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2026.03.25
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カテゴリ: 報徳
尊徳先生はこうおっしゃった。

○世間の人は人情として、明日食べる物がない場合は、他に借りに行くとか、救いを求めようとする心はあっても、いよいよ明日は食べる物がないという場合は、釜や食器を洗おうという心がなくなってしまうという。

人情としてはもっともだが、それが困窮がその人を離れない根元である。

なぜかといえば、日々に釜を洗い、食器を洗うのは明日食べるためである。

昨日まで用いた恩のために、洗うのではない。

これは心得違いである。

たとえ明日食べる物がなくとも、釜を洗い、食器も洗いあげて餓死すべきである。

これは今日まで使って、命を繋いできた恩があるからである。

これが恩を思う道である。

この心がある者は天意に叶うためにその身に長く富を離れない。

富と貧とは、遠い隔てがあるのではない。

明日助かる事だけを思って、今日までの恩を思わないのと、
明日助かる事を思って、昨日までの恩をも忘れないという二つである。

これは大切な道理である。

よくよく心得なければならない。

○人が、来世がよい事を願うならば、現世で邪念を断って身を慎んで道を踏んで善行を勤めることが大事である。

現世で人の道を踏まないで、悪い行いをした者がどうして、来世に安穏である事を得られようか。

来世の善悪は、現世の行いにある。

だから現世を大切にして、過去を思うべきである。

まずこの身はなぜ生れ出たかと、振返って考えて見るがよい。

この身体は父母の賜物である。

その元は天地の令命と父母の丹精とに出る。

まず、この道理から窮めて、天の徳に報い、父母の恩に報う行いを立てるべきである。

この人の勤めを励む時は、来世は願わないでも、安穏である事は疑いがない。

どうして現世を仮の宿と軽んじ、来世だけを大切とすることがあろうか。

現在に父母があり妻子がある、これが現世の大切な理由である。

釈尊がこれを捨て、世の外に立たれたのは、衆生を済度するためである。

世を救うには、世の外に立たなければ、広く救い難いためである。

たとえば自分が坐っている畳をあげようとする時は、外に移らなければ、あげることができないのだ。

世間で一身を善くするために、父母や妻子を捨てるのは迷いである。

しかし僧侶は世の外に立つ法を伝えた者であるから、世外の人であるために別である。

混同してはならない。

これが君子と小人の別れるところであって、私の道の安心立命はここにある。





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最終更新日  2026.03.25 09:52:16


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