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内村第3信
小石川上富坂町 内村鑑三ヨリ
親愛なるフランク〔宮部金吾〕
君の東京留学〔宮部は卒業と同時に、開拓使から植物学研究のため東京大学へ留学を命じられた〕に大きな可能性があるとの短いたより、うれしく読んだ。君と共に喜ぶ。神は今日までたえず僕らの生涯を導いて下さったが、今度も君に、君の志望をとげることをゆるしたもうた。僕は神に感謝した。君も感謝すべきだ。われわれの肉体と霊魂とを神のみ手にゆだねようではないか。そうすれば失敗することはないだろう。自分勝手に名や富や成功を得ようとせず、すべてをわれらの神のみ手にゆだねようではないか。「たゆまないでいると、時が来れば、刈り取るであろう」〔カラテア書6.9〕から。われわれは今日までに、すでに友人のある者が、自分自身で名誉を得ようとして大失敗したのを見て来た。「低い兄弟は、自分が高くされたことを喜びなさい。富んでいる者は、自分が低くされたことを喜ぶがよい」〔ヤコブ書1.9〕と聖ヤコブは教えている。ああ!神がかくまで豊かに君を恵みたまうとは、君にとり、君のご両親に取り、君のご家族にとり、僕にとり、また君のまことの友人一同にとり、何たる喜びであろう。君が喜ぶとき、僕は君と共によろこぶ。当然である。
しかし兄弟よ、君は喜ぶだけでなく、僕が泣く時、僕と共に泣いてくれなくてはいけない。僕の家庭の面倒は日に日に厄介なことになっていく。ああ!叔父とその子供たちとが、僕が彼らに食わせたり着せたりできるというので、辛い労働をのがれて気ままに暮らそうと、僕の狭い家に押しかけて来るのを見るのは、僕には実におそろしい光景だ。僕の出発の近づいたこと、父の事業の失敗、すでに満員の狭い家にさらに他人(病人-目下は静かにしているが-とその子供ら)が押し入って来たことなど、皆、僕の家庭をすざまじい、おそろしい、不愉快な場所にしてしまった。食事はすすまず、頭はみだれ、いやな光景をさけるため、僕はなつかしい自分のホームを出て、この雨がちの天気の中を、町をブラッキ廻らねばならない。僕はそれですむ。しかし母は、一体どうしたらその場をのがれることができるだろう。暗涙か、後悔か、黙想か。僕が、その光景をこまかにえがかないでも、たやすく想像してもらえるだろう。僕の心は北海道へとシキリに僕をかり立てる。しかし、自分の後にこんな大きな障害を残して行く事になる家の実情が、僕の平和をくらくする。
しかし僕は、喜ぶ時にも泣く時にも、同じく神にたよる。神の道はわれらの道とことなることを信じる。あふるる祝福をたもうた神は、決して、僕を孤立無援のままにすておきたまわないだろう。すべては僕のため善に向かって働くだろう。兄弟よ、僕のために祈ってくれたまえ。僕も君のために祈るから。願わくはこの試みに耐え抜き得る力を与えられ、あらゆるいざないにあう時、それをすべて大なる喜びと見なし得んことを。
君の ヨナタン・内村鑑三
二伸 出発は10月3日、九重丸の予定(*)。
*明治14年7月27日付で第二期卒業生に開拓使御用係の辞令受領届出が報告されている。内村鑑三・広井勇・太田稲造は民事局勧業係、宮部金吾は学務局督学課勤務であった。9月26日付で調所札幌書記官から宮部金吾・池田鷹次郎の東京大学駒場農学校での研究に付き照会がなされ、12月5日付けで宮部は東京大学植物学専修のため通学、池田は農務局雇兼務で駒場農学校勤務となった。内村は10月3日に東京を出発、同13日札幌に到着し、開拓使に出仕した。その旅の模様は翌14日付発信の内村第4信に詳しい。
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