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過ぎた1月は早くも記憶の彼方に大切だった数々のことども惜しげもないように後ろに送るそんなにせかさないでお呉れよお前よ何を追っているのだ影を追っているのではないだろうね?
2011年02月28日
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2月の最終週は2日しかないことに気づく。ずいぶんコンパクトな月だな。いつものように一歩一歩歩いたつもりだが、駆け足だったような気もする。
2011年02月26日
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病気加療中の信徒さんと待ち合わせ他に客のいないレストランでゆっくり食事ゆっくり話せたのも久しぶり妻からのメッセージも手渡す「生きていてよかったよねぇ」と言い忘れた
2011年02月25日
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今日は昨日のようではなく雨模様。心はそわそわ。今まで一度も休んだことがない箱根の集まりに今年は行かない。昨日のように晴れていたら今日の最終日は一人でもバイクで登って行こうかと考えていたが雨模様で気持がそがれた。妻は今は山に登る体力がない。娘は子供を連れてお産のために里帰りしている。玉のような子を産んだばかり、今年はどうも無理だ。
2011年02月24日
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静岡県は2月23日を「富士山の日」と決めました。初めての日、晴れ渡って富士山が美しい姿を見せてくれました。ほら富士山がうれしがっている。
2011年02月23日
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ボクはお説教するのが好きではありません。それなのに毎週信徒の皆さんにお説教をします。自己矛盾を感じながら今日まできてしまいました。お説教を聞くことも好きではありません。(聖書のお説教を聞くのは大好きです)周りを見ているとお説教好きな人は、自分がお説教を聞くのはキライのようです。それも自己矛盾の一つです。時に信徒間でお説教をしている場面にぶつかります。聞く方はじっとガマンをしているお顔です。一陣の風は、早く吹き去りますように、ととボクは祈る思いです。お説教を聞いて改まる位なら、とうに改まっているはずです。考えればわかることもあります。大概のことは、時が来れば自然にわかってくるはずです。それでもわからないとするなら、それはもうその人のポリシーの範囲です。受容することが最善でしょう。お説教はいらないのです。
2011年02月22日
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春一番のあとは木枯らし バイクで出たがすぐ帰った日暮れ
2011年02月21日
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神様は人を平等に造られていると思います。それなのにどうして人は「自分の方が優れている」と思うのでしょうか。知識の多さで勝っていると考えるのでしょうか。経験の深さで勝っていると思うのでしょうか。生まれつきの知能で、自分の方が上に違いないと思うのでしょうか。もし実際すべての上で勝っている人がいたらそれだけこの世で多くの仕事をする責任が任されていること。「あぁタイヘンだな~」とは思っても「自分の方が偉い」というものではありません。天国に行ってみれば、神様が人を平等に造られたことつくづくと納得するに違いないと思います。
2011年02月19日
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食後の食器洗いは3者3様です。娘はスポンジに洗剤をぴゅっ。妻は容器に洗剤を入れ、薄めてから。ボクは洗剤は使わず、温水でごしごし。
2011年02月16日
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ウインドウズ95が入っている古~いノートPCをオークションで買った。同じものを1台おまけで、計2台。落札価格が1600円だから、1台800円ということになる。メモリをはめて、手持ちの製品版ウインドウズMeにアップグレードしてみた。普段使うソフトの下位ヴァージョンを出してきて導入した。すこぶるまともに動いてくれる。ちょっとしたドキュメント作成ならこれで十分だ。なぜ見向きもされないのかが不思議。シンプル、堅牢、昔のノートPCは良かった。この所、懐古趣味にひたっている。
2011年02月15日
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故・伊藤馨先生召天50年記念会に行ってきました。召天50年の記念会などめったにありません。発起人たちの熱意に、すっかりほだされました。ボクの恩師のその恩師でもあられますので。伊藤馨先生に少年や青年の頃にお世話になったりその印象深いメッセージを聞いて育った人たちが集まりました。その人たちも70歳を越えておられます。伊藤先生は児童向けメッセージが大得意だったようでそのメッセージをまねて紹介なさったかたが、2人もおられました。ブログ仲間、象先生もそのお弟子さんの一人です。象先生のなつかしい話ぶり、お若い頃と変わりません。お若い頃の先生が、そのままお歳を取られました。そこでお会いしたほかの久々の懐かしい皆さんもみんなお若い頃の印象そのままにそのままお歳を取られた方ばかりでした。ボクも確かにその一人だったようで、「おぅやまひでさん、若い頃と変わりないねぇ」
2011年02月14日
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2時半頃トイレに起きてから産まれた孫の名前自分と妻の将来本日の礼拝メッセージの内容そんなことを考え出したらすっかり眠気が失せたそれに、こんな時間わが子はもう起き出して新聞配達の準備中だおぉ、赤子の泣き声さえ隣室から漏れだしている
2011年02月12日
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雨戸を開けると音もなく雪が落ちていた。外を見るようにと言うと、「積もらない雪ね。 雪とは言えないわね。 あ、雪は雪か」北国育ちの妻は言う
2011年02月12日
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東西から雪交じりの雨の中、高速道路を走らせ3教会合同の静岡教区信徒大会を持ちました。シンプルで個性的で一直線に従ってきた主イエス様のお弟子さんたちばかり。何と楽しかった集いでしょう。
2011年02月11日
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明日は静岡教区の集いがあります。教区の交わりは、この数年、遠足をしていました。楽しかったです。牧師たちにも交代があった今年は目先を変えて、証しの集いとしました。明日は「雪が降るかも?」と皆が心配していますが伊豆や駿河の国には雪は降りますまい。良い日になりますように。良い集いとなりますように。
2011年02月10日
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大相撲の本場所お休みなんてぜったいにおかしい。大相撲の自滅。中継などなくても客が激減でもだれに叩かれても黙々と相撲を取るべきだ。八百長に手を染めた力士は休むがいい、やめるがいい。悔い改めさせるがいい。しかしまじめにこつこつと稽古してきた力士をどうするのだ。たとえ残った力士がたった二人だったとしても二人で堂々と本場所を開こうよ。
2011年02月08日
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昨晩娘の陣痛が始まりムコさんと産科へ妻も力尽きていたので別室で休ませボクは孫を懐に抱いて寝る日付が変わった頃メールが入った産まれた
2011年02月07日
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「八百長」とは一種の談合それは日本人の特性であり、縮図です。和の精神のいびつな発露必要悪とも言えます。相撲は「興行」ともいわれてきました。「興行」とは「観客を集め、料金を取って演劇・音曲・映画・相撲・見世物などを催すこと。また、その催し物。」(ヤフー辞書より)五輪で極まるようなスポーツとは違います。勝ち負けより、楽しんで観るのが相撲だとそう思って来た一面を合わせ持っているのです。必要以上に騒ぎ立てることもまたいびつだ。この際、大相撲が近代スポーツに生まれかわることを応援し、見守りたいと思います。お相撲さん、部屋を出て市民と共に市民の中で!
2011年02月05日
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お産のために娘が子連れで来ている。午後は万障繰り合わせて孫を連れて公園に行ってしまった。2歳半の孫をブランコに乗せる。こいであげる。もっと、もっとという。これ以上こぐと1回転してしまうよ。
2011年02月04日
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2月は春の兆し。朝6時を回ると薄明かりとなる。車の中はぽかぽかしてくる。1年中で一番短くはかない月である。光舞い降りる2月が好き。
2011年02月02日
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