2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全3件 (3件中 1-3件目)
1

1日に一体どれだけの水を使っているのだろうか。朝起きて顔を洗い歯を磨きトイレで水を流す。米を洗い、野菜を洗い、鍋に水を入れて沸かす。食器を洗い、布巾を洗い、衣類を洗い、湯船に浸かり、身体を洗う。日に何度かコーヒーを飲む。先日森の中で行ったキャンプでは、水道を使わず予め汲んでおいた水60リットルで27人が24時間生活した。食事は2回。2回とも飯盒で飯を炊く。洗米は節水の為おのずと1、2回となった。1回目のメニューはカレーライスとニジマスの塩焼き、野菜。カレーは大鍋で作った。釣った鱒は串刺しにして焚き火の周りにさして焼いた。畑でとったばかりの野菜は水を張ったバケツでさっと洗って丸ごとかぶりついた。2回目の食事はそれぞれが炊いたご飯に残ったカレー、焚き火の灰の中で蒸し焼きにしたトウモロコシ、食事係りが作ったベーコンエッグと野菜サラダだ。使った食器は水道水では洗わない。学年主任のE先生からは、食べ残しのない器を灰で汚れを落とし、沢ですすぐようアドバイスがあった。生徒たちを見ると、そのままにしている者、禅寺のように少量の水を入れ器をすすぎ飲む者、トイレットペーパーでふき取る者・・・。それぞれが水を使わない工夫をしていた。手洗いなどはバケツに汲んだ川の水だ。少ない調理器具を使いまわし、串焼きや灰で蒸し焼きなど全く器具を使わない方法で汚れ物は減る。使った食器の始末を楽にするには食べ残してはダメだ。結果残飯はゼロであった。ごみはプラスチック系のものが買物袋に一つ程度の量。さて水であるが、20リットルが残った。27人で40リットル。無洗米を利用すればさらに使用量は減る。さして不都合なこともなかったように思う。無駄にしない工夫をする生活は気持ちがよかったのではないだろうか。またこのような生活は災害時にライフラインが止まった時に生かされると思う。
Aug 30, 2004
コメント(0)
自然学校ねぎぼうずが主な活動の場として使っている森林は、妙高高原町杉野澤にあり主要地方道に挟まれた約10万坪の里山である。里山といっても、ガスの普及により薪炭が不要になってからは、積極的な利用もなく放置されていた。80年代初頭、この里山を開発してテーマパークを作るという計画が持ち上がった。その為に複数の個人所有であった土地を、東京の開発会社が買い占めることになった。しかし計画は実行されず、所有者は東京の会社と言うことでますます放置の度合いが進む。おそらく人の手が入らなくなって三十年から四十年は経っているだろう。自然体験活動の固定した場所を探していた我々は所有者に借用をお願いした。森の中で子どもの笑い声が響き渡れば森も活かされるであろうというご理解を戴き、整備をするという条件で無償で借り受ける運びとなった。昨年五月に整備を開始する。放置された森林の無残な姿と言うものを、私は初めて目の当たりにした。一抱えもある太さの藤蔓が巻き付き、桜の木を引き倒している。雪の重みで倒れた樹木。それが寄りかかり不自然に湾曲しているもの、立ち枯れているもの、全体的に樹高は高く枝が横に広がっていない。足元は藪また藪。里山の名残である炭焼き窯が半ば崩れて残っていた。現在まで全体の約七分の一を切り拓き、約千百人の子どもたちが訪れている。間伐しその材を利用する活動、草や蔓を利用した手工芸、森の中の音に耳を澄まし自然物で音を奏でる活動、ツリーハウスでのキャンプ、雪で覆われた森の中での歩くスキーなど四季を通じた体験活動を森の中で展開している。自然体験活動が子どもの情操を育み、生きる力をつけると言われるが、森の中で目を輝かせる子どもを見るとまさにその通りと思う。1本の蔓が子どもの心を捉え、火をおこすという単純な作業の中に生きていく知恵が隠れている。切り拓かれた森はかつての里山だった頃の様相を取り戻しつつある。山からの恵みを戴き続けることを考えながらの利用は、森と人とを豊かにしてくれる。そこにある古の智慧、その途切れていた糸を繋いでいくことが、昨今盛んに提唱されているスローライフや持続可能な社会への糸口となるように思えてならない。
Aug 11, 2004
コメント(0)
私は町育ちなので欲しい物、必要なものは近くの店で買うものと思っていた。家に畑や田んぼがあるわけでなし、ましてや山など所有するような財産家に生まれたわけではないので、専らの消費者である。森の整備をはじめて2年。はじめは緑豊かな癒される森、という目でしか見られなかった。町の人の視点である。この地で知り合った地元の年上の方たち、毎日里山の中で働く人たち、このような人から聞いた話し、教わった事から次第に「森」は「里山」と変貌していった。森と里山の違いは何か。森は字のごとく樹木のたくさんある場所。里山は人の暮らしに密着した利用をする場所。山菜を採り、薬草を採り、燃料を取る場所。継続的に利用できるよう、手を入れ手間をかける。里山が暮らしに近い人と歩くと、視点が違うことに気が付く。これは何に利用できる、これから何が採れる。ただの草が、ただの木肌が別の意味になる。智慧と身体で覚えた技が里山をコンビニに変える。どちらもまだない私は、まだ里山に選ばれた人ではない。途切れかけた智慧の糸を繋ぐこと。これがこれからしていきたいこと。
Aug 9, 2004
コメント(4)
全3件 (3件中 1-3件目)
1