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昨日、封切られた「神様のカルテ」をみてきました。以前に本を読んでいたので、映画化されたので楽しみに待っていました。先ず、映画館に行って驚いたことは、観客に、小学生、中学生、高校生の若い女の子が大勢いたからです。隣にいる小学生と一緒に来たお母さんに聞くと、娘が、主役の若い医師役の櫻井 翔のファンなので見に来たとのことでした。いつも朝1番の9時20分の時にくるとガラガラの観客席が、大人の人もいましたが、8割ほど入っていました。2日前に徹子の部屋で、患者役の安曇さんを演ずる加賀まりこさんが出ていて、この映画の話しをしていました。顔は化粧せず、演技した話をしていたので、映画をみて、それでも美しい人だと思いました。この本は”本屋大賞”の作品で、現役の若い医師が書いたデビュー作、美しい命の物語として深い感動を呼び瞬く間にベストセラーになった本です。がん患者役のをした加賀まりこさんのお話 内容がわかります。医師であり作家の南木佳士さんの本も読んでいたので、医者の世界がわかり興味深い映画でした。2010年2月27日 神様のカルテを読んでいます。
August 27, 2011
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旅に出ると小さいお土産を買ってくるうちに色々と溜まってきました。その中で、フクロウあるいはミミズクの置物が好きで、集めているうちに写真のように、数が多くなりました。海外のもの、国内の旅行で収集したものです。同じものが重ならないようにしています。好きなもの興味のあるものがはっきりとしているとお土産を決める事や観光も楽しく過ごせます。やっと、やる気が出てきて、ステンドグラスでランプや小物など作っていた私の工房3畳で小さい部屋ですが、作品を作り始めました。1年間、ほとんど作ってきませんでした。ステンドグラスの材料が残っているので、整理する意味と、まだ作る気力が残っているうちに、工房に入り、作品が出来上がったたら、作り方なども書き、掲載していくつもりです。
August 22, 2011
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NHKの番組 ファミリーヒストリーをみて、久しぶりに、従弟と結婚した智恵子さんにテレビでお会いして懐かしかった。智恵子さんは、8月17日夜10時に放送された、ファミリーヒストリー 俳優 勝野洋さんのお父さんの妹になります。智恵子さんは、私の従弟と結婚し、私の母の生まれた家に住んでいます。数年前に、私のルーツを調べるために、計画をたて、一人旅をし、その時に、智恵子さんの家に泊めさせてもらいました。その時に色々と俳優勝野洋さんのお話をされました。勝野洋さんとキャシー中島さん仲の良い夫婦のこと、家庭を大切にしていることは、また、父親に実家の家に預けられた、甥の勝野洋さんや姪を智恵子さんが結婚するまで一緒すごしたことなどの話しをしていました。私の父親も戦争に行きましたが、勝野洋さんが父親は戦争のことは一切話さなかったとのことで、今回のヒストリーで、初めて父親のことを知ったことはNHKで細かく調べてもらい、とてもよかった思いました。私の父も戦争に行きました。私が生まれた時は、父が出征するときで、やはり私の父親も戦争の時の話しはしませんでした。そして、生まれてから結婚までの本を自費出版した時に、戦争のことを調べるために、図書館で当時の戦争のことを書いた日記を読み調べたものです。厳しい戦争中のことを書かれている本を読み、父が戦争のことを話さなかった理由がよくわかりました。戦争では多くの人が犠牲になり亡くなっています。テレビの画面をみて、生き残った人もいつまでも引きずり後遺症が残っている人はやはり犠牲者の一人だとつくづく思いました。2010,2,25 古い写真
August 17, 2011
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話題1.夏休み短期子供水泳教室で2人は初めて会いました。5年前のことです。はるさんは小学校5年生、あきさんは小学校4年生でした。短い期間でしたが、お友達になり、その後、お年賀状のやり取りだけであったことはありません。2人とも、夏休みに、祖父母の家に夏休みに遊びに来て、水泳教室で知り合い、5年ぶりに、今年は会うことになりました。ジャスコで待ち合わせを約束して、はるさんを送り届け、2人で楽しく遊んで、帰ってきたときに、待ち合わせて、すぐに、あきさんがわかったのと聞くと、2人ともまったくわからなかったと言う話でした。はるさん 「それがね、待ち合わせ場所にいっても、いないので、場所の確認のために、携帯で電話をしたら、目の前にいる人の携帯がなって、すぐに取り上げたので、わかったの」女の子の背が伸びる時期は、小4から中学3年の間が一番大きくなる時期で、2人は背が伸び大きくなっていました。はるさんは159cmで並みの身長ですが、あきさんは中学3年で、171cmもありました。 話題2.はるさんは、ボーイスカウトに入っています。ガールスカウトもありますが、はるさんの部隊はボーイスカウトとともに入れる部隊です。祖父母の家に遊びに来ても、行かなくてはいけない用事があり、はるさんだけ早く帰りことになり、長野新幹線6時23分発に乗れるように送りました。前の日に、お友達にお土産を買い持っていくつもりだったのが、忘れてしまいました。新幹線にもう乗っているので間に合いませんが、はるさんは、車中でも気が付いていないとはずだと、皆で話していました。でも携帯で知らせると、その通りでした。携帯の返事は 『 あ 』 の1字でした。
August 16, 2011
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1994年1月20日 発行長野県佐久市臼田町にある佐久総合病院の院長若月俊一氏のことについて書かれている本です。私の大好きな作家 南木佳士氏が書いた、若月院長の人物評伝です。作家は、若月俊一院長ほど興味をひかれる人物は、今後出会うことはないでしょうと書かれていました。南木佳士氏が、初めてお会いしたのは医学生の時、若月俊一院長の講演を聴い時のことでした。題目は、「農村と医学と私」 60歳をかなり過ぎていると思われる男の声は、エネルギッシュな口調で医学生たちに話かけていた。それがきっかけで、佐久病院に興味を持ち、面接試験を受けた。そして、その日に合格になって驚く。若月俊一氏の仕事の概要は、「村で病気とたたかう」に紹介されている。1910年東京生まれ、府立1中、松本高校を経て東大医学部に入る、東大の学生時代に、自分から左翼運動に参加していたが、共産党には入党しなかった。が、1年間の停学処分になった。第二次大戦中、昭和19年3月6日に教授の指示で信州の人口5千に満たない臼田にある佐久病院に赴任した。終戦の5ケ月前のこと、東京大空襲の4日前であった。農村地帯での患者は手遅れになった病人が多く、農民のための良くして行きたいと思うようになる。共産党員ではなくとも、保守的な農民たちに、最初は、よく思われていなかったらしい。しかし、外科医の若月俊一の腕は素晴らしく、多くの患者を救った。そして、農家を医者のほうから家を訪ね予防医学を試みてと、死亡率が少なくなり信用されるようになった。南木佳士氏との関係は、同じ文学好きで、芥川賞の候補になった時には、前もってお祝いの場所を用意して待っていた。残念なことに、毎年、芥川賞の候補になりながらも、芥川賞はななかもらえなかった。第100回「ダイヤモンドダスト」で芥川賞をもらった時は、若月俊一氏にとても喜んでもらえた時は、何か肩の荷が下りた感じでホットしたものだった。若月俊一氏は、「東京にいなくたってできるんだよな」と自分に言い聞かせるように、南木佳士の肩をたたいた。なんだか久しぶりに若月俊一氏の本音を聞いた思いがして、ようやくほんとうにうれしくなったと作家の気持ちが書かれていました。私の家族が、長野県佐久市に転勤できたのは40年前、子供が小さかったので大きな病院がすでにありホットしました。地方にしては医療のことは恵まれているところだと思いました。そして、佐久病院の医師である南木佳士作家に、喘息で、近くの医者から紹介していただき治療してもらえるようことになりました。そして、南木佳士氏の書かれた本は、以前に少し読んでいましたが、また、読むきっかけになりました。作家の本はほとんど揃えました。そして最近読んだ本は信州に上医あり -若月俊一と佐久病院ー医学生冬の水連冬物語神隠し急な青空生きているかい 1番新しい本 2011年6月20日発行こぶしの上のダルマ 8月30日に読み終わる。今まで読んだ本の書かれているブログ単行本 5冊新書 1冊文庫本 16冊22冊の本を読み終わりました。
August 6, 2011
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我が家の庭は樹木が多いのであまり花木がないのですが、わずかある1本の百合の花が今年はたくさん咲き狭い庭が華やいでいます。たった1本に花が8ツ咲き、蕾が3ツで11あります。今まで咲いていたときは2~3咲いていましたが、こんなに咲いたのは初めてです。花が重いのでしっかりと支えをしています。今年はまた脇から小さいめが出て低いですが、花が3ツ咲き増えてきました。しばらくの間、やっと咲いた額紫陽花の花と一緒に楽しんでいます。
August 1, 2011
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