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2026.03.27
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カテゴリ: 報徳記を読む
烏山(からすやま)藩報徳仕法の始り(報徳記より)

○天保7年9月4日の事である。
円応和尚は二宮尊徳先生のおられる桜町陣屋の前に立っていた。
円応和尚は、烏山藩の大久保候の菩提寺であった天性寺の住職であった。
博識で知られ、禅僧として胆力があった。
烏山藩の領地が荒れ、領民が減り、百姓の疲弊がひどいことを嘆いて、自分の財産を差し出して開墾に励んでいた。

ところが天保7年の飢饉は甚だしく領民が飢えに苦むのを見て心を痛めた。

ある人から、
「芳賀郡物井村は小田原の大久保候の親戚の宇津家の領地である。
土地が荒れ、ほとんど亡村となっていたのを、大久保忠真公が二宮金次郎を農民から取り立てこの村の再興を命じられ、以来二十年、事業は大いに成果があがり、この飢饉も前もって知り準備をしたため、かえって平年より富んでいる。
この人の力を借りられれば、必ず百姓を救うことができましょう」と聞いた。
円応和尚はこのことを聞いて、大変喜んで家老の菅谷に相談したところ、ぜひ和尚が行って、百姓を救うことができればすぐ私に告げてくれと励まされ桜町陣屋に来たのである。

円応和尚は先生に面会を請うたが、尊徳先生は許されない。

「仏門にはお釈様の説かれた道がある。

どうして仏者に会って話す暇があろうか。すぐに立ち去れ」

円応和尚は悠然として退かず

「私は仏者だが、その志は民を救うことにある。
今、烏山の民は飢えに迫られている。
これを見るに忍びないで、はるかに先生の高徳を聞いて道を求め教えを請いにきた。
しかし、先生は許されない、このまま故郷に帰って、民が飢えに倒れるのを見るに忍びない。
こいねがわくは憐れみを垂れよ」

これを門人は尊徳先生に告げた。
先生は怒られて
「かの僧は何を言うか。
私には預かっている先務がある。
烏山の民の安否はその君主の職分だ。
私がどうしてそれに関わろう。
しかるに僧の身でありながらここへ押しかけ、面会を強いて私が事業を行う妨げをするとは何事か。」
と会われなかった。

円応和尚は
「私の進退に烏山の民の命がかかっている。
先生がもし会うことを許されないなら、私はここを去らず、飢えて民に先立って死のう」
と陣屋の門前の芝原に袈裟の衣のままで伏して昼夜動かなかった。

翌日になって尊徳先生はこの事を聞いて怒られた。
「かの僧は面会を強いて、あまつさえ陣屋の門前で餓死しようとは、比類ない曲者(くせもの)だ。
よし私が会ってこれを誡めよう。
すぐ連れて参れ!」
と大声で命じられた。

円応和尚は悠然と起き上がって
「どおれ、案内せよ」
と先生の前に来た。

「坊主、何のためにこの陣屋に来て、私の事業を妨げ、門前に伏して死ぬと言う。
どういうことだ。」

「ほかではありません。先生の教えをうかがって烏山の飢饉に苦しむ民を助けようとするだけです。」

「汝は仏者でありながら、仏の道を知らないのか。」

「私は愚かですが、仏門に入って久しい。
どうして仏の道を知らないことがありましょう。」

「仏の道に荒れた田を開き、民を救い、また民の飢えるのを救おうとする道があるか。」

「仏の本意は衆生を救うことにあります。
民を憐れみ、飢えを免れようと欲することがどうして仏の願いでないことがありましょうか。」

「汝がどうして仏の道を知っているといえよう。
事おのおの職分があって互いに奪わず、領主は領主の道があり、臣下は臣下の道があり、僧は僧の道がある。
領主でありながら、臣下の道を行えば、人君の道は廃し、国家を保つことはできない。
臣として君主の行いを行うならば上を侵し暴賊の行いとなって、国の乱れはこれより大きいものはない。
また領主として仏者の行いをすれば、どのようにして国民を治めることができよう。
仏者として国家の君主の道を行うのをどうして独り道ということができよう。
今、汝は僧でありながら国家の君主の道を奪ってこれを行おうとするか。
いわゆる民を治め、荒れ果てた土地を開墾し、百姓の飢えや渇きを救うのは君主の職ではないのか。
君主がこの職を去ってほかに何の職があろう。
それであるのに烏山の君臣はこれを憂う心がなく、坐して国民が飢え渇くのを見ようとしている。
国民が飢え渇くのを救うことはもとより汝があずかるべきことではない。
あずかるべきでないことをみずからの任務とし、他国まで来て、私に談じようとする。
どうして道を失っているということではないか。
そもそも汝の道とするところは、災いがまだ来ないうちに、天地に祈り仏に誓い国民の平穏を祈り、五穀豊かで上下が安泰であることを願い、このように災いの憂いを免れさせ、国土の平安を祈念することこそ、仏者の先務であり、衆生済度の大なるものといえよう。
汝が勤め行うところを怠り、この飢饉の年に当たって飢えた民を救おうとして力が足りず、私のところに道を求めようとする。
これは仏道ではなく、汝の意志を押し立てて名誉を求めることに当たる。
その志は不善から出たわけではないが、その行いは道を大きく失っている。
汝が誠に民を飢えを嘆くならばどうして君主に告げ救わないか。
告げても君主が愚かで救うことができなければ、これも運命である。どうすることもできない。
せめて仏に祈って私の門前で飢えて死のうという行いを汝の寺で行えば汝の職は遂げたといえよう。
このように行うべき道を廃して、汝の任務でないことを計画して仏の意にかなっていると言う。
どうしてこれを仏の道を知っているといえよう。
なお言うべき道があればすぐに答えよ」
と天地に響くような大きな声で説いて示された。

円応和尚は愕然(がくぜん)として自らの非を悟り、頭をあげることができなかった。

尊徳先生は、
「汝言うことがなければすぐに帰れ!
私は復興の仕事に暇がない」
と坐を立たれた。
円応和尚は先生の影を三拝して大いに感激し、烏山に帰った。

これが烏山に報徳仕法が行われる発端であった。

☆この円応という禅僧はとても魅力的な人物である。
飢饉で苦しむ民衆をほおっておけず、桜町で大きな復興の成果をあげていると聞いて僧の身でありながら救済してくれるように二宮尊徳先生に依頼にいく。
尊徳先生は民の生活を安らかにさせるのは領主の行いであり、その藩の家老や役人のおこなうべきことではないか、その領主や家老たちが安穏としていて飢えに苦しむ民を救おうともしない。
これでどうして民が救いえようかと厳しく諌める。
しかもあなたは僧侶であり、僧侶の仕事は災いがまだ来ないうちに、天地に祈り仏に誓い国民の平穏を祈り、五穀豊かで上下が安泰であることを願い、このように災いの憂いを免れさせ、国土の平安を祈念することであると。

しかし、尊徳先生は円応のこの民を飢餓から救いたいという願いの誠にうたれて、後に烏山仕法を始められるのである。

烏山藩は、現在の栃木県那須郡烏山町に藩主の居城をおく譜代小藩であった。
神奈川県厚木などに飛び地を持っていた。
そして菅谷(すがや)八郎右衛門(はちろうえもん)という人物が烏山藩の家老であった。
円応和尚は、尊徳先生の説諭に自らの非を悟って、また尊徳先生の人となりに感動して烏山に帰tって、家老の菅谷に
「今の世にこのような偉大な人物がいようとは思いませんでした」とその次第を告げた。
菅谷は、「ああ、二宮はなんという賢人か」と感嘆し、家臣をして桜町に遣って、近いうちに伺いたいと言わせた。
二宮先生は他国の臣に面会する暇はないと断られたが、強いて面会した。
二宮先生は「礼経に『国に3年の貯えがない国は国ではない』といいます。
たかが1年の飢饉で国民を飢渇に陥らせるのは、君主も家老もその任務を果たしていないからです」と厳しくたしなめられた。

菅谷はその言葉に感激して、
「二宮は本当に賢人である。
1年の飢饉で民を飢えさせるのは君臣ともに道を失っていたからだ。
今の世にこのように君臣が道を失っていると公然と教える英傑がいようか。
二宮の言は率直でその理は明らかである。この人に道を問わないで誰に問おう」

そこで、菅谷はその主君に面会して言った。
「今年は飢饉で、領内の民は飢渇が迫っております。
臣は、百方道を求めましたが、金銀融通の道も絶え、どうすることもできません。
しかるに桜町の二宮という者は、小田原候が民間から挙げられて、かの地の廃亡を再興することを任じられました。
10年で復興し、それだけでなく飢饉の来ることを予知してその備えをし、領内の民を救い、むしろ平年より豊かになっております。
この人は不凡の人です。
君が懇切の直書を二宮に賜い、臣がかの地に赴いて、君の民を恵む仁心のかたじけなさを説けば、二宮は感動してきっと道を教えましょう。
事の成否は君の心にあります。」
烏山候は感動して筆を執って直書を書き菅谷に渡した。
菅谷は、すぐに桜町に至って君命を述べ、直書を渡して救済の道を請うた。
先生はため息して言われた。
「烏山の民は、もとより私があずかりしるところではない。
今、飢渇に及んだというのも、君臣ともにその道を失ったためである。
しかし、君臣がその非を知って、その道を私に求めてきた。
今、烏山の民の命の存亡は私一人の言葉で決する。
ああ、いかにしよう。
よし、これを救おう。
特に烏山候は小田原候の親族でもある。
これを救う縁がない訳でもない。」

ここで二宮先生は菅谷に面会し、治乱盛衰の根元、禍福吉凶存亡の起こるところ、衰廃興復の道、富国安民の大道を諭された。
菅谷はますます驚きますます感動した。
二宮先生は烏山候から小田原候に依頼するよう順を踏むことを教えた。
「しかし、この順路を踏むのに日数がかかれば、民が飢えてしまう。まずこれをもって切迫する救助に与えよ」と200両を菅谷に与えた。
菅谷はその寛大な処置に三拝して烏山に帰った。

 これが烏山藩における仕法の始まりであった。

天性寺の境内に11棟の救い小屋を建てて、領内の飢えた民を集め、桜町から多くの穀物を運び込んで粥を作ってこれを配った。
このお蔭で烏山藩の数千人に及ぶ飢民に一人の餓死者もなかったのである。

先生50歳のときである。

幸田露伴

常陸(ひたち)の国(茨城県)真壁郡(まかべぐん)青木村というところは、
その頃次第次第に衰えて、どうしようもなくなっていたが、二宮先生が桜町に三年ほどおられて荒れ果てた三ケ村(さんかそん)を復興された話を聞いて、
青木村の地頭や村長などが先生の復興の仕法(報徳仕法)をしきりに尋ねるので、先生はよく教え、よく導いて復興の方策を授けて、ついに青木村を繁昌な所になされた。

 また、ここに野州(やしゅう・栃木県)烏山(からすやま)の大久保侯の領地は、風気(ふうき)が悪く、領民が怠惰なので、次第に衰退して戸数も減り、荒れ地だけが増えて、上も下も困難な時に、烏山侯の菩提寺の和尚に円応という者がいた。性質は剛(つよ)く学問にも明るかった。
仏の道も結局は苦を抜いて楽を与える以外にないと悟って、いたずらに経を読み香をひねるだけでなく、弱い人を憐れむ心の盛んなところから、農家が日に日に衰微して行くのを見かね、自ら得た浄財を使って他所からの流民を引き入れ、領内の農民を諭し勧め、教え励まして、多くの荒れ地を開いて田や畑にして、国のため民のためにと、心を尽くしてはかったが、天保七年になって飢饉が起きて、農民等の難儀は尋常では無い。
円応は頑張って飢饉から民を救おうとするが、到底力が及ばない。
せっかくここまで努力してきたことも水の泡と消え、百日の努力も一時に廃(すた)れるありさまとなり、大いに憂い悲しんでいると、芳賀郡(はがのこおり)桜町の衰退を二宮金次郎という人傑が復興に着手して十年、大いに復興したとの噂を聞いて、家老の菅谷という者と相談して「一緒に行こう」というと、菅谷もかねてから先生の噂を聞いて知っていたので、「噂の通りであれば二宮先生は当世の俊傑である。現在、烏山領では領民を導き育てる方策さえ立てることができない。和尚が行って、その方策を得て帰り、教えてもらいたい」という。
それで円応は一人桜町に来て、先生に面会を申し込んだが、先生は人を介して
「仏教者には仏教者のやり方があるハズ、私は今はただ数村を復興し村人を救うのに忙しい、僧侶に会って話などする暇はない」と断られた。
円応はドッシリ落ち着いて引き下がらず、
「私は僧侶ですが、その気持ちは民を憐れみ救おうとするだけです、現在烏山の領民は飢餓に悩まされていて見ていることができません。
このため先生の教えを願って救おうとするのに、先生に面会も許されないでこのまま無駄には帰れない」
それを取次ぎの者が先生に伝えると、
「烏山の領民の安否はその領主の責任である」
円応はこれを聞いて陣屋の門前の芝原の上にドッシリと坐って、
「私の進退は烏山領民の死活にかかわっている、先生に会って方策を聞くことができなければ、今は何をしたら良いのか、私は先生に会わずに帰ることはできない、ここは少したとも動かない、サア飢え死にして民の死に先立とう」
袈裟衣(けさころも)は露に汚れ、飢えは次第に迫るがひるまずに、一心に民を救おうとカラスがねぐらへ帰っても帰らず、日が暮れ夜が更けても石造りの羅漢(らかん)のように坐り込んでいる。
翌日になってもなお帰らないので、見る人は驚いて、この様子を先生に告げる。先生は怒って、
「けしからん坊主だ、ここに連れて来い」と命じる。
円応はやがて先生の前に連れて来られた。

 先生はその時大声を張り上げて堂々と説かれて、
「お前は間違っている。
人にはそれぞれ職分がある。
領主には領主の務め、臣下には臣下の務めがあり、僧には僧の務めがある。領主の務めを僧が行うなどすれば国が乱れ民の不安が増すのも当然である。お前は僧の身でむやみに領主の職分を奪ってはいけない。荒れ地を開き領民を救うのは領主の職分である。
説教や祈祷などしてこそ僧のすることであろう、お前の志は不善ではないが行おうとすることが間違っている。お前が領民の飢饉を悲しむのであれば何で国の領主に告げないのか、我が陣屋の門前で死なないで、何でお前の寺の中でお前の職分を行って死なないのか、お前がお前の道を誤り、領主が領主の道を間違えるようでは、領民の苦しみはいつになったら解消されよう、早く帰ってお前はお前の道を行え、早く行け」
と、天地にとどろく大声で理路明白に示される。
さすが剛直な円応も一言も無く、頭を垂れ黙然としていたが、座を立たれた先生の影に拝礼して、感激して自分の過失を謝罪して国へ帰った。

 円応が帰って詳しく状況を報告すると、菅谷はますます感心し、遂に殿様に申し上げ、殿様から書状を頂いて直ちに桜町へ行き、主君の命令を申し述べ、書状を出してしきりに領民を救うことを求めたが、先生は歎息して云われる、
「烏山侯が仁心深く領民を救われたいと思われても、私の使命ではないので仕様が無い。しかし私の主君の小田原侯の縁者であられるのであれば、烏山侯から私の主君に申し込まれるべきです。私からも主君に言上しましょう。その上で烏山の領民を救うべしと私の主君から命じられれば、その時は私も尽力いたします。しかしその手順で行うには数日かかるでしょう、その間の急場を救うにはこれをお使い下さい」と二百両を菅谷に与えると、領国が逼迫(ひっぱく)し、一金の余裕もない飢饉の時に、ただ一回の面会で直ちに二百両を与えられて、菅谷はぼう然と夢のような思いで帰った。

 天保七年は諸国で米が実らず、士も民も大いに苦しんで、或いは草の根を食い、あるいは木の皮を食うほどになって、飢えて道端に倒れ死ぬ者もあったほどで、烏山の領内でも民は飢饉に苦しみ、ついには一揆を起こして町の富家を脅かし動揺が広がる。城中の群臣等はこれを聞いて、「モシ彼等が城内に乱入などしたら、仕方ない大砲を放って追い払おう」などと話し合い騒ぎ立ったが、小田原侯から「烏山は親族であるので救える方策があるなら救え」と二宮先生に命令があったので、そこで先生は二千両余りの米穀を桜町から運ばせたので、烏山までの十里の間を人馬が次々と断え間なくつづき、これを見て驚かない者は無かった。このようにして天性寺(てんしょうじ)の境内に十一棟の小屋を建て領内の飢民に粥を焚(た)いて与えると、数千の人民は恵みの露に枯れた喉を癒して、命は助かり騒動は止んだ。円応和尚は大いに喜び、日も夜も全く夢中で民のために心を尽くしたが、これからは烏山の君臣は深く二宮先生を尊んで、烏山侯はもちろん家臣一同一致して、「なにとぞ烏山の疲弊を救って、長く安泰にして頂きたい」とひたすら頼まれるので、先生はそこで節倹勤勉の方策を説明されて復興の仕法(報徳仕法)を授けられたが、果たして二年ほどで荒れ地が開かれること二百二十四町、生産は二千俵にも上がった。これは皆先生の寛仁至誠の徳風が烏山の君臣上下を薫染(くんせん)されたお陰である。
 円応は深く先生の徳を仰ぎ行いに服し、先生の仕法より他に安民の道はないと信じて、菅谷と心を合わせ力を尽くした。或る時、円応が自ら川に入って網を張って鮎を獲ったところ、深い心が在ってのこととは知らない人々は、「殺生は仏が戒められるところなのに、僧侶の身で魚を獲るとは、有ってはならないこと」と批判したが、円応は反省もしないで、「私は民を救われた先生に、この鮎を供養するのだ」といって、獲った鮎を下僕に担がせて桜町へ行くと、道行く人はこれを見て、「おかしな和尚だ」と罵しる者もいたが、知らんふりをして先生のところに着いて先生に鮎を差し上げると、先生はこれを喜んで食(しょく)された。こうして円応は一二日を桜町で過ごしていて、突然お暇乞いをして帰ろうとすると先生は、「和尚、無駄にここ迄来たのではなかろう、何一ツ聞かないで帰るとはどうしたことか」と問われると、円応は改まって、「初め来た時は考えの善し悪しを伺おうとして来ましたが、二日ほど先生の御傍で過ごすうちにスッカリ分かりましたので、今は別にお尋ねして先生を煩わせる必要は無くなりました。烏山の処置も既に決まりました。」と云って帰れば、先生も感歎されて、「あの僧のような人は中々いない」と褒められた。円応は帰ってからもしばしば鮎を獲って、残らず売って銭に換え、安民の用に使ったという。
 円応はその後菅谷と共に相州(そうしゅう・神奈川県)厚木領に先生の仕法を教えようとして行ったが、二人共流行病に罹って仕舞い、帰ってから菅谷は助かったが円応は世を去った。先生はこれを聞いて深く円応の死を悲しみ、「菅谷一人となっては、折角復興に向かっている烏山もこれからどうなることであろう」と愁い歎かれたが、果たしてその後菅谷は讒言のために追い落とされて、良い仕法は廃止され、負債は生じ人気(じんき)は衰え税入も減少するようになった。しかし数年後烏山侯は自ら悔い改められて、先生の勧めに随(したが)って菅谷を召し返し、再び復興を計られたが、残念なことに弘化の頃に菅谷が亡くなり、遂に烏山藩の再興の道は途絶えた





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最終更新日  2026.03.27 07:30:45


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