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この頃、すごく思うことがある。仕事って何かな・・・ってこと。産まれて、親に育ててもらって、学校卒業して社会に出る。そして仕事に就くわけだけれど、最近は勉強をしているうちから「バイト、バイト」と言ってお金を稼ぐ。うちの息子も例に漏れず、尤も、彼の場合は、スーパーやコンビニの店員さんではなく、家業に関わる内職的なバイトで、そのお金を趣味の釣り道具を買うのに使う。 勿論、その方向を最初から否定しなかった私にも責任があると思うのだけれど、最近の彼を見ていると、自分の余った時間を何かの役に立てる、と言う感覚じゃなく、お金を儲けることが先行して、そっちの都合ばかり考えている風に見受けられるのが心配。 何か欲しいな、と思ったら「バイト、ある?」と訊いてくる。彼の工程はその前の縫製が出来てこなければ仕事はないのだけれど、お金が欲しいと思い立つと、「縫製、出来てるかな。取りに行ったら僕、出来るよね。」と言った具合だ。欲しいものがなければ、我関せず。私がやっていても素通りである。 仕事って、自分と言う素材を社会の役に立てることだと思う。勿論、その収入によって生活が成り立っていくことが条件なので、ボランティアとは違うけれど、グレーな部分って存在していると思う。と言うか、お金のことばかりを先行して考えた結果、自分と言う素材を生かせないような仕事に就いてしまったり、社会のためにならない仕事をする羽目になったりすると思う。 幾ら稼ぎが良くても、例えば人を騙すことで収益が上がるような仕事とか、人のアイデアを盗んだり、出し抜いたりしてしまう仕事とか。そんなのは仕事なんて言えない。好きなことを仕事に出来れば本当にいいと思うけれど、職種によってはひどく低収入で、いわゆるワーキングプアとなったりする場合がある。公はそう言う部分にメスを入れて、出来るだけ一人勝ちが起きない仕組みを立ち上げて、格差社会の更生を目指せばいいと思う。 大きな会社で大いに黒字が出るのに、そこに勤めている人たちにはその恩恵が行き渡っていないという話は良くある。尤も、お金なんて、幾らあったらそれ以上は結構、なんていう素性のものではないので、勤めている人が「いや、これ以上はいただけません。」なんていう事は起き得ないのも事実ですが。まぁ、その辺はバランスですな。 と、とりとめもない話になってしまいましたが、今更ながら「仕事って何だ?」について考えてみました。
2007年05月26日
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夕食を済ませて、寛いでいると耕平がキッチンに顔を出した。明日から1学期の中間試験。1年生の時とは明らかに違って、それなりに試験勉強と言うものをやっている風。1年の時には、試験勉強予定表なるものを私がエクセルで作り、成就云々は二の次で、とにかく、その予定にのっとって、ページを消化していく方式だった。耕平の気持ちとか現実なんて、実はどこにもなかった。心の片隅に、「本当にこれでいいの?」と言う疑問があった。でも、本人は大して反抗もしない。 2年生になったのだから、予定表を作ろうか?と言う問いかけさえせず、放置していたが、キッチンに顔を出して「母さん、今、暇?」と訊く。小物入れのマットをやろうと思っていたので、「暇ちゃ暇だけど、忙しいちゃ忙しいよ。」と言うと、ちょっと遠慮気味に「付き合ってもらえんかな。」と言う。「何?」と訊くと「いや、勉強・・・」 付き合いますとも!付き合いますとも!!! かくして、二人の試験前日、超追い込み作戦がスタートした。科目は社会科歴史。鎌倉時代から南北朝を経て室町時代へ移り、さらに戦国時代を過ごして徳川幕府にまで至る長い年月を45分間、数枚の試験用紙ではしょるのであった。 ワークなる帳面があり、虫食い問題や資料解読などの設問がある。虫食いのところには、一度、シャープペンシルでくっきりと回答を書き込んでいて、消しゴムで消しても痕が残ってヒントになってしまうので私に読んでくれと言う。ならば、しっかりご期待に応え、虫食いでないところまで問題にする。すると、そこそこさらっているようで「?・・・?・・?そこ虫食い?」ときっちりと聞き返してくる。いや、虫食いじゃないけど、大事だから、と口ごもってしまう母だった。でもね、地図とか絵とかの記号で答える問題で、なぜか、地図も絵も見ていないのに、記号があってしまうってのはどうかと思うよ。 9時過ぎからはじめて、結局、最終ページに至ったのは12時前。10時にはほっとコーヒーでティーブレイクだ。おぉ、なんと粋な親子っ!! はて、さて、結果はいかに??後日、お知らせ致します。
2007年05月24日
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12日から義母の居ない我が家。ほとんど放置状態。お休みの前夜とあって、ついに私も箍がはずれ、21時からのパッチギと0時40分からのシザーハンズを二本立てで観てしまった。って、これは18日(金)のことですが・・・・。遅れてるぅ~~。 パッチギは、以前、義姉の勧めでDVDを借りてパソコンで鑑賞。何しろ、夫、娘、私の3人がPCの画面に集中するので、観たような観なかった様な。まぁ、でも、その記憶はしっかりあって、あの時、いまひとつ意味を解せなかったシーンの一つ一つが、よく理解できました。 一人の朝鮮人の男の子が、交通事故で亡くなり、その子のお葬式の場面は象徴的なシーンでした。遺体を収めるため、届いた棺おけを家に入れようとするけれど、入り口が狭くて入らない。これは、きっと朝鮮人たちの貧しく苦しい生活を象徴しているのだと思いました。そして、同級生が、入り口を壊す。やりきれない気持ちが伝わってきました。 葬式は、狭いあばら家に多くの朝鮮人たちが集まり、経を上げる。日本人の友人が参列しようとしたが、拒まれたのでした。それは決して彼が悪いのではなく、国と国とを隔てる何かが、そうしてしまったのです。日本の今を築くために汗水流した多くの朝鮮人たちの存在を、若い世代、いや、そのことに携わることなく過ごしている日本人は、何も知らずに居るのです。その事が朝鮮に人たちにはやるせなく、蔑ろにされている現実から、目を背けることが出来ないのです。 パッチギの後は、ナイトスクープでちょっと、いや、大いに笑って、お風呂に入り、1時20分頃からシザーハンズ鑑賞。ジョニーデップですよ!!ハニーディップと兄弟か?なんて言うと、ファンからお叱りを受けそうですが、パイレーツオブカリビアンですか、あれにしても、彼は軽い特殊メークが大得意ですね。 シザーハンズでは改造人間と言うか、ロボットと言うか。すごく心が純朴な人。いとおしく思いましたね。自分もそんな人間でありたい。 最初を見なかったので、最後で分かったけど、この映画はあの豪華客船が沈没する映画と同じく、主人公が年をとって、誰かに昔話を話して聞かせるパターンなのですね。 二つの映画を観てつくづく思うことは、とにかく、登場人物の名前が覚えられない。すぐ忘れる。だから、こうして内容を綴ろうとしても、名前が出ないのでうまく説明できないし手間取る。ここ、何とかしなきゃね。
2007年05月21日
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本当に困った人も居たものだと思う。復縁を断られた挙句に、自宅へ篭城。元妻を人質。数人に怪我を負わせ、さらに、ハイパー警察官を死なせて、28時間後に投降。何なんでしょうか。親の顔が見たい。もう他界していらっしゃるでしょうが。 ところで、こんな事件が起きる度に思う。新聞の記事にもあったが、事件後の取調べにおいて明らかとなった、今後の参考となるような情報をもっともっと開示すべきだ。そして、悲劇が繰り返されることを最小限に食い止めるために役立てる。それが時間をお金を掛けてする捜査の大きな目的の一つだと思う。それらを一つの事件を解明するのみのものとするのは、絶対おかしいし勿体無い。 どんな生い立ちがあんな人格を形成させるのか。たった今、子育てに携わる私にだって、知っておくべきことなんじゃないかな。「うちの子は大丈夫。」と高をくくるのではなく、当てはまる部分はないか、自分が気をつけなくてはならないところはないか。決してマニュアル本ではなく、それらの情報を心の片隅に置いておくだけで、きっと、自らを戒める道具になるのではないかしら。 福島の高三生の母親殺害事件もそうだ。個人的には知られたくない部分は大いにあるとは思うけれど、これだけ社会を揺るがしたその償いと考えて、情報を開示されるべきだと思う。 彼の場合、二月の大雨で自宅が水害に遭い、半壊したと言う現実があったらしい。それは気持ちの上ですごく切なく、やるせない気持ちにさせる事実だっただろう。けれど、それがこの事件に直結する原因だったと言い切るのは無理だ。どうして母親なのか・・・・・・。 豊かな時代の中で、すごく大事なものを見失っているような気がする。何もかも手を伸ばせば届くと思うのは、決して正しい考えじゃない。と言って、今のこの豊かな社会を根本から貧困に引き戻すことなんて出来ないし、引き戻したところで、悲しい事件は増えることはあっても減りはしないだろう。 誰も思い詰めたりせずに、少し位貧乏でも、気楽に楽しく暮らせる世の中になればいいのに・・・・・・・。 今朝の読売新聞には、プロへの風当たりのきつさを如何なものかと呈する記事があった。例えば、わが子がいじめ自殺に追いやられた親御さんが、あまりに執拗に学校へアプローチすることで、校長先生を自殺に追いやったケース。また、消費者が官僚へ質問を持ち込み、数字やデータで説明したところ、「素人相手にそんな説明をするのか??!!」と言ったケース。 何かと不祥事も多いけれど、きちんと誇りを持って仕事をしているプロは多いのだ。一部のいい加減なプロによって、その職業そのものが馬鹿にされ、蔑ろに扱われ、結果、素晴らしい人材を逃してしまう場合だってありうるのだ。 お互いを敬い、尊重しあうことの出来る社会。モノよりも、心の豊かな社会がいいと思う。
2007年05月20日
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色んなニュースがあるけど、まるで子供向けのレンジャーモノの番組みたい。殺し屋からのメールだって。 もし、そんなのが届いたら、私なら、喜んでお受けしたい。って、決して自殺願望があるわけではないけれど、このところ、ちょいとお疲れ気味なので、ちょいと長期の休暇をとってもいいかな・・・と。でも、零細企業で休業手当なんて出ないから、ならば、家族には生活費を生命保険金で賄って貰うとして・・・なんて、ね。前向きじゃない?いや、ちょっとお疲れ気味でね。 ところで、夕べは娘の高校の地域理事会。いつものように15分遅刻して議場入り。勿論議事は進行されていて、丁度P会長さんの挨拶中。こそっとドアを開け、静かに閉めようとしたけど、ドアマンの設定がとても遅くて、待っていられない。この速度なら、そっと閉まってくれるだろうと、手を離しドアから離れた途端 バタンッ!! 聞いてないよう~~~。全員の注目を集めてしまった。私以降に入場した人も、全てその洗礼を受けたということは言うまでもない。尤も、私だけだったら、私も黙っちゃいませんよ。 私たちのブロックの理事は10人。にも拘らず、出席者は私とTさん、たった二人だけ。をいをい。で、新年度の理事を決めなきゃならないのに、たよりは名簿だけ。結局、17日の期限までに、それそれが当たってそれぞれに学校へ連絡することに。はぅ・・・。 帰って早速当たったら、何とか了解してもらえたので、後は学校への連絡。ここでブレーキを掛けぬよう気をつけなきゃ。 ちょっと風邪気味で鼻水が出る。鼻炎薬を飲んだ。
2007年05月11日
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義父があちらへ逝ってもう6年が過ぎた。娘の小学校最後の運動会が終わるのを待って、その翌日、息を引き取った義父。嫁いだ娘家の外孫も可愛がったが、一緒に暮らす内孫の孫娘を、本当に可愛がってくれた。孫娘が産まれるまでは、他でもない嫁であるこの私を本当に可愛がってくれた義父だった。 光陰矢のごとしとは決して嘘ではないと痛感する。義父の姉家のお嫁さんと、その近所に住む義父の妹さん、義母の実家と義姉夫妻とその二人の娘。私の実家の母。そして我が家の5人を加えた13人での法事。 東京で、舞台衣装とかの制作を生業とする姉家の次女が、耕平を評して「ハイスクール!鬼面組」と言った。言われて初めて気づいた。まさにその通りだ!耕平もまんざらではない様子。どんなアニメにしろ、アニメの主人公に似ていると言われて、あまり悪い気はしないものなのだろう。ちなみに耕平はハイスクール~を全く知らない。きっと漢字も想像出来てない。だから、気分良くしているのかもしれない。まぁいい。 あっという間にGWが去った。各地で色んな事故が起きた。昔から事故は起きていたのかもしれないが、報道が行き届くようになるにつれ、その数がうなぎ上りな様な気がする。 連休の間には、遅れていた帳面を追いかけた。でも、コザコザとした売上をつけるにとどまり、決算までに仕入れが出来るのかどうか、自信がない。
2007年05月07日
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この頃は、朝のHRの時間に朝読書と言う時間があるらしい。その時間に読む本は、彼らにとって結構大問題らしいのだけれど、最近の耕平は、村山 由佳だったか、おいしいコーヒーの入れ方と言う小説にはまっている。そもそもは、その第一巻を晃子が買って来たのを、ちょいと拝借して読んだことから始まったのだが、2巻を買ってくれと言う。去年買った「ゴール」と、「俺が近所の公園でリフティングをしていたら・・・」だったか、とにかく、あの二冊は、厚い表紙の大きな判で、1千円以上もしたから、文庫しか買えないよ、と釘を刺した。 運良く、本屋さんにあったので、買ってくると、その日のうちに3分の一を読んでしまった。もう!大事に読まなきゃ、朝読のネタが・・・・。かくして数日で2巻は終了し、3巻を買ってくれと言う。またまた本屋へ行ってみると、これまた運よくあったので購入。そして、その3巻も、あっという間に読破。3巻を買った時、4巻が見当たらなかったので、入れておいて下さいと頼んでおいたが、案の定、4巻は店頭になく予約して、帰ることになった。丁度、連休に掛かったので、2週間は掛かるかと思います、と言う話だった。当然、耕平は不満噴出。どこかにないかなぁ~~~、を連発。結局、昨日、広島へ義姉家を尋ねた晃子が、広島の本屋さんで買って来てくれた。でも、きっと、連休が終わるまでに、読んじゃいそうで怖い。 ところで、その小説の内容は恋愛モノ。一巻の副題が「キスまでの距離」。をいをい!ドキッとしちゃうよ。結構ラブシーンの描写もあるらしく、思春期真っ只中の中二生には、なかなかよい刺激になっているようです。 ネットのニュースにこんな記事。こういうことして「拝金主義」と言うのだろう。時として「人間性疑いますね。」なんて行を耳にするが、まさに、こういう場面でこそだろう。 どんなにお金持ちになっても、こんな心の貧しい考え方じゃぁ、地獄へ堕ちちゃうよ。中国って、論語とか、孟子、荘子とか、崇高な考え方の出来る人、たくさんいるけど、その人たちの考え方って、国民に浸透してないのかな。タイみたいな、仏教国とは、基本的に違うのかな。 そうだ、そうだ。そう言えば、東南アジアの人たちって、何かにつけて、合掌して挨拶をするけど、中国の人ってしないよね。それって、仏教的な思想の欠落を表してるのかな。実家がお寺だからってワケじゃないけど、感謝したり、相手を敬ったりする気持ちをよしとする私としては、中国の人たちに対する疑念は、どうも拭えないってのが正直なところです。
2007年05月04日
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