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「家族と福祉領域の心理臨床」金子書房 より…。・核家族がすすむまでは、日本は大家族までとはいかなくとも、 「家」観念によって、時には三世代ぐらいの家族が共に住んでいた。 したがって、若い夫婦に子どもができても、 その夫婦は「家」を支える労働力として重要であり、 もちろん、母親は授乳などの直接な育児にかかわるとしても、 現在、父親の役割、母親の役割として論じられているようなことは、 むしろ、祖父母あるいは 本家の叔父、叔母が受け持っていた。 ともかく人が多いので、子どもに必要なしつけや、 温かく抱きとめる事などは「家」の中の誰かが受け持って、 集団全体がうまく機能していたのである。 それが、現在、 若い夫婦が父親、母親の役割を全面的に引き受けねばならなくなって 戸惑っている、と言うのが 現状ではなかろうか。 若い夫婦が自分が子どもの頃に、自分の親がした事を思い出してみても、 それはモデルとして現代に通じないのである。(p6)・社会全体が変化していく中で、個人の尊重と言うことは非常に重要なテーマである。 しかし、 日本人は「イエ」全体として物事を考える生き方が染みついているので、 老人ホームができるとそれ全体を「イエ」とみなし、 何事でも全体で行おうとする。何もかもが同じで、 全員が同じ事をするのが良いと決めてかかっている。 ……… ある老人ホームで、入所者一人一人にゆっくりと、 「本当に何かしたい事はないか」とたずねる試みをしたところがある。 そうすると、それまでは、あまりまともに話ができないと思われていた人が、 自分の希望を語りはじめ、「死ぬまでに、もう一度、生まれ故郷に行ってみたい」とか 「歌舞伎と言うものを一度見てみたい」などと話す人もあった。 そこで、その人たちの希望を何とかかなえてあげようと、 その人たちの名前と希望を紙に書いて掲示し、 スタッフは勿論入所者の人も協力することとなった。 そうすると、資金をカンパする人、付き添いを申し出る人が出て来て、 最初はまったく不可能と思っていた事が実現し、 それとともに、入所者が以前よりも生き生きとしてきた。 スタッフが非常に驚いたのは、このことによって、 そんな事は絶対にできないだろうと思っていた事を、 入所している高齢者がどんどんとやり抜いていったという事であったという。 ……… 個人として見ると言う事は、障害児、障害者似たする時も全く同様である。 障害を持った人に対する時、 どうしても いわゆる「正常」というイメージを先に強く持って、 それぞれの比較においてみると「欠陥」と言うところが強く見えて来て、 全体的な一人という見方ができなくなってくる。 たとえば、知的障害の子どもに対する時、発達段階の指標が我々の心にあり、 それに基づいて指導をしていく。 この事はもちろん非常に大切なことであるが、それにとらわれすぎると、 そのような意味の「発達」という点にのみ目を奪われて、 一人の人間としてその子どもを見る視点が薄れて行くい危険性がある。 ……… このような話し合いをしている時に親に対して 「みなさんの子どもさんは、我々が車にのって通る道を、歩きながら、 興味が湧いてくると、一つづつ立ち止まってみるような人生です。」 と申し上げた事があった。 目的地にいかに早くつくかという見地から見れば、 この子どもたちは遅れてばかりいるという事になるが、 道の過程をどれほど味わったとか、経験したのかと言う見地から見ると、 この子たちの方が豊かな経験をしているのかもしれない。 それに、もともと人生の「目的地とは何か」などと考え始めると、 早いばかりが能ではないと言う事になる。 このように、一般的な見方にとらわれない立場に立つ事によって、 個々の子どもたちの生きる姿が見えてくるし、 親のそれに対する態度も変わってくるのである。(p8~10)by河合隼雄・家族の内枠とは、 「一緒に食事をして、一緒に雑談・団らんをもち、一緒に寝る事である。」 (p17)by東山紘久・夫婦の意思疎通が乏しい家族 強い母子一体感を持ったまま思春期に入り、 父親の存在感が希薄に感じられる家族はしばしば見受けられる。 夫が相談に乗ってくれないという不満を訴える母親が多いが、 最近ではカウンセリングルームに父親が来室するケースも増えている。 問題となるのは、一応平穏で整った家族だが、 夫婦が対話せずにばらばらに悩んでいる場合である。 家族の核となる夫婦の心理的な連帯が弱いと、 いざ子どもの問題が持ち上がった場合にも日ごろの夫婦関係が反映され、 前向きに話し合い、一緒に解決の糸を探っていく事が難しい。 夫婦の役割に対する意識や伝統的過程モデルが変化し、 家族の在り方が問い直されている今、 「対話」という課題に新たに取り組む必要がある家族は少なくない。・幼児期・児童期の発達課題のやり残し 幼児期後期には「自発性」を伸ばすという重要な発達課題があるが 最近は本来非日常的な活動であるはずの塾やお稽古ごとが重視され、 毎日営まれるごく当たり前の生活集団や新しい人間関係の体験を通じて 自分で考え自分で学ぶという過程を 十分に経験できていない子どもたちが多くなってきている。 また、これに続く児童期は、自分の持っている能力を生活体験の中で発揮し、 自分なりの「有能感」を身に着け「勤勉性」を育てる大切な時期である。 失敗体験も内省する事によって意味のある体験になるが、 自分で考えるトレーニングができていない子どもは、 劣等感を抱き、その後の成長過程に心理的影響を引きずることとなる。 B男の事例でも、児童期には母親の指示するままに勉強し、 期待通り学業成績を上げる事が出来ていたが、 いじめにあうという事態に対しては自分で立ち向かう事が出来ず、 また周囲から適切な援助もなかったために、 これを契機に心身症的な症状を呈するにいたったのだろう。 教師たちによると、最近は苦手科目で体調が悪くなったり、 朝起きられない、何となくだるいという生徒が増えているという。 このような訴えの背景には、 もちろん最近の学校生活のストレスも影響していると思われるが、 身につけるべき発達課題をこなすべき時期に来ないしていなかった 「育ち」の問題も少なからず関与しているものと思われる。・思春期のコミュニケーションの貧困化 思春期は内側から湧き起こってくる不安や動揺を仲間と分かち合い、 孤独を乗り切ろうと言う時期である。 友人をうまく作れない子どもは、登校してきても学校での居場所はなく、 身も心もさまよう事になる。 また、一見適応しているようであっても、自分の気持ちを伝えたり 相手の気持ちを考えながら信頼関係を作り上げていくのが苦手な子どもも多い。 このような子どもたちのコミュニケーション下手は、 家族を含む現代の大人たちとのコミュニケーションの姿を 少なからず反映しているようにも思われる。(p47・48)by倉光修
2009.09.25
・いじめの一つの形態である「集団による無視」では 加害者を特定する事は困難である。 無視によるいじめは、無視しようとする多数派の子どもと 無視される少数派の子どもとの間の 主観的な関係システムの歪みに起因するものと思われる。 校内暴力を全盛期に 子どもたちが学校や教師に向けていた 責任転嫁や犯人探しが 子ども集団内部でのスケープゴートづくりに 形を変えたと理解できる。 学校が 内申書で脅しをかけて 先生に逆らう事が出けへんようになって 子ども同士で やり合うようになっちゃったのか…。 そんな物に頼らなくても学校運営をきちんとできるようにならないものかしらね…。 ・心の傷の表面化は 伝達しょうとする相手によって 変わるもののようである。 信頼関係によって結ばれた相手でなければ 心の傷を開示する事、そして その痛みを訴える事は難しい。 相手の受け止め方次第では 傷の開示が、より一層古傷をひろげ 痛みを増す事になりかねないからである。 開示された傷に対して それを傾聴する聴き手の目に 涙が浮かぶのを見れば、傷ついた人の心は必ず癒される。 ちょうど、傷口に涙がしみわたるように広がり、 痛みを和らげるはずである。 うちの皇太后は 相手の傷をより広げる 名人です。 相手のためを思って言っているのは わかるのですが 本当に逆効果。 黙って聞くことができないのって…大阪のおばちゃんやからかなぁ…。 ・安全と安定こそが人生の第1条件だと言う人は 信念を持つ事は出来ない。 防衛システムを作りあげ、その中に閉じこもり、他人と距離を置き 自分の所有物によって安全を図ろうと言う人は 自分で自分を囚人にしてしまうようなものだ。 愛されるには、そして 愛するには 勇気が必要だ。 ある価値を これが一番大事なものだと判断し、思いきってジャンプし、 その価値にすべてをかける勇気である。 以前の私はまさしくこのパターンでした。でも 以前の私がこの言葉を聞いても、 きっと 馬の耳に念仏で 自分の事だろうとはわからなかったのだと思います。 最近 このタイプのお母さんが 以上に増えているような気がするのは 私だけでしょうか? ☆ 以上 私が気になるところを抜粋してみました…が この本には これ以外にも たくさんの事例が紹介してあり 家族の在り方、特に 父親のあり方について 書かれているところが 興味深かったです。 又 機会がありましたら 読んでみてくださいね。
2009.09.18
「家族の問題」 亀口憲治著 人文書院この本から 気になったところを抜粋しておこうと思います。私の視点による抜粋なので 興味のある方は 本を読んでみてください。 ・結婚というものはそもそも快適でも調和的でもなく、 むしろ、それは 個人が自分自身及びその伴侶と近づきになり、 愛と拒絶を持って相手にぶつかり、こうして、自分自身と 世界、善、悪、高み、そして深さを学ぶ 個性化の場なのである。 ・幼い子どもから様々な欲求を突き付けられ、あるいは 心身の変調を訴えられるなどして「手を取られる」ことは、 若い母親にとっては かなりの負担である。 しかし、それが我が子にとって 確実な愛情伝達作業になっている事が 納得できれば、親の負担感も軽くなるはずである。 問題を抱えた子どもの母親の中には 「この子は幼い時は少しも手のかからない子だったのにどうなったのでしょう」 と、訴えるものが多い。 これらは、幼児期に手を取られなかったつけが 後で回ってきた実例である。 ・若い母親の就業を積極的に援助するための手段として、 保育所での保育時間の延長は 確かに有効である。 しかし、同時に 父親の育児への積極的参加を即すような配慮や理解も必要であろう。 父母ともに、家事や育児に費やす時間を減らして、 就労や他の対外的活動により多く振り向けようとする発想には 潜在的な危険性が伴う。 つまり、家事や育児を家族が相補的に補完する事で 始めて形成される「家族の絆」が強化されず、 むしろ、ほつれてしまいかねないからである。 ・二重拘束 もう早く寝て欲しいと思っている母親が 「今日は疲れているみたいなので 早く寝た方がいいわよ」と言う。 母親の優しい言葉に 子どもがさらに構ってもらおうとすれば あての外れた母親は 不機嫌になり、 寝るのが嫌な子どもが「疲れていないのでいやだ」と言いだせば 母親は怒りだす。 そして、母親の本音を突き付ければ 親はもっと怒りだす。 子どもは自分の本音も言えず、かといって駄々もこねられず その場を離れる事すらできなくなる。 ・「情にほだされる」 そこには 拘束や束縛といった一方的な強制的なニュアンスでない何かが 感じとれる。 つまり ほだされる側にも相手の心情を受け入れて行こうと言う 何らかの意思が働いているのであり…。 そこには、二人の人間が相互に補完しあってこそ生まれる 独特の心理的体験の積み重ねがある。 ・夫婦の絆は、親子の絆と十時に結ぶものである。新しい結合は、 古いものの切断を要請する。 若い二人が結ばれる時 それは当然ながら、それぞれの親子関係の絆を 切り離そうとするものである。 一度切り離された絆は 各人の努力によって 新しい絆への再生の努力を 分かち合う事こそ、愛と呼べる事ではないだろうか。 それは 多くの人の苦しみと痛みの体験を必要とするものである。 このような努力を前提とせず、ただ二人が結ばれたいことのみ願うのは 愛などと言うものよりも「のぼせ」とでも 読んでおく方が妥当であろう。 ・われわれ人間の心を 傷がつかない事が売りものの加工製品のように あらゆる衝撃やストレスを跳ね返して維持できるものだろうか。 どれほど自我が強固な人間であっても 予測を超えたスピードで進行する 社会変動や自然破壊のもたらす、直接・間接のストレスに一人で耐え 誰にも支えられることなく生きることなどできようはずがない。 ・・・・・・ 自己の生を肯定するかぎり それを支える周囲の人々に感謝せざる負えない。 その気付きが、「愛」ではないだろうか。 ・問題行動は その子どもの周辺に居る人々にとって 「問題視」されて 始めて表面化するからである。 ・不登校はずる休みや仮病とは違った問題である事を理解しておく必要がある。 彼らは少なくとも 問題が生じた初期には登校の意思がありながらも 実際には登校できないために 強い葛藤に陥っている。 この問題の理解のために指摘しておきたい事は 結果的ではあれ、 彼らが学校の変わりに選ぶ居場所が「家庭」だと言う点である。 つまり 心理的にも物理的にも「家」を離れられない状態だと言う事である。 不登校児の「家」へのこだわりは かっこたる絆を失った家族の関係を 逆説的に表現しているようにも考えられる。 ・戦後の新しい家族の関係の中心をなす夫婦関係と旧来の家族制度の 生物的基盤でもあった母・息子の血縁関係は、必ずしも予定調和するものではなく むしろ混沌とした心理的状況を生み出すこととなった。 その要を占める夫の去就は決定的な重要性を持っているが 残念ながら 平均的な日本の夫にその自覚は乏しく、 あったとしても その微妙な役回りを適切に身につける機会は 十分ではなかったのではないだろうか。 ・私にとって不登校の子どもたちは、周囲の親や教師だけでなく 自分にもわからないなんらかの「能力」や「存在価値」を 心のどこかで捜し求めているように感じる。 ただし、それらの能力は制度化された教育評価になじまない種類の 物である事が多い。 …… このような関係の維持や改善にかかわる能力は 大なり小なり受験対策を意識せざるおえない現在の学校教育では 切り捨てられる運命にある。 ・日本のように何につけても平均的である事が尊重され、 周囲の人間との差異を際立たせない事が人間関係を維持するうえでの 基本的スキルとなっているような社会では 個性的足らんとする事は 社会的な逸脱行為とみなされる危険性をはらむ事となる。 ・子どもの個性(天才や秀才ではなく その子どもに固有の能力。 社会的に見れば高い評価や賞賛を得る事が出来ないような ちっぽけな事柄であっても、その子どもが生き生きと表現できることであれば それは立派な個性である)を伸ばすと同様に 家庭の個性化も決して平たんな道ではない。誰もが受け入れ 消費するための 大衆文化とは異なるその独自の家庭の文化を想像する主体として 夫婦が明確な意図やモチーフを持っておくべくだろう。 それが出来なければ、子どもに個性を望む事などどだい無理な話である。 (続きは次回に…)
2009.09.17
トド姫 実は1学期の途中で 進路変更を決めました。 高卒認定→大学受験 このコースへの切り替えを 選択しました。 そして今は、アルバイトに励みながら、通信で勉強できる予備校の勉強を頑張っている…とは言えないまでも 自分のペースでぼちぼちやっています。 まだまだ、完全復帰と言うわけではありません。一度染みついてしまった 「学歴命!」の価値観や、「レッテル」=自分、「周りからの目」、「集団でのポジション」=自分のような、中身のない クリスタルアイデンティティを つくりかえるにはまだまだ時間がかかるでしょうが、ぼちぼちと、やってくれればいいな…と思います。奴はまだ17歳。後 70年近く生きるわけですから、その人生を 幸せに生きてくれるようになれば それでいいと思っています。 エジソン君は 相変わらずです。最近、小学校では やんちゃ系男子たちの間で「たいまん」ごっこがはやっているようです。先生は「ルーキーズ」「ごくせん」などの ヤンキー系の映画の影響?と、仰っていましたが やんちゃ系の男子たちも彼らは彼らなりに 集団での位置づけを会得するのに 必死なのだろうと思います。学校は人を評価する場。そして、評価基準は 成績であったり、授業態度であったり、従順さであったり…。やんちゃ系の子どもたちは 残念ながら どれにも該当しないのかな?そこで 違う方向へ 走りだしたりするのかもしれません。では、どれにも該当はしないけれど、大人しい目の子どもたちって…。辛いだろうな…と思います。で、評価に値するような おりこうちゃんお子どもたち。これもまた、これで トドの二の舞を踏むのではないかと ふと、心配になります。それに 最近は 家事などが非常に楽になり、子どものお手伝いの出番も減っちゃって、家に居ても まるで学校の延長。親が気にするのも 学校での評価基準と非常に似かよっていてこれでは 本当に 安住の地がなくなっちゃいますよね。 「評価は学校の先生だけで 十分やのになぁ…。」 と、以前の自分への反省もこめつつ、ふと、考えることが 多くなりました。 話しは エジソンの事に戻ります。エジソン君は よく「たいまん」ごっこのお誘いを受けるようで少々 びびっています。「しって、宿題忘れていこかな~。ほんなら、休み時間 宿題せなあかんし、変な奴に絡まれへんし…」などの 言葉も出ているので 少々心配です。防衛策として ボクシングを習い始めると言いだして、週に2回 ジムに通うようにもなりました。 が、奴の すっとんきょうなところも 相変わらずで、昨日は 2階の窓から脱走して とゆ伝いに 学校の壁をロッククライミングしていたと、先生からお電話をいただき、母は 卒倒しそうになりました。話を聞いてみると「そんなん したらあかん…って知らんかったもん。」そりゃそうでしょう。「誰もそんな事をせーへんから そんな決まりはないねんや!」「あんたのせいで 又 学校の校則が増えるわ!」 と、母は トホホ…なのでありました。
2009.09.11
先週の土曜日に 親業一般講座と母親ノート法を並行して進めて行く「ウルトラハードプログラム」終了しました。 月に1回、6時間×4回の講座。そして、その間3か月。参加なさった 5人のお母様方 本当に皆さん良く頑張られました。お疲れ様でした。はるばる 和歌山や京都・兵庫からも参加していただきました。うれしかったです。 結果的には ウルトラハードプログラム 開催して良かったと思います。終わった後、皆さんの表情が本当に晴れ晴れしていらっしゃいましたし、意識の方向が 始め、お子さんを向いていた意識から、ご自身に向く意識や、家族全体見る大きな意識に変わっておられたからです。そして、初期のノートと今のノートを比べられると、ご自身の変化も一目瞭然に分かることとなり 今後の自信にもつながっていかれたと思います。みなさん 口をそろえておっしゃるのが 家の中の空気が 良くなったと…。 子どもが問題を持ってしまいがちになる時 それは 決してお母様の責任ではありません。でも、家の要的存在のお母様が 少し変化なさる事で、家の中の空気が 往々にして変わる事が良くあるものです。その事を 支援させていただいている私も 実感としてひしひしと感じさせていただいた講座となりました。 お母様方からは 今までカウンセリングを受けてきたけれどご自身が問題点として カウンセラーさんにお話しする内容とは全然違った所に 私が興味を持った。そして、そこから 自分の家庭や自分が見えて来て 非常に勉強になりました。と言うような 声も聞かせていただきました。 一番嬉しかった事は もう2年近くのお付き合いになるPさん。この方が ノート法とミーティングで参加くださったのですが、この期間のあいだに お嬢さんにすごい進歩が出た事です。少し特性のあるお嬢さんだったのですが 今までできなかった事が出来るようになり、非常な落ち着きや 相手を思いやる心、何かしようとする意欲が多くみられるようになったのです。。Pさんの ノートを拝見していて、後半 嬉し涙で 目がかすむ事もしばしば…。 最後の日は みんなで打ち上げに 韓国料理を食べに言って、ワイワイ、ガヤガヤ にぎやかな〆となりました。 さて、秋ぐらいから 今まで一般講座を受けられた方を対象に、体を使ったリラクゼーションや ベクトルを相手に向けるとは…。自分の中のこだわりとは いったい何なのか。などなど体感していただけるような 勉強会を 月に1度ペースで企画して行こうと思っています。 そして、年明けには 第2回ウルトラハードプログラムも 用意しようと考えていますので、今回参加できなかったお母様方で 興味のある方は ぜひ お問い合わせください。
2009.09.10

ノート法の説明。 これで 大まかな点は最終になると思います。 まず、ノート法をやろうと思っても どうしても書けないお母さんがいらっしゃいます。 私のところにも 申し込まれたのは良いけれど 点検の度に 「書けませんでした」 と 言ってこられるお母様が 結構多くいらっしゃいます。 そんな時は 実は お母さんが書くエネルギーがない時なのです。 お子さんが学校に行けなくなっちゃうと お母さんもエネルギーをどんどんなくして行かれます。 ひどい時には お母さんが鬱になってしまう場合があります。 この記事をご覧のお母様の中にも やってみたい。やろうと思うけれど なかなか書く気力が出ない。そう言う方が いらっしゃると思うのです。 そんな時は 無理をせずに ご自身がカウンセリングを受けてください。 スクールカウンセラーさんでもいいし 民間の心理士さんでもいいし 行政の保健所やこころの相談室でもいいし たまっているものや 疲れ切っている心を受けて下さる支援者を探してください。 決して ご自身を責められませんように...。 子どもが学校に行けなくなっているのですから それが 当たり前だと思います。 そして ノートをつける事が出来たのならば その場合も 必ず支援者を探してください。 これも スクールカウンセラーさんでもいいし 心理士さんでもよいので そのノートを点検してくれる人を探してください。 一人で背負いきれる戦いではありません。 そして 支援者の立場に立つと その会話が問題を解決する ものすごいヒントになります。 どんな問題がご家庭の中にあるか 理解する事ができます。 時には 支援者では応援しきれない時もあります。 発達の問題である時です。 そんな時は 検査を進めてみたり療育をお勧めする場合もあります。 支援者はお母さんの支援をしながら お子さんにとって 一番いい道を一緒に探していきます。 もし 支援してくれる人が見つからない場合は ぜひご連絡ください。 メッセージでも大丈夫です。 何か一緒に 方法を考えていければ 嬉しいです。 くれぐれも お一人で抱え込まないようにしてください。 そして、最後に 一つ実際にあった事例をあげておきます。 素晴らしいノートをつけてこられるお母様がいらっしゃいました。 どう見ても 会話は申し分ありません。 ですが お子さんの状態が 一向に良くならないのです。 不思議に思った点検者が 東山先生に直接スーパーバイズをお願いしました。 先生がみられても 申し分ないお母様の対応でした。 「おかしい。何かあるよ...」 と、そんな事を言ってる矢先に事件が起こりました。 お父様が背広姿のまま 入浴されたのです。 このように 子どもは親が隠れ持っている病理性を変わりに発生している事もあります。 これ以外にも お子さんが少し元気になってこられると、本来のご家族の問題が 発症してきたりする事も多く、そうやって、家族間の問題を 根こそぎ解決する事になるケースもあります。 ノート法は いろいろな支援機関で形を変えて使用されています。 しかし、私たち直列の点検者や カウンセラーさん 心理士さんは 決してお母様を責める事はしません。 まずはこの苦しい戦いに挑まれてるお母様に 心から尊敬の念を持って接します。そして まずは お母様たちに輝いていただく事を目標として 支援させていただきます。 お母様が輝けば お子さんも必ず元気になります。 その事が わかっているからです。 ベクトルをお子さんでなく ご自身に向けていただけるように 接していきます。 ですが、民間で使用されているところは 時には これをしないと 子どもは不登校から立ち直る事はできないと 脅しをかけて強制します。 これでは お子さんが登校できたとしても お母様が輝く事はないのです。 常に 又 不登校になるのではないかとびくびくしながら生活します。 なので 再発したり 別の問題で 形を変えて現わしてきたりします。 ここのところも良くご理解いただいて ご自身のためのノート法であり 且つ お子さんのためのノート法だと考えていただけると幸いです。 追記です。 やり方だけ読んで、Tパターンの対応だけ心がけて ノートの記入はなさらない方が 時々いらっしゃいます。 実は これは初期の私です。 でも、やっているつもりで 絶対にできていませんから... 横着をかまさず、エネルギーがあれば、ぜひ 書く事を 心がけてください。 最後に 東山先生のお言葉です。 このノート法は 無理はしないでとは言うものの 雨が降っても、お正月でも、お祭りの日でも 何があっても記入する覚悟が必要だと...。 これが修行で お百度を踏むのと 同じ効果を発揮します。 あれこれ迷わず 一つの事を信じてやりとおす素直さと精神力が 親を心から鍛え、そして 幸せに導いてくれます。 かと言って 1日できなかったからとあきらめるのではなく そんな自分も許して又 振り出しに戻って、続けてくださいね。 *次回からは 又 我が家の様子もつづりつつ 大学で学んだ事や、家族のリピドーについて 考えていきたいと思っています。
2009.09.08

さて、本日 4つ目の記事です。ここでは、皆さんが絶対に 「エ~!」と 思われるような事を書いていきます。 「子どもの欲求は すべて受け入れる」 不登校は自立の時です。 そして、今までにこなしてこなかった 発達課題を次に進むために一気にこなそうと言う時なのです。 産まれてから いろんな年齢でいろいろな課題があります。 それは お母さんと感情のキャッチボールで学ぶべきものであったり、自分でやって失敗から学ぶものであったり 家族間のかかわりの中で学ぶものであったり、本当に様々です。 お子さんがどの段階の発達課題を残して成長しているかは 誰にもわかりません。 Tパターンの会話を実践していると お子さんは「退行」と言う現象を起こして 発達課題を埋めようとして来る時があります。 例えば ひどくいろいろなものを買って欲しいと欲求してきたり、添い寝を欲求してきたり、後追いしたり 非行まがいの行動を起こしたり 親としてはびっくりさせられる事ばかりです。 でも、これは残した課題をやり遂げるための 無意識からくる欲求なのです。 なので できる限り お子さんの欲求に応じてあげて欲しいのです。 うちの娘は 買い物でした。 こんなに買い与えて大丈夫?と 思うぐらい 物をねだりました。 私の中に いにしえの固定観念があったので ひどく葛藤しましたが、師匠から「破産しないのなら買ってあげなさい。気持ちよくね!」 と 釘を刺され それを実行しました。 すると 不思議とある程度すると治まったのです。 ノート法を実践されたご家庭のお子さんも みなさんある時期をすぎると必ず治まってきています。娘は、その後も まぁ いろいろとしっちゃかめっちゃかの行動を起こしてくれていますがこれは 私が 子育ての失敗に気づくまで いかに子どもの発達課題をこなす妨げをしていたかを実証するものです 自業自得ですよね。 高額商品の購入に関しては 否定しないで 「ちょっと待ってね。今からお金貯めるからね。節約頑張るからね。」と、本気で節約して下さい。家のローンが払えないほどに お子さんの欲求を受け入れる必要はありません。自由になるお金の できる範囲で お子さんの欲求をかなえてあげて欲しいのです。ただ 法律に触れる欲求。倫理に触れる欲求は 毅然と断ってくださいね。 良い争いはせずに 「それはできない」と 静かに断ってください。 追伸 欲求の先走り...。 これだけは 絶対にしないでください。 お子さんがきちんと伝えてきた欲求のみにしてくださいね。 代弁もダメです。 先走りは子どもにとって「うざい」以外の何ものでもありません。 後は お子さんの言動に関して あまりにも???が多い場合は その記入したノートを持って 専門家を訪ねてみてください。 もしかしたら そこに発達の問題が絡んでいる事もあります。
2009.09.08
新学期が始まって 学校が苦手な子のお母様の苦しむ声を又、あちらこちらで聞くようになりました。 本当に、切ないです。学校に行けない事は 何にも悪い事じゃないのに、レールから外れてしまって この世の終わりのように感じてしまわれるお母様方。私も実はそうだったので、そのお気持ちはすごくわかります。学校の先生たちの目も 近所の目も 気になってしまい、ご自身が 引きこもってしまうお母様方もたくさんおられます。でも、そんなに心配しないで…。生きてさへいてくれたら 何とかなるものです。それに、落ち込んでいる自分を責めないでくださいね。落ち込む時は ドボーンと落ち込めばいいと思います。泣きたい時は 声を上げて泣いてください。きちんと気持ちを消化すれば 必ず次へ進めるものなので…。 「ノート法の自己評価基準」 ノート法を読み返して見られて 交わした会話がお子さんにとって 快であったか不快であったかを判断していきます。 快を0~+3 不快を0~-3 と お母さんの直観で良いので 判定してみてください。 すっごく快から めっちゃ不快までを +3~-3までで 表現します。 そして、1週間ごとに計算して +が多ければ多いほど 回復に向かっていると判断します。 ただし ここでお間違えのないように...。 +が多いほどいいからと 子どもに頼まれもしないのに 好物を買ってきたり欲しいものを買い与えたりすると 過干渉になってしまいます。 あくまでも お子さんの欲求のみに 対応して下さい。 で、次に詳しく書きますが お子さんの欲求には できるだけ応じてあげてください。 この方法をとっていると、お母さんのストレスは山盛りになると思います。 私なんか 混乱で口から胃が出そうになる事もしばしばでした。 なので、できれば 心のゴミ出し...を きちんとなさるようにお勧めしたいのです。 実は そのためにも私たち点検者はいます。 会話をチェックしながら 頑張ってらっしゃるお母さんの愚痴聞き役でもあるわけです。 もし 単独でなさる場合は 誰か心のゴミを受けとってくれる人を見つけておいてくださいね。 スクールカウンセラーさんや、行政の心の相談所の心理士さんなど…。みなさん きちんと受け取ってくださると思います。
2009.09.08
「具体的な会話」 不登校は 自立の時に起こると言われています。 今まで残してきた発達課題を埋めようとするものなのですね。 なので 症状は本当に様々です。 詳しい事は本に書いてあるので 読んでいただくとして...。 具体的にやり方を書いていきますね。 まずは 記録している事は お子さんには内緒にしてください。 知れば お子さんはいい気がしませんよね。 次に できるだけ詳しく会話内容を書いてください。 お母さんと そのお子さんとの会話だけでOKです。 家族みんなと話した事を書き留める必要はありません。 というか、たぶん それは無理だと思います。 それほど このやり方は親にとってはきついものです。 下記に会話の仕方を書いていきますが 忍耐を超えた忍耐が親には必要と 東山先生は 書いておられます。 私も最初は 「こんなん 絶対無理!」と 言いきっておりましたが、 今はできるようになりました。 不思議なものです。 会話パターンには SパターンとTパターンがあります。 Sパターンはスタンダード。普通の会話です。 Tパターンはセラピストの会話です。 そして 母親ノート法の間は Tパターンの方で お子さんと会話していただきます。 これは 受ける会話です。 親からの働きかけは 連絡のみで他はしません。 連絡とは ご飯できたよ。出かけるね...。ぐらいかな これをやると 会話が極端に減ります。 ただし、会話が減っても 言いたいオーラが顔からムンムン出ていたら 意味をなしませんので 気を付けてください。 つけると一目瞭然にわかります。 会話の発端が 親と子 どちらになっているかが わかるからです。 会話をこのように変えるだけで、本当にいいの? こんな事で 子どもが変わるの? 良くこんなご質問をいただきます。 が、実際にやってみていただくとわかるのですが Tパターンだけで会話をすると言う事は まさしく修行です。試練です。 子どもを思う 母の気持ちがなければ すぐにSパターンに戻ってしまいます。 で、元の木阿弥となってしまうのです。 コツを紹介しておきますね。 1、待つ事 沈黙を恐れないで 子どもが話しかけてくるのをじっと待っていて下さい。 2、自分自身の精神状態を整えておくこと 親の虫の居所が悪いと ついつい余計な事を言ってしまいます。 どうしても 言ってしまいそうな時は 買い物に行ったり、一人でできる作業したりして お子さんと離れるといいかもしれません。 3、相槌で 受ける事。 会話の初めは子どもでも ついつい親は余計な事を言ってしまいます。 なので。「そう」「そうかな」などの相槌で 返事をするようにするといいかもしれません。 やってみて できないからと言って落ち込まないでくださいね。 できないには必ず理由があります。 そんな時は、遠慮なしにコメントをください。一緒に考えていきましょう。
2009.09.08
「母親ノート法」の 起源。 お久しぶりです。お元気でしたか?我が家は 相変わらずの アクシデント続発状態ですが、そのアクシデントも楽しみながら何とか家族仲良くやっています。私はと言うと、本来ならば後半年で 大学卒業になるはずなのですがぎりぎりの単位数の教科しか取っておらず 一つでも落とせば 卒業延期…の状態です。でも、長い人生なので 無理せずに焦らず…で、「まぁ いいや~」と 超お気楽ぶりです。さて、前回の続きです…。母親ノート法は 東山紘久先生とおっしゃる心理学者が創案された 不登校の子を元気にするための方法です。 詳しくは 「登校拒否」東山紘久著 と言う本を読んでいただければわかると思います。 東山先生は 親業の創案者 トマス・ゴードン博士と同じ カール・ロジャーズ研究所でお勉強なさった方で そのつながりで 関西在住の親業のインストラクターが 先生の若かりし頃(今は雲の上の方です)に グループ学習のスーパーバイザーをお願いしたところから 一部インストラクターと「母親ノート法」はつながりました。 先生は不登校は心の病気と言いきっておられます。 そして 子どもに関わる人は そのことを肝に銘じていて欲しいとおっしゃいます。長期治療を必要とする 腎臓病などと同じだと思えばいいとおっしゃっています。 ゆっくりとした休養が必要な時だと…。 病気で学校を休んでいる子に 勉強をしろと言うだろうか? 学校の先生が見舞いにきて 今学校でこんな事をやっている…と焦らすような事をいったり、プリントを持ってきたりするだろうか。 ここまで読んで どこかにひっかかりが出た人は 「不登校は病気である」と 言う事を 心から思えない人です。 実際にこの事を心から納得できる人は少ないですが、それを納得し、対応を実践で来た母親の子どもから 早く治っていく事は 先生の経験上間違いないとおっしゃっています。
2009.09.08
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