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かけがえのないボスの召天の報は教団一斉メールによるものだった。月曜日夜のことだった。PCの前でしばらく頭を垂れる。「前夜の祈り」副牧師は司式、そしてボスの息子さんが式辞を述べた。温厚な人柄にふさわしく控えめな姿で言葉を探し、かみしめながらお話をなさる。参列者の心に平安をもたらす式辞だった。弔辞は教会の各会の代表が3人感話を述べた。牧者と信徒のつながりを感じさせるお話のふさわしさ。「次の日の葬式」副牧師は終始声を詰まらせながら自分たちの牧師の帰りを祈り待ちわびていた自分と会衆のために慰めと信仰の言葉で式辞の言葉を述べた。弔辞は外部団体から一人ありまたボスとかげがえのない絆を結び共に教団と神学校を形成した2人の友人が丁重にまた真実に故人と共に励んだ恵みを証しした。その生きた時代は確かに激動の時代ではあった。先頭に立った星々のその一つの星は天に舞い上がった。
2015年02月28日
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天の御国には、「ただいま!」と清々しく帰る。神様のために精一杯働いた人がいちばん誇らしく帰る場所へ。「主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。」 詩編23:6bご趣味は?「聖書です」(にこにこ)次のご趣味は?「それも聖書です」(にこにこ)で、その次の趣味は?「さんびか、かな」(にこにこ)
2015年02月26日
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旧約聖書に「ヨナ書」という小さな予言書がある。おとぎ話のようなかわいらしさ。少し、ユーモラス。ヨナは神様のお言葉を預かる預言者。ニネベに行って滅びの予言をせよとの命を受けるが、神様のお言葉に背いて逆方向の町に逃げてしまう。その予言はしたくない。なぜなら、予言をすれば町の人々はきっと悔い改めるだろう。そうしたら神様は町の人々をゆるすだろうから自分の予言は外れることになる。預言者の沽券に関わることになるのだ。人々を救うために、滅びの予言をすること?予言が外れて喜ぶ?それは預言者としては邪道だろう。予言は当たってこそ預言者。こんな自問自答をしながらヨナは神様から逃げ出したのではないかと思うのだ。
2015年02月24日
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聖書学校卒業後、ボスのアシスタントを2年間務めた。よく叱られたけれど、小さなことを見つけ出して評価して下さるかただった。「結婚しても居てくれよ」そう言ってくださっていたがボクたちは結婚後は他の土地に遣わされた。お金は掛けないが盛大な結婚式はもちろんボスの教会で。心をつくしてお祝いしてくださった。あの時のことを思うと今でも心が熱くなる。このボスに出会えて幸せだった。去年は息子の急死を知らせに伺うと自分のことのように落胆してくださった。冷徹さと人なつこさが同居する。それで悲しい誤解を生んだこともあった。牧師とはそういうものだけど。ボクたち家族は、ボスがお子さん達を育てた家に今住んでいる。ボスがボクの妻や子を心配してくださってのこと。ボスの奥様が立った台所にボクたちは立つ。もったいないな、と思いながら。ボスがイエス様に呼ばれて天の御国にお帰りになる前にちょっと寄り道してこの家に来て下さる気がしている。だから今晩は玄関の鍵を開けて寝ようと思う。
2015年02月23日
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しばらく原稿なしで礼拝の説教をしている。集中力がなくなり原稿が作れなくなったことも一因だ。それと原稿づくりにかかるとどうしても「作品づくり」を意識してしまうが、原稿を持たないと、皆さんとお話をするように説教が出来る。でも今日は妻が「あなたのメッセージを振り返りたいので わたしに原稿を見せて? あら原稿書いていないの?」原稿なし説教に、注意を受けるのかなと思ったがどうも、お話に恵まれたかららしいと息子と彼女の会話からわかった。最近の彼女は何をお話ししても恵まれるからますます気を許して原稿なしとなる。
2015年02月22日
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「フィレモンへの手紙」からオネシモの話をしようとすると涙腺がとたんに緩んで話せなくなる。オネシモは、逃げ出した奴隷だった。獄中のパウロと出会い、導きを受けてキリスト様を心に受け入れ信徒と生まれかわった。オネシモの事情を懇切に書き記したこの小さな手紙と「コロサイの信徒への手紙」の2通の手紙を携えてオネシモはかつての主人の元に帰っていく。いいや、遣わされていくと言うべきか。ここまでは普通に話せるのだけれどコロサイの信徒たちの前でパウロから預かった2通の手紙をおずおずと、恥ずかしそうにフィレモンに差し出すオネシモああもうその場面を思うたび、泣かずにはいられない。
2015年02月19日
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妻の脳外科の診察で病院に行きました。このところ大きな発作から守られ体重も増加し表情にも、行動も生気を帯びてきました。そんなふうに主治医に報告できました。皆さんお祈りをありがとうございます。
2015年02月18日
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今日は神学生と一緒に『パンセ』を読みました。十分ではありませんでしたが、楽しかったです。時間を下さった学校に感謝です。ところで、今日は神学校は入学試験の日でした。聴講を含めて、6人が受験したと聞いて、ビックリ!うわぁ、そんなに献身者が増えるのか!
2015年02月17日
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SDカード10枚をウイルススキャンすると全部「ワーム」に感染していることがわかった。どこから入り込んだのか不明である。初めから入っていたのか、あるいは一つに入り全部に増殖したのか。いずれにしても、カードを人に渡す時や、預かる時には必ずスキャンしなければならないだろう。新しいSDカードや、USBメモリを買ったときもスキャンかフォーマットしてから使う方が良いと思った。フォーマットして再検査すると、OKになった。
2015年02月16日
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その鮮やかさに瞠目する。「老いた」「病んだ」「悩んだ」「迷った」「苦しんだ」そんな日々の営みと、はっきりと区別されている。存在するか、しないか厳然と突き放すもの。追いかけることもできず追いすがることもできない。だんだんと死ぬと言うこともない。先ほど、わははと笑い先ほど、楽しく語り合い人に頼られる存在感も毅然と断ち切る突然の死思い出だけが湯気のように立ち上る。そんなふうにわが子は死んでいった。
2015年02月14日
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ボクがもしスマートホンを買ったら電車に乗ったらすぐ電源を入れるのだろう。座席に座っても見るのだろう。下車する時も片手に持つのだろう。ポケットから出すものスマートホン鞄から出すものスマートホンテーブルに置くものスマートホン
2015年02月11日
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寒いけれど晴れ渡った午前総武線で行く富士山や、雪を戴いた山々も見える電車は家々の屋根を見はるかす高架の上を走る平和な風景を満喫するがひとたび地殻変動が起これば一瞬のうちに崩れていく
2015年02月10日
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心のガソリンタンクがマンタンになっていると感じる朝と空になっていると感じる朝があるのはどういうわけだろう?家族がいる幸せ妻と語り息子と語るお話ししているときは忘れているガソリンを入れ忘れたこと一人になりこうしてPCに向かうとまた思い出すまだ入れていないことそうだあのかたとお話しなければ
2015年02月09日
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ウチの礼拝では司会者の祈りの後礼拝参加者めいめいもそれぞれに祈るようにしている。その時間にボクはこう祈った、「今年12月27日の礼拝まで この5人全員が守られますように」今から12月27日の礼拝をあこがれる。脳裏に焼き付ける。ぜったいにぜったいに、と。ああ主よ「ぜったいに」なんて祈ってごめんなさい。
2015年02月08日
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妻との家庭礼拝も「ヨハネの黙示録」まで辿り着いた。黙示録は独特の雰囲気で天上の賛美と地上の困難が交互に繰り返される。「これはどういう意味?」と妻は絶えずボクに訊ねてくる。ボクにもわからないさ。今日の章は天で戦いに敗れたサタンが地上に投げ落とされる場面だった。地上に降りたサタンは猛威を奮い始める。これは現状か?今サタンが猛威をふるっている状況かな?
2015年02月07日
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夕方、犬の散歩に出たら空の一部が水色だったそこから地平線に向かって橙色がかっているお空のこんな色合いを見るのは久しぶり「朝焼けがきれい 夕焼けがきれい 夕焼けが見える方へ散歩しようよ」いつもそんなふうに言う妻に見せたいと思ったでも犬は先へ行く
2015年02月06日
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ボクが見る夢は、依然として前にお勤めしていた牧師になっている。妻の見る夢は、ボクたちの後任者夫妻が、めざましい活躍をしているという。この違いは何なのだ?
2015年02月05日
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パスカルの姉ジルベルト・ペリエが書いた「パスカル氏の生涯」彼を愛してやまなかった姉ジルベルトが、渾身で書いたパスカル伝と言える。ボクはこれをテキストファイル化して「楽天kobo」に収めている。因みに車内読書に関しては、「楽天kobo」ほど便利なものはない。koboには、上位機種がいくつか出ているようだが、初期に出た機種で十分である。ジルベルトのその書物を読むと、パスカルのキリスト教信仰の純一さがよくわかる。その点で、ジョン・ウェスレーと共通点を見いだす。ボクが今まで出会ってきた生存しているクリスチャンの中最もパスカルの人となりとその信仰に近い人は、ボクの妻であると思う。その人となり、病との厳しいたたかい、その信仰を生活に現すその生き方少なからず、妻のそれと似たものがある。そこでその本を半分ほどにダイジェストして印刷し今朝、妻にそれを渡した。
2015年02月03日
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「何が起こっても自己責任です」とビデオメッセージを残して後藤健二さんは危険な地域に入っていった。彼の願い、友人救出の目論見は潰え彼も捕らえられた。捕らえた人々のメッセンジャーの役割を担わされたあと彼も友人の後を追うように殺された。悲しみだけが残った。いったいどうしたことか、いつまでも、いつまでも悲しみ以外の感情が湧いてこない。
2015年02月02日
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今朝は佐倉在住の友人の教会の礼拝を応援しました。「特別礼拝」でしたが、友人夫妻とボクと3人で厳粛かつ安らかに礼拝を守りました。旧約聖書「ルツ記」を選びました。今日のために、あらかじめ先週自分の家での日曜礼拝で、同じ箇所をお話ししました。先週、家族と一緒に聖書のその箇所を、読みながらお話ししているとルツ記のメッセージが、水絵のように浮かび上がってきましたので今日はそれをお話ししました。友人が、「まるで静岡の教会でやまひでのメッセージを聴いているようです」と言ってくださったことが、嬉しかったです。さて、ボクが留守をしたわが家庭集会の礼拝はどのように守られたのでしょう?録音を頼んでいたので、これから楽しみに聴こうと思います。
2015年02月01日
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