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Yさんは70歳です。野口体操が大好き、からだを動かすことが大好きということばがピッタリのからだの利く人です。Yさんのおつれ合いは、長い間演劇界で活動しておいでになりました。舞台は勿論のこと、声優のパイオニアでもあり、演出も手がけられました。俳優の養成にも熱心に取り組まれたのでした。Yさんのおつれ合いもまた野口体操が大好き、からだを動かすことが大好きで、野口三千三が、助手として要請したほどの野口体操の理解者でした。「5年ほど前、ある日突然でした。右眼が失明したのです。緑内障という診断が下りました。原因ははっきりしません。その後もう一方の左目も、新生血管という病に侵されて二度にわたり手術をしました。視力が弱り、光の度合いに左右されてほとんど見えない状態になる時も度々あるようです。そのうえ夫は、頚動脈が狭窄していることが分かりました。目に行く血液が流れにくいので、貧血を起こして失神することも度々ありました。今のところ、失神は短時間で直ぐ元に戻るので夫も私も気にしないようにしていますが、心配です・・・。夫は、その不安定で不自由な状態の中でも決してあせらず、あきらめず、自分のできること、やりたいことをやっています。現在、地域で「語りの会」という素人たちの集団を指導して、作品創りに喜びを持っています。そのための準備もそう易々とはいきません。細かい字や小さな物はよく見えないので一つ一つ拡大鏡で確かめて、確実に、これでよいかと念を押しながら丹念に仕事をしています。外出時は私が付き添いますが手助けは最小限で、なるべく自分で歩こうとします。夫は、障害を持っても尚生きることに積極的に向かっています。目も積極的に使っているからでしょうか、それ以上悪くならずに、良くなっていると言います。むしろ、健康な私の方が面倒くさがっている、すぐ諦める、集中してコトがやれない・・・」Yさんは障害を持っても積極的に生きるおつれ合いから自分を照らし出し、その生気をもらって、自分のことをあらためて考え始めました。「人間のする仕事の中で、生きている途中で引退ということのある仕事はすくなくとも生きることにとって基本的な仕事とはいえない。」(野口三千三)
Mar 31, 2006
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今日木曜日の教室で、「横波の動き」をやりました。野口体操を始めて二ヶ月あまりのKさんはなかなか上手くいきません。「この動きは難しくてまだ早いんじゃないか」と、先輩のOさんが助け舟をだしました。しかし、続けていくうちにKさんはいろいろなことが分かってきました。見ながら形を真似てやっていると出来るけれど、一人では途端に出来なくなる、いつも外側の形ばかりが気になる、頭で理解してからだに指令を出してやっている、他者から分析されるのではなく、からだの動きを通して自分自ら分かったのです。それで十分「横波の動き」と取り組んだ意味があるのです。確かに難しい動きはあります。しかしそれはその人にとって難しいのであって、誰にとっても同じように難しいのではありません。どんな動きを難しく感じるかによってもその人の傾向が分かります。しかもいつまでも難しいままではありません。やり方が良ければやがて必ず自分の動きになります。野口体操の動きには習う順序はありません。この動きの次にこの動き・・・と決まっていません。動きの一つ一つも、その動きの意味するところもハッキリと分けることはできないのです。からだはまるごと全体、一つに繋がっている、その理論そのままに、からだの動きも繋がっているのです。だから、どの動きから入ってもいいのです。どんな自分が隠れているか、どんなことが問題なのか、一人ひとり歩いていく道は違っていいからです。光の当て方によってどの角度からも、からだを味わい尽くすことができます。その人にとって今必要な動きをすればいいのです。「たとええ外見は同じように見えたとしても、その人その人の持つ条件によって、全く同じ体操はあり得ません。それぞれ固有の動きがあり、それぞれの内容がある。そういうことを自分のからだが感ずるようになってくるんです。いちいち頭で理屈を考えなくとも、今どういう状態であるか、また、どういうふうにした方がいいのかということを、自分のからだが自然に感じとって、それが一つの行動となってあらわれてくる。」(野口三千三)
Mar 30, 2006
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野口体操教室に長年参加されているYさんは六十代も後半になられます。六十歳で初めて人間ドックに入り今年もドックに入る季節がきました。「継続して経過を見ていかなければならない臓器があるので、今年で五年ほど連続して人間ドックに入っています。胆のうが石灰化していて壁が厚くなっているのだそうです。最初に人間ドックに入った時からの症状なので、いつから出来たのか、生まれ付きなのか、変化するのが一番悪いので継続して経過を見ていかなければならないということです。他に食道炎と胃炎の傾向があって、胃カメラの検査も受けています。ところで今日、胃カメラの部屋でこんなことがありました。私の前の番の五十歳ぐらいの女の人が大騒ぎをしているのです。あんまり大騒ぎをして胃カメラが入って行かないのです。医師は喉の力を抜くように呼びかけているのですが、多分聞こえていないのだと思います。喉どころか全身に力が入っているのだろうと思いました。終いに医師は怒り出しました。 「ぼくは胃カメラ検査では患者さんから信頼を受けています。上手な方です。自信もあります。」あんなことを言う医師は初めてなので、思わず笑ってしまいました。胃カメラは結局中止でした。その婦人と更衣室でまた一緒になりました。顔を憶えていて向こうから話掛けてこられました。 「迷惑掛けてすみません。私、緊張型なんです。だから何も出来ないんです。」ほとんど泣きそうな顔でした。 「どうしたらいいのかしら・・・」あの大騒ぎの一部始終を聞かれてしまったためなのか、真剣に相談されてしまいました。緊張型の為にいろんな場面で支障が起こり、悩んでいる人は他にも多勢いるはずです。ああ、私もそうだった・・・と思いました。私は野口体操と出会って少しずつ自分のことが分かっていくことで解決して来ました。だから、野口体操をお勧めしたのです。そうしたら 「体操で?そんな、私には出来ないわ。もっと緊張しちゃうわ。」としらけた風で、笑いながらそそくさと私から離れて行かれました。体操ってコト、世間はすっかり誤解してますよね。寂しいです・・・」「『体』と『操』のコトバの裏に潜り込んでみると、体操というコトバ自体がまさしくそのまま『からだに貞く』であった。体操とはからだに貞くことである」(野口三千三)
Mar 29, 2006
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二十一日春分の日、教室はお休みでした。お遅ればせながら教室としては今日、野口先生のお墓参りにゆきました。上野の山は桜の花満開でした。その一角にある墓地はよく整備され、どのお墓もそれぞれ思いのこもった造りになっています。野口三千三はこの墓地に眠りたいと強く希望しました。東京藝術大学に1,949年着任以来、毎日通い慣れた道の脇に建つ寺院の墓地です。「教室のどこかで先生は見てお出でになる」と言って、いつも先生と共に居る人もいますが、わたし達は年に何回か先生に会いにこのお墓に来ます。掃除をして、先生が一番好きだった菊の花を手向けました。けれどもわたし達は他の何よりも先生に喜んでもらえるのは、からだの動きを見てもらうことだと思っています。いや、見てもらいたいのはわたし達の方なのかもしれません。先生。どうでしょうか、少しは動きが良くなったでしょうか?みんなで本気でやり続けていますよ・・・。それぞれの思いをこめてお墓の前でみんなで動きます。今日はこの動きをやりました。「腕回し」―_からだは右半身・左半身に分かれている二本の管だということがよく分かる動き「基本の立ち波」―自然の動きも、からだの中も、みんな波が起こっていることを実感する動き「横波」―波はあらゆる方向から起こります「新しい胸が生まれる」―イメージはからだの動きを自由にし、動きの可能性を拡げます「胸を洗う」―先生のあの動き、目に焼きついています「顔・頭の横移動」―なかなか上手く出来ないけれど、表現にも繋がって楽しい動き「ぶら下げ」―全ての原理が入っているこの動き。わたし達も大切に、この動きから学んでいます「逆立ち」―教室一の逆立ちの名手、ここまで楽になりました先生。また会いに参ります。「何回もの空襲で焼けただれた東京。人間や人間がつくったものはことごとく破壊つくされて、何も残っていない焼け野原・・・。その何もかもなくなったあとに悠然と姿を現わしたもの、いや平然とそこに存在していたもの、それが大地だったのです。巨大なる、厳然たる、悠然たる―どんな形容詞を使っても、なお表現摺ることのできない大地の力。子供の頃の私にとっては、どこまでも親しむべき慈母としての存在であった大地が、今、ここに測り知れない恐るべき力を潜ませた神として厳然としてあるのです。」(野口三千三)
Mar 28, 2006
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楽しくなければ何にもなりません。まず楽しい、面白ければ尚すばらしい、それが次の可能性への最初一歩です。「どう?野口体操やっていて、楽しいですか?」「いいえ。何もできなくてそんなゆとりはありません。早く出来るようになりたいです。」何の疑いもなくそう答えを返すひと達がいます。何故そんなに早く出来なければならないのか、楽しく、じっくりゆっくり味わった方が、結局は深くて広い出来上がりとなって返ってきます。出来る、出来ないにとらわれているのです。出来ることに価値を置いているのです。ただ出来ても何にもなりません。そもそも野口体操をやり続けることは、からだの中身を感じ取ることを通して自分自身を確認する、そして、からだの中身の実感の変化が、さらに自分自身になって行く営みです。だとすれば、出来なくても十分同じ経験が出来るのです。あえて言うとすれば、ただ出来なくても何にもなりません。勿論、出来てはじめて分かることがあります。出来なければ分からないことがあります。だから出来た方がいいとも言えます。分かるとは、「からだの動きの実感」によって了解され、納得されるからです。しかし、どちらが上とも、価値があるともいえません。ただ出来たとしても、最近の優れたロボットよりも無味乾燥な動きになるだけです。自分自身から離れて、ただ出来ても、ただ出来なくても何にもならないのです。「生きものが歪められない素朴・素直な感覚で、快と感ずるあり方に肉体をまかせたとき、まるごと全体の生きものにとって、よい方向に進むと考える方が自然であると思うのである。」(野口三千三)
Mar 27, 2006
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Kさんにお会いしたのは渋谷で行われた野口体操のワークショップでした。実は主催は野口体操教室ではなく、かめわざ快心塾でした。“快心”の為なら何でもやってやろう、という勢いと力のあるかめおかゆみこさんが開いておいでの塾で野口体操のワークショップが開かれ、そこに講師として呼ばれて行った時でした。その時Kさんはご夫妻で参加されていました。伝え手の声掛けに耳を傾け、それをからだで実現、実感したいと小さな声で相談されていました。どちらがリードする、世話を焼くというのではなくその静かな優しさが目立つカップルでした。そのあとKさんはすぐに野口体操教室の日曜クラスに参加されました。お一人でした。Kさんご夫妻が何故こころに残ったかと考えるに、お二人の教室における好感度も勿論ですが、どういうわけか野口体操教室には、夫妻で参加されることが大変少ないからです。つい先日は、「日曜日に外出するのは家族に評判が悪い」と止めていかれました。こちらの願いから離れて、夫婦の間に距離ができてしまったと訴える人もいます。野口体操は、からだの中身から実感と共に価値観や美意識の基準が変化していくわけですから。そして今日、Kさんのおつれあいが入会されました。「かめわざ快心塾のワークショップは私が見つけて夫を誘ったのよ。やっと来れて嬉しい・・・」と、晴れ晴れとした笑顔で言って下さいました。時間をたっぷりは取れませんでしたが、「脳天一点逆立ち」もやりました。「逆立ちなんて始めてです。」脳天一点に重さを乗せていく感覚がまだ掴めません。けれども本当に楽しそうなのが素敵です。わたし達もたのしみです。ゆっくりやりましょう。「もし そのつどいい在り方がすぐ感じ取れなかったら、無理に逆立ちさせないでいったん下り、また新しくくり返せばいいのである。早く逆立ちができなければならない理由はまったくない。外側の形だけを無理矢理にでっち上げることは、まったく馬鹿馬鹿しいことである」(野口三千三)
Mar 26, 2006
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毎週土曜日は休刊日とします。
Mar 25, 2006
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地方(福島・三重)から二人、野口体操体験見学にお出でになりました。遠路はるばるこの為に上京し、また直ぐにかえられると聞き、今日の体操はなるべくゆったりとした気分を味わってもらうことで、野口体操の本質に接近してもらいたいと設定しました。「からだは生きた水袋」(野口三千三)は、からだの基本的なイメージです。同時に、「原初生命体としての人間」(野口三千三)を、どれだけ生きられるかの基本でもあります。このからだのイメージをもとに、自分のからだの重さが負担にならずに、重さが生かされるような動きから始めました。重さに任せる気持ちよさを味わってもらいたいのです。床(地球)に安心して自分のからだの重さを任せて寝ます。二人で組んで、ゆすり、ゆすられる「寝にょろの動き」重さの流れの方向を変えながら、にょろにょろ転がる「にょろ転の動き」立って、背中(胴体)の中に重さの流れが幾重にも流れ、通りぬける「上体のぶら下げという動き」からだが「生きた水袋」にならなければどの動きもできません。けれども力が入っていて「水袋」になれないのです。なかなかすぐには余分な力を抜くことはできません。丁寧に繰り返すうちにやがて、意識で支配されたからだが、意識も「水袋」の中に潜り込んで一体になりはじめました。からだを固めている時と、からだの中身が液体的に流れている時と、その違いが少し分かったような・・・、からだの中身が液体的に流れている時には、二人のからだにホッとした表情が現れました。固め切ったからだではこの違いすら感じ取れません。「ああ、気持ちがいい!」ということばも出ました。「自分のからだの重さとは、こんなに気持ちいいものなのかということを、深く味わういとなみを体操という。」(野口三千三)
Mar 24, 2006
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引き続きТさんの介護記録です。「舅はアルコールに依存してきました。思えば舅は定年後、家業を興してからはアルコールを飲みながら働いて来たのでした。アルコールによって人格が豹変するとか、暴れるとかといったことはありません。しかしアルコールで疲れを払っていたのが、少しづつ量が増えたのか、年老いて、からだがアルコールを消費できなくなったのか、補聴器をつけなければ聞こえないほどの難聴になったために、全てが煩わしくなったのか、多分その全部なのでしょう。仕事ばかりか、暮らしにもその影響が現れてきました。姑も補聴器をつけても補えないほどの難聴で、全く耳が聞こえません。以前から妻に暴力を振るうことがなかったわけではありません。姑からの訴えもありました。反面、舅は脳梗塞で倒れた姑の介護を長い間一人でしてきました。或る時から突然、というように家族からは見えました。車の運転が危なくなり、瞬くうちに出来なくなりました。仕事が出来なくなったときには、ほとんど一日中アルコールを飲むようになりました。姑への暴力も激しくなりました。私を含め家族は、特に夫はそんな父を許せませんでした。父親のアルコールをやめさせたい、母への暴力も見ていられない、何とか父親に立ち直って欲しい、舅は叱責され、そのことでますます飲酒にも妻にも乱暴になっていきました。私も、特に夫は深く傷ついていました。こんなことでいいのだろうか、穴の中に落ちていくような毎日でした。最悪な状態が続いたある日、夫が言いました 「自尊心を失わせるほど親父を怒ってはいけない。」夫はその日から父親を叱責しなくなり、小まめに両親の世話に徹するようになりました。そして、舅を妻の介護から開放しました。からだはまるで動かないのに、頭も気持ちもしっかりしていて欲求も強い姑の介護はさぞかし大変な負担だったことでしょう。すると糸が切れたように舅も姑と共に介護される側になリ切ってしまいましたが、舅の気持ちは落ち着いたように見え、実に穏やかな優しい表情さえ見せるようになったのでした。「ちょっと一杯くれないか」、「夜になったら酒屋さんが配達してくれるようになってますよ」朝から繰り返されるこの攻防。わたし達は「参った参った」と言いながらも、酒屋へ電話をかけるフリをしたり、酒屋となって配達してみせたり、笑いながら走りまわっているのです。」「量的に強い力で補助するのと、皮膚という全身の脳に、直接暖かく触れて協力するのとは、些細な違いではなく、全てのことに発展していく全人間的な重大問題なのであることを忘れてはならない」(野口三千三)
Mar 23, 2006
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Tさんの介護記録です。「在宅介護をされている方たちは、どの家庭でもその家庭ならではの工夫をされているのでしょうが、わたし達もいろいろ工夫をしてみました。舅は膝が外側に湾曲していることでまっすぐ立てません。股関節も錆付いているように見えます。からだ全体が壊れかけた機械のように見えます。だからどこかにつかまって伝わり歩きしかできないのです。当然のことですが、足元がおぼつか無いけれど歩きたがります。記憶も短時間で途切れてしまいます。もう両親二人だけにはして置けません。居間にベットを持ち込んで、食事も、くつろぐことも、就寝も同じ部屋ですることにしました。同じ居間にわたし達の布団も持ち込みました。もう夜も両親と階を隔てては寝れないと判断するまでになりました。トイレは引き戸を開け放ち電灯を点けたままにしました。トイレを一段と明るくしてそこに自然と誘い込まれるように、という作戦です。それでも舅は思わぬ動きをしました。夜中に尿意を感じて起きた舅は、煌々と明るく照らされたトイレを通り越して扉を開け、出て行ってしまいました。扉の外は階段、舅は知る由もありません。あと一歩というところで後ろから舅のズボンを鷲掴みにしました。一息遅ければ今頃は救急車で病院に担ぎ込まれていたことでしょう。何も分からない舅はズボンを掴んだ手を必死で振り払い、私を確認すると安心して泣きました。自分を掴まえた手と、私は別人だと思っているようでした。鍵のない扉には通れないように椅子を並べました。小刻みに睡眠を繋いで行く両親を相手に、ほとんど深い眠りにはつけませんでした。すぐ朝がきました。走り回るように両親の間を行き来しながら、結局は両親の気持ちを汲み取った方がコトが滑らかに繋がって行くと納得したのでした。」「すべてのモノやコトに向かい合ったとき、その対象を突き放して冷静に、いわゆる客観的にみることが重要だと一般に主張されることが多い。私は、どんなに物理的に遠くにあるものに対してでも、自分が拡散してそこまで行き、その中に染み込み、融合って一体となり、それを自分の主張として感ずる、という在り方がほんとうなのではないかと考える。」(野口三千三)
Mar 22, 2006
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祝日は休みとします。
Mar 21, 2006
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Tさんは、この連休を挟んで長期に夫の両親の介護を引き受けました。「舅はすっかり変わっていました。短期の間に認知症が進んでいました。その瞬間の認識や判断もできないという程ではありません。けれども、記憶はその瞬間だけのものとなりました。舅は同じことを何十回も問うてきます。こちらもその都度初めて問い掛けられたように返事をします。返事を聞いた舅も何度でも、その度に、新鮮に反応します。そしてすぐ忘れる、また問う、の繰り返しです。記憶できないことは舅の中に混乱を呼ぶようでした。例えば、「今晩はお前たちもココに泊まるのか?」「ここは俺の家だよ」と夫、「え?あッ、なーんだ、そうかあ」と問答を何回も繰り返した後、「この家の持ち主はいつ引き取りに来るの?」記憶できないことは舅もなんとなく分かっているように感じました。少し前までは、忘れてしまうことを認識できて、だめになっていく自分を嘆いていました。しかし今は、そんなレベルを超えてしまいました。からだの中に空白で不確かな感覚だけは残っているようです。不確かで穴の空いた状態のままではいられない、それを埋めようと繋ぎ合わせて、私達の思いも寄らない事を言い出すのではないかと思います。この舅の記憶力の衰退は介護する側次第で何とでもなることでした。「さっき言ったでしょ。」、「今答えたばかりじゃないの」、「もう聞きました」「何やってるの」とイラつきさえしなければ、舅の状態に応じて変化してゆくことができました。むしろ、智恵のつき始めた幼い子供の存在が、家族に爆笑を起こすように楽しいものでした。もう一人、三十六歳から耳が聞こえなくなり、六十一歳で脳梗塞になった完全介護の姑も側にいます。野口体操でからだとゆったり付き合ってきたから、夫の両親とゆったり向かい合うことができるようになったのです。だって、夫の両親と向かい合っている自分のからだとゆったり付き合っているのですから。」「自分のからだの中で起きるどんな声にも耳を傾けよう、ひとことだって聞き逃すまい。そんな気持ちを大事にしているうちに、しだいに今の体操のかたちや考え方がうまれてきたわけなんです」(野口三千三)
Mar 20, 2006
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明日からお彼岸に入ります。野口三千三は晩年、「遺言としての授業」(野口三千三)を行いました。そして最後に辿り着いたのは、「愛情にあふれた教室](野口三千三)でした。今日、一日体験の人が参加されました。遠くても通えるj範囲であれば、一回体験してみて良かったら続けたいという希望を皆さん持っておいでです。わたし達も入会してもらいたいと強く願っています。勿体ないからです。一回だけで終わらせるには、せっかく野口体操と出会ったのに勿体ない。野口三千三から長年に亙って直接薫陶を受けたスタッフが揃っているのに勿体ない。野口三千三を失った後、検証と継承の結果として創りあげてきた教室のメンバーとの調和の中に入らないのは勿体ない。一回だけで終わらせるには勿体ない、と自他共に認め合えるような内容の教室にしたいと夢中でやってきました。より基本を、より本質を、より深めて、そして、それを生きるさまざまな場で生かしていける、生かしている具体を伝えて行きたいのです。だから、最も似合わない、不得意なパソコンにも挑戦しました。単純で未完成ですがホームページも開きました。メールマガジンにもトライしました。「自分自身をその中身の在り方ととして直接とらえることの重要さと、そのような直接認識の能力を認識一般にも拡げる必要性とを、私は『視覚から内臓感覚へ』ということばで大切にしている」(野口三千三)
Mar 19, 2006
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毎週土曜日は休刊日です。*******************************************メールマガジン------------------------------------------野口体操教室──「重さは思い、思いはイメージ」------------------------------------------が、2006年2月より、スタートしました。このブログは過去のブログを編集するかたちで、順に、お届けしていきます。毎週月・木発行。メルマガ登録は、トップ記事にあります。*******************************************
Mar 18, 2006
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春です。木の芽がふくらみ花の咲く季節は、おもわず空を仰ぎ上を見てしまいます。桜の開花も待たれます。楽しみです。春はまた花の苗植えの季節です。草花の苗を植えようと庭の土を掘り起こしました。様々な植物がそれぞれの根を逞しく健気に、新しい苗など入り込む隙間もないほどに、その根を地中深く張り巡らせていました。ハッとしました。今日の体操は、根のイメージで動くことにしました。地中深く根ざして行くイメージです。低い姿勢からの動きを主にしました。寝る・腹ばい・、ひれ伏し・正座・四つんばい・しゃがむ等の姿勢の中から落ち着くところをさがしてみました。根元と言ってもいい、根源と言ってもいい、落ち着くところです。腕や脚も根分けしながら根を張って、地中深く根ざして行イメージです。腕や脚が、根元・根源を求めて足から手の先まで「つたわり、つながり」、根が張り巡らされて行く動きのイメージです。ダンスをやっているkさん。上を目指すことが多かったのでしょうか、美しいという形に囚われていたのでしょうか、根の落ち着くところを探し求める中で始めて、根を張るにはその土壌である土の柔らかさが見失われていること気付きました。「薦骨(仙骨)」を緩めました。新しく命名した「上薦骨」を緩めました。今まで固めていた背中が溶けだしました。「一般にどのような姿勢においても、床(地球)に着いている(重さに任せて触れている)部分が多ければ多いほど、高さが低ければ低いほど、体の中身は液体的になっているといってよい。」(野口三千三)
Mar 17, 2006
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「対話」と名付けられた動きから、一人ひとりの問題が率直に現れてます。最近メンバーになったKさんとSさんは、初めて「対話」の動きをやりました。二人は「対話」の動きで、興味深い反応を見せてくれました。「聞き手」になったKさんは、初めは戸惑っていました。けれども「話し手」からちょっとしたアドバイスを受けると、すぐに出来るようになりました。「話し手」はいつも確かな実感でからだから学んでいくFさんです。「悪くはないのよ、でもなにかオカシイ・・・」Sさんは「話し手」でした。掌から発せられる話し掛けのことばが迷っていました。だから「聞き手」も迷ってしまいます。「繊細でも明確なことばを」アドバイスを受けてSさんの掌からいきなり乱暴なことばが飛び出してきます。「さっきの繊細さがなくなっていない?」KさんもSさんも、途中がないのです。KさんとSさんは外の基準に当てはめてすぐに反応してしまいます。Kさんはなめらかそうで器用に、Sさんはゴツゴツと不器用に。Kさんは「私は演出家からも同じことを言われています。でもだからって、どうしていいか分かりません。」Sさんは「やっぱり、私ってそうだったんだ、思っていることを伝えられない・・・」からだの動きだけです。からだの動きしか見ていないのです。ことばで語られたときも、ことばの中のからだの動きが現れてくるのです。「丁寧なことばや、優しい言い回しを聞いたたことは何度もあります。でも、その場面その場面で、こんなに正確でピッタリしたことばを聞いたのは、野口体操だけです。長い間野口体操をやっているとからだの実感とことばが一致するようになれる、そうすれば自分のことが分かってくると思う。」Fさんが、KさんとSさんに語りかけています。そうだ、そうなんだと、みんなで耳を傾けたのでした。「このからだは自分自身が勝手につくったんじゃない。神がつくったものである。それほど自分のからだが神秘に満ち、豊かで、分からないことだらけなのです。私は、もっともっとからだの中の神からいろいろなことを教わりたい」(野口三千三)
Mar 16, 2006
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「家で練習をしてきます。ところで、どれをやったらいいんでしょうか?」野口体操を始めたばかりの人からよく問われます。出来なくて熱心のあまり、家で練習をしたくなるようです。そんな時、答えます。「当分、やらなくていいと思いますが。」それじゃあ張り合いがないという顔をする人には「気持ちの良かった体操、褒められた体操をなさったらいいと思います。」と。早く出来るようになりたいという気持ちに水を注すようですが、実のところ、体操は死ぬまで、一生ものなのです。しかも一つの動きですら、「ここで終わり」、というところには至らないのです。生きている限り、例え病の床にあっても、このからだと共にありたいと願う限り継続してつながっています。入院している時にからだに関心を持つのは誰しもあることですが、病気の不幸に打ちのめされて、自分のからだが恨めしくなりがちです。野口三千三はそんな時でも肯定的に冷静に病気のからだを受容しました。何回かの入院の度に、ベッドの上から退院までその状態に応じて出来る体操をやり続けました。からだに聴きながら、優しく、丁寧に・・・。そして理論も、哲学も、からだの動きも今まで以上に深めて退院して来ました。病気であることの辛さ、まして大手術の後の不安や苦しさの中でも、からだの実感と共にいました。その冷静さと勇気があるからこそ「病気の診断(病名)は専門家にしてもらいます。しかし治すのは自分で治します」(野口三千三)と言い切れたのです。野口三千三の生涯はまさに、生きている限りこのからだと共にありたい、からだの実感と共にいたい、と願いそうやって生き切った生涯でした。
Mar 15, 2006
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参加者にどう働きかけるかは、伝え手にとっても重要なことです。伝え手の問題意識、それを伝えることばに掛かっていると言っても過言ではありません。今日火曜日の野口体操教室は沸きました。「腕立て弾み」と言う動きが、今までより飛躍的に軽く弾めたのです。からだの動きはさまざまな要素で成り立っています。どれが一つ欠けても思うようにいかない動きがあります。この「腕立て弾み」もいろいろな要素が含まれていて、いつまでもからだが重いままで苦労している人が多くいます。からだを重くしているのは何か。「腕立て弾み」で一番ほぐれていなければならないところは、背中です。中でも仙骨と、肩と肩とのあいだが固まっていては弾みようがありません。野口三千三から学んでいる流れの中で着眼したのは、やはり「仙骨は薦骨である」ということでした。「薦」とは、神獣が好んで喰べる草です。よく茂った、新鮮で、栄養豊富な、柔らかくて細い草です。さらに仙骨から出た神経も「仙骨神経叢」と命名されいます。「叢」も草むらです。だったら、肩と肩とのあいだも草むらと思って少しもおかしくはないはずだ、何故なら、四足だった時代は腕も脚、脚も腕ではないか、ここは大胆に肩と肩とのあいだも「薦」と考えよう、よし、「上薦骨」と呼んでみよう。草むらのイメージは動きを生き生きさせてくれました。丹念に、繰り返し、「下薦骨」と「上薦骨」の思いでほぐします。それから「腕立て弾み」の動きに入りました。見事に「腕立て弾み」の動きが変わりました。「うわー、軽い」、「背中がまるで草むら・・・」、いろいろな声が上がり、教室の空気が一変してきて、そのことでまたみんなのからだが変わります。「私の体操はかたちじゃない。中身が問題なんです。気分が問題なんです。イメージが問題なんです。生き方が問題なんです。私がやっている動きとまるで同じような形の動きをしたからといって、それが野口体操をやったことにはならないし、また、全く違う形の動きでもいいわけです」(野口三千三)
Mar 14, 2006
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野口三千三はからだの中で起こる実感を大切にしました。一方で、「知識は力である」(野口三千三)と言っています。先人たち、他者によって研究され検証されたことには、勿論、尊敬の念を持ってその内容に向き合っていました。しかし、その内容を鵜呑みにはしませんでした。もう一度自分で検証し直しました。そして、最後にはからだの中に起こる実感で決めました。そしてさらに、からだの動きの実感で確かめる、という念の入れようでした。ことばに対する姿勢もまた同じでした。従って、野口三千三の著書には参考文献の欄はありません。まして、誰がこう言っている、彼がああ言っている、ということをまとめて自分の言いたいことを言う、というところは一切ありませんでした。「自分のことばで話そう」ということは、いたる所で言われています。けれども、「自分のことばで話す」というのはどういうことなのか、一般論ではなく、本当にその必要性と、そのことの重大性を自分の問題にしている人はあまりいません。せめて自分の関心事を語る時は、一度自分のからだを通してからにしたいものです。その姿勢はからだの動きにも現れます。動きに実感がない、動きが自分のことばになっていない、一般的な動きが現れてきます。このことばでしか伝えられないという動きをみたときの感動、このことばでしか伝えられないという動きができたときの喜びを求めています。「人間というものは弱いもんだから、ごまかしのきく理屈は信じない方がいい。ごまかしのきかないところで考えていかないと、知らないうちにウソの理論を構築してしまうおそれがあるんです。私にはそれがこわかった。」(野口三千三)
Mar 13, 2006
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今日の野口体操教室はいつもと雰囲気を変えて展開していきました。「『触れる』 ― 人間関係の基本」(野口三千三)が今日のテーマだったからです。床に触れる、椅子に腰掛ける、壁に寄りかかる、掌から気の出入りを感じる・・・。あらためて新しく感覚しながら、からだのいろいろな所でいろいろな所に触れてみました。そして人と人との接触です。今日のテーマが象徴するように、野口体操には二人でやる体操がたくさんあります。全ての体操は二人でやることができる、といって過言ではありません。まさに、触れることは人間関係の基本だからです。にもかかわらず、わたし達は触れることが不得意です。「触れる」ということばすら口から出てこないのです。「触れる」を、押す、合図、信号ということばで言い表してしまう距離は、関係の距離をそのまま言い表しています。「触れる」は、誰でもその気持ちよさとともに体験してきたのに、いつの間にか遠くなってしまいました。「手取り足取り教える」ということばがあるように、いよいよとなれば手で触れて伝えて行くしかありません。悪い場合もあるのではばかられることばですが、思わず手が出てしまうのです。その人のからだの中に「触れる」ということが位置づけられていないからです。「触れる」ことが前提となって二人以上でやる体操ができるのです。「全ての感覚は根源的に『触』であり、『視・聴・臭・味』も本質的には『触』の発展したものである。(野口三千三)
Mar 12, 2006
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毎週土曜日は、休刊日とします。
Mar 11, 2006
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金曜日のクラスは、時々外国人の訪問者があります。十年前この教室を始めたきっかけが、イスラエル人のRさんからの要望でスタートしました。外国人の訪問者が多いのはRさんの存在に負うところが大きくあります。RさんやニュージーランドのMさんは、日本人と結婚され、日本での生活も永く日本語もよく分かります。また再び日本を訪れたアイルランドのKさんは、からだとこころの研究者です。ほかの日本人の参加者もそれぞれに仕事を持って活動しています。舞踏家・歌手・ピアニスト・英語教師・ヨガやアレクサンダー・テクニクスの指導者・・・。生まれた国の違い、仕事のジャンルを超えた集まりです。今日のレッスンは、「立つ」こと「歩く」ことの基本である足の裏でした。足の裏は地球と接する時、からだの中身の「重さと思い」の出入り口となります。足の裏は、イスラエル人のRさんにとってもニュージーランドのMさんにとってもアイルランドのKさんにとっても特別な「重さと思い」の出入り口です。地球の中心と繋がり安心して立っていれば生まれた国と遠く離れていても、足の裏から自分の国へ帰っていくことと同じです。故郷の家族もまた、地球と繋がって立っているからです。確かに立って、確かに故郷に帰ることができたら、そこからまた新しく今住んでいる国での暮らしが始まります。「地球上のすべての存在の究極のふるさとは地球の中心である。」(野口三千三)
Mar 10, 2006
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いわゆる運動神経がないとか運動オンチだとか言っている人が、からだの動きが自由になっていく過程は大変楽しみであると共に、様々なことを教えてくれます。運動神経がない、などという人はいません。音痴がいないように、運動オンチもいません。運動神経がなければ暮らしをして来ることは出来なかったはずです。そんなことを言っている人に限って、お腹の肉のせいにしたり、筋肉がないと言ったり、都合よく年を取っているからと言い逃れをします。つまり他のせいにして、自分の考え方ややり方のほうに眼を向けようとしません。木曜日のクラスに最近新しく仲間入りした若いKさんは、不器用なからだの動きを自分の問題として捉えていて爽やかです。分からないことは分からない、出来ないことは出来ないままにからだに現します。正直なからだをしています。それを言語化する時も、からだの中で起こっている複雑微妙な出来事を正確に把握できます。誤魔化すことは一切しません。芽は育っています。土台としての感覚も優れています。しかし、それを動きに変換する時、既存の方法を持ち込んで来るのです。からだの内側の感覚は優れているのに、それを動きにする時、感覚を閉じ込めてしまうのです。もったいないとおもいます。それほどまでに子供の頃からの教育は強烈なのかもしれません。動きということを外側だけで教えられ、また見せ付けられてきたのです。教室が終わって帰り道、今年定年を迎えた男性が言いました。「僕も、先生から何度も何度もしつこく言われて、まったくそうだと分かっていても、やっぱり、外側の形が気になるんですよねえ」あまりに正直な告白に「そうねえ、ずうっとそうやって来たんですものね」と寄り添った気持ちになりました。「たとえ外見的には真直ぐ突っ立っているだけで、からだが曲がらないとしても、からだの内側が自由自在に変化したならば、その方が柔らかいということです。自分のからだの内側がどう変化するかということの方が“柔らかい”ということの、“動き”ということの本質なのじゃないでしょうか」(野口三千三)
Mar 9, 2006
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わたし達スタッフは何故長い年月、野口体操をやり続けてくることが出来ているのでしょうか。さらなる先があるのです。そのさらなる先を求めて長い年月やり続けているのです。さらなる先は、さらなる深みと言った方が実態と合っているかもしれません。関節の可動範囲の広がりを求めるような、数値を上げることを目標にはしていないからです。さらなる先を信じているのは、過去の経験が保障してくれているからです。からだは裏切りませんでした。むしろ新鮮な驚きの連続でした。驚きは発見でもありました。ああ、わたしには今まで気づかなかったこんなところもあったのか・・・絶対ムリだと決め込んでいたけれど、わたしにはこんな可能性もあるのか・・・どんなに恥ずかしいことも、悔しいことも、それを受け入れた時発見に変わります。それを「からだの動きの実感」で了解していくのです。さらなる深みというのは「からだの動きの実感」が変化していくことに他なりません。「新鮮な興味を持つことができるとき、必ず自分の全体の中身がそのもの・ことに対して自発的に働きかける。いつも新鮮な興味を持つことができれば、飽きることなく、そのもの・ことをやり続けけることができる。長くやり続ける以外に、そのもの・ことをより深く分かるということはあり得ない。(野口三千三)
Mar 8, 2006
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野口体操教室には野口体操をやり続けて五十年、四十年、三十年という人がいます。その代表格が教室のスタッフです。何十年間もなぜ同じコトをやっていられるのか・・・。それは決して同じことではないからです。しかし、それにはからだとの向き合い方が問題になります。例えば、先週のテーマを引き継いで、今日の伝え手も仙骨(薦骨)をテーマにしました。今日の伝え手は、仙骨を解剖学の方向から調べてきました。仙骨には神経の束が出ているのですが、その神経の束を「仙骨神経叢」と呼びます。その解剖学の「叢」という字も「くさむら」のことを指すのだと言うのです。解剖学で分析的に付けられた名前にも「叢(くさむら)」を付けられているのには驚きました。「薦骨」も「神獣の好むくさ」でした。これで「薦骨」と「仙骨神経叢」が繋がりました。感動です。これだけでも仙骨がむずむずしてくるのですが、伝え手はさらに、「くさ」の「そよぐ・さやぐ」のイメージを提出してきました。仙骨の中がくさむらになりました。それでも固い人はくさむらのそよぎ・さやぎのイメージの助けを借りて動いてゆきます。先週何も言ってくれなかった仙骨が何か呟いてくれるかもしれないのです。新しく何か打ち明けてくれるかもしれない・・・。今日のテーマ。伝え手の思いや提出してくるイメージ。そして何よりも野口三千三のことば。それらは全てからだを沸き立たせ、動きを呼び起こしてきます。からだの動きに能動的になる。それが、何十年間もなぜ同じコトをやっていられるのかの一つのこたえです。「次々に現れるからだの状態の『初体験』を楽しむ営みを体操という」(野口三千三)
Mar 7, 2006
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思春期をどうやって切り抜けてここまで来ることができたのだろうか、と思うことがあります。自分が何者かでもあるかのように信じ込んだり、不安と恐怖に怯えたり、その振幅の激しさにからだごと持って行かれそうでした。夢か現実か分からなかったし、自分を客体化することも出来なかった。嘘をついても自分には本当でした。予告もなしに性のエネルギーもからだの中に入り込み、渦巻いていました。気はいつも膨らんでいて舞い上がっているのに、からだは弱く、付いて行けませんでした。気にからだを合わせていました。気とからだの不一致で疲れ果て、いつも熱を出していました。わたしの思春期は魔ものが棲みついているに違いありませんでした。スレスレのところを歩いていたのでした。今も整理されているとは言い切れませんがようやく今の自分自身をそのまま受容できるようになったのは、からだとは自分自身であることを了解したのが力になったのでした。ここ、都心の精神科デイケアで治療を受ける人たちのほとんどが若者です。発病から長い年月を経て、固まり安定している高齢のメンバーはいません。ここでも野口体操が治療として提出されています。若いメンバー一人ひとりの訴えはそれぞれ異なっていますが、その不安定な精神の状況は十分理解できます。彼らはからだと意識が分離していて、意識や精神こそ自分だと思っている人が多いように見受けられます。自分自身のからだを取り戻してもらいたい。からだの動きを通してからだと意識は離れていないことの経験を重ねてもらいたい。それは野口体操でなければできない作業です。「からだの動きはこころの動きである」(野口三千三)
Mar 6, 2006
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今日は新しい一日体験参加の人を迎えて、「足の裏」のことから「立つ」こと、「歩く」ことまでを探りました。基本中の基本です。「足の裏」の「裏」という字は、「なか」とも読みます。この字を紐解いてみると、後ろ襟と前襟の中、つまり懐に「里」という字を包み込んでいる字です。「里」というのは開拓した地に根ざされた人々の生活の場でもあり、生きるための穀物や野菜の採れるところでもあります。その「里」を懐に入れて大切に護っていることを表した字です。「足の裏」もまた、人と地球とが繋がるところです。人の重さを地球に働きかける出口でもあり、働きかけた重さがエネルギーとして返ってくる入り口でもあります。この「足の裏」にからだの重さを包み込まれて安心して立っているといってもいい、「足の裏」で護られているといってもいいのです。そして足の裏でどう「立つ」かは、地球とどう繋がるかということを抜きにしては成立しません。重さの方向にからだの主軸を一致させて地球の中心と繋がることが、頑張らないで「立つ」ことの基本です。頑張らないで立つと、次の動きへの可能性が開かれていきます。「歩く」という動きが待っています。わたし達は「足の裏」と細やかな関係で付き合って来たでしょうか。せいぜい美的な観点から踵の手入れをするぐらいです。魚の目、開張足、外反母趾・・・粗末な付き合いは不快な関係だけを生み出していきます。一日一回は見つめてやり、「なで・さすり、ゆり・ふり、おし、もみ、まげ・のばし、たたき、のマッサージ手技」(野口三千三)で足の言い分を聴きたいものです。「生きている人間の動きは、まず地球に対しての諸関係によって決定される」(野口三千三)
Mar 5, 2006
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毎週土曜日は休刊日とします。*******************************************メールマガジン------------------------------------------野口体操教室──「重さは思い、思いはイメージ」------------------------------------------が、2006年2月より、スタートしました。このブログは過去のブログを編集するかたちで、順に、お届けしていきます。毎週月・木発行。メルマガ登録したい方はトップページをごらん下さい。*******************************************
Mar 4, 2006
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新しく教室に来た人にお尋ねすることがあります。「何を求めてお出でになったのですか?」と。お出でになった理由をまとめてみると次のようになります。本を読んだりパソコンの情報で興味を持ったので、ちょっと体験してみたくなった、肩こり、腰痛などのからだの不調、からだが固いことが気になっている、職場や人間関係で緊張してしまう、だから、取り合えず一回だけやってみて気に入ったら続けて見る気だ、ということのようです。どんな理由であれ、縁あって来ていただいたのです。続けていただけなかったとしてもその人と全力で向き合います。からだの動きという具体に沿ってもう少し踏み込んで行くと、もっと深いところに根があります。自分でも認識されていなかった、認識したくなかったものまで改めて認識の網にすくい上げるのは力のいる苦しい作業です。認識された問題と向き合うのもまた勇気がいります。自分のからだの内側の問題を頭脳だけで解決しようとしたり、こころだけで思い悩むのは、からだの一部分の営みです。からだまるごと全体で機能するのが野口体操のからだの動きです。分断されたからだの動きから、からだまるごとと全体で機能するからだの動きに変わって行く過程が、自分をまるごと受け入れていく過程でもあります。教室に来た当初の目的を超えて、「自分とは何かを探検する営み」の旅に一歩踏み出すことになります。思わぬ方向転換であったとしても、からだの動きはいつもおまけ付きです、面白い、気持ちがいいという・・・。「人間の今日至り得たあらゆる学問・知識・ことば、いわゆる心の問題としてとらえ得たすべてのものを、からだの問題に転置(転換)し、新しく自分自身のからだの中身の変化の実感で、検討するいとなみを体操という」(野口三千三)
Mar 3, 2006
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久々に、正直なからだと出会いました。ことばが出てくるまでの苦労を、正直なからだが正直に語ってくれました。やっと出て来たそのしどろもどろなことばに眼を見張りました。Kさんは声優になりたいと勉強をはじめたところ「そんなからだでは声優にはなれない。野口体操の教室に行きなさい。」と言われて訪ねて来ました。職場の帰りにそのまま遠くから駆けつけてきます。まだ教室に来て一ヶ月ほどです。週一回のレッスンですから都合四回ほどしかやっていません。今日のレッスンは、仙骨は本来は「薦骨」と書いたこと、そして、「薦」とは神獣が好んで食べる豊かで、栄養あふれる、新鮮な、柔らかくて細い草であること、その「薦」という字を骨盤の後壁に付けた意味・願いについて話した後、そのことをからだの動きで確かめ、実感していきました。「薦骨」から前脚が出る、「薦骨」から後ろ脚が出る、そして四つん這いになって歩き出す、という動きで腰の中を確かめていた時、Kさんは突然立ち往生してしまって、からだが動かなくなってしまいました。出来ないというのでもない、分からないと言うのでもない、まして下手というのではありません。羨ましいほど、真っ正直なからだでした。「薦骨」の中の変化が手にまで、脚にまで伝わってこないから、手も脚も出て来ないのです。やっと手脚が出て来るまでの動きは、手探りで「薦骨」からの伝わりを感覚していました。しどろもどろなのに、その動きがKさんの中に起こっていることのすべてを語っていました。立ち往生してしまっている時ですら、からだはことばを発していました。熟練してくるといつの間にかからだが饒舌になってしまいます。何の苦もなく当たり前のようにからだが勝手に動いてしまいます。動きが生まれる時、ことばが生まれる時、からだの中の手探りは同じです。手探りのない動きほど魅力のないものはありません。野口体操を始めばかりの人の動きが魅力的で、大切なことを再確認させられました。「『ことば』のひとつひとつについて、あくまでも具体的に、どこまでもただ今の自分の実感を大切にして探究してゆくいとなみーそれをも私は『体操』と呼んでいるのである。」(野口三千三)
Mar 2, 2006
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野口体操を長年やり続けて来た大井弘子が珍しく体操の効能を口にしました。直接的に効能を口にしたのは初めてかもしれません。大井弘子は野口体操教室のスタッフの一人です。彼女は夫の大井数雄さんと共にロシアの人形劇を日本に紹介し、根付かせて来ました。大井数雄さん亡き後も、人形劇の舞台を続けています。“大井弘子の人形劇の世界”を展開しているのです。小柄な彼女は雪のロシアに留学時、膝を痛めました。そこから派生して今では腰の具合も快調とはゆきません。しかし、からだの動きは見事なものです。思いをからだに乗せていく集中力と、解き放たれたエネルギッシュな動きは、見る者をして圧巻させます。静かな動きもまた丁寧で、とろけるようになめらかです。この丁寧さと、伝わりのよさが基盤にあるから、エネルギッシュな動きに飛び込んでいけるのです。「わたしは野口体操で生きています。」と彼女はよく口にします。からだのためだけではない、考え方も生き方もひっくるめた野口体操との関わりを言っているのです。直接的に膝・腰の効能を口にしたのも、だから深い意味を持っています。地球の軸と、自分の重さの軸を一致させることを自分のからだの動きで探り続けてきた結果として効能を言っているのです。もう闇雲には動けない、年老いて行くわたし達に、決して頑強とはいえない大井弘子のからだの動きは可能性を示してくれます。「決して、『この動きはこんな効果がありますよ』などと言い切ることはできない。その人が或るやり方でやったとき、そこに現れた何かがその人にとってその時のその動きの効果と呼ばれるもので、それも、その時すぐ分かるものだけではない」(野口三千三)
Mar 1, 2006
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