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ぶっちゃけ、他には何もとりえなんてないんですよ。打ったり、買ったりしないこと以外は。なんて言うと絶対怒られますね。でも、これは心底思います。浮気して歩いたり、ばくちをして余計な借金を積まないだけは、ありがたいなと・・・・。 ヤフートップにこんな記事。まぁ、竹内さんは、離婚しても女優として問題なくやっていけるから、何もためらうことなく離婚できるのでしょうね。・・・・って、離婚憧れてるんじゃないのですよ。それから、師童さんも、もうちょっと考えなくちゃねぇ。きれいなおねぇさんは好いものでしょうが、自分には女房も子供もいること、忘れちゃなんねぇぞ!!話し合いが会ったのかどうかはわかりませんが、行き成り離婚届ってのはどうなんでしょうね。まぁ、あれだけ所謂不祥事を重ねたので、仕方ないと言われればそうかも知れませんが、やっぱり話し合いは必要でしょう。一度、印藤を渡しておくとか、最後通告をしておくとかしなきゃ、ねぇ。 だけど、昔、女房は、旦那と別れたら収入の当てなんてなく、どんなひどい旦那でも、涙を飲んで辛抱したものでした。って、私が辛抱したわけじゃなく、聴いた話ですが・・・・・。この頃は、離婚後の社会的バックアップもしっかりあって、性格の不一致だとか、当たると触ると離婚、離婚です。それが、この世の中を良くしているのかどうなのか。比例して、子が親を殺す、親が子を殺す。友達を虐める。自殺する。そんな事件が増えている。昔は平和だったと言わざるを得ません。 さて、娘が久々に登校拒否。先週半ば、脇の下に出来たしこりが気になって、病院へ行きたいと言ったのですが、週末に試合が控えていて、もし、運動を禁止されたら試合に出られない、他のメンバーに迷惑を掛けるということを配慮し、延ばしていました。晴れて敗退し?!受診の余裕が出来たので、何が何でも病院へ!と思ったのでしょう。学校へ出かける時間が少し遅くなったことも手伝って、行きがけに事務所へ立ち寄り、居座った娘。 結局、病院へ行ったのは11時過ぎ。まぁ、診察開始から当分は、じいちゃんばあちゃんの通院患者に占領されて待ち時間が絶対長いので、賢明な選択だったと思います。 診断は癌。ではなく、脇の下にある袋みたいなものが化膿しているとの事。ただ、今の状況は、化膿止めで振り出しに戻すには行き過ぎていて、切って膿を出すには軽過ぎるという微妙な状態。今回はお薬も何もなく、しばらく様子見をとのこと。 おおよその病院なら、可能止めが出されるか、それでなければ、ビタミン剤でも出されるのが常だが、ここの先生は極めて良心的。不要なお薬は一切出されない。私はそう言うところが好きで、見立ても良いので、いつもここに行く。 そんなわけで、私は娘を実家において帰社。命に別状が無いとわかった娘は、実家でお弁当を食べ、意気揚々と学校へ向かったと思いきや、午後7時過ぎ、母から電話。昼食の後、学校へ行くのを渋るので、車で送ったのよ、今、置いて行ってた自転車を友達と一緒に取りに来て帰ったわよ、とのこと。やっぱりちょっと登校拒否気味。ま、そんな日もあるさ。 午後8時からの英語の塾に耕平と仁君を積んで出かける途中、渋滞に巻き込まれた。学校の前で車同志の事故。何しろ迂回路が無い道。やり様がない。少し歩いたところにある、もう一人の子の家まで歩かせると、事故現場はその家より手前で、たまたまお父さんが帰宅されていたので、送ってもらうことに。捨てる神あれば拾う神あり。
2006年10月31日
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人間、ある程度図太くなくちゃ生きてけないと思っている私。言葉にすごく気を使う母親に、傷つけることの無い様、慎重に育ててもらった私は、夫と結婚し今の家庭に入って、結構ビシビシと厳しい言葉で鍛えられた。以来、苦節20年。逞しくなりました。そして、少々のことは、いや、身に染みるべきことまで、「はいはい」とあっさり聞き流す術を身につけてしまったのです。好くないなぁ・・・・・・。 でも、子供の頃、夏休みの終わり頃、山積みの宿題に自殺を真剣に考えた少女には、大いなる成長だと思うのです。人間、現実を何とか凌ぐ術を身につけなきゃ。 無神経な人は何処にでもいる。その人を排除するか自分が排除されるか、そんな選択は意味が無い。排除云々ではなく、ちょっと変わればいい。「それがどしたん?」と言う図太さ。でも、これは幼少期からの育てられ方にもよると思う。それは、一番身近な親が、我が子に自身を持たせるような育て方をしたかどうか。 レベルは色々あるだろう。テストで100点ばかり取ってくるとか、クラスで50m走のタイムが一番だとか、そう言うレベルの子に自信を持たせるのは簡単。でも、そう言う子は少ない。じゃぁ、どうやれば自信を持たせることが出来るか?それは、もう、無条件に愛すると言うことでしょう。誰がなんと言おうと、あなたは可愛い!あなたは男らしい。あなたは優しい。あなたは素晴らしい。一番身近にいる親が、心底我が子を愛し、崇拝?!することで、子供は自信を持ち、どんな苦境に立っても何とか踏ん張る力を身に付けて行くと思う。その力を身に付けさせてやることが親の大きな務めの一つだと、私は信じている。 ところで、夕べは、最高の夜だった。昼間、義母に言いつけられ、畑のコスモスを抜いた。その切り株を焼こうと、耕平と約束していた。夕食の片付けが終わり畑へ直行。人水を持たせれば、一日でも黙っていじくっていると言う恐ろしい親子だ。 夕方、夫と墓参りに行き、抜いてきたしきびも燃やした。耕平は、火の神様の僕となり、完全に目が衝き入っている。当りの田んぼから、藁を寄せ集めてきては火へ投げ込んでいる。必死で息を吹きかけ火が消えることを阻む。ぼっと燃え上がると完成を挙げる。一言一言が、完全に火の虜となった人のようで、おかしくておかしく笑い入ってしまう私。 そうこうしていると、晃子が薄明るい街灯に下に現れた。手に何か持っている。アルミ箔に包んだサツマイモだ。一言、「焼いて。」と言う。遅くなったので、そろそろ火を消して帰ろうと、耕平をなだめ、やっとその気になった矢先のこの状況にがっくり。耕平は「もう、消そうと思っとったんで。」と言いつつ、目が大いに笑って嬉しそう。またしばらく火と戯れることが出来ると、喜んでいる。 全く、子供は火遊びが好きだ。実は私も火遊びと言うか、焚き火が好きだ。ここだけの話だが、私も、火が景気よく燃え上がると何だか嬉しい。乗り物に乗って川沿いを走ると、河川敷に荒れた土地とか、葦原がある。あれを見ると、火をつけてみたくなる。勿論、実行したことはない。でも、時々放火のニュースを訊くと、自制心を失った人がいたのだな、と思う。ただ、私の場合は、住宅地とか車では決してなく、河川敷限定のキモチだ。
2006年10月30日
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必修科目不履修問題を告発した高校生が、こう語っていると記事があった。何処のまでは判っているが、誰とは書かれていない。ちょっと前、情報提供者の名前を伏せることの賛否が取り沙汰され、その人の安全を確保するためにも、それは必要と判断されたが、今回、当にそれに該当するだろうと思う。 彼が、このことで学校から弾圧を受けたり、友達から阻害されたりするようなことがあってはならないと思うが、恐らく地元では、誰君というのは明白であろう。平生の彼がどうだったかは想像だに出来ないが、「余計なことをしやがって」と思う学友は少なくはないだろう。 学校は今回のことは何も問題ないとし、補習を実施する意向はないようだが、それは、ある意味、彼への風当たりを緩める意図があるのではないかと思う。でも、それはどうなのかな・・・・・。 美しい国 日本を目指す安倍首相は、このことにどんない考えを表すのでしょうか。「このような学生がいることを誇りに思います。間違いは間違いとして、改めなくてはならない。本音と建前と言うものは、どうしても存在するものですが、t建前をあまりになおざりにしてはいけない。本音とあまりに食い違うのであれば、制度を見直した上で実行するべきです。独りよがりに勝手に解釈してそれを押し付けることは、教育者として決して正しいとは言えません。それを指摘した学生を、私は拍手で賞賛したいと思います。」くらい言わないかな。 私は全面的に彼を応援する。決められたことはちゃんとやらねば!と思っているから。と言いつつ、納税義務を遅延遅延しているのは、他でもないこの私です。でも、最終的にはそれなりに納税しているのですよ。それが何に使われているのか判りませんが・・・・・・。
2006年10月29日
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読売新聞にくっついてくる府中ニュース速報と言うのがある。地元密着情報満載で、結構人気が高い。 この紙面に極めて嬉しい記事が掲載された。 それは、市立国府小学校の小学生6人が、自宅の前で倒れている女性を助け起こし、家に連れて入ってあげたというもの。このニュースは、その親切を受けた女性が、小さな親切運動だったか、そう言う会へ連絡をして、今回の表彰に至り、ニュースに取り上げられたと言う次第。 つくづく、こういうニュースこそが子供たちの健全育成に直結するものであり、大きく報道されるべきもののような気がする。そして、読み手にも喜びを与えるし、社会を明るくする。何かと言うと暗く悲しいニュースが先行してしまうが、出来れば、こういう記事を優先して掲載してもらえると嬉しい。
2006年10月28日
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昨日は珍しく、と言っても20時~22時、ばっちりビーチバレーの練習へ参加してからだけど、お勉強に勤しんでいた。数学をやっていた。24時ごろ。「それが済んだらもう寝るの?」と訊くと、まだ英語のターゲット(単語暗記テスト)をやると言った。どうしたのだろう・・・・。逆に心配。 一昨日は実力テストがあって、いつもの事ながら散々だったようだが、全くふんどしの紐は締まらぬ様子だった。なのに、数日置いて、何故、今日なのか??? 晃子の学校からは、例の履修科目云々についての連絡は、今のところ何もない。きちんとできていたと言うことだろうか。それとも、いつもの事ながら、プリントが我が家に到達しないだけ?一抹の不安が・・・・・・。 ところで、高校では定期試験の答案が返される時、まず告げられるのが平均点。そのテストの平均点は、受験母体の偏差値レベル云々もさることながら、試験問題のレベルを知る大きな手掛かりとなる。ご存知の通り、例えば同じように70点を取っても、平均が50点のテストにおいてのそれと、平均が80点においてのそれは全く意味合いが違う。習熟度を知る意味では素点だけではどうしようもない。 競争を助長するとかしないとか、そんな問題ではないと思う。答案を見て、同時に平均点を知りたいと思うのは我儘だろうか・・・。と言うのも、中学校では答案返却時に、平均点への言及が無い。問題の出題範囲や出題形式に関しても、ここが良く出来ていた、出来ていなかったと言う言及が無いので、子供たちは答案を返してもらって「あぁそうですか。」じゃんじゃん。で終わりだ。決して競争を助長する必要は無い。でも、個人個人の中で、自分はここが苦手だとか、文章題がダメ、漢字がダメ。ダメダメばかりじゃなく、得意な部分だって、分析することで知り、知ることでさらに興味がわき、ちょっと勉強、極めてみようかな、なんて思うこともあるんじゃないかな。それを学習塾に全て任せてしまうのは、ちょっと怠慢じゃないかと思う。 いやいじめだ、なんだと、学校現場は色々大変だけど、兎に角がんばるしかない、諦めないで。忙しい、忙しいと幾らぼやいても、忙しさが緩和することはない。教育委員会が無くなる方向もゼロではないようだ。 ところで、中一の息子の学年から、修学旅行先が沖縄から東京に変更になると物議を醸している。去年、1月に沖縄へ行った市内の学校で、インフルエンザが発症し、入院騒ぎになったりしたので、そういったことに対処する際、保護者が陸続きで現場にいけるところしかダメだと、「教育委員会」からお達しがあったと言う。 なるほど・・・・。でも、死ぬ、生きるじゃなければ、いや、ひょっとしてそうであっても、経済的に逼迫した我が家では、きっと、現地には行けないでしょう。行きたい気持ちは山々でも、先立つものが・・・・・・。と言いつつ、これは一つのモットーであるのかもしれません。任せた以上は任せ切ると言う信念。だから、任せられた方は、ふんどしの紐をしっかりと結んで、気を引き締めて預かって下さいと言うこと。 信頼関係と言いますか。決していい加減ではないと信頼し、多少の不具合があっても善意的に解釈しましょうと言うのかな・・・、そう言う気持ちの上にはじめて成り立つもので、この前のいじめがあった学校のようなところでは、絶対にあり得ない関係だと思うわけです。 保護者と学校は、そう言う関係を目指して日々精進する必要があるわけで、何故その必要があるかと言うと、子供がちゃんと育つことが目的なわけで、そのために、家庭からは家庭における情報を、学校からは学校からの情報を、怠ることなく発信し合い、受け入れ合い、高め合っていく。 決して落ち度を咎めあうだけの関係になってはならない。そうならないために、事が起きる前に未然に防ぐ。ひたすら、この一言に尽きるわけでしょうな。 それにしても、受験が大変なのはわかるけど、こんな理屈はどうなんでしょうか。安陪さん、何とか修正して下さいね。日本を本当の美しい国にするために・・・・・・・。
2006年10月27日
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水10だったか、ブラマヨの二人が東京に進出するため、メークさんにメークをしてもらうと言う設定で、一人は薄毛をカバーするためと、頭から墨汁をぶっ掛けられ、もう一人は痘痕をカバーするためと、顔中、しかも鼻のアナも口もふさぐようにセメント(もどきだろうとは思うけど)を塗りたくられていた。 お笑い番組でしょう。何処が面白いの?何処がおかしいの?って訊きたい。 身体的なことをネタにするのは結構。本人も了承し、それなりに笑いを取れれば問題ない。でも、あれはいじめだよ。先輩の後輩に対するいじめだ。後から来たものはどんなことにでも耐えなきゃいかんぞ、と言ういじめ。耐えなきゃ、と思うのは後輩本人の問題で、番組的にそれを強制するのっておかしい。絶対、おかしい。 雨上がりの宮迫君が仕切り役で、ぐっさんとガレッジのゴリとがメークさん役。タッチをぱくったキャラ。絶対変。面白くない。お笑いを追及するのなら、もっともっと他の方向性があるはずだよ。日常のなんでもないことを上手にネタにできる才能のある人たちだよ、彼らは。プロデューサーの意向か、スポンサーの意向か知らないけど、所属プロダクションも、次、声を掛けてもらえなきゃ困るから、「えぇ~~」と思っても、それはちょっとって言えないのかなぁ。 お笑いって、人を虐待するようなもんじゃないと思う。虐待されるのはお笑い芸人で、本人も了承していると言っても、それを見たまだ未成熟な子供たちが、どう捕らえるか判るのだろうか。テレビでやっていたから、俺たちもやってみようとか、興味本位に行動してしまうんじゃないのかな。そんな事まで考えて番組は作れないのかな・・・・・・。 ここ最近のお笑い番組を観ていると、日本の文化程度の低さが身に染みて、情けなくなってくる。偏差値も低けりゃ知能程度も低い。あんな番組が続く社会なんて、お先は痴れたものだ。安陪さん、安陪さん、そこの所、よろしくお願い申し上げます。
2006年10月26日
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公立の有名進学高校で、必修科目を実際は履修させず、記録にだけ履修済みと記載していたことが発覚した。履修してなきゃ履修してないって書いとけば良いのにね。ウソついちゃいかんよ、ウソついちゃ! そう言えばと思って2年生現在、日本史に悪戦苦闘している娘に尋ねると、娘は1年生で世界史を完全制覇したときっぱり。その割りに日本史は制覇出来てない。故はいかに? ばれなきゃ良いという社会の風潮をまざまざと見せつけられた気がした。こういっている自分も、そう言う部分、大いにあり。例えば、他に誰もいない交差点の信号で、バッチリ赤信号で前進しちゃうとか・・・・。いや、いつもぢゃないですよ、とても急いでいる時だけ。って、ここに至って、まだ言い訳かいっ!!ま、事故しちゃう前にそう言う行動は、もうやめといた方が良いな、と思う。 ばれなきゃ良いんだという考え。改めなきゃね。今回、内部告発した子。なかなかの正義漢だ。私は好きだな。履修してなくても履修したようになってる。疑問に思って先生に訊く。先生は、「心配ない。」と答える。でも、彼は納得出来ない。納得する方が自分にとっては簡単で、有利な決断だけど、彼はそうしなかった。今回の騒動で、同じ学校の子供たちの中には、余計なことしやがって!と思っている子も少なくないだろう。きっと彼らが、やがては高級官僚になり、天下りをして生涯、裕福な生活を送るのだろうな。
2006年10月26日
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虐め問題が取り沙汰される中、ヤンキー先生の義家さんが、なんとか委員に選任されて、福岡の現地へ赴かれた。小渕元首相の娘さんも行かれたようだ。 義家さんはああ言った場面では、本当はもっと言いたいことがあるんじゃないかと思う。彼は家庭に大きな問題を抱え、非行に走りながら、それでも軌道修正した人物だから。自分を支えてくれたのと同じ、何か、大きな支えとなってくれる力が、子供たちには必要だと思っているはず。その力は、学校だけでは賄いきれないと思っているだろうけれど、今回の聴取は対学校のもの。その範囲の中で答えを見つけなくてはならないのは、彼にとってきついんじゃないかな。 会社の仕事もそうだけど、物事を動かそうとする時、所詮、トップダウンじゃあ話にならない。逆に優秀なトップは、部下を能動的に動かす力を持っているって事かな。 小学校の道徳の授業で、色んな場面を想定して、こういう時にはどうしますか?的な質問を設けて答えさせる時、子供は下手な算数や国語の問題より、正解をよく知っているから、十中八九は正解する。でも、そこで答えた答えと実際にそんな場面に遭遇した時の行動って、なかなか一致しない。それが現実。だって、教室での先生とのやり取りは、建前の部分だから。でも、だからと言って、やっても無意味ならやらないといってしまうと、状況はもっとひどくなるはず。結局、問題を投げかけ、問題意識を持った人が、子供たちの行動をしっかりと監視して、と言うと表現に問題があるが、目を光らせて、一つ一つの行動があった時、その都度に、それはいけないんじゃないの?とか、良くやったね、と言った評価をしていく。それしかないような気がするし、それが一番、子供たちの心に響く方法だと思う。 問題は、成長途上にある子供たちより、人間として確立されてしまっていて、全く道徳観念のない大人。これは手ごわい。でも、そう言う人達は、子供時分に、さっき述べたような経験をしていなくて、ひょっとして、褒められると、「あぁ、こうすることは良いことなんだ。」と気付くかもしれない。子どもは叱るより褒めて育てると言うことの所以かな。
2006年10月26日
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番組は観てないけど、世論は公務員批判に傾倒してることは確かだ。やれカラ出張だの、やれから残業だの。さらに、児童相談所の怠慢問題だの、話は尽きない。 お役人が公僕と呼ばれた時代は過去の事。今、公務員さんは自僕って、とこかな・・・。 でも、考えてみれば、私自身も例に漏れず、社会全体が自分優先になっていると感じる。人のために一肌脱ぐ、骨を折る、なんていうのは、すっかり時代遅れ。でも、それって、暮らし難い世の中だよね。私みたいな他力本願の人間にとっては・・・・。 お昼のワイドショーで、汚水叔母さんが逮捕されたと言っていた。何でも、自分の位置に南接したお宅に、自分が260万円掛けて建てたブロック塀が、北風をさえぎって恩恵を与えているから、何がしを出資しろと言わんばかりに話を持ちかけ、お隣さんに拒否された挙句、腹いせだかどうだか、お隣さんの玄関や、お庭に、排泄分を混入した汚水を撒き続けたと言う。 普通なら想像も出来ない事だけど、ひょっとして、あの汚水おばさん、寂しかったんじゃないかな。数年前にそこに引っ越してきて、結構大きな邸宅で、一人住まいだったらしい。連れ合いやお子さんはいらっしゃらなかったのかしら、と考える。 きっと一人ぼっちが寂しくて、誰かにかまってほしかったんじゃないかな。いや、決して、彼女を弁護しようと言うのではないけれど、様々な事件が起き続ける今の社会においては、事件に関わるそれぞれの思考回路が徹底的に究明される必要を感じる。 彼女は御年63歳。登校拒否の子供たちに関して語る時、「悪いのは社会であり、オトナだ。」というのと同じように、彼女の異常な行動をそう言ってしまう事は誤りだろうと思うけれど、彼女には彼女なりの何かがあったことは間違いないと思う。被害者じゃないから、簡単に言えるんだ、と言う声が聞こえてきそうだけど、それは確かにそうかも知れない。 だけど、もし、我が家の近隣でそんな異常なご近所さんに困っているご近所さんがいたら、ご近所をあげて談判に行くことになると思う。勿論、迷惑を被っている方のご近所さんが、誰かに相談すればの話だけど。話さなけりゃ始まらない。この事件のあったご近所さんでは、どうだったのかな、と疑問に思う。 まぁ、それは「仕事」と言う部分からは離れたもの。ご近所付き合いでお金を稼いで生計を立てている人はいないのだ。問題は、さっきも言ったけど、例えば児童相談所の怠慢。あの人たちの怠慢の所為で、失われなくても済んだはずの一つの命が、天へ上っていってしまったのだ。あの子を殺した犯人は、親と児童相談所だ。
2006年10月25日
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数日前、たまたま、読売新聞の広告欄で、子育てに関するエッセイを募集しているということを知った。締め切りは11月半ば。規定は400字詰め原稿用紙に、6~8枚だったと思う。 仕事の関係もあって、子育てについては黙っていられない私。でも、おおよそ「子育て」とは、子供たちの乳幼児期が語られる。ならば、既に10年以上経過。賞味期限切れか?ちょっと寂しい。 でも、娘が高二、息子が中一になった今も、我が家ではしっかりと子育て中であると思っているし、我が身が四十路半ばになった今でも、嫁ぎ先の親、実家の親には、まだまだ育てられているという認識あり。まだまだ一人前にはなれない私。 よく、我が子のことを「可愛いのはちょっとの間よ。」と言う言葉を聴くが、私はそう思わない。勿論、乳幼児期のふっくらとしたやわらかさを伴う「可愛さ」というのは、見る影もなくなっていくが、逆に、いつまでもいきりが残る手首足首では、如何なものかと思う。その時期、その時期にしかない子供たちの姿を、しっかりと受け止めたいと思うし、その姿が刹那であるが故に、愛おしさが増すのは当然の事だと思える。 高二の娘は中学校に入ると間もなく、乳幼児期のやわらかさとは全く異なる、女性特有の美しい曲線を持った体つきになった。きっと私たちの母親も、こんな気持ちで私たちのことを見ていたのだろうな、と思うと、胸が一杯になる。妊娠、出産を経て、その曲線は崩れ去り、見る影もなくなった今の私の姿には、しかしながら、命を育んだ自信と誇りとが備わり、それなりの美しさを呈していると、我ながら惚れ惚れしてしまう、というのはちょっと言い過ぎ。 一方、男兄弟のない私に取って、息子の成長はきわめて興味深いものだ。なかなか、具体的に語るのは難しいが、あれよあれという間に、義母も私も娘も、身長を追い抜かれ、長い手足、取り分け、長い指を見ると、他界して5年になる義父の遺伝子を感じるのである。 大きくウェーブする癖毛は我が家の遺伝子。実家の遺伝子にはないものだ。私が運び込んだ遺伝子が現れることも喜びではあるが、夫の持ち合わせた遺伝子が顕著に現れると、一味違った感慨がある。 生き物の遺伝子とは本当に不思議なもので、神様はよくもこんな摩訶不思議で洗練されたシステムをお創りになったものだと、感嘆する他ない。 広告を見て早速、書き始めてみたが、性格上、「子育て」と言う部分に跳躍できず、不妊治療から始まり、妊娠出産を綴っているうちに、規定の枚数を超えてしまった。何とか修正して応募に漕ぎ付け、1等賞金30万円をゲットして、家計を立て直すことを夢見ている。
2006年10月24日
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一色 さえちゃんって言えば、きっとあの子だろうな。あの子がもうそんな年なんだ。こんなニュースは大歓迎。私も、今更ながら、もう一人!なんて思っちゃう。 ☆頑張れ、子宝ママさん☆
2006年10月23日
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山間の小さな町。その町外れにあるある地域で2年に一度の町民運動会が開催された。 運動会は、町内に整備された市所有のグランドが、平成元年に整備された翌年から開催されるようになり、最初の数回は毎年、以後は二年に一度の開催で今年で9回を数えることとなった。 地域は、国道に沿って流れるM川に沿って細長く位置した町で、多くの山間の集落がそうであるように、高齢化は確実に進んでいる。けれど、少ないながら地域には子供も生まれ、今年も僅か二人ではあるが小学校への入学者もあった。 そんな地域の運動会は、都会の大きな町のそれとは比べ物にならないほどアットホームで、競技に出場している人の名前が、全部判ると言う状況。それだけに、実況放送にも力が入る。 中でも、小学生と中学生による障害物競走は毎年、美味しい実況ネタを提供してくれる競技の一つだ。今年も例に漏れず、美味しい演技が続出した。 スタートしてまず、縄跳びを飛びながら走る。この軽快な足取りが笑いを誘う。次に網をくぐる。それから、リーム転がしがあり、最後のキャタピラー競争が最高だ。 子供たちは慌てるので、進行方向を確認しない。キャタピラーはコースに対して真っ直ぐ置いてあっても、慌てた子供たちがその中に入る時、微妙に方向がずれて仕舞うのだ。中に入って仕舞うと、どっちに向かっているのか全く判らない。トラックの中心に向かって、ひたすら進む者。トラックの外へ向かい、本部席のテントに激突する者。前の走者に覆いかぶさる者など等。実況するのも苦しいほど、会場を笑いの渦に巻き込んで仕舞う。 この運動会の良いところは、点数をつけないこと。まず、組み分けが困難であることもその理由だが、親睦のための運動会で、勝った、負けたと物議を醸すのも如何なものかと、初回開催から数回で、点数は排除されたのだ。それでも、どの競技者も手を抜くことなく、力一杯の演技を見せ、時には爆笑を誘い、会を盛り上げる。 再来年の開催は、9月にある学区の敬老会の進行をこの町が担当することから、評議員の負担を考慮し、見送られることとなるだろうと言われている。それは非常に残念だが、そうなると、運動会は4年後。丁度オリンピックと同じ間隔をおいての開催になる。高齢者が多いこの地域で、次の開催まで生き残れるのは、一体、何名だろう。
2006年10月22日
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宮崎県何とかのTVCMで、「お金払っているんだから、頂きますは必要ないって言う人がいます。」と言っていた。今まで、バドさんのブログでも読んだし、あちこちで、そう言う人が居るのは聞いていたけど、ついにTVCMに取り上げられるほどの勢力になってきたのか。 食事の前に言う「頂きます。」って、お金を払う、払わないの問題ではなく、その食べ物が食卓へ並ぶまでに掛けられた労力に感謝する言葉じゃないのかな。お金払ったものを食べる時に、頂きますって言わない人は、よその家でご馳走になる時や、頂き物を口にする時には、間違いなく、きちんと「頂きます。」って言うのかな。きっと言わないよ。 あんなことを言う人は、きっと、感謝っていう気持ちを知らない人だ。自分の目に見えている範囲のことしか、頭にない人だ。 感謝するってとても心が豊かになる。ありがたいって思えるってことは、自分を謙って考える事が出来る。謙って考える事が出来るってことは、決して、自分を蔑むという事じゃなく、俺さまって穿った気持ちから開放されるって事で、丸く、柔らかくなれる。きっと、そんな考えの持てない人が、あんなことを思うのだろうな・・・・・・。でも、それは第三者からあーだ、こーだ言っても、どうにもならない。本人が、「そうなんだ。」と気付くことしか、解決の道はない。 こんな偉そうなことを言っていても、私にも自分では気付いてない「私のデタラメ」があると思う。きっと、それが人間の運命なのだろう。 虐めについて、色々と言われている。いじめは虐められる側に問題があるとか、学校だけに責任を押し付ける考え方とか。 弱肉強食は動物の世界、いや、植物の世界でさえも、免れることのできない現実だ。ウサギを守るためにライオンを全滅させることが出来るのか?放っておくとどんどん蔓延って仕舞うブタクサを、無くす事は出来るのか?人間世界の中にも、ウサギやライオンやブタクサと相通ずる遺伝子が存在することは否定できない。いじめにおいて、勿論、問題があるのは虐める方だ。しかし、虐める方に全責任を押し付けて、撲滅運動をしても、きっと解決はしないだろう。 高度な文明を持つ人間だからこそ、できる解決法があるはずだ。本能のままに行動するのではなく、自分にちょっとブレーキを掛ける。自分なりにちょっとアクセルを踏む。双方の歩み寄りと周りのバックアップで、きっと良い方に向かうのではないかしら・・・・・・。
2006年10月21日
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ちょっと前から息子がやたらに買ってとねだってくる物がある。それは学生服の裏ボタン。サッカー部の一級上の先輩から、壊れたのとか、飽きてしまったのとかを貰い受けてきているようだけど、ネットで捜して、買おうとしているらしい。昨夜は、「あれ、どうやったら買えるの?」と訊いてきた。 「裏ボタン」で検索すると、結構ショップが連なっていて、315円位から様々。送料が店によるけど800円とか書いてあるので、一番安いので1,115円。 ネットのお買い物は慣れてしまうとなんともないけど、初めては緊張するみたい。こんなこと言ってる私だって、ショップで販売はしても買うことはめったにない。仕事で事務用品を買うくらい。だけどこれが曲者。ついつい、あれもこれも、ぽちしてしまう。 楽天のポイントとか意識すれば、結構お得な買い物が出来るんだろうな・・・と思いつつ、生まれ着いての無精者で、どうも「面倒くさいや!」が先にたってしまう。お皿がもらえるパンのポイントはせっせとためるんだけどな。尤も、あれはシールを集めるわけで、完全なアナログの世界。結局、デジタルの世界ではおちこぼれってワケですか・・・・・。 でも、つくづく、裏ボタンとか、カッコいいなんて興味を持つお年頃なんでしょうね。可愛くて仕方ない。 それはそうと、最近では、珍しくなくなったテレビでのラブシーンだけど、昨夜も、何かの番宣で、濃厚なキスシーンが映されていた。そこで私は耕平に尋ねた。「あんたたちは、テレビでこんなラブシーン、頻繁に見るから、もうドキドキもしない?それとも、やっぱり、ドキドキしちゃう?」 すると耕平が答えて曰く。「あ、いや、ドキドキはあんまりしないけど、目のやり場に困る。」 そう言ってその場を立ち去った。ふぅ~~ん。なるほど。目のやり場に困る、か。じっと凝視しちゃいけないって思うんだ。私たちなんて、ああいうシーンは食い入るように見てたな。親がどうとか、そこまでの余裕はなかった。兎に角、もらさず、スミからスミまで・・・なんて書くと、一体どんな人間じゃ?って思われそうだけど、そんな、素朴な時代だった。今の子は余裕があるって事だね。それと、これを見逃しても、またすぐ次があるって、それも余裕!? でも、先日、14歳の母を観ようと言って来たのは耕平だった。そう言う話題に、興味が無いわけじゃないんだ。う~~ん、天晴れ、思春期の少年よ?!
2006年10月20日
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義母に誘われ一緒に申し込んだ健康診断。まだまだ先と思っていたけど、もうその日がやってきた。 一週間ほど前に青い封筒が届いて、既成事実の書き込まれたカルテと、大腸検査のための検便グッズが入っていた。二日分の検体を提出することになっていたが、何とか無事、採取成功。って、こんな話題は避けたほうが好い? 義母を積んで会場へ行くと、ひっそりとしている。封筒を良く見ると、新しく出来た市の会場は福祉総合センターとなっていた。どうも古い記憶の更新が出来ない。やたらと思い込みで行動する傾向強し。 車で5分ほど走ってそこに到着すると、駐車場はほぼ満車状態。ここは市の南東の端。我が家は西の端なので、市の端から端まで走ったことになる。義母は、「何でこんな端っこに公共の施設を作るのかしらね。不便ったらありゃしないわ。」と呟く。「でも、うちの町に出来たらどうする?嬉しいでしょう。みんながみんな万々歳ってことはきっと無理なんでしょうね。指揮を執る人は難しいでしょうね。」 車を運転する私は、難なく其処へ行けるので、こんな風に言えるんだけどね。出来れば自転車でガソリン使わず行ければ良いよね。 出来れば、市内の主要道路を公共の施設をめぐるバスが運行すればいいな。そうすれば、余計なガソリン代なんか要らない。それより、何より、今、段々と乏しくなりつつあるエネルギーを温存することに繋がると思う。自家用車で思うところをバンバン移動することを思うと不便だけどね。でも、地元のバス会社との問題もあるだろうから、ここは、市がそのバス会社と契約して、市内巡回路線を設けるってことで、話を進めて頂けると好いですね。 それはいいとして、義母は今、ギブスの身。受付は一緒に済ませて、本当なら私が早く回って順番を取っておき、義母があとから来て一緒に受診すると言う青写真が出来ていたのだけど、受付で既に大きな差が出来、細かい打ち合わせをするまでもなく、義母と私は離れ離れに。 久振りに会ったのは、義母が胃がん、肺がんのレントゲンを全て済ませ、心電図にやって来た時だった。私はその辺りの項目は全て終わろうとしていたが、大物の胃がん、肺がんがまだだった。「じゃ、後で。」と言って、私は肺がんへ移動。これは結構早く終わり胃がんへ。・・・多い!それに一人当たりの時間が長い。焦りながら待っていると、義母が「済んだよ。」とやって来た。 負けたっ!! いや、いや、勝負なんかどうでも良いんだけど、早く済んだ義母は、タクシーを呼んで一歩先に外科へと向かう。私は検診が終わり次第、あれこれ用事を済ませ、この外科へ義母を迎えに行くと言う手はず。 タクシーが来ないうちに私は呼ばれて検診車の中へ。積んで行けるかな、と楽しみに思ったが、出てみると既に義母の姿はなかった。なんと役に立たない嫁だろう!! そんなわけで、バリウムの責め苦にも何とか耐え、後は結果を待つのみ。ひょっとして、余命宣告を受けたら、ご香典の先金入金は大歓迎ですからねぇ~~~。 あっ、そう言えば、受診を待つ間に話した人が、ひょっとしたらいけないので、早めにがん保険に入っておいたのよ、って言ってた。へぇ~~~、と思った。泥棒がきても縄をなう藁もない私はどうすれば言いのぉ???
2006年10月19日
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ワールドカップの決勝戦でジダンにひどいことを言って彼を陥れたところのマテラッツィ選手が、そのジダンの頭突きについてのジョーク本を出したと言う。売上金が、ユニセフに寄付されると言う点では評価するけど、普通、そんな本、出さんでしょう。意味判らん。 ドラマ14歳の母で、編集室の場面。14歳の性の実態がどうのと言う記事を書く仕事にあたっている人に、編集長さんだかなんだか知らないけど、「おじさん、おばさんの興味をググっと惹き付けるような、そんな記事を書け!」と叱咤していた。それが編集室の現実なの?おもしろおかしく、興味本位に購買者を惹き付ければ、それでいいの?きっとあの場面は、メディアに対するちょっとした皮肉だろうとは思うけど、あんな記事の題材にされた人はひどい目だと思う。 思いやりとか、優しさとか言ってたんじゃ、この世の中、乗り切っていけないのかもしれないけど、その刃を向けられた人のことも考えなきゃいけないよ。自分がそこに立つ時だって、来ないとは限らないんだもの。 どんなにサッカーがうまくても、どんなに充分な給料を手に入れても、人を踏みつけにして、蔑ろにして、出し抜いていく人間になんかだけはなりたくない。 14歳の~の後かな、「その時 時代は動いた」と言うNHKの松平さんの番組を観た。あれは良かった。 富山は水橋の主婦らがせっせと運ぶ山高く積まれた米が、日に日に値上がりし、手の届かないものになっていく。港から積み出され、地域で品薄になるからだと考えた地元の主婦たちが、米問屋に出荷を止めてくれと談判に行く。それは、全く受け入れられることはなく、先頭に立った者は警察に検挙された。 その騒動を、富山の地方紙の記者が記事にした。○×江花というその記者は、米の値上がりは、軍需景気で金持ちとなった「成金」たちが、米を買い占めたために、相場が上がった事が原因であり、それは政府の無策が根本にあると考えていたからだ。 江花の書いた、その記事は掲載を差し止められたが、彼はそれを構わず全国の新聞社へと配信した。各地で米の値下げを求める暴動が起き、都市部の労働者の間にも広まって行った。それは、政府が軍隊を持って鎮圧しようとしても、結局は食い止める事が出来ず、内閣は最初の主婦たちの米問屋への談判の日から、僅か48日目にして、総辞職に追いやられた。 政府高官や、お役人、所謂公務員と、一部の相場を仕切る人たちばかりが豊かに暮らし、一方では、今日の米もなく飢えて死ぬもの、悲しい現実に背を向け、生を放棄するものが後を絶たない今、この社会と、大きな違いはないのではなかろうか。そもそも、政治にお金が掛かるというのが「じなくそ」だ。じなくそと言うのは、この地方で「でたらめ」と言う意味。ですよね、がらがらどんさん☆ 民衆よ!今、立ち上がろう!!!!!明日の米を得るためにっ!!! 平成デモクラシーを、この手で現実しようではないかっ!!! って、このくらい簡単に洗脳される人間、他にはいないでしょうね。トホホ・・・・
2006年10月18日
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色々と事件は起きるけど、結局、どれも、根本的な社会的解決を見ないまま、有耶無耶の内に闇へと葬り去られてしまう。 とりあえず、当事者でない私たちは、事件が報道されている間だけは、それについてあれこれと考えるけれど、報道されなくなった途端に、終わって仕舞うような気がする。 今回の福岡中二生自殺事件だって、北海道の滝川小学女児自殺事件と立て続けに起きているのだから、具体的な打開策を国会は検討しても良いのではないかと思う。そう言う事件を起こした学校には、何らかの処分を下すという内容で。 この前から飲酒運転叩きが盛り上がっているが、こちらは「飲酒運転幇助」と言う罪が認められ、容認したものも罰せられることになった。学校の教育現場においても、勤務態度に関する不真面目勤務態度幇助の罪を罰する法律が制定されて然るべきだ。周りが「あんた、そりゃいかんよ。」と咎めれば、あえてそれを続ける者は少ないだろう。そこに居づらくなるわけだから。所謂「八分状態」。逆いじめと言われるかも知れないが、それを放置した結果どうなったかを踏まえれば、咎められるに値するものではないだろう。 あの事件も、給料や退職金を失いたくないばかりの保身的思考が元で起きたことなら、金金金の世の中。誰がそうさせているのか。 夕べはQ様何とかと言う番組をやっていた。潜水競技のガチンコ勝負とか、結構、私には好ましい内容だった。個人的に、「ガチンコ勝負」刃好きだからだ。 ただ、潜水コーナーの次のコーナーがちょっと悲しい。11人のタレントが、高飛びに挑戦する。11段階の高さにそれぞれ一人ずつ挑戦し、全員がクリアしたら100万円の賞金が出ると言う。 100万円の賞金は、それを目指してがんばると言う意味と共に、挑戦者に大きなプレッシャーを与えるためのもののようだ。何だか、マイナス思考。どうしてお金なの? クイズ番組と言えば賞金。挑戦モノと言えば賞金。物まねも賞金。何もかも、お金目当てでやってることなの?うんざりだ。 ジャンクスポーツって番組は好きだけど、あれも、何かと言うとお金の話になる。そりゃぁ、お金の話で盛り上がるのは確かだし、実際にトップアスリートの懐状態って興味がある。金金言うて、面白おかしく盛り上げるのはテレビ的には美味しいだろう。でも、視聴者は、その辺りを良く判ってみているモノばかりとは限らない。物心付いたばかりの幼い子供が、あれを観て、お金儲けするためにプロスポーツ選手を志すってのは、どうかな・・・・・。 貧しい家庭に生まれ育った思春期くらいの子が、「オレが稼いで両親を楽させてやる。」みたいな感じでトップアスリートを志してくれれば良いなぁ、って押し付けがましいよね、これ。 こういう美談は今の社会では受け入れられない。そんな一生懸命は「ダサい」のだ。だから、要領よく稼いで、格好良く生きなきゃいけない。つまらない人生だ、と私は思う。こんなことばかり言ってるから、うちの会社が儲からないのだろう・・・・・・。 そういえば昨日、一人の男性が我が社の事務所を訪れ、明郷小学校の前に交通安全の看板を立てるから、ご協力いただけないかと仰る。私はてっきり、学校の先生だと思い、大変だなぁ、と感じ入っていると、そうではなく広告会社。上半分に交通安全の内容の印刷があり、下半分に地元の企業の名前を入れるという。1万5千円×8社=12万円。さっき、金金言うな言うたのは誰じゃ? 看板の大きさは90センチ×75センチ。木枠付き。小学校と同じ敷地にある中学校に息子が世話になっているし、子供たちには何かの形で声を掛けたいと思っているので、一応協力すると契約をしたが、いまひとつ、納得しきっていない私がいる。営利目的なワケでしょう。誰だって、学校から要請があってのことかと思いますよ。学校の前に交通安全の看板を立てると言うと。なんか、ちょっと騙されてる感アリ。
2006年10月17日
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野村監督が言ったそうな。 こんな話、この前、サッカーのワールドカップのナショナルチームへの召集に関しても、他の国々の大物選手が同じように辞退し始めていると言っていた。 父さんは、情けない話だ、と言っていた。私も悲しいと思う。 国を背負って戦いに行くなんて、カッコいい。戦争みたいに相手を殺すためじゃなく、勝利を勝ち取るために。スーパ-プレーで人々を酔わせ、賞賛を受けることができる特権を得たようなものだ。けれど、通常のお給料の出所であるクラブチームでの活動との兼ね合いで、或いは、たいしたお給料を貰えもしない戦いでの負傷を懸念して、辞退すると言う。 何だか、夢もちぼうもない。サッカー好きな、野球好きな子供たちに夢を与えるため、プロの選手になったんじゃないの?自分のお金儲けのためだけだったの?子供たちやファンのために、ちょびっと自分を犠牲にすることは出来ないの?そんなのアホがやることなの? 何だか、切ない。どんなにサッカーや野球がうまくて、素晴らしいプレーをする人でも、お金のために「名誉」を放棄するのはどうかな。興ざめだよ。 昔は、地位と名誉のためにお金を積む人がいたけどね。ま、あの地位と名誉は、スポーツ選手のそれとはちょっと違うかな。さらに大きなお金の源となる地位と名誉だったりするから。
2006年10月16日
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私は、決して、今日の教育の信奉者ではない。でも、数日前、自殺した福岡県の中学生のお葬式で、彼のお父さんが学校側をものすごく罵倒されているVTRを目の当たりにして、すごく疑問に思った。 お父さんは我が子に対して、後悔の余地も無いほど関わってあげたのかな 我が子を守るのは親。それが最後の砦だろうと思う。結局、守りきれなかったのは、砦がしっかりしてなかったからじゃないのかな。決して学校を弁護するわけじゃなく、親としてどうあるべきかを思う時、あんなにもひどい言葉を口にしたくはないと思う。逝った我が子がそれを見て「そうだ、そうだ!もっと言ってやれ~~!」と思うような人間であって欲しくないからだ。 例えそれが自分のためでも、「もうやめて。」と言える人間で居て欲しいし、自分もそう言う人間でありたい。 この前、アメリカで拳銃男がアーミッシュの学校を襲った。一人の女の子が、みんなを撃つ前に私を撃ってと前に出て、犠牲になった。彼女の妹も「その次は私を撃って。」と前に進み、肩を撃たれて重傷を負った。 アーミッシュは許しを最も重んじる部族で、彼女らの葬儀には加害者の身内も招かれ参列した。日本をはじめ、先進国の高度成長社会では到底考えられない事だ。 でも、私はそう言う考えが常識として通用する社会に憧れる。キリストは右の頬を打たれなば云々と言ったが、その精神と少し通ずるところがあるのかな。 ただ、荒廃した教育現場の軌道修正は絶対に必要だと思う。一生懸命にやろうとする新米教師に、先輩教師が忠告をするような教育現場で、ちゃんとした人間が育とうはずはない。けれど、そう言う教育現場の実態に甘んじている保護者を含む社会全体と言うものがあることも、否めないのではないだろうか。 今回の事件では、色々考えさせられています。我が家の二人は何の問題もなく育っていると思っているのは実は親だけで、彼らの胸の中には実は途方もなく大きな悩みがあったりして、とか。いずれにしろ、大事なところで当てになる親で居られればと、ひたすら思う今日この頃です。 ところで、こんなニュースを見つけました。これが実用化され実現したら、なんと素晴らしいことでしょう。開発に元を掛ける価値のあるものだと思います。 ただし、実現したアカツキには、その発電の一部を賄っているのだから何らかの恩恵をと、申し出るお方が現れるのでは?と言う懸念もアリ!?
2006年10月16日
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昨日の中学生が自殺した事件には、前哨戦?!があったらしい。あちこちで彼は、「僕は自殺する。」と言っていたのだ。そしてそれを聞いた同級生は、あまり本気にせず、逆に煽るような形になっていた部分もあったようだ。 ひょっとして羊飼いの少年状態だったのかな・・とも思える。自己顕示欲が強く、自殺をほのめかすことで自分の存在をアピールする。考え過ぎかな。とりあえず、言える事は、彼には本当に意味で心を開いて話す相手が居なかったと言うこと。昨日のバドさんの書き込みにもあるけど、本気でいじめをどうにかしようとして、誰かが本気で相談にのってくれれば、絶対に解決する事だと思う。昔の暴力団がらみのそれとは違っている。普通の子がいじめとも思わず、相手の気持ちが変わらないばかりに、と言う形が多い。 何にしても、消えてしまった命はもう戻ってこない。自殺であろうと、変質者による事件であろうと、「寿命」ではなく、命が消えて仕舞うことは、出来るだけない方が良い。全てを「寿命」と見る見方もあるけれど、人災と言うか、人の手によってあえて命の火を消すことは、避けようと思えば避けられると思うんだけどな・・・・・・。
2006年10月15日
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福岡県でまた中学2年生の男の子が自殺した。この9月からバレー部の主将を引き受けて、張り切っていたらしいが。 遺書のようなものが残されていて、いじめたヤツにはとり憑いてやると書かれてあった。でも、映画で観る様に、この世に思いを残して逝った人の霊が浮かばれないままそこに居て、霊障を及ぼすのは、決して意図してではなく、思いもよらず、そうなって仕舞うものなのではないかと思う。 学校では、命の大切さを謳い、子供たちに教育しているはずなのに、どうして、自殺がなくならないのだろうか。志半ばにして逝くと言うが、小学校や中学校の子供たちには、きっとまだまだ人生の志なんて確立されていないと思う。だから、逆に、逆境に立たされた時の歯止めが利かないのではとも思える。生きて、どうしてもやらねばならぬ事が見えてないから、躓くと直ぐに生きていることに背を向け、逃げて仕舞うのではないかと思う。 では、そこで、追い詰められた時、どう歯止めを利かせるかを考えると、やはり、親をはじめ近しい者が悲しむから、ここは何とか頑張らねば・・・と言う思考回路が働けば乗り切れるのではないかしら。 この豊かな時代に、恵まれた生活を送り、何不自由無く暮らしていれば、ちょっとした障害で生きることを投げ出して仕舞うという筋書きは想像に難くない。決して、死を選んだ子供たちが弱虫でしゃんとしていなかったと言うのではなく、誰でもそうなる可能性が充分にあるということなのだ。 命は決して自分のものではなく、預かったもので、それを粗末にすると絶対に罰が当たるというくらいの気持ちを持って、打たれ強く、雑草のように生きることが出来ればこの上はないと思う。
2006年10月14日
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北朝鮮の危ない行動は日に日にレベルアップする一方。経済制裁をやっても、麗しき隣人、中華人民共和国が、北朝鮮を擁護するので、あまり意味が無いような気がする。苦労したほど効果が上がらないって言うか。 今回の経済制裁は北朝鮮から食料品を輸入して商売している人達は痛手だろう。テレビのインタビューで言ってた。「何年もかけてここまでこぎつけて(商品レベルがアップして)、やっとお客様に受け入れて頂けるようになった矢先にこれは痛いです。」 確かに、それは良く判る。こうなる事が判っていたら、取っ掛かりを考えていただろうが、拉致問題ですったもんだ言い出したのは、昨日今日じゃないというのも事実。 商売とスポーツを政治と宗教は、勿論それぞれ切り離して考えなくてはならないことだろうが、あんな問題児が指揮を執る国と、商売でお付き合いしようと、私は思わない。北朝鮮産の食料品を食べなくても、死んじゃったりはしない。 一方、いつだったか、サッカーで北朝鮮とやって、辛勝した時、彼らの必死のプレーには目を見張った。きっと、負けたらテポドンにくくりつけて飛ばすぞって言われてたんだろうな・・・。 結局、隣国であるばかりに日本が不利益を被るとかそう言うことじゃなく、誰がどう見ても、デタラメな国家経営だもの。って、詳しいこと判っちゃいないけど、拉致や核に関してのやり方でなんとなく感じる。 でも、国のトップがデタラメだからと言って、例えば在日朝鮮人の人たちがひどい扱いをされるのは絶対に許せない。悪いのはトップだ。その下に居る彼らはむしろ被害者だもの。そこが理解出来ない日本人が居るってのも悲しい。 無二の隣人、中国が、あの寂しい叔父さんに言ってあげれば良いのに。「あなたがトップをやっているとうちもやりにくくてしょうがないので、出来れば他の人と代わって欲しいんだけど。」って・・・・・・
2006年10月13日
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何が面白かったって、犬の乱入でしょう。マジ、サッカー好きの父さんでさえ、試合のことをすっかり忘れて犬の動きに夢中でした。普通、真剣勝負であんなオチャラケな場面になると、逆に激高してヒートアップする父さんですが、あれには、笑いまくってました。一体、どんなセキュリティなんだぁ?って。日本チームの物足りなさを、あのわんこが消してくれたって言うか、選手はあのわんこに感謝するべきでしょう。 今日のヤフーニュースに川渕チェアーマンが言ってます。父さんも、播戸選手をとても評価しておりまして、彼のアツさと、時々サントス選手の見せるアツさの違いを力説していました。「サントスは、要らんところでアツくなるんじゃ。あれがいけんのぉ。」 それから、山岸を酷評。「あいつは下手。何回試合へ出してもろうても、呼吸をよぉ合わせん。ピッチの状態の読み方も甘い。ボールコントロールが全然出来とらん。」 川渕さんが酷評した、巻選手どころではなく、こき下ろし。ちょっとロン毛でカールしているヘアースタイルが気に入らないのかな。
2006年10月13日
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勿論、昔から犬は好きだし、芝犬を1匹、飼ってもいる。でも、どんなに可愛くても、幼稚園へ通わせようとは思わないなぁ・・・。そもそも、我が家の二人の子供たちを学校へやるのが精一杯。尤も、下の子は中一で義務教育。勿論、私学になってやってない。どっぷりと地元の公立中学校。でも、やれ修学旅行の積み立てだの、学級費だのと、月9,000円を学校へ持っていく。 その集金袋を出さないので困っている。貧乏な親に遠慮してなのかどうなのか。毎月、ばあちゃんの指摘で物事が発覚するわけだ。今月も丁度、昨日、持って行かせたところ。袋を貰ったのはいつだったのか知らない。毎月の予定表を出さないから判らない。ばあちゃんは出せだせと再三再四言い続けているが、アホな母親はばあちゃん任せ・・・・。こんなことじゃいけないと思いつつ、反面、二人から言われちゃたまんないだろうとも思ったり・・・・・。 高二の娘の方は、夏休みで修学旅行が済んだので、積み立てはちょっと軽くなった。でも毎月1万9千円だったかな。勿論公立高校。でも、国立じゃありません。県立です、県立。悪しからず。 この頃は、教室に空調があるので、空調費も徴収される。ま、全身汗疹を出されるより良いか?! テレビに出てたのは若い女性。子犬を飼い始め、一種の育児ノイローゼ状態になったそうだ。マニュアル通りに行くことなんて絶対にないと思っている私にとってはそれ自体理解出来ない。 だって、人間だって犬だって生き物だよ。型にはめて作るプラスティックや鉄製品とはワケが違う。ここで作ってる桐だって、目が違うだけで違うものが出来る。だから・・・・・ まぁ、一言で言えば大雑把なだけなんだろうけどね。
2006年10月12日
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朝、ばあちゃんが耕平に着るもののことでああだ、こうだ言った。それに対しての耕平の返答が「おぉ。」 男らしい野太い声。「すっかり男らしくなったよねぇ。」と私が言うと、ばあちゃんも晃子も声を揃えて、「うん、うん!」 耕平、すっかり照れちゃってでへへへ状態。考えてみれば、これは成長の結果、つまり、当然の事だから、何も照れることも無いんだろうけど、それに、いちいち驚嘆することでもないんだろうけど、このお腹から出て来たの?!が、こんなに大きくなって、立派になってくれたことが、すごく嬉しくてついつい突っ込んでしまう私。思春期の男の子なんて、その事に触れられるのが、ことさらに嫌な子もいるのだろうけど、我が家の場合、全くお構いなし。思ったことを真っ直ぐに言葉にしてしまう。 あぁ、ただし、晃子の体重がらみの内容だけは、絶対に禁句と言う掟がありますが、これも時として、父さんがうっかり破って、晃子を激高させてしまう事があります。その後、なだめるのが大変。 昨日は、すぐ近くで交通事故発生。魔のカーブと呼ばれる、事故が多発するところがあるのですが、府中から御調に向けてそのカーブを抜けたところで事故は発生した。恐らく、御調へ向かうカーブの内側を走る車が、曲がりきれず対向車線に出て、丁度反対車線を走ってきた対向車とぶつかったと言うことでしょうな。 ほぼ正面衝突。御調へ向かう車にはお年寄りが何人か乗り合わせていらっしゃったようで、全部で六人のけが人が出た模様。救急車も消防車(レスキュー)も来て、ものすごい騒ぎでした。 私は、遠くから聞こえるサイレンで「事故?火事?」と思いつつ窓の外に目をやると、既に道路が渋滞中。現場は近い!と思って国道へ出てみると府中方面へ70mほどのところ。昨日は土曜日に文化祭で登校した地元の中学生と小学生が代休だったので、すごくヒヤヒヤした。だって、子供たちはいつも国道を自転車で走っているから、事故に巻き込まれていやしないかと思ったから。それに、事故のあった現場は、この町の生活道路が国道へ合流しているところ。町の誰かが、国道へでたところで、などと心配もしたけど、それらは余計な心配であったと判った。 以前、アニメの主題歌で、ニュースが飛行機の事故を報道し、乗客に日本人はいなかった事を喜ぶことをどうなんだろうと歌っていた。確かに、じゃぁ、日本人でなければどうでも良いのか?と言う話だけど、そうじゃなくて、とりあえず、身近な人の安否をまず心配するってことじゃないのかな。それ以外はどうでも良いってのじゃなくて。そして、一人ひとりに、そうやって心配してくれる人があるのが本当の形だと言うこと。誰一人心配してくれる人の無い人には、社会が手を差し伸べるべきだと思う。 って、何の話してたのか判らなくなっちゃったので、今日はここまで。
2006年10月11日
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大阪府ではミニブタのアト君のある日課に困っているという。散歩の途中に寄るある広場でアト君は自慢の鼻で広場の土を掘り、なんと横たわるのだ。そして、体を左右にゴシゴシ。体が泥だらけになるのに快感を持っているようだ。アト君の困った行動の謎とは・・・ 特ダネだよ。みんみんさんちのアト君がテレビに出る。うちの方じゃ、ぽちたまは再放送で土曜か日曜だな。はっきりした時間が???それに何週前のか判らないので、ちょいヤバイ。でも、見たいな。みんみんさんも見れるし。見たい、見たい。
2006年10月10日
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遅々と工場へ出て仕事を始めると、早速電話が鳴った。モノつくりの現場はほぼお休みなので、お客様かな、と思って出ると、時々連絡を頂く某新聞読者投稿欄編集室の担当者。 一週間ほど前の投稿を採用して下さるとの連絡。掲載は14日の土曜日。内容は・・・ヒミツ。投稿ネタには事欠かない我が家だけど、今回のは自分で言うのもなんだが、ちょっとぐっと来る内容。原稿料を頂くのだが、毎回、ネタの提供者(話題の中心人物)に渡すことにしている。今回のその人物は実家の父。当年とって(・・・計算中・・・)、何せ昭和7年生まれ。計算が面倒くさくなっちまった・・・・。 子が言うのもおかしな話だが、どちらかと言うとインテリ派。夫のようにおどれすどれと声を荒げることの無い人。その代わり、子どもを叱ると言っても、間違っても手を出すことは無かったし、びっくりするようなトーンになることもなかった。淡々と考えを語る人。 当時は、思春期と言うこともあって、ひどく反抗心を抱いたものだったが、今となっては、どうしてあんな風にしたのだろう・・・、と反省しきりの私。それでと言うのでもないが、今回は反省の意味もこめて、登校したと言うわけ。きっかけとなる出来事もあったし。 さぁ、10月、秋も本番。張り切っていきましょう!!!
2006年10月09日
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家族に病人やけが人が出た時には、おおよそ、何処の家庭でもそうだと思うが、親戚やご近所には出来るだけ内緒にしておこうと言う話し合いがされる。余計な心配を掛ける事の無い様にと言う配慮からである。 今回の義母の骨折も、「実家や広島(義姉家)には言っちゃいけんよ。」と義母から言われていた。いっちゃぁなんねぇ、いっちゃぁなんねぇ。私はひたすら口を閉ざし続けた。と言っても、バタバタしていて実家にはとんと寄りつかなかったし、義姉宅へはこの事以外に、特に何も連絡すべきことは無かったので、電話もせずにいた。 夕食後、電話のベルがなった。義母が受け、目の前で話している。どうやら義姉からのようだ。しかも、話の内容から、義姉は既に義母の怪我を知っている様子。すぐに義母が受話器を私に渡した。「まぁ、とんだことでお世話になるわねぇ。」「いえいえ、とんでもないですよ。でも、怪我のあとバスに乗って隣町までクリーニング、出しに行かれたんですから気丈なものですよ。黙っていてゴメンなさい。」「いやいや、どうせ口止めされてたんでしょ。判ってるわよ。今日、昼間、よほど暇だったんでしょうね。電話してくるものだから「元気なの?」って訊いたら、「それがね・・・」って、怪我の話をするもんだから、びっくりしちゃってね。」 どうも、自らの口でカミングアウトされたらしい。まぁ、どうせ完治まで黙りとおせるわけ無いと思っていたし、こういう筋書きはおおよそ、想像していた通りだった。県東部に用事があって義姉は我が家に足を延ばすというので、旦那が最寄の駅まで迎えに行く約束をした。 やはり、怪我や病気の時には、実の娘が遠慮が無いだろうし、何より、きっと、心を癒されるものだろう。それに、義姉は情報通で、料理上手。我が家を訪ねてくれるのはとても楽しみと言うのが本心。よく言う「小姑」と言う感覚とは、掛け離れているので、大歓迎なのだ。子供たちも、結構ビシビシ言われたりもするが、何故かその言葉が心に響くし、共感してくれる部分があって、信頼も置いている。お菓子作りの達人と言う点で、娘は義姉を崇拝している感さえある。 一方、仕事で実家を訪ねると、「足が痛いのよ。」と言ってソックスを脱いでみせる母は右足の親指の付け根の関節のところがうっすらと赤く腫れ、熱を持っている。 数日前、近くの病院で、人工関節を入れる手術をされた親戚の女性の洗濯物を引き受け、それを取りに行ったりしたらしいが、人のことどころじゃないじゃないの!と言った次第。良くないのは土曜の夜からと言うので、日曜の夜、一晩、様子を見て病院へ行くと言う。躓いたのでもねじったのでもないと言うので、ひょっとして、通風系かな・・・とよからぬ想像。大したことで無ければ良いが。
2006年10月08日
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一年のブランクを経て、見事、中学校に返り咲いた我が家。 二年ぶりの中学校の文化祭は結構新鮮で、少し内容が代わったんだなと実感。一昨年までは、各学年の劇は人権に関わる内容が多く、例えば仲間はずれに端を発した人間関係のゆがみを、子供たちが苦心しながら修正し成長して行くような内容だった。 今年は、一年生は地元を探索し、観光や産業について集めた情報に基づいて、地元を紹介する内容。二年生は、夏休みのキャリアスタートウイークの経験に基づいて将来の職業に関する思いであったり、仕事で収入を得、自分を養ってくれている家族への思いを伝えた。3年生はたった今、直面している高校受験にまつわる、家族とのやり取りや友達との関わりの中で、進学とはどう言う事なのか、何を目指して進学するのか、などの内容だった。 3年生の劇の中で、主役の生徒の家庭でのやり取りが演じられ、やはり、親は少しでも偏差値の高い学校へ子供を進ませることを考えているという一般論を訴えていた。 ・・・・・確かに何を持って学校選びをするかと考えた時、私の場合、音楽の道へ進むことを考えていたので、下宿するか寮へ入ることが必要な遠方の音楽高校を候補の一つに考えていた。結局、運よく偏差値が足りたのと、どうしても入りたいクラブがあったので、一番近い進学校へ入学したが、もし、音楽高校へ進んでいれば、親に経済的な負担も掛けただろうが、今頃は世界を股に駆ける演奏家として活躍していたかな!?、と思う。 或いは、現実に戻り、こうして、木工会社に嫁ぎ、この仕事をしているが、こうなることが判っていれば、木工の町であるこの町には木工の技術者を養成する素晴らしい実業高校があるので、そちらで勉強していただろう。 演劇の中で、「勉強しろ。」と繰り返す母親に息子が「どうして?」と聞くと、「偏差値の高い学校へ進み、将来は楽な暮らしを・・・。」と言った。 それは、その母親に特定される思いではなく、学歴社会である今日の社会における常識だ。常識だからそうなのだろうが、考えてみるとおかしな事だと思う。 モノを作る、サービスを提供するなど等、多くの種類の職業があるが、それらには企画立案するブレーンの部分と、実施実現する現場部分とがある。結局、偏差値の高い学校を経て社会に出れば、ブレーン部分に就き、高収入が得られる。逆に、低い偏差値だとブレーン部分を賄うことなく、現場で働く、すなわち肉体労働に携わることになり、高収入は得られない。そう言う理論だ。 でも、幾ら素晴らしい企画立案がなされても、現場で実現できなければ一文にもならないのだ。或いは、大した企画立案でなくても、現場で練り上げられることで素晴らしい実を実らせる事だってある。 なのに、高収入を得るのは頭脳労働者で、低収入なのは肉体労働者。だから親は、子供に「勉強しろ。」と言う。すなわち、「頭脳労働者になれ。」と言うのだ。 でも、人それぞれ、向き不向き、得意不得意、得手不得手があって、それを個性と呼ぶのだが、現在の教育はそれを伸ばすべく実施されている。ところが、その先にあるのは頭脳労働を得意とする者しか高収入を得ることの出来ない社会。おかしい!それはおかしい。 学歴社会とは言え、段々と実力社会になりつつあるので、偏差値の高い学校を出てさえいれば、収入の高い仕事に就けるという時代は去りつつある。また、その通りに就職できても、人間としてあまりに未熟であることで、ふるいに掛けられる時代が来た。 だから、例え偏差値が低くても、雑草のごとく、強く逞しく成長すれば、ちゃんと成功できる社会になりつつあるのだが、今までの経験が世間の親にどうしても少しでも高い偏差値を求めさせる。 偏差値の低い学校では、偏差値の高い学校に比べ、自殺者が格段少ないと言う話を聴いた。在りのままの自分で無理をしないで過ごせる環境の中で、今の自分より、ちょっとだけ高いところを目指してがんばる。頑張ればがんばるだけ、成果は上がるけれど、その挙句、人を殺すだの、自分で死ぬだのと言う結末にだけは至るべきではないと思う。 ただ、そのリミットを見極めるのは、自分自身以外にはないという事をしっかりと心に刻んでおきたい。
2006年10月07日
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昨日の事故で負傷した義母の手代わり(本当は主婦であるべき私の仕事ですが・・・)として、晃子の試験が終わるまでは、耕平が、そして、耕平が試験期間に入ったら、晃子が、ユズのお散歩係ということを決めた。 早速今朝は、耕平はいつもどおり7時ごろまで寝ていたので、その直前に起床した私が、耕平に代わってお散歩に出かけようとしたところ、とんとんと階段を下りてくる音がして、耕平がキッチンに覗き「オレが行くで。」と言った。あ・・・、ちょっとは自覚してたんだ、とすごく嬉しかった。 丁度晃子は試験なので、お弁当がいらなくて助かるんだけど、これもずっとと言うわけには行かない。でも、今日は二コマの試験を受けて帰宅して、義母とお昼を食べ、ちょっとお昼寝をして、ちょっと勉強をしてから、ユズのお散歩と、晩御飯の調理に力を貸してくれたみたいだ。 やっぱり、血がつながっているからだろうか、義母は私により、孫に言う方が良い易いのかな。それとも、私がかなりきつい嫁だからか??!!う~~~ん・・・。 六時まで仕事をして帰ると、義母と晃子がキッチンで調理中だった。メニューはカレーとサラダ。サラダは、晃子が良くお弁当に作って入れる、千切りキャベツをレンジでチンしたのと、たまねぎの薄切りを塩で殺したのとを、天カスを加えて薄くマヨネーズで和えるやつ。たまねぎのエグサ(辛さ)が丁度良い具合で、パンチの効いたおいしいサラダだった。ただ、量が案外に少なく、自分の分をいの一番に平らげた晃子の目は、他の人のお皿に釘付けだった。それを指摘すると、視線が泳ぐ、泳ぐ。まぁ、食欲の秋ですからね。 カレーも、良いお味で、私はもやしとわかめのスープを作りました。 7時半からは明日の中学校の文化祭に備えて、PTA役員の出し物、合唱の練習。曲目は「涙そうそう」と「翼を下さい」。ベタやなぁ~~~。 張り切って歌い過ぎて、帰りにはすっかり声が枯れてしまった私です。明日はきっと声が出ないでしょう。尤も、その方が平和と言うこともあります。 毎年、文化祭の学年別の出し物の劇には泣かされますが、今年はどんな出し物があるのか。とっても楽しみ。因みに、明日、耕平はお弁当。おかず、何にしようかな・・・・。鶏のせせりの唐揚げと、餃子・・・。でも、餃子は匂うよなぁ・・・・・。
2006年10月06日
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最近、人殺しが横行しているが、またまた引き篭もり青年が父親を殺すと言う事件。 何で、こういう事件が起きるんでしょうかね。気に入らないことがある度に人を殺してりゃ、生涯では何人でも殺さなくちゃいけませんがな。どうすれば、こんな事件が起きなくなるのでしょうか。国を挙げて取り組む必要のある案件だと、私は思うのですけどね。 諮問機関って言うんですか、有識者で構成されるあれですが、あの構成員を、引き篭もりとか、少年事件を起こした子とかの親にお願いすれば良いと思うんですよ。やっぱり、ぶっちゃけた処が一番よくわかるのは当事者ですから・・・。経験に基づいた今後の政策を打ち立てるためには、最も有効な手段だと思うんですがね。 ところで、我が家のばあちゃんが負傷しました。砂利道を歩いていて、石車に乗り転倒。左足かかと付近の骨の端っこのところを剥離骨折した模様です。 水中歩行のプールへバスで行くため、バス停へ向かっている時に、事件は起こった様で、気丈なばあちゃんは、転倒後、何食わぬ顔でバスに乗り、目的のバス停へ降り立ったのですが、そこで「こりゃ、歩けない。」と思い、道の向かいにある反対側のバス停へ。その前に、数日前、セール広告が出ていたその近所のクリーニング屋さんへ、洗濯物を持って行ったとか。 で、整形外科の病院へのバス停へ降りようと思ったけど、保険証が無いので自宅まで帰り、お昼に買い物を持って帰った私が、その事実を耳にした、と言うわけ。午後2時半の開診に父さんが積んで行き、病院へ置いて帰り、午後、町で会合のあった私がその帰りに拾いに寄ったと言うスバラスイチームワーク!!?? これから4週間、家族みんなで家事を賄います。 ばあちゃんは頑張り屋で、手の届いてないところに届かせてくれる。それに甘えて、いつも、「間、ばあちゃんがやってくれるさ。」みたいな考えが横行している我が家。これを気に、改めなくては・・・・・・・。 午後11時過ぎ。おいたちのビーズを作っていると、ギブスがきつくて痛くて眠れないと主張するばあちゃんを乗せて病院へ。結局、ギブスをやり替えて貰い、痛み止めや腫れ止めを貰って帰宅。
2006年10月05日
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お風呂上りの耕平が妙にうっとりした顔で私に声を掛けた。「お母さん、RCCのバスタオル、知ってる?」 それは以前、会社だったか、耕平が三郎の滝でだったか、RCCに出演したのだが、その時に貰った記念品のバスタオルの事だが、オレンジ色の刺繍でRCCとロゴが入った薄クリーム色の大判のバスタオルだ。 我が家は脱衣場に何枚もバスタオルが置いてある。風呂上りにはタオルではなくバスタオルで体を拭く習慣がある。人が使って湿気を帯びたバスタオルが不快なので、結局ほぼ人数分のバスタオルが脱衣場に置かれる。毎日のことなので、結構タオルも痛み、微妙なガリガリ感が出てくる。ただし、吸水力はある意味、新品よりも良くなる。これは数日前、父さんとも話をしたところだが、耕平は新しい超大判のRCCのバスタオルが痛く気に入ったのだ。「ふわふわで、俺、布団かと思った。」 これにはさすがの私もビビッた。確かに我が家は裕福な家庭ではなく、毎晩薄っぺらなせんべい布団に耕平を寝させている事実は認めよう。が、しかし、事もあろうにバスタオルをふとんだなんて!!一同、思い切り爆笑。耕平はへへへへ・・・・、と笑うしかなかった。 今日はもう一つ耕平語録が増えた。「母さん、お金持ちの人って絶対不幸よな。だって、100円拾っても嬉しくもなんとも無いんで。前、自販機で父さんがタバコ買ったら、300円入れてお釣りが100円玉で何十個も出てきたことがあってな、父さんがそれでルアー買ってくれたんで。」「それって殆ど窃盗じゃないの?」「でも、盗んだんじゃないよ。勝手に出てきただけで。」「この次、出てきたら、自販機の持ち主に返さんといけんよ。」「でも、誰か判らんかったら?」「う゛、そ、それは・・・。」 耕平に言わせれば、お金が有り余っていて、お金を拾ってもラッキー!と思えないお金持ちは不幸だという理論。確かに、そうかもしれない。メンタルな部分は相対的なので、幸せか不幸かは、極めて抽象的なものだから。100円拾っても嬉しくないお金持ちは不幸。 それはそうかもしれない。 文化祭の練習で、出番の関係で、練習の最初から最後まで練習場所に縛り付けられたことが、今日の耕平の最大の不幸だった。
2006年10月04日
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こんなテーマパークが出来るそうです。 8月には、この町でも、中学2年生がキャリアスタートウイークと言うことで、市内の企業へ5日間出掛け、「仕事」と言う物を体験した。我が社にも2名の男子。 私たちが学校へ行っていた頃は、そんなの全くなく、そもそも、学校を囲むブロック塀の外で、一般の社会生活が行われているなんて思ってもいなかった。病気で休んだら、その日はたまたま、そのような生活があっただけで、私が学校にいる日には、大人もみんな学校へ行っているくらいに思っていた。というのは言い過ぎだけど、社会があり、職業があるということを知らなかった。だから、ニュースにも興味がなかった。というか、漫画の方が良かった。 だから、世の中にはどんな仕事があるのかを知ることは興味深い事だし、必要な事だと思う。だけど、その仕事がどのように遂行されているかを知る前に、もっともっと知らなくてはならないこともあると思う。それに、仕事は確かに楽しいけれど、その中で、叱られることもあるし、思うように行かないこともある。挫折を味わわなくてはならない場面は幾らだってあるので、楽しさを享受すると同時に、挫折に対する免疫も育てていくべきだ。 話は変わるが、北海道で小学校の女の子が自殺した。またいつもと同じように、いじめがあっただの無かっただのと教育委員会の先生方が論じていらっしゃる。あっても無くても、彼女が命を落としたことには変わりはなく、そこでは、彼女が自殺するのを思いとどまらせるだけの教育が実施されていなかったことは明白だ。 こんな風に言うと、自殺したのは彼女だけで、全員が自殺したわけじゃないから、やっぱり彼女が悪い、と言う意見もあるだろうが、今、教育の中で、大きく謳われているのは何ですか?「個性を伸ばそう」でしょう。ならば、同じ影響の下で、自殺に至るか否かも、個性によるものに他ならない。自殺することしない子がいるのは当然の事だ。 勿論、責任は教育委員会だけにあるのではない。彼女の周りにいる全ての人、そして、社会全体が、自分がすべきこと、できることを考え直さなくてはならない。彼女一人が弱かっただけだといって仕舞うのは簡単だ。でもそうすると、また、再び、二人目の彼女、三人目の彼女を出してしまうことになるだろう。 人を思いやる優しい気持ちと同時に、打たれ強い強かさを育むことが必要だ。♪この世は弱いやつ いつでもいるもんだ 守ってあげましょう それが強さなんだ~♪ 覚えていますか?地獄先生ぬ~べ~の歌です。私、この歌好きです。言ってることが的確。神戸の少年殺人事件で放送を打ち切られちゃいましたが、いまだに、何でだろう?と思っています。ちょっとおどろおどろしかったけど、いい話だったと思うなぁ。因みに、あの漫画のコミック最終巻を読んで、思い切り涙すのはうちの娘、晃子です。
2006年10月03日
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生活保護を受けつつ、生活費を捻出するため、万引きを繰り返していた父娘があると言う。 そんなことするくらいなら 飢え死にした方が ましだぁ~~~~っっっ!!!
2006年10月02日
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晃子が試験勉強してるって言うのに、ちょい悪母は、そこへ行って日曜洋画劇場を観る。 インビジブル。透明人間を作る実験をしていて、博士自信が実験台になり、もとに戻らなくなるという話。透明人間の画とか結構グロテスク。でも、この映画が伝えようとしているのは、そんな浅いものじゃない。目に見えない、人間の心のグロテスクだと思う。 そもそも、問題の発端はこの実験を秘密に進めていたということ。軍上層部には内緒にしていたので、問題が起こってから口を開くことが難しくなった。透明になってしまった博士をもとに戻そうとする中で、元々博士の彼女だった女史が、博士の下で動いていた人とデキテしまった。これも問題。そして、博士自ら志願して実験台になったにも拘らず、元に戻れないストレスから、博士は被害者意識の塊と成り果て、透明であることを利用し、悪さを働き出し、最後には殺人までも犯して仕舞う。 この話の最も訴えようとするところは、人間の心のグロテスクだ。人を疑い、妬み、憎む。そう言った心の動きを、形のグロテスクと重ね合わせながら、くっきりと描いている。 透明になった博士は、モルモットと成り果て、研究を進める意欲を失くしてしまっている。透明であろうとなかろうと、動けない体でなく、思考出来ない頭脳ではないので、研究意欲さえあれば研究は出来るのに、自分の下にいた人を当てにし、その力量が足りないだのどうだのと、言い出す始末だ。 ラボの仲間は、透明になってしまった博士の心情を汲むことなく、冷淡に接する。ただ一人、監視役をしていた人にだけは、博士は透明になった心情を吐露するが、博士の思考回路が狂ってしまった時点で博士に殺されてしまう。 人の人間性というものは、きっと、とことん追い詰められた時、暴露されるものだろう。余裕が有る時は誰だって良い顔が出来るものなのだ。余裕がなくなってしまったとき、どれだけどっしりと構えていられるか。果てさて、如何なものでしょうか。幾ら偏差値が高くっても、あの博士みたいになったんじゃぁ、ねぇ。あんな風だから、彼女にも捨てられても仕方ないよな、と思ってしまった。
2006年10月02日
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特に競馬ファンだというわけではないが、やはり、国旗を背負って外国へ戦いに行っている者を応援したいというのは世の常、人の常です。武 豊さんも、特にファンと言うわけではないけれど、今回の凱旋門賞に関する取材の中で、武さんのディープへの深い愛情を切々と感じ、「勝つと思うし勝たせてやりたいです。」と言う彼の言葉に、何故か、ウルウルしてしまった私なのです。 結果は、この通り。世の中、何もかも思う通りには行かないってことでしょうが、ディープの前にゴールした馬が、シロッコとか、ハリケーンランとか、優勝候補ではなかったことに、驚いている私です。 ・・・・・には魔物が棲んでいる、なんてフレーズをよく聞きますが、ロンシャン競馬場にも、その魔物が棲んでいるのでしょうか・・・・・。
2006年10月01日
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