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こういう時代だからこそなんだろうなぁ・・・・・。 初回放送の頃は、テレビでやっていることは作り事で、現実とはかけ離れたものとして捉えることができた時代だった。けれど、今、この時代となって、テレビの映像即現実に起こりうること。現実と仮想の境目がなくなってしまった時代。テレビでやったサスペンスドラマそのままの事が、隣町で、或いは、隣の家で起こる時代。 そうしているのは、一体誰なのか?何がそうさせてしまうのか?仮想映像=現実と言う発想は、その時代を生きている一人ひとりの認識がそうなっていると言うだけで、映像に問題があるわけではない。けれど、映像を配信する方は、その映像がもとで、何が起こるかまで、よく検討した上でないと配信には踏み切られない。 全く難しい時代だ。
2006年08月31日
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これって、ルール違反かもしれないけど、最近、このページへのアクセスがまぁまぁの数なので喜んでいたら、ある特定の方が、殆ど間隔をおかず何度も何度もアクセスして下さっている。かつては、検索ロボットがそういった動きをしていたけれど、今回の怪しい訪問者は、60.28.*.* さんと、219.101.*.* さん。ひょっとしてこの方も検索ロボット??執拗です、とっても。ロボットじゃなかったら、ちょっと怖かったりして。ストーキングされてる感じ。現実ではありえない状況にちょっとビビリ気味の私です。 でも、この方のアクセスがなかったら、うちのアクセス数は半数以下。それはちょっと寂しい。これぞ、まさに、揺れる乙女心*ぅふ*です。
2006年08月30日
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若いって良いなぁと言うか、私も若い頃、きっとああだったような気がするな。 若い男女が各4人ずつ、ラブワゴンに乗って、世界を旅しながら、恋をしようって言う番組。高二の晃子がすっかり嵌っている。 ちょっと前、結構モテ男君の田上君が、実は日本に彼女がいるいないでもめて、結局リタイア。その時、彼に気が会ったちゃきとひさよんが険悪に。 人を愛する気持ちってなんだろうと思うと同時に、ああいった特殊な環境下で、本当に愛する気持ちをもてるのかと言う疑問が払拭出来ない。結局、番組的に面白く仕上げられているものだと思うし、逆に、面白く仕上げられることを承知で、愛だの恋だのをカメラの前で演じることの出来る素人さんには、ある意味、敬意を表してしまう。自腹を切らずヨーロッパを旅行でき、さらに、彼氏が出来るかもしれないなんて、ちょっと美味し過ぎない? コメントをしているウェンツ君も、まちゃみも今田君も、みんな好きだけど、番組の趣旨が理解出来ない。だって素人さんだもの。 最近、ああいう恋愛公開番組?!が多い。この前は確か、名古屋と東京の高校生が出会いの場を持って、恐らく一日だったろうが、行動を共にし、最後に男子から女子へ告白すると言う設定の番組をやっていた。そして、一週間後、その告白に対する返事が携帯電話へ掛かってくると言う仕掛け。 昔ならまだしも、今時の恵まれた環境の子供たちが、限られた人数の中から、「この人」を心に決め告白するなんて、やけに人間出来てるじゃないって感じ。テレビ的に盛り上げなきゃいけないからかも知れないけど、なんとなく理解出来ない、って言うか、納得できない。 昔、私たちが高校生だった頃、「フィーリングカップル5vs5」と言うのがあった。番組の中で、表示板を挟んで質問タイムなんかがあって、数十分の後、一番気に入った人の番号のボタンを押す。電光掲示板の点線が、意中の人へ向かって進むのを、司会者がちょっと止めたりしていじって、結構お笑い的にも盛り上がっていたし、なんだろ、からっとしていた。きっと、あの番組を観ながら、私たちの親世代は「なんて不謹慎な!」と立腹したのだろう。当時の私はそんなこと思いもしなかったけど・・・・・・。 その年になってみなきゃ判らないことってある。この年になって、あまりにドキドキを伴う恋は、体に良くない事が理解できたし、安定がすごく大事で、でも、それを維持するのって、簡単そうでいて、結構難しい事だって言うことも理解できた。
2006年08月29日
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毎年恒例の24時間テレビが終了した。例年の目玉、100kmマラソンの挑戦者はアンガールズ。他でもない、この広島県出身のタレントだから、結構地元では盛り上がっていた。 田中君の出身地、上下町は、古い町並みの残るなかなか素敵な町。晃子の仲良しAYAちゃんのお母さんは、この町の出身者だ。って、あまり関係ないか・・・・・・。 おおよそ滑り込みセーフの100kmマラソンなのに、今年は、ラストのサライが始まるより早くゴールした。それは、明らかに挑戦者の若さと言うことだろう。肉体は衰えるものだ。だから使用前と使用後では、どう言っても違いがある。私の知る限りでは、研ナオコさん、丸山弁護士らは、年齢的に不可能だと思われた。 なぜなら、5年前、耕平が小学2年だった1月。ちょっと長い散歩のような気持ちで、同じ組内の人と一緒に、26kmウォークだったか、参加したが、ゴールの府中市役所が近づくにつれ、足は言うことを利かなくなり、おんぶしてくれと言う耕平を振り落とし、最後から34番目くらいでゴールした時には、全く、虫の息だったのだ。 ジムに通って鍛えてまでは居なくとも、当時もスイミングクラブで泳いでいたし、現場の仕事も結構やっていたから、しかも「歩く」のだから、26kmなんてなんくるないさ!!??と思っていたのだった。ところが、歩くと言うのは結構、足に来るのだと身に染みた。自分の加齢を、いやがうえにも自覚せざるを得ない出来事となったあの健脚大会。40歳の時の出来事だった。 40を坂を超えてからと言うもの、体力の衰えは著しく、何をしても自分が弱りつつあることを目の当たりにさせられ始めたので、やっと重い腰を上げ、ここ2ヶ月ほど、起き上がりの腹筋、背筋、伸脚屈伸などの筋トレを始めた。そのおかげか、以前は、平泳ぎで25m泳ぐのに、21ストロークだったのが、昨日は14ストロークだった。自分でもびっくり。何が違うって、やっぱり筋力なのかな・・・・・。嬉しかった。 ま、そんなこんなで、今日は「若いってことは素晴らしい。」ってことを書きたかった。一方で、夜通し花火などして、近所に迷惑を掛け捲る若者たちがいると聞く。その若さ、もっと世の中のためになることに使うべきだと思うけどなぁ・・・・・・、オバちゃんは。
2006年08月28日
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下の耕平がこの4月で中学へ上がったが、無理やり頼まれたと言いつつ、実は進んで?!小学校のスイミングクラブのコーチを引き受けている。 コーチと言っても、ホントに時々、練習へ顔を出し、フォームをアドバイスしたり、練習をサボっている子に喝を入れたりする位。でも、子供たちの顔を見ることは、今では私にとって結構生き甲斐であり、生活の張りになっている。 時々しか顔を出さない分、練習に出るたび、子供たちの進歩は著しい。 例えば、1,2年生は25m。3年生で正式種目として、50mを泳ぐようになるのだが、プールは25mなのでターンを教える。平泳ぎとバラフライは両手タッチ。壁に両手を揃えてタッチし、下半身をぐっと壁に引き寄せて体の向きを交わし、両足を揃えて壁をけり折り返す。 最初は本当にたどたどしく、壁に当たった両手で、何故か壁を押し返しバックしたりする。思わず噴き出すシーンが続出するのだが、練習を重ねるにつれ、流暢にターンできるようになる。体を回す外側のウデは、大きく空を切り、指先から飛沫が飛ぶほどのスピード。つい見とれてしまう。 そして、次の課題は、壁を蹴った後、水中を何処まで潜って行けるかと言うところ。平泳ぎは規定で、水中では一掻き一蹴りし、次のストロークでブレスをとらなくてはならない。これが結構難しいらしい。実際、私もこれを練習したが、なかなかうまく出来なかった。出来るようになってしまえば、出来ないのが不思議だが、それが成長、進歩と言うものなのかもしれない。 自由形、クロールのターンは勿論クイックターン。壁近くで両足を揃えて水面を蹴り上体を水中深くもぐらせる。顎を引き回転し、回りきる前に体の向きをよじってうつ伏せになる。そして絶好のタイミングで壁を蹴って折り返す。 背泳ぎのターンが一番厄介で、仰向けで泳いで壁近くでうつ伏せに体を交わし、自由形と同じように潜ってターンし、こちらはうつ伏せにならず、仰向けのまま、折り返しの25mを泳ぎ始める。 仰向けで泳いでいるのだから、自分の位置が確認できない。屋内プールなら、天井の照明や鋲の位置を目標に出来るが、あいにくここは屋外プール。夥しい数の羽蟻の死骸も浮かんでいる。おっと、これは余談。目標に出来るのは、コースロープが端から5mで色が変わっているところ。色が変わって例えば、3掻きで体を回して潜ると言ったように、自分なりのノウハウを確立しなくてはならない。背泳ぎの場合、体を回し、うつ伏せになってから、手を掻くと失格だ。だから、もし、壁から離れた場所で体を回しても、決して手を掻くことなく、自分のスピードを殺さぬよう、壁際まで寄せなくてはならない。 練習し始めの頃には、もぐった時、鼻から水が入り咽る子が殆ど。けれど、諦めず、何度も何度も潜り続ける。そして、ついには美しいクイックターンを手に入れるのだ。流暢に、よどみなく、折り返して泳ぎ続ける子供たちの姿が眩しい。 年々減っていく部員数が心配だが、昔から、可愛い子には旅をさせろという。本当に可愛い我が子なら、あえて、厳しい環境に置くことで、その成長を期待することをお勧めしたい。
2006年08月27日
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耕平のかねてからの懸念であった技術の宿題が、本日、目出度く無事終了した。 宿題の内容は、「掃除」。機械を分解して掃除し、再び組み立てると言うもの。例として「換気扇」が挙げられていたが、あえて、「トースター」を選択。だって我が家のトースターは、冷凍のピザとか焼いて、チーズがたれて、ヒーターに引っ掛かったりして、焦げ焦げになって、ぶっちゃけ「わや」だから、折角なら、と思って・・・・・。ただ、取り掛かって本体をばらしながら、結構、厄介な代物と気付いた。でも、もうどうにもならない。 最初7箇所ほどビスネジを外した。内部の電気系統を分解する。その後の分解は、穴に突っ込んで曲げたりねじたりしてある爪を伸ばして外す。そうこうしているうちに、組み立て方はどこかに飛んでしまった。 ついに、全体がバラバラになり、部品ごとに洗浄。耕平がキッチンの流しで、私がお風呂場で、それぞれ洗浄。すっかりきれいになって、ざっと水気を拭き、しばらく乾燥しようと言うと、耕平はすかさずアイスクリームをおねだり。どうも、甘いものがスキだ。 耕平の買ってきたアイスを一口、横取りして、さて、これから組み立てようとすると、実家の母から電話。シャルマン梅坪と言う市内のケーキ屋さんに、お客様へのプレゼントとして置いて貰っているのだが、昨日、一つ注文が入っていた。すぐに出来ますよ、と言っておきながら、筆耕どころか、まだ、モノも仕上がってなかったのだが、ご注文下さったお客様が、お使い物として、どうしても今日、それを先方へ届けなくてはならないとのことなのだ。それでは何をさておいても、そちらが優先だ。耕平の宿題は、万事休す。私は工場へ直行。 必要なものをとりあえず仕上げて実家へ行くと、母は墨を磨って待っていてくれた。急ぐものを化粧箱に詰め配達へ。ただし、スーパーハローズで午後1時まで、ポン酢とキャベツが安いので、まずはそれをゲットするためハローズへ。 ポン酢はゲット。キャベツは残念ながら売り切れでした。 急いで帰って耕平の宿題の続きをと思いつつ工場の前を通りかかると、助手席に耕平が乗った愛車エスティマが。??と思い引き返して訊くと、父さんがビデオ屋へ行くと言う。ならばと、耕平の夏休みの読書の本(今頃何言ってんだって?まぁまぁ・・・・)を買う図書券を渡した。 耕平が居ないなら、私は工場で仕事だ。結局、帰宅したのは午後5時。遅い昼食を摂り、完成したおいたちを持って行くつもりだったが、耕平の宿題の続きもあるし、夕食も作らなくてはならない。そこで、サッカーへ行くという父さんに、おいたちを託け、模試帰りに実家で待っている晃子を積んで帰るよう指令を出した。 父さんはぶつくさ言いながら、言うことを聞いてくれ、耕平の宿題もバッチリ終わった。携帯で撮ったブツの写真は、サイズが小さくて今ひとつだが、明日、カメラのキタムラへ持って行って、現像してもらおう。参考までに、真面目にやっている耕平の姿と、きれいになる前のトースターの扉の写真をご覧に入れましょう。 私が留守の間に、耕平は一人で本体を組み立て、電気回路を繋いでいました。いつまでも子供と思っていたら、すっかり大人になっちゃって・・・・・。とても頼もしく思いました。
2006年08月26日
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夏休みの宿題で、作文や詩を書かなくってはならなかった耕平。私に詩を書く形式について質問しながら、「読みたい?」と訊く。「読みたいよ。」と言うと、「じゃぁ、読んでも良いけど、読んでも、詩について絶対何も言っちゃぁいけんよ。」と言う。「判った、判った。」 詩の内容は自我の目覚め。家族から宿題をしろと言われ、将来のことについてあれこれせんしょうをつかれたりするけど、僕は僕の生き方を絶対に変えないぞ!と言う決意がみなぎった詩だった。 こんなニュースがあった。 最近、この手の事件が多発しているが、何度も言っているけれど、そんなことで家に火をつけなきゃならんのなら、僕んちは何軒あっても足りないよ!と耕平は言うだろう。だけど、この事件と同じ行動をとらないのは、耕平の性格と、家族のフォローが優れているからだろう。って、あつかましぃ!! 何処のボタンを掛け違ってああなってしまうのか、よく考えてみる必要がある。
2006年08月25日
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携帯の料金が、口座から落ちない月が三ヶ月続き、振込支払に変わって二ヶ月。またまた、振込怠慢で、携帯を止められてしまった我が家。なのに、晃子が文句を言ってこない。あまりの無言に、逆にこちらから口火を切ってしまった。そしたら、彼女もオトナになったもので、「ウン、分かってたけど、仕方ないしね。」 それは、どうしてもメールをしたい相手が今、いないってことなのか?! そんなわけで、ケータイがなければ、親子のふれあいの時間も持ち易く、一緒にお風呂に入った風呂上り、二人で並んで柔軟体操。私の体操の目的は、腰痛予防の腹筋と背筋。さらに、股関節の稼動域を広げるための、屈伸運動。閉脚と開脚でとことん背を前に倒す。開脚度を晃子と競おうと向かい合わせに座り、お互い、手に手を取って相手を引っ張る。私が晃子に引っ張られる時は、痛い、痛いと絶叫の連続。替わって、晃子を私が引っ張ると、全くの何の抵抗もなくこちらに倒れてくるし、体勢として晃子が私の股間に顔をうずめるような形。全く変な親子である。 すかさず、私は言った。「変な顔しないでよ!ここはあなたのふるさとなんだから!あなたはここからッポォ~~~ンって、出て来たんだからね。」 リアクションに困る晃子の顔が可愛い。やっぱり親子っていい。つくづく、携帯がなけりゃ、良い子なんだけどなぁ・・・・・・。 それにしても、私の体の硬さは群を抜いている。晃子曰く、「体の構造が違ってるんじゃないの?」 そう言われると、確かにそう思えてくる。一度、前進のレントゲン写真を撮ってもらう必要があるかもしれない。
2006年08月24日
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ニュースで言ってた。子供の夏休みの宿題の追い込みたけなわだって。そこでオークションに、小中高校生の夏休みの宿題「読書感想文」を代行しますってのがオークションに出ていたと言う。あぁ、世も末になったものだ。 私が小学生だった頃、夏休みの終盤に差し掛かると、私は毎年、自殺志願者と化していた。山のように積み上げられた手付かずの夏休みの宿題を、どう処理するか途方に暮れ、行き着く先はいつも自殺だった。でも、結局、確かに、現存する絵日記の絵は、明らかに全て母の描いたものだが、自殺することなく、この年まで生きながらえているのだ。 オークションの購入ボタンを押したのは保護者。尤も、子供が自分でボタンを押せば押したで、それもどうかと思うが、その子はきっと、自分に課された事は、人が何とかしてくれると言う基本理念の通った一生を送ることになるのだろう。 全く、世も末になったものだ。売れれば何でもオッケーなのか?ふざけんじゃないよっ!! 中学生がキャリアスタートウィークで、会社に通って来ているが、仕事って何かをしっかりと考えようねと話している。仕事とは生活の糧であり、どういう内容であれ、お金さえ稼ぐ事が出来ればそれで良いのか?「役に立つ」「人様のためになる」これらはとても意義深い事だが、幾ら役に立つ、ニーズがあると言っても、読書感想文代行は、頂けないと思う。言い換えれば、試験でカンニングのお手伝いをしますと言っているようなものだ。 親が無償で子供の宿題の手伝いをするのと、人様にお金を払って手伝ってもらう、いや、代行してもらうのと、どこがどう違うのか考えてみるが、いずれにせよ、その宿題の持ち主が、独自でやったのではないことに違いはない。でも、上の二つ、根本的に違うような気がする。違うよ!違う!!!子供の宿題の代行を商売にするなんて、とんでもないと思う。ボランティア的な発想だと、出展者はおっしゃっていたが、たかが何百円でもお金を徴収するのなら、ボランティアじゃないし、手伝いをするのなら、読書会を開くとか、ある本を読んだ人が集まるサイトを立ち上げ、その中でその作品について討論する場を持つとか、そう言うやり方にするべきだと思う。 何だかなぁ・・・・、この世の中、どこか間違っているよ・・・・・。
2006年08月23日
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早実が悲願の夏の甲子園制覇を果たし、地元、東京に凱旋。さすが、一介の地方都市とは違い、選手たちを一目見ようと集まる人の人数も半端じゃない。尤も、絶対数が違うのだから当然と言えば当然だが、選手たちの立場になって、自分が良いだけの応援は、ソコソコにしておいた方が良いんじゃないかな。何でも、斉藤君は家に帰るのもママならないらしいじゃないですか。そんなの虐待ですよ、むしろ!!本当にファンは、こんな時こそ、自分の欲求を抑え、遠巻きに地味に声援を送るものだと、私は思うのですがね・・・・・。 ちょっと前に書いた内容証明の話。ついに、簡易裁判所から、9月13日に来いと呼び出しがきました。包み隠しのないところで、あの件に関して48万円という請求が妥当なのかどうか、公正な第三者の目から見て判断してもらうだけです。こんなことになるなんて思ってないから、いちいち書面に残してもいないし、証拠と言えば依頼者の証言くらい。あと、事実を淡々と綴った書類を提出するつもりです。 盆前に、タイミングよく、広島大学の大学院から、法律相談の件でDMが来たので、そちらも利用させてもらうことにしました。何しろ良心的で正直だから、いつも貧乏してますので・・・。 甲子園が終わった途端、空気が秋めいてきました。お昼にものすごい雷雨がありました。すぐそこへ雷が落ちたような雷鳴も響き、思わずヘソを押さえてしまった私でした。跡で確認したら、ちゃんと付いていました。良かった・・・・。
2006年08月22日
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去年から参加したキャリアウィーク協賛。今年も二人の中2生が今日から5日間、我が社に通ってくる。名前はぶっさんときょうちゃん。ネットなので、実名は避けて、ニックネームにしよう。 去年のメニュー通り、まずはペーパー掛けから。跳び箱の小物入れの側板の取っ手の部分。黙々と作業を進める。 また、去年通り、木工作で作れる「これが欲しい」を図面に描いて持って来させた。ぶっさんは観音開きの扉の下に二つ割れの小引き出しが付いた小物入れ。間口20センチ、高さ30センチ、奥行き15センチ。妥当な大きさで責めてきた。 一方、きょうちゃんは、コミック本を入れる本棚。巾84センチと結構大きい。 二人がせっせとペーパー掛けをしている間に、まずは大物のきょうちゃんのコミック本棚の材料をダンドリ。する。ベニヤで行こうかと思ったが、かなり前から壁に立てかけてある杉板があったので、それを二枚、プレスして厚みを確保して使うことにした。ざっとサイズを決め、二人にフラッシュ作業を課す。と言っても、私が板の曲がり具合を見て、ノリを付けて貼り合わせる方に数字を書いて渡した。数字が書いてある方へノリを付けてね、と言って。そうして私は事務所へ行き仕事をしていると、しょんぼりした二人がやって来た。おおよその予想は付いたが、どうしたの?と訊くと、案の定だ。「数字の書いてない方へノリを塗ってしまいました。」よくやった!!!! それは冗談。とりあえず、そのノリを濡れた布で拭き取らせて、正しい方へ糊付け。そして貼り合わせ。新米にトラブルは付き物だ。 今日のところはそこまで、お昼からきょうちゃんを連れて集金に出た。銀行へよって集金したお金を入金する。中学生にとっては、銀行なんて別世界。でも、行く行く、経理の仕事をするかもしれない彼らに、少しでも足しになるように・・・・・・。来る25日には、ぶっさんを連れて行くことになっている。 きょうちゃんのいない間に、ぶっさんは工場長からカギ組みの加工を教わった。定規とテーブルとに材料を密着させてスライドし、回っている刃物が材料の端をカギ取る。それだけの作業だが、手作業で押すので、均一に仕事をするのは至難の業。機械に均一な仕事をさせるのと、人間が均一に仕事をするのでは、難しさの意味が違う。それこそが、職人の「ウデ」だ。 かくして集金から帰ったきょうちゃんに、先輩のぶっさんは、カギ組み加工を指導することになった。大事なポイントが何処なのか、理解するにはまだまだ時間が掛かるが、この会社でどんな仕事をしているのかを少しだけ、理解してもらえたと思う。 さぁ、明日からもう4日間。立派な職人を育てんがために、頑張りましょう!! こんな記事があった。98万円が振り込み易い金額ぅ??どういう意味で?違うよ、違うっ!9,800円なら分かるけど・・・・・。
2006年08月21日
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家事怠慢で遠慮しながら、とりあえず、現場の仕事をするために家を出て、10時からのスイミングクラブの練習に顔を出した。お盆前、体調の都合で、また、練習しようね、と言いながら、連取へでられないまま、いきなりお盆休みに入ってしまったので、なんとなく、疎遠な気持ちになってしまっていた。でも、乗りかかった船だし、子供たちのがんばる姿を見たいから、エイ!と思って出て行った。昨日、協賛金を募りにおいでた会長さんが、「20日は府子協の球技大会で、6年生の子供と親が抜けられるので、少ないですよ。」と言っておられた事も胸にあった。 行ってみると、5年生以下の子供たちが元気に泳いでいた。お盆前に見た時より、さらに上達していた。そして、BGの先生が伝授された新メニューが掲げられていた。クロールと背泳ぎの、片手運転?! 両手両足を動かすのは、実は子供たちにはかなり難しい動作だ。そこで、4個の動作から1個を引いて、泳ぐ練習だ。片方でしか息が出来ない子にとっては、息の出来ない方だけ腕を掻くと言うことは「息が出来ない」と言うこと。でも、それでは窒息してしまうので、何が何でも、そちらで息が出来るようにならなくてはならない。結局、器用になり、全体のバランスが良くなると言う仕掛けだ。でも、低学年の子供たちにはかなり難しい課題だ。「出来ない。」を繰り返す子供たちに私が返す言葉はたった一つ。「出来ないから練習するんだよ。」 当たり前のことなのに、私自身も時々、見失ってしまう事実だ。出来ないことを練習して克服する。とても大いなる生きる意味の一つだろう。そうやって、少しずつ成長して行く。今の私は、既に人間の機能的な部分では、頂点をとうに過ぎ下降中である。だから、機能できた事が今日は出来ないなんてことは日常茶飯事で、そのため、今日の自分を維持するために努力する。とは言え、それもとても大事な努力の形だ。 子供たちと関わると、本当に色々なことに気づかされる。そしてその成長の著しさを満喫し、元気を貰う。我が子二人だけでは、これほどまでの感動は無かったと思う。だけど、その感動に縁を結んでくれたのは、他でもない我が子たちだった。 だから、私は我が子に感謝し、我が子と同じ地域で生まれ育つ子供たちに感謝する。
2006年08月20日
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今年も地域の公民館の木工作教室へ呼んで(招いて?!)頂きました。生徒は7人。小学生6人と成人男子1人。成人男子の一人は、孫のおもちゃにと参加して下さった方。自宅が同じ町内で、一緒に組長を務め面識のある方。地域の振興にとてもご熱心で、過日、地元三郎の滝へ、RCCアナウンサーの小川さんがおいでてミニコンサートをされた時にも、世話方に加わり、会を盛り上げられた。 子供相手の木工作教室はとても興味深い。意外なアイデアが飛び出すからだ。既成概念が無いというのは、新しい発想にとても強力な味方となる事を物語っている。そう言う意味では、私の脳の中身は、いわゆる「常識」を逸脱してると言う事なのか?新商品の開発に当たって、よくお褒めの事がを頂くのは、その所為なのか?だとしたら、一人のオトナとして、もう少し考えなくてはならないのかもしれないなぁ・・・・・。
2006年08月19日
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大学と言えば、最高学府。読み書きそろばんは勿論、崇高な理論を持ち、研究して行く場ではないのか。それがなんだっ!!この有様は!もしも、我が子であれば、即刻、首根っこを掴んで差別の対象にされた方のところへ謝罪に行き、差別をした我が子は南の海の無人島へ島流しの刑だ。 20歳になるまで、一体彼は何を学んできたのか?いや、悲しむべきは、そんなことさえきちんと教育できない今の日本の社会かもしれない。何故か、無性に悲しい。差別された方のことを思うと悲しさが募る。そして差別した大学生のことを思うと、腹立たしいのと同時に、哀れで仕方ない気持ちになる。一体、何が彼をこんなに愚かにしてしまったのか・・・・・・・。
2006年08月18日
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いつもの雨は降り始めると土の匂いがする昔遊んだ小学校のグランドのにおい台風が連れてくる雨は潮の匂いがする海岸沿いに続く国道を走る時何気なく開けた窓のから入ってくるあの潮風の匂いがするきっと南の海から吸い上げられたたくさんの水蒸気が空から降ってくるからだろうな・・・
2006年08月17日
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台風は南の海から たくさんの水を吸い上げて来るから 台風の雨が降ったら いつも海の匂いがする
2006年08月16日
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離婚が多い。兎に角離婚が多い。これほど離婚が多くて、何故我々夫婦が離婚せずに一緒に居るのかが不思議だ。 考えてみるに、私たち夫婦は、厳密なことを言わない。極めて大雑把だ。神経質の対極に在る。それが効を奏しているのかもしれない。いや、きっとそうだ。そうに違いない。それ以外に理由はない。 私は極めてまともな人間だ。あえて言えば、お片付けが苦手なことと、一つのものに打ち込んでしまうと、二束のわらじが履けないタイプで、現状を言えば、「仕事」と言うわらじを履いたがために「家事」と言うわらじをすっかり脱ぎ捨ててしまって、父さんの身の回りのことなんて、「私の仕事」の範疇にない状況。母親である義母は本当に不憫に思っているはず。この私でも、時々、父さんを不憫に思うもの・・・・・・。なら、世話しろよ!!ってか。いやいや、そこが難しいところなんですね。 そんな私を父さんは許してくれる。許してくれる父さんは、稀に見る天邪鬼で、人の言ったことに意地でも頷かない。特に私や子供、義母など家族の言ったことには絶対に従わない。むしろ、従ったりすれば老い先短いのじゃないかって、心配してしまう位の天邪鬼。実家に行っても、天邪鬼。でも、出会いから20年以上も経つと、母も手馴れたもので、思いのままに娘婿を動かすノウハウを心得てくる。裏を読む技が光るのだっ!! ただ、きっと死ぬまで一度で良いから、「お義母さん、僕は良い嫁を頂きました。」って言って欲しいだろうな、なんて考えてセンチメンタルに浸ったりする。 でも、そんなことより、大事なことは、家庭を投げ出すことなく、泣いたり笑ったりしながら、一つ屋根の下に暮らすこと。どんなにきれいな言葉を並べても、最終的に「もう終わりにしましょう。」と屋根の下を飛び出せばそこで終わり。ジエンドだから。尤も、そんなつもりなんて毛頭ないから、そう言う意味で実家に心配をかけることはない。 お昼のワイドショーで、花火族だかなんだか、深夜まで住宅地のすぐ近くで花火をして大騒ぎをするアホナ若者が増えていると言っていた。早々に法律を作って、即刻逮捕してブタ箱に放り込むべきだ。言葉で理解できい人には、体罰も致し方なかろう。うちの子や近所の子達が、こんな若者に成り下がらないよう、しっかりと見つめていたい。
2006年08月15日
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青春スターから政治家へと転身した森田健作氏。私は基本的に彼の熱血振りが大好き 放送から何日もたって今更ですが、どうしても書きたい事があって画面を起こした。 民社党から声が掛かって、森健さんが議員に立つことを奥様に相談した。火になって反対する奥様を何とか説得し、最終的に了解を貰った時の奥様の言葉が、私に言わせればちょっと気になる。「私たち家族を路頭に迷わせるようなことだけはしないでね。」 ちょっとがっかり。でも、真っ直ぐで青春な森健さんだから、包み隠さず言ったんだろうけど、もし、私が奥様だったら、私財を全て投げ打ってでも、この国のために尽くして下さいって言うだろうな。 昔はそんな(私財を投げ出してでも公のために尽くす)政治家がいたから、日本と言う国は立派だった。今は、誰も彼も、きっと私自身も含めて「保身」が第一。何よりもまず自分が最重要項目。人のために自分が路頭に迷うようなことはしない。 いや、あえて、意味もなく路頭に迷えば良いって言っている訳じゃない。「ここぞ!」と言う部分において、何がどうあろうと、身を持ち崩してでも、貫かねばならぬ部分を貫くべきじゃないのかと思うわけで・・・・・。じゃぁ、その部分って何処よ?と言われても、ちょっと判らないのだけれど。・・・・・なんか、説得力ないなぁ・・・・。切り口は良かったんだけどな。 でも、考えてみれば、今、こうして、デフレの中で、安いものを手軽に入手できるのは、その商品を提供している会社が、仕入先や外注先を泣かせてでも、安い価格設定をしてくれているからで、大企業と中小企業の間に、明らかな利益格差があることなんて、消費者にとっては痛くも痒くもないことなのですよね。・・・話が飛んじゃったな・・・・・。 仕事ということについて考えてみる。生活の糧を得る手段と言う考え方はとても大事だ。ただ、生活の糧とは、一体幾ら必要なのか!?食べ残し、使い捨て、そして贅沢三昧を尽くし、遊びたい放題遊んだ挙句に「自分は貧乏だ。」と思う人はいるだろう。そのためのお金を儲けるために、仕事をするのってどうだろう・・・・・・。でも、質素倹約なんて言ってたら、今日日、世間の良い笑いものだ。こんな社会に誰がした??!! 今日は何だか、愚痴ばっかりだ。でも、本当に思う。今の日本、大事な何かを忘れちゃ居ないかな・・・って。
2006年08月14日
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実家の隣のおうちのお孫さんは、今年大学を卒業して就職と言う年。けれど、中学校の途中から、家庭内暴力、引きこもりでご両親は別居中と言う身の上らしい。 隣のオバちゃんは朗らかで、私の大好きな人の一人。そんな悩みを抱えていらっしゃるようではないので、母からその事情を聞いてびっくり。ひどい時には、そのお孫さんは、わざわざ祖母のところへ、お金を出せと脅しに来ていたとか。 その子にはとても良く出来るお姉さんが居て、結局、一番根っこには、兄弟比較があったようだ。良く出来る姉、泣かず飛ばずの弟。頑張っても認めて貰えない辛さ。→やけっぱち。 私たちは三人姉妹。長女の姉は真面目で優等生。次女の私はじゃじゃ馬。ただ、熱血で勉強はしなくちゃいけないものだと思っていた(高校入学まで)ので、中学まではデタラメな成績を貰って帰った事がなかった。 三女の妹は、おしゃれに興味があり、料理など家庭的なことに秀でていた。ただ、勉強の言う観点で見たとき、姉二人とは差があった。彼女はそれをとても引け目に思っていた。さりとて、何が何でも!と言う意地までもなかったのだが、彼女は彼女なりの努力を積んでいた。 両親や周りが、成績云々とひどく比較したこともなかった。ただ、本人の胸には、その事実が重くのしかかっていたと言う。 大人になって結婚し、子供をもうけるようになって、妹がポツリと漏らしたその言葉が、ひどく胸に突き刺さった。私は彼女をダメ扱いしたつもりもなかったし、彼女がそんな思いを抱いているなんてことを想像したこともなかったからだ。 姉夫婦には三人の子供がある。次男のノリ君は、今では、身長170センチを越える大物?!で明るく、楽しく、気の優しいいい男だが、小学3年か4年の時、学校に行けなかった過去を持っている。 その頃は、毎日、毎日、家でテレビゲーム。友達が誘いに来てくれても重い腰は上がらなかった。面(おもて)には出さなくても、彼なりに訴えたいことが有ったのだろうが、遠方で仕事に就く父(夫)と連絡を取りながら、痛む胸の抱え、姉は、一年を乗り切った。担任の先生との相性が良くなかった事が大きな原因の一つだったようで、新年度、担任が変わると、立派に学校に復帰したし、今でも、決してずる休みなんてしない。 本人にとっても、家族にとっても、長い一年だっただろうが、ノリ君はあの一年で、とても大事なことを学んだはずで、あの一年がなければ、今の優しく楽しいノリ君は存在していなかったはずだ。ただ、あの頃、家庭学習だけで過ごしたことは、ノリ君の基礎学力に幾らかの影を落としていないとは言い切れないとも思う。でも、その替わりに、もっと大事なものをノリ君は手に入れたのだ。 ところで、彼の兄貴がこれがまた出来が良く、人に好かれ、スポーツ万能。姉に言わせれば、ちょいと優柔不断なところが難点だと言うが、そんな彼を兄に持つノリ君が、プレッシャーを感じていないと言えばウソになるだろう。でも、ノリ君はノリ君の道を、ノリ君のペースで、着々と進んでいる。そして、姉夫婦は、そんな兄弟を決して比較せず、それぞれの長所、短所を冷静沈着に観察し、分析しながら、笑ったり泣いたりを繰り返し、子育てを続けている。 私の勝手な考えだが、あの一年は、ノリ君の兄貴コンプレックスに耐える力を身に付ける為の一年だったのかもしれない。 大きな犠牲を払っても、さらに大事なものを手に入れると言う選択もあることを知っておきたい。
2006年08月13日
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難しい問題。中国人の張さんは、中国人の立場で、台湾人の金さんは台湾人の立場で、戦争を見つめ、理解している。結局、とても大事なことは、戦争や喧嘩が起こる時、対立する二つの以上の立場があり、それぞれに正義があり、同じ事柄を検証する時、決して同じ検証結果なんて、得られるはずはないということ。喧嘩両成敗丁度、映画「妖怪大戦争」をがテレビ放映されたのを観て、思った。 立場が違えば、同じ事象でも捉え方が違うと言うこと、本当に心しなければ成らないと思う。そして、理解し、尊重するべきは、自らの思いではなく、自分以外のそれに関わる人の思い。お互いがそう思い合えば、利害が対立することなんてありえないはず。結果、喧嘩や戦争なんて起こらないはず。 ところが、先日の日記にも書いたが、追い詰められると保身に走ってしまうのが人間、いや、生きとし生けるもの全ての性だ。そうでないのは、ガンジーや、キリストや、マザーテレサ。けれど、この人たちも、仮に、自分の思想にけちを付けられたら、恐らく、黙っては居ないだろう。 理解し合うと言うのは、相手の言う事が納得し辛い場合でも、「それもそうよな。」と頷くことができることをさすのだろう。そうすることで、自らが大いに損害を被る場合は、そんなこと言えない、いえない。それが本音だ。 一体、どうすれば、全ての人が理解し合い、慈しみ合って暮らしていけるようになるのだろうか・・・・・・。
2006年08月12日
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今日でお盆前の仕事が終わり。父さんはせっせと片付けを始める。 仕事中私を呼ぶ時は、いつも決まって遠くから大きな声で「を~いっ!を~~~いっっ!」と、呼びつけるのに、今日は事務所に居るとわざわざ事務所に入ってきて「おい、ちょっと来てみぃや。」と優しい口調。備後のお方でなければ「きてみぃや」の何処が優しいのかと思われるでしょうが、備後弁で、うちの父さんの場合「きてみぃや」は、気持ち悪いくらい優しい口ぶり。 「ん?これは何かあるな!!」と読んだ私。丁度、跳び箱の小物入れのマットを作っていて、ゴムのりを付けたところだったので、「ちょっと待って。」と答えた。 いつもなら「ちょっと待って。」なんて言おうものなら、ブリブリ怒る父さんが、今日は黙ってぢっと待っている。 糊付けを終えて父さんの後に続く。社屋の外にある自転車置き場。国道沿いの水路と建物の間がノリ面で草が生えている。そこからすぐのところ。「おい。日本にも、あぁなんが居るんじゃの!?」 指差した先には、体長15センチほどのナナフシ。父さんには異様な生き物に見えたらしい。いや、実際、ちょっと見にはカマキリまがいだが、彼のような鎌は持っておらず、手足が異常に長い。羽根もない。 まぁ、異常と思うのは人間の勝手で、ナナフシにしてみれば生まれたときからずっとそうなので、珍しがられるのは、きっと心外だろう。 性格は温厚で(かどうか?だが、少なくともカマキリの様に攻撃的ではない)、細長い体をそっとつまんでも、軽くて足をじたばたする程度。その体を持ち上げてすぐ近くの木の枝にくっつけたが、うまく取り付けなかった彼はポロリと地面に落ちてしまった。 珍しいから写真を撮っておこうと携帯をとりに事務所へ走り、現場へ戻ってとったのがこの写真。何処にナナフシがいるかお解りでしょうか?解かった人は教えて下さい。撮った私は解かりません。お後がよろしいようで。 そういえば、京都でミズオオトカゲとか言う爬虫類が、下水管に紛れ込んでちょろちょろして、ご近所を騒がせたようだ。公務員20人体制で五時間の大捕り物劇。全くふざけたヤツがいるもんだ。 最近、ペットとして飼育している動物や昆虫が、自力で逃げ出すのか飼い主が逃がすのか、巷をうろついて民間人に驚かす事件が多発している。今回のトカゲも、しばらく管理して、引き取り手がなければ云々と言っていた。 引き取り手を待つ必要はないですよね。逃げました、捕まえて下さいと言う申し出が出てないのだから。もし、引き取るのなら、大捕り物に掛かった実費を支払って引き取って下さい!ですね。違いますか? 今後、巷で公が捕獲したそこに居るはずのない生き物は、強制的に引取りを希望する動物園に送る法律を作るべきです。また、販売するペットショップは、誰に何を売ったか。死んだらその遺体を返還させ業者が処分する。誰かに譲ったのなら、譲り先を届けてそこに居ることを確認する。そのくらい責任を課さなければ、生態系は崩れてしまいますよ。お金儲け優先の人が多いのだから。地球環境云々なんてどうでも良い。自分が儲かることしか考えてない。そう言う人、居るんだから。 と言うことで、今日は、生き物ネタでした。
2006年08月11日
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1年生のときのクラスの集まりに行った娘を午後10時、迎えに行った。帰ってからも、一生懸命に携帯で遊んでいる。そのうち、携帯が電池切れ。充電器を探したが、義母が携帯ばかりする孫娘のことを案じて、片付けてしまっていた。 出してもらえないとなると、荒れる荒れる。暴力こそ振るわないが、ここに書くのも恥ずかしいような、うらぶれた言葉で自分の祖母を罵倒する。 誰が教育したのかと、何だか情けなくなってしまう。あぁ・・・・・、落胆。****PS***** 甥っ子の和晃は、白羽の矢が立ち、愛媛県大洲での学力強化合宿なるものへ9日から出掛け12日に帰ってくるらしい。姪っ子の麻奈美は、地道に家庭学習を続け、先日、英検準二級に合格したと言う。で、我が家は?と思ってみると、耕平が河佐峡で、高飛込みが出来る様になったこと位かな。まぁ、それはそれでいっか・・・・・。何事も、人それぞれ。ベストを尽くしてさえいれば、いつか陽の当たる日も来るさ。
2006年08月10日
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町内には三郎の滝という名所がある。天然の滑り滝として、毎年、滝開きとイベントの日には、年に数回、全国版のニュースも含め、取材を受ける場所だ。 愛息耕平は、去年までは、夏休みと言えば三郎の滝専門だった。きつい坂を根性でチャリのペダルを踏み続け、やっと辿り着くその場所で、ジーパンの丈を短く切った専用の滑降パンツのお尻に穴が空くほど滑りつくした去年の夏。 中学生になり、ちょっぴり大人になった今年の夏は、サッカー部仲間の自宅から程近い「河佐峡」が、彼のお気に入りの場所だ。 自宅から自転車で約30分。炎天下を飛ばしていくのは大変なはずだが、志しのあるとこではなんのその。お勉強のほうも、そのくらい志があってくれれば良いのに・・・・?! 河佐峡は、ウオータースライダーもあるが、彼らのお気に入りは、河佐峡と並んで走る道路のガードレールをくぐり、約5mのダイビングを楽しめる場所。直下はかなりの深みになっており、くれぐれも事故のないようにしなさいよと送り出すが、大人になるワンステップ的な感覚で見つめる私たち夫婦は、絶対禁止令を出す気になれない。今日も夫と声を揃え、「○玉?!打って死ぬなよ!」などと軽口を叩いて送り出した。
2006年08月09日
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野球解説者の張本さんが、広島原爆の被爆者であることを、テレビで語られた。 61年経って、重い口を開かれたのは、世界がそれを忘却の彼方へ追いやってしまうことを懸念しての敢えてのカミングアウトだ。 今でこそ、被爆者であること、被爆二世である事を口にする事が、世間からの差別を受けることとイコールではなくなったが、ここに至るまでには、本当に悲しく辛い物語が、数え切れないほど繰り返された。第三者として語れば、「数え切れないほどの」と一括りに出来るが、それぞれの当事者にとっては、一生の問題であり、結婚、就職、妊娠など、社会に生きる上でどうしても避けて通れない要所要所で、被爆者と言う事実が暗い影を落とし続けてきたのだ。 広島県内に生まれ育ったお蔭で、私は小さな頃から原爆について様々な情報を受け取ることが出来たし、小学校時代には何度と無く「はだしのゲン」の漫画を読んでは涙に暮れていた。 その中には原爆の恐ろしさと、もう一つ、見過ごすことの出来ない大きな題材が描かれていると思っていた。それは、人間の残酷さだ。 人は自分に余裕が有る時には他人にも優しくできる。けれど、余裕がなくなり、追い詰められると、人への思いやりなど、きれいごととなってしまう。言ってみれば、人の本性は、とことん追い詰められた時にこそ表れるのだ。 原爆投下直後、ゲンの周りの多くの人は、被爆者を化け物扱いにし、冷たくあしらい、その人に一日も早い死が訪れることをあからさまに望んだ。ゲンはそんな人たちと対立しながら、被爆者をいたわり、自らの放射能に病んでいく身を粉にして命を全うしていく。 出来ようはずもないが、子供心にそんなゲンのように自分も生きたいと思ったものだった。 仏教に「慈悲」と言う言葉がある。どんなに追い詰められても慈悲の心を忘れることなく、我が身を守ることに終始することなく、預かったこの命を全うできればと思う。
2006年08月08日
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夕べ10時キックオフだったか、U-21の中国との試合。終了したのは6分ほどのロスタイムを加え午前零時前だった。 今朝起きて朝食を摂りながら新聞を読んでびっくり!!なんとその試合結果がでかでかと掲載してあるではないか!! 新聞のできるシステムと言うか、どうなっているのか知らないが、兎に角びっくり。感服と言う他無い。 ところで、先日、娘の高校の地区懇談会なるものが行われた。去年は10名あるかないか程の少数の参加で、押さえてあった会場はただっ広く、冷房を充分に利かせるのが遠慮だったので、今年、部屋を予約した私は、10条の和室を押さえた。 ところが蓋を開けてみると参加者は24名。さらに学校から5名。息をするのも遠慮な程の人口密度だった。 同じ地区のあるお父さんは、とても教育熱心でいらっしゃる。う~~ん、教育熱心と言っても、スパルタ教育とか、勉強勉強と言い続けるタイプではなく、自らの経験に基づいた凛とした教育姿勢を貫いていらっしゃると言ったタイプ。そのお父さんが、まず学校へ投げかけられた質問がこうだ。「うちの愚息があまりに部屋を片付けない。クラブクラブとクラブにかこつけて山盛りになったゴミ箱の隣にもう一つゴミの山を積み上げる始末。新しいパソコンと言うにんじんをぶら下げてやっても、大して片付ける恰好もしない。仕舞いには「部屋の片付けも出来ないのなら、クラブなんてやめてしまえ!!!」と言ったら、やっと渋々片付けましたよ。先生、こういう現実を、学校はどうお考えになっていらっしゃるのですか?」 質問??いや、おっしゃっていることはわかる。現実にありそうな話だ。うちの娘の部屋もゴミ箱の隣にゴミの山までは出来てないが、きちんと片付いていると言う状態ではない。そう言う状態だから、大声を出して、クラブをやめろとまでは言及しないが、もしそうなったら、きっとそうするだろう。で、学校に一体何を求められるのか?部屋をちゃんと片付けないものは、クラブから追放するぞと、宣告してくれと言うのか? もう一つ、そのお父さんのお話の中で、ココロに引っ掛かる内容があった。そのご家庭には、高校から上の学校に進まれた娘さんがいらっしゃるようで、彼女は、高校時代、父親の職場でアルバイトをして将来の展望の礎を築かれたらしい。 彼女は生産ラインでパートのオバちゃんや、偏差値の低い高校出の従業員と一緒に製造に携わった。大した教育を受けておらず、特殊な技能持って居なくても、一度か二度説明を受ければ出来る簡単な作業を繰り返す毎日。私はそんな仕事には就きたくない、と彼女は痛感したのだと、そのお父さんは公言(高言?)された。 でも、一言言わせて貰えば、職業に貴賎は付けられない、いや、付けてはならない。それが、まさに学校現場で、社会全体で、浸透されるべき思想ではないだろうか。志を持ち、それに向けて努力し、意思を全うすることは尊い事だ。けれど、それとは異なったものを、否定し軽んじ蔑ろにするのとは、全く違っている。 それは、例えば、道端で精一杯茂る雑草を、くだらないもの、つまらないものと踏みつけて歩くようなものだ。けれど、雑草は踏みつけてはならないと教育しても、何の意味もない。数学や英語や国語を学ぶのより、うんと難しいことだろう。
2006年08月08日
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夕べ、某国営放送だったか、肉体を鍛え美を追求する男たちの果て無き挑戦について報道されていた。 いわゆるマッチョな男たちの話。ボディビルダーってワケではない。ひたすら、事務とかに通って、肉体を鍛え、マッチョを極めていく。 某国営テレビのプロジェクト何とかのあと番組の司会をしている何とかと言う男の人が言っていた。「例えば、きこりとかで仕事の上で自然と鍛えられた肉体の美しさってのは良いですが、僕はこういったタイプの方は、ちょっと・・・・・。」その意見に一票 例えば、スポーツ選手の肉体の美しさと言うのは、そのスポーツへの気持ちの表れで、きこりとかのそれは、仕事への気持ちの表れ。そう考えると、無意味にモムチャンを目指して形成された肉体の美しさって、どうよ???と思う。単なるナルシズム?! 鍛えようと言う志しの上に立って、そこまで成就したことは認めよう。でも、それ以上が無い。スポーツ万能説を唱えるわけじゃないが、一人の世界でひたすら第三者からの賞賛を糧に続ける筋トレってどうよ?! 昨日、取り上げられていた彼は、中学校まで引っ込み思案で目立たない存在だった自分に、モムチャンを目指すことでピリオドを打てたと言っていた。それはとても大事な事だと思うし、彼は、本当によくやったと思う。ただ、私が言いたいのは、肉体を鍛えるのは何か目的を達成する手段であるべきで、それ自体が最終目的であるということは、ちょっと不自然に思われると言う事だ。
2006年08月07日
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朝、事務所に居ると、義母がやって来た。この時間にここへやって来るのは、大抵、バスに乗り遅れ、町まで積んで出てくれないかと言う用件。けれど、たった今、父さんが町へ配達に出掛けたばかり。「え゛(意外な来訪者への軽い驚きの気持ちを込めて)!?お義母さん、どうしたんですか?丁度今、父さんで掛けたところですよ。」「この散らかった事務所を片付けに来ただけよ。」カッチ~~~~ン!! 散らかっていて汚いのは事実だが、あからさまにそのように言われると、やけにプライドを傷つけられる。尤も、プライドがないから、散らかり放題にするのだけど、そこが人間の得手勝手なところ。「そうですか。それはありがとうございます。」 その声は幾分苛立ちを含み、どこか投げつけるような言い方だった。 扇風機のスイッチを押しながら、義母は大きな声で言った。「まぁ!扇風機が回らんの?あぁ、なんて貧乏なことだろうね。」 ・・・壁に取り付け式の扇風機があるのだが、木工所の悲しい定めとは言え、モーター部分に埃が詰まり、去年から一度も回っていないのだ。それに、言い訳じみているが、事務所で扇風機を回すと、机の上の書類が飛んで処置に終えないという事実もある。 私はせっせと片付けをする義母を視界から追放するために、まずやらなくてはならなかった事務所での仕事を放り出し現場へ入った。独り言とは言え、義母の小言を聞き続けるのは、ストレスの原因になるし、うっかり言い返しでもした日には、お家騒動になり兼ねない。同じ場所に居合わせない事が、一番の得策であることを、結婚生活二十年の中で会得している。 いつもこうなってしまう最大の原因は私の不精だと言うことはよく解かっている。ただ、私は私なりのやり方で取り組んでいる部分に、時としてづかづかと入り込んできて、自分のやり方を無理強いする義母を鬱陶しく思ってしまう。決して悪意でないことは判っているし、義母の言っている事が正論であることも理解できる。けれど、素直に受け入れることの出来ない、不出来な私が存在する。そして、そんな私が娘や息子が私の言うことをきかないと嘆くのだ。これを、輪廻と言わずして一体なんと呼ぶのかっっ!!?? 嫁姑と言うものは昔から色々と言われるが、うちの姑さんは、口が悪くて気難しい人だが(言っちゃったよ!)、働き者で若い者のために身を粉にして良くやってくれる人だと思う。だから、感謝こそしても、邪魔にしたり馬鹿にしたり毛嫌いするべき人ではない。そんなことでもしたら、絶対に罰が当たるし、ろくな人生は送れないだろう。 それに、最近は義母を見て「年をとったな・・・・」と感じる事が多くなった。性格だから仕方ないのに、義母のきつい言葉に対して冷たい態度を返したり、「余計なことを!」じみた言動を取ったりしては、心の中で「ゴメン!」と思う。 娘が、仲良しの友達から「非常時召集」を受けてアルバイトの手伝いに行った。本当は校則違反。だけど、仕事内容が料理の配膳、撤収と言う健全な内容、しかも数時間限定と言うことで、今日のところは容認した。 夜、寛いでいると娘がポロリと話始めた。「今日ね、バイトで(って妙に口慣れた口調だね!)、私、号泣しちゃったのよ。」 聞くと、上司(先輩バイト生)から指示されて、テーブルの食器の撤収に向かったは良いが、合い席のため、隣でまだ食事中だった客から、結構きつく叱られたというのだ。なるほど・・・・・。 私は「こちら、お下げしてもよろしいですか?」って一言言えば違ってかもね、と言った。商売はお客様とのコミュニケーションが、第一。まだ食べているすぐ隣で、ものも言わず片付けをするウェートレスに、そのお客様は無愛想でぶしつけな感じを受けられたのだろう。 仮にその客が母なら、そんな事は言わない。母は特に人当たりがよく、穏やかな性格だからだ。仮に母でなくても、「身内」であれば、娘はお叱りは受けずに済んだだろう。けれど、商売の対象が、身内である可能性は極めて低い。甘えは決して許されない。 初めてのアルバイトの日は娘にとって、とても貴重な一日になった。働くとはどういうことか!? 社会に出たら、もっともっと辛い事があるはず。今は、その日に備えて、知識を身に付ける時期。残された夏休みをさらに有意義に過ごして欲しい。
2006年08月07日
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今年還暦を迎えられる方でさえ、原子爆弾投下の現実を目にされたことのない時代がやってきたと言うことを、どう思えばよいのか判らない。 誰から聞く話も、兎に角戦争は悲惨で、悲しく、実りはなく、空虚をもたらすだけと言うのに、今、まだこの世界のあちこちで、戦争が繰り返されている現実。 私がお風呂上りにエアコンでしっかりと冷えた部屋で、、流れる汗を乾かしながら、ふうふう言言って、老後の硬直した体を警戒しつつ、柔軟体操をしている間にも、地球上のどこかでは、爆弾が投下され、自分が死んだと言う事を理解できないまま、天へと召されていく命が後を絶たない現実。 それはとても大事なことなのかもしれないけれど、一つの国の中でさえ、譲れない、その大切なことのために、敵対する命を奪う事が、正統とされる世界であっていいのだろうか。 一体、その戦いを 誰が仕向けるのか。 けれど、それが解かったとしても、その誰かを、抹殺すればそれで全ては済むのだろうか。 とことん追い詰められた時の自分が、本当の自分。その時、凛とした自分を失わないよう、ココロを磨き、人間を磨きながら、命を全うしたいと思う。
2006年08月06日
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大阪の方で、41歳の男性が、親のマンションの一室をアジトにして、若い女性を連れ込んでは、命に関わるような監禁を繰り返して来た事件が報道された。 同じアパートに住む人たちは、よほどの理由があったのだろう。大家の息子がおかしなことをやっているとは、恐らくわかっていただろうが、今まで通報と言うことをした事が無いような口ぶりだった。 この前の秋田の小学児童2名殺人事件も、橋の上に立っている人影、しかもそれが誰だか判っていたような口ぶりなのに、警察へ通報されていなかったようだった。よほどの理由があったのだろう。 事件の早期解決に繋がる目撃情報は、とても有益である代わりに、もし、それが間違であった場合、対象者へ与えるダメージが大きいので、通報する方も神経質になり、控えてしまう場合が多い。 同じような事件が繰り返されることを未然に防ぐため、自分がを非難の対象となってしまうことを避けて通るか、そうなることを承知の上で、敢えて、勇気を振り絞るか。選択肢は二つに一つ。勿論、目撃情報は匿名でと言うことも可能かも知れないが。 あなたなら、どちらを選ぶ?
2006年08月05日
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去る2日、亀田の日。試合結果はこうき君の判定勝ちだったけど、これが多くの人の反感を買うこととなった。それは決してこうき君本人の責任ではなく、そう言う判定を下した審判の責任だが、戦った本人が、どうしても叩かれる結果になる。 明らかにこうき君優勢の試合であったなら、こんなにも世論は盛り上がらなかったはずだ。さらに、納得の行かないこうき君の勝利により、ランダエタ選手は逆に敗者であるにも拘らず、賞賛される結果となった。仮に「俺が勝ってるじゃないか!」と審判に訴えていれ場ば、こうはなっていなかったが、彼は、凛として審判の判定を受け入れ、毅然とその場を立ち去った。しかも、対戦相手のこうき君への賞賛も忘れずにだ。これぞ、スポーツマンの真髄と言わずになんと言おう。あのあどけない笑顔の下の、本当にオトナなココロ。男の中の男とは、彼のような人のことを言うのだろう。☆ランダエタ選手 バンザイ☆ 共栄ジムはこうき君の手にしたライトフライ級のチャンピオンベルトを返還する事を考えているという。世論がここまで言わなければ、それはなかったのか、或いは、世論がどうであろうと、ボクシングのプロとして、ベルトにふさわしくない試合で手にしたベルトは、返還するのか?いずれにしても、今後を見守りたい。 もし、返還と言うことになっても、こうき君には今後もプロボクサーとして、凛として戦って欲しいし、間違っても、ただの用心棒のような生涯を過ごすことのないよう、頑張って欲しい。今回の誤審は、こうき君のせいではなく、審判によるものなのだから。
2006年08月04日
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おいたちの小箱という商品を作って販売している。子供の乳歯・臍の緒・母子手帳を3点まとめて収納するための桐箱。発売から6年を経た時点で、お蔭さまで全国(イギリスとアメリカにも幾つかは渡ったのですが)の4千人の子供たちのもとへお嫁入りをして行った。 東急ハンズを始めとする大小の代理店を通じて間接的にご注文を頂いたり、或いは、御祝などでおいたちの小箱を頂いたとおっしゃるお客様から、直接、お電話やファックスで、また、ネットの直営ショップなどからメールで、それぞれにご注文を頂くのだが、蓋に墨書するお子様のお名前と誕生日については、くれぐれも間違いがあってはならないので、墨書の指示を書き記した書面をファックスかメールと言う形で頂くようにしている。時にはそのようにばかりも行かないので、その場合はよくよく注意しながら、お電話を通して、文字の情報を耳から受け取る。 墨書する内容以外、例えばお客様のお名前だとか、ご住所と言ったものは、気が緩む時があってちょくちょく笑い話がうまれる。 あるお客様からご注文のお電話を頂き、お客様のお名前をお伺いすると「すえこです。」とおっしゃる。はぁはぁ、一旦は末子さんかな、と思って、どんな字でしょうか?と尋ねると、「まつです。」と言う答え。私の頭に浮かんだのは「待つ」だった。「へぇ~~待子と書いてすえこと読むんだ。」 確かお客様にも「へぇ~、こう書いてそう読むんですか。初めて知りました。」と言ったと思う。お客様からのリアクションは特になかった。私の言う「こう」がお客様には判らないのだ。妙に納得して控帳に書き込んだ。それ以降、私は事あるごとに、「待子と書いてすえこって読むんだって。」と得意気に話してきたが、ここに来てふとある思いが脳裏をよぎる。末子!!?? そうだ。「まつ」と言えば末だ。月末の「まつ」だ。あの時、私の驚きと深い納得にお客様はきっとリアクションを失っていらっしゃったのだ。って言うか、私が「待つ」を想像した事が想像できなかったのだ。あまりに納得しているから「違う」の一言が言えなかったのだ。って言うか、論外だ。そうだ、まつだ。まつだ。末だ。待と書いて「すえ」なんて読むワケない。 おいたちの小箱の仕事をしていると、色々な漢字の色々な読み方と出会うので、一般の人より許容範囲が広くなっている私は、常識の範囲外のことを、思いついただけだったのだ。 この次お便りを起こすときには、ちゃんと「末子様」と書いて発送しよう。
2006年08月03日
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あぁ、こんな学校があると知ってたら、私は晃子を単身、この高校へ送り込んだのに!知らぬが花と言う例えはどうなのか?こんなニュースが飛び込んできた。 あの吉原選手の出身校が定員割れ。そんなの知ってたら、一も二もなく、かの地北海道へおねぇを送り出していただろう。ひたすら、残念っ!!!
2006年08月02日
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たった今、入ったニュースです。 広島県府中市にある中須グラウンドで行われている、中学生サッカー大会(大会名不詳)で、9時キックオフの第一試合 府中第三中学校が5-0で油木中学校を破り2回戦へ進出を決めました。 府中三中サッカー部は3年生1人、2年生10人、1年生4人の総勢15人。そのうち、いつも途中出場するバックの1年N君が、7月初旬の練習試合で、利き足の右足中指を骨折。また、FWのK君は、友達を鬼ごっこをしていて左足小指を骨折。受けなくても良い診察を受け、母親や祖母から、ものすごく「サッカーするな!」と言われながら、「馬鹿言え~。いちゃぁよったらレギュラーにはいらりゃぁすまぁが~。わしらぁ、大きい骨折っとっても、黙って練習しょったど。」と言う父親の声に励まされ、担当医の指示に敢えて背き出場。見事3点のハットトリックを成し遂げたのでした。 次は府中第一中学校。こちらは市内実力ナンバーワンの学校。まず一点を目標に、がっちりスクラムを組んで頑張って欲しいものです。 以上、極めて私情に満ちたレポートでした。
2006年08月02日
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「ねぶた祭りをカラスが荒らす!?」 何の事だか??記事を読んでやっと解かった。ねぶた祭り見物をするのに、何故、黒い服を着なくてはならないのか?そして、他の客への暴行や恐喝に及ばなくてはならないのか。 こんな行いは、社会が一致団結して、排除しなくてはならない。それが世論と言うものだ。 得てして、若者はこう言った行動をとりたがる。それは自分を現実以上に強く、大きく見せるためのパフォーマンスだ。だけど、そうやって自分を大きく見せて、一体何になるのだろう。と私がこう考えることこそ価値観の違いと言うものだろう。 人はその価値観と言うものがずれている事を感じ、離婚に至る場合がある。しかし、こんなカラスが云々と言うような価値観などは、全く、常識の範囲外で、趣味だとか、一定以内の金銭感覚のずれなどでは、できれば離婚しない方が好いと思う。 若者は群れを成すことを好む。とは言っても昔ほどではなくなったようだ。なぜなら最近の若者はコミュニケーションが苦手で、群れを作る術を知らないものが増えているからだ。なのに、何故、こういう「悪いこと」を企てる時に限って、妙にコミュニケーションがうまく群れを形成できてしまうのか。極めて不可解な事だ。 私はいつも現実はたった一つで、それより上でもなく下でもないと言う。地道な努力が自分のレベルを上げるが、それは一日限りとか、一瞬と言うものではない。じわじわと効いてくるものだ。出来れば、若者たちには、大事なことを見失うことなく、羽目を外してしまわぬように、一日一日を大切に過ごして貰いたい。
2006年08月02日
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埼玉県ふじみの市の市営プールで、起きてはならない事故が起きてしまった。プールでの事故の中で、吸水口に吸い込まれる事故は、最も危険で、起こり易い事故の一つだ。しかも、ここは流水プール。流れを起こすために、通常のプールの何倍もの力をかけて、プールの水を吸い込んでは吐き出し口へ送っている。その吸水口のフタが取れていたというのだから、起こるべくして起こった事故としか良いようが無い。 その吸水口のすぐ近くには監視委員がいたという。その監視員は、ふたが取れて折るという状況がそれだけ危険なことなのか、解かっていたのだろうか。 私たち明郷スイミングクラブでは、今、高二の娘が小学2年生の頃まで、瀬戸内の穏やかな海水浴場に、「海水訓練」と銘打って、敢えて海水浴客の少ない平日、付き添いの保護者はわざわざ休暇を取って、貸し切りバスを仕立てて出掛けたものだった。穏やかな瀬戸内とは言え、そして、プールの水に比べ海水は体を水面へと押し上げてくれるとは言え、潮の流れの向こうを張って、沖に浮かんだ浮島を回って岸まで帰るのは、かなりしんどいメニューだった。 流水プールの吸水口へ吸い込まれる流れに逆らうのは、時間的に長くはないかもしれないが恐らくそれどころではない力が必要なはずだ。小学2年生の女の子にとっては、無理な抵抗だっただろう。 相次ぐ水の事故のニュースを聴くにつけ、水の力に対する甘い認識を感じずには居られない。ついこの前の集中豪雨の被害も、同じ「水」の仕業だったことを、今一度思い出さなくてはならない。
2006年08月01日
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