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高1の息子がぴりぴりしてどうにもならないと嘆くのは、ご近所のHちゃん。彼女、あけっぴそげで、私にとっては、すごく気の置けない子育て仲間。向こうの次男とうちの長男(下の子)が同級生であることもあって、家の周りで立ち話と言うシーンは珍しくない。 彼女家の長男。秀才である。今年、隣町の某進学校へ入学。週二日の進学塾も頑張ってこなすナイスガイ。ただ、家の中ではひどくピリピリして、彼女曰く、家族全員が息もつけない状態だとか。駅までの送迎の車の中での気まずさと言ったらない、と話す。 すれ違う子育て仲間の車で、何学年か上の息子と、目一杯の笑顔で笑う親子を見るにつけ、彼女の心は暗く沈んでしまうのだった。 けれど、彼女のそんな話を聞くのは、まるで、漫談を聴いているようで、私にとってはこの上もない楽しみだ。決して人の不幸を笑うと言うのではなく、心のわだかまりを笑いで吹き飛ばす勢いで、やり過ごすことも大切だと思う。 子育てにお悩みの皆さん。それを笑いのネタにしましょう。大らかに笑い飛ばしてこそ、子供もまっすぐに育つと言うものです。決して、いい加減にあしらうと言うことではなく、少しだけ、角度を変えて、重たさを取り除くと言うことです。思い詰めるとろくなことはありません。大らかに、大らかに!
2007年06月30日
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あっという間に1年が過ぎた。あと二日で2006会計年度が終わる。帳面は停滞中。この意味で私はうつ状態。他は至って健康なのにね。 帳面をパソコンでやり始めて躓いたような気がする。丁度その頃から小さな得意先が増え、とにかくページ数ばかりが増えて、月計が一枚に入り切らないほどの件数になった。一行を狭く設定して入れようとするも、売上のない月があったりすると、新規をそこに入れて凌ぐので、次に売上があった時には、ワケがわからなくなってくると言う顛末。ほとほと経理には向いていない。 工場長が現場復帰した。6ヶ月のブランクを感じさせてはならじと頑張ってくれる。病み上がりなのに頑張りすぎかもしれない。9~16時の6時間契約でのパートなのに、今日も18時まで。さらに、仕事の内容が判っているだけに、こちらの指示を待たずして動いてくれる。動いてくれるのはいいのだが、こちらの思いと行き違うことも度々。けれど、こちらとしては、工場長の動きを監視しているわけではないので、一つの仕事が終わったタイミングで「ハイ、次これね。」と差し出せない。気が付いた時には、こちらが思ってもいない仕事に既に取り掛かっていて、ならば、それを済ませてこっち、みたいな、理にかなわない成り行きとなる。今日、18時まで掛かった仕事も、こちらが頼んだ仕事ではなく、こちらが朝、頼んだ仕事は、全く放置状態のまま。私はこれからそれを進めますがね。なんとなく納得のいかない状況。 8月の終盤に、校区の中学2年生が、ショクバタイケンにやってくる。その打ち合わせと言う意味で、耕平の担任の先生が、今日は担任と言うのではなく、職場体験担当者として、来社された。結構情熱型の先生で、時々熱くなり過ぎて大声が出たり、手が出たりして、お叱りを受けられることもある様子。うんうん、うちは体罰容認主義だから、それをどうこう言いはしない。ただ、この前の学級懇談会の時、ふと感じたのが、体罰や大声を致し方ない方法として、申し訳なく使ってしまったというより、むしろ、やったった!みたいな、これは私が感じた印象にしか過ぎないのだけれど、そんな感じが否めなかったな。 大声や体罰は、感情に任せて使うと反感を買うだけで、教育の手法としては拙なものとなってしまうと思っている。理性的に使わなきゃ。女の涙だってそうだ?!策士と言われると困るけれど、物事を導く方法って大事。やっぱり、感情に任せちゃいけない。 話は変わるけれど、先生との話の中で、夫が職場体験に対する子供たちへの報酬があってもよいのでは、と発言した。ちょっとびっくり。うちの場合、超小規模木工所と言う特色を生かして、小回りを利かせ、うちにある設備や端材を使って体験に来た子の希望するものを各自一つ、作って持ち帰らせている。過去2年、4人に対して、本箱が二つ、小物入れが一つ。一人はフィットネス器具を提案したので、それは無理!とばっさり・・・・・。ちょっと申し訳なかったけどね。 あぁ、こうしている間にも時間は過ぎていく。帳面、、帳面、帳面、と連呼しても記帳は進まない。このページを閉じて、仕事、仕事!?
2007年06月28日
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すごく疑問に思うことがある。それは、学校の先生がお子さんを学習塾に通わせられること。学校の授業だけでは、ちゃんと勉強は出来ないということなのでしょうか。そして、その現実に甘んじていらっしゃるということなのでしょうか。 お叱りを受けるかもしれないけれど、あえて言います。理想と現実のギャップは多かれ少なかれどこにでもあります。ただ、そのギャップを埋めようとする姿勢がない限り、それはいつまでも温存され、さらにその落差は広がっていくでしょう。 教育に携わる親が、公教育の現実を知り、そこに問題があることを理解している人であるなら、我が子は敢えてその中で育て、改善を求めて行くべきではないかと思います。理想とかけ離れた現実に背を向け、経済力に基づいた学力を与え、学歴社会の荒波を乗り越えさせようとするのであれば、それは、一人の教育者として以前に、一人の人間として、如何なものだろうかと思います。そう言う姿勢を「うちさえ良ければ」と言わずしてどういうのでしょうか。 山口県光市の母子殺人事件の犯人の元少年が、最高裁からの差し戻し裁判に至って、「殺すつもりはなかった。母に甘えたかった。頭をなでてもらいたかった。後ろから抱きついたら抵抗されたので、抑え込んでいたら動かなくなって、気が付いたら喉を押さえていた。」と陳述した。 冗談じゃない!! 私は頼まれたって弁護士にはなりたくないね、と言ったら、娘が「なろうと思っても無理ですね。」と返した。それはまぁどっちでもいいけれど、スッペラコッペラと理屈をこねて、償うべき罪にそっぽを向かせる。犯した罪の現実云々に関わらず、どれだけ罪を軽くするかが、その人の価値を決める職業なのであれば・・・・。 もし私がこの犯人であれば、仮に、今回、彼が陳述したことが真実であり、正当防衛で、過失であっても、力関係で優位に立つ私が二つの命を奪ったことに変わりはない。だから、自らの命を持って償う他ないと思うし、それが人間として当然のことだと思う。幾ら弁護士先生から、償いを軽減するための支持を頂いても、きっとそれには従わないだろう。そう言う意味で、池田小学校の犯人は、決して褒めるわけではないが、潔かったのかも知れない。 とりとめもない内容になってしまったけれど、今、生きるってことをまじめに考えなきゃと思う。日本の社会は恵まれ過ぎているんだ。だからみんな平和ボケなんだ。勿論この私も例に漏れず、朝寝坊しては、お弁当作りやユズのお散歩を理由に毎日遅刻。昨日、父さんが怒ったら、「父さんだってユズの散歩位してくれればいいのに。」なんて、逆キレだもの。ろくなもんじゃない。
2007年06月27日
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娘が進路決定の時期に至った。勿論、一生の最終的決定ではないけれど、ここで、どう決めるかが今後の人生に大きな影響を及ぼしてくる可能性は高い。 親としては、少しでも高い教育を受けさせて、彼女が過ごさねばならぬ苦労を少しでも軽減してあげようとすることが、親心と言うものなのだろうが、いかんせん、ない袖は振れない。まして、娘はお勉強が好きで好きでたまらないと言うほどでもない。そこで、腕に職をつけようという方向で話し合っては見るのだが、最終決定の段階に差し掛かると、本人がちょっとマテを掛ける。どうやら、決めてしまうことに抵抗があるようだ。さらに、担任の先生も、菓子作りは趣味の範囲内でのことじゃないのか?と腰が引けている。尤も、進学校なのだから先生の仰ることも頷ける。ただ、たいまいをはたいて教育を受けさせるだけの経済的余裕はない。もし、大学へ進学するのなら、全て本人持ちで頑張ってくれなくては無理。 頭がいたい。あぁ・・・・。
2007年06月26日
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時の人?!ミートホープの社長 田中 稔氏。今、世間を騒がせている一連の混入騒動の原因を「安いものばかり欲する消費者にも責任の一端はある。」と仰天発言。をいをい!その道のプロであるところの業者ならば、そうじゃなく、正当な価格で販売して、理解してもらえなければ、もらえるように説明をすることが務めじゃないかな。嘘でもまやかしでも、その道のプロが提示する価格が妥当な価格になってしまうわけで、逆に、ミートホープの出した価格で大いに迷惑をこうむった多くの同業者があるだろうと推測する。 我が家では、お肉についての事件?!はしばしば起きている。消費期限がとっくに過ぎているものを、例えばカレーとかで何とか消費しようとする。でも、それと業者が消費期限切れの肉を使うのとは、大いに違うでしょう。それにつけても、我が社が食品業者でなかったことを幸いに思う。逆に、消費期限切れがない素材だけに、どれだけ素材を有効に使うかが、大いなる課題だと思う。例えば、切って落とした端材一つでも、使いようによっては役に立つものに仕上げることが出来る。もし、それをしなければ、工業廃棄物を増やすだけの会社になってしまう。 端材を役立てるためにはアイデアが必要だ。アイデアを出すためには時間が必要で、時間と言う資源は「もの」ではないけれど、物でない資源を投入することが、「もの」である資源を切り詰めたり、有効利用したりする結果をもたらしてくれる。 エネルギー資源はどうだろう。 私たちは当たり前のように例えばガソリンと言う資源を費やしているが、かつては、ガソリンではなく、人間や動物そのものが大いなるエネルギー源だった。人間や動物が動くためにはモノを食べなくてはならない。それが農業の振興の源にもなる。ガソリンと言う資源は、限りがあるが、人間や動物は枯渇することはない。 現代、便利な家電製品で生活は楽になったけれど、それは人間や動物以外のエネルギー資源を使い、地球を削ることの上に成り立っていることを認識しなければならないと思う。一往復でよいものを忘れ物をして二往復するようなことは、絶対に避けなくてはならない。反省、反省・・・・・、といいつつ、これから、ご飯が足りなくて朝、持って来れなかったお弁当を取りに自宅へ帰る私。何?歩いて帰れ?ご無理ご尤もです。 ところで、夕べのK-1でHIROYA君と言う15歳の少年が出ていた。幼少から格闘技の頭角を現し、中学卒業と同時に単身、タイへ渡ってムエタイの修行を積んでいると言う。今の彼があるのは、その才覚のお陰でもあり、彼の前向きな姿勢を受け入れた親御さんのお陰でもある。18歳のオランダ人選手を倒し勝利した彼が、さらに研鑽を積み、世界を制覇する日が来るのを楽しみにしている。 もう一人、バンナを倒した澤屋敷選手。こちらも勝利をおさめた。彼の淡々とした姿勢が好き。中には強くても口から生まれてきたのかな?と思えるほど、口撃が厳しいアスリートが居るが、如何なものか。演出なのかな、とは思うが、そんな演出、私には無用の長物に思える。リングの上での熱い戦いだけが、ファンへのサービスだ。 その意味で、ボブ・サップは最低だった。アーツにちょこんと膝蹴りを入れられただけでダウン。さっさとリングを去っていった。ひょっとして、彼の頭の中には、時間一杯戦っても、瞬間で終わっても、ファイトマネーは一緒さ、なんて思いがあったのかな・・・と邪推してしまう。画面に向かって、思い切りブーイングしてしまった私は、まだまだ子供です。
2007年06月25日
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一本の学生ズボン。ひざに穴が開き、すそはひどくほつれていた。良くこれだけ傷めたものだと、私は耕平に問い質した。すると意外にも記憶にないという。正直者だと思っていたのに、しらを切るなんて、と思う。 けれど考えてみると、中二にして、ズボンのひざを破ったのを忘れるなんて、呆けるには早すぎる。きっと部活の後、他人のと履き間違えたのだろうと推理する。すると、ベルトもポケットに入れていた財布も家に帰っているというのが腑に落ちない。だったら、と考え直す。自分は自分のズボンを履いて、一緒にあった人のズボンをかばんに詰めて帰ったのだと。 耕平にズボンを持って帰られた子は、きっと、体操ズボンで帰宅したはずだ。可愛そうに、今日は絶対に返しなさいよと学校へ送り出す。 帰宅した耕平は、誰も無くなってないみたいだと言う。そのやり取りを訊いていた晃子が、「それ、私が借りたズボンだよ。」とあっさりと一言。先週の金、土、文化祭だった。その出し物に履いて出るために借りたのだという。 その成り行きに耕平は「ふふん」と言ったきり、反論も何もしない。義母は、「おねぇちゃんを怒りなさいよ。」と言う。私は、それはどうかな、と思う。逆にキレない息子を誇りに思う。何かと尖りがちな思春期の男子にして、これほど穏当な奴がいるだろうか。心の中にストレスを溜め込んでさえいなければ、余計な喧嘩腰は不要だ。 義母は、自分に不利なことが起きた時、反論する術を持たなければ、社会に出て、或いは、友達の間で好い様にされてしまうと心配するのだろう。 大丈夫!耕平は大丈夫。そんなことは、どうにでも乗り越える子だ。こう見えて骨太だ。ちょっと発言能力が心もとない部分はあるけど、どうしても伝えなきゃならないことは、どうにでもして伝える子だ。心配無用。大丈夫!!
2007年06月21日
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極めた人がどうしてこんなことするんだろう?凡人ならわかるけど、その道を極めた人だから、と考えてみる。 まず、その女子高生とは実は恋人同士で、彼女が分かれると言い出したところを無茶苦茶に押さえ込んで、その後お金を渡した、と考える。 次に、行為は同意の上のことだったが、お金を渡された女子高生が、「私、そんなんじゃないわ!」と怒って名乗り出た。 或いは、勿論同意の上で、商談も成立してのことだったが、忘れ物の財布を返さなくちゃ、と思った女子高生が、何気なく警察へ行ってしまった。 ひょっとして、菊池選手と競う誰かの策略だった。 どれが当たっているのでしょうか。でも、こんなニュースを聞くと、この前の極楽トンボの山本さんの時もそうだったけど、そうなるような要素を持ち合わせた子なんだろうな、とも考えてしまう。初めてあった人と、そう言うことになるような雰囲気を持った子なんだろうな、と言うことは、初心な子じゃなく、スレた子なんだろうな、と思う。 いわゆる強姦と言う目にあった場合も、報道如何によれば、こんな風に感じる人はあるわけで、それが、社会全般に強姦をのさばらしてしまう一因であることは良く理解できる。でも、それが誤解であるのなら、それを社会に理解してもらうための労力も必要となる。そこを乗り越える元気がなければ、なかなか、訴えて出られないと思う。 って、何を言おうとしているのか判らなくなってしまったけれど、報道される事件の多くは、その詳細は視聴者、読者には判らない。ただ、起きたことだけが一人歩きして、それ以上のことは想像でしかない。だから、とやかくは言えないなぁ・・・ってことかな。 朝鮮総連を買い上げようとして、元公安の長官の誰かさんが、取り沙汰されている。倒れた長銀に貯金を踏み倒された皆さんは本当に気の毒だけれど、そんな親方様を掲げている我が国家を、どうにかせねばと動いて頂くのも一案かもしれない。
2007年06月14日
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金曜日の夜は、ついつい、テレビタイムが長引いてしまう。明日がお休みと言う油断があるが、映画の時間の次はナイトスクープ。その次はオンエアバトルと言った具合。 今週の金曜日の映画は、ボーンコレクター・・・ってタイトルだったかどうだったか、物語の中で、次々に殺人事件が起こるんだけど、それが古い小説「ボーンコレクター」のストーリーに沿っていると言う場面から観たもので・・・・・。 結局、連続殺人犯は、有能な刑事だった主人公がかつて、ある事件の捜査の中で意見書を提出し、それがもとで(と本人は言うが殆ど逆恨み)数年間、投獄された一人の検査官だった。 逆恨みがもとで命を狙われるっていうケース。ありますよね。だから、人を裁く仕事とか、人の命を預かる仕事って、そう言う意味で大変。過ちとかでなくて、当たり前のことをして恨まれたりもするんだもの。結局は、そう言う仕事を選ぶかどうか、続けるかどうかは、使命感だけなんだと思う。自分がやらなきゃ、一体誰がやるんだ?これこそが自分の天職だ、と考えることができるかどうか。それがなければ、例えば、収入の良い方、安全な方に奔走してしまうはず。 って、それはいいんだけど、クライマックスで、犯人が、不随になってベッドに横たわり、ITを駆使して捜査の指示を出している主人公のもとへやって来たシーン。病室の入り口では、主人公に何かと難癖をつける憎まれ役の刑事と、ノックに呼ばれドアのところへやって来た主人公の世話人が、刺殺されていた。観るも無残な姿だ。 犯人は、体の自由が利かない主人公にじわじわと迫り、悪さをしようとリクライニング式のベッドの背を倒す。すると、倒れた背とベッドの本体の間に自分の手を挟んでしまう。一国の猶予もないと、犯人は、挟まれた手を無理やりに抜く。食い込んだ鉄が、犯人の手の肉を食いちぎる。言葉で表現するのはこんな感じだが、映像で見るとグロい。どうしようもなくグロい。11年前、刃物に噛み付かれて、左手の指を4本負傷した私には、その映像は余りに生々しく映る。それは勿論特殊メークで実物ではないと判っているが、一体、何のためにこうまでして、人間の肉がちぎれたり、ぼろぼろになっている様を見せるのだろうか。 最近、良く起こる猟奇的殺人事件が、こんな映像に触発された人によって起こされていることは日を見るより明らかだ。恐らく、この映画の伝えようとしているのは、刑事と言う仕事を天職として、全身不随になってまでもその任務を遂行しようとする主人公のひたむきな生き方であり、思いなのであろう。けれど、その余りにグロい映像が、その焦点をずらしてしまう。余りにあいまいであると、作品自体がちゃちなものになってしまうけれど、余りにそこに力が入いり過ぎているこの作品は、社会に及ぼす悪影響を危惧しなくてはならない。 表現の自由も思想の自由も保障されているこの社会だけれど、逆にそれだからこそ、自分の表現が、何かの要素を持ち合わせた人の心に、火をつけてしまうことを心配することが出来れば良いのではなかろうか。 アイドル女子プロレスラーの風香ちゃんが、痴漢を逮捕したんだって。天晴れ、天晴れ!弱いものいじめをする奴は、許しちゃなんねぇぞっ!!頭ごなしは良くないが、理由を聞いて諭してあげなくちゃね。
2007年06月10日
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男と女の フォト川柳ってのを、バイエル薬品が募集中。数日前の新聞の広告で発見!これはもう応募するっきゃないでしょ!だって、父さんと母さんは男と女だもの。実は、もう既に一句、投稿した。今、もう一句草案中。 ところで、新潟の県立高校で、トイレで女子生徒が出産したらしい。当日まで普通に登校し、妊娠に周りの人は誰一人気づかなかったらしい。マジ?と言いたい。本人は?ただ、隠していた?それとも本人さえ気づいていなかった?あの陣痛の痛みを、通常の自然の呼び声と間違えたの?それ、楽すぎぢゃん。私は、分娩室のベッドの鉄パイプを曲がるくらいぶっ叩いてたよ。涙さえ出なかった。 仙台では、20歳の女子大生が、二年前に空き家で出産し、その嬰児を発泡スチロールの箱に放り込んで放置していたらしい。親はどんな風にその子を育てたのだろう。新潟の女子高校生も同様。親は、今後の教訓のために、具体的にどんな家族関係があって、どんな心でわが子に接していたのか、公にするべきではないかしら。 なんだかね・・・。ホストクラブに通いつめ、払いが出来なくなった人が売春をさせられたとか。例えばオレオレ詐欺とかも同じだけど、それって、我に返れば途中でどうにでも止められるんじゃないの?と思うんだけど、違うかな。 さて、今夜はこれから帰って夕食を頂き、子供たちに声を掛けて、ちょっくら蛍を観に行ってみようかな。
2007年06月06日
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日々色々なニュースが飛び交うけれど、今、私の心を満たしているのは、高三の娘の学校の文化祭のこと。何しろ、青春時代最後の(っていうと語弊がある?)文化祭なので、素晴らしいものにして欲しいと切望している。ってか、実は、娘のクラスが取り組むのが「ビッグアート モザイク画」であるので、「ものづくり」に携わる一人として、つい口出しをしてしまうというワケである。 先週の木曜。いつもどおり居残り仕事をしていると、むすめの「ただいまっ!」と言う元気な声。現場にいる私のところへ来て「パソコン、使ってもいい?」と言う。「何するの?」と言うと、ネットから原画を取り込み、モザイク化ソフトを使ってモザイク画の図案を作るという。ふぅん、いいよ。それがどんな作業でどのくらい時間が掛かるとか全く不明。まぁ、よきに計らえと、私は仕事を続けた。 そうしていると、事務所から「おかあさぁ~~ん、これわかるぅ?」と言う声。これって、どれよぉ!!でも、パソコンを現場までもってこいなんていえないので、しぶしぶこっちから事務所へ運ぶ。 ある高校でビッグアートに取り組んだ経緯を綴ったページに、使ったソフトややり方などが記されていた。学校のパソコンへそれを取り込もうとしたら、ロックがかかって出来なかったらしい。それで、個人のパソを経由して、と言う話になったらしいが、本当に遂行できるのかどうか。さらに、よく聞くと、一人の男の子が、その作業を請け負ってやっているらしいのだが、そちらがはかばかしくなく、痺れを切らした娘が、ある意味、独断で図案を起こそうとしている様子だ。まぁ、ものづくりの嫌いではない私だから、「やるな!」と言いたくない。ついつい現場を放棄して、ソフトの取り込みや、それを使った図案の立ち上げ作業にのめりこみ、結局、気が付けば夜半過ぎ。マジかよ!!でも、一マスのサイズも決定していなければ、出来上がる絵の全体サイズもあやふやなので、図案のプリントアウトは一時ストップ。帰宅して風呂入って、就寝。 娘の目論見では、翌日の金曜日に、正式の図案を皆に配布して、土日で色塗りを進めてもらう手はずだったらしいが、世の中そんなに甘くない。一マスの大きさとか、使う用紙とか、詳細が正式決定していないので、物事は足踏み状態。担任からの助言で、一マスを6センチバージョンと、12センチバージョンの二通りの図案をパソコンの中に作ったが、プリントアウトすると膨大な枚数になるので、そこは止めておいて、日曜日の午後、娘はクラスアピールのダンスの打ち合わせに出掛けていった。 夜、携帯へメールが入り、モザイク作業をしているので会社へ来てくれと言う。去年12月に工場長が脳梗塞で入院し、一月半後の退院と前後し、奥様が、くも膜下出血に倒れ療養中であったが、なんと急変し逝去され、丁度その通夜に参列していた私は、通夜の後、おいたちの用事で実家へ立ち寄り、あれこれ済ませて、午後8時過ぎ、やっと会社へ辿りついた。するとそこには、パソコンに向かい、一人さめざめと泣いている娘がいた。 訊くと、クラスメイトから、一マスの大きさは3センチじゃなきゃだめでしょうと、言われたらしい。タテ10m×ヨコ15mなので、単純計算で、6センチなら、タテ167マス×ヨコ250マス=41750マス。3センチだと、タテ2倍×ヨコ2倍。合わせて4倍のマス目になる。そんなことをちっともわかってない人から、あんな風に言われるなんて心外だと、悲しんでいた。受け持ちのクラブを試合へ引率していらっしゃる担任への連絡は気が引けたので、ひたすら、3cmじゃ小さすぎると主張するも、受け入れられなかったらしい。 夜になり、自分で担任に連絡すると、泣いて話が出来そうにないというので、でしゃばりの母が先生に電話をかけた。ことの経緯もさることながら、時間がない文化祭までの作業をどう処するかが最優先課題だ。 結局、複数の人間でやる仕事は、皆に了承を得ながら進めることが基本で、仮にそれが間違っていても、関わる皆が「そうしよう」と言えばそれが正解になる。と言う結論。一マスをどれだけにするかは、ひとまず3センチ角の図案を起こして皆に見せ、それがどれだけ膨大かを、分かってもらってからの事であると言うところに落ち着いた。青春に過ちはつき物だ。 受験生であろうと、文化祭まではひたすらそれのみに没頭するべきと考える母である。そして、その中で、しんどい目をしたり、くじけそうになったりすることで、人間も強くなれるし、大きくなれる。逆にそう言うことがなければ、小さいまま大人になって、例えば職場での些細な人間関係のもつれで、大好きな仕事を放棄しなければならなくなったりする場面も出てくるだろう。そうならないための、ここは一つ鍛錬の場として、踏ん張って、頑張って、文化祭を遂行して欲しい。大学受験に失敗したら、就職だ、就職だ。そしたらお金が儲けられるよ。そしたら、温泉にも行けるし、おいしい物だって食べられる。なんて言うと、今の生活がどんだけぇ~~って印象を与えますが、結構どん底を行っています。
2007年06月04日
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