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札幌県鮑魚繁殖取調復命書ならびに潜水器使用規則見込上申
鮑魚(あわび)繁殖の件たるや、わが国諸方において最も難題とするとところにして、すでに農務局水産課および大日本水産界等において取り調べしといえども、いまだ確実なる説明を得るあたわず。わが札幌県下のごとき、南方岩内、古宇の海浜より、北方礼文、里尻に至るまで、至る所これを産せざるなく、年々これを各地に輸出する高は、他府県の遠く及ばざるところなり。
当道旧来習慣の漁法は、方言ヤスをもって、鮑魚の水底5、6ヒロの岩上に来たるを待ちてこれを突き取るものなれば、鮑突き営業者いかに増加するも、繁殖上、非常の妨害なしといえども、明治12年来、潜水器を使用して鮑魚漁に着手する者、日を追うて増加し、すでに古宇郡に、この器械3挺、積丹郡に1挺、高島郡に1挺、総計5挺を使用するに至れるのみならず、新たに該器使用を出願する者、追い追い増加するに至れり。されども潜水器の用たる、海中沈没品を取り揚げ、あるいは大房網および、にしん漁建て網等の使用中、その修繕を施すには、海浜必要の道具なれども、これを用いて、あわび、なまこ等の捕漁に着手するときは、魚種亡滅の憂い無きあたわず。すでに東北諸県下においてその例少なしとせず。ここをもって旧開拓使においては、明治14年8月、第83号をもって、潜水器を使用して鮑魚を漁する者は、深き15ヒロ内において営業することを禁じたり。しかるに爾来、漁夫その非を訴うる者多き、該器械使用規律制定の命ありといえども、鮑魚に至ってはその繁殖の季節および発生のいかん等々を知る者なきにより、ついに右事項実地取り調べのため、明治14年9月4日、初めてその事に着手す。しかして試験所を高島郡祝津村に定む。されども、この試験たる、早くも1ヵ年の日月を要するをもって、わずかに1ヵ月のよく研究し尽くすべきにあらざれども、ここに第一期試験の結果を復命し、余は後日を待ちてこれを上申すべし。
第一 鮑魚繁殖に最も適切なる海底の模様および近傍地形いかに
さて怪魚の繁茂するには必ず岩石の水底なり。ゆえに岩石なければ海魚なしと言うも過言にあらざるべし。すでに沙流、阿与路方面において、岩石を水中に投じ、初めて昆布を採収するを得しを見て知るべし。ゆえに鮑の生殖するは必ず岩石の水底にあり、高島郡の海岸たる、東、手宮より西、忍路境に至るまで、みな絶壁の岩石にして、高島、祝津等はわずかにその凹所にあり。海岸石なれば、これに沿いたる海底もまた必ず石ない。かつ絶壁の岩石下には海底必ず深く、その海底の模様おおよそ海岸に似たり。たとえば祝津村ミナシ泊の海岸は、岩石、黒色を帯び、形、びょうぶを立つるがごとし。その水底もこれと同じく、水際よりわずかに3尺にして、8ヒロの深さあり。同村シュマ内の岸には、岩、白色を帯び、その勾配多からざるをもって、8ヒロの海底はおおよそ陸より300間の外にあり。ゆえに鮑魚の繁殖もほぼその海岸の形状をもって知るを得べし。
海岸絶壁にして黒色を帯ぶる岩に沿う所の海底に生殖する鮑魚は、大なれども、少なし。前例ミナシ泊の鮑魚は高島郡中最大の名あり。また海岸の岩低くして白色を帯ぶるときは、その近海に生ずる鮑魚は、形はなはだ小にして、数多し。シュマナイ産のもの、この類なり。右のごとく、深くして暗き水中には大なる鮑を繁殖し、浅くして日光の多く透入する海底に産するものは小にして多数なるは、その原因を知るあたわずといえども、すべて動物は幼き時は成長迅速なるがゆえに、多分の日光と酸素を要するものなれば、海岸近く、激浪、空気を包合し、日光多く透入する所を選むなるべし。
熟達せる漁夫は、海浜の景況を見て直ちにその近海にある鮑魚の大小多寡を知るを得べしという。しかして鮑魚は草木繁茂せる山林に沿いたる海中に多しという。
第二 鮑魚は深き幾ヒロより幾ヒロまでの海底に生息するや
前条すでに鮑魚の生息する水底の景況を述べたり。すなわち海草生ぜざれば鮑魚あるなしと。これをもってこれを見れば、鮑魚生息の区域は、海草の繁茂する海底の区域を定むるをもって知るべし。すなわち一の簡単なる法(石あるいは鉛塊を索して結び、その下面に柔かなる臘および鬢つけを塗り、海底に入る。しかる時は、軟臘に付着するもの、砂あるいは小石なれば、その海底、砂あるいは小石と定む)をもって高島郡海底の模様を探るに、海草の繁茂最も盛んなるは、水際より5,6ヒロの海底とす。8ヒロに至れば、海草大いに減少す。12ヒロ以上に至れば、ほとんど無きがごとし。しかして15ヒロの以上に至れば、おおむね砂地なり。ゆえに鮑魚の最も盛んに生息するは、3ヒロより8ヒロの間とす。もっとも径3分より一寸ぐらいのものは、深さ1尺より3尺の間に多し。その大にそて物産となるべきものは、多く6ヒロ以上の水底にあり。
第三 鮑魚落卵の季節は何月ごろ始まり何月ごろに終わるや
この問題たるや少なくとも一ヵ年の後にあらざれば知るあたわずといえども、これを土人に聞くに、8,9月をもって最も盛んなりとす。もっとも1、2、3の3ヵ月を除くのほかは、鮑魚は常にフケル(方言にして、落卵を形容する語なり)ものなりという。
さて落卵いかんを知る前にあたって、すべからく鮑魚の生殖器はいずれにあるや、その卵の形、色、質等を精細研究せざるべからず。しかるにこれらの点に至っては確然たる説なきがゆえに、まず第一に、鮑魚の体中に生殖器の位置を知り、しかる後、その産卵期間における卵子いかんを探らざるばからず。
一、ドイツ国生物学ゲゲンバー氏いわく、ハリオチス(すなわち鮑魚)属およびパテラ属においては、雌雄の生殖器は肝臓に附着するか、あるいはこれと近接せる所にありと。
二、祝津村において最も熟達せる鮑突き人の言によれば、ウロ(方言にして肝臓を言う。なお紀州熊野近にてワタ(腸の意)あるいはシリ(臀の意)と言うがごとし)は鮑の生殖器にして、現に該魚は清静の時にあたって、深さ8、9ヒロにある水底の岩上の凹所において、黒色を帯びたる水を吐くを常に実現せり。後、これを捕うるに、そのウロ縮小すと。
右の二説ともによく合するをもって、大いに信ずべし。よって意をこの点に注ぎ、試験せしに、左の結果を得たり。
長さ3寸以上の鮑魚を解剖すれば、ウロすなわち肝臓は鮑魚中最大の器にして、図のごとく、鮑魚全体の大半はすなわち肝臓なり。これ中断すれば、真正の肝臓はその中部二分の一を占め、粗なるようかん色を帯び、肝管その内を通過し、肝臓と異ならざることを知る。しかるに(ロ)の部は全く前者に異なり、色、青黒にして、一管の通過するなく、顕微鏡をもってその一部を見れば、倉 質のウロを有する鮑魚は十中八、九を占むるにとどまり、あるいは全くこれを有せざるものあり。しかのみならず、殻径2寸余の大きさに達せざれば、そのウロの上に該質の生ずるなし。これ幼なる時は生殖器の露出することなきによるならん。また漁夫の説に説に、ウロは春季に小にして夏に至って追い追い大を加え、8、9月のころに至ってその極に達す。かつ始め青色なれども、日を追うて黒色を帯び、9月のころに至れば、ほとんど薄黒色に変じ、その倉窩は形円く、セルウオールは十分に熟し、細粒こまやかにして、すでに産卵に達したるもののごとし。ゆえに、ドイツ国生物学士の説および実地漁夫の経験と照合してこれを見れば、前説のあるいは真正に近きを覚ゆるなり。また採収せる鮑20個中におおよそ1個ぐらいづつは、ウロ黄赤色を帯び、これを顕微鏡下に照らし見れば、前条の倉窩なく、膠様質にて無形体なり。これ、あるいは雄ならん。かつその数20分の1におるをもって見れば、下等無脊椎動物にありては、雄は常に少しにして雌は常に多きものなればなり。
第四 発生後何ヵ年にして生殖期に達するや
この問題は至極難題なり。何となれば鮑魚の性たる、はなはだ柔弱にして、これを水桶中に養育すれば、わずかに2、3時間を経過すれば直ちに斃死す。ゆえに試みに数孔を穿てる匣内に入れ、海中に浸すといえども、2日間を経れば斃る。ゆえに、その生殖器のいかんを採らんとすれば欲すれば、多分の入費と時日とを要すべし。今ここに陳述するところはただ後学者の参考に供せんためのみ。
実地漁夫の説によれば、鮑魚は鮭魚とひとしく、3ヵ年を経て初めて生殖期に達すると、されども、これ確証なき説にして、決して信ずるに足らざるなり。また古人の口碑によれば、鮑魚1ヵ年に一孔を増すと。これ大いに信ずべきの説なり。いかんとなれば、鮑殻見本中、孔すでに成就するあり。半ば成就するあり、かつ貝類は1ヵ年ごとにその殻の一層を増すものなれば、1ヵ年に1孔を増加すとの説は、やや信ずべきに近し。しかりといえども、孔数をもってその年齢を定むるは、いまだ余のなすあたわざるところなり。何となれば、生まるるや否や、すでに幾個かの孔を有するものあればなり。
前述せしごとく、鮑魚は径2寸5分に達して初めて生殖器の現出するあり。しかして径4寸5分に達して全く熟す。されども何ヵ年にして2寸5分の径に達するやを、いまだ知るあたわず。されども海中の浅所にあるを見れば、2ヵ年より多からざるべしと思考す。よって実際規則を定むるにあたっては、径4寸5分より小なるものを捕獲するを禁ずるをもって緊要とす。その他、取り調ぶべき件あまたありといえども、一々これを陳述せず、余は後日を待って、さらに開陳すべし。
潜水器使用規律について愚意を陳ぜんとす。該器使用規則制定の件は左の四ヵ条の内にあるべし。
第一 潜水器使用を禁ずべし
第二 年々、期節を定めて使用すべし
第三 各郡に繁殖地の区域を定むべし
第四 境界を定め、各繁殖場を人民に貸与すべし
第一、潜水器を有害と見なし、これが使用を禁ずべしとは、すでに多くの賛成家ある説なれども、いまだ了解することあたわざるなり。北海道の海浜たるや、至る所岩石多く、したがって水底の景況も絶壁凹凸、あたかも、のこぎり歯状をなすもの多し。ゆえに、たとえ潜水器を使用するといえども、ことごとく海底を探ることあたわず。ゆえに該器をもって海底の鮑魚を取り尽くすは最も難かるべし。されども人あるいは言わん。千葉県下のごときは、すでに取り尽くせし例ありと。これいまだ北海の水底を知らざる人の論ならん。聞くところによれば、安房地方の海底は平坦にして、いわゆるハードパンなるものなるがゆえに捕獲しやすく、したがって取り尽くすは論を待たざるなり。わが北海道にありてはしからず。潜夫の歩行すら困難にして、あたかも絶険の山岳を越ゆるがごとし。しかのみならず岩上の小孔および巉岩(ざんがん)の間に雌伏する鮑魚は、潜夫といえども、これを捕獲するあたわざるなり。
経済上より論ずるもまたしかり。世の文明に進むに従い、新規の発明ありて、先業者を妨ぐるは、その例少なからず。欧州諸国において鉄路建築の際、馬車営業者が苦情を唱え、北英諸州の、にしん漁業者が新製蒸汽漁船使用について難を称うる等、みな同一の理なり。今、鮑突き営業者らの苦情を聞くに、もし潜水器の使用を許されなば、おのれの業を妨ぐるというにすぎずして、必竟愚昧なる嫉妬心より生ずる苦情なり。
現今、祝津村字山中において鮑突き営業者30名あり。一人一日の捕獲平均60個と見なし、総計1,080個を得べし。今30人を使役すれば4挺の器械を使用するを得べし。1挺一日の捕獲平均450個(伴直二郎氏一ヵ年水揚げ帳より取り調ぶ)と見なし、総計1, 800個すなわち30人の鮑突き営業者と同量を捕獲す。さてその難易いかんを察すれば、器械使用者の易き、もとより論を待たず。ゆえに一般の経済上より論及すれば、従来の鮑突き営業者をしてことごとく潜水器を使用せしむるを可とす。
第二、鮑魚の産卵期を定め季節中は捕魚を禁ずるは、実際不都合なくして、最も便なる法なれども、わが北海道沿岸において難なきあたわず。鮑魚産卵期はいまだ確知するあたわざれども、今日の場合においては、その季節を発見することは別段緊要にはあらざるべし。何となれば、もし漁夫の言のごとく、その産卵季は7月上旬より9月下旬までとし、その間、漁業を禁ずれば、営業者の最も緊要なる時日を奪い、ほとんど潜水器使用を禁ずるにひとし。
第二、鮑魚の産卵期を定め季節中は捕魚を禁ずるは、実際不都合なくして、最も便なる法なれども、わが北海道沿岸において難なきあたわず。鮑魚産卵期はいまだ確知するあたわざれども、今日の場合においては、その季節を発見することは別段緊要にはあらざるべし。何となれば、もし漁夫の言のごとく、その産卵季は7月上旬より9月下旬までとし、その間、漁業を禁ずれば、営業者の最も緊要なる時日を奪い、ほとんど潜水器使用を禁ずるにひとし。今参考のため、高島郡において一ヵ年、該器を使用するに適したる日数を左に揚げん。
〔略〕
ゆえに保護説第二条も、他県下においては知らず、わが北海道においては実際施行するあたわざるなり。
第三、区域を定むるに二つあり。一は水の深浅をもってし、一は各繁殖所の境界をもってす。水の深浅によって区域を定むるは、実際上施行するにははなはだ難かるべし。前述せしごとく、本道沿海の水底は凹凸定まりなく、この所に深所ありと思えば、かの所に浅所あり。ゆえに旧開拓使の規則のごとき、15ヒロ以内において鮑魚を禁ずるといえども、正直なる漁夫が該規則を遵守せんと欲せば、その不便実に察すべし。いわんや強欲無知の漁夫らが偏僻、無人の海底に漁するにおいてをや。実に規則ありて無きがごとし。ゆえに聖使徒パウロいわく「無律法罪乃死」(*)。犯しやすき律を建つるは罪を顕出するにひとし。ゆえに15ヒロ以外に鮑魚の生息するや否やはさておき、慈恵行政上より見るといえども、旧開拓使潜水器使用規則はその当を得たるものと言うべからず。
(略)
右のごとく、潜水器を所々に頒布せば、人民一般の便利となるは実に大なり。漁期に際し投ずべき水底を掃除せんと欲せばこれを雇い、また漁業中、水中にすえおきし網の修繕に用い、または新たに漁場を開かんと欲してこれが根さらいに使用し、または沿海沈没船等のあるときは、貨物を水中より揚ぐるに用いる等、実に潜水器は海浜において必要なる器械なり。すでに石狩川根さらいのごときは、その奏功最も大なり。ゆえに人民もし潜水器の使用を知らば、右等のためにこれを購求するに至らん。しかりといえども漁期に定まりあり。春季、にしん網を立つれば、秋季に至るまでは潜水器の用なし。されどもこれを使用すべき人夫は常に雇いおかざるべからず。ゆえに6、7、8、の3ヵ月間、適宜の法により鮑魚を営ましめば、一つはもって一般の公益となり、一つはもって海中得べからざるの水産物を得るに至るべし。
右、小官見込み上申仕り候間、4ヵ条中いずれを御選定に相成り候や御参考に供え候なり
明治14年(1881年)10月 内村鑑三
札幌県知事 調所広丈殿 (1881年10月 1909年1月「1909年櫟林集」)
<「櫟林集」採録時の付言>
内村生言う、文は意をなさざるところ多く、今よりこれを見て、他人の作を読むの感あり。されども余は、余の今日の事業に対して、かかる練習を経しを感謝す。書中、載するところの 鮑魚の卵子を初めて顕微鏡下に発見せし時のごとき、余は歓懐おくあたわず、感涙、滂沱として下り、直ちに祝津(しずくし)村の四方にそびゆる赤岩山の頂に登り、びょうびょうたる日本海に臨み、ひとり万物の造り主なる真の神に感謝の祈祷をささげたりき 。
日本官吏の上申書に聖使徒パウロの言を引きしがごとき、けだし歴史ありて以来この公文書を除いて他にいまだかつて無きところなるべし 。
山と海とを造りたまいし神は、この時すでに27年後の余の今日の小事業ある
を知りたまいしがごとし。
*1 「 律法なければ罪すなわち死す
」(ロマ書7.7)
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