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人生は二つの責任の間を行き交いする。一つは神様からの命を生きる自分自身への責任。二つ目は、自分と共に生きるほかの人への責任。
2009年02月28日
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日本ケズイック・コンヴェンション(箱根)から帰りました。2泊3日の、クリスチャン向け、聖別会です。個人と教会のキリスト教信仰の成長、純化を目指す集いです。今年の講師は英国人のエイメス師、コフィ師でした。平易で純度の高い素晴らしい説教を聴けました。聖書の一つ一つのパラグラフが、一編の短編小説を組み立てるように語られた、と感じました。キリスト様は「神の御子、救い主」クリスチャンであるならそれは、自明のことですが、それが、スタートとなり、結論となり、始めから終わりまで、栄光がそのかたに着せられるのです。
2009年02月26日
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箱根ケズィック聖会に来ています。 英国人エイメス師は 眉間にシワを寄せ ちょっとイカツイ顔 でも思いがけないジョークが 口から飛び出してくる。
2009年02月25日
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日曜日の礼拝のメッセージは30分だったのですが、アップロードしてから聞き直し、何と前置きが10分ありまして、それを削除して、サーバーに置き直しました。それで20分のメッセージになりました。内容が希薄だったのです。前の10分間は自己満足を追求していました。聖書のメッセージにのみ、耳を傾けようと心がける信徒へ済まないと思いました。同じ間違いを2度と犯すなよこの前もそういったじゃないか同じことを何度も繰り返してきただろ
2009年02月24日
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「もし、お前がわたしの娘たちを苦しめたり、わたしの娘たち以外にほかの女性をめとったりするなら、たとえ、ほかにだれもいなくても、神御自身がお前とわたしの証人であることを忘れるな」とラバンが言ったからである。 創世記31:50---------ヤコブと伯父ラバンの別離の場面は、ほとんど知られていないが、旧約聖書中、心打たれる場面の一つだ。ラバンは、計算高い、せこい人間であることは否めない。離れて行こうとするヤコブに、何だかんだと恩に着せようとする。娘たちをヤコブに嫁がせたことも、恩に着せている。しかし娘たちは、涙も見せず父の元から離れようとする。見限られているのだ。そんなラバンでも、別れ際の言葉には心打たれる。娘たちへの思いをほとばしらせる、これが父の心というものか。
2009年02月21日
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わたしに岩のような力があるというのか。このからだが青銅のようだというのか。(ヨブの言葉 ヨブ記6:12)シュア人ビルダドは話し始めた。いつまで、そんなことを言っているのか。あなたの口の言葉は激しい風のようだ。 (8:1~2) 友人たちは慰めようとヨブを訪れます。 ヨブの苦しみの吐露はいつ果てるも知れません。 友人たちの言葉は、慰めから、勧告に変わります。 こうしてヨブの苦しみは重ねられていきます。 人の苦しみ、痛みは他の人にわからないこと、 真実と言えるのは、ただそれだけ。 聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation (c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2009年02月19日
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「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」 マタイによる福音書6章34節人は明日のことを心配しなさいと言う。キリスト様は明日のことを心配するなと言う。 聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation (c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2009年02月19日
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この地域の牧師の中で写真のプロ級の腕前(?)の人がいます。昨日の牧師の集いで、写真係をお願いしました。皆さんの何気ないお顔がたくみに写されます。終わってから一こま一こまを見、個性豊かなお顔に感動。お顔に年輪が刻まれていてステキでした。
2009年02月18日
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さっきまで、近隣の教会の牧師たちが集まっていました。わが町を初め、隣の沼津から、伊豆から、10人以上が集まりました。今日は「歓送会」でした。この地域の二つの教会で、この春、転任があるからです。去りゆく二人の牧師の、それぞれの言葉を聞きながら、60の半ばを越えて新しい任地を目指す器(うつわ)の、精神の強さに教えられました。ああボクにも新しい力がほしい転任はしないとしても、あふれ出す初々しい力がほしい。
2009年02月17日
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「死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。」コリントの信徒への手紙1 15章42~43節-----------信徒の復活についてのパウロの言葉。どうして今、朽ちるものか?どうして今、いやしい者?どうして今、弱い者か?わかった。復活の喜びの日を待つために。だからあきらめずに最後まで生きようぜ。 聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation (c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2009年02月14日
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ごらん、冬は去り、雨の季節は終った。花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。この里にも山鳩の声が聞こえる。いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。恋人よ、美しいひとよさあ、立って出ておいで。岩の裂け目、崖の穴にひそむわたしの鳩よ姿を見せ、声を聞かせておくれ。お前の声は快く、お前の姿は愛らしい。 聖書・雅歌2:11~14 聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation (c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2009年02月13日
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USB接続の無線ランアダプタを挿して、ノートPCを起動しようとしたら「ガリガリ」と音を立てて全部消えてしまった。大切なPCが壊れたと思った。しばらく放っておいた。あきらめきれず、改めて取り出してみると壊れたのは、USBコネクタだけだったことがわかった。「お父さん、無線はUSBのより、PCカードの方が安全なのですよ」と、婿さん。
2009年02月12日
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「荒れ野から上って来るおとめは誰か 恋人の腕に寄りかかって。」 雅歌8:5(聖書)
2009年02月11日
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今朝は「山上の垂訓」から読んだ。「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(マタイによる福音書5章13~16ボクたちが、塩の味気がなくなったり、輝きを失ったら、もうこの世では何の意味もないデクノボウ・クリスチャンになるんだ。キリスト様のご苦難を、安っぽい恵みにしないために、ボクたちはあくまでも、この世を味付け、暗い場所を明るくすることを目指し続けなければならないんだ。 聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation (c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2009年02月10日
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えぐきて おざったんす(良くおいで下さいました)今朝の生活ほっとモーニングで秋田県角館町を放送した。「えぐきて おざったんす」意味と発音を妻に聞いたら返事のイントネーション全体が秋田調に。「この言葉、あなたもきっと聞いたはず」「んだ」
2009年02月09日
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礼拝を終え、昼食後にみんなで手紙を書いていました。「2時から、『心の時代~響き合う命つないで~自死と向き合う医師』をやるよ。○○さんが出るよ」一人の信徒さんの知らせで、2時にテレビを点けました。○○さんは頭しか写りませんでした。でも、平山正実医師のお話に一同深い感銘を受けました。ビデオにとっておけば良かったです。
2009年02月08日
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浜松駅前「松菱」跡地は、子供公園を作る。静岡空港は廃港して「自転車の国」を作る。第2東名は、自転車専用道路にする。宿泊施設や楽しい「道の駅」をたくさん作る。道路には屋根を付けて雨の日でも走れるようにする。一般道路、片側2車線ある道路はすべて1車線とし、自転車レーンを作り、歩道を拡張する。町や村の周辺に田や畑をたくさん作る。農業の指導者を大勢育成する。仕事にあふれた人々は皆、田や畑に帰る。やがて食料自給率は100%になる。どんなに小さな町や村にも教会があり、人々が自由に出入りする。
2009年02月07日
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「神父のセクハラ犯罪」今朝の新聞に載った。それでネットで調べた。自分は絶対にそうならないとは言えないもの。他人のことではないと思った。『理由については「母子は本当に大変な家庭で、あまりにふびんだったから」と話している。』ますますあり得そうに感じる。魂が霊的に弛緩すると、きっとそうなる。間違いなくそうなる。いつも主を見上げて、清らかな愛を主からいただき、主から頂いた使命に燃え続けていなければ、ボクだってきっとそんなふうに転落していくのだ。一番悲しむのは妻と子。伝道しようとしてお祈りしている親族は、「なぁんだ」教会の交わりを破壊し、信頼して祈っていて下さっている信徒さんを裏切り、教団の恩師を裏切り、後任者として遣わされる後輩に肩身の狭い思いをさせる。セクハラ初めはわずかな思いつきが大きく膨らんでいき、神様と人と、社会への重大な背信となる。セクハラは、ダメ。心の窓に書いておく。セクハラは、ダメ。
2009年02月06日
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パウロは、集中力の高さまた思考の柔軟さに抜きんでている。初め反キリスト者として登場したパウロは、瞬時にキリスト教に転向した。これも天才的な柔軟さの表れ。ユダヤ教という卵の殻が割れて、キリスト教がピヨピヨ。ユダヤ教の教師だったパウロだからこそ、うまく橋を渡せた。パウロがいなかったら、キリスト教は今日のようだったか?ボクたちは、パウロがイエス様を愛したように、イエス様を愛している。パウロが教会や弟子にあてた手紙を繰り返し読むほど、近親感と共に、神様に用いられる人はこうなのだ、とうなずく。「情が燃えるよりは、結婚しなさい。」「でも自分のように一人でいられれば、一番幸福だ。」だれよりもキリスト様を愛していた、だからこんなことを「さらっ」と言えるのだ。そして、人間や信徒への愛もまた海のように深いことが、手紙の文面からにじんでくる。
2009年02月06日
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天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。 (伝道の書3章より~口語訳聖書)もうその「時」は過ぎ去り、新しい「時」を迎えている。後ろにも、前にも、「時」を追いかけるのをやめよう。
2009年02月05日
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昨夕は、一人暮らしの信徒さんを訪ねた。部屋に入ると石油ストーブの不完全燃焼の匂い。ストーブを見て、「買い換えた方がいい」と言うと、お金を渡された。ディスカウント店に走ったが、古いタイプの石油ストーブは1台しかなかった。次の店へ。みつけたぞ。ほしいのは「現品限り」と書いてある。それを頼むと、そのまま無造作に薄いプチプチでくるまれた。えっ、現品限りは箱がないのか?駐車場まで運んでください。このバイクの荷台に載せて下さい。ハイありがとう。ボクのバイクは、新聞配達もできるほど荷台が広い。ベルトで留めて出発。走り出すと耐震装置がいちいち働いて、がちゃがちゃ音。「神様、壊れませんように、お守り下さい」お祈りしながら、ゆっくりと走る。彼の家に無事に着いて、設置して、石油を入れ、お祈りをして帰った。あたりはすっかり暗くなっていた。
2009年02月04日
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電車内で向かい合わせの席に座った女性完璧なお化粧に思わず見とれる。どれだけの時間がかかったことか!
2009年02月02日
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2月。一年中で一番好き。ボクの部屋は南と西側に窓がある。夕の5時半過ぎ夕闇は水色の空と入れ替わっている。妻との短い婚約期間を過ごした思い出の月。「2月は短いので『天使のつばさ』を早めに配ることにします」彼女から来た手紙に書かれた言葉。
2009年02月01日
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