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太平洋戦争開戦の翌年、1941年6月26日に、日本国は日本キリスト教団内のホーリネス系教会に対して一斉検挙を挙行した。罪名は「国体に反する教説」(再臨への信仰)と、「天皇への不敬」(天皇も"罪人=つみびと"と言うのか)。教会は強制解散させられた。地方では土地建物を失い、路頭に迷った牧師家族あり。戦後、捕らわれた牧師たちはただちに「免訴」となった。1946年7月2日、日本キリスト教団は解散させられたホーリネス教会の復興を承認した。教会は再び立ち上がった。真理を見失なってしまうようなさ中に、獄中での苦難に耐えた牧師、(獄死した牧師もあり)苦しみを共に担った家族、希望の朝を待ち望み、共に耐え忍んだ当時の信徒たち。その労苦は今日の日本のホーリネス系教会の礎である。迫害は主の弟子である印。御名のために苦しみに耐えさせてくださった主にのみ、栄光があるように。
2013年06月26日
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初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。創世記1章1~5節聖書の第1頁はこのように始まる。「夕べがあり、朝があった」という言葉に気づいた。一日は夕べから始まっているのだ。イスラエルの安息日も、金曜日の夕べから始まると聞いたことがある。日暮れと共に一日が終わる。夜は次の朝のための備えの時として考えられている。早く寝なくては 聖書 新共同訳: )共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation (c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2013年06月25日
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ゴキブリが入ってくるとそれを手にして追い回したものである。台所用洗剤。妻は、何倍かに薄めて使っていた。千葉に越してきてボクが台所に立つことが増えた。ゴキブリに振りかけると、即座に死ぬ台所用洗剤が、人に良いわけはないと、いっさい使わないことに決めた。しばらくして息子も使わなくなった。「洗剤を使って、きれい落としてね!」と言っていた妻も見ていると、いつの間にか使わなくなった。
2013年06月24日
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日本の戦争の時代反対を唱える人たちは捕らえられ牢獄に入れられた。かつてのホーリネス教会の牧師たちは戦争に協力していたが再臨信仰などが当時の国体に合わぬと断じられ牢屋に入れられた。少年時代「一億総懺悔」などと呼ばれ国民全体が戦争の責任者とされて皆が懺悔の心を持った。ボクも若い頃、韓国の教会で説教をしたとき説教の前に講壇の前に立って日本が犯した過去の罪をお赦しくださいとお詫びした。実際は具体的に何を詫びて良いかもわからず「わたしたちの父たちが犯した罪をお赦しください」と言った。しかし実際はボクの父は戦地には行っていなかった。それでも詫びなければならない責任がある。そうか、その時代に生きた者が負う責任なのだ。地震の津波のために福島の原発が壊れた。ボクは思う。かつての「一億総懺悔」が正しいとすれば、政府も、東電もその罪を負うのだが、ボクもその罪を負っているのだ。
2013年06月22日
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旧約聖書に出てくる「族長」といわれるイスラエルの遠つ親たちの死に方はどんなものだったのでしょう。(以下、新共同訳聖書より)エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。(創世記5章24節)サラは、カナン地方のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ。アブラハムは遺体の傍らから立ち上がり (創世記23章2~3節) アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。(創世記25章8節) イサクは息を引き取り、高齢のうちに満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。息子のエサウとヤコブが彼を葬った。(創世記35章29節)ラケルが最後の息を引き取ろうとするとき、その子をベン・オニ(わたしの苦しみの子)と名付けたが、父はこれをベニヤミン(幸いの子)と呼んだ。ラケルは死んで、エフラタ、すなわち今日のベツレヘムへ向かう道の傍らに葬られた。(創世記35章18~19節)ヤコブは、息子たちに命じ終えると、寝床の上に足をそろえ、息を引き取り、先祖の列に加えられた。(創世記49章33節)主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。主は、モーセをベト・ペオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが、今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない。モーセは死んだとき百二十歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった。(申命記34章5~7節)「主の聖徒の死はそのみ前において尊い。」口語訳聖書詩篇116編15節
2013年06月21日
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雨の中、年金事務所に行きました。20歳を過ぎ数年間、納入減免申請をしていましたがその空白の部分を、今からさかのぼって納入できることを聞きました。「さかのぼり納入すると どの程度の利点がありますか」「あなたの場合でしたら、 75歳になったときに、その利点が表れてきます」結構です、と帰ってきました。
2013年06月20日
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昨日はわが娘のわが家庭集会 最後の礼拝出席ではあった。車は早々と売り、昨日は代車を借りて来ての礼拝出席。いつも夫の運転で来ていたから道順も覚えず高速を降りてからこちらにたどり着くまでが大変だった。「三咲」って場所だけど、まだ遠いの?えぇ? そっちは逆だよ、まるでブーメランのように船橋に向かってるね~それでも、さすがわが娘、礼拝が終わる前に幼な子を二人連れて息せききってやってきた。彼女の夫はすでに海外の人となり妻子が来るのを心待ちしている。
2013年06月17日
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教会の楽長の仕事は、礼拝音楽全般を取り仕切ることのようだ。ボクたちなら、礼拝の初めの賛美は、讃美歌集の◎◎番間に◎◎番、説教の後は◎◎番、最後は◎◎番と讃美歌集を開きながら、その礼拝の聖句や説教の内容にふさわしい曲を探します。バッハの時代は、その礼拝で用いる音楽を全部自分で作曲するのだ。その礼拝で使う音楽を「カンタータ」と呼ぶのだそうだ。カンタータを奏する間に聖書の朗読や説教が入るという。バッハには1ヶ月に1曲のカンタータ作曲が課され4年かけて全日曜日の礼拝カンタータが満たされる。それはどんなに大変な仕事だったことだろう。バッハは500曲ほどのカンタータを作ったと考えられている。現存する教会カンタータは200曲他は散逸している。
2013年06月15日
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百々隆という方が書いておられるバッハの紹介サイトからダウンロードして、読み上げました。大変な分量でした。バッハの生涯、その子供たち、時代背景、カンタータやロ短調ミサについて詳しく、キリスト教の教義や礼拝形式に通じておられます。それにもかかわらず、「自分はキリスト教徒ではありません」と断っておられます。バッハの時代は、音楽は教会に仕える職業のようです。良い職場環境を目指して、バッハは住む土地を転々とし、生涯7度ほど住まいを移します。ドイツの地図を見ると、それでも引越はドイツの真ん中から北に限定されていて、遠くには移りませんでした。燃えさかる音楽の情熱と、それをカヴァーしきれない役人や教会の牧師たちとの軋轢を繰り返しました。それでも最後はライプチヒに腰を据え約30年、教会に仕え、教会音楽の指導者や教会付学校の教師として職責を果たしました。バッハにとって、それがどんなに忍耐の日々だったかが知られます。バッハはルター派の信仰に厚い人でしたから、信仰が彼の心を支えていたと思います。百々隆というかたは物理系の方のようです。無類の音楽好きが高じてバッハ研究に没頭なさったのでしょう。団塊の世代と言うから、ボクと同じ位か.少しお兄様かな?このサイトを読み、それから新潮文庫の「バッハ~カラー版作曲家の生涯」樋口隆一著を読みました。それから「ロ短調ミサ」を聴きました。最初思っていたより、明るい曲でした。
2013年06月14日
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ブログ書き込みアイディアが浮かんでもその場で書き留めないとこの時間になると忘れるだからこんなことを書くしかない
2013年06月12日
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象先生がお送りくださった御本をボクはとうに読んだので先週の礼拝の後、母に貸した。今週の礼拝での母の証しは、象先生の御本に夢中になって先週は聖書通読をお休みにしたと。その性格にだれが似たか?
2013年06月11日
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4020日(開設日:2002/06/09).日記記入率:74.9%管理画面の隅にこんなデータが書いてある。そう、このブログに来て丸11年が過ぎた。教会で仕事をしている自分とこのブログに入り浸っている自分と二人の自分がいた。何度もやめようと思った。今でも時々思う。やめられない自分。依存症だな?だれか一人でも慰められたりほっとしたりキリスト教に好意を感じたりこんな牧師も居るものだと思ってくれたりしてくれたりする人があれば少しは慰められるそう自分を慰めていた。ここに来てキリスト教信仰に導かれた人はおそらく居ないだろうけれどそこが限界なんだな。
2013年06月10日
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好きな看護師が持ってきた薬は良く効く。イヤな看護師が持ってきた薬は効かない。たとえ同じ薬でも。好きになればすべてが好ましい。嫌いになれば良いものも良くはない。
2013年06月09日
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バッハについて調べていたらブクステフーデという作曲家に出合った。バッハがある町の教会の楽長(カントル)をしていた頃4週間の休暇を取ってブクステフーデのオルガン演奏を聴きに行った。370Kmの距離を、20歳のバッハが歩いて。4週間が4ヶ月に伸びてしまったというから若いバッハがどんなにブクステフーデに私淑したか推察される。任地に4ヶ月も無断で帰らなかった。やはりバッハだな・・・・夢中になると止まらないのだ。ところでブクステフーデの「われらがイエスの四肢」という変わった題のCDを手に入れた。 Ad pedes(足について) Ad genua(膝について) Ad manus(手について) Ad latus(脇腹について) Ad pectus(胸について) Ad cor(心について) Ad faciem(顔について) 十字架にかかったイエスに向かって祈るという、7つの短いカンタータ集のようだ。CDをかけると十字架の霊想にふさわしい神への憧憬に満ちた調べが聞こえてくる。
2013年06月04日
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今年度は事務所に出る日を週に一日にしました。妻と一緒の日がほとんどです。妻がもう少し元気を取り戻せば近隣の教会の祈祷会を訪ねたいと願っています。妻とは午前中に家庭礼拝新約聖書を1章ずつ読み続けて5月末に読み終えました。次は「詩編」を読むことにしました。口語訳聖書がなつかしくて詩篇は口語訳を読むことに決めました。また同じ章を新共同訳聖書でも読むことにしました。詩篇は慰めに満ちています。
2013年06月03日
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早々と梅雨に入ったがなかなか雨は降らない昨日は妻の布団を干し今日はボクの布団を干し毎日散歩に出る妻帰りは手に野の花
2013年06月01日
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