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昨日千葉で英語を教えているカイル君(5年前のホームスティの子)とその彼女に会って、一緒に中華街の大世界に行った。お魚が飛び出てきたよ、カイル君、えさをやったら駄目。どのおじさんが1番大きいか? 「あ、一万円」カイルが見つけた。だけど拾えないよ。私達が英語で会話していたので、中国人旅行者が英語で話しかけ途中から仲間に加わった。彼、すごい!体操選手になれそう。世界も日本も経済、政治めまぐるしく変わって行く。自分の目で見て、自分の頭で考えたことを信じよう。騙されちゃ駄目だよ!頭が疲れた後は中華街のちょっと変わったカフェ、「薬蜜本舗」にて紅茶でも・・・。薬膳蜂蜜専門のカフェ。お茶にもケーキにも違った種類の蜂蜜が付いて来る。 今年も一年間いろいろなブログにお邪魔していろんな世界を知る事が出来ました。私のブログにいつもコメントしてくださってありがとうございます。また、来年もよろしくお願いします。後一日ありますが、皆さん良いお年を! 感謝
December 30, 2009
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その坂の名前は地獄坂、その名からも分るように非常に急な坂だ。坂は大きな住宅地のある丘に続く道。ちょっと前まではその片側がうっそうと茂った楢や椎の木で覆われていた。今、その坂の木を切り倒して法面をコンクリートで固める工事をしている。医者の帰りその地獄坂を息を切らせながら登って家に帰る途中。ちょうど坂に曲がり角に差し掛かるところで、工事中の鉄の手すりに何か動くものを発見。その物はするするすると鉄組みを動いていく。「リスだ!」そしてそのすぐ近くにはそれをじっと伺うカラスが2羽。カラスがさっとリスめがけて舞い降りた。つかまっちゃったかな。少し経つとからすは足に何もつかまずに横飛び移動した。「ああ、良かった。どうやら失敗したようだ」近くの葉がほとんど落ちてしまった細い木が大きく揺らいでいる。その木にリスが2匹。枝の先へ先へ移動して行く。おそらくカラスから逃れて逃げているんだろう。しかし、その姿はカラスからは丸見え、木の根元の方にカラスが止まったら、もう枝先から先にリスは移動できない。地面へジャンプするには高すぎる。ふと目をもう少し上の森の木の上に移す。そこには大きなトンビが獲物を探している。幸いまだリスには気がついていなようだが。さて、どうしよう。私は持っている傘で工事用の足場をカンとたたいた。その瞬間カラス3羽がいっせいに飛び立った。からすの飛び立ちを見送ってから木に目を移すと、リスたちが森の大きな木の枝に移動して木の葉の中に隠れて行くのが見えた。自然界の摂理を犯してしまったかな。しかし、リスたちから塒を奪ったのは私たち。この丘も元はと言えばきっと木々が生い茂っていたであろう大きな山。木を切り倒し、山を削り、谷を埋め、何百戸という住宅を建てた。坂の脇の木がすべて切り倒された時、リスたちはどこに移動するのだろうか。にっくきトンビに襲われた経験を持つ私は、持っていた傘をいつでも闘える体制に構えて、横目で上空のトンビを目視しながら坂をはあはあ言いながら登って家に帰った。
December 29, 2009
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贈り物をするのは楽しい。どうしているかなと思いを馳せながら品物を選び送る。昨日、旧正月の時に送る台湾を除いてほとんどの海外向け贈り物を済ませた。台湾用に「もう2、3枚EMS用紙ください」と頼んだら。「今後のために」とEMS用紙10枚、小型包装物用紙10枚くれた。そりゃ先日来、ちょろちょろともらってはいたが、クリスマスの時期を過ぎてもうそんなにいらないでしょうと、思いながらも気の弱い私は感謝しつつお礼を言ってもらって来た。贈り物をもらうのもまたうれしい。昨日、ブログでお世話になっているガレットさんからお菓子が届いた。カウントプレゼントまあまあ近かったでしょう(勝手に自分で作っている)の手作りお菓子。とても美味しいお菓子。「ゆっくり楽しみます」なんてお礼のメールしたけれど、実はもう1個、待ちきれずに食べちゃった。テーブルに置いておいたら、夫も1つ食べて「おいしかった」と言う。それ私のだったのに。マイセンの1985年製クリスマスプレート、ピノキオに乗せて。この時期ポストを覗くのはちょっとわくわくする事。海外からのクリスマスカードやプレゼントが届く。フランスのステベンからのカードとプレゼント。ペットのウサギのシヴィエはまだ食べられちゃっていないようだ。そこが非常に気になるところ。 家族と離れてフィリピンでひとりで生活しているルミちゃん、やっと勉強するチャンスが巡ってきて水を得た魚のように忙しく大学生活を送っているようだ。アルバイトでもしているんだろうか少ないお小遣いからマフラーを送ってきてくれた。お土産をもらうのもまたまたうれしい。大好きなベルリン、ウィーン旅行から帰って来た長女のお土産 ベルリンのチョコ クリスマス用テーブルランナー アイスクリーム用バルサミコソースみんなありがとうお土産や贈り物を選ぶ時、相手のことを思いながら選ぶ。その時心が繋がるね。わくわくする楽しいひと時。プレゼントをもらった時、相手がどんな気持ちでくれたか、相手の様子が目に浮かぶね。ほろっとするひと時。ブログをやっていて良かったとおもうこの頃。いろんな人とつながりを持てて、いろんな人の温かい心に触れた。ブログ友達のゆかっちさん、ラーメンありがとう。おいしかったよ。picchukoさんカウプレの讃岐うどんありがとう。初めて食べてうれしかった。ごめんなさい、撮った写真がどうしても見つからない。でも、間違いなくあのうどんは私のおなかに入りました。
December 26, 2009
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火曜日、ホームスティのスーザンさんは交流行事の無い日。朝ご飯を食べた後、スーザンさんがヴェルニー公園で写真を撮りたいと言ったので、車で出かけた。フランス人技師のヴェルニーが建設に貢献した横須賀製鉄所にちなんで付けられた名前がある。春には2,000本の薔薇が咲いてとても綺麗な公園だ。公園で写真を撮り、ついでに最初のスケジュールに有ったけれど、キャンセルになっていた軍港めぐりクルーズをした。クルーズはどんな船で?と2日前に聞かれ、英語で「遊覧船」が思いつかなかったので「カヌーで自分で漕ぐ」と冗談を言って見たら非常に喜んでくれたから、きっと楽しみにしていたんだろう。もちろん自分では漕がなかったけれど・・。この船↓ これはクルーズ中に見えた船↓ ゆっくりしていたらお昼になってしまった。ショッピングモールのレストラン街でレストランを一軒ずつ覗く。「何が食べたい?」。最後の店はお好み焼き。表情がいっぺんで変わって、「これ食べたい!」。以前広島訪問のときに食べたんだそうだ。その時気に入ったらしい。注文の材料が届いてから、作る前材料とスーザンさん、作っている途中のスーザンさん、食べている時のスーザンさんと写真のリクエスト。鰹節ばっかりで下が見えない!お好み焼きはスーザンさんがご馳走してくれると言うので甘えてご馳走になった。その後は今回の旅で、誰かにもらったという着物に合う帯が買いたいと言うのでいくつかの呉服屋さんめぐり。縞の着物に合う深緑の帯を買った。その際、その呉服屋で着物用の黒いビロードのケープを見つけ、すごく買いたそうにしていたが高かったので断念。スーザンさんの住むメドウェイ市では年に2回、「オスカーワイルド」や「クリスマスキャロル」の作家のディケンズフェスティバルを行うんだそうだ、その時は皆ディケンズの生きた時代の衣装を着て、街を行進するんだとか。そういえば中華街のアンティークの店では指先の無いフランス製のレースの手袋を興味深げに見ていたっけ。まあまあ、仮装する我らのキッズ・フェスティバルのようなものだよねと1人納得。その後、スーパーで夜の買い物とお正月の床の間飾りを買って協会に寄って事務局長手打ち(お手打ちじゃない)のそばをもらって家に帰った。私が夕食の準備をしている間、お正月の準備にはちょっと早いが、床の間の正月飾りと、鏡餅のセットを依頼すると「任せて」と言うので頼んだ。料理をしながら和室を時々覗くと、一生懸命三方や四方紅、御幣を日本語の説明書ながら見ながら上手に作っていた。「アー」と言う声と音がして、なんだかばたばたしていたので見ると、自分の作った鏡餅飾りに感激して、自動シャッターで写真を撮っていた。と、まあ、簡単に一日が過ぎて行ったようであったが、これがまあ、ハードな一日だったのである。何がと言うと、「おしゃべり」。この日は私と彼女だけの行動。一日中彼女はしゃべり続けたのだった。英語で!圧倒的に彼女の方がしゃべっているのだが、聞かれたことには答えなければならない。観光の説明はしなければならない。彼女70%、私残りの30%。夜、一緒に岩手県銘菓かもめの卵(スーザンさんにはかもめの卵だと言って渡したら、珍しい卵だと食べていたが、まさか本当にかもめの卵だとおもってはいないと思うが・・・。)を食べようとして口が大きく開けられないのに気がついた。口の両端が筋肉痛のようになっていた。ああ、しゃべりすぎた。疲れた。でも、すごく面白かった。わからなかった英語も分った英語も全部ひっくるめてすごく面白かった。おしゃべりは楽しい。そして、スーザンさんは水曜日大雪で交通網が麻痺していると言うイギリスに帰って行った。伊東で誰かにもらったという梅酒、毎晩飲んで楽しんでいたけれど、「後は飲んでください」と置いて行っちゃった。私は飲めないよ~。誰が飲むのかな~。 ホームスティのスーザンさんは昨日の朝イギリスへ帰って行った。
December 24, 2009
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土曜日、ホームスティのスーザンさんは市役所・商工会議所などへの表敬訪問は無かった。ホームスティ家庭行事の日。スーザンさんの希望で横浜観光へ。まずは三渓園から。入場券を買う時にシニア割引のボタンを指したことで、スーザンさんが65歳以上であることが判明。彼女がメドウェイの市長さんをしていたのが5年ほど前であると聞いていたので、お年であるのは分っていたが、そのバイタリティからはそんな年であるのはちょっとビックリした。三渓園の入り口で男の方に声を掛けられた。「ボランティアガイドはいかがですか?」もし、日本語でガイドされたら、難しい専門用語など全部通訳しなければならないからよけい大変と思った娘が、思わず「英語でしていただけるのなら」「日本語でも英語でもいいですよ」そしてガイドさんは英語で説明を始めた。庭園の説明、原三渓の説明、各地から移築された茶室の説明、五重塔の説明。懇切丁寧に説明してくれた。べらべらと早い流暢な英語では無いけれどきちんとした英語でゆっくりと分りやすい英語で説明してくれた。何よりも伝えることを大事にしている英語だった。ああ、そうか。日本語英語でもいいんだ。伝える姿勢が大事なんだ。何を今1番伝えたいかをきちんと伝えることが大事なんだ。楽をさせてもらった娘と私達も普段知らない興味深いことを教えてもらって面白かった。三渓園でその日、スーザンさんが1番食い付いた説明は、地震でも建物が倒れ無い工夫が施された薬師門の土台の石だった。わが市と同じく三浦安針繋がりで姉妹都市になっている伊東市の訪問を終えられてから我が家にいらしたスーザンさん。我が家に来る前日の伊東市が震源の震度5の地震を初体験したばかりだったから。そうそう、これにも興味深深。カモは食べるとおいしいと言っていた。このカモは目が金色で珍しいんだと言っているガイドさんも苦笑い。日曜日は安針関係者と箱根観光に出かけて行かれた。
December 21, 2009
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夕方イギリス人のスーザンさんがホームステェイのために我が家に来た。重そうなスーツケースを2つも持って来た。スーザンさんのベッドルームに用意した部屋は2階。そこで「下の空き部屋に大きい荷物は置いておいたままでかまわないですよ。」と伝えて、小さい荷物を2階に運んで部屋の説明、エアコンの使い方を説明した後、彼女が言った。「小さいほうにはイギリスに持って帰るお土産、大きいほうには下着や服が入っている」えええ!早く言ってよ、それ。もう一度下の部屋に戻って石でも入っているんじゃないかと思われる超重たいスーツケースを2階に運んだ。夕食の準備をしているとなんだか腰が痛い。ぎっくり腰だ。ぎく!東京から娘が帰って来て一緒に夕食。何このブリティッシュイングリッシュの早さ。娘が来るまではゆっくり話してくれていたのに、娘が参加してから俄然英語が早くなった。すごい話好きな方だった。分らないよ~。その歴史の説明、ディケンズの説明、政治の話、地下の高騰と下落の仕組みの話。元メイヤーだったと言うスーザンさんにもらったもの。
December 18, 2009
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私は師では無いけれど毎日走っている。なんだろうこの忙しさ。毎日毎日グリーティングカードを書く。30枚を越えるカードをクリスマス前に届くようには書けないのを毎年の経験から悟った。学習能力があるから(ちょっと自慢)昨年からクリスマスカードではなく季節の挨拶と新年の挨拶のカードにしたのである。これならクリスマス過ぎても問題ない。しかし、そうは言っても昨日までに書いて送ったカードはわずか15枚。クリスマスの小包をパックして海外に送るのに必死だったのである。そうこうしているうちにクリスマスカードやクリスマスの贈り物を海外から受け取る。そこでちょっとした焦りが生じる。15-4=11 送ったカードから今現在届いたカードを引くと11枚。なんだか15枚書いたのに11枚しか書かなかった気分になるのだ。送ればもらう。あちらが早かっただけのことなのだがちょっと15枚の努力が減っちゃたように感じるのは不思議だ。早く書かねば。そして昨日はパーティ2つ。 ひっくり返る味とアイディア、好きか嫌いかは別で 私の家のツリーでは無い2つ目は若いボランティアが企画してくれた持ち寄りパーティ。それより早くグリーティングカード書かねば。そして今夜からホームスティの人がイギリスメドウェイから来る。そんなわけで、師では無いけれど走っています。すみません、多分ブログ更新できません。皆さんのところも訪問できません。ごめんなさい。果たしてブリティッシュイングリッシュ聞き取れるか???
December 18, 2009
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表参道に行きたしと思えども 表参道は余りにも遠し せめては新しきマフラーをして そのへんの散歩にいでてみん。車が丘の上を行くとき 身を切る風を受けて われと夫と楽しきことをおもわむ 師走の夜のとばり クリスマスイルミネーションの降り注ぐごとく ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー冬になると住宅地のあちこちでクリスマスイルミネーションが飾られるそこで日曜日の夜はちょっとした夜のドライブ あちこちここはある幼稚園の園長さんのお宅、この時期一般開放してくださる その後近くの住宅地の中の個人のお宅の飾り付けを楽しみながら夜の公園「花の国」へ公園内のレストランでソフトクリームを食べようとしたら室内で食べると料金UPと言われ思わず夫が「じゃあ外でいいです」ひゃあ、寒い!寒い寒いと言いながらせめてもと明るいイルミネーションの方を見ながら冷たいソフトクリームを食べる「暖かい室内を覗き込むマッチ売りの少女の心境だね」とレストランの明かりを見ながら夫が言う。そういう境遇を作り出したのは誰じゃ!
December 14, 2009
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まずい!若者言葉で言うなら(やばい!)友達に送るグリーティングカードは買った。まだ大丈夫と思って書き始めてない。毎年こうやって直前になってあわてるのだ。分っているけれど、後回し後回し。先日ウイーン旅行でウイーンの有名なカフェのシュトーレンを買って来たからとお土産にもらった。そのシュトーレンをドイツ人風にクリスマスまで毎日一切れずつ食べようとのんびりお茶を飲んでクリスマス気分に浸っていたら、ヨハンナから「メークリスマス」と手紙が届いた。おじいちゃんの83歳の誕生日ケーキの写真と日本語の手紙が付いていた。ついでにちょっとぎょっとする、弟とお父さんとヨハンナの写真で、それぞれの首だけいたずらで差し替えて作った写真も。まずい、まだクリスマスカード書いてない。そしてまた一通。オレゴンのリナのおばあちゃんからだ。おばあちゃんは韓国語しか話さない。そして私のペンフレンドだ。ハルモニ(おばあちゃん)の韓国語はところどころ古いハングルが出てくる。おばあちゃん、ペンフレンドとして今年はサボってばかりでごめんね。急いでクリスマスカード書くからね。日本語の生徒に絵本の翻訳宿題出して自分も訳すって言ったのに、これが手ごわくて、童話の韓国語が分らない。おばあちゃんの手紙も読まなくちゃならないのに。明日からベルリン、ウイーンに出かける娘が次なるシュトーレンを買って帰ってくる前に、シュトーレンじゃなくてグリーティングカードを終えなければ。そしてまた逃げる。テレビのドラマが始まっちゃう。どうしてか、見始めたら目が離せない「小公女セーラ」。
December 12, 2009
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今日の日本語授業は韓国人の朴さんの家で。朴さんが先週、お昼をご馳走してくれると言ったので出かけて行った。実は朴さん先週の日本語能力試験の後電話を掛けてきたのだった。「先生、試験簡単でした。先生のおかげさまで読解もすごく良くわかりました。」と掛けて来た。まだ「あいうえお」から初めて半年ちょっと、実は教科書3級の試験範囲時間切れで終わらなかったのだが、毎週毎週の10枚に及ぶ宿題をきちんと提出していたので70%しか勉強して無くても完璧なら合格できるはずなのだ。添削する私はインドネシア人3人の宿題とキムさん、イさんの宿題でアップアップしていたけれど・・。キムさんも2級難しかったとは言ったもののなんとなく出来た様子。そういうことでハードな試験勉強でお互い疲れているので、今日のレッスンは会話中心。その後、キムさんの連れて来た チュマン=十万 が飛び跳ねるのをかわしながらお昼をいただいた。 ↓ トゥブキムチ タクポックンタン(わたし様に辛さ50%で作ってくれてはいたが、でもやっぱり辛い!)朴さんの家にはたくさんの韓国語の絵本が有った。「先生、おかりなさっりていいですよ」と言うので、2冊借りることにした。そうだ来週の宿題はそれぞれ1冊ずつ韓国語の絵本を日本語に訳すことにしよう。←なんとも安易な思い付きだったが、みんなが乗ってくれた。もちろん私も韓国語を読んで日本語に訳す。私の韓国語の解釈、直訳が間違っていても私の日本語文はきっと彼女達は直せないから私は楽勝?左上の黒いのは韓国語の辞書。私には必需品。
December 10, 2009
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別に東海道の旅が終わったのではない。とりあえず今回の旅は終わった。鳴海から名古屋に電車で帰って来たのは3時半。我が家に来て、留守番と母の見守りをしてくれている娘達のリクエストのお土産を買って、暫しの時間高島屋の12階のイタリアンレストランのテラスでお茶を飲んだ。 寒風の吹く中ストーブの前に陣取って、懐かしい名古屋の町を眺めながらケーキを食べお茶を飲んだ。「まだ有るんだ名古屋ビルジング」←チの濁点が表示できない「お城が見えるね」 ↓この位置にお城今回、無理して歩けば鳴海から宮(熱田)まで歩け無いことは無かった。けれど、足の心配も有ったが、実はこの区間少し時間をかけて歩きたいと思ったのだった。何回か名鉄で行き来しているうちに、夫がどうも懐かしい名前の駅が多いと言うのだ。東海道の地図を見て気がついたこと。夫の小さいころを過ごした家が東海道からそう遠くないことを発見した。東海道とは電車の線路の反対側では有るが寄り道出来る。今はその社宅の有ったところはまったく別の建物が建てられているだろう。「でも行ってみたい」 「懐かしい笠寺観音も」そんなわけで次回は鳴海~宮 間はちょっと時間をかけて寄り道おもいでぽろぽろ&東海道中、「清め餅」まで。母の見守り隊員達、海外旅行やら年末やらで忙しいのできっと年越しになるだろう・・・。旅から帰ったら見守り隊員達がまたお菓子を作って待っていた。次女のプチモンブランと長女のヴァニレ・キップフェール(毎年焼くドイツのクリスマスクッキー)
December 7, 2009
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東海道五十三次の旅、2日目の初めはまずホテルから名古屋駅新幹線切符売り場に直行。その日の夜7時ののぞみの予約を5時に変更した。天気予報は午後から90%の雨と言っていたし、薬のおかげで足の調子は悪くは無いが、いつまた歩けなくなるか分らないから。本当の目標は宮(名古屋、熱田)であるが今日は早めに旅を切り上げようと相談した。そして、名鉄で昨日ギブアップした新安城まで行き再開。紅葉が綺麗だ来迎時一里塚東海道の旅も慣れてくると、「キロ」よりも「里」で自然に距離を測っている。次まで後、一里。道はそれほど趣は無いのだが、時々現れる松並木が東海道を歩いていることを思い起こさせる。途中時間が無いので寄り道して立ち寄らなかったが、知立の手前には在原業平ゆかりの無量寿寺がある。「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」足は何とか大丈夫、少し痛む程度だ。時々休みながら薬を塗りながらゆっくりと歩く。それよりもこれを見落とさないようにと朝から地図とにらめっこ。「あんまき」すごく大きい。店は本当に見落としてしまいそうに小さい。白餡と小豆と買って近くのお寺の庭で食べた。お昼いらないかな。そうはならない。電車の駅では新案城から知立、豊明、前後、中央競馬場前とかなりの距離だ。三里近く10キロ以上は歩いている。やっぱりお腹がすいた。歩いているとカレーの美味しい匂いがして来た。東海道と関係ないけれどいいかとたまらず入店。ネパール料理の店で、店内には先日ネパリバザーロで聞いたネパールの音楽が流れていた。さて、店を出たら頭を振ってネパールから東海道に切り替える。有松の街の入り口にある碑。「たちならぶ 花にしきと家ごとに かけ渡したる くくり染かな」有松の街は別世界だった。まるで江戸時代にタイムスリップしたような街並み。中央を通る街の舗装も他とは違って薄茶色、家々は新しい家もすべて色調が統一され、昔風のこげ茶の格子が付いている。中仙道の妻籠のように江戸の建物そのまま保存してあるわけではないが、古い建物の周りに新しい建物がマッチするように建てられているのだ。道の右側は医院、そして銀行、郵便局 新しく建て直す家の前にはこんなボードが街のみんながこの街を大切に受け継ごうとしているのがそこかしこに感じられる。その上、私には街全体が美術館のように感じられた。 町のあちこちに活けられた大きな生け花のオブジェそして、家々の軒には有松絞りの暖簾ここで初めて、町の入り口にあった歌の意味が歌を詠まない私にもなんとなく分って来た。花はこんなところにも活けられている。山車の保存庫では、法被を着た保存会の人たちが補修中の一休みで山車の前で宴会をしていた。あいにく山車の上のからくり人形は後ろ向きだったが、いいものを見られた。ラッキー。夫はつぶやく「山車をダシにして飲んでいる」ウン、まあいいでしょう。合格!山車庫は街のあちこちに有った。鳴海までの間に5、6軒見ただろうか。ここでも補修中。ああ、この町は楽しい。名高い有松絞りだ。買わないと言う手は無い。でも高い。今年は有松のランチョンマットをクリスマスプレゼントに海外に送ろう。有松絞りの藍色ポーチはあの人に。こちらの店で買い物をし、店を出て道路を渡りあちらの店で買い物をする。 自分用にもテーブルランナーを。東海道旅の鉄則。「重いからお土産は買わない」いやいや、絞りのものは布だから重くない。それに今日はもうすぐゴールだ。新幹線で帰るだけ。楽しい、楽しい買い物は楽しい。素敵な街だ、楽しい。そして鳴海に向かって街を出る。雨は降らなかった。鳴海の駅から電車に乗ろう。名古屋までは次の旅で。「あれ、足が痛かったんじゃないの?ずいぶん快調に歩いているけど」夫が言う。うん?すっかり忘れていた。本当だ!足は痛くない。ぜんぜん痛くない。
December 5, 2009
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ここが入り口スタートまずは直進650m この角を曲がって80m進む この角を曲がって660m直進この道にはこんなのや こんなのや 塩船だってこんなのもあるついでにこんなのも買う。備前やで。 そこのお人!そこには入りませんよ松坂牛に惹かれる気持ちもわからぬでは無いが・・・。松坂牛専門の肉屋さんおっと、よそ見をしていると曲がるべき角を通り過ぎてしまう。今までにいくつ曲がった? 60m進むとまた曲がれ! 「うなぎ屋が有るね」「この街はうなぎ屋が多いね」なんて言っていたら170m進んでも曲がり道標識が出て来ない道に迷った!曲がり角を見落として通り過ぎてしまったこれに見とれて↓さてどうやって正式ルートに出るか戻るのは癪だし、夫は絶対もどらないのは分っているから一つ先の角で東海道に合流することにするこれが大変何本かある通りのどれが東海道か当てなければまた行過ぎる恐れがある有った東海上に復帰そしてまた曲がる 曲がって曲がって見失って、と思ったら今度は足元に そして、最後の方はこうなるこれは現代の曲がり角、自動車道路を渡れないから、歩道橋を回り道しなさいとの表示岡崎の街に入ってからかれこれ1時間半お腹がすいた岡崎城はまだかいな迷って見つけて迷って、曲がって曲がって迷ってこれは城下町に良く見られるもの岡崎のは27曲がり敵から攻められないように城下への侵入路を曲げて迷路にして時間稼ぎをしているのだ「昔の人は大変だったんだろうなこんなに迷って」と思ったが、そうではない。昔の人は迷わなかった。何しろ道がそれしかなかったんだから。突き当たったら曲がれ、突き当たったら曲がれ。そうすれば時間がかかっても到着する。現在の街はその突き当たりに道を作ってしまったから、曲がり角が分らないのだ。東海道五十三次の旅今回は前回ギブアップした名電山中から藤川の宿、岡崎の宿を通って名古屋熱田神宮まで二日に渡って歩こうと思って出かけた。ところが27曲がりして(途中見失ったり省略したから正確ではないが)やっとたどり着いた岡崎城で紅葉を見ながらお昼を食べた後、東海道に復帰してからどうも足が痛い。だんだん痛くなる。そのうち10分歩いて5分休憩、10分歩いて10分休憩するようになった。ショッピングの時は先に立って歩いて私にウィンドーショッピングをさせると言う気遣いを見せない夫が、東海道と山歩きの時は私のペースで歩けるように、私を先に立たせる。その夫が後ろから「足痛そうだね、今日はここまでにしよう」そして、本日の目標の池鯉鮒宿(これで昔は知立と読んだ)目前の新安城で電車に乗った。それでもしぶとく念願の「ひつまぶし」は名古屋栄で食べてからチェックインした。せっかく名古屋のど真ん中のホテルを予約したのに夜は足が痛くて街に出られず。夫が街に出て買って来てくれた塗り薬とついでに買って来てくれたケーキを食べて二日目に備えたのだった。ひつまぶし~♪の写真は消えてしまったようだ。
December 2, 2009
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