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本日 土曜日午前10時よりチケット発売開始!私の好きな バイオリンニストのコンサートツアー2011 ザ・ベスト・オブ葉加瀬太郎のチケットがプレイガイドで開始されると、新聞に書いてあった。ちかくにあるローソンで買えるので、チケットを買うために行ってみる。ローソンの店員さんに訊ねると、簡単に買えますよと言われて、予約するような形になるのかと思ったら、きちんとチケットが買えたのです。お店にあるパソコンで、新聞に書いてある番号ローソンチケット Lコード71114 を入れると、2011年10月10日 月曜日 17:00開場/17:30開演ホクト文化ホール 長野県県民文化会館 全席指定7,000円 税込が、表示されて、カード払いか現金払いかを選び、現金払いの時は、個人情報をいれると、レシートが出てきて、そのレシートで店員さんは別のところから、チケットをだして、お金と交換になるのでした。操作の仕方は初めてなので、教わりながらしてチケットを買うことができて、こんなに簡単に買えるのだったら、これからも利用しようかと思った。シートはパソコンで調べたら1階の後ろの座席から4番目の真ん中あたりで、もうこんなに売れているのかと驚く。このチケットは、神津善行の音楽講座と違って、高いのですが、丁度、10月は私の誕生日なので、自分のため、今から準備しているだ。もちろん2人分買ったので、帰りは美味しいレストランでお食事をして誕生祝いをするつもり・・だけど。葉加瀬太郎の情熱大陸が好きで、いつも行くジムで、ランニングマシンで、ゆっくりと歩いているときに、イヤホーンで聴いているので、生で聴きたいと思ったから・・・今日はチケットの買い方、新しことを覚えて楽しかった。
July 31, 2011
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2ケ月ごとにある講座です。楽しみにしていました。今回は、平家物語の滅亡と耳なし芳一の朗読と語りでした。最初に講師のお話からで、難しい平家物語の原本を読みむと、大分違う部分がある。正確でない部分があり、面白く書いて読者に喜こんでもらえるように書いてあるから物語であるとのこと。正確な記録であれば、物語と言わないとの話しでした。「平家物語の滅亡の場面」 琵琶奏者 坂田美子 2010年の佐久音楽講座に載っている。朗読 加賀美幸子 元NHKアナウンサー台紙 中村メイコ 「人生の終いじたく」の本をだす。面白かった。台紙 横沢祐一 舞台俳優 数々の賞をもらっている。この物語の場面は、加賀美幸子の朗読からはいる。中村メイコ、横沢祐一のセリフが入るが、琵琶奏者の語りが多く、低い聴きやすい声に酔いしれる。「耳なし芳一」の場面は、朗読、セリフが多く、琵琶の音色は間に少しはいる。落ち着いた静かな声の朗読から、2人のセリフが入り、臨場感あふれる物語に、目をつむり聴きほれる。4人が並んでの舞台装置であるが、活躍している一流の人たちの朗読、セリフ、琵琶の音色で、物語を盛り上げる力量は素晴らしい。会場全体シーンとして聴き入っていた。最後に4人の人のお話が入り、中村メイコさんは芳一の声色はいつも怖いのでやりたくない等、横沢祐一さんは、舞台で舞台化粧をしてセリフを言っているのが楽であるとの雑談をきき面白かった。講座は1年に6回あり、550人ほど入る会場であるが、いつも席が埋まり、年間12,000円で、1回2000円で、このような素晴らしい講座を聴けることに、いつも幸せであると思っている。2011 神津善行の佐久音楽講座 第1回目
July 26, 2011
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相変わらずの美術館めぐりです。東京に用事があるときは、用事だけで帰るのはもったいないので、パソコンで検索して美術館の場所をプリントアウトしていきます。左側から、ホテルニューオータニ美術館で展示してある錦絵の相撲コレクッションを観に行きました。東京駅から地下鉄で赤坂見付駅で降りるとD出口 徒歩約4分でホテルがあります。この美術館は1991年、初代館長 大谷米一の収集した、フランスおよび日本の近現代画や、ホテル創始者 大谷米太郎の収集した肉筆浮世絵の数々ある中の相撲コレクッションだけを展示してありました。相撲錦絵の世界をパソコンで割引券をプリントして窓口で展示すると100円安くなり入場料は400円でした。秀の山雷五郎 横綱の土俵入りの図等、飾られ、説明書を読みながら観ていると、土俵の広さが昔は狭く、今は広げられていることを読むと面白く、また、よくこれだけ相撲の錦絵をコレクションしたものだと、感心しました。次の写真は、不滅のシンボル 鳳凰と獅子を観るため、地下鉄 千代田線の乃木坂駅出口3より徒歩3分で降りてサントリー美術館へ行きました。この展示は7月24日まで最終日でした。六本木・東京ミッドタウン ガレリア3階にある美術館へ行くと最終日なのか結構人出がありました。鳳凰と獅子は空想上の動物で、宗教・儀礼や民族・芸能の広く深く取り込まれ、それぞれ祝儀にふさわしい高貴なシンボルとしてくりかえり絵画や工芸の意匠となってきました。古代中国の遺品から、日本の古代から中世へ受け継がれた仏画や彫刻など、一堂に集結していました。右端の写真はサントリー美術館の近くにある、国立新美術館で、ワシントンナショナル・ギャラリー を展示していたので、ついでに見ることにしました。これは後でゆっくり見に来る予定にしていたのでですが、時間にゆとりがあったのでいきました。9月5日 月曜日 まであります。さすがに前の二つの美術館に比べるとスケールが違い、素晴らしい作品ばかりでした。アメリカの首都、ワシントン・ナショナル・ギャラリーからお借りしたもので、印象派・ポスト印象派 奇跡のコレクションで、これを見ずに、印象派語れないとかかれていました。印象派の作品の中から、日本初公開50点を含む全83点を貸し出されました。印象派の柔らかいタッチ、有名な画家の絵があり、うっとりと眺めてきました。ポストカードはよく売れているようでした。東京に来ると銀座を歩いたり、百貨店めぐりをよくしていましたが、最近は美術館めぐりが多くなりました。
July 25, 2011
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日記帳は手帳ほどの大きさです。縦15cm 横9cm バックに入れていました。3年の日記帳で、1日のスペース分は、 縦、横4cmだけです。今回、書いた想い出旅行は、2000~2002年の3年日記に簡単に書いておいたのを参考にしました。と言っても、ウィーンとチェコ観光のことは、箇条書きに書いてるだけです。それでも役にたちました。写真をみたり、観光ガイド本を読んだり、ビデオをみたりして、当時のことを想い出しながら書いてみました。以前から、ウィーンとチェコ旅行をまとめておきたいと思っていたのですが、なかなかできず、いつの間にか10年も経ってしまいました。チェコでお逢した、ベラさんとフランクさんも10歳も歳をとったことになります。もちろん私もです。フランクさんは90歳以上、ベラさんも80歳以上になります。最近は、旅行先からの絵葉書も来なくなり、クリスマスカードだけになりました。お二人とも優しい、思いやりのある人でした。そしてお土産もたくさんもらいました。ベラさんとフランクさんの字が刻み込まれた、ガラスの記念コップをもらい、娘にもお土産をもらいました。私たちもお土産を持ってきたのですが、その倍のお土産でした。ガラスのコップは、割らないように気を使いました。無事に持ち帰り、飾ってあります。日記は15年前から始めました。子供が生まれた時は育児日記をつけていましたが、長続きしませんでした。3年日記の良いところは、前の年にあったことが見較べることができることです。色々な日記の書き方がありますが、簡単に書いているので長続きしているのかと思います。今書いているのは、5年日記です。縦21.5cm 横15cmです。1日の書くスペースは3年日記と同じです。2007年に書き始めたころは、5年間も続くかしらと思っていましたが、もう5年目に入り、書く余白も少なくなりました。ボケ防止のため、簡単に、家計簿をつける、日記を書く、新聞を読むなど、そして適当に運動も続けています。ブログもきちんとしたテーマもなく、思いつくまま書いています。今回の想い出旅行は、つづき・・つづき・・で、長くなりましたが、お読みくださいまして、ありがとうございました。
July 19, 2011
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プラハの中心地の、国立博物館のそばのホテルに泊まっているので、観光にはとても便利だった。今日1日の観光した場所を箇条書きにしてみる。★ベトシーンの丘★聖ヴィート大聖堂 ★聖イジル修道院★旧王宮★聖ミクラーシュ教会★カレル橋★旧市街広場、旧市庁舎、展望台に昇る。天文時計をみる。★ヤンフス像、★火薬塔絵葉書時間になると大勢人があつまる。高いところにある二つの窓から聖人が顔をだす。写真はカレル橋、旧市庁舎の天文時計と火薬塔である。つづく・・
July 17, 2011
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2001年9月10日~11日6時30分起床。タクシーでベトーシーン丘へ行く。プラハの街が見渡せる。プラハの歩き方 朝早いので人がいない。本当に素晴らし眺めであった。屋根は、だいたい同じ色で小さい塔がたくさんある。ここからゆっくりと丘をくだる。先ず、プラハ城をめざす。途中で、修道院の建物などあるが、外から眺めるだけ、お城の近くにくるともう観光客が大勢いた。聖ヴィート大聖堂から見学。右の写真は、他の塔を登った時に写す。大聖堂は壮大なゴシック様式、1929年に完成。窓はステンドグラスである。私の大好きな世界。この窓の中にチェコの芸術家のミューシャの窓があった。大勢の人が群がっていた。ミューシャのステンドグラス作品あちこちで観光客が説明を聴いている。日本人の観光客もいた。次は、同じ城の中にある旧王宮を見学、天井の模様が面白い。ゴシック様式である。敷地の中には大統領の官邸もあり、建物の前にはチェコの旗がかかげてあった。つづく・・
July 17, 2011
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2001年9月8日~9日朝8時にセチン出発。運転はいつもベラさんです。話をしながらの運転で慣れているらしい。賑やかなセチン中心地から離れて広々した、田園地帯に入っていく。対向車も少ない。先ず、最初に今晩泊まる家に行き、ランチをご馳走になる。あかるい奥さんである。美味しいランチを食べた後、次はフランクさんの生家へ、今は、81歳になる兄嫁と甥が住んでいる。娘夫婦や孫たちがあつまり大勢で出迎えてくれた。夕食をご馳走になり、村の集会場でダンスパーティーがあるからと一緒に行く。村の人たちが大勢あつまり、楽しそうにダンスをしたり、話し合っている様子を見て、田舎の人たちの娯楽の一つだと思った。翌日の朝は、フランクさんに村の中心地を案内してもらう。やはり教会がある。朝早いので人が少ない。セチンの賑やかなところと比べると、建築物は少ないが、綺麗な建物である。それから、フランクさんのお姉さん87歳に会いに行く、大きな農家で、びっくりする。 キッチンには、大きな煉瓦作りの暖炉トーチカがあり、全部屋を暖めお料理もできるようになっていた。お昼は、フランクさんが親戚の人たちをレストランを借り切り、ランチのご招待をする。幼児の子も一緒の家族など、68人の人が集まった。上の写真の左側にいる、上席のお姉さんと並んで座らせられた。お料理も次々にでてくる。親戚の人たちの間ではアメリカで成功した、お金持ちのおじさんである。ベラさんとフランクさんは子供さんがいないので、皆さんにいつもお小遣いをあげている。ベラさんは袋をつくり、一人づつに手渡していた。いくらお金持ちでもなかなかできるものではない。フランクさんの農家の様子、集会場でのダンスパーティー、レストランのお食事、どれをとっても物珍しい事ばかり、いい体験が出来てよかったと思った。レストランからペーターさんの運転で、ベラさんと一緒に、チェコの首都、プラハ まで送ってもらった。つづく・・
July 16, 2011
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2001年9月7日朝食後、二人で近くを散歩する。家を出て道路を渡り坂道を歩いていくと、遠くのほうに牧場が見えてきた。白い羊がいるのが目につく。歩いている途中で、白い箱が道路際に並んでいたので、帰りに近づいてみると、家庭からでるゴミの分別箱であった。この地域の人たちが自動車で運んでくるらしい。ゴミの取集場所もなかなかスマートである。その後、ベラさんの運転で街中へ行く、3人でセチンの1番賑やかな街中を歩いた。セチンの中心地なので大きな建物が多く賑やかである。この商店街の中にある銀行に勤めていたという。教会や市庁舎などの説明を聞いて歩いていると、ベラさんのお友達らしい人に出会い、しばらく立ち話をしていた。それから、ベラさんのお友達が経営するケーキ屋に寄る。久しぶりに会うのか、ペチャクチャと長いこと話をしている。その間にシュークリームをたべる。この後、街から離れたところにある、ベラさんの別荘へ行く。山小屋風にできていて、部屋の中はこじんまりとできている。ベラさんの小さい頃の写真など想い出の写真が飾ってあった。気分晴らしに来るだけで、甥の子供たちがよく利用するらしい。庭にはプルンの実が熟しているのに、採らないでそのままにしてあったので、しばらく一人で実を食べていた。甘くてとても美味しかった。ベラさんはいつも行く隣の農家に挨拶にいく。お婆さんが出てきた。一瞬ハッとする。亡くなった母に似ている。写真を撮るのを嫌う。部屋は2つあり大きい。ベットルームとダイニングキッチンで、いつも暖かくしているキッチン内の隅に小さいベット置き、寝起きをしている。1日中同じ部屋で過ごしているという。陽が差し込んでいる暖かい窓際のテーブルで少し話をした。夕食は、ウィーンに迎えに来た運転者のペーターさんの家でバーベキューをご馳走になった。庭に暖炉があり、外で食事ができるようになっていた。夜はさすがに肌寒く、夫はコートを借りていた。お肉が柔らかく美味しかった。ペータさんの奥さんや子供たちが可愛い。つづく・・・
July 15, 2011
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2001年9月6日朝は6時に起きる。朝食後、★ ベラさんの甥の子供たちが通っている高校へ、お教室などを覗く。★ ウイーンに迎えに来た、運転者ペーターさんの経営する会社の工場を見学。社長室に入ると日本の天皇皇后陛下の写真がかざってあった。日本が大好きとのこと。街中へ行き、ワインの空瓶を持って、ワインの中身だけを買ってきた。そして家にかえる。夕食はベラさんの甥の家でごちそうになる。甥はで高校の校長先生である。右側が朝食風景。お土産に持ってきた日本のこけし人形が飾ってある。夕食の時の右側の人がベラさん。どこに行ってもベラさんはお話が上手で賑やかであった。私たちには、チェコ語で話しているので、何を話しているか全くわからないが・・・ベラさんとフランクさんのことを少しお話します。お二人は前の人がなくなり、再婚同士、同じチェコ人で、偶然にもフランクさんが、ベラさんのお父さんの経営する会社で働いていたとのこと。ベラさんとフランクさんには子供がいない。ベラさんは裕福な家庭のお嬢さんで、お姉さんがいたが亡くなり、甥が2人と、いとこの子供たちとの付き合いを大切にしている。今住んでいる家は、2世帯連なっている家を購入して、一人の甥家族は隣に住んでいる。家の外見は大きな家に見える。高校の先生をしている甥は将来は、ベラさんの家に住むらしい。アメリカのカルフォルニアの家と、チェコの家をいったりきたりできるのは、家の管理を頼めるので安心できるとのこと。フランクさんは若いときにアメリカに渡り、結婚したが、貧乏暮しであった。無駄遣いはせず、こつこつとお金を貯めた。アパートを持っていた。それから前の奥さんが心臓麻痺でなくなった。美容師をしていた奥さんは、とても優しい人だったので、いつも美容にくるお婆さんを優しくいたわっていた。そのお婆さんが亡くなった時に、身寄りがなく、莫大な財産が譲られた。ゆとりのある、ベラさんとフランクさんは、お二人で仲良く海外旅行をして楽しんでいる。旅行先からいつも絵葉書が送られてくる。お二人が結婚したばかりのときに、ベラさんは英語を学ぶためにカルフォルニアのアダルトスクールに通いだしたころに、私はベラさんと親しくなったのです。つづく・・
July 14, 2011
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お天気の悪い日でしたが、次は、広い公園のようなところにある、民族博物館のようなところへ行く。昔の農機具や、田舎の農家の台所、集会場等の部屋が展示されていた。また、少し離れたところにある古い教会を見せたいと、ベラさんは張り切って運転してきましたが、いつも教会のドアは開いていて中を見ることが出来るのに、その日は閉まっていてみることが出来ず残念だった。そして教会の写真とお墓を写した。絵葉書もあり有名な地方の教会らしい。その日の夕食はベラさんの親戚の家でごちそうになる。つづく・・
July 13, 2011
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2001年9月5日ベラさんの家で朝の8時に目が覚める。私たちの部屋は、2階のゲストルームの3部屋ある中の一つであった。そして、ご夫婦の寝室と浴室、トイレがある。どの部屋も意匠をこらし、個性的な部屋になっている。1階は、リビングとダイニングがつながり広々している。朝食は、フランクフルトソーセイジと野菜、パン、コーヒーであった。パンが飛び出す大きな縦長のトースターの様なものがおいてあるったので、パンを焼くのかと思ったら、ソーセイジを釣り下げ暖める、厚みのある縦長の器具であった。ベラさんのご主人はフランクさん、カルフォルニアの時からで、久しぶりにお会いしましたが、お二人とも変わらず、暖かく迎えてくださいました。どちらかと言えばベラさんのほうが行動力があり、フランクさんはおとなしい。すでに、私たちの観光案内の企画が出来て、朝食後、すぐに自動車に乗り、先ず、知り合いの画家の家に行く。アトリエと画廊を一緒にした私設ミュジアムのようなところで、広い芝生あり、絵を観ながらゆっくり休めるようになっていた。小さい町なので、ここは話題にのぼり、お客を案内するところになっているところではないかと思った。次は、スロバキアの国境が近くなので、どうせだからと出入国をしてパスポートにその記録をもらいいましょうということで、少しお天気が悪かったのですが、国境へ向かった。国境の検問所で、私たちは自動車の中にいて、パスポートをベラさんに渡し手続きを取ってもらった。チェコ語を話せない私たちにできることではありません。検問所では、私の夫の誕生日が、2月29日であることが話題になり、笑いながら判を押してくれたとのこと。予想外のことでしたが、これも旅のいい記念になった。つづく・・
July 13, 2011
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私がベラさんと知り合った場所は、カルフォルニアに住んでいたころ、無料で英語を教えているアダルトスクールでした。アダルトスクールでは、最初は、日本人同士で話しをしていましたが、転勤やら帰国やらで日本人がいなくなり、そして同じ教室にいた、ドイツ人のサビーナさんと、チェコ人のベラさんと話をするようになり、親しくなりました。当時ベラさんは、今の私と同じぐらいのお歳でしたが、とても元気な方で、積極的に彼女のほうから皆さんへ話しかける明るい人でした。毎年クリスマスカードをもらいましたが、チェコに家があるので、是非遊びに来てほしいといつも書かれていました。チェコの家とアメリカのカルフォルニアの家を持っていて、行ったり来たりしていました。今回の私たちの企画をとても喜んでいて、オーストリアのホテルへ迎えに来てもらうことになりました。夕方、ベラさんの従弟の長男さんに運転してもらい、2人できました。チェコの住んでいるところは、ウイーンから150キロ離れてところで、チェコの国の東側でスロバキアの国に近い、小さい町セチンです。観光地ではありません。夜で外の様子はわからなかったのですが、自動車は、結構なスピードで走り、ベラさんの家に無事につきました。夜のセチンの街です。右側のスペルでセチンと読みます。アダルトスクールで知り合った時の様子です。チェコ国について調べました。つづく・・
July 12, 2011
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2001年9月4日ウィーンの森へ、4時間コース、ガイド付きバスツアーに参加、集合場所はホテルの近くにある国立オペラ劇場の前であった。最初に寄ったのはツイスターツエンダ修道院。写真は絵葉書であるが、広大な敷地の中にこのような建物があるかは、観光客からはわからない。 ツイスターツイエンザー修道院は、1133年に創立、40人の修道士がすんでいる。バスの車窓からは、緑豊かなウィーンの森がみえる。修道院の中に入り、先ず、ステンドグラス窓に圧倒される。絵葉書1889年1月皇太子ルドルフはウィーンの森の狩りの館、マイヤーリングで、彼の愛人とピストル自殺をした、カルメリツタリンネン修道院と、事件の起きた部屋のあった場所に建った、修道院の追憶のチャペルのある建物ににも寄った。どこもステンドグラス窓が素晴らしかった。次は保養地ハーデンに行く。ここにはべートーベンの家があり、ここで第九交響曲の一部をかいた場所でもある。オーストリア ウィーンの森地方 ご覧ください。最後に、ウィーンの南西部郊外にある、ヨーロッパ最大の地底湖~もとは石灰岩の地下採掘場だったが1912年に大量の水は墳出し、地底湖となった。入口から洞窟の中を歩き、長い階段を降りると湖があった。観光客はボートに乗り見学する。結構な広さであった。seegrotte地底湖の絵葉書。ホテルに帰る。今日はチェコの友達のベラさんが自動車で迎えに来るので待っている。久しぶりに会うベラさんです。つづく・・
July 12, 2011
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2001年9月3日ホテルで朝食。すぐに地下鉄の1日券を買う。地下鉄でシェーンブルン宮殿へ行く。ウインで最も訪問客の多い観光名所になっている宮殿である。メインの建物1441の部屋の45室公開されている。庭園が素晴らしい。広いフランス式庭園を挟んで、宮殿の向かい合う丘の上にクロリエッテという、戦いの勝利と戦没者の慰霊のためにたてられたギリシャ建築の建物がある。大勢な人が丘の上に向かって歩いているので、一緒に行くが結構な距離があった。建物は未完成である。宮殿を観光後、ホテルに帰り、近くの賑やかなケントナー通りのお店を見て子供たちのお土産を買って、夕食は中華料理を食べる。シェーンブルン宮殿 詳しく書いてあり、ビデオもあります。つづく・・
July 11, 2011
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シュテファン大聖堂がホテルの近くにあった。塔の高さが一番高く、どこからもすぐに見える、シンボルの建物である。昔は下の部分が黒くなかったと思うが、近くにいると暗い。ゴシック様式の建物で、屋根は雪が積もらないように急勾配であった。近くの塔に上り、大聖堂の屋根を写す。模様のある瓦屋根のデザインは素晴らしかった。シュテファン大聖堂の中に入る。やはり中も暗い感じだった記憶がある。全体像が載っている写真を借りる。近くから大聖堂全体を撮るのは難しい。ホテルから歩いていける範囲に、ウイン国立オペラ劇場、王宮、美術歴史博物館、ベルべデーレ宮殿があった。建物の中に入り見学する。オペラ劇場は聴きたかったがゆとりがなかった。歴史ある建物の前で写真を撮ったものがたくさんあるが、人物が一緒に写っていないものを載せたいので探すがあまりない。人物の入らない写真を撮ると、絵葉書のほうがよくうつっているからと言われたが、私なりに数少ないが、素晴らしいと感じたところや、なるほどと感心した場面を撮ってみた。シュテファン寺院 またはシュテファン大聖堂 詳しく書かれています。つづく・・
July 10, 2011
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2001年9月2日ホテルに夜についたのでよく眠れた。早く目が覚める。観光案内の地図をみるとドナウ川が歩いていけそうな所にあったので、朝早く散歩がてら徒歩でいく。地図の上では近くても意外と距離があった。まだ人影がない静かな町を通り過ぎ歩いていくと、可愛いお城が目についた。歩いていくうちに、自動車の通るおとなど物音が多くなってきた。大分歩いたようだ、足も疲れてくる。そのうちに大きな川が見えてきた。途中でいくつかの川の橋を渡ってきたが、さすがに大きなドナウ川である。流れは緩やかであった。ADMIRAL TEGTTHOFF と、書かれた船体に、細い赤の線が入った白い観光船が停泊していた。すぐに出発するらしい。大勢の人の顔が見える。オーストリヤドナウ川クルーズ ベンチがあったのでしばらくドナウ河を眺めながら休む。後方に出航した船が見える。つづく・・・
July 10, 2011
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2001年9月1日ない・・ない・・ない・・荷物を載せたターンテーブルはもう荷物は一つもない。人もいなくなった。スーツケースが届いていない。人の話しには聞いたことがあるが、現実にわが身に起きるとは思いもよらなかった。成田から、ルフトハンザ716便でフラクフルトで乗り換え、オーストリアエアーラインでウイーン空港に真夜中に着いた。荷物受取所に我々の2つのスーツケースがないのです。真夜中なのでその他の場所も、人影が少なく心細くなった。調べてもらうと、乗り換えの時に行き違いがあり、明日の11時にはホテルへ届けてもらえるとのこと、ホッとする。2001年9月1日からウイーンとチェコ観光の個人旅行の始まりに最初にスーツケースがないハプニングにあう。ホテルで歯ブラシを買い寝間着なしで寝る。翌日荷物が時間通りに届いたのでよかったが、もし長いこと荷物が届かなかった場合は最低限のものは買いそろえなくてはならないと思った。泊まったホテルはアストリアホテルで内部はクラッシックで、エレベーターは狭く、2~3人と旅行鞄を入れると一杯でした。ドアの開け閉めは手動でした。部屋もそれほど広くないのですが、感じの良い部屋でした。オーストリヤ国について 調べました。つづく・・・
July 9, 2011
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今日はいつもいくジムが月曜日でお休み、久しぶりに2人で映画を見に行く。いつも見る映画が違うので、珍しく観たい映画が一致する。「小川の辺」7月2日全国公開。原作は藤沢周平 一時藤沢周平の小説に魅せられ夢中で読んだことがある。武士社会の生きる難しさ、主役東山紀之の端正な顔、凛々しく当時の武士を彷彿とさせる演技、素晴らしい。藤沢周平の世界はどこか暖かい人間味を感じさせるところがある。終わってもすぐたちあがることなく、しばらく浸っていた。もう1度、藤沢周平の本を読みたくなった。
July 4, 2011
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水野美術館のあと、少し離れていますが、長野県下で初の私立美術館、北野美術館へ行きました。横山大観、竹内栖鳳、上村松園、シャガール、ユトリロ、ブラマンクなど、国内外の大家の絵画、彫刻、工芸作品500点余りを収蔵。庭園作家重森三玲氏の手による庭園も素晴らしい。今は夏の所蔵作品「夏の瞬き」6月1日~8月30日を展示している。菱田春草、小林古径、奥村土牛、伊東深水、上村松園の「風」はこの時期のみ展示される。文化勲章をもらっている画家の作品が多い。一階の展示室は日本画中心で年に4回展示品が変わる。二階は、油絵等あり常設展示品で変わらない。その中で、若い頃の赤貧時代の淡谷のり子さんのふくよかな裸体の絵が目を引く。小山敬三の絵やピカソの作品もある。見ごたえのある作品が多い。北野美術館
July 3, 2011
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水野美術館の没後100年菱田春草展を観る。今回は学芸員による展示解説があるので土曜日11時に間に合うように行く。近代日本画壇に不滅のあしあとをのこした、菱田春草は、志半ばで惜しくも37歳の若さで夭折、少ない作品の中では、ここの美術館が他のところより多くあるとのこと。朋友横山大観らと革新的な絵画表現を試みた絵画は最初は評判が悪く、「朦朧体」と呼ばれ、激しく非難された悪口の言葉が今残っている。学芸員の解説があると、一つ一つの絵の内容がよくわかり、いつもイヤホーンで解説を聴くのと一味違うので楽しかった。今回はもう一つ大きな目的があり、1年に1回展示される、大観の「無我」を観に来るのを楽しみしていた。絵葉書です。年中展示は作品が痛むので、1年に1回のみ。お気に入りの絵です。絵画の脇に説明が書かれているので、今回はそれをメモしてきました。ー「無我」明治30年ースミレ咲く早春の川辺に身の丈に合わない着物に草履を突っかけ、なにをするのではなく、ぽつんとたたずむ童子、その表情がなにかに引き込まれるような不思議な魅力を感じます。「無我」とは仏教の根本思想の一つで我執のないこと、無心を表すことを意味します。この形にならない概念を、誰も思い付かなかったあどけない童子の労で表わしたことが、当時の人を驚かせ一躍大観の名をとどろかせた出世作となりました。大観は同じ時期に3点無我を制作しています。当館所蔵の無我はらくかん、印章とともに「大観」を用いていることから3点の中で最後に描かれたと考えられる。解説を読みながらいつも「無我」の前でしばらく鑑賞します。以前に木目込み人形の「無我」を作りました。人の家を訪問するのに、手作りのものをお土産に差し上げるのが一番いいと思っていたので、その時にできたばかりの人形を差し上げ、また作るつもりでいましたが、とうとう作らないで終わってしまいました。画像は他から借りました。可愛い木目込み人形でした。手元になくて残念です。
July 2, 2011
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デンデラを観る。 老いて生きる、は罪なのか。故、今村昌平が監督したカンヌ国際映画祭パルムドール受賞作「楢山節考」から28年、今村監督の息子・天願大介監督が、佐藤友哉の同名小説を基に、姥捨山伝説の後日談を描きだしている。少し前に、徹子の部屋に招かれた、ストーリーの主役浅丘ルリ子女優の対談をみて、この映画が封切りになるのを待っていました。ストーリー村の掟によって70歳を迎えてカユ 浅丘ルリ子は、姥捨山に捨てられた。寒さに意識を失った彼女はデンデラと呼ばれる集落で目が覚める。そこのデンデラの創始者で、自分たちを捨てた村人への復讐を誓う100歳のメイ 草笛光子、この地を豊かにして村を見返そうとするマサリ 賠償美津子 狩猟が達者なヒカリ 山本陽子 など49人の老女がすんでいた。大物女優が揃い、徹子の部屋で浅丘ルリ子女優が話した、冬場のロケーションの厳しい様子、顔はスッピンで化粧はせず、初めて素顔をさらしたこと、また老け役のために汚くしたこと、ほとんどの女優さんは70歳前後の実年齢に近い人達で、自分と同じ年齢なので興味深く、色々考えさせられた映画だった。最後に浅丘ルリ子の顔がクローズアップしていたが、スッピンの顔にしても、目鼻立ちが整い、やはり美しかった。
July 1, 2011
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