全21件 (21件中 1-21件目)
1
長寿というと泉重千代さんの名前がすぐに浮かんできます。一時ギネスブックにも最も長生きした人として記載されたり、何の連絡もなく家を訪れた観光客であってもお気に入りの黒糖焼酎を振舞って歓待したり、有名な「好みの女性のタイプは年上」といった発言など、話題に事欠かない人物であった事も大きな印象として残されています。 残念な事に現在では生まれた頃の戸籍に不備があるとして、長寿の記録に関しては疑義が唱えられて記録は残されていませんが、いわれていた通りの年齢であれば120歳となっていた事になります。 記録が確かなものと確認されている世界中の長寿者について見てみると、多くの方が110歳代の前半で亡くなっておられ、稀に110歳代の後半まで長生きされた方が見られ、120歳を超えるという年齢はほとんど見られない事から、そのあたりに人の寿命に関する限界があるのではと思えてきます。 そんな限界を超えたとされた重千代さんに代わり、世界記録を保持しているのがジャンヌ・カルマンというフランスのお婆さんで、確認できている彼女の年齢は122歳と164日だったとされ、唯一の120歳を超えて生きた人として記録されています。 彼女は1890年に没したゴッホの100周年の記念企画の際、生前のゴッホに会った事がある人物としてインタビューを受けた事で一躍有名となり、114歳の頃には自身の役で映画出演を果たした事から、最高齢の女優としての記録も保持しています。 86歳でフェンシングを始めたり、100歳くらいまでは自転車で出掛けたりと高齢でも非常に元気で、それほど健康について気を付けるという事もなかったと伝えられています。長寿の秘訣について尋ねられると、病気をしない事と教えてくれるそうで、小さな病気であってもその積み重ねとなると長寿を害するという事には納得させられるものがあります。 病気をしないために彼女が何かを気掛けていたのかというと、そのような形跡は見られず、むしろ逆の事が多く実についてきます。117歳で禁煙するまで彼女は喫煙者であり、ワインも大好きだったといわれます。何より好んだのがチョコレートで、1週間に1kgものチョコレートを食べていたとされます。野菜が大嫌いで、ほとんど食べる事はなかったとされる事から、とても長寿に繋がる生活習慣とはいえない事が判ります。 重千代さんも70歳から喫煙を始め、医師に健康への悪影響を指摘されて禁煙する116歳までは喫煙者であり、黒糖焼酎のお湯割りを好んでいた事から、健康的な生活を送ろうとするストレスよりも自然体の方が長寿に繋がるのかもしれないと思えてきます。 長寿についてはその人なりの要因が大きいように思え、遺伝か遺伝に何らかの生活習慣が重なった事で長寿に繋がると考えていて、長寿者と同じ事をしても長寿は得られないと思っています。そう思ってはいても100歳で自転車に乗れるという元気さはとても羨ましく、何か見習える事はないかと思いながらチョコレートを食べる量を増やしてみようかと考えてしまいます。
2014年04月30日
コメント(0)
食品ロスの大きな原因とされる「3分の1ルール」は、食品の賞味期限を3等分して、賞味期限の最初の3分の1までに小売店に納入し、次の3分の1の間、店頭で販売。最後の3分の1を切ったら返品などの対象として販売を行わないという商習慣を指します。 3分の1ルールは1990年代に流通業界を中心に根付いた商習慣とされ、背景には少しでも新しい物を購入しようとする消費者の鮮度志向があるといわれます。 売り場で見ていると、少しでも日付の新しい物を手に入れようと棚の奥の方から商品を取り出している人を見掛ける事があり、缶詰やレトルト食品などの場合、新しい物は味が充分には染みておらず、製造から1年ほど経過した方が美味しいとされる事から、わざわざ不味い物を選んでしまっているようにも見えてしまいます。 消費者の鮮度志向は相変わらずのように思えるのですが、食品メーカー側では食品ロス減らすための取り組がすでに始められており、短く設定し過ぎていた賞味期限を延長したり、新たな技術の投入で賞味期限を長く設定する事が可能なようにしていて、この4月には大きな動きがあるとされています。 東日本大震災以降、食品を備蓄するという意識の高まりも賞味期限の延長を後押ししたともいわれ、販売期間を長く設定できる事や消費者が食品を廃棄する理由の多くを占めるとされる賞味期限切れを少しでも減らす事ができるのではと期待が持てます。 また、家庭から出る食品ロスは食べ残しや野菜類の皮を厚く剥き過ぎていたり、肉類の脂身を取り除き過ぎるといった過剰除去も多く含まれているとされます。増税以降、節約ムードが高まる中、そうしたロスを見直す事も大切な事なのかもしれないと思えます。
2014年04月28日
コメント(0)
普段から賞味期限や品質保持期限は目安としてしか見ていないので、それほど表示されている期間に神経質になる事はないのですが、周りの人からはかなり厳格に見ている人と思われてしまっているようにいわれる事があります。 日本の食品の賞味期限は、メーカーが想定している保管方法で的確に保管されていれば品質上は何も起こりえない事を保障した期間と思えるので、期間内であれば購入した直後の商品に何らかの問題があれば交換などの対応をしてもらえ、期間を過ぎていれば対応してもらえない程度の事と思っています。 そのため、食品の素材や調理方法などの成り立ちを考え、一定の目安を自分なりに持っていて、賞味期限を過ぎてしまっても自分なりの目安の中であれば食べても大丈夫と思え、逆に目安よりも期間設定が長過ぎる物は不自然な加工がされているようで敬遠してしまいます。 そうした自分なりのルールに従って食品を管理してはいるのですが、どうしてもついうっかりして食品を廃棄せざるをえない状況になってしまう事があり、そのように食品が廃棄されてしまう食品廃棄物は年間に1700万トンも発生しているとされます。 食品廃棄物の中でも、まだ食べられる状態にあるのに捨てられてしまう物は「食品ロス」と呼ばれ、食品ロスには大きく分けて家庭から出される廃棄と、飲食店や食品販売店などの業務筋から出される廃棄が存在し、算出方法によって数字に違いはあるのですが、最大で家庭から400万トン、業務筋から400万トン。合計すると800万トンとなり、日本の米の生産量、850万トンに匹敵する重量の食品がまだ食べられる状態にあるのに捨てられている事になります。 生鮮食品は生産された段階で流通の規定に合わない物、いわゆる規格外品は捨てられてしまいます。規格に適った物でも輸送途中で傷物になってしまうと処分され、設定した賞味期限が過ぎると廃棄に回されてしまいます。加工品も流通業界には3分の1ルールと呼ばれる暗黙の了解があり、賞味期限が残り3分の1を経過してしまった物は返品されたりもします。 販売店でも欠品を起こさないように実際の販売量よりも多めに在庫を置く必要があり、販売量を上回ってしまっている分はいずれ賞味期限切れを起こす事となります。飲食店でもメニューに掲載している料理用の食材は用意しておく必要があり、注文がなければ管理期間を過ぎた食材は廃棄しなければならなくなります。 家庭でも購入時は食べるつもりであったものが、気が付くと賞味期限間近となっていたり、買い置きしていた事を忘れて新しい物を購入してしまったりして処分される物もあり、食品ロスは構造的に生じている物であるように思えます。 世界的に評価される「もったいない」文化を持つ国として、そうした構造的な部分を見直す事はできないのかと思いながら、とにかく自分としてできる範囲からでも始めなければと考えています。
2014年04月25日
コメント(0)
小さい頃からUMA(未確認生物)が好きで、特集のテレビ番組などがあると、今でもつい見てしまったりもします。正式に発見されたというニュースがない事から、特集番組の中でも発見されずに終わるという結論が判り切っているのに、毎回、ワクワクしながら見ています。 UMAというと代表格の一つにネス湖のネッシーがいるのですが、以前、調査のためにダイバーが直接ネス湖に潜った事があり、潜水調査を終えて船上に帰還したダイバーの髪は恐怖のために白く変化していたと聞かされた事があります。 同様のエピソードとしては、王妃マリー・アントワネットが処刑される際、一晩で恐怖のために全ての髪が白髪に変化してしまったとも伝えられ、小説やドラマの中で恐怖や苦悩によって髪が白く変化してしまうという場面はそれほど珍しいものでもないように思えます。 また、日頃から苦労が絶えないために白髪が増えたという話もよく聞かされ、ストレスは白髪を増やし、特に激しいストレスは一晩で全ての髪を白髪に変えてしまうほどの影響を体にもたらすという印象があります。 髪とストレスには深い関係があるとされ、ストレスによる毛細血管の収縮は毛母細胞の働きの低下を引き起こしてしまい、メラニン色素を作っている色素細胞、メラノサイトの活動を衰えさせて色素を含まない髪、白髪を増やすと考えられています。 そのため激しいストレスによって、これから生えてくる髪が白くなってしまう事は考えられるのですが、すでに色素が配合されてでき上がった髪が白く変化する事はないという事が判ります。 先日、発表されていた研究報告では、毛細血管が収縮して酸素や栄養が充分に行きわたらないと毛母細胞がSOS信号を送り、毛細血管を拡げる働きがある男性ホルモンの分泌を促し、男性ホルモンが皮下脂肪を減少させて頭皮の弾力性を失わせてしまい、毛細血管がより圧迫されてしまうという悪循環が髪を失う原因とされていました。 後々白く変化するだけでなく、毛髪そのものを失ってしまうかもしれないという事で、ストレスの影響の怖ろしさを再認識してしまい、ストレスの解消、良い付き合い方などを考えてしまいます。
2014年04月24日
コメント(0)
江戸時代に出版された豆腐料理の専門書、「豆腐百珍」の中にその白く儚げな姿から「雪花菜」として登場するおからには、今日のような産業廃棄物や栄養価は認めてもダイエットが絡まなければあえて食べようとは思わない食材というイメージを感じる事はできず、江戸の庶民がおからを好んでいた事を伺う事ができます。 雪花菜と同じように用いられていたおからの愛称に「きらず」というものがあり、包丁を使って切る事なく使う事ができる便利な食材という位置付けを見る事もできるのですが、単なる便利食材としてだけでなく、今日よりも手間暇を掛けた調理法が行われています。 今日ではおからを調理する際に細かな下処理を施すという事はあまり行われていませんが、当時は滑らかな食感を出すためにすり鉢で丹念にすったり、空煎りをしてパラパラにしたりという工夫が行われています。 ふりかけとしてご飯にかけたり、ご飯に直接混ぜて白米を増量したりという食べ方も行われていて、白米を好んだ事でビタミンB群の不足に悩まされた江戸庶民の栄養バランスを支えたと考える事もできます。 当時のおからの食べ方の特徴として、調味料と合せて使うというものがあり、味噌と混ぜ合わせてすり鉢で滑らかになるまですり、鍋に移して水で溶いて煮立て、ご飯を入れて雑炊にしたり、こんにゃくなどの具材を入れて汁物にしたりという利用法や、鍋でパラパラになるまで煎った後、醤油をかけて水分を飛ばし、それを調味料として蒸し魚にかけて食べるといった料理も見られています、 パラパラになるまで煎ったおからは人気の食材で、味噌汁に入れたり、意外な使い方としてはうなぎのかば焼きを煎ったおからに埋めておく事で、かば焼きが重箱の中で冷めてしまわないようにするという工夫にも使われ、うなぎのタレや脂が染みたおからも美味しくいただけたといわれます。後におからがご飯に変わった物がうな重となったとも伝えられています。 鍋におからと三枚におろした魚を交互に敷き詰め、酒や醤油をふりかけて煮上げるという料理や、樽の底に敷き詰め、味噌を入れて保管し、味噌を使い切った後に味が染みたおからを食べる事ができるという変わった食べ方も行われていて、今日とは違った多彩な楽しみ方がされていた事が判ります。 工夫次第で大きく表情を変えて楽しませてくれ、栄養価が高くヘルシーでお得な食材、おからを見直してみなければと思えてきます。
2014年04月23日
コメント(0)
たまにおからの煮物が食べたいと思い、自分で作ろうと売り場まで行く事があります。最近ではおからが売られているのを見掛けなくなりつつあるそうなのですが、行き付けのスーパーでは大きな袋に入れられて、安価な価格で売られています。安価な価格は嬉しいのですが、その大きさは困ったもので、食べ切れない事を考えて購入せずに帰ってしまう事も多々あります。 おからは豆腐を作る際に出る大豆の搾りかすで、大豆由来の豊富な栄養と大量の食物繊維を含んでいます。表面積が多いために空気に触れている面が多く、適度に水分を含んでいる事や栄養価が高い事が仇になって、雑菌が繁殖しやすく、すぐに使い切ってしまわないとあっという間に傷んでしまいます。 おからの煮物には具材として根菜類を加える事から、少量のおからでも仕上がりにはそれなりになってしまうので、残されたおからの使い道に困ってしまいます。味噌汁に加えるのも大好きなのですが、それでも使う量は知れていて、他におからを大量に使うレシピはと考えを巡らせながら、意外なほどおからを使うレシピが少ない事に気付きます。 以前、おからを大量に使うレシピとしてマヨネーズと和えてポテトサラダ風にという話を聞かされた事があるのですが、試してみると旨味の塊りでもあるジャガイモには遠く及ばず、下手に質感が似ているだけに間が抜けたポテトサラダという感じがして、コクを出すために生クリームを加えたり、旨味を足すために顆粒のコンソメを混ぜたり、食感を滑らかにするためにマヨネーズが多めになったりと、散々苦労した挙句、いつものポテトサラダより少し劣る物にしかならなかった事が思い出されます。 おからはダイエット用のクッキーとして大人気となった事もあり、クッキーやドーナツなどの生地に配合して使われているのを見掛ける事があります。また、凝固剤の発達で昔よりも豆腐を作るために濃い豆乳を使う必要がなくなった事で、おからの発生は少なくなっているともいわれますが、ほとんどのおからは産業廃棄物として処分されてしまっています。 行き付けのスーパーでは大きな袋に詰め込まれたおからが50円で売られているのですが、たまに料理のレシピを交換し合っている従姉が行く店は、同じ系列のスーパーでありながら中に入っているテナントの違いのせいか、豆腐売り場の前に大きなおからが入れられた容器が置かれ、すくい取るための柄杓とビニール袋も添えられていて、「ご自由にお持ち帰りください」と書き添えられているそうで、必要なだけの量を持ち帰る事ができるのは羨ましく思えてしまいます。 栄養価が高く食物繊維も豊富でカロリーは低めという事もあり、いっその事、主食として食べてもと考えてもみたのですが、江戸時代の儒学者、荻生徂徠が若い頃を思い返している中で、経済的に困窮し、近所の豆腐屋でおからをもらって来てはそれを米の代わりに食べていて、それがとても辛かったと書き残している事から、主食として食べるにも難があるように思えます。 荻生徂徠のエピソードは、豆腐が庶民の暮らしに欠かせない食材となった江戸時代にも豆腐の製造に合わせて大量のおからが発生し、今日のように捨てられていた事が感じられ、歴史的な不人気がおからのレシピが少ない原因のように思えてきます。 しかし、実際は江戸の町ではおからは人気の食材となっていて、いまよりもバリエーションに富んだ食べ方が行われていました。豆腐が大好きだった江戸の庶民は、豆腐の副産物であるおからも大好きであった事が、当時の料理本、「豆腐百珍」に添えられたおからの項に見る事ができ、今日、ぼそぼそした食材として好まれない事には、一工夫が足りないという事に気付かされてしまいます。
2014年04月22日
コメント(0)
飲食店の排水から油分と水分を分離して、油分の回収を行うためのグリストラップの清掃を微生物の分解機能を使って行うという研究をしていた方と話をさせていただいた事があり、その際、グリストラップがどれほど酷い状態になるのかを聞かされた事があります。 家庭の排水溝とはレベルが違う汚れなのですが、そのグリストラップに溜まった油分から食用油が造られると聞かされた時は、あまりの事に衝撃を覚えるとともに、もはや人間の所業ではないと思えた事が思い出されます。 詳しく聞いたところではグリストラップではなく、マンホールの蓋を開けて下水道内に溜まっている黒く濁った塊を原料とするらしく、グリストラップに溜まる油分よりもはるかに程度の悪い物が原料とされている事が判ります。 下水道から原料となる黒い塊を掻き出す専門の人がいるとの事で、毎日一人当たり桶に4杯ほどの原料が回収されているとされます。回収された原料は一昼夜かけて濾過され、加熱して不純物を沈殿させたり、分離させたりといった複数の工程を経て精製されるそうで、悪臭を放っていた原料はほぼ無臭となるといわれますが、新品の食用油と比べると一目で判るほど黒ずんだ色をしていて、製品にはメーカーや生産者、製造月日などの記載がない事から三無商品とも呼ばれます。 マンホールから得られる三無商品、地溝油は1トンを製造するのに日本円で5000円程度のコストで済むだけでなく、売価もサラダ油の半値程度である事から中国では広く普及していて、中国で使われている食用油の10%程度が地溝油ではないかともいわれています。 統計では中国で使われている食用油は年間2250万トンとされ、食用油の生産量が2000万トンである事から、その差である250万トンが地溝油であるという指摘もあり、誰もが口にした事のある物ともいわれます。 地溝油はその不衛生極まりない成り立ちよりも含まれているとされる最強のカビ毒であるアフラトキシンや、基準値を上回る農薬のDDTなどが怖ろしいのですが、利益率の高さや価格の安さから製造に携わる者がエリートサラリーマン並みの所得を得ているとされる事や、使用するレストラン経営者は使っている事を認識しているので、自分の口には入らないという安心感、取り締まる行政機関の縦割り構造と責任の曖昧さで、実際には取り締まりが機能していないという構造的な部分にも怖ろしさを感じてしまいます。 すでに日本向けの加工食品の製造にも使われているという懸念もあり、中国を訪れ、現地で食事をしている私も食べているのかと問題の根深さが感じられてきます。アフラトキシンの毒性によって引き起こされる肝臓ガンには気を付けておかなければとも思えてきます。
2014年04月21日
コメント(0)
基本的には具沢山で、いろんな素材を使って味噌汁を楽しんでいます。洋風や中華の食材を使う事もあり、普段食べている味噌汁との違いに驚かれてしまう事もあるのですが、いろんな食材の美味しさを引き立たせてくれる事も味噌汁という料理の懐の深さだと思っているので、固定観念に捉われる事なくトライしてみる事にしています。 そうした味噌汁作りの中でお気に入りとなっている物の一つに、牛乳を使った物があります。味噌汁に牛乳を加える事でコクが増し、ほんのりとした甘味が加わって美味しくなると思うのですが、食べた人の感想としては美味しさに驚きながら日本の味噌汁ではないといわれてしまいます。しかし、味噌汁に牛乳を加えるという手法は、日本に古くから存在していた古典的な味付けという事ができます。 奈良県に伝えられる「飛鳥汁」は、具沢山の味噌汁に牛乳が加えられて仕上げられており、仏教伝来以前、宮中に献上された牛乳を使って作られていた宮廷料理ともいわれます。 仏教伝来以前は日本でも乳牛が飼われ、牛乳が献上されていたとも、帰化人によって牛乳がたくさん献上されていたために成立したともいわれ、飛鳥汁は高級な料理として食べられていたのですが、仏教の伝来以降、畜肉食がタブー視された事に合せて牛乳も飲まれなくなり、飛鳥汁は途絶えてしまったとされます。 今日では飛鳥汁は再現されて、郷土の食として学校給食でも出されているそうなのですが、味噌汁の歴史と照らし合わせると何となく違和感を覚えてしまいます。 古い時代、味噌は調味料というよりも直接食べる食品としての色合いが濃く、今日のような庶民の食として登場するのは室町時代の事とされます。また、調理が簡単で一度に大量に作る事ができる事から、戦国時代に陣中食として考案されたとする説もあり、陣中食として振舞われた事から従軍していた民兵の間に一気に広まったともいわれます。 味噌の歴史は非常に古く、最近の研究では縄文時代にはすでに穀物を塩蔵していた形跡がある事が判ってきており、それが自然発酵すれば味噌として成立する事になります。味噌が文献上に登場するのは奈良時代で、完全に発酵して「醤」となる前の物として「未醤」の文字が当てられていた事が今日の味噌の語源となっています。 徒然草の中にも古い時代の味噌の様子が描かれており、北条時頼と北条宣時が酒を酌み交わす場面で、台所に残っていた味噌を肴としており、塩辛い豆をつまんで食べている事には当時の味噌が今日のようなペーストに近い状態ではなく、保存食の豆のような物であった事が判ります。 味噌汁が広まった理由の一つに、味噌がお湯に溶きやすい状態になったからとされますが、逆に味噌汁が普及していく過程で味噌がお湯に溶きやすい状態に工夫されていったと考える事もできます。 そうした味噌や味噌汁の歴史を考えると、仏教伝来以前に味噌汁として飛鳥汁が作られていたという事は考えにくいようにも思えるのですが、具沢山の汁物に保存食の豆を加える事で栄養のバランスが良くなるだけでなく、塩味と旨味が加わり美味しくなる事から使われるようになったというのは自然な成り行きのようにも思えます。牛乳入り味噌汁ではなく、飛鳥汁は飛鳥汁以外の何物でもないのかもしれません。
2014年04月19日
コメント(0)
第二次世界大戦後の物資も食料もない中、耐えがたい空腹を抱えていた際に手渡された一杯のすいとん。その温かさや美味しさは今でも忘れる事ができないと、感動的なまでの美味しさを聞かされた事がある反面、何もない頃の料理なので食べられるだけましというもので、とても食べられるような物ではなかったと正反対の意見を聞かされる事もあり、実際はどうだったのだろうと今日の素朴な美味しさのすいとんを前に思ってしまいます。 すいとんは古くから郷土料理として親しまれてきていますが、全国的に食べられてきた地域は分散していて、一地域だけの固有の料理ではないという事ができます。室町時代の文献にはすでに「水団」として記載されており、すでに庶民の食として広く食べられていた事や、調理が簡単な事からその後の戦国時代に陣中食として振舞われ、大幅に認知度が上がった事などが容易に想像できます。 全国的にすいとんと呼ばれてはいるのですが、地域によっては「ひっつみ」や「はっと」、「つめり」や「とってなげ」、「おだんす」などとあまり関連性のない名称で呼ばれている事もあります。 小麦粉に含まれるグルテンを利用して煮崩れない団子を作り、餅の代わりに使った雑煮と考える事もでき、手延べうどんの原形ともいえる「ほうとう」との関連性も考えられる事から、自然発生的に小麦粉の食べ方として生まれたようにも思えます。 そうした素朴な郷土料理のすいとんに対し、第二次世界大戦の中盤から終戦後の食糧難の時代に食べられていたすいとんは、作り方も内容も異なる別物だとされます。小麦粉が不足していた事もあり、団子の生地は緩く溶かれて出汁の素となる昆布や煮干し、かつお節や椎茸も手に入らない事から出汁も取ってなく、わずかな塩味のつゆに生地が浮かぶという物だったともいわれ、具材も入ってはいないか芋の葉や蔓などの食用には使われていなかった部位が用いられて、燃料の不足から団子の生地は生煮えだともいわれます。 生地を作る小麦粉についても質の悪さが伝えられていて、今日のような真っ白な粉末ではなく黒っぽい色をしていたり、アメリカから支給されたふすまを多く混ぜたりしていたために不味さが助長されていたとも考えられます。 今日、終戦記念日にすいとんを食べながら当時の事を偲ぶというイベントが各地で行われています。当時のすいとんを美味しいと語れる人は食料事情に恵まれた地域におられたのではと思いつつ、毎年の終戦記念日のニュースに見る田舎風の具沢山のすいとんに、当時を偲ぶ方は違和感を感じていないのだろうかと、すいとんと呼ばれた食糧難の時代の料理の事を調べながら思ってしまいました。
2014年04月18日
コメント(0)
以前、挽きたてのそば粉をいただいたのですが、そばを打った事がないのでどうしたものかと考えていると、そんな不安が伝わったのか、そながきにして食べてくださいとアドバイスをいただき、なるほどと納得した事があります。 お椀に入れたそば粉に熱湯を注ぎ、急いで全体を混ぜているとすぐに粘りが出て塊りとなり、それをちぎりながらしょうゆを着けていただいたのですが、素朴なそばの風味が感じられ、たまにはこんなそばの味わい方も良いと思えてきた事が思い出されます。 そば職人の方からそば粉の鮮度の重要性を聞かされた事もあり、市販のそば粉を購入するという事がないため、その後、自分でそばがきを作る事はなく、そばがき入りのぜんざいを見付けて嬉しくなったり、そば屋で見掛けて注文する程度に留まってしまっています。 あまり馴染みがなかった事もあり、そばがきには大きく分けて二つが存在していて、私の作り方、お椀にそば粉を入れて熱湯を注ぎ、攪拌したものは「椀がき」と呼ばれ、鍋にそば粉と水を入れて火に掛け、練りながら加熱する「鍋がき」という調理法が存在する事も後に知る事となりました。 また、信州には「はやそば」と呼ばれるそばがきの一種が伝えられていて、細切りにした大根にそば粉をふり、熱湯を掛けてよく混ぜ、そばつゆなどで味を付けていただくといった食べ方も行われています。 イメージはそばがきとは大きく異なりますが、フランス、ブルターニュ地方に伝えられる伝統料理の「ガレット」もそばがきの仲間という事ができます。ブルターニュ地方は気候が冷涼なため小麦が育たず、伝統的にそばが栽培されていました。 収穫されたそばは、粉に挽いて熱湯を注いでかき混ぜて食べるというそばがきそのものがが食べられていたのですが、ある時、落としてしまったそばがきが焚き火に熱された石の上で焼け、香ばしい風味を漂わせた事から、そば粉の生地を焼き上げるガレットが生まれています。 小石を意味する「ガレ」が語源になっている事もそうしたエピソードの名残りという事ができ、そばがきの進化形であるという事ができると思えます。 そばは冷涼な気候、痩せた土地でもたくましく育つ事から、世界中で栽培され、それぞれの地域に根差した食べられ方がされてきました。そんな中でもっとも素朴な食べ方、それがそばがきではないのかと思えてきます。
2014年04月16日
コメント(0)
お気に入りの場所の一つにいろんな品種の梅がたくさん植えられた梅林公園があり、そこへ行けば品種によって花が咲く時期が違う事や花の色、全体の雰囲気の違いなどを一望にする事ができるのですが、今年も梅の花を見に行かなかった事を後悔しながら初夏を迎えようとしています。 たくさん花が咲くという事はたくさん梅の実ができるという事なので、あの梅林公園の梅はどうなっているのだろうと改めて考えてみたりもします。 以前、テレビで梅の実がたわわに実っても野生の鳥たちは、あえて食べようとしないという事をレポートしていました。理由は酸味が強過ぎて食用に適さないためとの事で、完熟しても梅の実は甘くならない事が伝えられていました。 梅の実の酸味にはクエン酸が含まれ、古くから梅の果汁である「梅酢」は利用されてました。今日では梅酢は梅干しを作る際の副産物となっていますが、古くは梅酢を採る事が主目的として行われ、梅干しはその副産物となっていました。 梅の実を収穫して塩に漬けておくと浸透圧によって果汁が梅の実から浸み出し、酸味のある梅酢を得る事ができます。そうした梅酢の利用は非常に古くから行われていた事が知られ、紀元前200年頃のものとされる馬王堆からも梅干しが入っていたと考えられる壺が出土しています。 その頃の梅干しは今日のような食品としてでなく、黒焼きにして粉末にし、腹痛の治療や虫下し、解熱や解毒などの効能を持つ漢方薬として利用されていました。梅酢も食品というより消毒や金属加工などの工業的な用途に多用され、鍍金に用いられたり、青銅器や鉄器の表面に酸化被膜を作って錆びを防ぐなどに使われています。 馬王堆から出土した梅干しが入れられていたとされる壺と同じ物が日本にも伝えられており、日本でも古くから梅干し作りが行われていたと考える事ができます。 近年、縄文時代の遺跡から梅の実が出土し、梅は実際には考えられているよりも遥か以前に原産地である中国から伝えられていた可能性が浮上してきています。縄文人の食生活の豊かさも解明されてきており、経験的に保存技術として塩漬けも行われていた事から、梅干しの歴史は予想を遥かに超えて古い時代へと遡ってしまうのではと思えてきて、古代の食卓に思いを馳せてしまいます。
2014年04月15日
コメント(0)
ジクムント・フロイトというと誰もが知る精神分析学の父ともいえる存在で、後の世界に大きな影響を与えた人物として知られています。そのフロイトが若い頃、熱心に研究に取り組んでいて、初めて科学的な光を当てる事になったという研究対象がある事はあまり知られていません。 その研究対象とは「うなぎ」で、フロイトは医学校時代、イタリアの研究所でうなぎの精巣を発見するための研究に熱心に取り組んでいました。彼の研究によって科学的な取り組みが行われるようになったうなぎですが、その後も生態は謎の部分が多く、ごく最近になるまで幼少期を過ごす場所まで知られずにいました。 普段食べているうなぎのほとんどは養殖された物で、養殖物という響きから人為的に無尽蔵に繁殖させられる魚という印象が強かったのですが、養殖の元となるシラスウナギの減少で価格が高騰するようになってから、うなぎの養殖は卵をふ化させているのではなく、天然の漁獲資源として捕獲されたシラスウナギを肥育して出荷されている事が知られるようになってきています。 うなぎというと和の食文化に根付いていて、もっとも暑さが厳しくなる土用に食べる蒲焼というイメージが強いのですが、世界中の広い地域で食べられている世界的な食材となっています。 何故かアメリカでは、ヨーロッパから移住した当初は盛んに食べられていたようなのですが、南北戦争を境に食べる習慣がなくなり、イタリア系の移民以外には食べられなくなっているといわれますが、うろこがない魚として食べる事を禁じている宗教の影響がある地域以外ではうなぎは馴染み深い食材となって、地域の食文化に根付いています。 アメリカやヨーロッパといった西欧の広い地域の河川や湖などに棲息しているうなぎは、すべて大西洋の中心部分、サルガッソ―地帯の深い海で生まれ、幼少期を過ごすとされ、日本や中国などに分布するうなぎは、太平洋の中心部の深い海で生まれ育つ事が判ってきていて、あまりにもうなぎが採れる場所からかけ離れ過ぎている事がこれまでうなぎの生態を謎としていた事に関わっていた事が判ります。 大西洋や太平洋の中心部分の深い海で生まれたうなぎは、1~2年ほどをその辺りで過ごし、それぞれの種類によって定まった河川や湖、沼などを目指して3千キロ近い旅をする事になります。3年ほどの長旅を終えてそれぞれの地域に辿り着いたうなぎは、長旅の間に逞しく成長し、私達が普段見掛けるような姿になっています。 馴染み深いうなぎとしてそれぞれの地域で生活したうなぎは、やがて産卵の準備が整うとまた長旅をはじめて、大西洋や太平洋の中心部へと帰っていきます。そうした壮大な生活サイクルがうなぎの生涯を謎に包まれたものとしていたのですが、生態が少しずつ判ってきた今日でもうなぎを人為的に安定的に産卵、ふ化させる事は困難とされています。 人工的な繁殖の難しさや各店舗ごとの秘伝のたれなどの付加価値を考えると、今後も高値が続きそうなうなぎですが、産卵のために生れ故郷へと帰る旅を始めると何も食べなくなり、内臓はそれに合わせて変化し、それまで生活していた河川とは比べものにならない水圧にさらされる事から体の作りや色合いも変化してしまいます。 そして生まれ故郷の遠く深い海に辿り着き、子孫を残すと自らは滅びていきます。そんなうなぎの大変な生涯を考えると、その途中でいただいてしまうのはとても申し訳ない事のように思えてきて、多少の高値がしても仕方ないように思えてしまいます。
2014年04月14日
コメント(0)
以前、知っている産科医が「いつでも都合に合わせられます」と、親の都合に合わせた出産ができる事を宣伝していて、充分に準備が整っていないのに陣痛促進剤を使って急かされて産まれてくる子供が可哀想に思えた事がありました。今では自然な分娩が大切と正反対の事をいわれるようになっていたので、そのような心境の変化があったのだろうと、その方が気になったりもします。 陣痛を促して出産を開始させるのは脳の視床下部から下垂体後葉に運ばれて分泌されるホルモン、「オキシトシン」の働きとされています。1950年に発見され、その後、陣痛促進剤として利用されてきたオキシトシンは、子宮を収縮させて陣痛を誘発し、出産を開始させるホルモンとして知られています。 母子共に出産の準備が整った際、オキシトシンが分泌されて子宮が収縮し、出産が開始されるのですが、出産が始まり無事に終了すると必要がなくなるはずのオキシトシンはその後も分泌が続き、むしろ出産の開始時よりも血液中の濃度は高まる傾向がある事が知られています。 陣痛促進剤として知られたオキシトシンにはもう一つの大切な働きがあり、近年、その働きが解明されて愛情や信頼といった家族を形成していく上で重要な働きを担っている事が判ってきて、陣痛促進剤から「愛情ホルモン」や「幸福ホルモン」といった幸せな呼び方をされるようにもなってきています。 母性の源ともいえるオキシトシンは、父性にも関わっている事が判ってきており、家族を形成する習性を持たないオスに投与する事で養育行動を採るようになる事も観察されています。また、オキシトシンには別な可能性も示唆されており、自閉症をはじめとするコミュニケーション障害の改善に役立つ事が期待されています。 他人の気持ちが判らない、場の空気が読めない、相手の反応を理解できず、一方的に話を続けてしまうといったコミュニケーション障害の人にオキシトシンを投与する事で、コミュニケーション障害の症状が改善する事が判ってきています。 コミュニケーション障害の人と健康な人を対象に、相手の表情と言葉が一致している場合と不一致の場合との脳機能の働きを映像化して観察したところ、コミュニケーション障害の人は相手の表情よりも言葉に頼って状況を判断している事に対し、健康な人は相手の表情に重きを置いている事が判り、そうした傾向は脳の内側前頭前野の活動低下が関わっていると結論付けられていました。 オキシトシンを鼻にスプレーする事でコミュニケーション障害の人に見られていた脳の活動低下部位の働きの改善が見られ、オキシトシンの投与で対人コミュニケーションが改善される事が判ってきており、コミュニケーション障害が治療可能となる可能性が高まってきているとされます。 閉ざされた世界に住んでいるとされる自閉症が、家族を思いやる気持ちの源となるホルモンの働きで治療できるとしたら、まさに「幸福ホルモン」ではないかと今後の研究に期待してしまいます。
2014年04月12日
コメント(0)
ジャガイモが大好きで、ジャガイモから作られるほとんどの物がお気に入りとなっているのですが、ウォッカだけは縁遠い物となっています。白樺の炭で蒸留される事から無味無臭無色といわれるウォッカですが、それだけにアルコールのにおいが強く感じられ、消毒薬としか思えない印象があります。 東欧や北欧でよく飲まれているウォッカですが、どの様に成立したのかについては定かではないともいわれます。蒸留酒を作る技術は中世のアラビアで確立された事から、交易などを通じて蒸留技術が伝えられ、それが洗練されてウォッカに至ったと考える事ができ、「スピリタスウォッカ」は98%のアルコール度数を誇る私が知る中では最強の蒸留酒となっています。 アラビアで発明された蒸留酒はヨーロッパでは「命の水」という意味を持つ「アクア。ヴィテ」の名前で呼ばれ、当初は消毒薬として使われています。後に各地でウィスキーやアクアヴィット、ブランデーなどへと発展していくのですが、東欧では長い間、アクア・ヴィテを消毒薬、体臭の予防剤、皮膚感染症の治療薬、気付け薬として使用していて、14世紀にペストが蔓延した際、東欧では流行が見られなかった背景にはアクア・ヴィテを消毒に用いていた事が大きいとされています。 中世のヨーロッパを震撼させたペストの大流行から東欧の人々を守ったウォッカですが、今日ではロシア人男性を若死にさせている要因として悪者視されています。 過去30年の間にロシア人の死亡率は激しく変動を見せており、体制の変化やアルコールの消費量がそれに影響を与えているという指摘があり、実際に1985年に当時のゴルバチョフ政権による反アルコールキャンペーンでは、アルコールの消費量が25%も減少し、それに合わせるように死亡率も急激に低下した事が知られています。 その後、ソ連が崩壊し、政治体制が大きく変動するという時代背景を受けてアルコールの消費量が上昇に転じると死亡率も急上昇を始め、両者の相関関係を強く印象付けてくれています。 そうした傾向を裏付けるためにロシアのバルナウル、ビイスク、トムスクの3つの街で20万人の大人を対象に飲酒量に関する聞き取り調査を行い、500ml入りのペットボトルに換算して1本未満を少量、2~3本程度を中量、3本以上を大量として追跡調査を行っています。 結果として少量グループの死亡率が16%である事に対し中量では20%、大量では35%という少量の倍以上の死亡率が観察され、ウォッカの消費量と死亡率の関係が明確に観察された事になります。 ロシアにおけるアルコールの摂取量に関した死亡率の高まりは、飲酒量やウォッカそのものだけの問題ではないという意見もあり、確かに以前、ウォッカの不足からアルコールを摂取するためにアフターシェーブローションが飲まれたり、質の悪い自作のウォッカを作ったり、工業用のアルコールが飲用に使われているといった場面伝えられたり、酔い潰れて酷寒の街頭の雪の上で寝込んでしまったりという実情を見ると、飲酒量は関係してはいてもウォッカが悪者ではないとも思えてきます。寒いから飲まずにはいられないのか、酒好きに生まれ付いているのか、いずれにせよ適度な付き合いが長生きに繋がる事だけは確かな事といえるように思えます。
2014年04月11日
コメント(0)
マメ科の植物の根に共生する根瘤菌によって大気中の窒素が地中に窒素化合物として固定され、土地を肥沃にして植物の育成を助けてくれます。同じような働きを持つものとして「雷」の存在があり、稲妻、稲光と稲に関連付けた名前を持つ背景には、大気中の窒素の固定作用があるともいわれます。 雷は大気中で起こる大規模な放電ですが、その光を稲妻、稲光と呼ぶ事については、稲が結実する頃に多く雷が発生するためといわれますが、雷の放電によって大気中にイオンの状態で漂っている窒素が大地に落ちて、雷が多く鳴ると稲の育成が良い事が経験的に知られていた事も稲と関連付けられる所以とされます。 そうして地中に固定された窒素は植物に利用され、動物は植物によって作り出されたタンパク質などの窒素化合物を摂取する事で、アミノ酸合成に欠かせない窒素を得ています。しかし、タンパク質などの窒素化合物を分解すると副産物として有害なアンモニアが発生してしまうために、動物の体内ではアンモニアを無害な尿素に変換して尿から排出しているため、窒素は体内に貯蔵する事ができず、摂り続ける事が必要な物質となっています。 生命の維持には欠かせない窒素ですが、物が燃える元となる元素、燃素を発見するための研究中に発見されており、誰が最初に単体分離を行って発見したのかは定科ではないとされています。 窒素の名前は1772年にラザフォードによって単体分離が行われ、その中に生物を入れると窒息死してしまう事から「有害空気」と名付けられ、ドイツで「窒息させる」と「物質」を組み合わせた造語が作られ、それを日本語に直訳した事が元になっています。 生命に欠かせない元素なのに失礼なと思えてくるのですが、同じ頃、単体分離を行ったシャーレには、酸素を「火の空気」と名付けた事に対して火を消してしまう窒素を「駄目な空気」と名付けられ、窒素が元素である事を発見したラヴォアジエには「生きられないもの」の名前が与えられています。 初期の段階では呼吸に関与しない事で散々ないわれ方をされてしまう窒素ですが、その後、安定的な食料生産に欠かせない物となり、超高音、高圧という特殊な条件下では巨大な爆発力を持つ事が知られて、兵器としての研究も行われた事がありました。 今ではあまりにも特殊な条件下でしか利用できない事から、兵器としての可能性は否定されていますが、SF小説の中では登場する事もあり、身近なようで馴染みが薄い物、いつも触れているのに大自然の力を借りないと直接は利用できない物という、どこか不思議な位置付けの物となっています。
2014年04月10日
コメント(0)
陽射しや気候が春めいてくる中、近所の畑には蓮華の花が咲いていて、新たな収穫の時期へと向けた準備が進んでいるようにも思えてきます。畑を休ませている間に蓮華を自生させ、後に畑の中へとすき込んでしまう事で畑は肥沃になるといわれ、春の訪れを知らせてくれる蓮華の花は重要な働きをしている事になります。 蓮華が畑を肥沃にする理由は、蓮華が空気中の窒素を地中に固定し、植物が利用できるようにする働きを持つ事によります。蓮華のそうした力は蓮華そのものではなく、蓮華の根に共生しているバクテリアの働きによって作り出されていて、蓮華はバクテリアの力によって自生する土地を痩せさせる事なく繁殖する事ができるようになっています。 蓮華の根に共生しているバクテリアは、共生する蓮華の根にコブを生じる事から「根瘤菌」と呼ばれ、蓮華をはじめとするマメ科の植物に共通する特徴の一つとなっています。 マメ科の植物に特徴的に根瘤菌が共生する事については、太古の昔、地球上の大気が窒素の比率が非常に高かった頃の名残りともいわれ、バクテリアの存在が知られず、科学的な分析も行われていなかった古代ギリシャやローマでも経験的にマメ科の植物を緑肥とする事が行われていました。 窒素は地球上の生物にとって非常に重要な物質であり、アミノ酸やタンパク質、核酸の塩基などを構成する生命の根幹にも繋がる元素となっています。しかし、ほとんどの生物は大気中で最も多い物質である窒素分子をそのまま利用する事ができず、バクテリアによって固定された窒素化合物を摂取する事で体内に窒素分子を摂り込んでいます。 そのため窒素は植物の成長にも欠かす事ができず、リン酸、カリウムと並んで植物の育成を促す肥料の三大成分となっていて、根瘤菌との共生は同じ場所で繁殖を続ける植物にとって非常に有利な事である事が判ります。 以前、このコラムで大豆を食べる習慣がないアメリカが世界最大の大豆の名産地となっている事について触れましたが、アメリカにおいて大豆の栽培が始まった主な理由は、主要な産物である小麦やトウモロコシの栽培によって低下する地力の回復のためにマメ科の植物である大豆を栽培し、土地にすき込む事で緑肥としていたとされ、緑肥としての「食べない大豆栽培」を食用にする「食べる大豆栽培」が上回るのは1940年代の後半という、意外なほど最近の事となっています。 一見、地味なように思える根瘤菌の窒素固定という働きですが、その効果は絶大で、年間に1億8千万トンもの窒素が固定されていると試算されています。それに対し人間が工業的に作り出している窒素肥料は8千万トンとされ、肥料を作り出す事に電力が使われていて、その電力を作り出すために石油に換算すると1000億リットル以上もの石油が必要になるといわれています。 根瘤菌には不思議な一面があり、闇雲に大気中の窒素を固定しているのではなく、地中の窒素分が多い際は固定作用を弱め、さらに窒素分が過剰になると根瘤菌自体が弱ってしまいます。また、根に共生しているのですが、葉の窒素含有量が多くなると固定作用を弱める事も知られていて、共生しているマメ科の植物が窒素過多にならないように調整しています。 見事な大自然の営みと思いながら、太古の昔から繰り返されてきた阿吽の呼吸がそこにはあるのかもしれないと、改めて大自然の力を感じてしまいます。
2014年04月09日
コメント(0)
さまざまなダイエット法が提唱され、その中の一部はブームとなりますが、やがては廃れていくというサイクルが繰り返されています。そんなダイエット法の中でもかなり楽な部類と思えるものが新たに発表されていたのですが、あまりにも楽過ぎるダイエットは定着しないという法則があるので、ブームとはならないかもと思ってしまいます。 米国ノースウェスタン大学フェインバーグ医学部のキャサリン・リード洵教授をはじめとする研究チームは、ボランティアの被験者54人を対象とした分析の結果、痩せている被験者は必ずしも健康的な食生活を送っている訳でも、運動量が他の被験者よりも多いという訳でもない事が判り、他の被験者との違いを分析すると早朝の日光を多く浴びている事が判ったとしています。 光を浴びる朝の時間が早ければ早いほど、BMI(体格指数)は低くなる傾向があり、逆に光を浴びる時間が遅くなれば遅くなるほどBMIが高くなる事も突き止められています。 7日間に渡る実験の期間中、光の浴び方と睡眠サイクルを測定するためのセンサーを手首に取り付け、食事の記録も撮り続けた結果、運動のレベルやカロリーの摂取量、就寝時間、年齢、季節に関係なく、朝の光は人のBMIに影響を及ぼす事が観察され、朝の光を浴びる事で体内時計が整えられ、結果的にエネルギーのバランスも整えられていると結論付けられています。 方法としては午前8時から正午までの間に明るい光を浴びるというもので、時間的には20~30分程度でも良いとされています。朝日を浴びる事は、その14時間後のメラトニンの分泌に影響を与えるともいわれ、メラトニンは睡眠を掌るだけでなく、体の修復や精神面の健康に欠かせないセロトニンの生成にも関わっているとされます。 また、朝日を浴びるためには早く寝る事も必要で、早く寝ると成長ホルモンの分泌を高め、成長ホルモンは分泌自体にそれなりのカロリーを使うともいわれます。さまざまなメカニズムが複雑に絡んで結果に繋がっているように思えながら、ほぼ毎朝、朝日を浴びている身としては、体形を維持している一番の要因は朝日だったのかと改めて思ってしまいます。
2014年04月08日
コメント(0)
これまでに映画の「ロッキー」は複数回観ているはずなのですが、印象に残るシーンはと問われると、クライマックスの最後の部分で主人公のロッキーがボロボロになった顔で恋人の名を叫ぶシーンと、トレーニングの際、体作りのためにグラスに卵をたくさん割り入れて一気に飲んでしまう場面となっています。 筋肉を育てるには良質なタンパク質が必要となるので、アミノ酸スコアに優れた卵を愛用している事や、昔から精が付くとされる事からスタミナを意識しての事と思えるのですが、そのシーンを撮影するために主演のS・スタローンには特別報酬が支払われた事はあまり知られていません。 日本人には感覚的に理解しにくい事なのですが、日本以外の諸外国では卵を生で食べるという事への抵抗感が強く、かつて日本人が刺身を食べるのを見て、「魚を生で食べる」と驚かれた以上のインパクトが卵を生で食べる事にはあるといわれます。 日本はメキシコに次ぐ世界第二位の消費量を誇る卵大好き国となっていて、いまだに血中コレステロールとの関連付けが信じられていて、一部には健康のために卵を控える声も聞かれますが、日常の食に卵という食材は深く根付いているという事ができます。 かつて卵は非常に貴重で高価な食材であったものが、第二次世界大戦後、本格的な養鶏の普及によって徐々に庶民の食となってきています。大規模な養鶏が行われ、小規模な養鶏業者が淘汰されたり、安価な輸入穀物が飼料とされるようになった事、合理化などが行われていく事で上昇する物価の中でも価格が安定的に変わらないという「物価の優等生」という呼び名も定着し、気軽に食べる事ができる食材となっています。 養鶏が合理化される中で鶏を無菌状態で育てるようになった事が生卵の安全性を向上させ、日本での卵の生食文化を形成するに至ったという事ができます。そうした日本独自の卵事情は卵の賞味期限の表示に見る事ができ、日本における卵の賞味期限は卵が品質を保持して美味しく食べる事ができる期間を表示しているのではなく、卵を生で食べる事ができる期間の目安となっていて、卵を生で食べる事を前提にしている事が判ります。 そのため卵の賞味期限は実際よりもかなり短く表示され、卵は傷みやすい食品という誤解を受けてしまっています。卵の機能を考えるとヒナが充分に育つまでは腐敗菌をはじめとする雑菌の繁殖を許す訳にはいかず、殻の表面のクチクラ層や卵白に含まれるリゾチウム、卵白自体の粘度などが卵を大切に守っています。 卵の保存性の高さは、かつて卵が生鮮食料品店ではなく保存食を扱う乾物屋で扱われていた事にも見る事ができ、そのままでは保存食、殻を割ると生鮮食料品という卵の特殊な性質が理解されていたという事ができます。 卵が身近な食材となって行く中で、いろんな事が忘れられてしまったようにも思えます。悪い卵の典型とされた素手や箸でつまめる、楊枝が何本も立てられる黄身が今では優れた卵のようにもいわれています。身近過ぎるが故の悲劇という感じがしながら、当然の事のように生卵を食べる事ができる幸せを満喫しています。
2014年04月07日
コメント(0)
古代史にはそれほど詳しい方ではないのですが、古代史の謎といわれると急に興味が湧いてきて、謎の解明に繋がる事や新説の登場などをとても楽しみにしてしまいます。そんな古代史の謎の一つに南米、ボリビアのティワナク遺跡群の中心から少し外れた位置にあるプマ・プンク遺跡があります。 プマ・プンクは破壊がひどく、在りし日の姿を留めてはいませんが、一部残された基壇から低いピラミッド構造を持っていた事が推定されています。建築の一部には数トンもある一枚岩でできた物が残されていて、鉄器もなかった時代にどのようにして今日の器材を使っても困難とされるほどの高度な加工を行い、石材の運搬や建築が行われたのだろうという事が大きな謎として残されています。 いい伝えでは石材の運搬にはラッパが使われたとされ、どのような使い方をすれば管楽器が重機顔負けの働きをするのだろうと、首を傾げたくなってきます。しかし、その答えとなりうるかもしれない実験が、東大の研究チームによって行われていました。 今回の実験では、285個の音響トランスデューサーと呼ばれる装置を組み込んだ超音波スピーカーで囲まれた空間内で、プラスティックのビーズを浮かべて上下左右に思いのままに動かす事に成功しており、世界初の成功となっています。 超音波によって物体が空中の一定の位置に保持される事は既に知られており、2013年にはアメリカのアルゴンヌ国立研究所で超音波を使って空中に浮遊させた野菜や塩、オイルを使ってサラダを作るという実験が行われ、成功しています。 そうした装置を大規模化すれば数トンもある巨石も音波によって運搬できるようになるのかと思えてきて、ラッパを使って巨石を運んだという事が急にリアルに思えてくるのですが、巨石の加工技術以上に高度なテクノロジーはどこからと新たな謎に直面してしまいます。
2014年04月03日
コメント(0)
子供と塩分摂取に関する衝撃的な話題をもう一つ。肥満の状態にある人が塩分を摂り過ぎている場合、10代の子供でも細胞に老化を示すサインが見られた事が米国心臓協会の年次集会で報告され、年齢に関係なく生活習慣によって老化が進行する事が確認されています。 14~18歳の男女を対象に行われた研究では、一日の塩分摂取が平均で10.5gと多いグループと平均6.1gと少ないグループに分けて、白血球の染色体の端にあるテロメアの長さの測定を行っています。 テロメアは細胞分裂に深く関わっていて、細胞分裂のたびに端の部分が少しずつ切れて短くなっていき、一定の長さを下回ってしまうと細胞分裂ができなくなる事から、寿命や老化との深い関係がいわれています。 測定の結果、肥満の子供で塩分の摂取量が多いとテロメアが短い事が確認され、染色体レベルでの老化が進んでいる事が確認されています。標準体重の子供では塩分の摂取量が多くてもテロメアの短縮化は見られていない事から、肥満と塩分摂取過多という組み合わせが老化を促進している事が判ります。 肥満は体内の炎症を引き起こすリスクが高いとされ、炎症がテロメアの短縮に関わっている事が知られているだけでなく、塩分がさらにテロメアへの影響を増加させている事が考えられ、生活習慣への配慮は若くて健康な世代にも不可欠な事が裏付けられた事になり、健康を意識するのに早い、遅いはない事が改めて感じられます。
2014年04月02日
コメント(0)
最近では糖質を制限した食品が目立つようになり、あまり減塩については声高にいわれなくなったような感じがしています。一頃は外食の料理に含まれる塩分の多さが問題視されていましたが、外食の機会が減った以上に出来合いの総菜を買って帰る中食の機会が増えているので、塩分のどうなっているのだろうと気になってしまいます。 先日、塩分の摂取に関して興味深い研究結果が報告されていました。研究の対象となったのはロンドンの南部に住む1807人の子供で、24時間に排泄される尿を貯めておいてもらい、その中に含まれる塩分量を元に子供たちの日常の塩分摂取量について推定が行われています。 研究に参加してくれた子供たちには食事内容の食べ物や飲み物を写真や文章によって記録してもらい、塩分摂取に繋がった食品についての調査も行うという本格的なもので、英国では子供の塩分摂取量に関する調査では過去最大のものとなっています。 調査の結果、一日の平均塩分摂取量は3~6歳の子供で3.75g、8~9歳で4.72g、13~17歳で7.55gとなり、13~17歳の平均値は英国で大人の最大摂取量とされる6gを大きく上回るものであり、全体の7割の子供が6gを上回る塩分を摂取している事が判っています。 塩分摂取の元となった食品についてはパンやシリアル食品が全体の36%と最も高く、続いて食肉加工食品の19%、牛乳や乳製品の11%などが塩分の摂取源として上げられていました。 英国では大人の塩分摂取量は過去6年間で15%ほど低下しており、減塩の意識は浸透しているとされますが、子供たちは高血圧などの生活習慣病とは無縁なイメージが強い事もあって、意外な盲点となっているという事ができます。 実際の大人は6gの推奨に対し、平均で8.6g程の塩分を摂取しているといわれますが、子供の7.55g、大人の8.6g、いずれも日本の推奨量の10gを下回っていて、全然問題にならないように思えてしまうのは減塩意識が希薄だからかと振り返ったりもしています。
2014年04月01日
コメント(0)
全21件 (21件中 1-21件目)
1