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筒井康隆『幻想の未来』~角川文庫、1987年36版(1971年初版)~ 筒井さんの短編集です。140頁をこえる表題作の他、9編の短編(ショート・ショート)が収録されています。まずは収録作を掲げた上で、印象に残った作品についてコメントを。ーーー「幻想の未来」「ふたりの印度人」「アフリカの血」「姉弟」「ラッパを吹く弟」「衛星一号」「ミスター・サンドマン」「時の女神」「模倣空間」「白き異邦人」ーーー なんといっても、表題作「幻想の未来」はすごい作品です。 放射能で、地下にもぐった人々。何世代も地下で暮らしていた彼らの中には、地上に上がる者もいましたが、決して地下に帰ってくる人はいませんでした。やがてときは経ち、最後の人間が子どもを産みます。その子どもは、環境に適応し、植物に近い存在となっていました…。 さらに時は経ち、「前意識紀」「分意識紀」など、いくつもの時代が過ぎていきます。その特徴は、意識が空間に存在している、ということです。過去の記憶、意識は、有機生命体の意識に働きかけ、彼(彼女)を導いたり、他の星からの訪問者に意思疎通を図ったりします。 ありふれた言葉でいえば、人間(生物)が生きる意味、生きた意味を描く作品といえるのでしょうが、そのスケールは圧倒的です。 最初の、ホモ・サピエンスが絶滅していく過程の描写は恐ろしくもありました。ところが、終盤、あるいはラストでは、優しさや救いも感じました。 あらためて、これはすごい作品です。 なお、この中の一部を独立させた「血と肉の愛情」という短編があります。こちらは、『ベトナム観光公社』に収録されています。 その後の収録作品は短めの作品が多く、表題作よりは軽めの気持ちで読めます。これは面白い、と思ったのは「アフリカの血」。主人公にときどき現れる「顔」の正体が明かされてから、わくわくしながら読み進めました。 「姉妹」はユーモラスな雰囲気ももつ一編。昼食のあとにすぐに横になったら牛になるよ、と私も言われて育ちましたが(いまでは、私自身が冗談で言うことがありますが)、本編では、本当に弟が牛になってしまいます。お姉さんの、「およしなさいよ。どうして牛になんか……」という言葉がぐっときました。 最後に収録されている「白き異邦人」は、どこか悲しくもあるのですが、救いもあるというか、読み終えた後に感慨深くなる作品でした。 表題作だけでも読む価値ありです。良い読書体験でした。(2008/07/04読了)
2008.07.05
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ジョン・H・アーノルド(新広記訳)『歴史』~岩波書店、2003年~(John H. Arnold, History: A Very Short Introduction, Oxford University Press, 2000) オックスフォード大学出版局から刊行されているA Very Short Introductionシリーズの日本語版<1冊でわかる>シリーズの中の1冊です。200頁程度ながら、史学史の概要はもちろん、具体的な歴史学の営みのあり方まで紹介されていて、非常に分かりやすく、また興味深い1冊です。 著者のジョン・H・アーノルドは、ロンドン大学バークベック・コレッジ講師(本邦訳書刊行当時)。What is Medieval History (2008)やBelief And Unbelief In Medieval Europe (2005)など、気になる著作を刊行されているようです。 本書の構成は次のとおりです。―――まえがきと謝辞1 殺人と歴史2 イルカの背から政治の塔へ3 「実際にはどうであったか」――真実、史料館、古物愛好4 さまざまの声と沈黙5 1000マイルの旅路6 猫殺し――過去は見知らぬ国なのか?7 真実の語り自分で歴史を描いてみるために―解説にかえて―(福井憲彦)日本の読者のために(福井憲彦)図版一覧読書案内参考文献――― 第1章は、異端をめぐるある殺人事件を題材にして、歴史学の営みを紹介します。つまり、過去には無数の事件があった。この事件を取り上げるからには、それを大きな構図の中に位置づける必要がある。事件(又はある史料の叙述)を紹介するだけでなく、それを解釈する必要がある、というのですね。本章で特に印象的だった一節をメモしておきます。「すべての歴史家にとって重要なことは、実際に何が起こったかであり、そしてそれが何を意味するのかということである。いつなんどき幻想であることが明らかになるかもしれないある種の「真実」をつかもうとする不確かな試み、そこに歴史の魅力があるのだ」(19頁) 第2章から第3章は、紀元前の時代から20世紀までの史学史の概略です。第2章は紀元前から15世紀頃までを対象にします。その総括として、この時代には、記憶にとどめるべきとされた内容が歴史叙述にあらわれ、その事柄は、偉大な人物・教会・政府・政治であったことが指摘されます。ある歴史家がトゥキディデスについて、「政治史の塔に自らを幽閉した」と評しているという興味深い点も紹介されます。 第3章は、16世紀から20世紀を対象にします。ここでは、「政治史の塔」は廃墟と化していき、一般の人々にも感心が寄せられます。19世紀の著述家トマス・カーライルの興味深い言葉が引用されています。「最初に兵士を連れてアルプスを越えた人物と……最初に鉄のクワを鍛造した名もなき農夫のどちらが人類の歴史において重要であろうか?」(72頁) また、歴史の専門化というシステムがもたらした3つの弊害が指摘されます。第一に、一般の読者層とアカデミックな歴史家の間のへだたりの拡大。第二に、歴史家が客観的な評価を下せるという口実を与えてしまったこと。ここでは、「専門家」は「公平」であることを意味せず、「仕事に対して報酬を受けている」ということだけだと強調されます。第三に、専門分化がなされ、「歴史」はただひとつの真実の物語にはなりえないということです。 第4章は、史料について論じます。ここでは、夫がニューイングランドに赴き不在となった夫人に対して、年金を支給することを決定したという史料を例に、具体的にその位置づけを見ていきます。史料の綴り、同時代の背景、当時考えられていた女性の地位など、多様な情報を史料から読み解くという、歴史学の営みの具体例ともなっていて、非常に興味深く読みました。 第5章は、前章で紹介された史料を、さらに大きな文脈に位置づけます。ここで興味深いのは、物語には終わりがないということ。先の史料は、分析の出発点ではありますが、その終わりはありません。「「帰結」とは、わたしたちが疲れ切って作業をやめる地点にほかならない」(130頁)との言葉が印象的でした。 第6章は、現在のわたしたちと過去の人々は本質的に同じなのか、全く異なるのか、という2つの異なる立場について、「猫殺し」への態度を例に考察していきます。ここで私が関心を寄せているアナール学派の業績の紹介や、「心性」の歴史についてもふれられます。 第7章は、奴隷解放のために声をあげたある女性のスピーチについて、印象が大分異なる叙述が2つ残されており、真実はどうであったかを探るという、興味深い事例から始まります。本書の締めくくりとして、著者が考える歴史学の3つの意義も語られます。第一に、単純な楽しみとして。第二に、何かを考えるときの手助けとして歴史を使うことができるということ。最後に、自分について違った視点から考えることにより、これまでとは違った行動への可能性を意識させられるということです。 福井憲彦先生によるあとがきや文献案内も興味深く、また有用です。訳文もたいへん読みやすく、内容もたいへん実り多く、勉強になりました。良い読書体験でした。・西洋関連(邦訳書)一覧へ
2017.10.14
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Omer Jodogne et Jean Charles Payen, Le fabliau et le lai narratif (Typologie des sources du Moyen Âge occidental, fasc. 13), Turnhout, Brepols, 1975, 66pオメル・ジョドーニュ、ジャン・シャルル・パイヤン『「ファブリオー」「物語短詩(レー)」』(西欧中世史料類型第13分冊)A-VII.B.2A.文献史料VII.固有の意味での文学史B.俗語文学2.物語文学* * * 久々にレオポール・ジェニコが創刊した叢書『西欧中世史料類型』からの紹介です。今回紹介する第13分冊は、「ファブリオー」(滑稽譚)と「レー(短詩)」の2つの史料を扱います。 本書の構成は次のとおりです。(拙訳)―――第一部 ファブリオー(Omer Jodogne) 概略文献目録 序論 第1章 ファブリオー目録 第2章 ファブリオーの性質 第3章 ジャンル略史 第4章 ファブリオーと歴史的現実 第5章 結論第2部 物語短詩(レー)(Jean Charles Payen) 文献目録 第1章 定義 第2章 ジャンルの発展 第3章 レーの構造 第4章 レーの聴衆/読者 第5章 レーの影響 第6章 テクストの校訂 第7章 歴史的関心――― まず、第1部について。 第1章は、主要な先行研究としてベディエとニクロッグNykrog(カナ表記は高名康文「『パレルモのギヨーム』と『狐物語』―ジャンルのパロディーについての一考察―」『ヨーロッパ文化研究』33、2014、201-248頁の205頁を参照)を挙げ、両者の紹介と相違を指摘し、著者独自のファブリオー分類を提示します(登場人物の分類など)。 第2章は、ファブリオーの定義を提示します。「ひとつ、あるいは複数の、滑稽もしくは模範的な冒険が、そのどちらも、あるいはいずれかが、下品な調子を帯びて語られる韻文物語」(p.23)とされます(拙訳)。 第3章は、ファブリオーが1200年頃に誕生し、13世紀によく語られ、14世紀前半には消えていくといいます。特に北仏に見られることを指摘し、地域別の作品数にも言及があります。 第4章は、農村(農民)、宮廷(貴族)、都市(職業)など、作品の舞台や登場人物に着目し、ファブリオーに見られる歴史的現実を指摘します。 結論部はまとめ。1200年~1350年頃がこのジャンルのピークだったことなどをあらためて指摘します。 次に、第2部について。 第1章は「定義」というタイトルですが、先行研究のジャン・フラピエの定義を紹介しつつその限界を指摘する程度で、著者独自の定義は示されません。 第2章は、レーが時代により多様であるとし、アーサー王的レー、ロマネスク的作品、ファブリオーに近い作品などを示します。またレーは12世紀末に発展し、13世紀末には消えていくといいます。また、末尾で、著者によるレーの定義が示されます。「節度をもってロマネスク的プロットを展開する短い韻文詩であり、その語り自体が内容あるいは「意味」に優先し、また意識的に十分に洗練された言語を通して抑制された感情をはぐくむ」(p.47)。きわめて拙い訳ですみません。 第3章は、レーがいくつかのカテゴリに分類されるとし、ブルトン的、非アーサー王的、象徴的などの構造を挙げます。 第4章はレーが貴族やブルジョワ向けの詩であったとし、反女性主義的内容がわずかであり、多くの女性を魅了したといいます。 第5章はレーの写本の拡がりについて、第6章はレーの校訂について論じます。 第7章は、民俗史や心性史の分野からレーが関心を寄せられていることを指摘します。 どちらも不勉強なジャンルで、十分な紹介はできませんでした(特に定義の拙訳は恥ずかしいくらいです)が、メモとして残しておきます。(2026.08.03読了) ・西洋史関連(洋書)一覧へ
2026.09.22
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渡辺節夫『王権と国家―ヨーロッパ近代の中世的起源―』~東京大学出版会、2026年~ 著者の渡辺節夫先生は青山学院大学名誉教授で、中世フランスの政治史がご専門です。 序言によれば、本書は、以前紹介した渡辺節夫『フランスの中世社会―王と貴族たちの軌跡―』吉川弘文館、2006年と対をなす1冊とのことです。 本書の構成は次のとおりです。―――序言1 西欧中世王権とレーン制2 皇帝権と王権3 王の基本的諸権力4 王宮と中央統治機構の発展5 聖俗諸侯層と王権6 地方統治機構の発展7 中世国家とネイション概念結語主要参考文献目録索引――― 第1章は、レーン制(封主の封臣に対する保護義務・後者の前者に対する勤務義務と、封主の封臣に対する封(fief)授与に伴う物権的関係の相互に因果連関的に統合されることにより成立した統一的制度)について、通史的かつ、時代ごとにフランス、イギリス、ドイツなど各国の状況を見ていきます。 第2章では、私は不勉強で、そもそも「皇帝」の位置づけを理解していなかったことに気付かされましたが、要は王権の上位にある「皇帝」の地位と、(フランス)王権が同等であることを主張していく過程が描かれるものとして読みました。(たとえば、3節は「王はその王国内における皇帝である」という法諺を標題としています。) 第3章は、属地的な慣習法が、やがて王に従属する過程や、裁判権と王の関係など、標題どおり王の諸権力の諸相を見ます。 第4章は、中央統治機構の諸役職や、顧問会などについてみていき、第5章はさらに、中央権力と聖俗諸侯との関係をみていきます。とりわけ、シャンパーニュ伯との関係、モンフォール=モンモランシー家系との関係を論じる第5章第3節・第4節では、「概論的性格」(iv頁)のある本書の中でも、各論的な議論が展開されます。 第6章は、地方統治について。地方統治をする役人や、令状の意義、都市との関係などが論じられます。 政治史・法制史的な議論が主となる本書において、ネイション意識を論じる第7章はやや異色のような印象もありますが、私は最も興味深く読みました。第1節ではネイション意識に関する先行研究をたどり、第2節はフランスにおけるネイション意識とアイデンティティ―について史料に即しながら論じます。武勲詩にみるネイション意識を論じる第3節、カペー王権とシャルルマーニュとの連続性を強調する言説を分析する第4節もたいへん興味深いです。 以上、不勉強ながら、簡単ですが本書の概観をしてみました。 上にも引用しましたが、本書は「概論的性格」であるため、注は付されておらず、巻末の参考文献目録は外国語文献のみの列挙(2頁のみ)となっています。序言において、本書の元となる論文が列挙されており、そこまで辿れば典拠も明らかになるとはいえ、本書が「概論的性格」の1冊であるならば、本書を出発点として発展するために、邦語文献も掲載されていると良かったと思われます(ないものねだりかもしれませんが)。 私は政治史の分野はとにかく不勉強なので、概論的性格の本書も十分に理解できたとは言えませんが、『フランスの中世社会―王と貴族たちの軌跡―』と合わせて、適宜勉強していきたいと思います。(2026.09.06読了) ・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2026.09.27
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筒井康隆『宇宙衞星博覽會』~新潮文庫、1982年~ 短編集です。8編の短編が収録されています。 印象に残った作品に重点を置きながら、それぞれに、内容にもふれながらコメントを。ーーー「蟹甲癬」クレール星でほぼ唯一のクレール蟹が、絶滅寸前と知りながらも人々はクレール蟹を食べていた。そうすると、子ども以外の人々に異変が起き始める。顔の皮膚がぼろぼろになっていき、やがてクレール蟹の甲羅のようになる。その甲羅は取り外しができるようになり、裏には美味しいクレール蟹の「脳みそ」そっくりの脳みそが付着していた…。 * この話のように、地球外の星が舞台のSFはなんとなく読まず嫌いだったのですが、面白く読みました。ラストの哀愁漂う感じが印象的です。「こぶ天才」コガネムシ科の虫に似たランプティ・ダンプティを背負うと、その虫はやがて背中と一体化し、それを背負った人々は天才になる―そういう設定の話です。教育ママをはじめ、自分勝手な人間への風刺が痛快でした。「急流」時間の流れがどんどん速くなるという話。こんなラストが待っていたとは…!「顔面崩壊」シャラク星で主食となるドド豆は、調理が難しく、気をつけないと顔面がぼろぼろになってしまう…という話です。皮膚に穴があき、そこに虫が入ってきたり、壮絶な描写が淡々と語られるので気持ち悪くなりました。なんとなくへこみ気味の朝、通勤の電車で読んだのですが、割ときつかったです(それでも読むのがなんとも…)。「問題外科」タイトルの通り。勘違いで健康な看護婦(当時はまだ看護師の名称はないですので)を解剖し殺してしまう二人の外科が主人公です。すごいですよね…。「関節話法」関節を鳴らす癖のあるおれは、その癖を局長ににらまれていた。そんな折、関節を鳴らすことで会話をするマザングという星へ大使として行くことを命じられることに…。 主人公の言葉が、関節が上手に鳴らせなくなることで次第に支離滅裂になっていくあたりは笑ってしまうのですが、一方、彼が背負っている任務を考えると笑えなくもあり…。「最悪の接触(ワースト・コンタクト)」初めて地球にやって来るマグ・マグ人の代表者と共同生活をすることになったおれ。俺をいきなり殴ったり、毒入りの食事を出すかと思えば、ときに筋の通ったようなことを言い…。一週間のマグ・マグ人との共同生活の末、おれは彼らとの交流に反対するが、上司はマグ・マグ人の主張を信用し、交流をはじめることになる。 * この上司の判断や言動を読んでいると、ある種の人間関係(成績の悪い自分の子より、成績の良い他人の子が言っていることを信用する親や、この物語の通りの、ある種の上司とその部下)を連想します。何を信じるか、という基準は難しいと思いますが、なんらかの「権威」の言葉を信じやすいような気もします。うーん、難しいですね…。「ポルノ惑星のサルモネラ人間」本書の中で、最も分量のある作品です。ポルノ惑星と呼ばれる星では、全裸で生活する人間がある地域に集まって生活しており、地球人など外部との接触を拒もうとします。そしてその星では、あらゆる生物がどこか「いやらしい」性格を持っていて…。 価値観の多様性について、さらには自分たちのいわゆる「常識」がいかに閉鎖的・排他的であるかということなどについて考えさせられる作品です。本作の中で、地球ではそのものすごい性欲によって変な目で見られている男性が、ポルノ惑星の人々のある風習にいたく感動し、人間的に成長するようなシーンがあるのですが、これがとても印象的でした。 私自身はかなり保守的で考えも固い傾向にあるのですが、一方で革新や変化を望んでいる部分もあり(政治的な意味でなく、過去のサークル活動でもあったことなど、一般論として)、これまた考えさせられる一編でした。ーーー ホラー…というか、端的にいって「気持ち悪い」作品が割合多いですが、それでも興味深く読みました。筒井さんの作品には、いわば中毒にさせられるような性格があるように思います。もちろん好みは分かれるのでしょうが、私はかなりはまっています。(2008/02/21読了)
2008.02.25
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江國香織『号泣する準備はできていた』 ~新潮文庫、2006年~ 江國香織さんによる短編集。直木賞受賞短編集です。12編の短編が収録されています。 それでは、簡単に内容紹介と感想を。 ――― 「前進、もしくは前進のように思われるもの」夫が、母親から引き取っていた猫を捨ててしまった。夫のことがわからなくなってきた弥生は、それでも、かつてホームステイでお世話になった女性の娘を迎えに行く。 「じゃこじゃこのビスケット」17歳の夏の、決して楽しくはなかったデートの思い出。 「熱帯夜」「行き止まり」にいる、2人の女性。私は、世界が2人だけだったらと考えるが、彼女は少し社交的で…。 「煙草配りガール」知り合い夫婦とともに、私と夫はバーで話していた。二人のケンカが堂々巡りする中、私たちは思い出話を出してみたりする。 「溝」離婚を決めた妻と実家に戻った男。実家ではまだ離婚については話しておらず、独特の空気の中で時間が過ぎていく。 「こまつま」こまごまと家族のために動くので「こまつま」あるいは子どもたちからは「こまはは」と呼ばれる美代子は、お気に入りのデパートで、傲然と歩く。学生時代に恋した男にみられているかのように。 「洋一も来られればよかったのにね」私は、夫の母との旅行をはじめて、毎年同じ時期に同じ宿に泊まる。かつて愛した男を思い出しながら、予想される「あした」のことを考えながら。 「住宅地」学生たちを眺めるのが好きな運転手。夫が浮気しているのに気付いている妻。そして、犬の散歩をしていたその女性に世間話をする男。 「どこでもない場所」私は、友人と、名前を思い出せない男と、雇われマスターとで、バーで話をする。それぞれの恋の思い出などを。 「手」妹に電話でいろいろ愚痴を話した後、妹が私の男友達に勝手に連絡をし、その友達がとつぜん訪問してきて、料理をしてくれた。そんな、予期せぬことにわずらわされた1日のこと。 「号泣する準備はできていた」イギリスで出会った男と別れてからも、男からは連絡がある。その日は、男が見た象徴的な夢の話を聞かされた。その後、文乃は、姪をヴァイオリン教室に連れていく。様々な思いを抱きながら。 「そこなう」私は、男の離婚をずっと待っていたはずだったのに、男からの告白で、何かをそこなったことに気づく。 ――― 久々の再読。 さて、本書の中で印象的だったのは、「住宅地」。知り合いではない3人の生活の一部が描かれます。なんというか、「そうよな」と思う描写が心に残ります。 久々に、印象に残った言葉をメモしておきます。(色反転) 「自由とは、それ以上失うもののない孤独な状態のことだ。」(「手」178頁より)(2020.12.15読了)・あ行の作家一覧へ
2021.05.05
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横溝正史『聖女の首(横溝正史探偵小説コレクション3)』~出版芸術社、2004年~「横溝正史探偵小説コレクション」第3弾です。本書には、金田一耕助シリーズの原型となる作品が数作収録されていて興味深いです。 本書の収録作品は次のとおりです。―――「金襴護符」「海の一族」「ナミ子さん一家」「剣の系図」「竹槍」「聖女の首」「車井戸は何故軋る」「悪霊」「人面瘡」「肖像画」「黄金の花びら」――― 最初の5編は戦時中の時局的な作品。特に面白かったのは「ナミ子さん一家」です。軽快な口調の主人公が、家族の行動で気をやむのですが、はたしてその行動の意味とは…という作品です。 「聖女の首」は、「七つの仮面」(横溝正史『七つの仮面』所収)の原型。もちろん、原型自体も面白いのですが、「七つの仮面」は原型にはない多くのトリックを追加して、さらに物語を充実させていることが分かります。 「車井戸は何故軋る」は、「車井戸はなぜ軋る」(横溝正史『本陣殺人事件』所収)の原型。これは何度読んでも面白いです。どろどろした家族や村人たちとの関係、義眼の男…。後に金田一シリーズに改変されていますが、原型と物語の筋はほとんど変わっていないはずです。ある意味では金田一さんが登場しない分、原型の方が味わい深いかもしれません。 「悪霊」は、「首」(横溝正史『首』所収)の原型、「人面瘡」は後に同題で金田一シリーズとなります(横溝正史『人面瘡』所収)。 「肖像画」は、「ペルシャ猫を抱く女」(横溝正史『ペルシャ猫を抱く女』所収)と改変され、さらに後に金田一シリーズの「支那扇の女」(横溝正史『支那扇の女』所収)となる作品です。 最後に収録されている「黄金の花びら」はジュヴナイル作品です。 金田一シリーズの原型にいろいろふれられるのが嬉しい作品集です。
2016.09.21
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佐藤友哉『水没ピアノ 鏡創士がひきもどす犯罪』~講談社ノベルス、2002年~ 鏡家サーガ第3作です。これは面白かったです。 それでは、内容紹介と感想を。ーーー 18歳、フリーターの僕は、"紘子"とのメール交換を楽しみにしながら、単調な日々を送っていた。外に出れば他人の目が気になり、劣等感に襲われながらも、ただそのメール交換だけを楽しむ日々。ある日、鏡創士という年下の生意気な男と出会うが、鏡は僕についてずけずけと本質を指摘してくる。そして鏡は、ビールなどを持ってアパートにやって来るようになった。 ※ 幸せな(あるいはそう演じていた)家族が崩壊に向かっていた。 私はその状況を、発端から手記(遺書)に認めていく。 優秀な頭脳をもつ長女の梢が、ある事件をきっかけに壊れてしまう。そして家族は梢によって家の中に閉じこめられ、逃れようとしたら即座に殺されてしまう、という事態に陥っていた。梢に殺されるのを、償いだと諦める者。諦められないながらも、逃れられない者…。 そんなある日、父親が密室状況のなかで死亡するという事件が起こる。 ※ 小学4年生の僕は、クラスメイトの伽耶子を守ろうとしていた。純粋で、精神的にもろい伽耶子をおそう『奴』から、なんとしても守ろうと…。 その頃、僕たちの住む田舎の周辺で殺人事件が繰り返されていた。物騒ななか、僕たち生徒から慕われていた担任は産休をとり、伽耶子はかわいい子猫を目の前で傷つけられるという体験をしてしまっていた。 ますます彼女を守ろうと決意を固める僕だが、伽耶子を大きな悲劇が襲うことになる…。ーーー 3つのパートが交互に語られていきます。第1のパートの「僕」が、あまりにもとんでもない(というかどうしようもない)人間で、読んでいて不快な感じにもなりました。また、本書については表紙がその雰囲気をよく伝えてくれていると思うのですが、全体的に重たい雰囲気が漂っています。 …が、物語としてとても面白かったです。裏表紙にもあるとおり、前二作のような「馬鹿げた世界」ではないこともあるのでしょうが、私には初期3部作(?)のなかでもいちばんとっつきやすく、面白いと感じられる作品でした。 素敵な読書体験でした。(2009/09/27読了)
2009.10.02
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森鴎外『阿部一族・舞姫』~新潮文庫、1985年改版~ 森鴎外(1862-1922)の作品集です。9編の作品と、「寒山拾得」執筆の裏話が付録で収録されています。 それでは、ごく簡単に内容紹介と感想を。―――「舞姫」ドイツ留学中、涙する女性―エリスと出会った「余」は、彼女と生活をする。やがて彼女は妊娠するも、日本から来た友人たちのすすめで官途の道が選択肢として開けて…。「うたかたの記」ルートヴィヒ2世が亡くなる頃に起こった、美術学校で学んでいた巨勢と、彼と出会った少女をめぐるある事件。「鶏」小倉に着任した石田小介をめぐる物語。鶏を飼い始めると、隣人からの苦情。さらに世話役の者が食糧などをごまかしているようだが、小介の態度は…。「かのように」歴史を学ぶことを志す青年が、「かのように」あることを怪物ととらえ、また父親との確執に悩む。それを聞いた友人の立場は…。「阿部一族」島原一揆制圧に尽力した細川忠利が病死し、多くの家臣が殉死した。殉死の願いを許されなかった阿部一族当主も死を選ぶが、彼の一族が討伐されることになり…。「堺事件」江戸末期、隊旗を奪って逃げたフランス兵を藩士が追いかけ殺害。フランス人殺害に関わった人々が切腹を命じられるが…。「余興」同郷人の懇親会に参加した「私」は、余興の三味線のリズムと雑音に苦しめられるが…。「じいさんばあさん」隠居にきた、どこか品のある老夫婦の背景とは…。「寒山拾得」中国の故事に題材をとった作品。ある官吏が、乞食坊主に頭痛を治してもらう。赴任先で、坊主に紹介された2人の僧を訪ねに行くが…。――― 購入時、冒頭の表題作の文語体になじめず挫折していましたが、ようやく読めました。「余」はひどいですね。 もうひとつの表題作「阿部一族」と「堺事件」などは歴史小説。歴史ものでは、タイトルで気になっていた「じいさんばあさん」が面白かったです。 本作の中では、解説で「俗受けのする作品」とも評される「鶏」が、たしかに読みやすく、話も追いやすくて楽しめました。 山崎正和氏による「森鴎外 人と作品―不党と社交」は、森鴎外の社交の特徴を指摘しています。夏目漱石と対比している点や、明治36年に美術評論家の岩村透が著した『巴里之美術学生』に記述された日本社会の非社交性に関することば引用(……他人の前に威張りたがり、己の実力をなるべく大袈裟に見せたがる、と云う、カヨウナ人間が、交際などと云うものが出来るか知らむ。253-254頁)が興味深かったです。 また、高橋義孝氏による解説(『阿部一族・舞姫』について)も興味深く読みました。(2026.08.12読了) ・ま行の作家一覧へ
2026.09.23
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小栗虫太郎『黒死館殺人事件』~現代教養文庫、1977年(1999年、22刷)~ 四大ミステリの一つと評される古典的名著です。竹本健治さんのウロボロスシリーズの新作(近刊)のモチーフが本作だそうなので、これを機に読んでみることにしました。 明治19年。医学博士降矢木算哲は、建築家ディクスビィに洋館を建てさせた。フランス人の妻テレーズの生家を模したというが、中世ヨーロッパで黒死病の死者を詰め込んだといわれる城壁を思わせるところから、その建物は黒死館と呼ばれるようになった。 算哲は一度もその館に住まず、23年には館の内部に大改修を施させた。 そして、現在までに、三つの変死事件が起こっていた。明治29年、明治39年、そしてそれから三十数年過ぎた現在。算哲が自殺したのである。 算哲の自殺から約10ヶ月。黒死館で、事件が起こった。算哲が呼び寄せていた、門外不出の演奏家四人のうちの一人、グレーテ・ダンネベルグが殺されたのである。彼女は青酸カリのはいったオレンジを嚥下して死んでいた。その死体にはきわめて奇異な特徴があり、光を放っていたのである。 素人探偵、法水麟太郎が事件の捜査に乗り出した。算哲の妻の名がつけられた自動人形、相次ぐ奇妙な殺人事件、あるいは傷害事件。事件は二転三転の様相を見せる。 …などと内容紹介的に書いてみましたが、これは難しかったです。本作がとてもペダンティックな作品だということは知っていましたが、いやはや意味がわからないところが多々…。医学書、魔術関連の書物など、莫大な書物が引き合いに出されます。そして、事件の関係者と法水探偵の間で交わされる、莫大な数の詩の応酬。なんでみんなそんなに博識なんだ、と思いながら読みましたが(読み流したという方が正確かもしれません…)、詩のやりとりから心理分析が行われるのは面白かったです。この心理戦が読み応えがありました。容疑者の無意識的な言い間違いに、どれだけ犯罪を裏付ける科学的な根拠がおけるのか、と疑問に思いながら(容疑者や、いわゆるワトソン役の支倉検事、熊城捜査局長も指摘していることですけれど)読みましたが、それでも、フロイトの無意識の言い間違いの理論なども援用しながらの法水さんの言葉は面白かったです。 …全体としては、よく分からなかった、というのが正直なところです。一日に一気に読もうというスタンスもまずかったのかもしれませんが、最近の疲れもあり、昼寝を挟みながらの読書で…。もったいない気もします。名著と評されていることは認識していますが、その良さがいまの私には味わえませんでした。残念です。
2006.09.17
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川上弘美『神様』~中公文庫、2001年~ 川上弘美さんのデビュー作「神様」を含む、9編の短編を収めた短編集です。 全体的になんとも不思議な世界で、解説では「夢」の話を援用しながら論じられていましたが、たしかに「夢」みたいという形容はあたっていると思います。ですが、「夢」といってしまうと身もふたも無いというか、本作はそのもやもや不思議な中にもちょっと涙ぐめるところがあって、その全体的な雰囲気に包まれるのが素敵な読書体験だった、といいますか。んー、まどろっこしいですね。 以下、ざっと、一編一編の紹介を簡単にして、適宜感想を書きましょう。「神様」くまに誘われて散歩に出るお話です。 最初に読んだときは、くまが普通に登場して喋ったりしていて、不思議な印象ばかりが残りました。「夏休み」畑のお手伝いにいって、梨をもいでいた私が、「三匹」と出会うお話です。 三匹なのです。一匹一匹別々に行動もしますが、名前などありません。これも不思議なお話で、設定についていけないのもあるのか、短いお話なのに、読了後はなんだか疲れました。「花野」亡くなった叔父がわたしのところにやってきて、お話したり、食事したり、というお話です。 「夏休み」を読了してから、しばらく本書を読んでいなかったのですが、本作はすごく面白かったです。わたしの前に現れる叔父ですが、突然消えてしまうことがあります。最初にその理由を聞いたところで少し涙ぐみましたし、なによりラスト(そして、その直前)が素敵です。「河童玉」わたしとウテナさんと食事をしていると、河童が現れ、彼らの国(?)に連れて行かれます。 河童が現れることにも、水の中で呼吸できることも、さも普通のように描かれています。ウテナさんも河童たちもテンション高くて、読んでいて楽しかったです。「クリスマス」ウテナさんからいただいた壺をこすると、女性が現れます。 こちらも素敵なお話でした。痴情のもつれで死んだコスミスミコさんが、壺の中に住んでいて、出てきては、「わたし」とお話したり食事したり。本作のラストも、三人のどうでもいいような会話がものすごく素敵でした。当たり前だと思いますが、どうでもいいようなことを、笑ってお話することって、すごく幸せで素敵なことです。「星の光は昔の光」近所に住むえび男くんとわたしの交流についてのお話です。 考えてみれば、えび男くんというあだ名以外に、不思議な設定がないのは、本作だけのような…。本作も、タイトルだけで、なんだか泣けそうな話だと予感しながら読みましたが、素敵でした。子どもらしく話すえび男くんと、大人びて話す彼がほぼ一緒に出てくる描写が印象に残っています。「春立つ」小さな居酒屋を営むカナエさんの昔話。 伝承・伝説の世界に行っていたというカナエさん。本作も、ラストが素敵でした。「離さない」人魚を拾ってしまったエノモトさんから、わたしが相談を受けるお話。 ちょっとホラーです。タイトルだけで、そんな予感をしてしまったのもあると思いますが。「草上の昼食」…「神様」の後日譚。 くまは、車の運転もしてしまうようです。なんてところで笑いましたが、やはりラストで泣けました。ーーー 全体を通して、文体はひたすら淡々としています。ですが、なぜだか少し泣けてくる。 …最近私は、裏表紙の紹介文さえ読まずに本編を読み、読んでも感想にいかさないように心がけているのですが、本書の裏表紙にはかないませんでした。まさにその通りでした。 研究室で少し話題になっていたので、読んだ本書。読んでよかったと思います。「夏休み」がなぜかやたらと疲れましたが、その後はどれも楽しく読めました。そして、全体を読了したあと、「神様」を読むと、また別の感慨がわいてきました。
2006.05.14
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横溝正史『双仮面』~角川文庫、1981年6版(1977初版)~ 昭和12年(1937年)~昭和14年(1939年)に書かれた、由利先生シリーズの3つの短編が収録されています(表題作は中編といった方が良いかもしれません)。 それでは、それぞれの内容紹介と感想を。ーーー「双仮面」ダイヤを飾った黄金の船の置物―パーティーの中でそれを公開する雨宮万蔵は、不安に襲われていた。折しも世間は、一種の紳士怪盗とでもいうべき、風流騎士の話題でもちきりだった。金持ちのもとで盗みをはたらき、その証拠に一輪の薔薇を残していくという風流騎士に、その船が狙われるのではないか…。 しかし事件は、彼の不安以上に恐ろしい展開をする。パーティーの当日、雨宮氏の二人の孫、千晶と恭助が見張りの番を交代したときに部屋を訪れた氏は、船のケースに汚れがあるのに気付く。それは小さな薔薇の絵だった。そして恭助は、雨宮氏を刺し殺してしまう。恭助の逃亡劇の後、さらに意外な事実が分かる。パーティーのために用意されていたくす玉の中に、恭助が閉じこめられていたのだった…。「鸚鵡を飼う女」ある雨の夜、新聞記者・三津木俊助は、怪しい格好の人物と遭遇する。慌てて逃げていった人物を忘れようとするのもつかの間、彼は事件に巻き込まれることになる。ある家の前にとめられていた俥。男が、その家に入っていった男に依頼されて押してきたというその中には、女性の死体があった。さらに家の中では、別の男が殺されていた。 女が買っていた鸚鵡の言葉は、何を意味するのか…。「盲目の犬」クリスマスの夜、会食していた由利先生と三津木のもとに、怪しい男が現れた。今夜、殺人事件が起こるという。男を追った二人は、ある家に侵入した男が大あわてで逃げてきて、さらに一匹の犬が男を追いかける場面に遭遇する。さらに、家の中から聞こえる悲鳴。そこでは、全身を噛まれて死んでいる男の遺体があり、その妻と友人が怯えていた…。ーーー 解説の中島河太郎さんも書かれていることですが、この頃の作品は論理性重視というよりもサスペンスの赴きが強いです。なので、ジュヴナイル風の文体にはちょっと戸惑うところもあります。けれどもそこは横溝さん、意外性のある真相が用意されています。「双仮面」の結末は、横溝作品にしては珍しく後味が悪いです。金田一シリーズにもいくつか後味の悪い結末の作品がありますが、えてして最後はほっとする作品が多いのを考えると、珍しい部類といえるのではないでしょうか。 ところで、同じく表題作に登場する「風流騎士」から、以前読んだ『憑かれた女』所収の「幽霊騎手」を連想せずにいられませんでした。 ○○騎手というのが、一種のはやりだったのでしょうか…? 併録された二編はいずれも動物が重要な役割を果たしていて、どちらも面白かったです。※表紙画像は、横溝正史エンサイクロペディアさまからいただきました。(2009/01/12読了)
2009.01.17
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三上延『ビブリア古書堂の事件手帖4~栞子さんと二つの顔~』~メディアワークス文庫、2013年~ ビブリア古書堂の店長・篠川栞子さんと、店員の五浦大輔さんが活躍するシリーズ第4弾です。今回は、江戸川乱歩の作品をめぐる長編です。 それでは、簡単に内容紹介と感想を。――― 10年前に失踪した篠川栞子の母、篠川智恵子がビブリア古書堂に現れてから、大輔と栞子は新たな事件に巻き込まれることとなる。 資産家の別荘で同居していた女性から持ちかけられたのは、開かずの金庫を開けて欲しいという依頼だった。資産家は、家では厳格に過ごしながら、別荘には趣味の江戸川乱歩の著作を、稀覯本も含めてほとんど網羅していた。 栞子は、本邸に、金庫の鍵と、暗号解読のヒントがあるとにらみ、本邸の調査を進めていく。そこから浮かび上がる、資産家の素顔、そして金庫の中身の正体とは。――― ビブリア古書堂シリーズを読むのは久々ですが、夢中になって読みました。 江戸川乱歩は不勉強ながら、まだ読んだことのない作品の方が圧倒的に多いのですが、少しずつ光文社文庫版の全集を集めて読んでいきたいと思っています。この点、これから読む楽しみとして、プラスにとらえています。 栞子さんと母親の関係、そして栞子さんと大輔さんの今後の行方はと、ますます今後の展開も楽しみになっていく一冊です。
2016.08.06
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島田荘司『毒を売る女』~光文社文庫、1991年初版1刷(1995年7刷)~ 8編の短編が収録されています。中には、御手洗シリーズの短編も吉敷シリーズの短編も(1編ずつ)収録されているので、案外嬉しい一冊ですね。 それでは、内容紹介と感想を。「毒を売る女」主婦友達が私以外におらず、いつも私にかまってくる大道寺靖子が、梅毒を持っているかもしれないことが分かった。彼女の家族との交流を避けようとする私だが、私の夫が医者であるために、ますます靖子が接近してくるどころか、それまで既製品をおみやげにもってきた彼女が、手作りの食べ物ばかり持ってくるようになってきた。梅毒がうつされるかもしれないと、私は次第にノイローゼ気味になっていく。「渇いた都市」詐欺師の女にだまされながらも彼女にほれた男が、転落していく。「糸ノコとジグザグJigsaw And ZigZag」クリスマス特集として、リスナーが自由に3分間話すという企画をたてたラジオDJのもとに、リスナーから、自殺をほのめかす、暗号めいた言葉が届いた。番組中に行うとほのめかされている自殺を、DJはリスナーたちの協力をえて食い止めようとする。「ガラスケース」会社からもらったガラスケースの中でおたまじゃくしを飼い始めた私。ガラスケースの中では、生命の進化が再現され始める。「バイクの舞姫」15年前に亡くなった恋人が、バイクに乗って現れた―。私は、恋人が遺していた言葉をたよりに、入江長八について調べ始める。「ダイエット・コーラ」25時間周期の生活になじんでしまったダイエット・コーラの発明家に待ち受けていたのは…。「土の殺意」かつて国土庁につとめていた男が殺された。死亡推定時刻の前に、居酒屋で彼といさかいを起こしていた男が疑われたが…。「数字のある風景」ある日、目に入ってくる文字が、全て数字になってしまった。しかし、数字の規則により、私はいろんなことが予測できるようになる。ーーー いわゆるミステリーに該当するのは、「糸ノコとジグザグ」と、「土の殺意」ですね。前者は、明記はされていませんが、御手洗さんが登場、後者は吉敷さんが登場します。もっとも、特に「土の殺意」というのは、事件の犯人を暴くというよりも、社会的な問題を描くことに重点があるように思います。 表題作は、サスペンスホラーとでもいうのでしょうか。久しく見ていませんが、火サスの雰囲気ですね。このようにドラマに例えるなら、「渇いた都市」は、世にも奇妙な物語といったところでしょうか。「ガラスケース」は、綾辻行人さんのある短編を連想しましたが(もっとも、島田さんの作品の方が先に書かれています)、こういう話は好きです。「数字のある風景」は、『眩暈』の1シーンを連想させますが、この短編だけだと、ちょっと私にはよく分かりませんでした。 島田荘司さんの幅広い作風を感じさせてくれる一冊です。
2007.08.27
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島田荘司さんの代表作、御手洗潔シリーズの略年表です。何年何月にどの事件があったか、という簡単な年表なので、何ヶ月あるいは何十年にもわたるような事件の場合などの細かい部分は伝えられません。そういう意味で、正確だとは言いませんが、少なくとも作品の時系列(出版年ではなく)は分かるかと思います。*短編は緑色の文字で示し、長編あるいは短編集のタイトルは、感想の記事にリンクしています。1948年11月27日…御手洗さんの生年月日(『本格ミステリー宣言』所収「御手洗潔研究家への手紙」参照)1950年10月…石岡さん生まれる (某作品参照)1954年6月…「鈴蘭事件」:御手洗さん、幼稚園児(5歳)(『Pの密室』所収)1956年5月…「Pの密室」:御手洗さん、小学2年生 (『Pの密室』所収)1961年~1962年頃:「汐汲坂の殺人」「踊る人形」「歯磨きチューブの謎」:御手洗さん、中学生(『水上都市の冒険』所収)※詳細な年月は作中描写から特定できませんでした1962年1学期…「火事マニア」:御手洗さん、中学2年生(『水上都市の冒険』所収)1962年12月…「マジシャン御手洗くん」:御手洗さん、中学2年生(『水上都市の冒険』所収)1960年代……「ボストン幽霊絵画事件」:御手洗さん、大学生、ボストン在住 (『御手洗潔のメロディ』所収)1969年10月…『摩天楼の怪人』 :御手洗さん、コロンビア大学助教授(語り手:ジェイミー・デントン)1975年………『鳥居の密室 世界にただひとりのサンタクロース』解決1977年………『ローズマリーのあまき香り』発生1978年………『異邦の騎士』1979年………『占星術殺人事件』解決1979年12月…「数字錠」 (『御手洗潔の挨拶』所収)1980年10月…「疾走する死者」 (『御手洗潔の挨拶』所収)1981年5月…「UFO大通り」 (『UFO大通り』所収)1982年5月…「山高帽のイカロス」 (『御手洗潔のダンス』所収)1982年冬……「セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴」 (『セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴』所収)1983年12月…『斜め屋敷の犯罪』1984年………『暗闇坂の人喰いの木』:松崎レオナさん、初登場1985年………「紫電改研究保存会」解決 (『御手洗潔の挨拶』所収)1986年………『水晶のピラミッド』1987年6月…「ギリシャの犬」 (『御手洗潔の挨拶』所収)1988年11月…「舞踏病」 (『御手洗潔のダンス』所収)1989年2月…「ある騎士の物語」解決(事件は1974年) (『御手洗潔のダンス』所収)1990年3月…「IgE」 (『御手洗潔のメロディ』所収)1990年4月…「山手の幽霊」 (『上高地の切り裂きジャック』所収)1990年7月…『アトポス』1990年12月…「SIVAD SELIM」 (『御手洗潔のメロディ』所収)1991年1月…『屋上の道化たち』1992年5月…『眩暈』1993年5月…「傘を折る女」 (『UFO大通り』所収)1993年8月…『ロシア幽霊軍艦事件』1993年夏頃…『星籠の海』1993年10月…『最後の一球』1994年春前…御手洗さん、日本を離れる (『龍臥亭事件』、「傘を折る女」参照)1995年春……『龍臥亭事件』(御手洗さん、ノルウェーはオスロ滞在)1996年頃……御手洗さん、ハインリッヒと出会う (「さらば遠い輝き」参照)1996年4月…「里美上京」 (『最後のディナー』所収)1996年5月…「大根奇聞」解決 (『最後のディナー』所収)1996年11月…『ハリウッド・サーティフィケイト』 (御手洗さん、スウェーデン)1997年1月…「最後のディナー」解決 (『最後のディナー』所収)1997年………「さらば遠い輝き」(語り手:ハインリッヒ・フォン・レーンドルフ・シュタインオルト) (『御手洗潔のメロディ』所収)1997年5月頃…『ローズマリーのあまき香り』解決(語り手:ハインリッヒ)2000年8月…「上高地の切り裂きジャック」 (『上高地の切り裂きジャック』所収)2001年6月…「溺れる人魚」:御手洗さんは特に登場せず(語り手:ハインリッヒ) (『溺れる人魚』所収)2001年12月…『魔神の遊戯』:御手洗さん、ウプサラ大学(スウェーデン)所属 (語り手:バーニー・マクファーレン…事件関係者、作家)2002年頃……「シアルヴィ館のクリスマス」 (『セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴』所収)2003年………「人魚兵器」:御手洗さん、ストックホルム大学(スウェーデン)にいた頃の事件(2003年以前??)(語り手:ハインリッヒ) (『溺れる人魚』所収)2003年11月…『ネジ式ザゼツキー』解決2004年1月…『龍臥亭幻想』2004年………「海と毒薬」:石岡さんから御手洗さんへの手紙 (『溺れる人魚』所収)2004年………「耳の光る児」 (『溺れる人魚』所収)2004年夏……『犬坊里美の冒険』(石岡さん、電話で登場)2006年2月…「クロアチア人の手」:語り手、石岡さん(『リベルタスの寓話』所収)2006年5月…「リベルタスの寓話」:語り手、ハインリッヒ(『リベルタスの寓話』所収)2020年2月…『伊根の龍神』(語り手、石岡さん)*1996年以降の事件の語り手は、主にハインリッヒ。*「クロアチア人の手」事件では、石岡さんももう55歳ですね。御手洗さんは57歳…。感慨深いですね…。*2025年刊行の『伊根の龍神』は2020年の事件。石岡さんも70歳目前ですね。※『御手洗潔のダンス』所収「近況報告」は、年表に反映していません。
2007.03.03
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阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男』~ちくま文庫、1988年~ 昨日、一昨日に続き、紹介と感想です。 第一部 第一章~第三章 →紹介第一回 第一部 第四章~第五章 →紹介第二回第二部 笛吹き男伝説の変貌 笛吹き男伝説は、第一部で見たように、もともとは<鼠捕り男>のモチーフを含まないものでした。これが<鼠捕り男>のモチーフと融合する過程、そして伝説に対する時代を反映した解釈について、第二部で論じられます。(第一章 笛吹き男伝説から鼠捕り男伝説へ) まず、中世ヨーロッパにおける不作や飢饉の状況が語られます。そうした状況の中での人肉食についても、少しふれられます。飢饉、不作、疫病などによる人口減。こういった苦難は、中世においては繰り返し起こっており、したがってハーメルンにも、<笛吹き男>の事件の後もこれらの危機がありました。そのたびに民衆は、130人の子供失踪という事件を回想し、出来事を語り継いだと考えられる、といいます。先日の記事では書きませんでしたが、史料(3)には、ハーメルンでは、「子供たちの失踪から……日」という数え方がなされていた、という記述があるくらいなのです。 本書の紹介の冒頭でふれたように、伝説の中に鼠捕り男のモチーフがはじめて現れるのは、1565年頃に記された『チンメルン伯年代記』の中です。それ以前はどうか。まず、『ハンス・ツァイトロースの日記』が挙げられます。ハンスは1553年にハーメルンに数日滞在しましたが、その際伝説を聞き、日記に書き留めています。この中では、次のように記されています。 笛吹き男は<楽師と見られる大男>で、彼が笛を吹くと子供たちは一緒に走り出し、カルワリオという山のところで沈んでいった。[…]母親たちが追いすがると、この男は、「300年たったらまたやって来てもっと多くの子供を攫うぞ」と脅したという。 ここで指摘されるのは、<笛吹き男>が大男となっていること、300年後(日記が書かれた年の30年後になりますね)にまた子供たちがさらわれる、という話があるということです。前者からは、<笛吹き男>が魔術的な性格を帯びていることがうかがえます。後者は、16世紀になってもハーメルンが様々な不幸に襲われていたことを反映している、と言います。洪水、宗教改革後の混乱で恐怖に襲われていた人々は、300年前の大男がまた現れるかもしれない、と怯えていた、というのですね。 ふっと、<ノストラダムスの予言>を思い出しました。恐怖の大王(でしたっけ)は来ずに人間社会はまだ続いていますが、 20世紀末、もっともっとこの<予言>をマスコミが面白おかしく(?)大々的に取り上げる平和な国々が困窮や恐怖や不安に襲われていれば、もっと切実に語られたかもしれませんね。様々な不幸な事件が続いたとき、その少し先に起こる不幸を暗示する予言があれば、それは信じられやすくなるのかもしれません。上記のハーメルンの場合は、逆に不安を生み出すための「予言」が後から加えられたわけですが。 さて、<笛吹き男>は魔術的な性格を帯び、1588年の記録では「いかさま師」、1599年の記録では「魔術師」と記されているそうです。こうして、「共同体の蒙ったかつての痛みはローカルな体験から普遍的な世界へと飛翔していった」(228頁)と阿部さんは述べています。 ところで、宗教改革の後、ハーメルンも市参事会と市民のイニシアティヴによってルター派に移行していました(222頁)。宗教改革はカトリックとの対立のため、「異境的慣習」の根強い人々を味方につけたのですが、改革が成功すると、今度はその味方につけた人々の生活を規制する必要がありました。その生活規制のため、ハーメルンでは伝説を利用した、とあります。先にふれたような災害に人々が恐怖している中、1556年には市の新門に、次のようなラテン語の碑文が彫り込まれました。「1556年/すなわちマグスが130人の子供を町から/攫っていってから272年ののち、この門は建立された」(231頁) マグスとは「神秘的な隠れた世界の支配者」ということですが、この表現は明らかに市当局の作為による、と指摘されます。またこの頃には、子供をしつけるための教訓話としても、悪魔が子供を攫う話がありました。 ところがこうなると、一つの問題が起こります。聖職者たちは悪魔が子供をさらうという話を利用したわけですが、ではなぜ神は、罪のない子供たちを悪魔が連れ去ることを許したのか、という問題です。阿部さんは、この問題に対する解答として、<鼠捕り男>伝説との結合を指摘します。 第一部第二章でもふれられたように、ハーメルンは水車が特徴的な町で、鼠の被害も大きかったようです。ここで、史料『チンメルン伯年代記』が確認されます。年代記は、1538年と1557年の鼠の大被害についての記録の間に、ハーメルンの伝説を記しています。この話の中では、鼠が山に連れて行かれますが、そのほかの点では現在に伝わる形をしています。 鼠による被害に対して、なんらかの対策を講じる必要があります。そこで、中世ヨーロッパには、職業的な技術者<鼠捕り男>が登場する、といいます。日本であるような鼠返しなどは、建築物の構造などから彼らには用いられなかったというんですね。 さて、伝説では、鼠捕り男は笛を吹いて鼠を退治します。これに、退治してもらった市民たちは、いわば拍子抜けするのです。彼らは額に汗して働いていました。一方、結果はともあれ、鼠捕り男は笛を吹いただけじゃないか。報酬なんて払えない……というわけです。労働に価値を見いだした「合理的な」市民たちは、「過去の呪術的な世界からの使者」であった鼠捕り男の労働を低く評価したというのです。 なお、この後、ハーメルン以外に伝わる<鼠捕り男>にまつわる話が紹介されます(242-249頁)。伝説によっては、鼠捕り男による復讐のモチーフも見られます。ここで指摘されるのは、鼠捕り男は、その鼠を退治した町の人々にとっては見知らぬ者であったこと、彼らは都市や農村の共同体内に住まない、すなわち放浪芸人同様、放浪する人々であったこと。この要因が、彼らへの差別を生んだ、というのですね。 <笛吹き男>と<鼠捕り男>の伝説の結合。この理由として、放浪芸人と鼠捕り男の類似性だけでなく、当時の社会背景が指摘されます。当時ハーメルンは政治的、宗教的な抗争に巻き込まれており、苦しみを味わわされた人々は、責任を持つ都市上層部(市参事会)への憎悪をつのらせます。庶民にとって、<笛吹き男>や<鼠捕り男>は自分たちの怒り、悲しみを共有できる存在でした。また、<鼠捕り男>の復讐というモチーフには、庶民の怨念が表現されていた、というのです。 やがて、<鼠捕り男>伝説と結びついたハーメルンの伝説には、市参事会の裏切りというモチーフがみられます。この伝説は事実であったと主張する者たちが現れ、市参事会は困ります。というんで、参事会は、そんな伝説は空想である、と主張するようになります。新門の碑文の頃には、伝説を利用した参事会ですが、伝説が自分たちの立場にとって好ましいものでなくなると、それを否定した、というのですね。いろいろ考えながらとても興味深く拝読しました。(第二章 近代的伝説研究の序章) 17世紀のショック(人名)やその弟子のベッカーなどは、伝説(<鼠捕り男>のモチーフは既に結合しています)は信じられない作り話、としています。二つのモチーフが結合した伝説はたしかに「虚像」ですが、啓蒙主義の思想家がそれを史実ではないと否定したことが、ここでは批判されます。彼らは、「民衆にとって長い辛苦のなかから滴りおちるようにして生み出されてきた虚像の方が、無味乾燥な「史実」よりも重い意味を持っているということを理解しなかった」(271頁)というのですね。 ライプニッツ(1647-1716)は、この伝説の裏にいくばくかの事実を読み取ろうとしました。この姿勢が、現代まで保たれています、と言います。 そして、18世紀には様々な説が生まれました。当時は、第一部第二章でふれられた「ゼデミューンデの戦い」説が有力となったようです。 また、19世紀、ドイツは、多くの領邦が分立しており、国家統一をなしとげようとしていました。その際、ドイツの統一のよりどころとして、ドイツが帝国を形成していた中世が浮かび上がりました。このような背景の中で、19世紀ドイツでは中世史研究がドイツ民族共通の過去の研究として勃興したのです。また、ドイツ人の民族の一体性を明らかにするため、民俗学も盛んに営まれるようになります。 このあたりでは、神話的な研究や心理学的な研究も紹介されています。 ハーメルンの笛吹き男伝説について、本章で数世紀にわたる研究のあり方が外観されていて、研究のあり方(対象、目的など)が時代の影響を受ける、ということをあらためて実感しました。(第三章 現代に生きる伝説の貌) ここでは、第一部第一章で紹介された史料(3)ニューネブルクの手書本を再発見した、シュパヌート博士について、詳しく紹介されます。教師として活躍、1912年にハーメルンの女学校の校長となりますが、後にナチスの統制をうけ退職させられ、その後民俗学や郷土史の研究に目を向けます。ハーメルンについて研究を深め、やがて、本書でも何度か名前があがるヴァンと協力して研究を行い、彼らは研究に重要な意義をもつ手書本を見つけたのです。 三日にわたり長々と書いてきましたが、今回で『ハーメルンの笛吹き男』の紹介の記事は終わります。 第二部第三章はまさに、現代の研究者に焦点が当てられていますし、第二部第二章、271頁の言葉をはじめ、阿部さんの目はつねに「生きた人々」に向けられています。民衆の実態、下層民の実態などでの言及ももちろんですが、飢饉、災害などの背景に当然あった人々の苦しみをきちんと見つめ、ハーメルンの笛吹き男という謎にアプローチします。 この謎も、子供たちはどこに消えたのか? など、俗物的な意味でもきわめて興味深いものです。しかしその裏に、単なる知的好奇心ではすまされない、当時生きていた人々の苦しみを見ています。 わくわくしながら読んだ一冊です。 あらためて、阿部謹也先生のご冥福をお祈りします。
2006.09.12
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宮沢賢治『風の又三郎』~角川文庫、1988年~ 9編の童話などが収録された作品集です。 それでは、簡単に内容紹介と感想を。―――「風の又三郎」風の吹いた日、学校に見知らぬ子どもがいました。彼―転入生の三郎を、子供たちは風の又三郎と呼びます。子供たちと又三郎の交流と別れを描く物語。「とっこべとら子」人々を化かす狐のとら子の物語。「祭の晩」山の神の祭に、お金が足りないのに団子を食べてしまって困ってしまった山男。見かねた少年が男を助けると、後日、男は約束を果たしてくれます。「なめとこ山の熊」熊捕り名人の淵沢小十郎と、熊の約束を描くお話。「土神と狐」女の樺の木と話をするのが好きな土神と狐は、仲が良くはありませんでした。ある日、樺の期と仲良く話している狐を見て、土神は嫉妬にかられてしまい…。「虔十公園林」→『銀河鉄道の夜』(新潮文庫版)で紹介。「化物丁場」事故が繰り返される丁場の話。「ガドルフの百合」「マグノリアの木」――― 最後の2編はよくわからず内容紹介を省略しました。「風の又三郎」は有名ですが、おそらく初めて読みました。「なめとこ山の熊」は教科書かなにかで読んだことがあったはず、という淡い記憶がよみがえりました。 好みだったのは、「土神と狐」。神の嫉妬というテーマが面白く読みました。 全くの余談ですが、先に紹介した『銀河鉄道の夜』は新潮文庫版、本書は角川文庫版で買ってしまい、収録作品に重複があるなど、ちょっと失敗したな、と反省。どちらかで統一して揃えていけばよかったと思った次第でした。(2022.11.06読了)・ま行の作家一覧へ
2023.02.18
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島田荘司『島田荘司全集IX』~南雲堂、2024年~ 島田荘司さんの全集第9巻です。前回の第8巻が2021年刊行でしたから、3年ぶりの、待望の全集刊行です。 収録作品については既に別に記事を書きましたが、本書には次の3作が収録されています。―――『改訂完全版 御手洗潔のダンス』『改訂完全版 踊る手なが猿』『改訂完全版 暗闇坂の人喰いの木』――― 全て、初出は1990年ということですが、御手洗シリーズが2作収録されていて、この頃から時代の流れがかわり、御手洗シリーズが次々と発表されていくのがうかがえます。(このあたりの事情は全集所収のあとがきを参照。) 全集に通じることですが、全ての作品について詳細なあとがきが書かれていて、執筆の背景などがうかがえるのが嬉しいです。 本作の月報は、島田荘司さんの作品を読んで作家を志望した伊坂幸太郎さんとの対談です。伊坂さんが、島田さんの「本格ミステリー論」を読んで「完全に理解した」とおっしゃっていて、その点をめぐる二人のやりとりが特に興味深かったです。 全集の帯には、今までは2作先までの収録予定作品が記載されていましたが(たとえば第8巻の帯には第9巻と第10巻の収録予定作品)、今回は第10巻までの予定だけ載っていて、第11巻以降の予定がますます気になります。 まずは第10巻の刊行を楽しみに待ちたいと思います。(2024.07.02読了)・さ行の作家一覧へ
2024.07.20
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銀色夏生『Balance』~角川文庫、1989年~ 銀色夏生さんによる写真詩集・作詞集です。 本書と同年、同題のCDも発売されているようで、歌はオーディションで選ばれた伊藤七美さんが歌われているとのこと(私は持っていません)。 そして本書の写真は風景写真だけでなく、モデルもうつった写真もありますが、表紙見返しにモデルはEMIさんとだけ記載があります。 今まで紹介してきた銀色夏生さんの写真詩集とは少し印象が違って、いくつかの写真・詩の合間に、校正中のような作詞のノートが挿入されています。また、写真も、そのままでなく、イラストや手書き文字を書き添えたかたちとなっていて、詩だけでなく、写真に添えられた言葉も印象的です。 15行×40字ぴったりの文章「曖昧」が、本書の中では特に印象的でした。一部、メモしておきます。「言葉それ自体は、決して伝達手段としては完璧ではない。だからこそおもしろい」(118頁)。 本作も味わいながら読み進めました。(2026.01.21再読)・か行の作家一覧へ
2026.03.21
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Frances Andrews, The Other Friars. The Carmelite, Augustinian, Sack and Pied Friars in the Middle Ages, Woodbridge, The Boydell Press, 2006 著者のF・アンドリューズは、セントアンドリューズ大学の中世史教授。 本ブログでは、次の著作を紹介したことがあります。・Frances Andrews, The Early Humiliati, Cambridge University Press, 1999 本書は、ドミニコ会、フランシスコ会と並んで四大托鉢修道会といわれるカルメル会、アウグスティノ隠修士会に加えて、1274年の第二回リヨン公会議で禁止された2つの托鉢修道会の4つを紹介します。 本書の構成は次のとおりです。―――謝辞略号一覧序論第1部 カルメル会士 1.起源と初期の歴史 2.修道会の地理的分布 3.日常生活 4.後期の歴史と歴史記述伝統の発展第2部 アウグスティノ隠修士会士 1.隠修士から托鉢修道士へ 2.世俗のなかで 3.修道院内部の共同体 4.修道院を越えて 5.学問 6.改革と厳格派第3部 1274年リヨン公会議以後に持続しなかった修道会 1.イエスの贖い会士あるいはSack Friars 2.The Friars of Blessed Mary of Areno, or Pied Friarsエピローグ―後期中世教会の成功と失敗文献案内索引――― 序論では、本書の目的を、本書で扱う4つの修道会が、なぜ・いかにそうした形態をとったか、またいかにその他の修道会や社会とかかわったかを説明することだと述べます。 第1部はカルメル会について、上の構成のとおり、通史的な紹介だけでなく、地域性、日常生活や社会の関わりなど、幅広い観点で紹介します。 アウグスティノ隠修士会を紹介する第2部は全260頁の本書中、100頁以上と、大きなウェイトを占めます。第1部同様に、通史的概観、地域性、日常生活などを論じます。 第3部で扱われる2つの修道会は、邦語ではほぼ扱われていないかと思われます。なお、「イエスの贖い会士」の訳語は、M.D.ノウルズほか(上智大学中世思想研究所編訳/監修)『キリスト教史4 中世キリスト教の発展』講談社、1981年、284頁注12の「イエススの贖い会」の訳語と、同箇所での「サック=Sack…という袋状の修道服を着ていた男女の修道会」以下の説明を参照しました。管見の限りですが、この修道会に言及するその他の邦語文献に辿り着けませんでした。また、Pied Friars(本書226頁の説明では、白い服と黒い肩衣の組み合わせという彼らの服装からつけられたあだ名のようです。あえて日本語にすれば「まだらの托鉢修道会士」といったところでしょうか)については、手元では、言及する邦語文献を見つけられませんでした。 いずれの托鉢修道会も、公会議や教皇の立場により状況が変化していることが見て取れます。 また、特に第1部・第2部は、それぞれの修道会による起源の主張自体が興味深く、それによって1274年の公会議で存続を認められたという歴史的経緯も面白いです。というのも、1215年の第四回ラテラノ公会議で、それ以降の修道会の新設を禁止しました。カルメル会、アウグスティノ隠修士会は、それ以前を起源と主張し、認められたのに対して、第3部で扱われる2者は、1215年以前の起源を示すことができなかったため、第四回ラテラノ公会議の規定をあらためて厳格に適用しようとした1274年第二回リヨン公会議で認められなかった、というのです。 大した紹介はできませんでしたが、ドミニコ会やフランシスコ会に比べると研究の少ない托鉢修道会についての概観が得られる重要な1冊です。たとえば、『西洋中世研究』9所収の赤江雄一「托鉢修道会―中世後期の信仰世界」、鈴木喜晴「14世紀におけるカルメル会の正統性と普遍的戒律観―ヒルデスハイムのヨハネス『擁護者と誹謗者の対話』をめぐって―」でも本書が挙げられていますので、紹介しておきます。(2026.04.17読了) ・西洋史関連(洋書)一覧へ
2026.06.07
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島田荘司『改訂完全版 都市のトパーズ』(島田荘司『島田荘司全集X』南雲堂、2026年、5-185頁) ノンシリーズの長編です。 大きな流れは、次のとおりです(文庫版『都市のトパーズ2007』の記事をほぼ再録)。 首都高速の外郭団体に就職した「私」は、学生時代に鍛えた筋肉を無駄に衰えさせ、天下り役人ら上司のあり方にあきらめにも似た感慨を抱きつつ、日本人的な「善」を痛烈に批判します。 さて、ある頃、ある寺の住職が、十二支の動物を集めようとしていると知り、「私」はその住職に興味を覚えます。住職が集めた動物の中に、虎のトパーズもいました。「私」はトパーズと出会ってから毎日のように寺に通い、トパーズに餌を与えます。そうして、トパーズとの間に信頼関係を築き、住職にも認められていきます。 トパーズが成長すると、近隣の住民が苦情を言いに来ます。住職はうまくかわすのですが、ついにトパーズが檻から脱走すると、人々は、トパーズを殺害すべきと声高に叫び、警察、自衛隊も動き出すことになります。「私」は、トパーズを守るため、奔走することになるのでした。 このように、物語の展開は「私」とトパーズとの交流、そして脱走後の手に汗握る展開が中心となるのですが、テーマとしては「都市論」「日本人論」が本作の中心となっています。先日紹介した笠井潔さんとの対談『日本型悪平等起源論』などにもみられるように、その主張は他の著作でも繰り広げられている内容ですが、それがトパーズをからめた物語に組み込まれています。 末尾には、ロス・アンジェルスが舞台の短編「天使を殺した街」が収録されています。ある女優をめぐる物語です。 大きな謎の提示もなく、いわゆるミステリではありませんが、先にもふれたように「日本人論」「都市論」が中心テーマとなっている点で、非常に島田荘司さんらしい作品と感じます。(2026.06.28読了)・さ行の作家一覧へ
2026.08.11
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島田荘司『改訂完全版 ら抜き言葉殺人事件』(島田荘司『島田荘司全集X』南雲堂、2026年、187-320頁) 吉敷竹史シリーズの長編です。 簡単な概要は次のとおりです(文庫版の記事をほぼ再録)。――― マンションの一室で、日本語教師にしてピアノ教師である笹森恭子が首を吊って死んでいた。笹森はまっすぐな性格で、しかし厳しく刺々しいところがあった。彼女を知る人々は、自殺するような人ではないと口をそろえて言う。 自殺と断定できない要素もあったため、吉敷竹史は、この事件を担当することになった。時を同じくして、別の女性が飛び降り自殺をした。二人をつなぐ人物として、笹森周辺を調べていた吉敷たちは、作家の因幡沼耕作にたどりついていた。 笹森は因幡沼に対して、その作中に使われた「ら抜き言葉」に対する痛烈な批判の手紙を送り、これに対して因幡沼が反論したため、二人の中では激しいやりとりがあった。そして、飛び降り自殺の女性は、因幡沼の熱烈なファンだった。 しかし、因幡沼もまた殺されていた。捜査の中では、笹森が因幡沼を殺し、そのあげく自殺、女性は因幡沼の死を嘆いて自殺した、という構図が考えられた。 しかし、なぜ「ら抜き言葉」なのか。先のように考えられた事件の構図に釈然としない吉敷は、笹森の過去を調べていく。――― 文庫版を読んだのが20年前で、細かい内容は忘れていましたが、本作のもつ独特の重さや、登場人物への不快感は印象に残っていた作品です。 あらためて、「ら抜き言葉」が事件の中心となるという発想の凄さを感じました。 笹森さんが「ら抜き言葉」に異常な思いを持つのはなぜなのか。そこが明らかにされていく過程は重く、なんとも悲しい気持ちになります。 一方で、事件が急展開するときの衝撃は大きかったです。(2026.07.02読了) ・さ行の作家一覧へ
2026.08.15
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島田荘司『改訂完全版 水晶のピラミッド』(島田荘司『島田荘司全集X』南雲堂、2026年、321-785頁) 御手洗潔シリーズの長編です。 まず、簡単に内容紹介を(ノベルス版の記事をほぼ再録)。――― 1986年、アメリカ・ルイジアナ州にある、ビッチ・ポイントという岬。そこから日本橋と呼ばれる橋を渡ったところに、エジプト島と呼ばれる島がある。この島には、ギザのクフ王のピラミッドそっくりのピラミッドがあった。大きさは同じ。ただし、下半分は本物のように石で作られているが、上半分はガラスで作られていた。 このピラミッドを舞台に、レオナ松崎主演の映画のあるシーンが撮られることになった。ピラミッドの設計者の弟、リチャード・アレクスンがレオナに出会い、その映画の話を聞いて、この場所を提供してくれたという経緯があった。 シーンの設定のため、激しい嵐の夜、撮影が行われた。その際、レオナは、まるでエジプトの「死者の書」に出てくるアヌビスのような、犬のような頭をした人間を目撃していた。そして翌日。水晶のピラミッドのすぐそばに建っている塔の最上階で眠ったリチャードが、なかなか部屋から出てこなかった。部屋は、内側からドアがかけられており、窓からも出入りはできず、その部屋は密室状態だった。さらに日付が変わろうとする頃、映画スタッフの判断で部屋をあけると、リチャードが奇妙なかっこうで死んでいた。後の検死により、彼は溺死していることが分かった。塔の最上階―七階―で、密室状況の部屋の中、男が溺死していたという不可解な状況だった。 警察の捜査は難航し、映画撮影も停止させられた。そこでレオナは、一刻も早く事件を解決すべく、御手洗潔のもとへ解決の依頼へと訪れる。――― ノベルス版の記事を公開したのが2006年8月28日。その時点で「数年ぶりの再読」とメモしていましたが、今回は約20年ぶりの再読です。そして、やはり面白かったです。 本作では、古代エジプト、タイタニック号事件が交互に語られ、やがて現代(1986年)の事件についての描写、と展開していきます。前回の記事同様、エジプトのシーンが好みでした。 事件では、不可解な状況という魅力的な謎に、論理的な解決と、ミステリの醍醐味が詰まっています。 撮影が中止され、動きがとれなくなったときの、レオナさんが御手洗さんを信じる思いには胸を打たれます。(2026.07.19読了) ・さ行の作家一覧へ
2026.08.16
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島田荘司『島田荘司全集X』~南雲堂、2026年~ 島田荘司さんの全集第10巻です。前回の第9巻が2024年刊行でしたから、2年ぶりの、待望の全集刊行です。南雲堂ホームページでは「第一期10巻揃う!」とあります。第9巻の帯で、それまでは2巻先までの収録予定が掲載されていたのが、第10巻の収録予定しか記載がなく、なぜなのか気になっていましたが、第1期という区切りだったのですね。今回は、帯に第12巻までの収録予定作品が掲載されていて、今後も楽しみです。 前置きが長くなりましたが、本書には次の3作が収録されています。(既に書いた記事にリンクしています。)―――『改訂完全版 都市のトパーズ』『改訂完全版 ら抜き言葉殺人事件』『改訂完全版 水晶のピラミッド』――― ノンシリーズ、吉敷竹史シリーズ、御手洗潔シリーズと、バランスよく収録されています。 初出は、『都市のトパーズ』が1990年、後2作は1991年。あとがきでは、この頃から、島田荘司さんがロスアンジェルスに拠点を移したことが分かります。 『都市のトパーズ』と『ら抜き言葉殺人事件』は、日本人論でつながりがうかがえますし、『水晶のピラミッド』はさらに大きく文明論がテーマといえるでしょう。 あとがきでは、『ら抜き言葉殺人事件』の着想がどこからきたのか思い出せないとしながらも、日本語論について研究されていたことに触れられていて、興味深かったです。 今回の月報は、光文社編集者の穴井則充さんとの対談です。(2026.07.18読了) ・さ行の作家一覧へ
2026.08.16
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長谷川まゆ帆『歴史学の手引き』~東京大学出版会、2026年~ 著者の長谷川先生は東京大学名誉教授。フランス近世史がご専門で、『お産椅子の旅―ものと身体の歴史人類学』(岩波書店、2004年)などの著作があります。 不勉強ながら、私が先生の著作を読むのは本書が初ですが、ご自身の実践も踏まえ、特に歴史学の叙述のあり方に力点を置いて論じる1冊です。「です・ます体」で書かれていることが特徴で、たいへん分かりやすく、特に感情史の分野に関する最近の動向もおさえることができます。 本書の構成は次のとおりです。―――はしがきⅠ みずみずしく問う 第1章 根をもつこと 第2章 闇の歴史について 第3章 女と男と子どもの近代Ⅱ 書くことの身体性 第4章 ヘイドン・ホワイトと歴史家たち 第5章 自分が変わる 第6章 「社会史」のころⅢ 感じ、考える、そのしかた 第7章 内なる他者の理解に向けて 第8章 歴史・文学テクスト・表象 第9章 心性・感性・共感補遺 森と泉の妖精メリュジーヌ―異界・女・生と死あとがき索引――― 1995年以降に発表された論考をもとに、第1部は史学史について、第2部は歴史叙述について、第3部は感情史など最新の動きについて、といった構成になっています(あとがき参照)。 第1章でいう「根」とは、歴史に対する問いの向け方であり、それは個々人のもつ問いもそうですが、その時代背景によっても変遷があります。ここでは、主にフランスと日本の歴史学の動向をふりかえります。とりわけ、18-19頁の、日本の社会史の動向とフランスのアナール学派の時代的変遷を整理した表は大変分かりやすく、貴重です。 第2章でいう「闇」は、「そこにあるのに見えていない世界、消されている世界」(39頁)のことで、歴史学が叙述・考察の対象にしていなかった(していない)人々・世界のことをいいます。長谷川先生は、「この<いま>という時代に内在する「闇」をさぐりあて、同時代の人たちと共有していく」ことを「歴史学がなれなければいけないのではないか」(45頁)と訴えます。ここでは、アラン・コルバン『人喰いの村』の意義を高く評価していることが印象的でした(かつて読みましたが理解できなかったので、いずれ再挑戦したくなりました)。また、近年の「闇」をめぐる動向として、著者は移民/難民、イスラームとヨーロッパの関係史などを挙げ、その主要な研究を紹介しています。 第3章は、18世紀「啓蒙期」の家族をとりあげ、家族観の変化などを論じます。第1・2章で論じた史学史を踏まえ、その実践の具体例が示されています。 第4章・第5章は、歴史叙述のあり方を論じます。前者はヘイドン・ホワイトに着目しつつ、しかし彼の議論の紹介というよりは、彼の議論を受けた歴史学の動向や反応(デーヴィス『マルタン・ゲールの帰還』やダーントン『猫の大虐殺』などの興味深い研究が生まれています)をたどります。後者はマルク・ブロック『歴史のための弁明』を精読し、現代にも通じるその重要性と、一方で彼にも時代の制約があったことを指摘します。 本書の中で最も分量の多い第6章は、わが国での社会史を牽引した網野善彦、阿部謹也、二宮宏之の経歴、著作の紹介を中心として、その意義を論じます。1952年5月1日の「血のメーデー事件」の影響なども触れられていて、興味深いとともに、特に考えさせられる章でした。 第7章は、人類学の手法を取り入れた歴史研究―歴史人類学―の成果に着目し、家族史、シャリヴァリ、儀礼、さらには近年の動向である感情史など、多様な動向をたどります。 第8章は、特に書かれたものをめぐる研究のあり方として、ロジェ・シャルティエらの研究の意義を論じます。 第9章では、タイトルどおり心性史、感性の歴史、感情史の関わり方・比較を踏まえ、感情史の一例として「共感」をめぐる研究の紹介とそれへの批判がなされます。 補遺は、メリュジーヌ物語の分析を通して、異界・女・生と死のイメージを論じます。 以上、本書は、「社会史」や「感情史」などの動向に力点を置きつつ、著者自身の実践や経験を踏まえた具体的な叙述も豊富で、興味深い1冊です。(2026.07.19読了) ・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2026.09.06
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黒川正剛『<奇異な裁き>のヨーロッパ史―神判・動物裁判・魔女裁判―』~教育評論社、2026年~ 著者の黒川正剛先生は太成学院大学人間学部教授で、魔女をテーマにした単著を何冊か刊行していらっしゃいます。 私が先生の単著を拝読するのは本書が初めてですが、次の論集に収録されたコラムを読んだことがあります。・黒川正剛「教会とジェンダー」甚野尚志/踊共二(編)『キリスト教から読み解くヨーロッパ史』ミネルヴァ書房、2025年、252-255頁 さて、本書は、魔女裁判を中心に研究してこられた黒川先生が、神判、決闘裁判、動物裁判をも視野に入れ、これらを「奇異な裁き」というキーワードで見て、共通点や変遷を辿ろうとする一冊です。 巻末に参考文献リストはありますが、注はなく、一般向けの著作です。 本書の構成は次のとおりです。―――序 章 「奇異な裁き」の風景―近世から中世へ第1章 神判の諸相―全能の神を試す?第2章 決闘裁判―名誉をかけた戦い第3章 動物裁判―揺らぐ人間と動物の境界第4章 魔女裁判―悪魔の時代の到来終 章 「奇異な裁き」に通底するものあとがき図版出典参考文献索引――― 序章では、「奇異」に映るこれら裁判の事例紹介の後、本書の目的が示されます。すなわち、これら4種類の裁判それぞれについては既に多くのすぐれた研究が刊行されていますが、これらを「包括的に捉えて共通するものを探る試み」は、十分になされてこなかったと言います。この試みこそが、本書の目的となります。 なお、これらの裁判を個別に扱った邦語文献について、本ブログで紹介したことがある主な文献は次のとおりです。・神判…赤阪俊一『神に問う―中世における秩序・正義・神判―』嵯峨野書院、1999年・決闘裁判…山内進『決闘裁判 ヨーロッパ法精神の原風景』講談社現代新書、2000年・動物裁判…池上俊一『動物裁判 西欧中世・正義のコスモス』講談社現代新書、1990年・魔女裁判…池上俊一『魔女狩りのヨーロッパ史』岩波書店、2024年;ジャン=ミシェル・サルマン(池上俊一監修/富樫瓔子訳)『魔女狩り』創元社、1991年 以上の紹介記事でも個別の紹介はしてきましたので、この記事でも、各章の詳細は割愛し、本書の特徴を簡単にメモしておきたいと思います。 著者が各章で重点を置いているのは―そしてこれらに「通底するもの」としているのは―神や悪魔との関わりとその比重の変化です。 たとえば、第1章では「悪魔の介在」「中世前期の神判と悪魔」と題する節が設けられ、それまでに言及された悪魔祓いに関する記述などを踏まえ、悪魔の役割が指摘されます。 第2章にも「決闘裁判と悪魔の介在」と題する節があり、決闘裁判関連史料のすべてに悪魔への言及があるわけではないとしながらも、その意義を論じます。 第3章には直接的に悪魔の介在を論じた節はありませんが、人間と動物の境界などの興味深い議論が展開されます。また、第4章と終章で、「動物の悪魔化」として、悪魔に付与される動物的な特徴が指摘されることから、動物と悪魔の関係も言及されます。 第4章では、随所で悪魔と魔女の結びつきが指摘されます。 先に、「通底するもの」として「神との関わり」もメモしましたが、以上のように、本書では悪魔の位置づけの方がより強調されているように思われました。 軽微ではありますが気になった記述もあります。第4章において、女性が動物的とみなされていく(女性の動物化)ことを論じる部分にて、「女性と動物を同質の存在とみなす傾向は、13世紀以降、さらに強まっていく。神学者ジャック・ド・ヴィトリは、女性はクジャクに似ていると言う。なぜなら、両者は己の姿に自惚れる点で同じであるからだ」(169頁)とあります。これがジャック・ド・ヴィトリのどの史料からの引用かは特定できていませんが、ジャックは女性に限らず、様々な身分・職分の人々を動物になぞらえていることを指摘しておきたいと思います。たとえば神学者・説教師への説教第2番には、「月のように流れ去り欠けていく世俗の富を熱望する説教師どもは狂ったイヌである」(Iacobus de Vitriaco (éd. Jean Longère), Sermones vulgares vel ad status t.I (CCCM 255), Brepols, Turnhout, 2013, pp.370-371)という言葉があります。したがって、「女性の動物化」を論じる部分でジャックによる動物の類似を用いた説明を典拠とすると、このように動物になぞらえられた男性についてはどう説明するのか、疑問に思ってしまいました。説教では、聴衆がイメージしやすいように、様々な動物が人物をたとえるために登場するからです。 とはいえ、これは軽微な疑問です。本書は、これまで個別に論じられてきた「奇異な裁き」を包括的に論じることで、新しい道筋を提示している点で、大変興味深い1冊です。 最後に、魔女裁判関連史料で非常に有名な『魔女への鉄槌』の著者についてメモしておきます。池上俊一『魔女狩りのヨーロッパ史』103頁では、「ヤーコプ・シュプレンガーとハインリヒ・クラーマーによる……最近では共著ではなく、実際にはクラーマー一人の作品とされている」と記述されていますが、本書では、シュプレンガーの名前に触れられておらず(16頁)、クラーマー単著説が定説になっていることがうかがえます。(2026.08.11読了) ・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2026.09.13
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銀色夏生『君はおりこう みんな知らないけど』~角川文庫、1996年~ 銀色夏生さんによる写真詩集です。 本作では人物の写真はなく、風景写真が主となっています。いくつかある、道(あるいは道筋)の写真が印象的です。 少し長い詩の中では、「気があう」ということを描く作品(26頁)や、長く見ることと短い間のことを比較した作品(90頁)が好みでした。 2行ですが、深さを感じたのは、(引用文字色反転) ちらっとだけみえたものは なぜ輝いてみえるのだろう という作品(8頁)です。 本書も、味わい深い写真詩集です。(2026.06.26再読)・か行の作家一覧へ
2026.09.19
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R・マンセッリ(大橋喜之訳)『西欧中世の民衆信仰―神秘の感受と異端―』~八坂書房、2002年~(Raoul Manselli, La religion populaire au Moyen Âge. Problèmes de méthode et d’histoire, Montréal, 1975) 本書は、ラウール・マンセッリ(1984年没)が1973年モントリオール大学の中世研究所の招聘により行った中世の民衆的異端に関するセミナーを元にした仏語版原著の全訳です。さらに、マンセッリの没後、1985年に刊行されたイタリア語版から、「緒言」と「序」が訳出されているほか、タイプ原稿のまま印刷に付された講義録から、本書に関する主要な項目(「アルルのカエサリウス」や「トマス・アクィナス」などの人名、「異端」「カタリ派」などの項目)が、「補遺」として訳出されています。 本書の構成は次のとおりです。―――緒言(エディス・パストゥール)序(ピエール・ボリオーニ)第I章 方法の問題第II章 民衆の信仰とその信仰形態第III章 民衆運動と教会第IV章 教会と民衆の信仰補遺訳者あとがき原註索引――― 以下、印象的だった点のみメモしておきます。 第I章では、一口に「聖職者」階層といっても、その階層は「ひどく細分されまた異なった水準の者たちからなっていた」ため、彼らを「学識者階層とみる深刻な過ちを犯さないようにせねばなりません」(39頁)という指摘が重要だと思われます。 第II章は、具体的に民衆信仰の諸相を見ていきます。扱われるテーマは神、奇蹟、聖人・聖母・悪魔と天使など、多様です。ここでは、たとえば奇蹟に関して、民衆にとっては奇蹟は聖人が起こすものであり、教会にとってはあくまで神の歴史的しるしである、という両者の相違が指摘されるように、民衆の信仰のあり方と、教会の態度(たとえば、救済を得るための各種の秘蹟)が論じられていきます。 第III章は、異端や、ユダヤ人・ムスリムなど、いわゆる正統教会外の人々に焦点を当てていきます。異端と正統のはざまのような巡歴説教師たちの活躍なども、大変勉強になります。 第IV章も、一部第III章と重複するテーマを扱いつつ、教会が異端者たちに対してどのような対応をしたか、に軸足が置かれます。 個人的には、訳者が、『サマー・アポカリプス』を上梓した笠井潔さんに連れられて、現象学の講読会に参加したという、訳者あとがきの中で語られるエピソードが興味深かったです。 学生時分に、このテーマに関する概観を得るのに大変有益だった1冊です。特に、補遺では基本的な事項の概観も得られるので、便利です。(2026.07.04再読) ・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2026.09.20
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森博嗣『レタス・フライ』~講談社文庫、2009年~ 森博嗣さんの短編集第5弾です。ノベルス版所収の9編に加えて、「ライ麦畑で増幅して」も収録されています。 それでは、簡単に内容紹介と感想を。―――「ラジオの似合う夜 A radiogenic night」ある小国に出張に訪れることになった私。以前、その国から日本にきていた知人の女性に、案内をしてもらう。私は、その国で過去に起こっていた二つの事件の話を聞く。一つ目は、強盗事件。犯人はまず一人に違いないのだが、金庫には犯人の指紋とは異なる、しかも新しい指紋がついていたという。二つ目は、蒸気機関車の殺人犯。乗客を殺しながらお金を巻き上げていった犯人が、消失したという。そして、私も新たな事件に立ち会うことになる。新しくできたばかりの美術館の壁に穴があけられていた。捜査を進めようとしたが…。「檻とプリズム A prism in the cage」幼い頃から、彼のことを尊敬していた僕。しかし、彼に興味をもつらしい彼女が、僕に近づいてきた。最近起こっている少女連続殺人事件と、彼を結びつけるように語る彼女にどう接すればよいか、僕は考える。「証明可能な煙突掃除人 Provable chimney sweeper」煙突掃除人だった父が死に、彼も煙突掃除人になった。父が死ぬ間際に残した言葉、お化け煙突の謎にひかれて。そしてついにその煙突で作業をすることになったが…。「皇帝の夢 The imperial dream」不思議な夢を見て、ふらりと旅に出た男の話。「私を失望させて Drive me to despair」桃太郎らしきお話が語られるが…。「麗しき黒髪に種を Seeds for her lovely tresses」忘れられない子どもの頃の経験。子供会のとき、引率の女性にくっつき虫を投げつけた私たちだが…。「コシジ君のこと My most unforgettable figure」毎日夢で出会う、小学校の頃の友人コシジ君をめぐる思い出。「砂の街 The sandy town」久々に故郷の街に戻ってきた僕。街の様子がおかしかった。街は砂に覆われていて。砂でできた車を運転する人々がいて。実家の裏の老夫婦が、僕と同じく大学院生の女性を紹介してきた。彼女は、この街の砂の謎について、調べているという。「刀之津診療所の怪 Mysteries of Katanotsu clinic」山吹と海月の故郷、白刀島に遊びにきた、二人と加部谷。西之園とその叔母、佐々木も合流する。彼らの関心は、その島の怪談めいた噂話。診療所で幽霊を見て病気がちになった少年。着物服の女。診療所を訪れる、刀のようなものを持った男。こういった噂話が島に広まっていた。西之園たちは、その真相をつきとめようとする。「ライ麦畑で増幅してThe Amplifier in the Rye」優秀な社長が亡くなった。彼の遺書、そして関係者からの話を受けて、秘書をつとめていた私―小川令子が下す決断とは…。――― 子どもの頃の体験が話の主軸となる「麗しき黒髪に種を」「コシジ君のこと」の二編は、どちらも生々しく、胸が痛みます。 「私を失望させて」はとても楽しく読みました。リアリズム志向ですね。 「刀之津診療所の怪」。Gシリーズの登場人物が登場する初の短編ですが、海月さんは解決もしないのでほとんど話しません。わずかな発言で、笑わせてくれます。そして、これまでの作品も踏まえて、大変嬉しい仕掛けとなっています。 文庫版で初収録となった「ライ麦畑で増幅して」も、Xシリーズの前日譚を描く嬉しい1編です。といって、物語は切ないです。 これで、S&Mシリーズ、Vシリーズ、四季シリーズ、Gシリーズ、Xシリーズ、そして関連する短編集も全て(再読も含めて)読んだことになります。あらためて、色んな人物のつながりや仕掛けが多く、同時に世界観の壮大さに感銘を受けました。 良い読書体験でした。(2026.07.22読了) ・ま行の作家一覧へ
2026.09.21
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横溝正史『幽霊男』~角川文庫、1974年~ 金田一耕助シリーズの長編です。 それでは、簡単に内容紹介と感想を。――― ヌード・モデル仲介業者、共栄美術倶楽部にふらりと訪れた不気味な男。ぼさぼさの髪に、襟巻きに顔をうずめ、ほとんど顔を隠したその男は、幽霊男と名乗った。幽霊男は、そこにいた三人の娘の中から、恵子を指名した。翌日、約束通り幽霊男のもとを訪れた恵子は、男に血を吸われそうになってしまう。 恵子の帰りが遅いことを心配した倶楽部のメンバーが、彼女の足取りをたどると、彼女がトランクに詰められてホテルに届けられていたことを知る。たどり着いたホテルでは、彼女が真っ赤な浴槽の中で死んでいるのが発見された。 その後も、ある人物の依頼で事件の捜査に関わった金田一耕助を翻弄するかのように、惨劇が続いていき…。――― 金田一耕助ファイル10と銘打たれた改版の記事をあげたのが2007年7月(そのときも何度目かの再読)なので、およそ20年ぶりの再読です。金田一耕助ファイル版では、中島河太郎さんによる解説が省略されているので、今回旧版で解説が読めたのも嬉しいです。 その解説によれば、大衆向けの雑誌に連載するため、めまぐるしい展開となるよう意識された作品のようです。 実際、伊豆に舞台が移ったり、おどろおどろしいものが好きな人形作家が登場したり、幽霊男からの犯行声明があったり、謎の女性が登場したりと、手に汗握る展開です。 初めて読んだときの、意外な犯人に驚いた印象が忘れられずにいる作品の1つですが、今回も楽しめました。(2026.08.18読了)・や・ら・わ行の作家一覧へ※表紙画像は、横溝正史エンサイクロペディア様からいただきました。
2026.09.26
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横溝正史『八つ墓村』~角川文庫、1976年35版(1971年初版)~ 映画で有名な『八つ墓村』です。今回、久々に再読してみましたが、やっぱり面白いですね。 ではでは、簡単な内容紹介と、今回再読しての感想を。ーーー 昭和2X年。金田一耕助が、『夜歩く』事件を解決した直後のこと―。 神戸の化粧品会社に勤める寺田辰弥は、自分のことを探している人物がいることを知る。母親に育てられ、その母親も7歳の時に亡くなってしまい、身よりのない自分を、誰が探しているのか…。 法律事務所で対面した諏訪弁護士は、彼の両親のことを聞き、そして彼の体を見せてほしいと頼む。辰弥の体には、焼きごてでも当てられたような傷が、一面についているのだった。 その後の会見で、辰弥は自分を探しているのが、八つ墓村の多治見家だということ、自分は26年前に失踪した多治見陽蔵の子供だということを知る。しかし、辰弥に会いに来ており、二度目の会見に居合わせた彼の祖父が、そこで血を吐いて死んでしまう。これが、連続毒殺事件の幕開けだった。 祖父の遺体と辰弥を迎えにきた森美也子と、諏訪弁護士から、辰弥は自分の身の呪わしさを知る。永禄9年に八つ墓村で起こった8人の落ち武者殺し。そして26年前に起こった、32人殺し事件。その犯人が、自分の父だというのだから…。 村人たちに奇異の目で見られながら、多治見家での生活が始まった。しかし、間もなく事件が起こる。肺病で、命も長くないと思われていた兄が死に、おじで医者の久野は怪しい素振りで、双子の大伯母、小竹と小梅も辰弥に怪しいお茶を飲ませる…。 姉の春代のあたたかな態度、美也子の姉御風の接し方に救いを感じながら、辰弥は次第に自分でも調査をはじめていく。それは、母が遺した地図の意味や、自分の父親は誰なのか、といったことにも関わっていた。 一方、殺人は繰り返され、迷信深い村人は辰弥が犯人だと考え、ついに辰弥をとらえようと動き始める…。ーーー 映画は少なくとも豊川金田一版と渥美金田一版の2種類は(テレビで)観ていますし、あるいはビデオに録って見返したこともあるように思います。というんで、大体の流れと犯人は覚えていました。 また、本作は『本陣殺人事件』や、内容紹介でも言及した『夜歩く』などの作品に比べれば、大がかりな謎の提示もないですし、謎解きに重点も置いていないように思います。 なので、なかなか本書を再読していなかったのですが、今回読み返してみて、あらためて面白く読むことができました。 今回は、特に辰弥さんにまつわる悲しい運命を中心に、豊かな物語性を楽しみながら読みました。村人や鍾乳洞の冒険など、スリルにもあふれています。 また、今回思ったのは、今回の大きな「主人公」は八つ墓村そのものであるということです。 もちろん、事件を一人称の形式で、記録者の立場で綴っていく辰弥さんが主人公であることは間違いないのですが、春代さん、小梅さんに小竹さん、慎一郎さんに典子さん、美也子さん、久野先生、和尚さんなどなど、この村の人々の人生―辰弥さんにも使った運命という言葉を使っても良いかもしれません―がからみあい、それが事件を複雑なものとして、同時に物語に含みを与えています。はるか昔から続く八つ墓村の悲しい歴史は、しかしこの事件の終結をもって、希望も持ち始めることになりますし、そういう意味で、「八つ墓村」自体も、大切な主人公であると思うのです。 先に私は映画などで犯人を知っていたと書きましたが、それでも、関係者たちの不可解な行動にはわくわくしました。また、本書には派手な謎の提示はありませんが、犯人の動機は最後まで謎に包まれています。なので、謎解き重視ではないといいつつ、十分に魅力的なミステリでもあるのです。 というんで、楽しめた一冊です。※表紙画像は、横溝正史エンサイクロペディアさまからいただきました。(2009/11/21読了)
2009.11.23
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