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韓国で行われた日韓のサッカーの試合で、日本の応援団が旭日旗を掲げたという。それに刺激されて韓国側応援団は「歴史を忘れた民族に未来はない」と書かれた巨大な横断幕を掲げた。 日本の菅官房長官はくだんの横断幕が掲げられたことについて、「国際サッカー連盟(FIFA)は応援時に政治的主張を行うことを禁じており、横断幕が掲げられたことは極めて遺憾だ」と述べたという。 日韓にはデリケートな感情が横たわるが、ここに極まっている。 日本の若者に、「そんなものを持ち込むなよ」とだれが諭すのか。まさか政府ではあるまい。 一方、たかがサッカーの試合会場に横断幕が掲げられたことで、「極めて遺憾だ」などと、内閣官房長官がいうことだろうか。 幼稚園の子ども同士が砂場で口げんかすることに思えるが、失礼かな?
2013年07月31日
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あるオペラ歌手が1ステージ歌って幾らとか年収が幾らとかが話題となっている。名前を聞いてみるとそんなにすぐれた人とも思えないが。芸術家がちやほやされ資産家になる時代いつ頃からそうなったのかだれの歌を歌っているの?バッハ?バッハはルーテル教会の信仰に生きる貧しい家系オルガン演奏の大家として名をなしたがそれでも裕福にはならなかった。その亡き後の未亡人は生活保護を受けながら不遇の生活をしたという。たくさんの子をもうけたが、またたくさんの子を病で失っている。貧しさの故だったのだろう。作曲家でお金持ちだったのは、銀行家の息子メンデルスゾーンくらいだったとは中学校で習った。モーツアルト、ベートーヴェン、シューベルトみな生活苦と闘って生きた。画家はといえば、さらに赤貧に生きた人々が大勢いる。貧しさは恥ずべきことでない。そこから生み出されるものがある。貧しさは創造の源だ。
2013年07月30日
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夏期聖会に参加した。ボクも説教を担当。最後のセクションだが前も同じセクションで担当したことがある。それがボクのイメージらしい。「よろしくね」友だちがボクを励ます。ここでの説教担当はこれがもう最後かも知れないとそんな思いにとらわれる。無事に一つの責任を果たすことが出来て感謝の思いにあふれる。快い疲れを感じている。
2013年07月25日
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礼拝の後メロンを6つに切り5人でいただいた。「砂糖がまぶしてあるようだね」そんな声が聞こえるほどに甘味だ。残りの一切れは3つに切り今朝のデザートにした。
2013年07月22日
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今週は休まず妻と午前の小礼拝を守った。賛美を歌い、詩篇を読み、心に留まった聖句を読み合いボクと妻と交互に3回祈る。1回目、それぞれ自分のために祈る。2回目、家族親族のために祈り3回目、友人の牧師たち、前に勤めていた教会の牧師や信徒さんのために祈る。「主の祈り」で終わる。明日は日曜日だから、この小礼拝も少し人数が増える!
2013年07月20日
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200曲近く残っているバッハの教会カンタータをランダムで聴いている。この一つ一つが年間52回の礼拝と教会暦の祝日のために作られた。当時の礼拝はこのように音楽と一体化していたのだ。中には、これが礼拝の中で・・・と想像すると違和感を禁じ得ない雰囲気の曲もある。言葉が理解できるなら納得できるのだろう。バッハは当時の世俗曲をカンタータに取り入れているという。世俗の音楽も、聖書の言葉に代えるなら、教会で神を賛美するために使われるのだ。教会の両袖に聖歌隊がいて、クレドや教会暦にそった聖書の場面を交互に歌う。会衆は聴いていたり、一緒に歌ったりするのだろう。でも作曲したばかりの曲だったら一緒に歌うことは無理だ。説教はさぞ短いのだろうな。ボクたちが守りささげてきた礼拝は何とシンプルなことか。讃美歌、聖歌を3,4曲、高らかに歌い、そして長々と説教を聴く。バッハの時代は、長々とカンタータを聴いていたのだよ。
2013年07月19日
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カザルスという今は亡きチェリストは父親にチェロを買ってもらった日 古い楽器店でバッハの「無伴奏チェロ組曲」の古ぼけた楽譜を見つけた。 すぐに買って帰り、それから12年間、一日も休まず練習した。 それだけの歳月を経て、ようやく人前で演奏する勇気が持てた。 ボクにとっての聖書は初めて真新しい新約聖書を手にした日それから、何冊も何冊も聖書を読み潰した。 今朝も妻との家庭礼拝を持った。 初めて読むようにときめいて、聖書の言葉を分かち合った。
2013年07月17日
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聖書の中に出てくる夫婦描き方がシンプルだ。まずアダムとエバアブラハムとサライイサクとリベカヨブと無名の妻ホセアと不倫妻ゴメルどれも断片的であっさりと描かれている。聖書だから仕方ないか?ある程度の関わりが書いているのはこれくらいか?新約聖書では、アキラとプリスキラ理想のクリスチャン夫婦!
2013年07月16日
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ネーちゃんのために、ってきょうだいの助け合いの精神は健在だった。普段は隠れていてもいざとなったら露出してきて惜しむこと無く力を出してくれる。近所の友人も、丸一日も来てくださってこまやかに力を貸してくださった。なんだか3年前のボクたちの引越とそっくりだった。
2013年07月13日
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単身赴任の夫を追うように今朝、娘とその子供たちが旅立った。昨日は荷物をすべて片付け、アパートを返却あわただしくわが家に一晩泊まり今朝は早朝から成田に向かう。ボクに未だそんな力が残っていたのかと思うほど2日間の荷物運び、また西に東に、軽自動車での高速道路の運転。とにかく今頃は家族再会を喜び合っていることだろう。いやまてよ、久々なる夫婦げんかも?
2013年07月12日
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前にお務めしていた教会に新天地への夢を抱いてブラジルに出た老婦人がおられた。サンパウロではYシャツの縫製をしたとかお話に耳をそばだてたものだった。かの国に残った友人との交流にボクも加えていただいた。帰った人残った人それぞれのドラマ国を出ることには様々の事情がある。朝鮮では、日本に併合された時代に日本人のように徴用されて来日した人々は在日韓国朝鮮人の10%強だったようだ。他の人々は、主に新天地への夢を抱いて来日した人々である。いったい日本はどう映っていたのだろう。その国ではマイノリティーとして生きるのだがそこに矜恃も心意気もあふれている。若さもそれを手伝っているのだろう。帰ることもよかろう。残ることもよかろう。そしてああわが娘、孫も明日出発の日
2013年07月10日
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「韓国のアシアナ航空機の着陸失敗事故は2人の死亡者と180人以上の重軽傷」「カナダ東部で発生した原油輸送列車の脱線爆発炎上事故。死者は13人、行方不明者は約50人、町の一部が壊滅的被害を受けた。【AFP=時事】」文明が発達した時代の事故や災害の惨禍は、想像を超えたものとなる。江戸時代や弥生時代にも、事故や災害はあっただろう。しかし死者が出たとしても、現代とは比べものにならない。最近思うことがある。自分は江戸時代に生まれたかったのだ。
2013年07月09日
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韓国人を名指しして嫌悪感をあらわし日本の国から出ていけと公然とデモをしているというそんな恥ずかしいことがいつから行われるようになったのか在日韓国・朝鮮の人々にはその日本での数奇な運命に心を寄せ日本人と同じような権利を与えいつまでも共に生きることを志しましょう国家間政府のせめぎ合いはいつまでも同じ事の繰り返しに思えるそれはそれこれはこれ
2013年07月02日
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