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『天は二物を与えず』と言いいますが、逆に『なるほど、天は二物を与えないが、しかし一物は与えてくれる』という風に考えたらいい。その与えられた一物を、大事に育て上げたらいい。『人並み』から『人並み以上』にすればいい。『上』から『特上』にすればいい。《ないもの》に期待したってしょうがない。《ないこと》を悔やんでもしょうがない。多くの人は《ないもの》が原因で自分を不幸だと考えている。或いは、悪いのは自分ではなく、自分以外の人だと考え、その一生を台無しにしてしまう。今の自分を大切に生きないとネ。《ないもの》からは何も生まれない。
2004年01月29日
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とかく人間というものは、うまくいけば有頂天になるが、悪くなったら悲観する。人間の弱い一面だが、それらをなるべく少なくして、いつの場合でも明るく楽しく、方向がズレないように心がける。そのためには、信念を持ち、夢を見失わないで行動しつづけることが肝心。信念がふらふらするから、夢を見失うから、立ち止まってしまうから、・・・弱い心が幅を利かす。上がったり、下がったりのエレベーター人生になる。最初は「いいコトもあれば悪いコトもある」、「いいトコロもあれば悪いトコロもある」と開き直り、「人生は五分と五分」というスタンスでいることがいいのかもしれない。自分に与えられた五分の『いいトコロ』を、大事にして育て上げることからスタートしたらどうだろう。五分の『いいトコロ』を六分、七分と増やしていけばいい。大概の人は悲観的にモノゴトを考え、その五分さえも台無しにしてしまう。
2004年01月28日
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《自分がお手本を示すからついて来い》という気持ちがあると、皆ついて来ない。『お手本を示す』のではない。そうではなく、人が見ていようが見ていまいが、後から人がついて来ようが来まいが、そんなことはどうでもいい。やるべきことだからやる。そういう生き方がリーダーに求められています。また、『相手にとってプラス』になることであっても、《やってあげる》という気持ちがあると、相手には届かないものです。良い言葉でも、《変えてやろう》という意識があると伝わらないですね。
2004年01月27日
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肉体年令ではなく、『心の若さ』といわれますが、そのとおりだと思います。心の若さは、『夢の実現に向けて、信念を持ち、毎日を明るく楽しく取り組んでいく』ことによって育まれていく。だから年令とは関係がない。しかし当然ながら、人は皆、毎年歳をとり、身体は老いていく。それはいわば自然の理(ことわり)。だから、心の若さを育んでいくには同時に身体を鍛錬することも必要。もちろん、言葉の使い方も重要な要素になる。その結果として何歳になっても、青春時代と同じように日々新たな気持を持ち続けることができる。私も当然のことながら、毎年歳を重ねてはいるが、年々、若返っているように感じるのは自画自賛だろうか。
2004年01月26日
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人は『理論的にはこうしたらいい』と考えても、むしろその反対に動くということが往々にしてあります。人間とは厄介な動物ですね。その場面によって、或いは関わる人の質(しつ)によって、反応する『心のパターン』や『行動のパターン』』があります。場面に関係なく、人の質に影響されることのない自分にならなければ、まわり道をしてしまう。前に進むためのまわり道はいいけれど、その場対応だけのまわり道はしてはいけない。
2004年01月23日
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素晴らしいことを言うからといって、その人が素晴らしい人かというとそうとは限らない。普段の生活態度が大切。大きいことは誰でも言える。世界平和なんて誰でも言える。その人の本質とは関係なく、誰にも言える。自分の周りのことをきちんとすることの方が、はるかに難しい。自分の家庭をきちんとするコトが大切。人の真価は、何でもないことに現れる。18日は大阪。次女の就職の件で行ってきました。夜は、長女が働いている店で次女と飲みました。19日~20日は京都で研修。
2004年01月21日
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人は、『善いこと』の数だけ幸せを積み重ねている。だから、年令(とし)を重ねるということは幸せの数を増やしているということであり、『足し算の人生』を送ること。でも、年令(とし)の数だけ別れがあり、年令(とし)の数だけ失敗を重ねる。そんなとき人は、幸せの数から『自分が不幸だと考える全てのモノやコト』を引き算してしまう。足したり、引いたりの人生だから、なかなか幸せの数が増えない。では、どうするか?『別れ』や『失敗』を教訓にすればいい。教訓は人生の足し算なのだから。善いことだけの人生よりも幸せの数が増えていく。人との出会いを求めることが、困難に立ち向かっていくことが、素晴らしい人生への登竜門。
2004年01月17日
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苦悩の大部分は、自分が創りあげたモノ。小さなコトにとらわれている自分が創りあげたモノ。自らが創造したモノならば、笑って吹き飛ばせるはず。『志』を思い出して、実践すれば忘れ去ってしまうモノ。使命に気づけば、笑顔で消し去られてしまうモノ。我を忘れているから、とらわれる。思い出せばいい、素晴らしい自分を・・・。気づけばいい、素晴らしい自分に・・・。
2004年01月16日
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『イヤイヤ仕事をしている』なんて、もったいないですね。つまり、自分の成長の『場』で右往左往するということであり、『時間』をムダに過ごすということになるのだから。何でもいいから『こういうことをやってみたい』『こういう自分になりたい』という人生のデザインを描いてみるといい。そして、毎日毎日の目標を持ち、一週間先には、一ヵ月先には、あるいは一年後には、ここまで到達するという『目標の階段』をつくる。つまり、人生のデザインに色を塗り、絵に仕上げていく。うまく色が出せる場合もあるし、うまくいかない場合もある。しかし、これはもう仕方がない。人という集団の中で仕事をしていくのだから。仕方がないけれども、経験を積むことは出来るし、技術を身に付けることも出来る。それが、目標達成につながっていく。うまく行けば『経験』として、失敗は『教訓』にすることによって、自分の成長につながっていく。成人式のお祝いメッセージを頂いた皆さん、ありがとうございます。
2004年01月15日
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鳴かず飛ばずの時期にあせらず、くさらず着実に力を蓄えるのは、そんなに簡単なことではない。坂を転げ落ちる人の方が多い。そこで問われるのが『夢』と『夢の大きさ』。そして、『先生』や『師匠』や『先輩』や『仲間』や『家族』などなど・・・あなたを支える人の輪であり、くじけそうなアナタの背中を押してくれる人達。人は一人では出来ないコトがたくさんある。鳴かず飛ばずの時は、実は時間をかけるしかない下積みの時。時間をかけなければ身につかないコトを修得している期間。今まで以上に高い階段を上がろうとしている時。そんなときの支えが『夢』と『仲間』。『夢』があるから、支えてくれる『仲間』がいるから、どっしりと腰を落ち着け、研鑚に励むことができる。そして、人間の幅を広げることができ、同時に将来の財産にすることができる。もちろん『実現のための計画書』も・・・。
2004年01月13日
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1月12日、三女がめでたく成人式を迎え、親としての役割の一つを終えたかなと思います。親ばかですが、なかなか着物姿の似合う娘です。写真を一緒に撮ろうとしたのですが、誰にでも見せびらかすので断られました。その後、大分から小倉に移動。13:00から18:00近くまでFC本部のトップとミーティング。新幹線で名古屋まで。ガラガラの車内でビールを飲みながら、帰り着いたのが21:50頃。
2004年01月12日
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事務所はすっかり日常に戻っています。懸案事項をどんどん処理していっている頼もしい声が聞こえてきます。反面、壁を登りきれずに悶々としている人もいます。手を差し伸べるコトを間違うと成長のチャンスを逃す。アドバイスをするトキを間違うと時間のムダになる。毎日が気づくことばかりです。それにしても名古屋は良い天気です。風は冷たいのですが日差しが強い。車の助手席に座ると眠くなります。
2004年01月08日
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その人が本来持っているもの、備わっているものがベースとなって、はじめて『志』は本人と一体化する。そうでない『志』は『志』とは言わない。形式的なものであり、『志』という仮面をかぶった『欲』かもしれない。或いは、本人の錯覚であり、『分』以上のものかもしれない。本来、持ってるものとは先祖から引き継がれているDNA。備わっているものとは、親が育むものであり、本人が自覚するもの。そういう意味では、親の果たす役割が大きいといえる。
2004年01月07日
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人探しに明け暮れる第1四半期になりそうです。『企業は人なり』と申しますが、昨年は正にそのとおりだと実感した一年でした。余裕がなくても人は必要。『革新』には、革新に適した人がいる。『安定』には、安定に適した人がいる。革新に適した人は、革新してからの採用ではもう遅い。しかし、中小企業は能力に見合った年収を保障することなんてできっこない。だから、年収で人を採用するのではなく、自身の『夢』を語って人を集めるしかない。そして、『場』を与え環境づくりをする。自分の年収は自分で創造するのが能力のある人のはず・・・。だから、我が社にある『玉か石かわからない石』を見極め、磨いて玉にしてもらうしかない。
2004年01月06日
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今年の正月も『ビールと刺身と駅伝と温泉』で明け暮れた。元旦は実業団のニューイヤー駅伝、2~3日は箱根路を駆け抜ける大学駅伝。2日に『墓参り』と『初詣』を奥さんと大学4年の次女と一緒に済ませました。『初詣』は生まれて育った大分県は佐賀関町にある『早吸姫神社』に行ってきた。個人的に『初詣』というものは35年ぶりくらい。神様に負担をかけてはいけないだろうと考えてか、無信教なのか・・・。実は関心がない。申(さる)年の正月は、大分市と別府市の間にある高崎山に客が大勢押しかける。今年の人出は例年の170%。『一年の計は元旦にあり』といいますが、一年の節目に『よし、やるぞ!』と決意するということはいいことだと思います。自分の『分』に応じた信念を持って、決めたことを実践して行けば・・と思います。皆さんにとっていい一年になりますように・・・
2004年01月05日
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