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木枠に区切られた12枚の窓ガラス、それが外の景色を切り取り風景写真のようだ。上のガラスにはツララ。遠くの森。たっぷりと雪の積もった樹木は何故だか暖かに見える。一羽の鳥が木々を飛び交っている。事務所前にあるアイビーの絡まった楢の木。緑の葉と吹き付けた雪の白、木肌の薄茶に見入る。部屋の中は暖まり、その熱で屋根の雪がどさりどさりと落ちていく。落ちた時に舞う雪煙。「寒くなったらシューベルトの冬の旅を歌いたくなる」そう話す知人の言葉が気になり、今、雪景色を暖かな部屋から眺めながらフィッシャー・ディースカウの歌う「冬の旅」を聴いている。リブランの森で音楽祭をしようと、先日集まった人たちで話をした。先の知人が芽吹きの頃にはシューマン、トスティ、ベートーヴェンがいいと推薦をしてくれた。そのCDが届く。森のことを、そこで聞く音楽のことを思う年末の一日。外は静寂。バリトンの声響く杣小屋であります。ディースカウ/シューベルト:名歌曲集
Dec 28, 2004
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朝、やけに外が静かでほのかに明るい。部屋の温度もさほど下がっていない。こういう日は要注意なのだ。のんびりと茶など飲んでいる場合じゃないのだ。やはり。外に停めてある車はすっぽりと雪に包まれている。でも、大仕事ではない。ブラシで屋根に積もった雪をはね、窓についた雪を払う。エンジンを温めて、と。公道までのわずかな距離は、そのままバックで出られるだろう。雪をどけなくても大丈夫と踏んだ。しかし一回エンストする。恥少々遅刻気味。のんびりしすぎた。携帯がなる。同僚から。「○○の前の道、まだ除雪してないから通ってこない方がいいよ。スキー場まわりだね。」○○の前を通っていく道が通勤路なのだ。傾斜がきつくなくて、雪道でも多少安心して運転が出来るから。でも,除雪してないのでは途中で立ち往生してしまうかもしれない。こういう情報は本当にありがたい。スキーのお客様には恵みの雪だ。地元にとってもそうだ。スキーのいでたちをした女性二人が、事務所の前の道に佇み「わー、真っ白・・・。きれい・・。」と景色を眺めていらした。ほんと、きれいだ。午後に山を降りるちょっとした個人的な用事があるのだが、雪の状態では取りやめにするかもしれない。帰ってこれなくなると嫌ですから。ただ、こんな風に雪で予定を変更するのは、私くらいです。4輪駆動ではなく、運転に不慣れ、知恵もない、力もない、心配性ゆえ。こういう人は人に迷惑をかけないよう、静かにしているに限る。さて、今日はどれだけ積もるだろうか。(午前10時)
Dec 26, 2004
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12月22日。この日のことはどうしても記しておかなければならない。私の記憶とかそういった中に。リブランの森を貸して頂いているSさんと、11月18日に出会ったMさん、このお二人のネットワークで文字通り超多忙な方々が東京から遠路はるばる雪の中来て下さった。恐らく相当な無理をされて、時間をひねり出して下さったのではないかと思う。Hさんは会社を休まれたと伺っているし。この日は都合がつかないが、翌朝早くに車を飛ばして森まで来て下さるという方もいらした。それぞれの方の肩書きには「長」とか「代表」などが付く。あるいはたくさんの人に支持をされ選ばれた人である。まず私などが出会えない方たちであることは間違いがない。しかし縁というかタイミングというか、そういう「時」というのがきっとあって、私はくらくらしながらも皆さんと同じ席で数時間を過ごした。けして堅苦しくて緊張しすぎたとか、偉い人ばかりでお話を聞くだけだったとかそういうことではない。和やかな席であったし、私が皆さんの前でお話する時間もあったし、楽しく語らう場面もあった。勿論気を使って頂いていたのもわかっている。けれども私には相当に心地のいい、それは寛ぐとかそういう意味の心地よさではなく、身体の中からエネルギーが沸き立ってくるが疲れを感じない、そんな種類の心地のよさであった。リーダーとはこういう人たちなのだろう。自ら光を放つ人。そこに人が集まり、情報が集まり、新たな仕事が生まれる。それぞれが強い光を放っているのに、邪魔をしあうことがない。見事に融合し、さらに太くて強い光の束になっている印象を持った。当然だが利己的ではなく、見つめる方向はずっと先の方で、広い範囲に利益がもたらされるようにと動く。そして自ら先頭にたって動かれる。明確な指針があるので周りの者も協力がしやすい。やる気のある者にはチャンスを与える。ほんの数時間でわかったようなことは勿論いえないが、様々な業種であるが共通する姿勢というものがこの方たちにはあると感じた。ひとり23歳の若者がいた。夢を持ち、それに向けてしっかりと前に進んでいる方だった。物怖じせずに自らの夢を語る姿はやはり眩しく、彼なら実現させるだろうと皆に思わせるものを持っていた。++今思い出したことだが、皆さんとても暖かい手をしていらした。ほぼ一日冬の野外で過ごした後で交わした握手。その暖かさに驚いたのだった。+++今年を振り返ると、私の人生に(仕事に限定せず、こう言いたい)少なくない影響を与えてくださる人たちに出会えた年であったということが出来る。同時に行くべき方向が定まり、腹をくくった年でもあった。かつてないピンチ、トラブルもあった。一生懸命に考え最善と思えることをしたが、果たしてそれがよかったのかの判断はもっと先になるだろう。しかし逃げなかった。それだけは言える。私も光を放つ者になりたい。早いがこれからの抱負と言う事にしたい。
Dec 25, 2004
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除雪車の音で目が覚めた。30センチほどの積雪。そして空が明るい。今日からスキー場のリフトも動き出した。リブランの森も一面の銀世界だ。キツネの足跡がくっきりとついている。ほんの少し前までここにいたのだろう。雪球を握ろうにもさらさらと手から零れ落ちていく。それでも子どもたちは、久しぶりの雪に大喜びで雪を投げあう。昔子どもだった男たちは、立ち木を揺らして枝に積もった雪を降らすいたずらに興じている。先日立てた櫓にも雪が積もっている。けれども子どもと昔子どもだった男たちは何度も登っては雪の上に飛び降りる。カラマツのベンチに積もった雪に顔を埋めてみたり、顔型を取ったりするのは昔の子どもたち。焚き火がはぜ、肉の焼けるいい匂いがしてきた。30人近い腹をすかせた子どもと元子どもたちは、命に感謝を捧げながらおいしく戴いた。晴れた冬の日。澄んだ空気と雪の輝き。私が最も好きな天気の日に、大切なお客様をお迎えすることが出来た。そのことが何よりも嬉しい。
Dec 23, 2004
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雪になった。けれども積もるほどの勢いではない。地面に届くと消えてしまう。からだが冬仕様になったためかどうかわからないが、毎日暖かいと感じる。今朝など暖房をつけずに身支度をした。おそらく室温10度くらいあったのではないか。今日は冬至。昼が最も短く寒気も厳しさを増すころのはずなのだが・・・。++ほぼ一日山を降りての仕事。小雨がちらつく山麓も夕方からは冷え込み、頭が痛くなるほどになった。案の定山へ戻ると雪。時間と共に降る量が増えているように見える。事務所前の道路はすっかり雪で覆われた。7時半現在で積雪5センチほどか。こういう日に限って早く帰れない。ひどいことにならないうちに車を出したいのだが。
Dec 21, 2004
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19日で福田さんの森の教室が終了しました。子どもの心に森が沁みこむように。そんな思いを込めて毎回森に集ったわけですが、思った以上の成果があったと感じています。具体的に数値に出したりすることは難しいですが、子ども達が森の一部になっているように遊んでいること、その時の表情がそれを表していると思います。最終日は三つ又のやぐらを作り、ジャングルジムのようにして遊びました。材料は森で間伐した杉の木と縄だけです。子ども達も手伝って2時間くらいで出来てしまいました。頂上には枝を組んで座れるようにしてあります。高さ3Mほど。今まで高いところを怖がって絶対に木登りをしなかった男子たちも、全員そこからの眺めを楽しみ、誇らしい気持ちだったのでしょう、何度も写真撮影をねだられました。今日はおとなたちも子どもにかえったようでした。私は久しぶりに子どもとかけっこの競争をしました。全ての競争に勝ち、まだまだいけると一人ほくそえみました。相手は1年生と5年生ですが。目的もなく蔓をなっていたら、綱引きになり、おとな一人と子ども4人の勝負になりました。私は負け。福田さんも負け。村田さんは本領発揮して子ども達を負かしました。その姿にモンゴルの力士をなぜだか思い浮かべてしまいました。毎回一緒に汁物を作って食べるので火を焚きます。子ども達も自主的に火を焚いていましたが、さすがに湿気ていて今日はうまくいきませんでした。けれども、こうやって毎週日曜日に火を焚いていたらきっと上手になります。そして毎週焚き火を囲む時間があるなんて、とても素敵なことです。私は火おこしが全く下手で、煙ばかりだすのですが、燻されながらもしみじみといい休日だなぁと思っていました。子ども達の心には森が沁みこみ、私のからだには焚き火の匂いが沁み込んだ森の教室でした。
Dec 19, 2004
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「音を探しに行こう」のプログラムをお願いしている、うえむらさんの音楽グループのライブがあったので聞きに行ってきた。うえむらさんが経営しているライブハウスで毎月何かしらの催しがあるのだが、12月は毎年彼のグループが出演する。昨年は予約したものの、夕方から50~60センチの積雪になりとても家を離れるというわけには行かず断念したのを思い出した。今年は季節を間違えそうなほど暖かである。今日は4人の編成でボンボという太鼓、ケーナ、チャランゴ、ギターが基本。南米の民族音楽だ。ほとんどが彼らのオリジナル曲であった。どちらかというと、暗めの曲が多かった。南米の太陽や祭りを感じるような明るさは全くない。静かに目を閉じて聞き入るような曲。歌詞はないのに何故だか涙がこぼれてしまうような曲調。途中のMCでうえむらさんが話したこと。日本人である自分たちが南米の音楽をやることについて考えている。昔はポンチョなど南米の衣装を着て演奏をしていたが、最近は私服ですることが多くなった。非常に失礼な例えかもしれないが、中学生くらいの演奏も未熟な南米の人がこのステージで演奏したら、きっと自分たち以上の熱いものを伝えることだろう。それはきっと血だと思う。それは真似はできない。日本人である自分たちが演奏をすると、やはり演歌調になってしまうのかもしれない。暗めの曲が好みなのもそのせいかもしれない。これからも私服で演奏するフォルクローレをやっていく。演歌のようなフォルクローレは私の心を揺さぶってくれた。
Dec 18, 2004
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なかなか雪になりませんが、冬の森の教室は「ジュニア・バックカントリースキー教室」を予定しています。地元の子ども達は冬になると自動的に「アルペンスキー部」「クロスカントリースキー部」「ジャンプ部」に分かれて専門の先生について練習します。こういう体制なので国体選手やオリンピック選手がたくさん育っています。蛇足ですが中学校にはプールはありませんが、ジャンプ台(3億円也)があります。 「ジュニア・バックカントリースキー教室」のフィールドは森、田んぼ、向こうに見える小高い丘、その先の知らない場所です。雪があるから行ける場所、スキーを履くから行ける場所があります。そういうところに行ってみます。スキーの技術も必要なのでゲレンデでの練習もあります。けれど物凄くうまくなる必要はありません。それよりも森を歩いて動物の足跡を発見することや、知らない場所まで地図やコンパスを使って行ってみる冒険心を大切にしたいのです。今まで知らなかったスキーの楽しみ方だと思います。
Dec 12, 2004
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わが社は新聞を購読していない。情報掲載していただいたり、取材してくださる新聞社の方には申し訳なく思っているのだが、インターネットで一般紙と地方紙に目を通すだけ。ただ1年前から個人的に購読しているものがある。日経MJ。インターネットでは読めないからだ。週3回の発行だがなかなかゆっくり新聞を読む時間がなく、かなりたまっている。久しぶりに最新号を斜め読みしていていい言葉に出会った。「昨日に属さず、他人に属さず、人は自分自身の光となるべきだ」12月8日版の18面にある小澤征良さんのコラムにあったもの。他の人が引用したこの言葉が気に入ったとある。彼女がこの言葉から感じたこととは違うが、私もかなり気に入った。ほんのちょっとした過去の栄光とか成功体験にすがって、以前のやり方を変えずに同様の成功を願ったりすること。大きな組織や権威の力を自分の力と勘違いすること。あるいは自分の言葉をあえて発しないこと。陥りがちなこのような習慣や癖を戒めてくれる。自分自身の光であることは、時に孤独でもある。けれどこのようにありたいと、強く思うのだ。++本日あちこちから注文していた本が一斉に届く。ついつい読んでしまうではないか・・。いかん、餅つきの準備だ。森林を生かした野外教育 飯田稔著 (林業改良普及協会)自然のおしえ 自然の癒し ジェームズ・スワン著(日本教文社)レイモンド・カーヴァー傑作選 (中央公論社)物は言いよう 斎藤美奈子著 (平凡社)
Dec 11, 2004
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またしても休みが取れない状況になってきている。気分転換に冬の計画を立ててみる。昨シーズンはゲレンデ練習もほとんど行かず、ツアーも仕事のみだった。やっぱりこんないい場所にいるんだし、素晴らしい師匠がいるんだから出かけないのは勿体無い。毎週とまではいかなくても、天気がよければ山へ行くという贅沢をしたい。とはいっても下手なのでつい尻込みしてしまうところもある。練習しないからオフピステ恐怖症は治らない。毎日一本滑るか・・。一昨年もこの目標を立てたが実現できず。いや、今年は滑ろう。今のうちにある程度の技術が身につけば、生涯楽しめる趣味になるかもしれない。道具はどうしようか。プラブーツ優勢の中、まだ革に細板だ。別に哲学とかあるわけではない。道具を変えて技術がカバーできるなら、それもいいではないか。10年かけて習得できるものが、3年でできるとしたら後者を選ぶだろう、年齢を考えれば。もう少し悩もう。とにかく雪が降ってリフトが動き始めたら行こう。1本を大事に滑る。その積み重ね。そして春には十国へ行こう。さて、仕事だ。
Dec 10, 2004
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「覚えることは荷物にならないから」1年前に押しかけ弟子入りさせていただいている、師匠73歳のお言葉。民俗資料館などで見たことがある人もいるでしょう。わらで編んだ長靴。あれを自分で編み、雪の上を歩きたいと思って人づてに師匠を紹介してもらって押しかけたのだ。師匠からは長靴が編めるまでには3年から5年かかると言われた。まず基礎から。ということでわら草履をいくつか作り、その後スリッパ型の履物を作る。現在そこで止まっている。師匠と一緒にいるときは編めるのに、帰ってひとりで取り組むと全く忘れている。もともと物覚えがよくないのに加え、不器用でもあるのだ。独学体制を整えるべくビデオで師匠の手元を撮影させていただく。それで安心したのか、最近すっかり練習しなくなっていた。いけない。もうそろそろ、わら細工の季節だ。師匠に呆れられないように修行に励まなければ。
Dec 7, 2004
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子どもの頃、暮れになると新しい年のために色々な準備をした。そのひとつに餅の準備があった。町場であったのと杵と臼がなかったのとで、のし餅を他所に頼んでいた。それを切り餅にするのは母の仕事だった。茶の間の隅に広げて乾かした餅を包丁で切っていく様を今でも思い出す。杵でついた餅は味が違うらしい。つく人によっても餅の味が変わると言う。一見単純に見える作業の中にある様々な塩梅と、熟練の手際を米を蒸す所から見て真似をしていこうと思う。12日は長年あいどりをし、現在もフクダさんと組む92歳のおばちゃんと餅をつきます。少し早いですが鏡餅とのし餅を作る予定です。
Dec 5, 2004
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東京出張。今回はNPO法人化への打ち合わせと、日本野外教育学会主催のシンポジウム出席のためだった。最近東京へ来る度に大きな刺激を受ける。特に相談に乗っていただいているMさんの行動力はすごい。Mさんだけにお会いするつもりでいたのに、一体何人の方に引き合わせていただいただろうか。持っていった名刺が残り少なくなっていた。お会いしたどなたもが、エネルギッシュで密度の濃い時間を送られている印象を持った。そして何かを生み出し、発信していた。そういう方たちと短い時間でもお話をすると、何か化学反応のようなことがおきる。私の中に新しいものが育ち始める。それがとても心地よい。++シンポジウムは森林と子どもを結ぶ体験活動がテーマで、林学の専門家、研究者、教育者が主な出席者であった。筑波大学の飯田稔先生の基調講演は、ご自身が20数年取り組まれている森林でのキャンプ活動からの報告であったが、私たちが今目指している方向が間違っていないということを確認できるものだった。分科会は4つあったのだが森林教育・研究の分科会に出席をした。都立農林高等学校林業科の井上先生の報告で印象的であったことは、山仕事が生徒の生きる意欲と生きる力をつけているということ。そう語る先生の表情は確かな実践を積み重ねていらっしゃる自信に満ちていた。鹿児島大学の福満先生は大学演習林で実践されている体験活動の報告。森林総合研究所の田淵さんは研究者が「森林教育」にどのように寄与すべきかという悩みを細かに報告されたが、この報告が分科会のテーマを総括する内容であったと思う。翌日はパネルディスカッションという形で4つの分科会の内容をシェアし、発展した議論をする場であった。林学を専門に修めた大学の先生たちのお話はどれも興味深かったが、特に東京農業大学の関岡先生の言葉が印象に残っている。教育する人をどのように育てていくかというトピックであった。「普通の人が、普通の努力で、普通の指導者になれる」研修システムが必要ということ。そして「教育」という人の成長の一翼を担っているのだという自覚。これは森林教育だけに留まらず、裾野を広げていきたいと考える分野には共通するものだ。ちょうど今スキーガイドのシステム構築に取り組み始めているのだが、その研修のあり方やテキストの内容を検討していく上で、大事なスタンスだと思った。つい専門的過ぎるものを盛り込みがちだが、この点をこころして取り組みたいと思った。またこの先生から「農の営み」ということが語られた。生き物を人間の為に育て、殺し、人を生かす営み。これは「農業」とは違うということ。今回のテーマである林の営みも農の営みであるということ。この営みを経験する機会を子どもにプレゼントすることが大切ではないかという話はとても響いた。報告がてら福田さんと話したこと。照葉樹の森と焼畑の関連、現在の一般の人が持つ森林イメージと合致せず生じている問題点等について。
Dec 4, 2004
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通信手段のほとんどが電子メールになって久しい。海外であろうが時間を気にせずに送信でき、特に仕事においては大変に便利な道具だと思っている。もうこれなしでは生きていけないのではないかと、大げさであるが思う時がある。お葉書をいただいた。薄墨で書かれた言葉が印象に残る。「雨のみちをデザインする」東京で家づくりに関係のある会社を経営する方である。その会社の今年の使命がこの言葉であるという。人と地域と自然との関わりを重視して、四季の移ろいを感じる暮らし方の提案をしていきたいとその思いをご自身の言葉で綴られている。美しい表現だと思った。忙しいお仕事の合間に葉書を取り出して、知り合った人宛に葉書を書かれるのだそうだ。今回再会した折にそのように伺った。そして、同じ言葉が小さくプリントされた生成りの布バッグをいただく。葉書もこのバッグも社長自らがデザインをして個人的に作ったのだそうだ。真似をしたいと思った。メールではなく葉書を出すという時間を持つことを。自分の使命を表明することを。
Dec 3, 2004
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風邪気味のフクダさんから電話が来た。一昨昨日から連絡をとりたかったのに全く電話が通じず往生していたので、助かった。いや、助かった以上の嬉しい連絡だった。鹿が獲れた。思わずあの美味しさが蘇る。しかし鹿肉を囲んでの宴はまだ先。今月半ばに初めて森を訪れるお客様のためのご馳走なのだ。さて、今回はどんな調理をしようか。そういえば去年もこの時期だった。あの時は雪が1mほど積もっていた。その上で猟師と一緒に解体し、串に刺して火で炙って食べた。ヒレの部分は生で食べた。とろけるようだった。中型の鹿一頭で80人が肉を味わうことができた。今回はどのくらいの大きさなのだろう。今晩届く。**中学生が鹿を解体して食べた。そういうと、反応は二つ。いい体験ができて羨ましい、自分達もやってみたい。というのと、残酷だ。過激だ。子どもは嫌がらなかったのか。というもの。子どもは嫌がらなかったのか。この問に答えれば、嫌がらなかった。こんなに美味しい肉はないと、むしゃむしゃと食べていた。勿論この中学生はそれまでに鶏を捌いたり(死んでいる鶏)、豚の内臓を使って理科の授業をしたりと言う積み重ねがある。そして一緒にいる大人(学校の先生達)がこうした経験を大切に思っている。普段口に入る食べ物がどのような流通でくるのかという事、生き物の命をもらって私たちの命をつないでいる事。これを伝えないといけないという使命感のようなものが大人側にある。この秋はやはりフクダさんの計らいでウサギを食べることができた。内臓を取り出すことは気持ちが悪い、皮をはぐことはかわいそうだ。そんなことを口にしていた中学生も、寒さで凍えたからだにウサギ汁を入れたときの暖かさと野生の肉の味に黙ってしまった。つべこべ言わずにまずは食ってみろ。かわいそうなら豚も牛も鶏も魚も食うな。そんな師匠の声が聞こえてきそうだ。
Dec 2, 2004
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来客がある時はなぜか重なる。朝、地域振興局のJさんが「林業新潟10月号」に掲載された拙文の原稿料をわざわざ持ってきてくださったのに、不在であった。申し訳なく思っている。そういえばJさんとは夏以来お会いしていない。楢の木について枯らしてしまう虫の問題はかなり深刻になってきているが、上越管内ではどのような対策を講じているのか。そんなことを伺いたかった。スキーのインストラクターのOさんが久しぶりにいらっしゃった。話題は専ら中越地震のこと。出身地が同じなのだ。Oさんの地区ではライフラインの寸断があり、特に水でご不便をされたとのこと。普段いかに無駄使いをしているかを実感した今回であったという。興味深かったのは、給水車でもらった水のほとんどがトイレに使われたということ。勿体無い話であるが、水なしでは機能しない所にまで来ているともいえる。地震以降、雨水の利用を生活に取り入れているとか。私も雨どいから水を集め、庭の散水や汚れ物の洗濯に利用をしていた。キャンプや山小屋生活を経験すると水の大切さが身にしみるものだが、これを日常でも続けるには大きな意志がいる。 Oさんと入れ替わるようにSさんとNさんが。そのすぐ後にTさんがいらっしゃる。Tさんには電話して伺いたかったことがあったのでちょうどよかった。これで問題が2つ解決。というわけで来訪者から様々な情報と刺激をいただいた。報告書作成は今晩に。締め切りは守る。
Dec 1, 2004
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