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2026.07.30
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カテゴリ: 遠州報徳
福山瀧助翁 

第五章 小田原社の再興
 小田原町の報徳社は天保十四年に創立されたが、その行うところの五ヶ年賦法は町家においては、長期に過ぎたためか、嘉永元年にはもはや著しく衰退し、二宮先生よりの善種金も次第に減って社員も数少なくなったので、翁はけつぜんこれを挽回しようと図り、収支を明らかにしたところ、余すところ僅かに八百四十文であった。
 翁兄久蔵、小田原町の留次郎、酒匂村の新兵衛、川村の覚門と計り、まず五ヶ年賦法を短縮して、十八ヶ月賦法に定め八百四十文を基にして小田原の社再興に粉骨尽力したところ、始めは社員も前記の五人だけであったが、先生を中心とする燃えるがごとき努力に小田原社は次第に興隆し、これを見て入社する者も多くなった。後に先生の遠江国、遠譲社創立するに当り小田原社では、百二十円を貸与し、うち二十円は無利息据置とし、他の社の創立を援助指導するような立派な社となった。翁は遠江、三河の両国に仕法に赴いて後も、春秋二回は必ず帰省し、小田原の社の帳面を見て指導するのを例としていた。自らは小田原町報徳年寄り(遠譲社の文書には重世話人と見える)という役につき、養嗣多喜蔵は社長を永く勤めていた。
 こうした翁の一身を捨てての努力は小田原町報徳社の興隆を来らしめたのである。この報徳社に加入し報徳の仕法をよく守って経営した店はぐんぐん栄え、添田呉服店、江島茶紙問屋等の現在小田原市内の大きな店舗はほとんど全部といえる程、報徳仕法によって地歩を築き上げたのであって、その今あるは全て翁の報徳社再興の賜物であり、翁の力の致すところであるといわなければならない。





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最終更新日  2026.07.30 04:00:05


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