仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2024.06.02
XML
カテゴリ: 宮城


初原浄水場を過ぎ、県道9号(大和松島線)を交差してさらに進むと、大字初原の田園地帯を進む生活道路になり、車も通っている。
(写真1)画像の右側は県道8号(仙台松島線)沿いの住宅。この画像のほぼ中央、わかりにくいが仙台松島道路の高架があり走るトラックが見える。


(写真2)この先で田中川を渡ると、道の両側に住宅が建ち並ぶ地区に入る。


進んでいくと住宅の玄関はみな道路側にあるので、1962年の山線廃線の跡に宅地化されたのだろうか、などと思い巡らしながら歩く。しばらく進むと、旧松島駅舎を活用した(現)松島町健康館デイサービスセンターがある。建物の正面と駐車場は県道8号側だが(写真3)、旧線側(写真4)にはかつてのホーム跡が残っている。
(写真3)松島町健康館デイサービスセンター


(写真4)その建物の裏手は、かつては松島駅ホームの名残り(ほかの方のブログなどから)。


じつは、この健康館にお邪魔した。旧駅舎の跡や解説コーナーがないかと思ったのだが、ちょうど朝のデイサービスの集合時間だった。訳を話すと、たまにそういう人が見えるのですよ、時間によっては施設の中を案内できるので改めて連絡ください、とスタッフの方から話をいただいたが、まったく利用者の皆さんの感染予防が一番で、大事な時間に連絡もなく訪問する方が悪い。申し訳なく思ったが、御配慮に従い、体温測定と記帳を済ませ、館内には立ち入らず、入口すぐに掲示されたワープロ打ち2枚の説明書き(写真5)と関係記事が載った河北新報(現物、写真6)を読ませてもらった(感謝)。

まず掲示の説明書きは次の通り(おだずま一部着色、また数字をアラビアに。なお、2か所の塩「竃」は原文ママ)。

松島町の鉄道施設と概略

明治16年7月 日本鉄道株式会社設立 東北地方の鉄道が順次開設
 20年12月 塩竃線が開設
 20~22年 松島村の鉄道施設が着工・完成
 23年4月 東北本線 仙台~石越まで開通、 松島駅 が営業開始
  11月 東北本線 仙台~一関間開通
 39年9月 鉄道国有法が施行 全国の鉄道が国有鉄道になった
  9月10日  根廻鉄橋 が高城川開削によって架替工事着工
 40年4月14日 根廻鉄橋が完成。工事費1万円(鉄道負担5千円、品井沼水害予防組合5千円負担)
 41年10月3日 大正天皇根廻鉄橋上に1分間停車、明治潜穴工事を視察し激励
大正13年2月  松島電車 株式会社設立。旧松島駅から五大堂間営業(初原~松島海岸)
昭和2年4月18日  宮城電気鉄道 会社本塩竃~松島間開通。 松島海岸公園駅 が開業
 3年11月23日 仙石線。仙台~石巻間開通
 7年7月16日 東北本線  幡谷信号所 として開所
  12月26日 幡谷信号所が 品井沼駅 になり営業開始
 13年2月 松島電車 初原~松島間の営業停止
 19年 宮城電気鉄道が国有化され 松島海岸駅 に改称(仙石線) 東北本線(海線)が輸送力増強で複線化工事施工。(敗戦で工事中止)
 28年9月 東北本線の複線化工事再開
〔2枚目〕
 29年 品井沼~小牛田間の吉田川・鳴瀬川橋梁工事開始
  11月 東北本線 岩切駅から分岐し陸前山王~品井沼駅間開通(海線)
 32年10月22日 東北本線 品井沼~鹿島台間の複線開通
 37年 東北本線に 愛宕駅 新設、山線が廃止。山線の旧松島駅と町内の鉄道敷地が松島町に譲渡され町の基幹道路として整備された。
 38年4月 旧松島駅舎に 松島町国民健康保険診療所 を開設
  8月10日 品井沼~一関間の複線化完成
 43年8月1日 東北本線の複線化・電化の全通化が青森で挙行
 61年8月 阿部医師の逝去で診療所閉院
 62年4月 国有鉄道が分割・民営化され現在のJRが発足
平成2年6月 初原診療所の廃止
(おだずま注:昭和38年4月の診療所開設では「初原」の語はない。)
 5年6月10日 旧初原診療所が 健康館 になった
〔1行空け〕
平成23年3月11日 東日本大震災発生。鉄道施設も大津波で大被害、交通機関が寸断され東北本線・仙石線も地震直後に全面運休になった。
 4月5日 東北本線 仙台~松島間運行再開
 4月21日 東北本線 仙台~一関間運行再開
 5月28日 仙石線 仙台~高城駅(おだずま注:原文ママ)間運行開始



そして、河北新報夕刊(2021年9月6日)の現物が配架されている。

いぎなり仙台
まちかどブラ昭和
健康館デイサービスセンター(宮城県松島町)
東北線の旧駅舎内部を改装
三角屋根 人集まる拠点
〔写真 上 松島駅舎の面影を残す町健康館デイサービスセンター 下 施設の裏側にある線路跡の道路〕
 宮城県松島町の初原地区にある町健康館デイサービスセンターは、JR東北線の旧松島駅舎だ。木造平屋で膨らみのある三角屋根が当時の姿をしのばせる。
 かつて東北線の利府ー品井沼間は山側を抜けるルートだった。旧駅舎には商店や映画館、ホテルが立ち並んでいたという。
 近くの会社員(おだずま注:氏名略)さん(78)は「列車に乗るのが小さな頃の楽しみだった。記者は急な坂を苦労して上って行った」と振り返る。
 海沿いを走る現在のルートは、急勾配を避けて輸送力を増強するため194(昭和19)年に開業。山側ルートは62年、現在の松島駅の誕生を機に廃止された。
 旧駅舎は町国民保険診療所などとして使われた後、町が内部を改装し、健康館とした。施設の裏にあった線路の跡地は道路として使われている。
 運営管理者の(おだずま注:同上)さん(58)は「センター利用者は70~90代で駅舎を使っていた人も多い。年に何人かの鉄道ファンが写真を撮影しに来る」と話す。駅は廃止後もかつてのように人が集まる拠点となっている。(高橋公彦)
メモ JR東北線の山側ルートは1890年に開業した。旧松島駅舎は明治初期ごろに建設されたとされる。松島町健康館デイサービスセンターは新型コロナウイルス感染拡大を受け、施設内部の見学を受け入れていない。松島町初原石清水1の1。


(写真5)

(写真6)


松島第二小学校の公式サイトには、地域の自慢として、旧駅舎を活用した健康館の内部の様子が紹介されています( 記事 )。

最後に今回の探訪マップです。


■シリーズの一覧
利府線(山線)の跡を訪ねて(その1) (2024年05月08日)
利府線(山線)の跡を訪ねて(その2) (2024年05月10日)
利府線(山線)の跡を訪ねて(その3) (2024年05月10日)
利府線(山線)の跡を訪ねて(その4) (2024年05月11日)
利府線(山線)の跡を訪ねて(その5) (2024年05月12日)
利府線(山線)の跡を訪ねて(その6) (2024年05月15日)
利府線(山線)の跡を訪ねて(その7) (2024年05月17日)
利府線(山線)の跡を訪ねて(その8)旧赤沼信号場 (2024年05月18日)
利府線(山線)の跡を訪ねて(その9)用地界標 (2024年05月26日)
東北本線旧線(山線)の跡を訪ねて(その10)松島町桜渡戸、初原 (2024年06月01日)
・今回  東北本線旧線(山線)の跡を訪ねて(その11)松島町初原、旧松島駅 (2024年06月02日)
東北本線旧線(山線)の跡を訪ねて(その12)愛宕駅、高城川架橋 (2024年06月03日)

■関連する過去の記事(松島町桜渡戸、初原あたり)
松島町の隠れた名所散策 (07年4月5日)

■関連する過去の記事(東北本線のルートについて。なお記事リスト 鉄道敷設史 をご覧ください)
仙台以北の東北本線・仙石線ルートと「松島電車」 (2016年2月11日)
宮城県北部の東北本線ルート(何度目でしょうか) (2012年1月1日)
やっぱり当初は角田か 東北本線ルート (2011年9月15日)
東北本線ルート 白石か角田か (2011年9月5日)
宮城県北の東北本線ルート(再び) (2011年8月24日)
宮城県北の東北本線ルート (2011年8月20日)
塩竈市内の仙石線と塩釜線の歴史 (10年5月11日)
大河原の尾形安平 東北本線実現に尽力 (07年1月5日)
宮城県内の東北本線のルートの話 (05年11月27日)






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024.06.03 23:13:44
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

コメント新着

ななし@ Re:北のキリシタン聖地-旧大津保村を中心に(その3 大籠地域)(09/10) 『1917年(元和3)年頃の統計では、佐竹藩…
おだずまジャーナル @ Re[3]:水の森公園の叢塚と供養塔(08/03) 風小僧さんへ 規模の大きい囲いがあった…

プロフィール

おだずまジャーナル

おだずまジャーナル

サイド自由欄

071001ずっぱり特派員証

画像をクリックして下さい (ずっぱり岩手にリンク!)。

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: