤではコースによって飛行機から地上を見ると色とりどりの絨毯やキリムが高原の平地に敷き詰められているのを見ることができるのである。トルコ中の業者から送られてきた絨毯、キリムが広げられているわけであるが、これを見ると今年の売れ筋がよくわかる。絨毯は真っ白になるほど褪めさせられている。私ならこんな褪めた絨毯はパスであるが、なんでもここ2,3年アメリカでヒットしているらしく、大量に持ち込まれる。・・・・というわけで、今回はホームページ用に絨毯畑に預けてあるキリムを50点ほど画像に収めてきた。いつもなら日陰で撮影するのであるが、ここでは日陰を探すのが難しく、太陽下での撮影になったが、アンタルヤの太陽光線がいかに強いかがわかってもらえるかと思う。詳しくはホームページの「ミフリ本店」「絨毯畑のキリム」で。来週頭にはUPの予定なので興味のある方はどうぞご覧ください。通信社のフセインも同行したので、そのあとはニュース撮り。私もモデルになったからそのうちテレビと新聞で絨毯畑ネタで記事が載るかも・・・?
2007年07月10日
同じアパートの最上階の住人は、ドイツで出稼ぎをしている老夫婦である。ほとんどをドイツで過ごし、たまにアンタルヤへ戻ってくるわけであるが、なんとも迷惑な住人で、アパートの他の住人たちも困り果てている。というのも、私がこのアパートを買う以前のことであるが、この老夫婦は最上階に住んでいるため、太陽の暑さから自分たちを守るために屋上に砂をまかせたらしい。そして勝手にまいておいて、他の住人にその代金を請求したのである。しかも当時1000YTLの費用だったのに、水増していつのまにか5000YTLかかったと言っているらしい。他の住人は、住人同士の話し合いもなしに無断で勝手にやっておいて、なんで費用を負担しなきゃならないんだ、と、もちろん請求に応じなかった。普通に考えたら請求するほうがおかしいわけであるが、この老夫婦「なんで私たちだけが費用を負担しなきゃいけなんんだ、ドイツならこんな不平等な話はない」とわけのわからない思い込みで、逆ギレしている。しかし理論的でない、この話、住人はもちろん納得するわけない。老夫婦も顔を真っ赤にして怒鳴り続ける。住人たちがいくら冷静に「これは勝手にやった話だから請求できないし、自分たちの利益のみのためにしたことだから、無理だよ」と説得しても、ただわめき散らすだけである。そして、自分たちのこのめちゃくちゃな要求が通らないとわかったら、今度は、まったく関係ない私へ怒りの矛先を向け、ある日突然「あんたのソーラーシステムが私の部屋の上にあるから、どけろ!」と言ってきた。ソーラーシステムは全て屋上に設置させるわけだから、どけろもなにもない。それに勝手に設置したわけじゃない。アパートの管理人に指定されてその場所においたわけである。少なくとも誰にも迷惑をかけていない。私にはどける理由はなにもないわけだけど、いきなりきて「どけろ!」と怒鳴り散らされて、わけがわからない。これがせめて「こうこういう理由で、できたらどけてもらえませんか」というのであったら、まだ話し合いの余地もある。(それでも私にどける理由はないが・・・)それが「どけろ!」と怒鳴るのである。これは誰が見てもどうみても、この老夫婦がおかしいわけで、他の住人は私のところへ「なにを言われてもどける必要はない、無視していていいからね」とわざわざ言いにきてくれる。察するに、自分たちの要求が通らなかったから、そのストレスを他人で外国人の女性で弱者(に見える)の私にぶつけただけのことである。私が彼らの言うことを無視していたものだから、ますます頭にきたらしく、今度は罵詈雑言、ないことないことの中傷をはじめた。私は何も言っていないし、第一、彼らと顔を合わせることもない。そして最後には集会で、他の住人たちのいる前でいきなり私に「yabanci kopek(よそ者の犬畜生)!!」と言った。これには周囲も驚きである。私が何かしたとか、言ったならわかるけど、何もしていないのは周囲も承知である。他の住人に屋上の砂の費用の負担を認めさせられないものだから、おとなしい私を中傷することで、自分たちの立場を維持しよう、評価をあげようと必死なのである。弱い者いじめのつもりなんだろうけど、私は言われる理由もなにもないから、ちっとも痛くはない。それどころか、こんなことを言って自分たちは鬼の首でもとったかのように思っているのだろうけど、これって、自分たちで周囲の評判を落としているだけだってわからないのかな・・・って、怒りを通り越して、こんな風にしか自分たちの立場を維持できない彼らを、気の毒に思ってしまった。集会のあとで、彼らの甥にあたる男性が、私のところへあやまりにきた。「おじとおばの言ったことを許してください。あなたのソーラーシステムは動かす必要ないです。それは私が保証します」「ありがとう。でも私は外国人だけど、犬ではないし、ここでトルコ人と同じ気持ちで暮らしているのに、なんだかがっかりしました」「それは彼らがドイツでの出稼ぎで周囲にそういわれ続けてきたから、ここで外国人であるあなたにそれをぶつけたのだと思います」自分の生き方に自信がある人間は、またはそういう状態にある人は、他人を評価しない。それはする必要がないからである。自分に自信がない人は、他人を批判することでしか、自分たちの正当性を訴えられない。この話はまだ続きがあって、今度はこの老夫婦の娘であるが、早朝、ベルを鳴らし続ける。なんだと思って窓から顔を出すと、いきなり「あんたのバカでかいクルマのおかげで私がでられないじゃない!! どういうつもりで私のクルマの隣においたのよ!! どけなさいよ!!」である。いったいなんのことかとポカンとしてしまった。彼女のクルマと私のクルマの間は十分あるし、そのままバックすれば一発で出られる状態である。「クルマだせないの? 私が出そうか」「なに言っているのよ、これは誰も出せないでしょ、どけなさいよ!!この非常識!!」すごい剣幕である。しかし誰が見たって、問題があるようには見えない。「そのままバックしたらすぐ出せるよ」「出せないわよ、早くきてどけなさいよ!」これがもし「私は初心者でクルマが出せないので、申し訳ないですが、クルマをどけてもらえませんか?」と言われたら、降りていってどけるつもりであった。しかし、いきなり怒鳴りまくられて、しかも私が悪いわけでないのであるから、私もカチンときた。下にいた別の住人が「私が出しましょうか?」と彼女に代わってクルマを出した。案の定、そのままバックするだけで一発で出た。それを見て、彼女は自分が間違っていたことがわかったわけだが、それをいまさら認められなくて(性格もあるのだけど)、「この非常識!! 次回私のクルマの隣においたら承知しないからね!!」と怒鳴りながら出ていった。まともに口論する相手じゃないわけである。私は窓から「こんどはちゃんと運転免許とっておいでね~」と手を振って笑顔で見送ってあげた。いやいや、世の中、困ったちゃんがたくさんいるものである。一人で罪のない相手に勝手に喧嘩を吹っかけて、罵詈雑言あびせて他人を中傷・批判することでしか、自分のことを世間に認めされられない人・・・・。これは自分が思っているほど、世間はバカじゃないってことがわかっていない。こんなことをすればするほど、人間性が疑われるのに・・・・。まあ、勝手にやってくれ・・・である。
2007年07月07日
全6件 (6件中 1-6件目)
1


