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ちょっと前に書いた晃子の脇の下のしこりがそろそろ熟したので数日前に診察を仰いだ。状況に大きな変化はなかったものの、奥のほうへ進む傾向があり、複数の医師の判断の下、充分な医療状況下での施術が妥当だろうと言うことで、大きな病院への転院を勧められ、昨日、その紹介状を頂いた。 73歳の老医は、積み重ねた経験の上に、凛として、娘の病状の説明と、自院での執刀が出来ない理由を述べ、他院への転院を勧めて下さった。利益主義からは程遠い、患者を第一に思う医療を実施されるその老医に、私たちが完全な信頼をその老医に置いていることを綴った投書が、今朝、中国新聞の投書欄へ掲載されていた(らしい)。広島の義姉からの娘の病状を尋ねる電話で、その事を知った当人ら(話しの主人公及び執筆者)だったが、娘の表情が暗い。他でもない、体についてのことなので、気分を害したのかなと気を使い、「個人情報保護法令違反になる?」と尋ねた。 娘は「私の口からじゃなく、その事を聞く人がいるって事がね。」と言いかけ、「学校まで送ってくれる?」と言葉を変えた。 いつもなら「だめだめ!ちゃんと自分で行くのよ!」と突き放すのだが、今日は状況が状況なだけに、調子のよい母親は答えて言った。「良いよ!その代わり、投書したこと、許してくれる?」「良いよ!許す。だから送って☆」 なんと日和見主義な親子だろうと、自分自身、おかしくておかしくて・・・・。
2006年11月30日
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エリート意識って言うはこういうことを言うんだろう。 自分に自信を持つことは生きて行く上でとても大事な事だし、それがあるのとないのとでは、人生をどれだけ謳歌できるかが大幅に違ってくる。 自分に自信がなければ、いつも周りが自分をどう思っているのかどう見ているのかばかりが気になって、気が付くと、それをフォローするための人生を送っていると言うことになりかねない。そして、今、この時代は、殆どの人が幾分かはその要素を持ち合わせているはずだ。 勿論、自分に自信を持ち、周りに振り回されないことと、例えば給食費を滞納するを当然とすることとはまったく別の事だ。 それはおいておくとして、この教授の頭の中には、自分に対する自信はあるが、それが自分と違う者への蔑みの気持ちを持って自身と取り違えているような部分があるように見受けられる。学生たちに就職への意識を高めようとするその意気込みは買おう。ただ、それへの士気高揚と「こうならないために」とは別物だ。 かく言う私にも、かつては肉体労働に対する差別意識が無かったわけではない。しかし、小さな会社とは言え、デスクワークで指示を出し、現場でも作業をする二面を同時に経験したことで、それぞれが果たすパートの重要性が理解出来たし、物事が成り立っていく上で、どちらも必要不可欠であり、お互いがお互いを尊重し合い、高めあってこそ向上することを実感したので、肉体労働を軽んじる発言を許しがたいと思うようになった。幾ら名案があっても、それを現実の「もの」とする「手」すなわち「肉体労働」がなければ、机上の空論と帰してしまうのだ。 大学を出たからと言って肉体労働に就くのは恥ずかしいとか思う方がどうかしている。ニートやフリーターがニートやフリーターである事が恥ずかしいのではなく、その状況に完全に甘んじているとすれば、そのハートが問題なのだ。ただ、そのハートを教育してきたのは他でもなくこの社会だ。そして、彼らをして恥ずかしい、惨めと言うその教授も、紛れもなく彼らを教育し、利益至上主義に走る多くの企業を容認するこの社会の一員なのだ。
2006年11月29日
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そもそも、私たち夫婦にはなかなか普通の会話が成り立たない。普通に話しかけてもちゃんと答えて貰えないからだ。最初の一言で会話がブツ切れてしまう。それは夫の性格と言えばそうだが、一つ屋根に暮らすものとしては、心中複雑だ。だって、所謂「シカト状態」なのだから。 先達てからの揉め事と言うのが、実は、夫のために私がネットでサッカーの審判講習会の申し込みをして一週間以内に受講料をコンビニで払い込まねばならなかったのに、結局、払い込まず、もう一度申し込めばよいと思ってページを開くと申し込みが締め切られていたという事があり、抜け道はないかと思案していたら、丁度、同級生のサッカー親父がうちに来た。経緯を話し、先輩で夫の同級生で、協会の世話をしている人に頼めばどうにでもなるし、年が明ければ違う会場で講習会があるという。 それを夫に話すと、それが夫の逆鱗に触れた。夫は兎に角、人に頭を下げるのが嫌な人間だ。一度頭を下げると二度と頭が上がらないと思っているらしい。すごく日本的だと思う。男の面子が潰れるというわけだ。じゃぁ、年が明けての講習にすればと言うと、それが彼の気持ちを逆撫でした。私もひたすら黙っておけば良かったのだ。 それで始まった激闘だったが、今日、昼前に銀行に出かけ、12時過ぎて帰ると、コンロにはちゃんとお茶が沸かしてあり、その脇には夫と私のお湯飲みがお茶を注げば良いように、仲良く並べて置いてあった。 意地を張っていた自分がなんだかちっぽけに感じられ、言葉足らずで誤解されがちな夫の、ちょっと照れ屋な性格を、よく判っていたはずなのに、それをあげつらい、責め立てた事がひどく悔やまれた。本当は「言い過ぎた。ごめん。」と謝らなければと思いつつ、それが出来ないでいる夫の気持ちを、一番に察して許さなくてはならない立場なのに、夫にとって、一番言えない一言を無茶苦茶に強要しようとした自分がちょっと情けなくなった。一体何年一緒に過ごしてきたのか。 きっとこれからも、こんな喧嘩を繰り返すだろう。そして、その度に、申し訳ないことをしたと悟りを開くのは私だろう?!だって、これでもお寺の娘ですもの。悟らなきゃね! そう言うことで、今回は一件落着。あの世へ旅立つまでに一度でも夫の「ごめん」を聞けるのか?それは神のみぞ知る。いや、仏のみぞ知る。自分で選んでこの人に嫁いだのだもの。文句は言わない。愚痴は言う!!!
2006年11月28日
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怖いですねぇ~~~~。あんな機密に関わるような仕事、しちゃいけませんよ。怖い、怖い。 知っちゃいけないこと知ったら、命を狙われる。これ、常識ですねぇ。幾ら記憶力が悪くて、何も覚えていませんなんていっても、通らないですねぇ。 記憶力が悪いと言えば、私、この頃、今、手に持っていたものをどこに置いたか、ちっとも思い出せないんですね。特に、現場で持ち歩くと絶望的。 配達に行けと言われ、急いで出掛け伝票を忘れ、次の配達の時お願いしますと渡すと、逆鱗に触れるのですね。烈火のごとく叱責され、居場所もありません。トホホ・・・。まぁ、忘れるのが悪いのですがね、基本的に。 何にしろ、国家機密に関わるようなこと知しっちゃぁいけませんよ。見そうになったら目を閉じ、聞きそうになったら耳を塞ぎましょう。見たり聞いたりした後は、取り返しが付きませんよ、くれぐれも・・・・・・。
2006年11月27日
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あなたにはどんなに頑張っても判って貰えないとよく判った。私の行動の一つ一つがあなたを不愉快にさせ、あなたを落胆させることもよく判った。 私の何気ない一言は、あなたの心に突き刺さり、あなたの心を傷つけ、あなたを意気消沈させてしまう事も。 私が仕事と思って敢えて言葉にする忠告さえも、あなたにとっては妻からの叱責であり、あなたを否定する言葉にしか過ぎない。 長い長い間、私は何をしてきたのだろう。あなたを理解するように務め、あなたを受け入れてきたと思っていたけれど、そんな私の思いは全て、独りよがりの空回りだったみたい。 今日はお昼前から雨が降っている。私の心にはこのところずっと降り続いてきた雨が、とうとう空から落ちてきたみたい。 私は何をどうすれば良いのか、何一つ判らず、あなたの前に立ち尽くすだけ。けれど、真っ直ぐにあなたの目を見ることも出来ず、ただ、うつむいてうなだれるだけ。そんな私をあなたは避けて通り、行き先も告げず消えて行く。私は追いかける力もなく、ただ、じっと立ち尽くすだけ。
2006年11月26日
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典ちゃんは中3。私の甥っ子。気取りがなくて優しい男の子だ。 彼の兄貴は二つ上で、運動も勉強も抜群に良く出来る。男前で優しく、学校ではちょっとしたヒーローだ。 典ちゃんが兄貴の後を追ってサッカーを始めようとした時、兄貴は学年が低いにも拘らず、チームでは既に重要なポストを任されていた。典ちゃんはサッカーを初めて間もなく、ピッチを去った。 それと前後して彼は丸一年、学校へ行けない日々を送った。担任の先生との反りが合わなかったと一言に言ってしまえばそうだが、言葉にならない何かが、彼の胸に会ったことは推し量るのに難くない。 兄弟と言うものは因果なもので、同じ畑で同じ種から出来るのに、同じ実を付けることはない。例え極めてよく似ていても、同じということは決してない。秀でた部分、劣る部分。プラスマイナスを考えると、兄弟の中に「私なんて、僕なんて・・・」と思ってしまうものがあっても不思議ではない。まして、親が兄弟を比較したなら、劣るものには兄弟は必ずコンプレックスの原因になるだろう。 この前、典ちゃんを耕平のサッカーの試合に連れて行って、サッカーについて語る彼を見た時、私は兄弟の間にある、兄弟だからこそ乗り越えなければならない試練を感じた。彼は、やり始めてすぐにサッカーをやめてしまったが、きっと本当は続けたかったのではないかと思えた。 つい最近になって、私たち三人姉妹の末の妹が、私と姉に対してコンプレックスを抱いていたと聞いた時、とても驚くと同時に、兄弟姉妹の悲しさを感じないでは居られなかった。 父母は決して姉妹を比較するような親ではなかった。それぞれの良いところを褒めることに心を砕き、私たちを大いに愛し、育ててくれた。けれど、毎学期、届く通知票に並んだ数字が、彼女をコンプレックスへと追いやったのだった。 何事にも向き不向きと言うことがある。今の世の中は、勉強に向いた頭の持ち主が至上のように捕らえられているが、勉強、勉強で大きくなって、例えば、東大を出て官僚となり、我が良ければ他は構わぬと言うお方も中には居られるようだ。大きな邸宅を構え、豪奢な生活を送り、何不自由ない毎日を送りながら、勉強に向いた頭を与えてくれた親への感謝を片時でも感じられることはあるのだろうか。 世の中の構造が、どこか間違っている。とても大事なことを履き違えている。偏差値を上げることより他の、何か大切なこと。一日でも早く思い出せれば良いと思う。
2006年11月25日
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高二の晃子は22日に、中一の耕平は今日、それぞれ二学期末の試験発表があった。晃子は、勉学に向き合おうとする姿勢は感じられるが、向き合うと睡魔に襲われる様子がありありと見える。不憫だ・・・・・。耕平は3時限の後、給食を食べて学校を開放されたのに、帰ってきたのは6時からの英語の塾へ出かけるべき時間がいよいよ迫った頃だったらしい。夕べ、テレビを観ながら、こそっと言ってた。「母さん、明日、ヒロんち行って良い?自転車のサドルを下げよう(だったと思うんだけどな)と思うんだ。」 現在、がらがらどんさんから貰い受けた放置自転車は、ハンドルが両端がはねあがっらように向きが変わっており、どう見ても黒縁メガネの真面目な学生さんが乗っている代物には見えない。それにさらに改造を加えようと企んでいるらしい。 耕平は決して「不良」の部類ではないと思う。かつあげや喫煙などとは程遠いところに居る。なのに、自転車を改造するとか、学生服の裏ボタンを取り寄せるとか、ズボンのベルトがちょっと派手とか、優等生とはかなりの距離を置いている。この点においては姉の晃子も同じスタンスだ。彼女の場合は、さらに、よくない自分を先生に誇示するようなところが見受けられる。例えば、掃除を真面目にしているくせに、先生が通りかかるとサボっているような恰好をする。自分を大きく見せるというパフォーマンスなのかなと思うが、理解出来ない。 かく言う私も、先生に良いところを見せようとするのは嫌いで、例えば自習時間、おしゃべりをしてる時、先生が監視に来ても、いっこう構わず喋り続けるような子だった。あえて、おしゃべりをやめて黙るのは点数稼ぎだと、私の中では定義付けていたからだった。 ただ、課せられた課題は黙々と果たした。けれど高校に上がってそれは見事に覆された。こと提出物に関しては常にクラスのラストワンだった。 夫については詳しく聞いてないが、まぁ、こんな母親の子だから、優等生と言うわけには行かないだろうが、もう少しだけ、試験勉強に前向きになってくれればと思う。 さて、太田総理の番組を観た。いじめをなくそうというスローガンを禁止するというマニフェスト。結果から言うと可決されたが、確かに、お役所のすることは全く、現場の活動に即していない割りにお金ばかり掛かる理不尽なものだ。いじめをなくすのにお金なんか要らないと私は思う。もし使い道をといわれれば仏教でもキリスト教でも良いから、隣人を愛する心を諭すありがたいお話を頂戴するためのお布施に使えばいいと思う。宗教がいけないのなら、何でもかまわない。ありがたいという気持ち、モノや人を慈しむ気持ち、そう言う心が育つ話を聴く。それが一番の近道のような気がする。
2006年11月24日
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去る9月23日のつま恋コンサートのドキュメント番組、NHKプレミアム10の再放送を観てしまった。 何であんなに泣けちゃうのか、自分でも判らないくらい涙が溢れてしまう。下手な人情芝居よりうんと泣けちゃう。この前のザ デイ アフター トゥモローも泣けたけど。その前の東京タワーも泣けたけど・・・って、ずっと泣いてんじゃん!? でも、映画を観た時の涙とは明らかに違う。何だろう、単なる懐かしさではなく、経過した時間が作り出した重みと言うか、なんと言うか。当時の私には当時の私なりの思いがあったけど、あれから31年。酸いも甘いも経験し、ちょっとは大人になった立場で聞く拓郎やかぐや姫はよかったぁ~~。 一番泣いたのは、「我が良き友よ」。♪オレは今でもこの町に住んで 女房子供に手を焼きながらも 生きている♪ ここはすごくみにつまされる感じで、♪子供相手に人の道 人生などを説く男♪ ここはこういう人間になりたいって言う意味で特に好き。勿論、ビートの利いた曲全体が好きだけどね。 それから、かぐや姫の♪セーター姿が似合います たまにはおしゃれしたら おとうさん ~~ 春になれば 下がり梅の 花が咲きます お父さん にっこり笑う にっこり笑う 明日天気になぁ~れ♪ この歌は、青春時代、父に素直になれなかった私が、すごく自戒の念を込めて歌ってしまう歌。今は父が大好きで、当時のつれなさを心からお詫びする気持ち。しっかり親孝行するつもりです。思うに任せないんだけどね・・・。 そんなわけで、今日は拓郎とかぐや姫に酔いしれた一日ですた。
2006年11月23日
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広島国際大学のあるグループとある商品を共同開発している。「ある」を繰り返し使うと、ちょっと意味ありげだが、はっきりと覚えていない事、一言で言い切れない事が理由なので、深い意味はない。 6月くらいから二度面接して今回が3度目。女子大生にアンケートや実態調査などをしてそれに基づいて三つのデザインを提案された。 年明けまでに試作を完成する予定。2月の東京ギフトショーへ持って行ければ良いなと思っている。
2006年11月22日
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告発する人、いるんだ。きっと、TOKIOのファンじゃないな。 ただ、プロデューサーとか、番組制作者にとっては、道路とかを使っての収録に届出が必要ってことは常識だろうから、その部分でオチをしたってことは、プロ意識に欠けているってことですね。
2006年11月21日
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お役人さんは、印刷物を作ったり、計画案を提出したり、結局、現場で動く一人一人にはなれないんだろうな。でも、現場で動けない人が旗振り役になるなんて、どこか、道理が間違っているようにも思える。今日はこんなニュースが流れた。 と言うことは、我が家の耕平も、例に漏れず、一枚頂いて来るんだ。ネットやテレビの画面で見た物で、スーパーとかで売ってなくて、誰でもは見れないものを見る機会に恵まれるのは悪い気はしないけど、このカードがどれだけ役に立つのか、そこはあまり期待出来ないような気がする。きっと、この番号に試しにコールする子がいるはず。いて当然だ。缶コーヒーや、ペットボトルに印字されている番号と見れば、何でも掛けているもの。耕平には、絶対に試しに掛けたらだめよって、言おう。 難しい問題だと思う。必要でない人に届くDMのように、折角お金を掛けても、「はいはい。そこ置いといて。」→ゴミ箱に直行で終わるようじゃ、一企業の広告宣伝費だ。
2006年11月20日
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ひどい人がいたものだと思う。 猫がそう言う理由で殺されなくてはならないのなら、その猫を殺すこの人も、当然誰かの手によって殺されなくてはならない。理論と言うものは、得てして、身勝手で不合理で、すごく理不尽であるものなので、私たちはいつも、自分が唱える理論が本当に正当性があって間違った部分がないか、よく考え続けなくてはならないと思う。 この人は自分から好きでこうなったのではなく、きっと置かれた環境や、経験した出来事によって、こんな思考回路を持つようになったはずなので、社会的に言えば、彼をしっかりと研究し、第二、第三の彼を輩出しないよう努めることが必要だと思う。
2006年11月19日
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いつも暢気なさきさん。今日の授賞式も14時からと、着付けを母に頼み、12時40分に着物を持っていくねと言いつつ、ヘアメイクとメーキャップのため娘の同級生のママさんがお勤めの美容室へ連絡すると、12時からの予約があるとのこと。その前の11時半かその後の12時半かでお願いしますとのことなので、またまた暢気なさきさんは、午前中は仕事しますから、12時半でお願いしますと言い放った。 時計を見つつ、仕事をしまったのがジャスト12時。勿論それまでに自宅から「まだ帰らないの?」と電話が何度も。 帰ってみると、既に食料はなく、冷凍の焼きおにぎりとたらこフランス一切れで腹を満たし、積み残しのないように荷物を確認。あちこちに寄る用事を、メモとともに父さんに依頼し、一路美容室へ。美容室入りが12時35分。セット後、かぶりのものは脱げないので、トイレで前空きのシャツだけになって御席へ。一人がメーキャップ、もう一人がヘアメイクともう二人掛かり。 にも拘らず私は暢気なもので、週刊誌に釘付け。昨日の日記にも書いたけど、みの氏の発言を読んでとても嬉しい気持ちになってみたり・・・。 すると、預けたバッグの中でとんちんかんな受信音が。美容室内の一同が顔を見合わせる中、「あ・・・、私のです。すみません。」 バッグから取り出し出てみると、なんと商工会議所の職員のM君。新商品開発プロジェクトで懇意に付き合っている人間である。「と、豊田さん。今、始まったんですけど・・・・。そこですか?」 ・・・・・・、美、美容室だなんて言えないよぉ~~。私は幾分狼狽したが、私には夫という強い見方がある。40周年の表彰を受けるべく、彼は一張羅のスーツを着て、今、実家で美容室から帰ってくる私を待っているはずだ。落ち着いて電話を切り、実家へ即座に掛けなおす。母が出た。「今、会議所から1時からだって電話があったのよ。父さん、そこにいる?すぐ行って貰ってくれる?」「ま、まぁ~、それは大変じゃぁ~~。」 母は絶叫状態である。折角来た着物でステージに上がれないのは残念だけれど、一事が万事、私の人生ってこういう展開だ。あっさりと諦めてゆっくりと出来上がりを待つ。 美容室の駐車場から出て角を曲がると、夫が緑の幌の軽トラックで向かい車線を走ってきた。大きく手を振ってすれ違う。「ありがとう~~~~っっ!!」 実家について荷物を下ろし早速着付け。伊達襟は着尺に縫い付けてないと、着ていてずれて出てくるから、今日は伊達襟無しにしようねと即決。二重タイコに結ばれた袋帯には、呉服屋の娘の心意気が滲み出ていた。 この不手際を母は一言も叱責することなく、ただ、着付けることに心を注ぎ、嫁に持たせたその附下の美しさや、初めてそれを着てこの家に夫と訪ねた初泊まりの日の思い出を語る。20年も経ったんだねと笑い合うと、あぁ、親子って良いなぁ・・・・・、この母の元にうまれて本当に幸せだったなぁ、と思い入る。 着付けが済んで会場までは母の運転で送ってもらう。慌てぬように、事故をせぬようにと精神の注意でハンドルを握ってくれる。会場に着いて、すぐに受付に。授賞式の後の櫻井 よし子氏の講演を聴きににおいでた方々が多数いらっしゃる。授賞式の進展状況は不明である。受賞者受付に行くと心安い会議所の職員さんが、「今、社長さんが席についていらっしゃるので相談されて着席下さい。」と言う。1時からは打ち合わせで本番は2時からだったのだ。近年稀に見る喜びだった。喜び勇んで会場の中へ。最前列のAWAERD受賞者席に父さんが着席している。暢気もののでたらめ女房は、夫を押しのけその席へ。勿論、表彰時には堂々とステージに上がり、コミュニティ紙に掲載されたその写真を見ると、完全に胸を張りすぎ。がっくり・・・・・。顎はぐんと上がり、変に威張った感じ。トホホ・・・・。けれど、授賞式、さらに講演会の後持たれた祝賀パーティでは、皆さんに受賞と美しい着物を讃えて頂き、まことに恐縮しつつ、皆さんに感謝し、このつまらぬ女房を支えてくれる夫に感謝し、家族に感謝し、改めて、うまれてこうして生きていることを心から嬉しく思ったのでありました。 この時の私は、翌日この身に起こる不幸を知る由もなかったのであります。
2006年11月18日
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女性週刊誌と言えば、まず、ゲーノー人の恋愛ネタが殆どだと思っていたが、時々は良いことが書いてある。なんて言うと、出版社の人に叱られそうだが、お笑い番組にいじめにつながる内容のものがあると、朝ズバで、みのもんた氏が怒ったという話。みの氏と言うと、この前、世界バレーで来日した南アフリカの何処だったか、ナショナルチームの選手を焼肉に招待したとかしないとかで、物議をかもした人物で、その点では、到底理解出来ないと思っていたが、結構見るところ見ている。 名指しでなく、ある関西系芸人の後輩への理不尽な暴力が目に余るとみの氏が言いたいその人が誰なのかは想像に難くない。それがその人のキャラと言ってしまえばそれまでだが、その映像を受け取る社会が、強者から弱者への暴力を我関せずで、いや、むしろ嘲笑しながら傍観する姿が電波に乗れば、それが正しいとまでは行かずとも、大きな間違いではないと勘違いすることは否めないと思う。その言動が電波に乗る人は、それが社会へ及ぼす影響を考えた上で、経範囲内でキャラを作らなくてはいけないと思う。 すこし前、京都辺りで、女性方へ大声で怒鳴り込んだ男性を注意した近所の男性が、殺されると言う事件があった。これでも、殺された彼たった一人が正義漢で馬鹿を見た様なものだ。彼は決して馬鹿を診たとは思ってないだろう。自分の力で一人の女性を救うことが出来たのだ。けれど、反省すべきは、その彼を加勢できなかった周囲であり、自分のために目の前で命を一人の男性が命を落とすに至らしめたその女性であり、誰よりも、デタラメな行為により一人の人を殺害した犯人である。 人は、しばしば、時と場合と言うことを口にするが、悪いことを悪いと戒めるのに、時と場合があるだろうか。勿論、言葉は選ばなくてはならない。言葉や、やり方がまずいばかりに、目的が達成出来ないことは大きな損失だからだ。けれど、もし、あの京都の事件の時、仮にまわりに居た誰かが助けの手を貸し、例えば昨日の、the day after tomorrow の、狼に襲われ絶体絶命のシーンで、ジョン(だったかな?)が取った、自分が囮となり狼をおびき寄せた様な形で、犯人の注意を散らしていれば、・・・と、まぁ、後からは何でも言えるのだが、もし、この次、同じような事件が起きた時、社会はこの事件に学んで同じような犠牲者を出してはならない。こういう安全を守るのが警察だと言って仕舞うのは簡単だが、問題は、それを当てにしていて出てしまった犠牲者があった事を、社会がどう受け止めるかだ。ただ、それだけだ。自分がその犠牲者とならないような生き方を貫くのか、犠牲者となりかけた時、救いの手が及ぶ社会の構成員となろうとするのか。二つに一つだだと思う。
2006年11月17日
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皆さんご存知、眞鍋かをりの「プログッズ」。こだわりのちょっと面白い商品を紹介する番組なんだけど、跳び箱収納がこれで紹介される。17日午後10時から、BS日テレで。絶対見て頂戴。因みに、我が家は衛星放送を契約してないので観られません。ビデオに撮ったら見せて頂戴。 18日は府中商工会議所の60周年記念行事。AWARDだったか、新事業何とかと言うので、優秀賞で表彰してもらえる。我が社は丁度、今年、起業40周年なので、それも表彰して貰える。父さんが40周年、私がAWARDの表彰を受ける。義母が何を着て行くの?というので、ひょっと、訪問着でも着て行こうかな、と言ったら、結構賛成してもらえた。 さぁて、ひさびさにお化粧でもしますかな。幾らなんでもスッピンじゃぁ、ねぇ。社会悪ですよ、社会悪。逮捕されちまうぞ!
2006年11月16日
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いつか、必ずこう言った訴訟は起こると予想していた。それは、文部省や教育委員会の仕事とは一体何かを問うものだ。 そもそも、教育には、知育、徳育、体育がある。知育とは教養や知識である。基本は読み書きそろばん。さらには、美術、音楽、書道などの芸術 体育は読んで字の如し。体を育てることである。女子バレー全日本チームの高橋みゆき選手が背中に負うている「SHIN」の文字は、心技体の「心」。体を使うスポーツにおいて、最も重要とされる三つの要素の中でも、彼女が一番重要としているものだ。 そして徳育。これは、昔で言う道徳心を育てるもの。今の教育に最も欠落している内容だ。それは恐らく、信仰とかと絡んで、日教組の手前、多くの先生が大きな声で子供たちに伝えられない状況があるのではないかと思う。それに、今の社会がそれを受け入れるかと言うと、決して頷くことは出来ない状況だ。 今、いじめだ、自殺だと、騒がれているのは、文部省や教育委員会が最後の徳育を怠った所為だろうと思う。偏差値を上げることに没頭し、それが激化し過ぎてゆとり教育に走り、徳育のなされていない子供たちが、徳育を重要視しない社会で、もてあました時間を何に使うか?いじめだ。 口先だけで命は大事だと教えられても、3歳の子供に三次関数を教えるようなものだ。教育のエキスパートである文部省や教育委員会は、徳育的に3歳児である子供たちのレベルを上げるために、どうすればよいかを提示することにまず、手をつけるべきだ。 幾ら訴訟を起こし、賠償金が支払われても、亡くなった子供は戻っては来ない。例えば、一人の人間によって刺し殺されたとしても、その犯人一人が全ての原因かと言うとそうでもないような気がする。一つの事象が起きる時、そこに行き着くには、どうしようもないほど多くの事象が積み重なり、積み重なり、最後の最後でそこに行き着く。自殺した子も、生まれてなければ自殺する必要もなかったのだ。 賠償金が支払われても、現場で仕事をしている人の腹はちっとも苦らない。国が国民から吸い上げた税金で支払うからだ。国債はさらに膨れ上がり、税金がさらに値上げされるだけだ。それだけだ。仕事をする人が何を持って仕事というか、判った人でなければ根本的に改善はされない。そして、周りから抽象されようと、どうしようと、確固たる信念を持ち、それを貫く正義感でなければ、子供たちを救うことも出来ないし、社会を救うことも出来ない。ちょっと頭を叩かれたり、ちょっと袖の下を渡されたりしたからといって、ハイハイと言うことを聞く様な人間ではだめだ。文部省がどういう仕事をするところで、どういう結果が出て初めて仕事をしたと言えるのか、信念を持った人間でないとだめだ。 あれほど正義感だった大仁田厚氏でさえ、自民党によって骨抜き状態だ。尾を振る犬は叩かれず、と言ったところか・・・・・・。そして、君臨する人に叩かれないため、一生懸命尾を振る人間ばかりだから、今の社会が見ての通りなのだろう。結局、今日を凌ぐため、正義を捨てるということか。 なんだか、世捨て人みたいな日記だ・・・・・。
2006年11月15日
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耕平がキャリア教育の宿題だと、インタビューに答えてくれと言う。 今の仕事を選んだ理由。仕事をしていて嬉しいこと。嫌だと思うこと。うぅん、結構難しい質問だよ。 今の仕事は木工品を作って、それを売る仕事。どうしてこの仕事に就いたかって?父さんと結婚したら、稼業だったからだよ。どうしてもその仕事をしたくて就いた訳じゃない。 嬉しいことと言えば、自分が手を掛けた商品がお客様の手元で役立って喜んで貰える事。それが一番。サービス業の場合、目の前で喜んで頂ける喜びは大きいと思うが、ものつくりの場合はこの手を離れて、自分に見えないところで喜んでもらえる。その代わり、時間が経ってクレームが来たりもする。松下電器が今、直面しているヒーターの不具合の件がその顕著なものだ。でも、大事なのはそれをどう乗り越えるかだ。手を上げて仕舞うのは簡単だ。無理、無理と言って仕舞うのは簡単だ。でもそうじゃなく、全力で解決に向けて努力する。 嫌だと思うことは、と訊かれ、クレームの件、商品開発の苦労など等、沢山あると答えるのは複雑な気持ちだった。というより、それらは決して嫌なことではなく、大変なことと言うだけだ。 一生懸命にそれを語った後、耕平の手元の用紙を見ると、嫌な事の欄には、「なし」と大きく書かれてあった。
2006年11月14日
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シャーペンを買いに行く約束をしてたのをすっかり忘れ、単独で町へ出掛けた。持って帰らなければならないものを急かされてもいたからだ。帰社はジャスト19時。忘れていたお客様との面談の約束の時間だった。客人と午後8時過ぎまで話し、その後、デスクワーク。晃子が一度電話を掛け、水のりを持って帰ってくれという。その前に、私が一度電話を掛けた。朝、すごく大儀そうに学校へ出かけたので、ちゃんと帰っているかどうかが心配だったから。電話には出なかったけど、どうやら勉強中だったらしい。後で折り返してくれたのがその電話。 その後、10時過ぎ、耕平が電話を掛け、「何で連れて出てくれなかったの?」そう言われてはたと気付く。そ、そう言えば。 結局、近所のコンビニでシャーペンを買う羽目に。630円也。選択肢が少ないうえに高い。選択肢が少ないことは、選択時間が短くなると言うことで、ある意味歓迎事項だが、大してその効果はないようだ。 それにしても、自殺が続く。事務所へ小学校の役員さんが電話帳の配布に来て、子供談義に花が咲いた。教材のこと。 そのお家では去年のこの時期、中央出版が模擬試験をと言って来て、結局、一桁違う金額で教材を購入。3ヶ月、ファックス指導を受けたが、その後は月一万円と聞き断わったとの事。そうなんだよ。話が後から後から湧いて来るんだよな。我が家では結局、晃子が3年が終わるまで続けたが、耕平には到底そんなお金掛けられない。自力で頑張ってもらうしかない。 中間の結果が悪く、速攻で購入した問題集を、一日4ページやっているが、ついに、学校を追い越し先に反比例に突入。今日はその反比例を学校で学習し、「よくわかったぁ~~。」 この調子を崩さず頑張ってくれれば嬉しいな。 で、自殺とどう関わるかと言うと、結局、教材なんてのは、テストでよい点を取ることが最終目的になっているので、人間が育つことにはあまり効果を期待出来ないということ。 何故自殺するかと言うと、自分が生きる事にどういう意味があって、何故自分が生きなくってはならないかが判っていないから、安易に命を放棄することになると言う構図だと思う。だから、今、当に飛び降りよう、首をつろうとしている人を止めることよりも、あなたが何故生まれ、こうして生きているのかをしっかりと判らせる方が近道だと思う。立てこもった犯人に、お母さんが語り掛けるのと同じだ。って、違うかな。 命は大事だ、云々とセオリーを語るより、何故生まれ、生きて行くのか。そこを深く理解するよう指導すれば良いと思う。
2006年11月13日
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まるで流行り病だ。昔ならこんなことは起きなかっただろう。当事者は、それは大変だろうと思う。でも、命を絶ってしまう前に、何か出来ることはないのだろうか。死ぬ気でがんばるとか言うけれど、死ぬ気になれば何でもできるんじゃないかな。って言うか、しなくちゃいけないよ。 逃げるってことだよ、死ぬのは。立ち向かう気持ちを持とうよ。でも、今、教育の現場に、立ち向かうと言う気持ちを本当の意味で教える人が居ないのかも知れない。 だって、先生たちは、いじめが大きな問題だと判っていても、それに、子供たちに勉強を教えることがとても大事な仕事なのに、それ以外のことで頭が一杯だと言うことを何とかしなければならないはずなのに、何にも立ち向かわないで、日々の生活に押し流されているだけ。見方によれば、お日様、西へと言う考えなのか、と言うところに行き着いてしまう。 浅草中学校と言う学校に、ボクシングをする先生がスクールパートナーと言う役目で当てられた。一人の非行少年が彼により更生し、とび職人として社会へ旅立った。素晴らしい話だと思う。 先生は一人の生徒のために頑張るものなのかもしれない。ところが、最近のアホな親は、自分の子供のために頑張ってくれないと嫌だと文句を言う。先生の手を借りずとも、育っていく子は居る。手が必要な子も居る。先生ではくてはならない子、親でなくてはならない子。一人ひとりが全部違っている。それが個性だ。 18人みんなが桃太郎にならなきゃいやだと言うアホな親の顔が見たい。大分おかしい。どうかしてる。 世の中、どうしてこうなっちゃったんだろう。悲しい・・・・・
2006年11月12日
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広島の義姉が関わった関係で、古民家フォーラムと言う行事に出向くことになった。古民家再生を目的とする団体JKRだったか、の主催。人間国宝で宮大工の・・・名前忘れた、おじいちゃんがお話をされた。結構面白かった。 最後に質問タイムがあって、ある男性が宮島へ観光旅行に行った時、ガイドさんが、宮島の五重の塔には、神柱がなくこれは全国でもここだけだと言ったけど、本当か?と尋ねると、おじいちゃん答えて曰く「そう言うことはないと思います。神柱がなければ、○△法輪?(当の天辺にある金具)が付けられませんからね、と言う。あっさりとしたものだ。 ただ、神柱が一番下まで貫かれていないと言うことかもしれません、とも言った。あの位大御所になると、逆に、知らないことがあるということに、一抹の羞恥がない。それはきっと、自分の持っているものに揺るぎない自信がある事の現われだと思う。 帰りに、福山のDEPOに寄って耕平のウィンドブレーカーを買った。なんと赤色。人と違うことを嫌う割には、着る物がかぶるのは嫌みたいだ。まっかっかを着ている者は居ないようで、結果、その色が採用された。なんとまぁ、・・・ 出かけたのは午後で、午前中は仕事をしたが、思うところまでは進まなかった。テープカッターに取り組んでいるのだが、カッターの部分で足踏み。金属製のカッターがあればすぐさま、採用するが、ホームセンターには売ってない。全て木製で仕上げる方向が正解か・・・・・。
2006年11月11日
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去年1月から使い始めたこのシャープメビウス。その前に使っていたのが富士通。メモリーが小さかったのと、一度、抱えて歩いていた私が暗がりで躓き、取って投げたことに端を欲するのか、エクセルとワードの立ち上がりが異常に遅くなったり、チョコチョコと不具合が生じ始めたので、これに変えた。 使い始めは使い勝手が違い、良くないという思いが一杯だったけど、そのうち慣れて来たらボチボチ行き始めた。 つい先頃、エクセルで作ったアドレス帳をCDに焼こうとしたが、うまく行かない。そこで、メンテナンスをしてもらったところ、どうも、CDに焼く機能がいかれている様子。修理には2週間掛かるとのこと。リース物件なので、修理費用は掛からないが、2週間の不在は痛い。 ネットに繋ぐのに契約する・・・あれ、なんていったっけ・・・その会社に里子に出してみてもらったんだけど、よくよく見てくれたのだろうけれど、すごく動作が遅くなって帰って来た。それから、きっとウィルス感染予防の意味があってのことだろうけれど、ホルダーの名前の頭にやたらややこしい言葉がくっついてきて、タスクバーって言うのか、今、何が立ち上がっているかを表示しているところに出る見出しが、一体、何のフォルダーが立ち上がっているのか、全然判らない。 ついには、数日前から、ワードを立ち上げようとすると、ウィルス検索中と表示され、立ち上がらなくなった。さらに、ダウンもしない。困った、困った。 商品をお客様にお届けする際入れる挨拶状や、おいたちの小箱に入れるメッセージカードが作れない。これじゃぁ仕事にならない。あぁ、早く何とかして欲しいよ。パソコンの前に、まったく無力な自分が居る。キーを打つしか出来ない私・・・・・・。トホホ。
2006年11月10日
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人に責任を擦り付ける事は簡単だし、自分ではなく、人を変えようとするのも自由だ。だけど、その結果なんて見え透いている。 だって、自分自身が思うようにならないのに、一体、どうして人を思うように出来るはずなんてない。 教育を研究することはとても大事だ。ただ、取り組みの結果はそこに居る生徒達その物だと言うことを知らなくてはならない。書類を作ることが最終目的となって、実りを見落とすようなことがあってはいけないと思う。 教師のレベルは、授業時間でも食べた給食の数でもなく、研究授業の数だと、どこかの先生たちが出版した本に書いてあるらしい。でも、「仕方なしに」「忙しいのに」と思いながらのそれは、あまり意味がないと思う。そうなってしまわない為には、余計なことを取り払うこと。提出すべき書類を一枚でも減らすこと。これが結構優先課題じゃないかと思う。 昔は良かったと言う先生が居るなら、昔はどう良かったのか、今はどうだからいけないのかを整理し、教育委員会へ直訴すべきだ。そうして自分の職場環境を自らの手で改善する努力は、教える子供たちの前向きな姿勢に繋がって行くのではないかと思う。 尤も、評論家よろしく、口先でああだ、こうだ、言うのは簡単だ。現場であえいでいる人がそれに反感を抱くのは当然だろう。 学校では、昔から言うように「読み書きそろばん」を、徹底して教えてもらえると嬉しい。夕べは、数学の問題集に取り組み耕平を指導したが、「通じない言葉」が結構多いのに危機感を感じた。 昔は、今日はこのハードルを越えるまでは帰れないよ、と言うのがあって、泣いて頼んでも居残り勉強は余儀なくされた。今は、放課後、先生が忙しいので、それに子供は「塾」へ行かなきゃいけないので?!居残り勉強なんて不可能みたいだ。それに、中には「うちの子に居残りなんてさせるな。」なんて言う親も居るらしい。ただで見てくれるんですよ。大歓迎じゃないですか。って、レベル低すぎ?何も、高い教育費払って私塾へやるよりねぇ。 水曜の深夜、英単語のコアイメージを勉強する番組がある。あの先生が言っていたけど、第二外国語を学ぶためには、第一言語がしっかりしてなきゃだめだって。英語は英語として、日本語は日本語として、それぞれ独立して理解するなら問題なしだけど、中途半端に日本語が確立してるから、日本語を通してじゃなきゃ英語が掴めないという現実がある。生まれたときから、パパとママが日本語と英語をミックスして使ってるような家庭なら良いのかな・・・・! ピアサポートと言う訓練に取り組んでいる。かいつまんで言えば、同じ岸に立って同じ方向に向いて仲間になって、人間関係を築いていこうと言う取り組み。コミュニケーション不足の子供たちは、人間関係を築くことが困難で、この訓練が結構効を奏しているらしい。 今日の参観授業はこの訓練で、実際には、例えば、向かい合って相手の良いところを褒めて、目を見つめて握手をした後相手を替えていく、と言うようなもの。人を褒めると言うことは同じ岸に立つということ。それがなかなか照れくさくて言い難い。そこを乗り越えた時、一つの人間関係が確立され、その子の中に、新しい感情が生まれるようだ。 親ばかな私はわが子たちを褒めることに、一切テレも何もなく、逆にあまりに頻度が高すぎて、褒められている感が薄れてしまっていると言う恐ろしい現実。でも、例えば、何気なく手助けをしてくれたりすると、もう、嬉しくて嬉しくて。いや、「母さん。」と呼び掛けてくれただけで狂喜乱舞状態。やっぱり、変? まぁ、そんなわけで、今日は午後ベッタリ、中学校に行っていました。そんな余裕、実はないんだけどね・・・・。明日は仕事、がんばる。
2006年11月09日
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10時までの塾から帰ってくる耕平を迎えに行って帰ると、キッチンに義母、夫、娘の3人が集まってテレビを観ていた。番組はリンカーン。ダウンタウンが司会をするお笑い番組。今夜はとても寒いので、狭いところに集まって室温を上げるという作戦?! 芸人の自慢祭りとか言うコーナーは、結構ツボにはまって家族みんなで大爆笑。山口 智充の自慢は、左腕の腕相撲。今まで負けたことがないという。20人の芸人が次々に挑戦し秒殺されていく。 開始のゴングとほぼ同時になる試合終了のゴングに家族全員で爆笑。 挑戦者の中でウデに覚えがあるふじわらの原西君。顔で笑わせてくれました。力を入れると自然にあの顔になるのか、はたまた演技なのか。さらに、薀蓄芸人の・・・あぁ、名前が思い出せない。彼の顔も面白かった。ダウンタウンの松ちゃんは左利き。みんなの期待を背負って戦ったが、善戦するも惜敗。最後の切り札として登場したのが、薀蓄芸人の相方で、筋肉芸人の・・・あぁ、名前が。彼は戦う前最高の表情で威嚇射撃。おかしくておかしく、家族全員死ぬほど爆笑。で、問題の戦いはあっさり秒殺。怒涛のブーイングを受けていた。 こんな風に他愛ないことで家族が一緒に笑えるのって幸せだ。確かにインテリ度はかなり低いけど、それはそれでいいと思う。偏差値の高い家族の中で、お前だけは低い!と責められながら、仲間はずれになりながら過ごすのってキツイだろうと思う。その意味で我が家は、どうしようもなく平和だ。 学校の先生たちと子を持つ芸能人が対面に座り座談会をする番組もしていた。ヒロミと徳光さん、ベッキーが司会。 学級崩壊は先生の責任と、教育再生会議に加わる・・・な、名前が??人が言ったら、先生は猛反撃。何だか単純。それに、人が言うことに耳を貸す姿勢がない。熱血なのは判るが、人の意見に「あぁ、それもあるな。この次はその考えも取り入れよう。」なんていう態度がないのは如何なものか。自分がやっていることが至上の方法だと言わんばかりだ。勿論、其処に提案する人のやり方も大きな要因だ。受け入れられ易い方法で提案を持ち出すのも大事じゃないかと思う。最初から対岸に立って真っ向勝負はきついよ。 番組の中で、教育現場のいかなるかを映したビデオが流れた。保護者からの電話にも応対せねばならぬ現状。子供が家に帰らなければ、捜索に出掛けなくてはならない。明日の授業の準備は勿論だ。 そんな中で、宿題を持ち帰るのを忘れた子供が、担任を尋ねて職員室へやって来た。その子を教室へ誘導しながら先生はため息をついた。これは如何なものかと思う。もし私だったら、「ちゃんと取りに来たんだね。偉いね。今度は忘れないようにもって帰ろうね。」と声を掛けるだろう。そうしなくては、この子は、この次忘れた時、またため息をつかれると思うだろうし、そう思えば、じゃぁ、まぁ良いやと、取りに来なくなる。先生は自分の一言一言が子供達にどう影響するかを良く考えた上で言葉を発するべきだと思う。 だめ先生が研修を受けるというシステムが構築され、実際にだめ先生の数も公表されるようになった。これだって、本来なら、ともに働く仲間内で、あれじゃいけない!というのは判るはずだが、それが自浄作用を伴わない。きっとそれぞれが高いプライドを持ち、お互いに切磋琢磨する気持ちが薄いからだろう。仕事に対しての本当のプライドとは、一体何か?注意をしないということは注意を受け入れないということでもある。そんな先生に教育される子供たちが、すんなりと注意を受け入れる柔軟な人間に育つだろうか???? と、今日はちょっと愚痴っぽくなった。事務所の窓のすぐ外に、一羽の小鳥が遊びに来る。胸のところが山吹色。細く黒いくちばしが可愛い。近々、写真を撮って載せようと思う。お楽しみに!
2006年11月08日
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寒い! 寒過ぎる!! 思考回路は完全停止中。 って、いつもじゃねぇかって言ったのは 誰? 北海道では、竜巻が起こり、9人死亡。21人怪我。各地で突風の被害続出。 末法思想ですな。世紀末は過ぎたと言うのに。 文部省に自殺予告レターを送った子は、今、何処でどうしているのでしょうか。まさか、竜巻に吹き上げられて・・・なわけないよね。 ストーブ出さなきゃやってられない。今夜、この寒さを凌げるのか?あぁ・・・・・。
2006年11月07日
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すぐご近所で起きた事件のことを綴ろうと思い、ニュースを検索すると、こんなニュースが目に付いた。・・・・・・これから、社会は一体どうなっていくんだろうと思う。 すぐご近所で起きた事件と言うのは、自閉症の我が子のことで育児ノイローゼになっていた34歳の母親が、4歳と3歳だったか、二人の我が子の首を絞めて殺害したと、府中警察署へ自首してきたというもの。二人の遺体は母親の乗ってきた車内にあって、首に絞められた痕が残っていたという。家族は育児ノイローゼ気味だったと話し、母親は先月末、次男を連れて家出したと言う経緯があった。 何とかならないものだったのだろうか・・・・・。こんな事件がこんなに近くで起きるなんて、すごくショックだ。 人には生まれ持った性格がある。天真爛漫な性格。今、テレビでやっている「のだめカンタービレ」ののだめのような、物事を苦にしない性格。みんながあんな性格なら良いかなあ・・・・・・。でも、それは絶対に無理。それに、そうなればなったで、必ず問題がでてくるはず。世の中は、千差万別、兎に角たくさんの個性が集まって初めてバランスが取れて行くし、前に進みもする。いや、進めなくてはならない。 お気楽な性格。それは本人は楽だが、周りはその人の苦労を被らなくてはならないと言う現実もある。悪く言えば無責任なところ。これは私のこと。だから、何事も、一長一短あり。ただ、物事はあまり思いつめちゃいけない。陽は昇り日は沈む。西に沈んだ太陽は、必ず東から再び昇ってくるものだから。夜はいかん、夜は。夜、考え事をすると思いつめる傾向がある。だから、思いつめるのなら明るい昼間がいい。夜は寝よう、ひたすら。あぁ、でも、夜の運送業務にあたっているバドさんはそうは行かないね。でも、運転に没頭してるから思いつめたりしないよね。 あぁ、何とかならないものかなぁ。誰もが等しく幸せで居られたらいい。障害のある子供の居る家庭は本当に大変だと思う。おいたちの小箱の化粧箱を作ってもらっているご家庭にも一人の自閉症児がある。色々と大変だけど、前に進むしかないでしょ、と母は笑う。心労のあまり過食症でこんなに太っちゃったわ、と、学生時代、ガリガリだった彼女は自分のふくよかな姿態を自虐する。 物事、思いつめちゃだめよ! 苦労している分、彼女のその言葉は優しく、強く響いてくる。
2006年11月06日
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昨日、今日の二日間、市のホールで学校へ行こうとか言うスローガンの下、教育の日行事が行われた。息子が通う中学校も、小中一貫のモデルとして、小学校4、5年生と中学生全員による合唱を披露するため、今日は朝から授業を受け、5時間目を終えて現地へバスで移動。ステージに立つ運びとなっていた。 父さんと二人、久々のデート気分で軽トラに乗ってお出掛け。義母の誘ったが、骨折で不自由な足が彼女を家に引き止めて仕舞う。無茶苦茶と言うわけにもいかず、義母とユズを残して出発。 会場は1500席を有するホールだが、こうした市全体の行事となると、一日中の開催が常で、朝から晩までずっとと言う人は極めて少なく、恐らく皆無で、我が子の出番を狙って来場し、終わったら帰るというパターン。人が入れ替わりつつ一日が進む。そして、席の埋まり具合は到底満席と言うには程遠い。関係者以外への声掛けを、もっともっとやれば違うのかも知れないが、休日は、皆さんお忙しいので仕方ない。 会場に入った時、毎年、10名が中国の平胡市だったか、姉妹都市縁組をしている町へ派遣されるのだが、今月22日から其処に赴く小学生たちが、壇上で歌や決意表明を披露していた。 彼女たちの次に、上下中学校が全員で合唱した。制服姿の生徒たちが、決してレベルが高いとは言いがたいが、精一杯声を出して歌う姿を観ていると、先日、福岡で命を絶った中二生のことが思い浮かんだ。彼も、あんなことがなければ、こうして学友たちと同じステージに立ち、声を限りに歌うこともあったかも知れない。それを思うと、愛おしい気持ちがこみ上げ、涙が溢れ、溢れ、ハンカチを持っていかなかった私は、ホールの高い天井を見上げ涙が毀れるのをこらえることで精一杯だった。 ステージは替わり夏休みに実施されたキャリアスタートウイークについての座談会。受入400社を募ったところ、当初はその数が足らず、一社一社教育委員会の担当者が足を運び数を確保した苦労話も盛り込まれ、教育委員会も頑張っているんだぞ!とのアピールかな、と邪推。 その後、ステージに明郷小学校と第三中学校の生徒が上がり合唱の披露となった。曲はカントリーロードと若い翼にの二曲。文化祭で披露したレパートリーだ。 小学校の子供たちの声は思春期のお兄ちゃん、お姉ちゃんの恥じらいを含んだ声の上に乗っかり、大きく響いてくる。けれど、音域により、高く、声の出にくいところになると、中学男子の変声期を経た逞しく響くテノール気味の男声が、さらに高いところは、アルトからソプラノの美しい女声が響いてくる。 「補い合う」それがとても大事なことなのだと気付く。この世にスーパーマンなんて居ない。誰だって、得意、不得意があるし、身体能力の差だってある。大きければ良いというものでもなければ、小さければ良いというものでもなく、中間が一番よいのかと言うと、決してそうばかりでもない。 身体能力で言えば、背が高くなければ出来ないことは、背の高い人が率先してやれば良い。小柄な方がやり易いことは小柄な人が率先してやれば良い。出来ない人は感謝すればよい。その代わり、自分の出来ることで恩返しをする。 自分の足りないところを情けなく思うのではなく、人の足りない所を補えることに誇りを持とう。世の中、持ちつ、持たれつ。二度目だけれど、スーパーマンなんて決して居ない。誰にだって出来ないことがあるし、人には出来ないけれど、私には出来ることも必ずある。 皆、自信を持って前を向いて歩いて行こうよ!壇上の子供たちに教えられた気がした。 夜、手塚治虫氏に関する番組を放送していた。先生のテーマは命。漫画家になった頃は「漫画」が弾圧され辛い日々を送られたようだ。そんな日々を乗り越え、鉄腕アトムの誕生。一成を風靡したのも束の間、劇画に取って代わられ再び辛い日々を送る。その中で、ヒットを狙い、自らのテーマを逸脱した作品も手掛けたが、当初からの手塚ファンを失うという悲しい結末を導くだけだった。 やはり永遠のテーマは命。命とは何か?生きるとはどういうことか?どの手塚作品の中にも生き生きと、そして、営々と謳われているそのテーマこそ、今私たちが見つめるべき最も重要なものではないだろうか。
2006年11月05日
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東洋大学4年の学生さんが、生後5ヶ月の我が子をあやすため、壁に打ち付けたりして大怪我をさせた。 真面目に言ってるの? 親は、どんな教育を、いや、子育てをしたのだろう。限りなく疑問・・・・・・。 女房はそれを見ていたのか?ただ、見ていたのか?それも疑問。 いじめ問題にしろ必修の未履修問題にしろ、この事件にしろ、その経過を見ているものはいないのか?ひたすらそれが疑問。腎臓移植の事件にしろ、病気の腎臓を他人にくっつけることが、みすみす容認されるなんて。あの医者はブラックジャック気取りか?ブラックジャックでも、ピノコがダメ出しするはずだ。 見逃すってことだろうか。見落としなのか。 自分以外のことには我関せずの世相が反映されていると言えばそうなのかもしれない。 3連休(とは言え今日は仕事だった)がもう二日も終わった。私は一体何をしたのか?請求書をちょっと・・・・・。現場の仕事も山積み。あぁ・・・・ため息。 がまださにゃ!
2006年11月04日
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バレーボール中継のことでは、ちょっと前に、仙台だったか、中継に出演する未成年者であるNEWSの誰かにお酒を飲ませたとかどうとかで、世間を騒がせた。 イケメンの若い男の子が女子バレーを応援するのは大いに結構。選手たちもそれなりに奮起するだろうが、ここまでテレビ的に演出されるのは如何なものかと思われる。この大会で応援するのはWATの二人。バレーにはずぶの素人。直前合宿に参加し、理解を深めたという話だが、はっきり言って、バレーの何たるかなんて全然判っちゃいない。レシーブがどうの、ブロックがどうのといっても、ただの受け売り。一生懸命やっているのは良く判るけど、原稿を読んでいるようなコメントじゃぁ、逆にしらけちゃう。あれなら、私でも言っちゃうよ。熱いだけの解説なら、私の方が上だね。なんちゃって☆ナハハ。 試合開始前のレセプションで、二人の歌が披露され、選手一人ずつがコートへ呼び出される。なんかおかしな感覚。まるでK-1か、プロレス中継を見ている感じ。出てくる選手たちが、刺繍入りのガウンを着てないことがせめてもの救いだ。 それでなくても、放送が始まって試合開始までが長すぎるというクレームが後を絶たないのに、何でああまで無茶苦茶に盛り上げようとするのか。視聴率獲得のためとしか見えない。真にバレーボールを愛している人たちにとっては、あんな儀式は全く余計なことだ。試合が放送されればいいのだ!それで充分。その中で、攻撃や守備、詳細に渡って判り易い解説が聞ければ、文句はない。声を枯らして応援しているかだとか、ウェーブをやるよとか、ウェンツは結構好きだけど、余計な演出だよ。それも局からの指令なのだろうけど。 選手たちが試合、プレーに没頭できるようにして上げるのが本当のファンだ。選手たちがファンのご機嫌取りに現を抜かさなくてはなら無い様なら、その時点でメダルも何もあったもんじゃないと私は思う。 スポーツ選手はスポーツをする。その姿で社会を元気にする。それの何処がおかしいかな。テレビ画面に向かって笑いかけたり話しかけたり、そんな事は芸能人がやってりゃ良い事だ。そんなサービスをしている間に、彼ら、彼女らは、ボールを追い技を磨く努力を尽くすべきだ。 夕べの対戦相手ケニヤは、柳本監督の指導をした監督が率いるチーム。とは言っても、真っ向勝負が掟。決して手を抜かず、全力で戦った結果、3セット連取。2セット目の最初でちょっとやばい場面があったが、ああいう場面こそが、今の全日本の弱点だろう。 ケニヤの攻撃はさすがの身体能力で、手も出せないアタックが飛んできた。ただ、レシーブが弱点だ。ちょっと揺さぶられると一歩が出ない。大きな課題だ。でも、あれだけの身体能力を持つ彼女らが、レシーブの技術を身につけてくると、大きな脅威となることは必至だ。気をつけろ、気をつけろ!!! 聴けば、今日は韓国戦。強敵だ。修加の麗しき跳躍力で、相手コートにアタックをどんどん突き刺して欲しい。竹下の素晴らしいトスワークも、ガンガン魅せて欲しい。 大事なことは、余裕がなくなった時、どれだけ力を結集できるか。追い詰められた時の力こそが、本当の底力だ!!!
2006年11月03日
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気になるニュース。夕べ、14歳の母を耕平と観ながら、受け売りとは言わず?!妊娠試薬を万引きしたのに、特にお咎め無しなんて絶対おかしい、と言いつつ、時々、耕平が回すチャンネルで、水10が出て、極めて不愉快な思いをしたところだった。 シチュエーションはこうだ。二人の老人に扮したお笑い芸人が、面白いキャラを演じる。それに安田大サーカスのヒロ君が面白くもないツッコミを入れると、そこに何人もいた女の子(恐らくは小学生)の一人が、彼の頬をビンタする。 この前、鈴木沙里奈がプロデューサーの顔を踏んづけた、あれよりはましだが、子供がいい大人の頬を演技とは言え、お笑い番組でぶつ必要があるのか?それに、ペナルティのワッキーがやってたキャラ、あれは頂けない。頂けな過ぎる。無理やり笑いを取ろうとし過ぎ。面白くもおかしくもない。滑稽で空しいだけだ。彼も、あの世界で生き残るべく、頑張っているのは判る。でも、あのキャラはどぎつ過ぎ。勘弁! 子供がテレビに出るのは結構だが、どんな役割なのか、よく考えた方がいいと思う。演技とは言え、あるまじき行為を容認するのは如何なものか。日本の文化程度を笑われそうで悲しい。子供の一存であそこに出ているはずはなかろう。それを許可する親の顔が見たいものだ。 ところで、娘の高校の必修不履行問題の説明会へ行ってきた。やはり切実なのは3年生の保護者。問われたのは、履修方法の詳細。そして、この問題が起きてしまった土壌の問題。 必修を履修もれしてしまった原因として、カリキュラムを立てた学校の落ち度は大きいが、自底で学ぶ子供たちが、自分たちにとって何が必修で何が余計?なのかがよく判っていないという現実がある。だから、私は敢えて、必修のいかなるかを生徒たちに周知徹底しては如何かと提案した。 まぁ、自分があの年だった頃のことを思えば、大きなことは言えないが、子供たちは自分の人生を誰かが轢いてくれたレールの上を走っていけば、誰かがどうにかしてくれるさと言う甘い考えはあると思う。それを是正するためにも、自分がどうあるべきなのか。まずそれを知らしめる必要があると思うのだ。 高三の時、選択科目の授業時、友達と連れ立ってある教室に入って座っていたはいいが、実は自分の選択した授業ではなかった、と言う恐ろしい経験の持ち主である私は,選択授業反絶対対派なのだ。 この問題は、先頃の、耐震強度偽造事件にどこか似ている。書類上で認められておけば、現実はルール違反であっても黙っておけば大丈夫と言う感覚。こんな感覚で教育された子供たちが、全うな人生を送れるのかどうか、そこが不安だ。でも、起きてしまった事は仕方がない。吊るし上げて自殺者を出すという結末に至ってははならない。至らせてはならない。無理だと言うことは判っているが、今回の問題が発覚したことで、全てが何もなかったより良い結果に導かれたと言う気持ちにさえなれるように、一人ひとりの立場で、できる限りの取り組みをしていく必要がある。 前任の校長からの謝罪を求める声があった。それは組まれたカリキュラムを認め、実行するよう支持する立場の人間であり、不具合のあるカリキュラムに判を押した責任を謝罪するべきだとする思いからだった。出来れば、保護者からこのような発言が出る前、この問題が発覚した時点で、不備のあるカリキュラムを認めた事を詫びる姿勢を見せて頂ければ、せめて子供たちに言い訳の一つも立っただろうと残念に思う。 物事にはタイミングと言うものがある。こうなってしまってからではもう遅い。なんとも残念だ。平成13年に一度、勧告があり是正された経緯があるということだった。それなのに、再発。子供たちはこの現実を見、この現実から何を学ぶか。それらには、一人ひとりの個性や、それぞれの家庭の考え方がくっきりと反映されることだろう。
2006年11月02日
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ついに娘が通う高校でも、必修科目の未履修の事実が明るみに出た。ひた隠しに隠していらっしゃったのではないのだろう。そう信じたい。集会が持たれ、説明があったそうだ。最大の当事者は高校生活がの頃僅かである3年生。既に大学受験体制に入っている。 もし、我が子が3年生だったら、こうは言えないかも知れないが、学校を責めるに終始することなく、前向きに物事を考えてほしいと思う。学校に全責任を押し付け、と言うか、特別の知識がなければ、生徒は何が必修なのかどうかなんて判らないので、実際、責任はカリキュラムを組んだ学校にあるのだが、それを攻め立て、校長先生を自殺に追いやることで、何か得るものがあるのかどうかを考えるべきだと思うのだ。 今日の集会で、学校に「どうしてくれるのか?」と詰め寄る生徒はいなかったと言うのを聴いて、実はとても嬉しかった。このところ、あちこちの学校での集会のVTRが流れ、ある学校では、生徒が学校に詰め寄る場面があった。そんな報道を目にしている子達の中で、テレビよろしく声高に学校を責める子がいなかったと言うのは、この子達に分別があり、先生との信頼関係があり、先生に一目置いている(謙った気持ちを持っている)と言う事だと解釈するからだ。 これを機に、高校で学ぶ子供たちが、高校では何を学ぶのか、必修科目の知識を持とうと言う意識が芽生えればよいと思う。今夜、学校では保護者対象の説明会がある。我が子には執行猶予があるので、行く必要もないかと思う一方、学校がどのようにこのことに対処されるのかをこの目で観たい気もするし、親として、きれい事かも知れないけれど、必修科目の何たるかを知る必要もあると思う。ご近所で不幸があり、明日はその葬儀に参列もしなくてはならないので、月初めで請求書もあり、何かと忙しくもあるけれど、さて、どうしたものか・・・・・。
2006年11月01日
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