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「ナンバーワンとオンリーワン」。この二つのことばが目下、大流行中です。世間一般では「ナンバーワンじゃなくていいんだ。みんなオンリーワンだからもともと素晴らしいんだ」という説が大手を振って歩いているようですが、それはどうかと思います。 「ナンバーワンじゃなくてもいい」というところは甘んじて許しましょう。ナンバーワンはそれこそ一人しかなれませんから、「ナンバーワンじゃなきゃダメなんだ」という思想では、大半の人がしあわせではなくなります。だから「ナンバーワンじゃなくてもいい」は分かります。 しかし、「もともとオンリーワンだから素晴らしい」ということはあり得ないと思います。これは個性を勘違いした典型的な例でしょう。オンリーワンに何か価値でもあるのでしょうか。人間が各々オンリーワンであることは認めます。ただ、それは単にそういう事実であって、別に素晴らしいものでもなんでもありません。素晴らしくなるためには、オンリーワンを自覚した上で、道を歩いていかねばなりません。その道はナンバーワンへの道です。ナンバーワンへ至る道のりの途中で、自分はオンリーワンでしかありえない、ということに気づいていくべきなのです。そのとき、相対の世界から脱出し、絶対の世界に入るのです。 それをはじめから「もともと素晴らしい」なんていうのは、勘違いもいいとこです。そういう言葉は、「自分なんて世界には要らないんだ」と自分中心の世界に閉じこもっている人にかけてあげるもので、自信を持って道を進んでいる人に言うものではありません。かの有名な「世界で一つだけの花」はちゃんと「その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」と言っているのに、「もともと特別なオンリーワン」が曲解されて強調されているように思います。大切なのは「一生懸命になる」というところで、「オンリーワン」ではないのです。 「一生懸命になる」とは暗に、「やっても綺麗な花を咲かせられない人もいる」ということを示しています。また、それでも「一生懸命にならねば、花は咲かない」ということでもあります。「世界に~」からここのところを読み取っている人は少ないのではないでしょうか。もちろん、作品の読み取り方は各個人の自由ですが、もし「オンリーワンだから素晴らしい」などと思っている人が多いとしたら、それはこの社会がだいぶ病んできているということです。 とまあ、こう偉そうに言うのは簡単なことです。大事なのは実感し、体現することです。僕なんかは相対の世界からなかなか抜け出せませんし、「自分はオンリーワンだ」という確固たる自覚もありません。「オンリーワンなんだろうなあ」というふうには思いますが、生(なま)の身体がありありと実感したわけではないのです。たまに「俺は俺なんだからいいじゃないか」と自分に言い聞かせることがあります。ということは「オンリーワン」を確信していないのです。真のオンリーワンたる実感があれば、いっさい他人とは比較しないはずです。「俺は俺だ」なんて声高にいう人は、自分がみつからなくて不安でしかたがないのでしょう。それが「自分的名言集」に書いた「信念は声高に叫ばれない」です。 と、ここまで書いてきて、これはもしかしたら一昔前に流行った「アイデンティティ」ってやつの話じゃないか?と思えてきました。 さて、話が分かりにくくなってきたので、そろそろまとめましょう。まず、人間はオンリーワンとして生まれます。それはただの事実です。本人に「自分はオンリーワンだ」という自覚はありません。そのまま、ナンバーワン(相対的頂点)を目指して道を進みます。その過程の中で、「自分はオンリーワンだ」と思うようになります。これが「アイデンティティの確立」というやつでしょう。そこから真のオンリーワン(絶対的頂点)を目指します。 だから、とりあえずナンバーワンを目指さなければオンリーワンの自覚はありえません。言い換えれば、「行動なくして実感なし」ということです。行動し、体験し、経験するなかで、実感が生まれてきます。この行動・体験・経験こそが「花を咲かせようと一生懸命になるという」ことで、いくら言葉で「自分は自分」と繰り返しても、実感は生まれません。ここらへんが「言葉の怖さ」で、武術の口伝なんかも、まったく同じだといえるでしょう。 ずいぶんと話が脱線しましたが、僕はとりあえず、ナンバーワンを目指します。それはオンリーワンの自覚へと至るためです。何もしないで「俺は俺だから」では、独りよがりになります。徹底的に相対主義になってみることで、逆に自分が浮かび上がってくると思うのです。そんなふうに、稽古していきたいと思っています。 (2004年8月20日)かつてHPに掲載していたものを転記しました。
2005年05月30日
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★小さな違い★・おとり捜査官・おっとり捜査官・息を呑む場面・乳を揉む場面・げっそりした顔・ゲソのような顔・燃えるゴミ ペットボトル カン・ビン・燃えるゴミ ペットボトル ウォン・ビン・ジャン・ケン・ポン・チャン・ドン・ゴン★こんなこといいな、できたらいいな★「ばあちゃん、反復横とび」★ポイ捨てするやつに告ぐ★ほんとうに、タバコをポイ捨てするやつの気持ちがわからない。なんであんな汚いものを捨てられるんだ。なんか脳の大事な部分がぶっ壊れてるんじゃないのか。人の店の駐車場をなんだと思ってるんだ。あなたは自分の家でもタバコをポイ捨てするんですか?ここを見てる人でポイ捨てする人がいたら反省してください。以上、愚痴でした。
2005年05月29日
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★うつる。★目に映る、というのはほとほと不思議だ。好きな人は輝いて見える。輪郭がはっきりしていて、浮き上がって移る。好きなもの、自分に関係する物も同様。今まで可愛いと思ってなかったのが、可愛く「見える」。今まで可愛いと思っていたのが、可愛く「見えない」。結局、それがどうあるか、ということは関係なく、それが「どう映るか」ということだけが重要なのだ。「いろんなものがよく映る眼」があったら、幸せだろうなあ。★自分ひとりの幸せ、というのはニセモノである★俺は、形骸化したり、言葉だけが独り歩きしている道徳が大嫌いだ。つまり、説明を求められたとき、なぜそうなのかということが答えられない倫理。「人には親切に」「友達を大事に」「人の悪口を言わない」こういうことを考察なく使う人間がものすごく嫌いだ。俺は、そういう人間をバカと呼んでいる。しかし。しかしである。俺は最近、これらのうさん臭い言葉が意外に真実と思えてきた。やっぱりね、人には親切にするのがいいよ。なんか自分も気持ちよくなる。友達を大事に。うんうん。やっぱり救いになるのは友達だよ。人の悪口を言わない。たまにはいいけど、言い過ぎると、自分の成長がなくなる。自分のため。ほんとうに自分を大切にするには、うさんくさい言葉に素直に従ってみるのもいいかもしれない。その観点で、自分ひとりの幸せというのはありえないと思う。というのは、幸せな人は人を幸せにするからだ。人に伝わらない幸せはニセモノだと思う。
2005年05月29日
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ここで一句。「筋肉を 鍛えたやつは 脱ぎたがる」★一生懸命は古くならない★古い映像を見ていて思ったのだが、汗だくで一生懸命歌ってる歌手というのは、ぜんぜん時代を感じない。逆に、格好つけてるやつはものすごく滑稽に見える。当時はかっこよかったんだろうが。やっぱり一生懸命はかっこいいんだろう。★日本語が話せない可愛さ★韓流だ。なかなか廃れない。今度は「ピ様」?俺が思うに、韓国人スターの人気には、「日本語がしゃべれない」ということがあると思う。日本で日本語がしゃべれないと、不思議と「可愛らしいもの」になってしまう。それはコトバがしゃべれない赤ちゃんと同一視してしまうからだろう。なまった女の子が可愛くみえるのも、同じ理由なのかなあ。★
2005年05月29日
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★小さな違い★どんな大きな差も、はじめは小さな違いだと思う。このごろ考えているのは、「感じの悪い飲食店に入ってしまったとき、『サイアク』と嘆くか、『話のネタができた』と笑うか、その違い」ということ。根本の考え方を少し直せば、いろんなことがうまく回りだす。「仕事は修行」というのもその一環です。★人間関係の成長とは、分離の過程である★「ひとつ」から「ひとり」へ。これが人間の成長。人間の成長とは、つまるところ、「人間への成長」だと思うようになった。「ひとつ」とは何か。それは二人である。複数である。人間が二人以上で、ひとまとまりで数えるとき、「ひとり」ではなく「ひとつ」という。「二人でひとり」でなく「二人でひとつ」である。人はひとりにならなければならない。ひとりの人間どうしに、愛がある。(ここでは愛が何かという定義はしない)人間関係の成長とは分離の過程である。まずは、親から分離しなければならない。といっても、この分離がいちばん難しいのだろう。しかし、分離しなければならない。いつまでも「ひとつ」では、おかしいことになる。「ひとつ」がふたつの「ひとり」になる。人間関係はそうやって成長するのだと思う。
2005年05月28日
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俺にはまだわからないが、年をとると、いろんな肉と皮とかが落ちてくるらしい。一般に「垂れる」というやつだ。腹や胸や尻が、垂れるらしい。これを「重力に負ける」ということがある。しかし、俺は違うと思う。歳を重ね、重力に適応しだしたのだ。若い頃は、若さにまかせて張っている。それはそれで良い。新緑の美しさ。しかし、歳をとれば垂れるのが自然。下へ、下へ。地に近づいていく。それもそれで良い。大木のおおらかさ。歳をとるにつれて、重力を知る。つまり重さを知る。そして地球の思いを知る。地球の主(おも=中心)で出会うために。野口三千三先生の本は、ほんとうに素晴らしいので、ぜひ一度呼んでみてください。
2005年05月27日
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俺はたまに「自身の成長」とか「成長」とか言うけれど、それはいったいどういうことなのか。現時点での考え(23歳と一日)を記しておく。それは一言で言えば「禅的心身の創造」だ。なんだそりゃ。つまり無。目指すは「無」だ。しかし無は無い。したがって無への漸近線をたどることになる。抽象的にもほどがある書き方だ。しかしこの基準があるだけで、行動は変わる。変わらない人は変わらないかもしれないけど、俺は帰ることができる。具体的目標だけが「使える」わけではない。ていうか、こんな俺の話って分かる人いるのだろうか。もしいるのならぜひ連絡をください。もし誰も分からなくても、書きたいことを書くというスタンスは変えないけれど。
2005年05月22日
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良い人間も悪い人間もいない。すべては視点。見る方向による。人の評価ほど適当なものはない。しかし、人の評価ほど人に影響を与えるものもない。デタラメばかり言う人間だと気づかずに、「お前はダメだ」と言われると傷つく。逆にお世辞と分かっていても誉められれば嬉しい。(あまりにヒドイお世辞はいらないけど)とにかく、人の評価というか、他人の意見ほど頼りないものはない、と思う。★ポケモンの源流★あらいぐまラスカルが土曜の朝に放映してるんだけど、あいつ可愛いな。たぶんあれはポケモンが流行する素地だと思う。★世の中に対する提言★加藤ローサは、新しい知念里奈じゃないからヨロシク。
2005年05月22日
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★Gacktにプライドはないのか★不思議だ。実に不思議だ。あれほど個性的というかなんというか独特なキャラクターが、平凡に平凡を重ねたような詞を書くなんて。Gacktにプライドはないのだろうか。やっつけ仕事で詞を書いているとしか思えない。「歌のプロ」だから仕方ないのかもしれないけど、もうちょっと何とかならんもんかね。ああ、そうそう話はぜんぜん変わるけど、コブクロの新曲はなかなかいいね。歌詞の最後のほうの「寂寞の思い」とかいう単語がなければもっと良かった。歌を聴いていて「惜しい~」って叫んでしまった。そうだ、ちょっと俺も詞を書いてみよう。★愛の意味~こんな歌、あるよね泣きたいときは泣いていいよ。なんてキミが言うセリフじゃない僕が守るからって言ったのに。これじゃ逆転現象だいつも 君の笑い顔浮かべては同じ空 つながってる嬉しさを感じてるその長い髪を揺らして 振り返る君の瞳の奥に 僕はどう映っているのかな。会いたいよ 君をそっと抱き寄せてそのまま離したくないいくつもの夜を越えて数え切れないKISSをしてそれでも伝えたい思いはひとつ「愛してる」会いたいよいま愛の意味がわかった気がするんだ★幻惑の想像~こんな歌 あるよね静寂に包まれた 瑠璃色の憂鬱に響く愛の鼓動 幻惑の想像お前をつなぎとめる鎖に絡まれ傷ついた胸(こころ)は優しさという言葉も知らず儚く散っていく壊れそうな 揺れる滴は月の光にも似た悲しみ白金(しろがね)の蠱惑に縛られたまま 愛すべき華を失っていくこの涙を 貴女には見せないでいつか虹に帰るから。 以上、揶揄をこめて。
2005年05月22日
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★今日の迷作★「ロミオとエシャロット。」★韓国人歌手★Kっていう人、ロバートのツッコミの親族じゃないよね?★アキバのごみ分別★萌えるゴミ 萌えないゴミ★今日の川柳★おばちゃんが オシャレをするのは かわいいな★ホリエモンの「I`ll be」(Mr.children)★♪人生はいつもM&Aだ
2005年05月21日
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☆客観的努力量☆たとえ人には見えないとしても、客観的には客観的ということが存在するはずだ。で、その客観的な視点から見た、―つまりは絶対的な、ということだが―努力量が成功するかどうかを決めるのではないだろうか。簡単に言えば、「努力したなあ」と思うのも「努力なんてしてないのに」と思うのも関係の無いことで、「どれだけやったか」が問題だ、ということ。「がんばった感」というのは成るべくなくしたいものだ。★制限は悪ならず★何も、寺にこもらなくても、俗世でも修行はできる。なにも芸術大学に入らなくとも芸術を創造することはできる。何気ない仕事を修行とする。何気ない仕事で、小さく自らの芸術性(こだわり)を発揮する。「制限」が自分という原石を磨いてくれる。「制限」が自由に真の価値を与える。「制限」は悪ならず。「制限」を活用せよ。★意思決定は意外に外的要因に左右される★いったい人はどれほどまで自分の意思決定の裁量があるのだろうか。自分で決めたと思っていることも、「決めさせられた」ことが本当に多くある。俺は自分のことをいったいどこまで決めることができるのか。この自己決定と外的要因のバランスで運命というのは決まるのかもしれないなあ。★今日の名言★自らを善くし、他を善くす★★今日の名言 part2★アイドルは不在であるがゆえにアイドルなのである★学問とギャル文字★関係ない人にわかりにくく、自分たちだけが分かって嬉しい、という点だけで考えて、学問とギャル文字は等しいと思う。
2005年05月21日
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苦しいなあ、いやだなあ、と思うようなことも、「自身の成長」という観点ですべてよくなる。仕事は大変なこともありますよ。けど、お金がもらえる修行と思ったら、頑張らないわけにはいかない。自分が高められるんだよ。こんなに嬉しいことはない。 すべては、捉え方しだいだ。 ―BY Mr.children
2005年05月21日
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★キミとボク★(歌詞で)女なのに、ボクっていうのイヤだなあ。それと相手のことをキミっていうの。イヤだなあ。あ、イヤというよりもう飽きたって感じだね。★今日のメイ言★(5月だけに)「バナナはおやつにはいりますか?」って聞くやつが、ほんとうに存在するのだろうか。★今日のメイ言2★(5月だけに)「家に帰るまでが修学旅行」ってはじめに言った人、天才。★今日の思い出★「こら、授業中に窓から外を見ない!」と言われて、「じゃあ、外から窓を見るのはいいんですか?」と反論して怒られたことがある。
2005年05月08日
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★すべてに神がいる。神とは美である。いや、美が神である★我ながらマニアックなタイトルだなあ。が、書く。本屋に勤めて一ヶ月。「何も分からないので、質問・失敗しまくって迷惑をかける」という新人の仕事をきっちりこなしております(笑)さてさて、その「本」だけれども、基本的にはA版かB版の大きさで作られている。よく紙の大きさでA4とかB5とかいうアレ。(※1)(英語の教科書はA5だったりするらしい)で、その寸法は常にタテ:ヨコ=1:√2となっていて、何回紙を半分に折ってもその割合は変わらない。その1:√2というのは白銀比と呼ばれ、「美しい比率」とされている。(※2)つまり、本というのは美しいものなのだ。少なくとも俺は、本は美しいと思う。美しいものは敬いたくなる。なぜなら美しいから。つまりそれは神だと思うのです。そうなるとアニミズムというのが身体の実感をともなって理解できてくる。やっぱり「職人」が作ったものは美しい。そういうものを「美しい」と感じるか、「そこに神がいる」とか、言葉にするといろいろあるかもしれないけど、美に接したときの原感情(造語。言葉以前の感情)はだいたい同じなんじゃないか、と思う。そりゃあ、自然(nature)を敬いたくもなりますよ。自然の美しさには黄金比も適わないでしょう。街路樹なんか、剪定されると突然みじめになる。葉を刈り取られたこと以前に、美しさが無い。現に、葉っぱがなくても自然のままなら美しい。それでタイトルに戻る、と。すべてに神がいる。神とは美である。いや、美が神である。※1:A版は国際規格で、B版は日本独自。※2:「1:1.618」の「黄金比」というのもある。新書、テレカ、名刺など。
2005年05月08日
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はい、ひさびさの更新です。そろそろパソコン買おうかね。でもまだ買うお金も、使う時間もないね。だからまだ買わないね。★愛は恥ずかしい★さてさて、先日「愛ってなんだろう」と考えていて、ふと、「こっ恥ずかしさ」というキーワードが浮かんできた。これは、一人暮らしを始める数週間前から感じ始めたのだけれど、なんとなく、「親は自分とは別のものだなあ」という不思議な感覚があった。頭でなく、身体で理解した感じ。駅までクルマで送ってもらうのも、「悪いねえ」と思ってしまう。下宿に荷物を持ってきてもらうのも「悪いねえ」と思う。とにかく、今まで当たり前だった色々なことが、「悪いねえ」と思えるのだ。何か一線が置かれた感じ。確実に、「一体」ではない。「好き」には違いないと思うけれど、言うに恥ずかしい。そしてこの「恥ずかしい」という感情こそが、「愛かどうか」の判断基準でもいいんじゃないか、と思うのである。またこれは友情や恋愛にも当てはまるのではないか、と考えている。思うに、「いつでも一緒」とか「ふたりで一つ」などの感覚は、出会った二つの個体が持つ感覚の中で、もっとも素晴らしく、そしてもっとも初期的なものだろう。やがてその感覚は薄れ、お互いになにか「膜のようなもの」ができる。ほんとうに何か一線があるな、ということを感じるのだ。またその「膜のようなもの」は「できるべきもの」だと思う。これができると、恥ずかしい。誉めるのが恥ずかしい。で、今考えているのが「この恥ずかしさを越える」ということ。誉めるのが、恥ずかしい。 けど、誉める。ありがとう、と言ってみる。これは恥ずかしくないとできない。恥ずかしくもなく、誉めたりお礼を言うのは簡単。恥ずかしい。けど、伝える。そうすることで、また関係をよりよいものにできるんじゃないか、と考えている。★ムカつくやつが「可哀そう」に変わるとき★ムカつく人というのはいる。イヤミったらしかったり、言い方にとげがあるとかたいしたことも無いのに偉そう、とか。ほんとうに腹が立つ。でもその彼が、その性格のためにそのコミュニティのみんなから嫌われているのを知ると、自分のむかっ腹も収まり、憐憫の情にかられる。よくみたら、可哀そうなんです。なんか話したいなあ、仲良くしたいなあという気持ちはあるのだけれど、「自分は嫌われているかもしれない」そんな思いを抱いているんです。そういう人は。で、親しさとなれなれしさを勘違いして嫌われているんですね、うん。まあ可哀そうだからといって仲良くはなったりしない。やっぱり話すとカチンとくることを言うから。それにしても、すんごい腹が立っていたのに、みんなが嫌っているからという理由だけで「ムカつく」が「可哀そう」に変わるなんて、感情ってやつは秋の空のように頼りないもんだなあ。★今日の名言(何の本で読んだか忘れた)★「知恵を貸すより耳を貸せ」
2005年05月08日
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