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指示通りに治療に専念していたにも拘らず、実は晃子の脇の下の傷跡が化膿しつつある。少し様子が変と言ってはいたが、お風呂で見てみると、傷がいくらか赤みを帯びて蚯蚓腫れっぽくなっている。さらに、晃子が言うには、お風呂に入る前、鏡に映してみると、ちょっと黒っぽい糸くずみたいなのが付いていたので、洋服の糸くずだと思って引っ張ったら、傷の中からニョロニョロと出てきたと言う。え゛、え゛~~~ まぁ、長い人生、こんなこともあるかと思うけれど、一応、早めに医師の診断を仰がねば。
2006年12月29日
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ユズは可愛いけど、あまりお利口ぢゃ無い。お座り、お手、お代わりも完成していないという現実。そんなユズはもう2歳。 女の子で、おしっこは腰を低くして、背筋を伸ばしたような姿勢で致すのはご存知のとおり。ウンチは、尻尾をしっかりと上げて(ウンチがつかないためなのかな?と憶測)、背骨を丸く猫背にして懸命に気張る。 時々、自分の性別を見失うのか、片足を上げておしっこをする時がある。 この前はそれを通り越して、ついに、両足を上げて致そうとした。思わず見とれてしまった私。その数日後、息子がユズの散歩から帰って言った。「今日、ユズ、両足上げておしっこしたで。」 でも、考えてみると、それって「逆立ち」ぢゃん!! 天晴れ ユズ!!
2006年12月28日
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姉家の手乗り文鳥 チュンは結構利口だ。 母からの報告によると、ケージの中で、チュンチュンと、にわかに騒ぎ出すと、義兄がケージの扉を開ける。出てきたチュンは義兄の腕にちょんと乗り、チュンの体に真下に、義兄がティッシュを構える。それを待って体を膨らませ、「うん」と力んで排便をする。手乗り文鳥が、トイレトレーニング完了しているのですよ。人間の三歳児でも、なかなか全うできないトイレトレーニング。 恐るべし チュン
2006年12月27日
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甘いものが欲しくて欲しくて、今日は自分へのご褒美に大奮発して、スーパーのデザートを一つ買った。森永の「クラッシュタルトつき サクッ!とレアチーズデザート」。売り出しで、一個88円。もう清水の舞台から飛び降りる気持ち。 買えって食べた。はずれた。見事にはずれ!!クっ!!もう二度と買わない。この次は128えんのにしよっと。
2006年12月26日
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姉家には可愛い小鳥が飼われている。種類は金華鳥と手乗り文鳥。文鳥の名は「チュン」。よくある名前だ。たくさんの金華鳥の中にあって、一匹狼ならぬ一匹文鳥。孤高のメス文鳥である。 そこにやってきたのが、オスよりもちょっと高値で売買されるメスの金華鳥「ちび」。なんと成長するにつれ、チビはオスであることが分かった。子供たちは、オスの方が安いので、差額を返金してもらおうと、母に詰め寄ったが、母は取り合わなかった。そうこうするうち、ちびは大きくなって、ちび改め「しろ」を襲名した。 ひょっとすると、性同一性障害かも・・と言う家族の心配をよそに、しろはすくすくと成長した。とろこが、ある日、そのしろの様子がどうもおかしい。文鳥のチュンに、気がある様子。他の金華鳥は、どれも番(つがい)になっていて、それぞれよろしくやっている。あぶれたチビ改め「しろ」が、一匹文鳥のチュンに心惹かれたことは、自然な流れだったと言えばそうかもしれない。 しかし、ペット屋の常識として、金華鳥も文鳥も、負けず劣らず気の荒い種で、一つ屋根に住まわせば、血を見る争いが起きることは火を見るより明らかだった。だから、姉一家も、いくらしろがチュンに恋しようと、一緒に住まわせるわけには行かないと思っていたが、しろのチュンへのあまりにけなげな思いが深まれば深まるほど、とにかく、一度、コンタクトをとらせてみようということになった。 かくして、一つ屋根に暮らすこととなったしろとチュン。しろは懸命にチュンに向け、求愛のダンスを踊り続けた。いつしかチュンの心には、ほのかな恋心が芽生え、激しくしろを攻撃しつつも、時折、女らしいしぐさを見せるようになっていた。そしてついにその日がやってきた。小さなしろが大きなチュンの上にのり、愛の営みに至ったのである。二人にとってそれは甘く切ない、ちょっぴりすっぱい、初めての経験であった。その一部始終を見て、メインブリーダーKUMIKOが、一言つぶやいた。「やってる、やってる。」 ちなみに彼女は小学5年生である。 そうしてお正月がやってきた。元日、実家に集まっての食事会は、文鳥のチュンと、金華鳥の白の話題で持ちきりだった。「子供は出来るのかしら?」 翌日、自宅へ帰った姉から電話が入った。「巣に3個の卵が産まれているわ。」 数日後には4個に、さらにその数日後には5個に増えた卵。もし、この卵が孵化すれば、産まれる雛は犬で言えば雑種。でも、聞いたことない、鳥の雑種なんて・・・・・。 今、私の胸は、この卵から産まれる「文華鳥」の雛のことで一杯だ。これで、日本の少子化問題に、いくばくかの歯止めが掛かればと思っている。
2006年12月25日
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中一の息子が、同級生の女子から借りて、今日一日で読んだよと言っていた本が、お風呂上り、アロマランプを焚く準備をするため応接間に入った私の眼に留まった。応接間のテーブルの上に無造作に置かれたブルーのPUMAのエナメルバッグの口は開いていて、それはその中に横たわっていた。「天使がくれたもの」 妙に叙情的なタイトル・・・・。読んだと入っていたが、良かったとも悪かったとも言ってはいなかった。我が子と共通の話題を一つ、ゲットせんがため、私は、ランプの芯にアロマの入ったアルコールが浸み込む20分間、ちょいと読書の時間を過ごそうと、その本を手にとりソファーに腰掛けた。 ちょっと、ドラマの脚本のような綴り口調だ。主人公の女の子は、茶髪の化粧の濃い女子高生が通う高校に入学したところだった。この子はぐれているのだろうか?率直な疑問だった。 一人の女の子と仲良くなり、その子の友達がたむろする場所へ通うようになる。最終的には、一人のぶきっちょな男の子と恋に堕ちるのだが、結局、その恋は報われず、彼は交通事故により天へと召されてしまう。 その事故は主人公が思いを打ち明けるため呼び出した、その場所へ向かう途中でおきたことで、彼女は自らを責め引きこもってしまう。 5年間を経て、やっと起きた事を受け入れる気持ちになり、当時の仲間たちとともに彼のお墓参りをする。 この本はネットのブログで綴られたものを編集したもので、作者は心にはいつも正直でいる事が大事と訴える。 45にもなって、恋心とか、もう遠い昔のことだけれども、恋心に限らず、人間関係の中で後に引けないと、素直になれない自分を見つけることはよくある。それがもとで、ホントウに取り返しの付かないところまで行ってしまうとすれば、本当に、心には素直で居なくちゃいけないと思う。 思い返してみると、あった、あった。素直になれない自分がもとで、大きく進路変更したこと。それで、不幸へとまっしぐらと言うことが無かった私は幸せ者なのかも知れない。 小説の中、お葬式の場面で、彼の母が彼のお財布に入っていたと、主人公と彼の何気ないスナップ写真の切抜きを見せ、「ずっとずっと先になるけど、僕は自分のためにお金を貯めたいと思う。」と、彼女との未来を夢見る言葉を継げていた事実を聞かされた主人公は、ホントウにどうしようもないほど、胸が痛んだだろうと思う。人の心が透き通って見えるメガネがあればなぁ・・・・。 そうそう、今夜は、読書の前には、バイオハザードを観たんだった。忘れてた。あれも怖いなぁ。細菌兵器なんか作らなきゃ良いのに。それにしてもアリスって、超人間かと思うくらい強いなぁ。逆に彼女こそ強くなるウィルスに感染してるんじゃないかって位。 耕平が、バイオハザードを観ながら言った一言。「こんな怖さ経験すれば、あの鮫が襲ってくる映画の怖さなんかなんとも無いよな。」 ・・・・・・いや、あれはあれで怖いよ。何も無く、平和に過ごせる毎日が一番良いよ。怖いの、やだよ。って、じゃぁ観るな!!!ってか?
2006年12月24日
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私はしばしば、今を豊かな時代と言う。でも、私達が子供だった頃、昭和40年代も、戦時中と比べれば、比にならないほど豊かだったのだろう。本当の意味で貧しい時代を経験していない私は、義母の目には、まったく暢気に映るらしい。 何気ない、日常の細かなこと、例えば、子供たちが脱ぎ捨てたパジャマだとか、床にぽとりと落ちたお菓子の包装紙だとか、そういうものが目に入らないの?とよくお叱りを受ける。うん、確かに。気が付けば、間違いなくごみはゴミ箱に捨てるし、パジャマは納める場所に拾いあげるだろう。気が付かないのだ。これを暢気と呼ぶのだろう。 義母は、とにかく、あちこちに目が行き届く。彼女は、おそらく一生呆けることはないだろうと思う。ただ、しばしばあるのは、同じ話を何度もするという状況。でも、私は敢えて、「それ、もう聞きました。」とは言わない。何度でも聞くし、言うとして、一通り、話が終わってから、「そうおっしゃってましたね。」と言うくらいに留めておく。話しかけた話を「もう聞いたよ。」とさえぎったところで、誰の得になるのでもないし、と思うから。話を聞く位、大した労力も要らないし、と思うから。 ただ、最近は認知症の症状かなと思われるほど、集中力が欠如してきた。人の話を聞かない。聞いているような風でも、じつは聞いてなくて、子供たちからも「生返事ばかりする!」と叱られる事が良くある。自分でも、十分、自覚している。なのに集中できない。例えば、テレビに気を取られたり、自分の頭の中で何か考えていたりする。昔はこれでも、先生の話はよく聞く子として、賞賛の言葉を頂いたりしたのだけれど・・・・・・。 来年は、人の話に耳を傾けるという目標を立てよう。認知症が進まぬよう、注意注意★
2006年12月23日
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耕平はあまり口答えをしない。だから、いい子だとばあちゃんが言う。逆に、口答えの多い晃子は、あまり言い子じゃないと言われがち。これって辛い。 私は結構口答えする子だったから、晃子の気持ちは判る。そんな時代を経て、余計な口答えは無用の長物だと判ったので、最近は、余計な口答えはしない。口答えをして、何か得る物のある相手には口答えをする。口答えすると言うより、意見を言う。 父さんの中学時代のサッカー仲間が集まって飲み会があった。私は、耕平たちを塾に積んで出る便に父さんも積んで出て、一件の集金と治療院を済ませた。6時に出て塾は8時まで。一度家に帰ろうかと思ったが、7時も過ぎたので帰るのが大儀になって、結局父さんたちが集まっている場所へ行ってお好み焼きを一枚食べた。もちろん、父さんたちの話にも加わった。 ・・・・・・父さんは、悪い人じゃない。ただ、言葉がとにかくきつい。全然悪気はないけど、言われた人はむっとするようなことをよく言う。時々注意するけど、こればかりは、いちいち言えないし、結局は本人の自覚しかない。まぁ、そんな父さんだけど、集まると言えば声を掛けて貰えるし、心配することはないのかな、とも思ったりする。 口応えのことにしても、言葉遣いのことにしても、言葉って本当に大事だ。口先だけで、やっていくわけじゃないけど、言葉で躓いたばかりに、席に進めないってこともあるだろう。だって、言葉を使うのは人間だけ。人間の人間たる所以ってことだものね。大事に使わなきゃいけませんね。
2006年12月22日
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数日前から、右のわき腹から、太ももにかけて、「なんだか、ひりひりするよ。」といっていた耕平。ちょっと見てもなんともなかったんだけど、27日夜、「やっぱりひりひりするよ。」と言うので、改めてみると、太ももに赤いぽつぽつが群れて出来ている。きっと帯状疱疹というやつだろうな、と思った。 帯状疱疹というのは、神経痛の華とか言われるもので、神経に沿ってぽつぽつが出来る病気。それ自体では、命に別状はないけれど、何かほかに深刻な体力を消耗する病気が潜んでいることを示唆したり、放っておいてひどくすると、入院騒動にいたると言うもの。 数ヶ月前、私は左の目頭のしたあたりに、何かじくじくするものが出来た。引っかき傷かな、と思っていたが、じくじく度が増すばかりで良くならない。病院へ行くと帯状疱疹といわれ驚いたのだった。結構、長い期間ぐずぐずしたが、今は跡形もない。 28日に、配達で町へ出掛ける時、耕平を同乗させた。あちこちするのはいやかなと思い、「病院へ一人で降りる?」と言うと、「いや。」と言う。まだまだ可愛い☆ で、結局、病院へ行き着いたのはお昼前。まったく、暢気な親の元に生まれたばかりに、可愛そうなものだ。尤も、本人も命に別状があるようだったら黙ってはおかないだろうが・・・。 この前、晃子がお世話になった病院へ行ったので、まずは先日のお礼から。そして、病状を診ていただく事に。ズボンを下ろせといわれるが、さすがに多感な思春期の男子。何だか、すごく中途半端なずらし方をして先生に笑われる。 右側の腰骨の辺りから、前へ向けて赤いぽつぽつの群れが、続くような感じで並んでいる。夕べよりさらに赤くなっている。「帯状疱疹ですね。13歳なので、特に癌とか、深刻な体力を奪う病気の心配はないと思いますよ。とりあえず、1週間お薬を飲んで下さい。それと塗り薬。高い薬なので、薄く塗ればいいですよ。薄くね。」 ・・・・経済的というかなんと言うか。処方箋をもらって薬局へ行く。支払い金額は3日分の錠剤と塗り薬で5千円弱。いたぁ~~~いっ!! 医療費と言うものは微妙。でも、耕平が遠慮するような言葉は使っちゃいけない。でも、痛い。ただ、選択の余地のある出費の場合、耕平は、「それは要らんから、釣具買って。」とか言うが、さすがに、今日の出費には言葉はなかった。やっぱり、体が一番ってことですな。 28日に受診し、次は30日。あとは薬がなくなるまで飲むだけ。途中、様子が変わったら、すぐに繰るように言われた。きっと病院へ駆けることはないだろうと思う。 薬のせいか、ちょっと元気がない。まぁ、病身なので、おとなしくしていてくれるのがありがたい。
2006年12月21日
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お昼のワイドショーで初めて聞いた。週刊誌では、やれ国賊だ、なんだと騒ぎ立てているらしい。でも、彼女のインタビューを聞くと、彼女の選択は、真にシンクロを愛し、シンクロの発展を願っているからこその物だったと痛感した。 日本のメダルを脅かす存在を育てることに力を注ぐこと。それが日本のシンクロを育てたものにとって、どれだけ辛いことかは想像に難くない。しかしあえてそれを選択するのは、日本のシンクロを直接指導するよりも、もっと大きな力で、日本のシンクロのレベルアップを実現する道だと信じるからこそだろう。 私は彼女の気風の良さが好きだ。男勝り。得てしてスポーツに長けた女性は、いずれかであれば男性的であることが多いが、彼女もその例に漏れず、スパッとしている。尤も、今日日の男性の中には、むしろ女性的である人も少なくは無いので、どちらが女性的でどちらが男性的なのか、段々とボーダレスになってきたと言うのも事実だが・・・・。 北京オリンピックが楽しみだ。日本式のシンクロで育てられた中国の演技。本気本元の日本チームとどう渡り合うのか??井村さんには、日本シンクロの名を汚すことなく、しっかりと仕事をしてもらいたいものだと思う。
2006年12月20日
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今日も時間切れ。クリスマスが去って、時間が取れたら、たっぷりと書き込もう。
2006年12月19日
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学校ではキャリア教育、キャリア教育と、社会に出てからどんな仕事に就くかを説く教育がなされている。私たちが学校に通っていた頃には、学校を取り囲む塀の外では、一体、どんな日常が繰り広げられているのか、実に、その知識は低かったと思う。だから、社会見学や修学旅行など、終日の昼間の時間を、学校の塀の外で過ごすことは貴重な経験だった。 それはさておき、今や、出生率の低下の問題は、日本社会だけではなく、人間社会において、極めて深刻な悩みとなっている。その昔、私たちが学校で学んだ頃の女学生の将来の夢は、好きな人のお嫁さんになって、その人の食事を作り、その人の身の回りの世話をし、その人の子供を生んで、慈しみ育てると言う選択は、まんざら間違いではなかった。 ところが、今の社会はどうだろう?世の中にはどんな仕事があるのかを教育することに明け暮れ、家庭において行われるべき日常生活、例えば、お針仕事であってみたり、料理であってみたり、洗濯であったり、そういった諸々の行動は、その価値を低く位置づけられ、金銭を得るための職業と相反しているかのような印象だ。 そのお蔭で、子供たちは、本当の意味での「母の温もり」に触れる子が出来ないまま、出来合いの愛情で育てられるものだから、挙句の果てには親に鉄バットを振り上げるような結果となる。それもこれも、親自身がまいた種とはいえ、社会が家族とは何たるかを見失ってしまったことの産物であるように思われる。 今日、高二になる娘に、将来、子供を生んでも仕事をしたい?と訊ねると、彼女はきっぱりとこう応えた。「仕事を本気でやるなら子供は生まない。」 なるほど・・・・・・。二束のわらじを履けない不器用な人間であるほど、この様に思うのは当然だろう。私だって例外ではない。家業という運命を背負っているから、それに、やるのなら楽しんで、自分の事としてやりたいから、今の仕事を精一杯頑張ってはいるが、確かに、家庭を投げ出していると言われればその通りだ。決して、炊事、掃除、洗濯と言った家事全般が嫌いなわけではない。けれど、その二つを天秤に掛けた時、まず、手代わりのある家事を自分の仕事から外してしまうのだ。そして、結局、義母に負担を掛け、子供たちに寂しい思いをさせる。娘は、それを知っているから、行く行く、自分がその選択を迫られれば、二束のわらじではなく、いずれか一つに決めると言うのだ。 私はわが子たちに申し訳ない気持ちで一杯になった。納得してくれているものと思っていたし、働くお母さんをカッコいいと思ってもらえていると自惚れていた。現実はそうではなく、問題は山積みされていた。 キャリア教育で取り上げる仕事、生涯の勤めの中に、母親と言う項目を設けては貰えないだろうか。その教育を受ける子供たちが社会を動かして行く日が来た時、家庭と言うものがしっかりと機能し、悲しい事件が起きない日々が再びやって来るように。家庭に取り残された子供たちが、本当に寂しい思いをすることなく、健やかに育つことが出来る様に。家庭を営むと言う事がとても価値があり、社会において重要な作業であることを、キャリア教育で教えては貰えないだろうか。
2006年12月18日
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タイムラグは広がるばかり。やっぱ、工場長の長期病欠は痛いなぁ。 広島国際大学の学生さんたちとのコラボ収納用品は、まだまだ手もつけられていない状況。因みに今日は22日(金)。あいたたた・・・・。 色んな仕事がある中で、相性と言うか、縁の有る無しというか、すぐに手をつけられる仕事と、引き伸ばして仕舞う仕事があることに、実は気が付いている私。晃子は自らを評して、忍耐は容易いが、抑制の利かない人間と言っていたが、私もそう掛け離れてはいないみたいだ。
2006年12月17日
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お餅を焼いて食べる。晃子は必ず黄な粉。耕平は砂糖醤油。同じ種と卵で、同じ畑で取れたのに、食べ物の好みはことごとく違う。 お菓子がすきなのはほぼ共通だけど、晃子はダイエットと称して、勧められるお菓子は食べない。ちょっと天邪鬼。 耕平はお菓子と名がつけば、兎に角飛びつく。ポテト有り、アイスクリーム有り、チューインガム有り、キャンディー有り。だけど、彼は男と言うこともあってか、何故かあまり身に付かない。そこのところが晃子にはひどく癪に障るらしい。基本的に代謝のシステムが違うんでしょうね。仕方ない。 話は御餅に返る。私は黄な粉が嫌いなわけじゃないけど、どちらかと言うと砂糖醤油派。小皿にこんもりとお砂糖をのせ、その上から、とろ~りと醤油をかける。お砂糖全体にやっと行き渡る位の量が最適。この状態でお皿を傾けても砂糖醤油は、絶対にこぼれない。 御餅は湯がくより焼いたほうが良い。焼いたお餅の皮のパリパリ感。あれが最高。黄な粉餅は、一旦お湯に漬けないと、黄な粉がくっつかないので、このパリパリ感を満喫出来ない。そこが一つのネックかな。 と言うことで、16日の日記は、お餅についてでありました。では!
2006年12月16日
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あのロナウジーニョが日本が直面しているいじめ問題に関して、悩んでいる青少年たち宛のお手紙を書いてくれたみたい。 そう、彼だって、人生、投げ出したいと思ったときはきっとあるはず。でも、騙し騙しでも繋いで、あれだけ大成したのだ。 世の中の誰だって、どんな成功者だって、全てが順風満帆に過ごせて来たわけではないに決まっている。ただ、途中で諦めなかっただけ。途中で投げ出さなかっただけ。 使い捨てのこの世の中だから、つい命も使い捨てのような気がして、いい加減で捨てちまえば良いって思いがちなのかも知れないけど、絶対にそうじゃない。死ぬ勇気があれば、何でも出来ると思うんだけどな。 またまた、タイムラグの日記です。 クリスマス用の跳び箱、順調に進んでいますが、ちょいと疲れています。でも、追い詰められると、それを分かち合える連れ添いがいるってのは良いものです。時々、あっさり、切り捨てられたりしますがね。
2006年12月15日
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いえね、変と言ってもそう言う変じゃなく、ってどんな変なのよっ!! いつも、言葉尻が優しく、なんとなく、人を思いやるような話し口調の耕平が、ここ最近、私が帰っても、あまり話し掛けてくれないし、逆にちょいと避けているようでさえあるのです。食べるものを食べたら、さっさと二階へ上がってしまうし・・・・・。まぁ、お風呂から出た時も、あまり下でごそごそしないで、さっさと就寝する方だから、いつまでも下でごちゃごちゃやっている私や晃子と比べれば、そっけないと言えば元々そっけないんだけど。 ひょっとして、この子、ぐれようとしているのぉ~~~???とか、ひょっとして、学校でいじめられてるんじゃないのぉ~~???とか、妄想に駆られるわけですよ。精神的にか弱い母は。 晃子とばあちゃんに言ったら、晃子が同感を示したので、まんざら私の思い込みでは無いのだろうと思う。まぁ、思春期の男子ですから、あまり愛想が良すぎるのも不自然なのかな・・・と思ったりして、でも行く行く、父さんみたいに、あまりに無愛想になってもらってもなぁ・・・と思ったり。幾ら思っても、耕平には父さんのDNAも含まれているわけで、こんな風に言うと、私のDNAは良くて、父さんのはいけないようだけど、そうじゃなくて、良い所は良いんだけど良くないところも幾らかあって・・・。 まぁ、これ以上言うと墓穴を掘るのでこの辺でやめておこう。 この前の2学期の期末試験で英語が84点と振るわなかったからか、明日は耕平、塾の補習授業。ひょっとして、そのことで悩んでいるのだろうかと思ってみたり。 こうして見ると、私って、案外、耕平のこと、愛しているのかなぁ・・・。なんちゃって。
2006年12月14日
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雨が降る朝は何かと大変。ユズの散歩を済ませ仕事に出かけようとする私を、どうやら晃子が待っている様子。学校まで積んで行って欲しいと言う。会社は工場長さんが入院され、夫婦水入らずとは言え、クリスマス向けの出荷でパニック状態。父さんはどうかすると過労死しちゃうんじゃないかって言うほどの状況。子供の都合を優先ばかりしていられない。それでなくても先週末から、晃子の脇の手術などで、子供優先にばかりなっているから、父さんのご機嫌が気になるし、私自身の仕事もどうにもならない。 それより何より、雨が降る度に送ってもらえると言う感覚を修正しなくてはと言う気持ちが強いので、あえて会社の近くのバス停で晃子を降ろした。 傘差し自転車が罰金になったので、カッパを着ろというのだが、どうしても着ようとしない。やり様がないのなら援助もするが、カッパはちゃんと用意してある。社会のルールの何たるかを自覚させるためにも、ここは一つ、親として、あえて嫌われ役を務める他ない。 冷たいようだが、切り離すぞ!晃子
2006年12月13日
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最近は、事故とかあると、何かと訴えられたりする。学校でも社会でもそう。耕平の学校でも、修学旅行の行き先が沖縄から、九州に変わった。沖縄は陸続きでなく、万が一と言う時、飛んでいけないからだそうだ。行くとすれば飛行機なので、当に「飛んで行ける」先ではあるが、何しろ飛行機の空席がなければ話はないし、新幹線のように一時間に何本もと言うことがなく、むしろ日に一本とか言うレベル。それがいけないということなのだが・・・・・。 去年、いや、今年2月、市内のある中学校が修学旅行へ言った時、当にインフルエンザの最盛期?!で、かなりの病人が出て、全員がマスクを装着すると言う異常な状況になったらしい。それが引き金となって、今回の修学旅行は内地にと言う方針が出されたわけだ。 それにしてもだ、私的に言えば、学校に託して旅行へ出すのだから、行った先で、雨が降ろうとヤリが降ろうと、文句を言う気なんてさらさらない。万が一の時、その対処に落ち度はなかったかと言う思いは、幾許か残るだろうが、それを訴えて同行しようなんて思いも染めない。所謂「得心」でお願いしたのだから。 そう言う話とこれは基本的に違っているかも知れないが、こんなニュースがあった。 どんな椅子だったのか、どういう状況だったのか知らないが、連れていた子供が椅子から転落したのは、目を離した保護者の責任以外の一体、何だというのだろう???ひたすら疑問だ。言い掛かりとしか思えない。監督不行き届き。それだけ。座らせるのが危険だと思えば、座らせなければ良い。抱っこかおんぶかしておけばそれで済んだ事だ。 人に責任を押し付けてしまう事は、そんなに難しいことではない。でも、一つの命が失われたり、体の自由が利かなくなったりすることは、どこに責任があろうと、取り返しはつかない。事が起きてから後に、責任をとれとか騒ぎ立てるのではなく、事が起きないように慎重に事に当たるようにしたい。それでも事が起きた時には、・・・・、その時には、甘んじてその現実を受け止めるしかない。ふんどしの紐、しっかり締めて暮らさなきゃね。
2006年12月12日
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以前にも書いたが、これは当然の結果だと思う。全く、これほど人を小ばかにした番組は他にはない。この記事にも書かれているが、王監督を侮辱したような内容とか、授乳を馬鹿にした内容とか、出演者は台本を見て、何も思わないのかしら、と出演者の人格を疑ってしまう。 一番悪いのは台本を書く人だが、その人が例えばとんでもない人であっても、それにストップをかけることは不可能ではないと思う。それとも、大いにストップをかけた結果があの内容だというのだろうか。低俗だ。最悪だ。文化程度の低さを露呈しているようで、目を覆いたくなる。脳が汚染される。 NHKでは、赤ちゃんの能力について検証した番組が放送された。私は再放送も含め、二回も観た。あれは良い番組だ。赤ちゃんの能力ってすごいと思う。そして、必要に応じて能力が淘汰されていくと言うのも、全くよく出来ている。生まれ持った能力を持ち続けたら、殆どノイローゼになってしまうだろう。神様ってすごい。仏様も・・・!? 全部があのNHKの番組のようでなくても良い。ただ、あまりに低俗な番組は放送禁止になるべきだ。社会をこんなに混乱させるのに、間違いなく一役買っていると思う。 ところで、仕事に追われ、日記の日付が少々タイムラグを生じている。11日は本当なら私の誕生日。何歳になったかなんて野暮なことは言わない下さい。あと3年経てば、実家で過ごした期間と嫁に来てからの期間が同じになります。それ以後は、嫁に来てからの方がどんどん長くなっていくばかりなんですね。 先週、首都圏の読売新聞の夕刊に、ある雑誌の副編集長とおっしゃる方が、お勧めの逸品として、我が社の跳び箱のおもちゃ箱を紹介して下さったお影で、ネット、アナログと、あちこちからご注文を頂いております。跳び箱は、毎年、クリスマスプレゼントとして、この時期、結構、出荷が増えるのですが、今年は、その記事のお蔭で例年の2倍って言うところかな。それで、ブログもタイムラグってワケです。その上、工場長は体調を崩し検査入院。常勤は父さんと私の二人きり。しっかり新婚気分です・・・ってちゃうちゃう。 この前の喧嘩は、雨降って地固まると言うのでしょうか、どこかへ行ってしまいました。相変わらずじゅんならん人ですが、きっと父さんも私のこと、そんな風に思っているのでしょうね。お互い様様。テヘヘ・・・
2006年12月11日
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ネットの匿名性を利用して、好き勝手をする人がいる。ここにもまた、ひどいニュースが。 真実とは異なる事だから、気にしなければ良いようなものの、放っておくと加熱すると言うこともあるし、とりあえず、謂れの無いひどいことを言われるのだから、黙ってもおけない。 この年くらいになって、肝も据われば、少々のことではびくともしないが、さすがに、感受性豊かな思春期の子供には辛い現実だろう。 そもそも、匿名と言うのが気に食わない。匿名でなければ綴れないようなことなら、綴らなければよい。綴ってはいけない。そんな事、自分で判るような子に育てなければならない。でも、さて、我が子は?と訊かれれば、時々、パソコンで釣り道具の検索をしているけれど、目を盗んでそんな悪事を働いていないとも言い切れない。 昔は、我が子が悪さをすると言っても、アナログ世界のことですんだが、この頃は世界が広がったので、間違いの無いように、信頼関係を築いて行かなければならないと思う。そして、子の手本となるよう、裏表の無い人間でいなくては!父さんの目を盗んでフリーセルしてるようじゃ、どう考えても良いお手本だなんて言えない、言えない。
2006年12月10日
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いい話が載っていた。プロスポーツの世界へ入るくらいの人は、きっと、こういう気持ちはみんな持っているはずだと思う。一つのことに打ち込む精神があると言うことは、当に、「心掛け」が凡人とは違うと思う。 小さい頃からしばしば「心がけを良くしなさい。」と言われてきた。だから、何か悪い事があると「何か心がけが悪いところがあったのかな。」と思うようになった。 福田選手のように、自分がこれほどまでになれたのは家族や周囲のお蔭という気持ちを持つことは、本人にとってもとても素敵な事だとおもう。 以前、誰か若い女性アイドルがラジオで、「一応大学を出ています。あぁ、誰でも行ける様な大学ですけど。」と言っていたのを訊いて呆れた事がある。誰でも行ける?はぁ~~~???って、まちゃまちゃかよ?!親が学費を出してくれたから行けたんじゃねぇのかよ!?と言いたかった。あんた判ってないよ、全然・・・・・。 自分の事って、判っているようで判っちゃいない。一人で大きくなったような顔をしてしまう。誰の世話にもなってないような顔をしてしまう。反省、反省。心がけが悪いと、天罰が下る。でも天罰が怖くてよくする心掛けは実らない。 さ、今日も精進、精進。
2006年12月09日
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このところ、読者投稿欄への採用が好調だ。先月25日だったか、耕平の話が読売新聞に、先週水曜だったか、晃子の話が中国新聞に掲載された。晃子の件では、個人情報云々でごねられ!?その日は、晃子を学校へ送っていくはめになった。丁度、夕方雨が降り出し、自転車がなくて良かったとは言うものの、学校への送迎は親としての主義に反するので、今後は、晃子ネタでの投稿は慎重にしようと心に誓った。 そうして、今日、再び、読売新聞読者投稿欄担当者からの電話。私が留守にしていたので、幾つか投稿したうちのどれを採用されるか判らなかったが、耕平の親友の拓ちゃんネタではないかと、一人合点した私は、拓ちゃんの母に、拓ちゃんの事が新聞に載るよ、と宣言した。かくして、やっと繋がった電話の向こうから聞こえたのは掲載されるのは、拓ちゃんネタの一つ前に投稿した嬬恋コンサートのことだと言う内容だった。が~~~~~ん!! 想定外だった。こうなると気になるのは、例の件がすでに母の口から拓ちゃんに伝わっているのかどうかだ。明日の朝には、ガセだったと伝えなくては。この事が、いたいけな拓ちゃんの心を傷つけたらどうしよう・・・・・。ものすごく心配である。
2006年12月08日
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全くデタラメな事件が起きる。この記事からすると、この先生がデタラメな人でなければ、とっちめられた児童がよほどデタラメな子で、先生がかねてから腹に据えかねていて、ドッジボールはただのきっかけで、いつかはこのように爆発していただろうと推し量られる。 逆にそうではなく、この先生がデタラメだとすると、そう言う人材を教師として雇用する判断をした誰かにも責任がある。どんな試験をするのか不詳だけれど、その中で、こういう人間性を見つけることができなかったその人の目は節穴だったと言わざるを得ない。それに、従来の判断方法では、このようなことが繰り返すとすれば、人間性の見極めの出来る何か別の判断方法を考案する必要がある。 それにしても、ボールが顔に当たった位で、そんなに腹が立つかなぁ・・・・・。狙って投げたのなら、そのコントロールの良さを認め、賞賛するべきだし、狙ったのでなく、たまたま当たったのなら、こういう時には、駆け寄って陳謝し、当たった相手の怪我を心配するものだよと教えればいいと思う。それが先生と言うものではないかしら。 先生って何かなと思う。勉強を教え、テストをし、○×を付け、成績表に点数をはめ込む。それが先生だろうか? 私が小学校2年の時、大好きだった担任の先生が、私にしてくれたことで私が一番よく覚えているのは、小食で偏食。給食を食べきれない私のために、苦手のソフト麺を最初から半分に分けて、先生によこしなさいと言われたにも拘らず、全部カレーあんに突っ込んで混ぜくった私の食べ残しを、ちょっと困った顔をして食べて下さったことと、出張の度に、クラス全員に小さな一口チョコを下さったこと。勉強もしっかり教えて下さっただろう事は、想像に難くないが、何故か心に残っているのはこういう「生活」なのだ。
2006年12月07日
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公金には人が群がる。腹の痛まぬ出費だから、値切られることもない。だから、人が群がるのは当然だが、お金の動かし方を決める当事者が、身内をその支払先にするのはいかがなものか。 この前は誰だったか、奥さんの所有している不動産を事務所として借り受け、その地代家賃を公金で賄っていたと言う。公金は、その出資元である納税者の同意の下に出費するのが原則ではないかと思うが、何処に支払うにしても同業者と言うものがあり、何故その業者なのか?と言う疑問はついて回る。選択された業者が支払い権限を持った人の身内だとすれば、どんなに人が良くても疑問を抱くのは必至だ。公に仕える人は、だから、余計に身内を排除するよう心掛けなくてはならない。 公のお金から自分の給料を貰っているのだから、その立場だからできる選択に基づいて、それ以上のお金を公金から懐に入れようとしてはいけないと思う。昔の政治家は、逆に、我が不動産を政治活動に拠点に使いながら一銭も地代をとらなかったというような人はあったのではないかと思うし、今でも、そう言う精神を貫いている人はいると思う。領収書さえ出せば金が出るという感覚で、公金を湯水のごとく使ってもらっては困る。少なくとも、身内が発行する領収書は提出することがないよう、領収書を発行する身内を排除するとか、身内に対して領収書が必要となるようは出費をしないとか、よく考えて公金をお使い頂きたいものだ。
2006年12月06日
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今日はお義母さんが病院。だからお昼前の生協を頼まれていた。朝は覚えていた。11時過ぎから現場へ出たら、それはすっかり追憶の彼方。生協を一緒にやっているヒロミちゃんが電話をしてくれた。「おねぇさん。おばぁさん、倒れとってんじゃないよね。コンテナが出してある。」「げっ!忘れとったぁ~~!」「あぁ、大丈夫。ちゃんと取ってある。ドライアイスとか入れてないけぇ、早めに帰って来よ。」「あぁ~~、ごめぇ~~~ん。」 いつものパターンではあるが、ヒロミちゃんにはいつも助けてもらう。サンキュ!! 帰って生協のものを冷蔵庫へ入れ、会社へ帰って昼食を摂る。レディス弁当にはデザートが一品。オッ!今日はゴマ団子。あの中華のあんこの入ったお餅に黒ゴマがびっしりとまぶしてあって、あれ、きっと揚げてあるんだろうと思う。ゴマの香ばしさがなんとも言えない。耕平の大好物だけど、私も大好き。すごく楽しみにしながら、他のおかずを平らげ、さて、デザート!と箸でつまんで一口食べると、おい!!! 餡子が入ってないどころか、生地に甘みすらない。ちまき風な生地。おはぎ風というか。でも、味がない。味付け、忘れたのかな。ったく、がっかりだよぉ~~~~~!!
2006年12月05日
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幼稚と言えば幼稚なのかな。二人とも2学期の期末試験の期間中。必死で試験勉強に取り組んでいるべき時期なんだけど、結構お気楽。 昨日は、何の話からか、神戸の児童バラバラ殺人事件がきっかけで放送がぷっつりと打ち切られたアニメ「地獄先生 ぬ~べ~」の話しになった。 この漫画は我が家では結構人気で、娘は小学生の頃、ぬ~べ~を全巻持っている近所の健君ちへ行ってはそれを読みふけり、最終回を読んでは泣き濡れて帰って来ていたものだった。そんな事ももう遠い昔の話になったが、今でも、ぬ~べ~先生は我が家のヒーローで、人を困らせる妖怪を更生?させるあの鬼の手に心から憧れている。 で、夕べは試験勉強そっちのけで話が及んだのが、どの妖怪が一番怖かったか?と言う話題。二人が声を揃えて言うのが、「妖怪 はたもんば」だそうだ。機織機の大きな滑車?の中に入って、その中心についているハンドルみたいなものをくるくるくるくると回しながら追ってくるのだそうな。その様子を真似る耕平の恰好と口から出す擬音がそれはもう傑作で、ホントウに怖いの?と言わざるを得ない状況。この上もなく盛り上がってしまう親子。完全にアホだ。 こんなアホな話をする寸暇を惜しんで、勉強すれば、きっと何点かは良い点が取れて、内申書も良くなるし、入試にも有利になるのだろうけれど、試験勉強と銘打って一つテーブルに向き合い、くちゃくちゃととりとめもない話を出来るのも、この時しかないと思う。馬鹿なことを言って大笑いをして、喋りすぎをチクリと刺してみたり。瞬間、静かになるけど、5分もすれば誰ともなしまた話に花が咲く。 こんな風に子供達と過ごす時間は、私にとって宝石の様なもので、ダイヤモンドやルビーなんかよりうんと綺麗でキラキラしている。それにどんなにお金を積んでも絶対に買えないもの。 17歳と12歳の大きな宝石。とってもアホな宝石たちが、私の一番の宝物。あ、一番は父さんだった。二人は2番目と3番目と言うことにしておこう。誰がどっちかがまた問題になるかな。
2006年12月04日
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まぁ、よく言えば天真爛漫。細かいことは気にしない。小さなことでくよくよしない。それはよしとしよう。ただ、最近、富に気に掛かることがある。大きなことまで気にしなくなってきたこと。いや、気にしないと言うよりも、すっかり追憶の彼方に飛んでいってしまうこと。 ・・・・・あ、事務所の片隅で鼠が鳴いてる。ちゅ~ちゅ~。可愛い声。 昨日も、外注でできたものを叔母ちゃんちへとりに行って、ちょっと話していけばと言われ、じゃぁほんの十分、と上がりこんで話しこむこと30分以上。出かけるまではこの頭の片隅に、「今日は組の忘年会!」と思っていたのに、帰ってきてここに立ち寄った時にはもうすっかり忘却の彼方。しっかりブログを更新しちゃってた。で、はたと気づいたのは八時前。忘年会は六時半からで父さんから、「オレは七時までサッカーだから、お前早めに行って座っとけよ。」と言いつけられてたのを思い出す。顔面蒼白だ。 例えば、朝会社に出る。今日はこれとこれとこれと云々。一日のメニューはしっかり刻んでいるつもりなのに、開始十分後には、ほぼ全てが忘却の彼方。昔はもうちょっと頭が良かったと思うんだけど、すっかり健忘症。それも重症。 きっと人には一生分の記憶力と言うものがあって、私は学生時代、それも中学までで殆ど使い果たしたんだと思う。そこからは下り坂を転げ落ちるように、健忘症への一途を辿った。大学時代には、学習塾のバイトをしたが、教室の鍵を預かり、担当の者が決まった曜日、決まった日時に教室を開けて授業をするのだが、何度かすっぽかしたことがあった。だから、それは無理と思い不動産屋さんのバイトに変えた。 さすがに、卒業して2年間、学習塾に勤めた間には、すっぱかしはなかったが、結局、サイドワーク、主と従と言うボーダーラインをはっきりと区切り、主以外のことには極めていい加減な人間ということなのだとこの頃、思うようになった。すごく身勝手な人間ってコト。あぁ・・・・・。 って、こんなに思いつめたようなことを言っていながら、10分もすれば完全に回復するあつかましさ。何とかなりませんかねぇ。本人、すごく反省はしてるんですよ。でも、しょうねに入らない。同じ失敗を繰り返す。あぁ、つくづく、何とかしなくちゃ。このままじゃ、み~んなに嫌われちゃうよ。
2006年12月03日
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なかなか良かった。辛口の父さんが、Dr.コトーのこと褒めちぎりです。なんですかね、さりげない演技と言うか、見せ付けることのない演技と言うか。シリアスなキャラなのに、この中では精一杯シリアスでありながら、存在自体がおかしい人なのです。 子供が二人で都電に乗って、淳ちゃんを捨てたお母さんのところへ行くシーン。一平はすごくしゃんしゃんで、イケイケドンドン。それでもちょっと頼りなくもあって、一方、淳ちゃんは頼りなげだけど、芯がしっかりしてて。帰りの電車賃がなくなって途方にくれていた時、一平のお母さんがアップリケの中に入れてくれたお守りのことを思い出して、開けてみるとお金があった。 帰って来た二人の子供の頬をまずぶったのが実の親ではない文学だったことがすごく泣けた。血じゃなくて心なんだと思った。口で幾ら良いことを言っても、一番本当なのは心で、口が悪かったり態度がでかかったりする人は誤解され易いけど、心がどうなのかって言う事が、一番重要なんだと思った。 最後はポプラへ行くと無茶を言う耕平に負け、観ることはできなかったけど、きっと小雪さんとコトーは結婚したんだろうな。 そうそう、堤さん演じる鈴木オートの社長も良かった。ああいう人、居たんだよね、昔は。打ちの父さんは、今でも私にはああいう人だけど、大事なのは心で、私が居ない昼食前には、お茶を沸かして注いでおいてくれるから大丈夫。ああいう人はすごく照れ屋なんです。 この前の東京タワーに続き、家族とは何ぞや、絆とはなんぞやを問いかける作品が続きましたな。現代の人々が「モノ」や「便利」に埋もれて忘れてしまった大事なこと。思い出しましたね。
2006年12月02日
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自分の腹は痛まないのだから、これって仕方ないのかな。出す方も出す方だし、受け取るほうも受け取る方だ。 公の金に群がる民衆かぁ・・・・・。金輪際公なんてもの、なくしちまえばいい。 やれ談合だ、やれ袖の下だとこの前からがやがや言ってるけど、結局、裏金に絡んで思うように行かなくなったら告発って言う筋書きなんだ。一度でも、そう言うことに絡んで仕舞うと、底なし沼に引き込まれて行くようなものだ。だから、たったの一度でもそんな事のないように、襟を正して物事に当たらなければいけないのにね。あれほど多額の給料を貰いながら、まだそれ以外の収入をえようって言うんだからえげつないよね。 少なくとも、そう言うことを容認している政治の世界から、やれ自殺はするなとか、虐めはだめだとか言って発信したって、無意味、無意味。 何処で階段を踏み外したのか。昔の政治家は私財を投げ打っても国や地域の発展に尽くそうとしたものだったけど、今の政治家たるや、私財を増殖するために尽力する分とも、一銭たりとも国民や地域のために使おうなんて輩はいそうにはない。もし居たら、このページに書き込みを!!
2006年12月01日
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