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『意見を戦わせながらつくり上げる』という姿がいい。ただ、経験に固執した意見からは何も生まれない。《必要な知識》や《充分な経験》を積み上げてきた、アナタのエキスから判断された考えでなければならない。いつも言うが、その経験も独自のものではダメ。《理論を実践した結果としての経験》でなければならない。知識や経験は古くなってもアナタのエキスに時代遅れはない。専門家ではない、プロである・・・そういうアナタから、必ず新しいものが生まれる。いくつなっても、斬新なモノが生まれてくる。ただ、畑違いが集まることが大前提。
2005年01月30日
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トップは社内に相談するものがいなくて孤独な立場だというが、そんなことはない。『経営者は孤独な立場だ』と思う人は生き残れない。何故ならば、自分の中に何人もの相談者がいるはず・・・。そのことに気付かなければ生き残れない。立場としての上下、期間としての前後、視点としての左右を考えれば、自分の中に何人もの相談者をつくることが出来る。それだけの経験を積み重ねているはずだから、素直に、謙虚に、真剣に、深く深く掘り下げれば、自分の中に見えてくる。そして、洞察力のある者が、身体を張れる者が、そして使命感のあるものが生き残る。トップに立って自分の好きなことが出来るのに、何を甘えているのか?孤独だなんてそんな事はない。ふざけてもらっては困る。それは、経営者の甘えです。時流に乗った創業者、そんな創業者の二代目。甘い経営者には仕えたくないですね。
2005年01月26日
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私は、《人間らしい》と言う表現に、人間の弱さを公認する意味が含まれているように思う。『喜怒哀楽』『一喜一憂』『楽あれば苦あり』の人生が、人間らしいのではあれば、私は人間を辞めたい。楽しいことがあったり苦しいことがあったり・・・なんていう人生なんかいやだ。人間らしいとは、『明るく、楽しく、善いことのみの人生である』と私は思う。弱い自分が人間らしいと考えるのは弱者の論理。それが人間本来の姿であるとは思わない。何故ならば、人間は自らの命を自分で絶つことができる。そんなことができる動物に、本来死にたくなるような感情なんてあるはずがない。あれば種の保存ができなくなる。不安に感じ、動揺して、なすところなくウロウロする。そして酒を飲んだり、快楽に溺れる。それも自らの弱さを取り繕う感情であり、生きるための方便なのだろう。しかし、そこから何も生まれてこない。不安は感じるが、しかしその不安に敢然と闘いを挑み、これを打破していく力も人間に備わっている能力。むずかしい仕事、困難な要求に直面して、一面に不安を感じるが、反面かえって心が躍ることもできる。そして、いろいろの考えを生みだし、これを克服していく。強いものが生き残るのではなく、環境に適応していくものが生き残る。人間は、その環境に適応できる力があると思うのだが、自分の力を否定するのも人間。困ったものだ。
2005年01月23日
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私たちの資源は人そのものです。人が多いということは、資源の多い姿です。通常、資源そのものに価値があるが、人間は働くことにより価値を生み出す。一方で消費するが、それ以上のものをつくりだす生産手段を生み出す。また、生産活動は、《個としての人格形成》、《集団の中で適応する人間》へと導いてくれる。成長した人は更なる生産手段を生み出していく。私たちは、《企業人として》、《日本人として》、《人類として》、人が資源であるということをもっともっと自覚し、認織することが必要です。また、企業は自らの責任を果たすためにも、人間という無限の資源を持っているのだということをもっと真面目に受け止めなければいけない。ただ、単に人が多いというだけでもダメ。その質をよくすることが重要なのは言うまでもないが、質を向上させるのは、まさしくトップであり、推進させるのは自分です。
2005年01月22日
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野菜や花や木が芽を出し、蕾はほころびてくる春。そして初夏、雨と太陽の光で伸び伸びと成長し、夏に実がなり、収穫する。もちろん、秋に収穫するモノもある。土を休ませる冬もなくてはならない。私たちの仕事にも『春・夏・秋・冬』がある。また、『春・夏・秋・冬』を楽しむ心は、人生を楽しむ心に通じる。もっと言えば、仕事を楽しむ心と言い換えることができる。仕事は、ときには不愉快なこともあり、面白くないときもあるだろう。が、季節を楽しむように人生を楽しむ心があるならば、或いは仕事を楽しむ心があるならば、生き甲斐を感じることができる。生き甲斐とは、個人の達成感と仕事の達成感が一致すること。そして、一年一年と年輪を重ねていくように、去年よりも今年、今年よりも来年と一年一年成長していく。
2005年01月19日
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《勇気》とは想いが行動に変わることだと思う。行動に変わるためには、想いの強さが問われる。《勇気の分岐点》があるとすれば、それを超えるには想いの強さが求められる。《勇気の分岐点》を超えるには、『強い欲望』、『強く守るべきもの』、『義憤に立脚したもの』、『信念に基づくもの』がきっかけにならなければ湧いてこないものだろう。そのとき、はじめて行動に変わる。だから、勇気が足りないということは、『強い欲望』もなく、『守るべきもの』もなく、『義憤』を感じることもなく、ましてや『信念』もないということだろう。全てに、自らが曖昧であるところから出てきている姿ではないだろうか。ただ、正しい勇気は自らの欲望を満たすことが目的であってはならない。自らのちっぽけな欲望は、勇気ではなく【暴走】であり【切れる】という状態だろう。また、『絶対譲れない想い』や押し通さなければならないという『確固とした信念』を持つならば、そこから出てくる勇気は、たとえ気の弱い人であっても非常に力強いものとなる。だから、ガンバレ!
2005年01月18日
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判断と決断について、ふと思ったのですが・・・判断は『正しい』か『正しくない』か、『善い』か『悪い』かの選択。したがって、ある一定の《しつけと教育と経験》があれば、誰にでも判断はできる。決断は『正しいこと』と『正しいこと』、『善いこと』と『善いこと』との間の選択、そして人情を断ち切ることでもある。だから決断することが難しい。逃げ廻ったり、引き伸ばすことはできるが、誰にでも出来ない。《しつけと教育と経験》だけでは、手におえない。哲学がなければできることではない。『人生哲学、経営哲学』多分、判断が出来ても決断が出来ないのは哲学がないからだろう。また、道徳は判断の基であり、哲学は決断の根拠であるといえるかもしれない。また、傍観者と当事者との違いは、実はそこがポイントなのかもしれない。傍観者は決断できない人と言えるかもしれない。フードコーディネータ-の皆さん、《健康・安全・安心》を志向する和風カフェテリアビジネスでアナタの感性を試してみませんか?
2005年01月11日
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アナタのお店のお薦めは《何ですか?》と尋ねられたならば、《従業員です》と応えたいものです。お店におけるお客様の満足は、すべて従業員の全人格の作業の結果。良くなるのも悪くなるのも人次第。だから、『人を育てる商売を営んでいる』と言い切るだけの想いがなくてはならない。また、『人が大事、人が全て』という社風は、それが技術、資金力、信用が貧弱であっても、どこよりも会社を力強く進展させる大きな原動力になる。事業は人にある。人をまず養成しなければならない。従業員を育てるには、従業員が喜んで仕事をする姿を見たければ、まず第一に『仕事の素晴らしさ』を語ることだ。そして、『OJTによる正しい作業訓練と作業の目的を理解させる』ことだ。できたら人生の目的を気付く手助けをしてあげるともっといい。従業員の提案を喜んで受け入れるということも大切だ。それがいますぐには実際に用いることができないような提案であったとしても、その熱意は十分に受け入れる。提案すればするほど上司が喜ぶという雰囲気が大事だ。そうやって人は進歩もすれば、向上する。人を育てる育て方はいろいろある。ただ、人を育てる役割を担う者が人を育てられなくては、何のビジネスも成功するはずがない。まだまだ、成長しなければ・・・もっともっと・・・。人間として成長しないリーダーを持つ事業は、成功するものではない。タイトルに興味ある方は、私書箱に連絡してください。
2005年01月10日
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企業は、期首に立てた計画が、目標を達成したかどうかは期末になれば明確に判る。損益計算書、貸借対照表を昨年と比較すれば有無を言えないほど明確だ。しかし、個人の目標は・・・。一人ひとりの能力(知識・技術・経験)がどれだけ伸びているかを知る指標はない。自分は一年にどれだけ伸びているか、知識や技術の面で、人間的に、あるいはモノの考え方にどれだけの成長があったか、その成長を判定する器械があれば簡単にわかる。しかし、そんな器械はない。ましてや、人は自分に甘い。目標の50%に到達していなくても自分を許す、或いは半分出来たことで満足する術を知っている。もちろん、自分を納得させる手法は人それぞれ違う。自分の都合のいいように考えるべく、自らをセットしている。生きていくために・・・。80%は出来たじゃないかと自分を甘やかす。いけないと思いませんか。やはり一人ひとりが、自分の力でどれだけのことをしたかということを反省してみることが大切です。そのためには、素直になる、謙虚になることが一番。やはり、自らは他人の意見を聞くことによって自ら気付くしかない。人から指摘して貰わなければ、なかなか気付くことが出来ない。ましてや、人の成長には時間がかかる。一年や二年で判断することが難しい。だから、どこまで素直になれるか、どこまで謙虚になれるかが決め手となる。そう思いませんか?○○さん。。。
2005年01月09日
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《あれもしたい》、《これもしたい》、《こんなものがあれば便利だ》、《あんなものもできるだろう》と次から次へと考える。そのためには人が欲しい、資金が欲しいと願うことには際限がない。が、『今、出来ることをやる』『やらなければならないことをやる』『一歩一歩、前に進む』よりほかに到達する道があるだろうか。それは絶対にない。やはり、一歩一歩進んでいく以外に道はない。一段一段、上がっていくしか道はない。一歩一歩、歩んでいけばそれでよい。一段一段、上がっていけばそれでよい。あの手この手はいらない。一歩一歩また一歩、一段一段また一段、進んでいけば目標に到達する。そして、欲しいと願う人も一人増え、また一人増えて数多くの人が集まる。人が集まるとお金が一緒についてくる。ヒトが集まり、モノが生まれ、お金がついてくる。
2005年01月08日
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素晴らしい技術を持っていても、どんなに広範な知識があっても、相手を認めることができなければ大した仕事は出来ない。反対に、少々技術が未熟であっても、知識が乏しくとも、相手を認めることの出来る人には、次つぎと人が集まってくる。その人自身が知識や技術を持っていなくても、人を認めることによって能力ある人が集まってくる。あたかも磁石が周囲の鉄粉を引きつけるように、《相手を認める》ことは周囲の人を引きつける。その結果として、業績も大きく左右していく。その前提となるものが分業であり権限の委譲。もっと言えば、能力ある人の支援者、応援団になること。自分の能力の限界を悟ることから自らの成功が見えてくる。そう思いませんか?○○さん。。。
2005年01月07日
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昨年の一年間はいろんな出来事があり、まさに山あり谷ありの現象の連続でした。正に現象です。自分が成長するために必要な現象でした。お陰さまで、自らの使命を強く自覚し、その第一歩を踏み出すきっかけになった一年でもありました。考えてみると毎年同じことの繰り返しのように感じます。もちろん、内容はまったく違いますが・・・。一年、一年成長して行っているのでしょうが、年を重ねるごとに、決断の内容が自らの人生観が問われるようなものになってきています。そして、平成16年12月24日、外食企業の真に産業としての発展・繁栄を支援させていただきたいという想いから会社を設立しました。《2008年 株式上場》を目標に精進して行きます。今年一年の私の決意は、『夢の実現に向けて、感謝の心と勇気をもって実践する』です。中期経営計画は作っている最中です。今年も温かく見守っていただきたいと想います。みなさ~ん、宜しくお願いします。
2005年01月06日
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ただただ、神や仏にご利益を願うというようなことは、これから活躍を志す者としては、とるべき行動ではないでしょう。また、そんな都合のよいことで、ご利益というものもあり得ない。八百万(やおよろず)の神様も、一億二千万人の願いを聞き届けるのは忙しいだろうから期待しないほうがいいのでは・・・。しかし、真剣に何かに取り組み、《ぜひとも成功させたい》、《させねばならない》という想いが湧き起こって来た時、自らの決意を神様と約束することはいいことです。それは真剣さの現われであり、また自らの決意を高めるという意味からも、大いにあっていいことだと思う。むしろ、一年に一回よりは毎月、毎月よりは毎週、毎週よりは毎日のほうがいい。そのほうが、ご先祖様も草葉の陰からエールを送り、背中を押してくれるかもしれない。ところで・・・・・・・・・・・・・・・・・皆さん、新年明けましておめでとうございます。書き込みや応援メッセージをいただいておりますが、返事を出しておりません。が、しっかり胸に響いております。ありがとうございます。今年も一年、宜しくお願いします。
2005年01月05日
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