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雪になった。このところ異常とも思える暖かさだったため、近所の人との世間話は専ら雪の心配だった。「今年はどうだろうか。こんなおかしな気象の時ほど、どか雪かもしれないね。」標高700Mで11月30日の初雪、例年に比べ少しだけ遅いだろうか。枯れた草の上にうっすらと積もった雪。まだスノータイヤに履き替えていない。今週末の出張から帰ってきてからと思っていたが、出かける前に換えておいたほうがよさそうだ。駅の方まで用があって山を降りた。すれ違う車が振り返ってボンネットに積もった雪を見ていた。そこから事務所のある山の方を見上げれば、ガスに覆われている。生活するには雪が少ない方がいい。降り始めると一晩で50センチと言うことはざらで、1メートルも降られるとさすがにおちおちと寝ていられない。公道の雪をかく除雪車が出動するのは積雪量が16センチになったときであっただろうか。たいていは明け方に除雪をしている。作業の音とオレンジ色の回転灯が戸外から部屋に入り込む。時計を見て、その時間でその日の雪の状態を予測したりする。公道と屋敷の前には雪の土手ができている。これを取り除かなければ車を出すことはできない。除雪車の音がひっきりなしに聞こえてくる夜は、翌朝への覚悟を決める。膝上までの長靴をはいて、スノーダンプという雪かきの道具を使って自分の車を出せるようにするのだ。玄関から車の扉まで道をつけ、扉を開けられるように雪をのける。エンジンはかかるだろうか。スタックしないで出られるだろうか。会社までの山道はどうだろう、チェーンが必要だろうか。毎年のことながら私には車を出すまでの作業が正直いって苦痛だ。そんな季節がまた始まった。
Nov 30, 2004
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秋の森の教室が終了した。地域の子供たちを見ていて私はとても明るい気持ちになっている。10月から始めてまだ4回。しかし確実に森が沁みこんでいるのがわかる。森に入ると子供たちは駆け出す。積もった落ち葉を蹴散らして、犬と一緒に走る、走る。先にきている福田さんが焚く煙が見えると、叫ぶ。「おはようー」。「今日は何をするの?」という質問から「今日は何をしようか」あるいは「まず木登り-」という言い方に変わってきている。もう私たち大人は片隅で茶でもすすっていればよい感じだ。時々手助けするだけ。先回帰り際泣いていたAちゃんは風邪なのにやってきて、年下のニューカマーの世話をしてくれた。蔓のハンモックは彼女達が占領。男の子に漕がせている。木の間にできた隙間を二人の基地にして遊ぶ。少し年の離れたHちゃんは、ひとりもくもくと弓矢の練習。真っ赤な葉が的だ。やはり男の子がテニスのボールボーイよろしく放たれた矢を拾いに行く。おもしろい。女子が元気だ。えっ、私の影響かって?そんなことはありません。
Nov 23, 2004
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もしかすると私の想像以上に子供たちは生活体験が乏しいのかもしれない。そんなことを思った。今年ご利用いただいた学校へご挨拶に伺った。自然体験をメインとした学校主催の旅行。引率の先生と旅行委員の生徒さんも同席した。ねぎぼうずの特色である森を活用したプログラムや、冒険的なトレッキング、カントリーウォークも体験していただいたのだが、旅行の中にはねぎぼうずでなくてもできる活動もあった。そば打ちや釣堀でのニジマス釣り、稲刈りなどだ。また、民宿へ10人以下の少人数で分宿し、食事つくりなどの手伝いもしてもらったのだが、こういったことが実際やってみてどうであったのか、ぜひとも聞いておきたかった。正直に言えば、釣堀での釣りなどはつまらなかったのではないかと思っていた。引率の先生ともこのあたりのことをお話していた。もっと本格的なことをしたいですねと。禁漁期であったためやむなく施設内での釣りであったのだ。旅行委員の生徒さんは礼儀正しいので、クレームめいたことは一切言わない。質問の角度を変えながら聞いていくとどうも楽しかったようなのである。本で読んで知っていた釣りの知識を試したら、そのとおりになったので嬉しかった。魚を初めて触った。魚のハラを出すことは勿論初めてだった。そばを自分で打つことは初めて、それを食べるのも初めてでおいしかった。民宿の人と話しながら食事つくりの手伝いをしたのが楽しかった。宿の人がいい人だった。普段は家で手伝いなどしたことがない。土に触ることがほとんどないから、畑での大根とりは新鮮だった。自然の中で癒されました。少しショックであった。これほどまでに都会の子供たち(この学校は男子生徒だけだった)は、「生活」から離れているのかと。食べ物が自分の口に入るまでのプロセス、最終段階の台所での作業ですら知らないことが多いのである。夏、キャンプをした中学男子生徒も、かぼちゃを包丁で切ることが生まれて初めてだと話していたっけ。旅行を楽しんでいただけて本当に嬉しいのだが、子供たちの世界の単一さに少し眩暈がしてしまった。あなたは、あなたのうちのお子さんはいかがでしょうか。
Nov 19, 2004
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2週間ぶりに訪れた森はすっかり葉が落ち、広々と空が広がっていた。歩くと枯葉の乾いた音がする。靴の甲が隠れるくらい積もっている。冬の匂いがする。今年初めて買ってみた旧暦のカレンダーも最後の一枚となった。今日は旧暦では十月三日ひのととり。「二十四節気の立冬(11/7)から小雪(11/22)に位置し、日暮れも早く冬がすぐそこまで来ている」とある。今朝妙高山には雪がついていた。道理で昨夜寒かったわけだ。地震で避難して来ている猫達が夜中に出入りする度に扉を開けるのだが、頭が痛くなるくらいに冷えていた。今も頭の隅が少々痛むのは寒さのせいなのか、それとも猫同居に伴う睡眠不足のせいなのか。考えてみれば、中越地震が起こってから熟睡できた日というものがない。発生から数日は実家が心配で眠れず、実家に帰った時は余震とヘリコプターの騒音で、妙高に一家を避難させてからは猫の夜間徘徊で眠れない。不眠の原因が猫であれば幸せと思わなければならないだろう。これからの寒さを思うと、被災された方たちの健康管理が心配だ。数日でもいいから温泉に浸かってからだをほぐしていただきたい。妙高高原町では無料で被災者の宿泊を受け入れている。
Nov 14, 2004
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「森の教室に」初回から続けてきている子ども達に新たに5年生が一人加わった。身のこなしが鮮やかな女の子で木登りに熱中していた。2年生の女の子Aちゃんも木登りが得意。二人で競うように登る。きこりの福田さんが作業に使うロープと30センチほどの棒の道具を使って、枝のない垂直な木を3mほど登ったり、風雪でかしいでいる木を素手で登る。まだ骨組みだけの小屋の屋根部分を歩いたりもする。まるで猿か猫のような身のこなしだ。表面が滑りやすい「ミズキ」に5年生のHちゃんが登った。そして山葡萄の蔓で作ったハンモックで遊んでいたAちゃんに、登ってごらんと声をかけた。Aちゃんならできるから、というような雰囲気で。すぐにAちゃんは挑戦する。最初はスニーカーをはいたままで。次ははだしになって。両足裏を使ってきちんと登るが、滑りやすいのと途中のこぶが邪魔をする。何度も挑戦するがうまくいかず、幹にしがみついたまま長い時間とまっている。降りるのは悔しいのだろう。それにしても、ものすごい筋持久力だ。そして黙って自分の心と向きあっているのであろう硬い表情。それに大人たちは感心する。感心しながらも、降りてきたって恥かしい事ではないんだよという雰囲気を作ろうとしている。結局大人にすこし手伝ってもらって登りきったのだが、彼女としては不満であったようだ。彼女が手助けを求めたわけではなかったし。1日の終わり、迎えにきたお母さんに抱きついて静かに泣いていた。いつもは満面の笑みのAちゃんが、手も振らずに帰っていった。
Nov 13, 2004
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糸魚川市にある海谷(うみたに)渓谷へ行ってきた。私がこの場所を知ったのは2年前。白馬から日本海までの縦走キャンプのサポートをしている時に、キャンプリーダーをしていた花谷さんから聞いたのだ。アンデスから帰ったばかりの登山家が絶賛する場所、山の中なのに海谷という名称の奇妙さ、地図上にぽつんとある集落のこと。興味をそそられた。駐車場から海谷高地まで片道70分とある。途中大きな岩の間を縫ったり、渓流を渡る箇所がある。アルミのはしごを使う場所もあった。それ以外は起伏の少ない歩道である。濡れて黒々とした巨大な岩盤に黄葉した草が生えており、その一段下は雑木の樹林帯だ。今年は紅葉が遅かったため11月5日でも十分にその美しさを堪能できた。鮮やかな黄色、アクセントの朱色、やわらかな桃色。岩肌を舐めるように、水が流れ滝を作っている。それが幾箇所もある。歩いている道を何度も立ち止まり、目前に迫る岩と紅葉の景色を目に焼き付ける。あるいはフィルムに焼き付ける。山頂付近が霧に覆われると、幽玄な山水画に変わる。私たちは通常の2倍の時間をかけて、この景色の中を歩いた。速く歩き去ることが、惜しくてたまらなかった。この場所は通いたい場所だ。日々変わる景色を目に焼き付けたいと思う場所。
Nov 7, 2004
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森の教室の2回目を10月31日に行った。前回から3週間あいていたので、果たして子ども達は来るのだろうかと少し心配をしていた。先回参加した子ども達がニコニコして集まっていた。早く行こう、とせかされて歩く。居小屋の周りには白い煙がたなびいていて、福田さんが火をおこしていた。雷で倒れた木を見たり、熊の爪痕を見たりして森の中を散歩する。福田さんが自然薯を掘ろうと提案したので、まだ枯れ落ちていないムカゴのついた蔓を目印にして土を掘る。這いつくばってどんどん掘った。福田さんがイモをとって、子ども達は泥団子を作った。泥団子を焼いたらどうなるかな、誰かが言って、焚き火の上に網を載せて実験した。この泥で器を作れるかもしれない。掘ったばかりの自然薯のトロロと、飯盒で炊いたご飯、天然きのこの入ったお味噌汁のお昼をみんなでいただく。この日しみじみと子ども達に森が沁み込んでいるなぁと思った。まるでこの森で育ったみたいに駆け回り、次から次へと遊びを自分達で見つけてくる。先回は大人の私たちが遊びを提案し、誘導することが中心だったのだが、今回はまるで違った。1日でやった遊びの種類も、今回ぐっと減った。一つの遊びを子ども達は深めているのだ。私はほぼ一日、のんびりと森の中に響く子どもの声を聞いていた。それはとても心癒される森の音だった。
Nov 2, 2004
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