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前回書き込んでから5年以上経ってしまったよ〜。生きてますよ〜。さて、ブログどうするか?「真田丸」感想でも書く?もうドラマ始まってから3ヶ月以上経ったけど。
2016年04月11日
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1年以上ブログ書いてないことに気づきました。。。最近はtwitterでつぶやくことが多いのです。どうしよう?削除するべきか。。。
2011年07月17日
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サッカーには全く詳しくないです。典型的な、W杯だけのにわかサッカーファン。最近、はじめてオフサイドというのがどういうことか分かり、少し試合を見る面白さが分かってきたところ。それなのに、W杯は毎回ドイツを応援しています。今回は日本もいいところまで行ったので、もし準決勝で当たったら、どっちを応援しようかと思っていましたが、そんな心配はやはり無用でした。。。まるで決勝戦のようなドイツVSアルゼンチン。あの、PK戦のこともすごく覚えてます。そんな因縁の対決がまたまた準々決勝で再現。「ドイツが負ける気がしない」という私に、夫は「なんで?」と聞きます。私:「いや、そういうオーラが。」夫:「(苦笑)」美輪さんでも江原さんでもないので、オーラなんて全く見えませんが。結果、こんなに大差で勝つとは!しかし、驚くのは、どの解説者もゲストコメンテーターも、アルゼンチン負けて残念的な空気。今朝も、NHKはともかく、フジテレビの優勝予想1人除いてみんなスペイン。なんで?みんな、そんなにドイツが嫌い?そりゃ、スター選手はいませんよ。地味かもしれません。(初心者の私には、地味かどうかもよくわかりません。)でも、今回そのスターたちがことごとく力を発揮できずにピッチを去ったじゃないですか!豪華キャストなのに、結局ストーリーを良く覚えてないドラマや映画より、派手じゃないけど演技力があったり個性派の俳優を揃えて、視聴者や観客の記憶に残るドラマを見たいです、私は。ということで、決勝戦はドイツVSオランダで、接戦でドイツ優勝。3位はスペイン。いかがでしょうか?サッカーは、個人プレーで勝ち抜けていけるようなスポーツではないと思うんですが、(初心者の勝手な感想)通のみなさんはどうお考えなんでしょうか?
2010年07月04日
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生まれ育った場所なのに、自分の居場所がない感じ。わかる。。。わかるぞ、龍馬!みんなから頼りにされ、期待されるのに、自分はそれに乗っかれない感じ。それも、分かる!いや、私自身はそんなに期待されたことも頼りにされたこともないけど、なんだろ、「自分の意思と別な流れに飲み込まれそうな感じ」だろうか?この時の龍馬は、まだ自分の中に芽生えてきた「みんなと違うなにか」にそれほどはっきり気づいていないように思う。というか、一生気づかなかったんじゃないかな。「人と違う」ということがそれほど問題だとも偉いとも思わずに生きて行ったのではないかしら。土佐の下士をひとつにまとめて、尊皇攘夷のうねりを起こすのだ!と、「集団の力」を頼みにする武市や平井と、そもそも意見が合うはずないのだ。土佐だけでは、日本国だけでは想像もできないような考え方や感じ方の人が、広い海の向こうにいると分かってしまったら、もう狭い世界には戻れないんだと思う。龍馬が変わったのは、加尾と別れたから、ではないと思う。もちろん、それも「世の中の理不尽」を身にしみて実感した出来事かもしれない。それよりも、ずっと一緒にいるんだと思っていた「思い込もうとしていた」加尾から「龍馬さんは私がいなくても生きて行ける」って言われたことなんじゃないか?ほんとはそんなに加尾を嫁にしたいと切実に思っていたわけじゃないんだろうな。自分の本心に無意識に蓋をして、周囲の期待に答えようとするみたいな感じだったんじゃないかな。だとしても、自分の大切な人を守る、という今なら当たり前に思えるような価値観を、それが全く当たり前じゃなかったこの当時に、誰に教えられたのか、龍馬が持っていたことに驚きだわ。「対立するやつは容赦なく斬る!」ではなく「ちっくと話をしてくるぜよ」と出かけていってしまうっていう感覚も。龍馬みたいな人は、今の日本にいても、ちょっと変わり者扱いされて、生きづらかったんじゃないかなあ。日本という国は相変わらず多勢と違う価値観や考え、感覚を持った相手に対して拒否反応を示してしまうようなところがある国だから。そうはなるまい、といつも自分に言い聞かせているのだけれど。違いを認めることなんて、龍馬の時代から100年以上たっても、まだできないでいる。こんな世の中を龍馬が見たら、どう思うかな。「なんも変わっとらんぜよ」
2010年03月14日
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Twitterって、登録してみたんですが、どういう使い方があるんでしょうか?まだよくわからない。。。誰か私にTwitterの楽しみ方を教えてください!いろいろとコンサートやらなにやらの感想を書きたいのですが、最近家でMacに向かうヒマがない!先週まではバンクーバー五輪に釘付けだったし。とりあえず、このバタバタした日々を少し軌道修正したいです。つぶやきですね。こんなのTwitterで十分?
2010年03月04日
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大河も4回目、だんだんといろんなキャラがなじんできた感じ。前回の偽手形の旅もそうだったんだけど、物語の作り方が「新選組!」ととても似てる気がします。まずは「坂本龍馬」というヒーローのイメージを壊してみる。坂本龍馬が「あの坂本龍馬」になる前の、普通の、何者でもなかった若者だった頃に時間をかける感じで、その変化と成長を視聴者に楽しんでもらう仕組みです。日本が大変なことになりそう、というのは薄々わかっていても「どうしたら良いのか分からない」のは、龍馬だって今の若者だって同じなんですね。福山龍馬の無邪気な笑顔を見ていると、「この人、この何年後かには近江屋で殺されちゃうんだ」って思っただけで、ちょっと胸が苦しくなります。谷原章介@桂小五郎登場!そのひげは一体・・・(爆笑胡散臭さは伊東甲子太郎ほどではないですが、結構似合ってますねえ。それにしても、このドラマを見ていると「で、岩崎弥太郎はそこからどうやってのし上がったんだ!」ってことに俄然興味が湧いてきます。それって、このドラマのスタッフの狙い通りなのか、それとも想定外なのか?どーでも良いですが、広末がいまひとつニガテな私は、彼女がひたむきに龍馬を想っていても、せつなくなりません。むしろ、名前が似てる佐那@貫地谷しほりにシンパシー感じるわ。男性視聴者はこのドラマをみて、なぜ坂本龍馬が女性にモテたのか、お気づきになられたかしら?ドラマとは言え、「あ~、こういうこと言われたら女子はきゅんときちゃうよな」という台詞やエピソードがちりばめられてますね。まさに、幕末トレンディードラマ!
2010年01月24日
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13年ぶりにコンサートツアーです。先日Yahoo!のニュースを見てて、腰が抜けるほどびっくりしました。行きたい!!!ネットで現在の写真を見たところ、太ったり禿げたりはしてませんでした。ちょっとおじさんになってたけど、彼ももう四十路だから仕方ないよね。昔の曲とかも歌うのかな。こんな感じ。
2010年01月23日
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連続ドラマ、あるいはSPでやっていたところまでなら、音大生を主人公にした学園ドラマ、というカテゴリーで、親しみを持って観ることができた人はたくさんいたはず。しかも、クラシック音楽というちょっと敷居の高そうな世界を身近にしてくれて、おかげでベト7のCDは売れて、コンサートにお客も多少増えて・・・。でも、漫画を読んでる人なら分かると思うけど、のだめと千秋がパリに行ってからは、(ギャグ満載であっても)流れる空気が変わってきていました。「パリ編はいまいち面白くない」という声もちらほら。わたくし個人としては、パリ編になってからののだめと千秋の関係とか、のだめの悩んでること、千秋の考えてること、いちいち心に響いており、音大編よりも真剣に何度も読んでしまいました。最終回近く、オクレール先生がミルヒーに言った台詞に涙してしまったんですが、その場面は後編に出てくるんでしょうか?今回の映画化は、ドラマのファンというより、漫画原作のファンのために作ったんじゃないだろうか?と思いました。漫画を愛読している人からも、ドラマはとても支持されていたし、(原作の雰囲気を壊してない、玉木宏の千秋様が素敵、上野樹里ののだめがハマリ役など)どうせなら、そのエッセンスだけでも映像で見てみたい、というのが原作ファンの気持ちなんではないでしょうか?そんな原作ファンへの、二ノ宮知子さんからのプレゼント。今回の山場は、千秋がチャイコフスキーの大序曲「1812年」を指揮するところ、ではなく、その後、バッハのピアノ協奏曲第1番を弾き振り(ピアノソロを弾きつつ、指揮をする)する場面でしょう。弾き振りする玉木@千秋様に、私はクラクラしました。あまりのかっこよさに!!それを客席で聴き、呆然とするのだめ。「ずるい・・・」千秋先輩がピアノ協奏曲を弾くのをのだめが聴くのはこれで2回目。しかし、1回目(Sオケとやったラフマニノフ)の時と、今回ではのだめの感情はちょっと(かなり)違ったはず。1回目は素直に「自分ももっとピアノがんばるぞ~!」「ピアノ弾かなきゃ~!」と盛り上がっただけだったと思います。が、今回は自分だってパリに来て真剣にピアノと向き合って、頑張ってるのに、どうして?先輩はどんどん先に行ってしまう。それは大好きな先輩を追いかけるとかではなく、のだめ自身がすでにひとりのピアニストに成長しつつあるってことなんじゃないでしょうか?その先には当然焦りの感情も生まれてくる。それが、後編に続くもやもやしたラストになるわけですね。後編ではまたのだめはガツンとやられてしまうし。きっと、ドラマの楽しいノリを想像してたファンの期待を大きく裏切るラストだと思います。(前編は)後編は結構ヘヴィな内容になることは想像に難くないですね。ギャグシーンも減るんじゃないでしょうか?でも、私はそんな「のだめカンタービレ」が大好きだし、楽しみに後編を待ちたいと思います。
2010年01月01日
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久々の日記が、なんだか難しそうなタイトルだけど、1989年という年は、本当に忘れがたい年なのです。歴史の教科書にその後載るんだろうな、と思う出来事が目の前で起こっていた年だったのだから。1989年の夏から1年間、中国に留学していました。天安門事件が起こった直後で、留学を取りやめる学生もいたくらいで、私が行った大学も、前年の半分くらいしか留学生がいなかったそうです。(特に、欧米からの学生)チェコやルーマニアで起こった革命も、中国ではほとんど報道されることもなく、実家から送ってきた雑誌の記事で初めて知ったくらいです。国や民族ごとの社会体制の違い、宗教の違い、思想の違い、というのを、日本にいるとあまり感じないけれど、初めて生々しく感じたのはこの年でした。この年に、このタイミングで中国にいたのは、その後の私に少なからず影響を与えていると思います。たまたま仲良くしていたのがドイツ人が多かったこともあり、「東西ドイツが統一されるのは、同じ国民なんだし、良いことなんじゃないの?」と聞いた時のことが忘れられません。「東にいる人と自由に会えるようになるのは嬉しいけど、全く違う2つの社会体制が1つになれば、いろいろ困ったことも出てくると思う。」という西ドイツの学生。そして、その通り様々な歪みは起こったのだけど。「1つのドイツになったら、私は自分が生まれた国がなくなってしまうの。」という、東ドイツの学生の言葉は印象的でした。あの時の、彼ら彼女らは、今どこにいるんだろうな。壁がなくなり、ひとつのドイツになってから生まれた娘や息子に、「お父さんとお母さんは違う国で生まれたんだよ」って言ってたりするかもしれない。20年って、それくらい長い時間のように思います。来年は統一ドイツ誕生から20年になります。どんな年になるんだろう?日本にいると、世界中のいろんな出来事が、まるで映画かドラマのように思えて、あまりリアルに感じないことも多い気がします。それくらい、特殊で不思議な国に住んでいる、ということを、もう少し自覚したほうが良いのかもしれません。グローバリゼーションとか言うけど、国境をリアルに知らない日本人には、実はあまりピンとこないんじゃないかな、なんていつも思ったりします。「人間同士、言葉や習慣も違っても分かり合える」という考えが、実はとても脳天気な幻想でしかないと、そろそろ気づかないと、マズいんじゃないかと最近思っています。うまく言えないけど、20年前のようなあんな1年が、またやってくるんじゃないかと、なんとなく落ち着かない気持ちになっている今日このごろです。
2009年11月09日
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2010年大河ドラマ「龍馬伝」のキャストが発表されましたね!香川照之、大森南朋、などなど魅力的な俳優さんが勢揃いしましたね~。中岡慎太郎、桂小五郎など中盤以降に出てくる主要キャストも期待できそう。やはり、脚本家・福田靖さんのドラマによく出てくる人たちのようです。小松帯刀も出てくる?瑛太?女性陣も結構良いですねえ。貫地谷しほりの千葉佐那が私としては結構ツボです。広末は、、、ノーコメント。真木ようこのお龍さんは、男性ファンにはたまらんのではないでしょうか?寺田屋が楽しみです(?)視聴率は正直それほど期待してないのですが、キャストを見てホッとしました。中身の濃いドラマになりそうです。どっちかというと、玄人ウケしそうじゃないですか?どっかで私の大好きな佐々木蔵之介様、あるいは堺雅人様を出していただきたいのですが、どうなんでしょう?それにしても香川照之さん、「坂の上の雲」といい「龍馬伝」と言い、私の観たいドラマには必ず出てるって感じです。この人だけは、はずれがないと言っても過言ではありません。「龍馬伝」もある意味彼が主役って感じではないでしょうか?楽しみだ~!
2009年07月14日
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久々に、クラシック以外のCD買いました。聴きました。ましゃ、私と同年代なので、その頃同じような音楽を聴いていた可能性あり。きっと、さだまさしとか影響受けてると思うな~。1曲目、聴いてそう思いました。あるいは松山千春、中島みゆき?とにかく、私たちが中学生くらいの時に流行ったニューミュージックの人たちの洗礼は確実に受けてるのでは?かっこいい、あり得ないくらいかっこいい40歳ですが、彼の魅力はやはり声。この声で、ラジオでバカトークするんですから、そのギャップが素敵。さだの歌詞にもたびたび登場する”祈り”というキーワード。奇しくも、ましゃの楽曲にも数回登場します。これは、同じ長崎県人としての”何か”なのか、それとも偶然なのか?最近、私の中の密かなキーワードだったりもします。”祈り”・・・。別にクリスチャンでもなんでもないんですが。歌詞のある曲を聴く、というのは実は結構(悪い意味でなく)消耗します。頭使います。軽く聞き流せないですね。なんか、ちょっと酔っぱらってます。
2009年07月10日
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今朝、新聞をぱらぱらめくっていて、久々に身震いするようなニュースに出会った。樫本大進くんが、ベルリンフィルのコンサートマスターに内定したという!私の大好きなプレイヤーが、同じオケのコンマスと首席フルート奏者だなんて、想像しただけで失神しそうです。すでにソリストとして活躍している樫本くんが、なぜオーケストラのコンサートマスターになろうと思ったのか、その心境は分からない。ソリストとコンサートマスターの役割の違いは本当に大きいし、自分が演奏したことのあるヴァイオリンコンチェルトを別の人が演奏する後ろで、コンサートマスターをつとめることだってあるだろう。その経験が、ソロで活動する時にもきっと良い影響を与えるんだろうなあ。ベルリンフィルは、ひとりひとりがソリストとしてだって活動できるほどの人ばかりの集まり。そして、ベルリンフィルの伝統を守り、新しいベルリンフィルを作っていくことに誇りを持っていなければつとまらない。だからこそ、首席指揮者も団員もすべて団員投票で選ぶ。「私の弟子を入団させてね」ってコネで入れる世界ではないし、「うちの息子をぜひ」という世襲の世界でもない。樫本くんも、2年後(普通の団員は2年の試用期間があります。)の団員投票で是非正式にコンサートマスターに就任してほしいです。ヴァイオリンという楽器があまり好きじゃなかった私が、ほとんど初めて「なんて素敵な音楽を奏でる人なんだろう!」と、その世界に引き込んでくれたのが若干10代の樫本くんだった。すごいコンクールで優勝した人だなんて全然知らずに聴いていたので、後で知ってびっくりした。ことあるごとに、彼の演奏を聴いてきたけど、最初の私の印象は間違ってなかったんだな~と、今回のニュースをきいてもほんとに嬉しい限りです。日本人代表とか、そういう気持ちで応援したことは全くない。応援なんていうのも全くおこがましいことで。彼がインド人でもフランス人でも、あの音楽を奏でていたなら好きになっていたことは間違いない。オリンピックじゃないんだから、国籍は全く関係ないんです。ほんとにほんとに、がんばってほしいです。そしてベルリンフィルの仲間入りを正式に果たしてほしいと、遠く日本の空から祈っています。チケット入手が厳しくなるかもしれないけど、聴きにいきますから!
2009年06月19日
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グルダはモーツアルトだと思っていたけど、バッハも素晴らしいです。最近バッハにハマっているので、いろんな人のいろんな楽器のバッハの曲を聴いていますが、やはり、グルダの音が私の耳にはしっくりくるようです。バッハと言えば、グレン・グールドですが、実はまだちゃんと聴いたことがなく。なので、比較しようがないのですが、多分、私はこっちが好きだな。もうひとり、私の好きなピアニストと言えば、マウリツィオ・ポリーニですが、彼は断然ショパンとかドビュッシーですよね。何でも演奏できるのが巨匠だとか、一流の芸術家というわけではないような気がします。この人と言えば、この曲、みたいなのがあれば良いのでは、と思う今日この頃。(例えば、バッハの無伴奏チェロ組曲といえばカザルスだろ~!みたいな。)この「バッハ・アーカイヴ」の中で一番好きなのは、カプリッチョ BWV992。暖かくてかわいらしい曲だなーというのが第一印象。バッハって気難しい人ではないんですよね、多分。レッスンでもずっとこのところバッハのフルートソナタを吹いているのですが、やればやるほど親しみがわくというか、仲良くなりたいと思う感じ。それと、このCDの最後に入っている、グルダ自作の「プレリュードとフーガ」。これは圧巻です。びっくりしました!彼がジャズにも精通していたという話は聞いたことがありましたが、これほどとは!で、ジャズの人がバッハをジャズにアレンジしたり、モーツアルトをジャズにしたりしたがる気持ちがよくわかります。が、それをやってうまく行く人はほんの一握り。グルダのは、バッハが今生きていてジャズの作品を書いたらこういう感じになるかも、と思わせてくれます。って、ほめ過ぎ?良いではないですか。だって、好きなんですもの。理屈抜きで好きなものって、誰にでもあるじゃないですか。音楽評論家が、このCDをなんていうか知りませんが、私はこの人のピアノを聴くと、確実に幸せな気持ちになれるんですから。このCDを聴きながら、灯りを控えめにした部屋でワインを飲んでいると、別世界に行けます!とても残念なのは、グルダが生きていないこと。一度で良いから生きているグルダの演奏を聞いてみたかったです。
2009年04月25日
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ほとんど1ヶ月に1回しか更新しない状態になってます。とほほ。。。3月にいくつかの演奏会を聴いたので、その感想を書きたいと思いつつ、いまいちな演奏ばかりだったので(とほほほほ)なかなか書く気が起きず、そのまま放置。最近読んでる本:司馬遼太郎「坂の上の雲」・・・なかなか読み応えありで、なかなか進みません。面白くないのではなく、噛み締めて読んでおります。そのうち感想を書きます。少なくとも、年末のドラマまでには読了しなければ。最近ハマっている音楽:バッハ。とにかくバッハ。グルダの「バッハアーカイヴ」を買ってから、すっかりその魅力にハマりました。(その前に、パユのバッハのフルートソナタ集か。)でも、師匠からは「バッハなら、なんでグールドを聴かないの?ていうか、聴きなさい!」と言われました。ええ、聴きますとも。心して、近いうちに。そのうち、グルダの感想も書きます。多分。最近始めたこと:ジョギング。子供の頃から運動部に所属した経験が全くない私が初めてハマったスポーツです。いや、スポーツと言えるのか?私のこののんびりとした走り方は。でも、auの「Run & Walk」というアプリのおかげで、走る時間がのびたり距離が増えたりするのが面白くて、ちょっとずつですが平日も走ったりなんかしてます。別に最近のランニングブームに乗せられたわけではありません。しかし、体を動かすのが楽しいと感じたのは初めてかもしれません。春になると、いろいろ始めたくなりますね。
2009年04月15日
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「チーム・バチスタの栄光」のシリーズ第2弾の映画。でも、前作は実は観てないんです。(原作は他にも何作かあるようです。)この作者の本は読んだことないし、(読んでみたいし、友人にも勧められてはいるのですが)映画も第1作を観てないのに、なぜこれを観たかといえば、やっぱり堺雅人。救命救急センターのセンター長で、凄腕の持ち主、敵が多い、医療メーカーから賄賂をもらってる???堺雅人のこれまでのイメージと全然違う感じ。しかも、いつもチュッパチャプスを舐めている。。。でも、プロの仕事人な感じは、堺雅人とダブるところがあります。ストーリーそのものは、面白いけど、「まあ、そういうことってあるのかもね」って感じで。宣伝で「現代医療の問題を描き出す」みたいなことを言ってたけど、あんまり新しい感じはないです。残念ながら。医薬品メーカーと医者の癒着とか、病院経営の問題とか、いろんなドラマですでに描かれているし、「え~、こんなことがあるの~~?」っていう驚きはなかったです。しかし、殺人はいかんよ、殺人は!!そういう意味でショッキングではあるけどね。。。なので、これは救命救急医の堺雅人を観るための映画。山本太郎が堺の部下っていう役なのがまた良いですね。とは言うものの、救命救急のドラマということでは、やっぱりフジが先にやっちゃった感じがあります。あのドラマを観てない人には「トリアージ」も相当ショッキングな現実として、受け止められたかもしれませんが。「救命病棟24時」の江口洋介がすごく好きで印象に残っているので、映画でも救命の場面ではついつい「進藤先生!」って思ってしまいました。救命病棟24時のパート4を作って、堺雅人と共演なんてどうでしょう?主役は一応阿部ちゃんと竹内結子なんでしょうが、「容疑者Xの献身」の福山と柴咲以上に存在感薄いです。。。阿部ちゃん、好きなんだけど、ちょっと美味しいところだけをさらっていくだけ。これって、ミステリーなんですか?違いますよね???全然なぞもなんにもないんですが。
2009年03月22日
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パンク、聴かないです。全然。だから、ちょっとこの映画も観たい気持ち半分、怖さ半分。一緒にいった連れは、私より年上なので、最後の方は「面白かったけど、音で疲れた」と言ってました。パンク、好きになったかというと、そういうわけでもないですが、この映画は面白かった!やっぱり、佐藤浩市の壊れっぷりが見事です。お下品な台詞も結構出てきますが、普通になじんでるところがすごい。「ザ・マジックアワー」でも、相当今までのイメージを覆したと思うけど、これはさらに上を行ってました。ハチャメチャにやっても、佐藤浩市らしさがほんのり見え隠れするあたりが、やっぱりすごい役者だなあ、と思いました。ろくでもないことばっかりやってる役なんだけど、なんとなくカッコ良いって思ってしまう。「誰も守ってくれない」をまだ観ていないんですが、しばらく時間をおいてから観ようと思います。ギャップが激しくて。。。そして宮?あおいちゃん。「篤姫」の収録の合間に撮影したそうですが、これまた御台所から遠くかけ離れたキャラ。舌が青くなるキャンディを舐めながらユースケ・サンタマリア演じる社長に「そっすね~」とか。。。ありえない!でもでも、ある場面で「あ、これは篤姫だ。。。」と思ったところがありました。ライブで暴れて骨折してしまったおじさんたち(佐藤浩市、木村祐一)に「あなたたちには本当にがっかりしました」ってちょっとお説教するシーン。老中相手にお説教したところに通じるものが!(言い方も声のトーンも全く違いますが)だめだめおじさんたちを手なずけていくところ、暖かく見守ってるところ、なんだかあおいちゃんの中にある母性のようなものを感じました。全体を通して、クドカンらしいネタ満載。強烈だったのが、田辺誠一演じるTERUYA。あきらかにGacktをパロディにしてるだろ~!「アンドロメダおまえだ」にヤラれました。勝地涼くんの「さくららら」もくだらなくて頭の中をくるくる周ります。深く考えても深く考えなくても、面白く観られる映画です。まあ、ちょっとクドカン自身が楽しみすぎ遊びすぎて、観る方にちょっともやもやを残す部分もなきにしもあらず、ですが。
2009年02月22日
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普段そんなに見ない番組ですが、今日は「篤姫」の脚本家・田渕久美子さんの話だったので思わず見てしましました。再婚したご主人が歴史のことに詳しくて、篤姫の脚本の時にもいろんなことを教えてくれたことや、病魔におかされながらも脚本執筆中の田渕さんを支えてくれたことなど、今まで知らなかったことばかり。わずか2年半の結婚生活は、まるで篤姫そのものですね。彼女が篤姫の台詞として書いたことは、そのまま自分の気持ちとリンクしてたんだと思うと、もう一度見直した時に新たな感動があるかもしれません。本人は天真爛漫で少女のようなところもある人でした。それにしても、大河ドラマ「篤姫」は終わったのに、映画関係の雑誌には瑛太とか宮?あおいとかの名前がたくさん出てますねえ。うれしいことです。
2009年01月23日
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フランス・ナントでモーツアルトの未発表曲が演奏されたというニュースを発見。こんな曲らしい。どんな曲なんでしょう?聞いてみたい!この日はヴァイオリンで演奏されたそうなので、ヴァイオリンのための曲なんでしょうか?
2009年01月23日
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めったに食べないのですが、知人の結婚祝いの小さな宴で都内の某カジュアルフレンチのお店に行きました。う、う、美味かったぁ~~~~!生きてて良かった。敷居が高いイメージのフレンチですが、こんなお店もあるんだ。セッティングしてくれた友人に感謝です。ひらめのポワレというのがすごく美味しかったです。非日常な食事というのは良いものですねえ。たまには。BGMが今ひとつでしたが。また絶対食べに行くぞ!!!お店の名前はフランス語で「隠れ家にて」みたいな意味です。探してみて~。
2009年01月22日
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あけましておめでとうございます・・・ってもう18日ですね。ついに。Mac購入しました。念願のMacユーザーに復活です。苦節5年。仕方ない事情でWinを使っておりましたが、ようやくMacbookを購入。あ~、やっぱりMacはかわいいです。おしゃれです。とりあえず、新年のご挨拶でした。
2009年01月18日
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最終回見てから、時間たってるのに、まだ感想文がまとまっていませんでした(汗なんか、満足しちゃって、あおいちゃんと一緒に燃え尽きた感じでした。大河ドラマを「今年は見よう」「今年は軽く流そう」「絶対見ない!」の判断って、なんだろうな~、と思うのですが、今年は主演の宮崎あおい以上に、堺雅人の存在が大きかったように思います。それと、たまに飲む焼酎「小松帯刀」の影響でしょうか(笑)2年前にタイトルと主演が発表された時は、絶対見ようとまでは思いませんでしたから。しかし、当初堺雅人目当てで見始めた「篤姫」も、すっかり初回からあおいちゃんと瑛太の魅力にやられ、堺雅人の新たな魅力にノックアウトされ、最終回まで楽しみに、かつ終わるのが寂しい気持ちで見続けました。見続けた、というより篤姫@あおいちゃんの一生をみんなで見守ったという感じでしょうか?どちらかというと血なまぐさいドラマになりがちな幕末という時代に、こんなに潔い女性が存在していて、裏から徳川幕府を支え、その幕引きに奔走したのかと、今更ながら思い知らされた気がします。主人公の篤姫だけでなく、周りにいた女性たちみんながそれぞれに覚悟を持って生きていたことにスポットをあてたというのが、このドラマの人気の秘密だったのでしょう。「覚悟」とか「己の役割」などという、普段忘れがちなことにハッとさせられた一年でした。それと、幕末という時代にさらに興味を持ったきっかけにもなったので、(もちろん最初は「新選組!」ですが。)いろんな本も読んでみようかなと思います。なによりもまず、この1年封印していた、宮尾登美子さんの原作をまず読んでみようと思います。年末には総集編がありますが、これも要録画!「新選組!」の時には、試衛館メンバー中心に座談会がありましたが、今回もやってほしいな~。女ばっかりの大奥座談会!
2008年12月14日
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どんなドラマもラス前が一番感動したり面白かったりするんですが、今回は涙のツボだらけでした。滝山、静寛院、重野と立て続けにお別れしなければならなかった天璋院の気持ち。。。いつもポジティブシンキングだった彼女もさすがに鬱々としてしまいます。どのシーンも涙腺崩壊しっぱなしでした。3人それぞれに3人らしい理由で天璋院のもとを去っていき、それが理解できるだけに無理に引き止めることもできず。滝山の「あなた様は選ばれしお方です。」というお別れの言葉は、最高の敬意を持った餞の言葉に思えます。みっともなくならず、毅然と幕引きをする、というのは実はとても難しいことのように思います。そして、幕を引くだけでなく、次へ引き継ぐという役割も。それは、武器弾薬を1つ残らず収めるというのもひとつの形でしょう。大奥中をきれいに片付け、美しい花で飾るというのは、どういう意味なんだろうな。。。と考えたのです。徳川将軍家と大奥に住んだ女性たち全ての潔さ、誇り高さを示すことと、敵だったとはいえ今後の日本を動かしていくであろう新政府の人間たちへのある種のエールのようなものだったのではないでしょうか?滝山が、涙を流したのはこの場面が最初で最後だったように思います。そして、小松帯刀との再会。碁盤は少し古くて地味なものになっていたところが天璋院の暮らしの変動ぶりをさりげなく表しています。「もし、斉彬様の養女になっていなかったら、一緒になってくれましたか?」という帯刀への返事。「亡き夫家定に相談してみます。」というのは、「それはなかったと思います」の意味ですよね。(篤姫のそばで「まあ、それでも良いかもしれぬのお。」なんて言って、家定様が笑っていそうですが。)夫婦になることはなくても、二人が深い絆で結ばれていることは確かだし、離れていても心は通じているのだから、一緒になったかならなかったかなんて、どうでも良いじゃないの。。。でも、おそらくこれが2人が会うのは最後。それでも「次に会える時まで元気で」と笑ってみせる帯刀の、台詞の外にある思いが痛々しいほど伝わってきました。天璋院と帯刀の再会なんて史実にもないかもしれないけど、それぞれの立場で必死に戦ってきた2人に、ドラマの中でだけでもこんな寛いだ時間を作ってあげても罰は当らないんじゃないでしょうか。最終回、予告編だけで泣きそうです。。。
2008年12月07日
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出演:中井貴一、戸田恵子作:三谷幸喜会場:パルコ劇場久々に三谷幸喜の舞台を生で見ました!だって、全然チケット取れなかったんだもの。。。いつもWOWWOWさんに頼りきりでした。やはり舞台は良いです。久々に人に自慢できます。芸能人も結構観に来てました。(津川雅彦とか。)「中井貴一主演でコメディをやりたい」と、「ザ・マジックアワー」のパンフで三谷さんが語っていました。この舞台のことだったかどうかは分かりませんが、中井貴一と戸田恵子の夫婦のやり取りに抱腹絶倒でした。だけど、ストーリーはちょっと切ない。ある夫婦の30年間を寝室のベッドの距離と二人の寝室での会話を中心に描いていきます。別に、すごい事件が起こるわけでもなく、夫婦や恋人同士なら「あ~、あるある、そういうこと!」っていうようなささやかなエピソードの積み重ねのお話です。小さなエピソードだったり、すれ違いだったり、でも、それが積み重なって2人は別の道を歩くことになり。。。。まあ、そんなことも世の中よくある話です。そんなよくある話が、三谷×中井×戸田の手にかかると、マジックのように面白い舞台になってしまうんですね。中井貴一&戸田恵子という芸達者2人だからこそできた作品だと思います。三谷の脚本が良いのは言うまでもないけど、あて書きをする彼のことなので、この2人の組み合わせでしっくりくるキャラクター設定もあるのでしょう。戸田恵子は、最初はミュージカルに出てる女優の卵。その後、振り付けの仕事や、ペットシッター、英会話教室の経営者、画廊のオーナーと、思いつきのように次々仕事を展開する天真爛漫な女性。でも、持ち前のバイタリティで次々に成功させていきます。中井貴一は、売れない作曲家。ちょっとお調子者で、電話が苦手。経済的には妻に頼り切ってる感じです。ストーリーはあってないようなものですが、劇中の音楽がまた最高です。「管鍵”楽団(かんげんがくだん)」という、ピアノ、フルート、オーボエ、クラリネットのユニットで、BGMから電話の着信音までやってしまいます。三谷さんも、縦笛でちょっと参加。三谷作品は常に音楽に恵まれているように思います。いや、それも作品の一部として、作曲家を選んでいるんでしょう。ピアノ・作曲の荻野清子さんは「ザ・マジックアワー」の音楽も手がけています。劇中、中井貴一が選考会に出していたけど、最終審査で落とされてしまった曲(あるマラソン大会の公式応援ソング)と保険会社のCMソングが歌われます。前者は中井が、後者は戸田が歌いますが、二人ともほんとに歌とダンスが上手い!戸田恵子に関しては、その上手さを今更言う必要はなく、今日も「この小さな身体からどうしてこんなによく響く声が出るんだろう?」って不思議でした。中井の歌う歌は「ちっとも心のこもっていない応援歌」という設定で、そのやる気なさそうな歌詞とメロディー、リズムがいつまでも頭から離れず、笑えてきます。あ~、ほんとに楽しかった。120分間、大笑いし、ちょっと切なくなりました。WOWWOWでやったら録画だ!いや、DVD出たら買いです!終わってまっすぐ帰宅すれば、「風のガーデン」がオンタイムで見られるのですが、観たらそのギャップに呆然としそうなのでやめておきました。開演前の三谷さんのアナウンスにもありましたが、真逆とも言える役柄なので(笑)今日観て思ったこと。というか常日頃から思ってましたが、その役者が好きか嫌いかは、私の場合「声」によるところが相当大きいということですね。
2008年12月04日
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このブログを書いてるのは、実はすでに放送から4日も過ぎていまして。。。第48回の視聴率は29.2%だったとのこと。立役者はやはり、家定様ですかねえ。慶喜が恭順することになり、将軍でもなくなったということは、江戸城の表はだ~れもいない状態なんですよね。徳川幕府がなくなったら、表にいた男たちもどっかに行ってしまい、大奥の女性たちだけが江戸城に住んでいるわけです。護衛程度の男たちしかいない、女の城・江戸城大奥。どれほど心細く、異常事態だったか、想像するに余りあります。そんな切迫した状況で、事実上の「将軍」は天璋院だったと言えるのではないでしょうか。こんなとき、大奥のトップに立っていた天璋院は、前代未聞の出来事にどんな気持ちで臨んだのでしょう?人って、おそらく「これが仕事だから」だけで、その役割を全うできるほど、強靭な責任感を持ち合わせていないと思うんですよね。また、「自分のためだけ」に動くこともできないだろうし。「絶対に守らなければならない何か」がなければ、自分を強く保つことは難しいんじゃないかと思います。それが、天璋院にとっては「家族のため」。家定から任された「徳川家を守る」という大事な役目のため。薩摩の家族とも離れ、尊敬する父・斉彬も、夫も、息子・家茂も失った天璋院にとっては、血のつながりはなくても、和宮は娘だし、大奥の女性たちはみんな大事な家族なんですね。「守りたいのは城ではない。徳川の心。そなたのいるところがすなはち徳川の家なのだ。」江戸城に入って10数年、最初は幾島以外に心を許せる人間もなく、孤立もしてきたであろう篤姫が、「徳川家」という大家族の「母」になるまでの物語なんですね、このドラマは。城を出るけれど、自分は家族を持ったという確かな安心感も、天璋院にはあったのではないでしょうか?それにしても、家定の幽霊(?)を前にした天璋院は、すっかりあの日の「御台」に戻ってましたね。碁盤を挟んで心を通わせた、愛する夫を前にした、妻の顔。消えていく家定を「行かないで・・・!」っていう目で見るあおいちゃんは、演じているとは微塵も感じさせませんでした。絶対に、本気で「行かないで」って思ってたと思う。残すところあと2回。ある意味今回(あるいは次回城を出るまで)が最終回のようなものですね。こうなったら、総集編までとことん付き合います。ドラマが終わったら、宮尾登美子さんの原作も読んでみようと思います。
2008年11月30日
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ご存知「三国志」の赤壁の戦いを描いた、ジョン・ウー監督作品。中国語・中国文学専攻だった私としては、とりあえず押さえておかねば、というもの。昔、NHK人形劇「三国志」に夢中になったこともありましたし。「三国志」は吉川英治の小説で日本人には親しみが深く、吉川三国志の信奉者は相当数いることでしょう。または横山光輝の漫画か。吉川三国志は、明代の「三国志演義」という通俗小説がベースになっているはずですが、横山三国志はどうなんでしょうか?(読んだことないんです。)ジョン・ウー監督の「レッド・クリフ」は、おそらく「三国志演義」ベースと思われます。だって、曹操が所謂”悪者キャラ”になっていますから。そういう意味では、ディープは三国志ファンからは否定的な感想が多いかもしれません。しかし、「赤壁の戦い」だけを描いているため、主役が周瑜、サブで諸葛亮というのはうなづけます。私のかすかなイメージでは、周瑜は「神経質そうな美青年」なのですが、トニー・レオンだと随分穏やかな人格者な感じがします。むしろ、諸葛亮を演じた金城武のほうが周瑜っぽい?というのが第一印象でした。が、実際に観てみるとこの配役、かなりイケてます。全体的にイケメンキャラが多いですね~。孫権とかかなりファンになりそう。なんというか、「中国版ミッション・インポシブル」な感じ?ありえないくらいの派手なアクションシーンに拍手喝采です。お色気シーンも結構じっくりありますし、(必要かと言われたらかなり疑問ですが。)「痛快娯楽活劇」にカテゴライズされる作品でしょう。小説や漫画でしか想像できなかった、ヒーローたち(関羽、張飛、趙雲など)が動いているのが観られる、というだけでもジョン・ウーの功績(?)は大きいと思います。とは言うものの。長い。。。。長すぎる!!!145分ですか?不要なシーンや短くして良いシーンを編集すれば、120分くらいにはなるんじゃない?長いわりに、人物描写が甘い。悪役の悪役たる根拠づけとかが甘すぎます。あれじゃ曹操はただの残忍な独裁者、そしてエロおやじ。悪役が魅力的じゃないと、ドラマに深みが出ません。(曹操役のチャンフォンイーの演技そのものは悪くないんですが。)孫権の苦悩みたいなのも、描こうと思えばもっと描けたし、劉備があれじゃただの気の良い田舎のおじさん。曹操が「わらじを編むしか能のない男」とバカにするセリフがありますが、ほんとその通り!諸葛亮ほどの人がこんなおじさんに仕えてる意味がわかりません。私が諸葛瑾(諸葛亮の兄で呉に仕えている)なら「うちに来い!」って引き抜きますね。趙雲もついでに引き抜いちゃう。役者たちの演技が結構良いだけに、その描き方が浅くてもったいないです。しかし、三国志をそれだけ描きこもうとしたら、それこそNHK大河ドラマで1年かけてやるくらいの勢いじゃないと無理ですね。3時間弱の映画2部作ではとうてい無理。そういう意味では合格ではないでしょうか?そうそう!中村獅童!歌舞伎役者だけあって、殺陣のシーンは決まってました。中国語のセリフも、少ないけどよく練習してたんじゃないかしら?あと、金城武はやっぱり映画向きの役者なのね。フジのドラマではイマイチだな~って見てたんだけど、スクリーンで見ると映えますね!久々に三国志の世界に身をおいて、ヘンなことを考えてしまいました。蜀の面々って、なんだか新選組みたい。劉備、関羽、張飛が試衛館の3人(近藤、土方、沖田)で、趙雲が斉藤一って感じ。キャラは違いますけどね。一緒に観てた夫が「趙雲って、オダギリジョーだな。」って言ってたので、もしかしたら、同じような感想を持つ人は他にもいるかも?歴史上の人物を生き生きと、まるでその人自身が本当にそう考えていたかのように描く、というのは難しいものなんだと思います。日本人だったら、浅田次郎に小説化してほしいなあ。「蒼穹の昴」で、中国の近代史を小説にしたとは思えないくらいリアルなものを描いた彼になら、現代人が感情移入できるような曹操や孫権を描けるのでは?と思います。司馬遼太郎は三国志は扱ってないんですよね?ちょっと意外。北方謙三が三国志、水滸伝を小説化してますが、あまり彼の作品の第一印象が良くないので、いまひとつ手に取る気になれません。これを機に、久々に三国志関係を読み漁ってみようと思っております。
2008年11月29日
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指揮:サイモン・ラトル曲目:ブラームス 交響曲第1番 ブラームス 交響曲第2番会場:サントリーホール先日のオケの定演以来体調を崩していますが、この日ばかりはたとえ40度の熱があろうが、這ってでも行く!という楽しみにしていたベルリンフィルの来日公演の日でした。実は先日、友人夫妻がベルリンに旅行し、BPOを聴いてきたと自慢げに言っており、非常にむかついておりましたが、ベルリンまでのチケット代を考えればこの値段は安いもの・・・。(しかし、さらにむかつくことに、友人夫妻は貯まっていたマイレージで行ったらしい!!!)今回の来日公演は、ブラームスチクルスが中心。ブラームスの1番2番を一晩で聴けるとはなんと贅沢な。明日も聴けたら全部聴ける。でも、チケット代が!!!今日の演奏に関しては、細かい感想を述べる必要なんてないのかもしれません。あ~、ブラームスを聴いたなあ~、という満足感だけです。それでも特に気に入ったところがあるとすれば、ホルンのシュテファン・ドール!全くホルンは吹けない私ですが、魅了されました。1番2楽章のヴァイオリンソロ(今年が最後のシーズンとなる安永さんがコンマスでした。)との絡み。ホルンっちゅー楽器は、こんなに滑らかでしっとりした音を出す楽器だったのかと、目から鱗が落ちまくり。思い出すだけで泣けてきます。2番は、そういうホルンのやわらかい部分がたくさん堪能できた曲でした。また、管セクションの要となるのは、やはりパユ&マイヤーのゴールデンコンビだなあ、と痛感。この2人が音を出すと、ため息が出ます。。。あんなオーボエ聴いたことない。パユ様は、いつも演奏中に身体をよく動かします。身体をひねって後ろまで向くくらいに。あれは、実はその後クラリネットやファゴットとのアンサンブルがある部分だったんですね。ブラームスに限らず、フルートとファゴットの絡みは結構多いです。2番4楽章冒頭の弦楽器の旋律のあとに出てくるのもそうです。BPOが、団員の採否を(そして首席指揮者も)団員自らの投票で決める、珍しいオーケストラであることは有名です。このオケの演奏を聴いていていつも思うのは、弦楽器の後ろのプルトで弾いてる人まで全て「自分がこのオケの音を作っている」という自負を持っていることです。(今日は、ビオラの最後列の人から特にそれを感じました。)BPOに限らずオケのベースとなるのは、弦楽器です。そのBPOの弦楽器の音を作ってるという誇りとプライドをビシビシ感じます。先日観た「ベルリン・フィル~最高のハーモニーを求めて~」というドキュメンタリー映画の中で、ビオラ首席奏者の清水直子さんがおっしゃってたことを思い出しました。「”君の音なんて誰も分からないのに、なぜそんなに一生懸命やるの?”って夫に言われるんです。プライドの高い人なら傷つくでしょうね(笑)」そう。ビオラ1本の音なんて、誰も分かりはしません。コンマスだって、ソロでもない限りは10数本の中の1本。でもね、その1本が一人がテキトーなことをやってしまったら、オーケストラはぶち壊しです。濁った水に澄んだ水を一滴たらしても変化はありませんが、澄んだ水に濁った水を一滴たらすととたんに全てが濁ってしまうみたいなもの。(そういうことは、うちのアマオケでしばしば経験します(涙))彼ら彼女らにあるのは、そういうプロ意識なんだろうなあ。そして、ベルリンフィルという伝統を守り続け、発展させていかなくてはならないという自負。団員がオーディションし、決定するというやり方は、実は団員ひとりひとりにものすごい責任感のある方法だと思うんですよね。そんなことを思いつつも、この日の演奏を忘れないように、何度も何度も頭の中で反芻してしまいました。しばらくは、ブラームスを生で聴きたくないです。そうそう。ラトル氏は、2012年からの首席指揮者契約を更新することが、団員投票で決定したそうです。これでまたしばらくは、ラトル&BPOがどんなことをやってくれるのかワクワクして待ってしまいそうです。絶対にベルリンに聴きに行くぞ!
2008年11月25日
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待ちに待っていた、この人の再登場。天璋院だけではない、見ているこっちも「この人が来てくれたら、なんとかしてくれそう」な気になってしまいました。官軍の陣営に乗り込んでいき、「西郷吉之助殿にお目どおり願わしゅう!!」」と、お腹の底から響く声で挨拶されたら、戦支度中の男たちでさえひるんでしまうでしょう。今回の見せ場はやはり、西郷と幾島のやりとり。「天は徳川を滅ぼせと命じたのか、天璋院様をこれほどまでに追い詰め、苦しめよと!」涙ながらに訴える幾島の迫力に、さすがの西郷の心もグラグラ揺れているのがはっきりと解ります。それまで、慶喜以上にとらえどころのない感じだった小澤@西郷ですが、それまで抑えていたものがあふれ出したかのような迫力の演技でした。自分が尊敬してやまない斉彬公の娘であり、その婚礼支度までした懐かしい姫様。その姫様を自分が追い詰めようとしている。自分の中の矛盾に、今にも決心が崩れそうなのを、小松や大久保までも遠ざけることでなんとか保とうとしている西郷の決意が、ようやくわかったような気がします。結果的に姫様からのお手紙だけでは西郷の決意を翻させることはできず。最終的に総攻撃をやめさせることができたのは、山岡鉄舟の力が大きかったそうです。(勝海舟との談判の前に会談が行われたとか。)それにしてもかわいそうなのは、慶喜さんです。「新選組!」に続いて、「篤姫」でも頭は良いのにヘタレ将軍的扱いをされてしまいました。でも、実際どうだったんでしょうね?どうして自分だけ大阪城から逃げてきたんだろう?是非本心を聞いてみたいものです。「ほんとに錦の御旗にびっくりしちゃったの?」って。蟄居謹慎って、ただじっと座ってるだけなんでしょうか?お経を読むとか、何か自己批判させられるとか、そういうのはないんでしょうか?うっかり寝ててもバレないんじゃないの?とかいろいろ想像してしまいます。いよいよ次回、江戸無血開城へ。で、幽霊さん、登場です。幕末大河には、幽霊はつきものなのでしょうか?源さんと言い、家定さんと言い。なんでも良いんです。もう一度出てきてくれるなら。きっと篤姫様も思っていたと思うんですよ。幽霊でも良いから現れてくださいって。和宮様のところには、幽霊の家茂様が現れたのでしょうか?
2008年11月23日
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慶喜がなぜ「錦の御旗」に怯んで逃げてしまったのか?4年前「新選組!」を見た時は、少し不思議でした。だって、偽物かもしれないじゃん。疑い深くて頭の良い慶喜くんならそれくらい思いつきそうなのに。でも、今日ようやく腑に落ちました。水戸徳川家の出身の慶喜くんは、子供の頃から「尊王」の心を叩き込まれていたのですね。よもや偽物などと思いもしなかったのでしょう。彼の弱点を知る(?)岩倉の作戦勝ちだったわけだ。江戸に逃げ帰った慶喜に、天璋院との謁見を進める勝。本当に慶喜と天璋院が会見したのかは解りませんが、とても印象的な場面でした。侮っていた天璋院に全てを見透かされ、罵倒された慶喜はどれほどショックだったことか。そして静寛院のところへ一緒に行くことに。「尊王」の心を持つ慶喜にとっては、宮さまはどれほど畏れ多い存在か、押して知るべしです。その宮様が「慶喜の命を救いたい。宮様にもご協力いただけないか?」とお願いする天璋院を「母上様の仰せとあれば」と従うというのは、慶喜にとってはもうなんだか意味がわからない状態だったことでしょう。そんな慶喜を「徳川という家に集った家族」として、迎えてくれた天璋院。思わずひれ伏したくなる心情が、すんなりと伝わってきて、胸を打ちます。冒頭に、天璋院と静寛院がお茶をたてながら話をする場面を持ってきて、慶喜を「あの方を、あまり好きにはなれません・・・」と天璋院に言わせておいたのがこの場面で効いてます。好きではない男でも、家族である以上その命を助けなければならない、その母上の覚悟のほどを見た嫁は、慶喜と同じくらいに心を動かされたことでしょう。あんなに深く頭を下げた宮様を初めてみたように思います。家を守る、なんて今の時代ではあまりピンとこないのだけれど、「大事な家族を守る」と言い換えるとすんなり理解できます。「生きるのです!」そう言った天璋院の言葉は、なんでもかんでも切腹して責任とりました、って言ってた武士の世の終わりを告げる象徴的な言葉のようにも思えます。武家の棟梁たる慶喜の命を救うというのは、そういう意味もあるのかもしれません。一方、西郷は戦う意思を全く覆す様子はなく。でも、本当にそれで良いの?斉彬公はあの世で「それで良い」と言ってくれているのでしょうか?それを言われるのが怖くて、そのために心が揺らぐのが怖くて、実は小松帯刀を遠ざけたのでは、と深読みしてしまいます。意思が固そうに見えて、実はものすごい弱点を持っている男のように思えます。次回、幾島再登場。予告を見ただけで感動してしまいます。この女なら、西郷の弱点を突き崩す手立てを知っているのかも・・・?
2008年11月16日
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渋谷ユーロスペースにて。公式サイト立て続けにユーロスペースに足を運びました。今日の作品は、2005年のベルリン・フィルアジアツアーに密着したドキュメンタリー。リハーサル、移動の車中(機内)、本番、貴重な休日、ファンとの触れ合い、そして行く先々の風景・・・そういったものに、首席指揮者のサイモン・ラトル、団員、入団試験に受かった見習い生たちのインタビューを織り交ぜて構成されています。メインとして流れる曲は、その年のアジアツアーで演奏されたR・シュトラウスの「英雄の生涯」、それ以外に、新作やベートーヴェンの交響曲第3番”英雄”。この年の東京公演は実は聴きにいってたので、この作品は実に興味深いものでした。単にツアーのドキュメンタリーではなく、ベルリン・フィルってどうして世界に比類なきオーケストラなのか、その秘密を垣間見ることのできる作品でした。冒頭、いきなり入団オーディションの光景から始まります。「え?こんな映像、見せて良いの?」と驚きましたが、そういえばクラウディオ・アバドが首席指揮者の任期を終え、次の指揮者を決めるまでのドキュメンタリーもあったので、それほど驚くことでもないのかもしれません。入団する新人は、団員がオーディションし、2年の試用期間(長い!)の後正式採用を決定するのも団員です。首席指揮者が決めるということはありません。(その掟を破ろうとして、オケと決定的な亀裂を作ってしまったのが、かのカラヤンです。)試用期間とは言え、一人の音楽家としてオケの仲間として一緒にツアーを回った新人を、結果的には不採用にするかもしれないという厳しい現実。新人たちの恐怖と不安はただものではないと思います。「新人を正式採用するかどうかの決め手、それは彼らが我々と一緒にやっていける音楽家かどうか、ということだけだ」と、あるベテラン団員は言います。ようするに、「わが社の社風に合うかどうか」。その社風は、しかし、凡人には簡単には理解できない、天上人あるいは選ばれた人間だけが理解できる共通認識なんだと思います。ベルリンフィルが持つ、伝統のハーモニーを一緒に造り上げ、あるいは新しいものを作っていける仲間かどうか。団員は自分のことを「特別な人間だとは思っていない」と言っています。しかし周囲からは特別な人間に見られる。そのプレッシャーと日々戦い、「何十年もかけて楽器をマスターしていかねばならない」と言います。楽器をマスターって・・・。すでにマスターしてるじゃないですか!人並み以上に!そう。一流の人間ほど謙虚です。そして、自分と常に真摯に向き合います。そういう人々の集まりがベルリン・フィルなんですね「指揮者はやがて去っていきます。でも、ベルリンフィルはいつまでも存在している。」団員のひとことが印象的でした。それを、現在の首席指揮者・ラトルはよく分かっているのだと思います。「指揮者の仕事は、オケを上手に羽ばたかせてあげる手助けをすること。」正直、現代音楽の新作で、テンポや拍子がころころ変わるような曲でもない限り、このオケは指揮者がいなくたって演奏はできるのです。何の故障もない飛行機が、離陸と着陸以外ではほとんど操縦士を必要としていないのと同じ。ただ、時々天候不良に見舞われることもあるので、その際に方向性を確信的に導くのが仕事なんですね。(それは、本番中のトラブルという意味ではないのです、うまく言えないけど。)つまり、指揮者はオーケストラにとって「パートナー」であり従うべき「指導者」ではないわけです。それをわきまえない、独裁的な指揮者も当然いるわけで、そのような人はベルリン・フィルからは去って行くのだそうです。(それが誰なのかは、団員の口からは出ませんでしたが。)北京、ソウル、上海、香港、台北、そして東京とまわる、過酷なツアーの中で、団員たちがストレスと戦いながらも団結していき、最高のハーモニーを生み出していく様に圧倒されます。それぞれの都市の風景を見せ、その観客の様子の違いなども見られるのが面白いところです。上海、香港、台北は初めてだったのか、まるでサッカーW杯のようにパブリックビューイングを行っていました!特に台北のファンたちの熱狂的な歓迎には驚きます。映画の最後は、4人の新人たちの採否の結果が判明します。実は私はその結果に少なからぬショックを受けました。なぜなら、その時の東京公演で素晴らしい演奏だった候補生が最後に不採用になっていたからです・・・。どんなに素晴らしい演奏家でも、社風に合わなければ去るしかないという厳しい現実を実感としてつきつけられたのでした。そのほかにも、団員ひとりひとりが抱える苦悩とか喜びとかいろいろなものが赤裸々に語られています。団員だからこそ言える、このオケの悪いところ(?)とか。もしも生まれ変わることが出来たなら、このオケの一員になってみたい、と図々しくも思ってしまいました。
2008年11月15日
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渋谷ユーロスペースにて公開中。公式サイトはこちら。1933~45年、ドイツ。ヒトラー政権下でのベルリン・フィルについて描いたドキュメンタリー作品。当時の団員が2名だけ生存しており、それ以外にも団員の娘、息子たちも探し出して取材した監督の執念に脱帽です。2名の団員(元コンサートマスターとコントラバス奏者)が当時のことを回想して詳細に語っているのは見ごたえがあります。それと、当時のニュース映像を交互に見せながら、当時のベルリン・フィルの置かれた立場や演奏家たちの思いをくっきりと浮き彫りにします。第二次世界大戦後、フルトヴェングラーが戦犯の疑いで裁判にかけられたのは有名ですが、実際団員たちはどうだったのかを追求した本や映画はほとんどないようです。ナチのおかげで、戦争中も途切れることなく演奏活動を続けることができたベルリン・フィルですが、それはナチの政治的プロパガンダに利用されるという意味も持っていたのです。負傷した自分と同世代の兵士たちの前で慰問演奏をしたとき、「自分が実はとても恵まれた存在であることに気づき、恥ずかしく思った」と、涙を浮かべて回想する老楽士ですが、実際自分がその状況にあったら、やはり何も出来なかったと思うのです。ユダヤ系の団員はオケから追放され、ナチ党員の団員からは勧誘を受け、それをなんとかかわしひたすら音楽に打ち込むしかなかっただろうことは、容易に想像ができます。私だって、それが人道的に間違っていると分かっていても、ユダヤ人の仲間が追い出されるのを「それは間違っている!」なんて、反論できないですよ。次は自分が収容所に送られるか、仕事を干されて路頭に迷うか、戦争に狩り出されて戦死するか、そのくらいしか選択枝は残ってないのですから。陳腐な言葉だけど、戦争は愚かな行為だ、としか言えません。「篤姫」では、国を変えるためには仕方ないと言って戦を起こそうとする西郷、大久保が描かれていますが、「仕方ないけど必要」な戦など、この世に存在しないと思うのです。当時の貴重な映像が見られるという意味でも、面白い作品です。まだ若い頃のチェリビダッケの映像なんかも見られます。そんな苦難の時代を乗り越えて、今年ベルリン・フィルは創立125周年を迎えます。このオケが何故、世界トップクラスなのか、団員がみな自主性を持ちオケの運営に真摯に取り組んでいるのか、その一端をうかがうことのできる作品でした。ベルリン・フィルの創立125周年記念式典でも、この映画は上映されたそうです。地味な映画ですが、見る価値ありです。(全くのドキュメンタリー、演出なしに近いので、退屈・・・と思う人もいるかもしれませんが)
2008年11月11日
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4年前の「新選組!」もそうだったけど、「篤姫」も後半どんどん人が減っていきますね。今回は切腹とか暗殺じゃないんだけど。今日の大奥は、なんだかちょっと寂しい感じです。大奥での天璋院を囲んで、滝山、重野、歌橋の3人のシーンがメイン。江戸開城に向けて、これからはどちらかというと静のドラマになっていくのでしょうか?騒がしい外から隔離された大奥の感じが出ています。今和泉の母・お幸からの文を携えて、久々に小の島登場。小松帯刀の命により、天璋院に薩摩へ戻ってきてもらおうと嘆願します。そんな史実があったかどうかは別として、そんな文を書いたって娘は帰ってこないに決まってる、と母上は初めからわかっていたでしょう。それでも文を書かずにはいられなかった。親心ですよ。。。樋口可南子さんの演技に涙涙でした。天璋院の薩摩帰還をめぐって、滝山と重野は珍しく声を荒げて対立します。が、どちらも天璋院のことを思えばこその言い争い。それが分かっているから、天璋院も江戸に残ることを改めて決意したのだと思います。歌橋がコドモみたいに号泣するシーン、ちょっと「新選組!」の土方を思い出しました。(「友の死」の回)病を得て動きの取れない小松帯刀。一方、次々と汚い手を使って倒幕の道を進もうとする西郷・大久保。別に、小松の病は毒を盛られたとかじゃないとは思うんだけど、2人にとっては好都合。生きていたら絶対この2人の企みを小松とともに邪魔したであろう坂本龍馬の存在が思い出されます。ということは、龍馬を暗殺したのって・・・?運命は、必ずしも正義の味方じゃないんですね。力づくでも徳川の世を終わらせようとする西郷たち、ひとりの犠牲も出さず改革を進めるべきと願う小松。(勝、天璋院、ジョン万次郎もそうでしょう。)考えが甘いと言われようが、卑怯な手を使って倒幕を試みる西郷・大久保に比べたら、小松たちの考えのほうがずっと大局を見ている気がします。京や江戸の市井の人々の生活を苦しめた長州や薩摩の作った新政府が、果たして良い世の中を作ってくれるのだろうか?「新しい世をつくるため」とは言え、内戦は醜いものです。あの、錦の御旗はニセモノという解釈でよろしいですよね?「新選組!」の時と同様。薩摩の策略に乗ってしまった幕府の人間たち。次回、ついに鳥羽・伏見の戦いです。そして、慶喜は逃げ帰ってきますが。
2008年11月09日
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今日の夕方、こんなニュースが飛び込んできました。ましゃが坂本龍馬・・・。ましゃ好きな私ですが、正直言ってイメージじゃないです。かといって、巷間うわさされていたキム○クはもっとイヤだし。でも、ましゃを応援しようと思います。NHKのサイトで、「今までと違う龍馬を描く」というようなことが書いてあり、詳細を読んでみると、なるほど、それなら今までと違うイメージの役者さんを起用するのはアリかもしれないと思いました。姫川亜弓のヘレン・ケラーが教科書どおりなら、北島マヤのそれは型破りだけど魅力的だった、みたいな。(「ガラスの仮面」の話です・・・すんません)それに、福田靖脚本のドラマはどれも好きだし、群像劇が上手い人というイメージがあるので、(キ○タク主演でさえ、面白い)期待できそうです。幕末は沢山の人物が出てくるので、そういう人のキャラ設定をきめ細かくやってほしいな。で、ゲストで宮崎あおいちゃんを出演させてね。篤姫として。(唐沢くんの前田利家みたいに)まあ、個人的には福田靖つながりで、江口洋介の龍馬が見てみたかったけど。主演が型破りなので、脇はがっちり固めてほしいです。阿部ちゃんが勝海舟とか、どうよ?(福田つながりで・・・。)小松帯刀も結構がっちり絡んでくるんでしょうか?その他のキャストも楽しみだわ。小日向さん、出てきそうじゃないですか?キャスティング、求む!
2008年11月06日
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かつて500円札には岩倉具視が印刷されていました。大河ドラマで岩倉具視を見るにつけ、「どうしてこんな人がお札の顔になっちゃったの?」と思わずにいられません。(伊藤博文も同じ。お札になるほどの尊敬を集める人物とはとうてい思えないお二人。)偽の倒幕勅書を作ったり、偽の錦の御旗を作ったり、とんでもないやつです、岩倉って。しかし、そんな岩倉ごときに翻弄され時代がすすんでいってしまうほど、徳川幕府は弱体化してたってことでしょうね。大政奉還って、御前会議の後あっという間に行われたことだったと、今回改めて認識しました。小松帯刀が「急を要する」と言っていたのは、間一髪で偽の倒幕勅書が発せられ、危うく戦になるところだったから。その大政奉還を計画した坂本龍馬は、近江屋で何者かに暗殺されてしまいます。龍馬暗殺には諸説あり、新選組説、見廻組説、薩摩陰謀説、などなど。「今後、こいつの存在が邪魔になる」と思った人間の仕業だと考えられます。龍馬が邪魔になる・・・それは誰なんでしょうね?幕府側の人間(新選組、見廻組)ではないような気がしてくるのですが・・・?幕府側の人間であれば、暗殺ではなく堂々と斬りに行っても不思議ではないはず。とういことは、龍馬が考えていたその後の日本のあり方、新政府の青写真のようなものに、異を唱える誰か、のような気がします。こいつがいると、自分の計画が潰されてしまうという危機感を持った誰か・・・。(そのあたりを、再来年の大河の作者がどういう解釈をするのか楽しみです。)その是非は置いておき、新しい日本を作ろうとしていた重要人物の一人が、大事なときに消えてしまった、というのが問題なわけです。盟友を失った帯刀の嘆きは、いかばかりか。想像を絶するものだったと思います。それは勝海舟とて同じ。この回、主役は天璋院様ではなく、小松帯刀なんですね。さて、大政奉還がどういう意味を持つのか分からず、さすがの天璋院も激しく動揺しています。しかも、それを勧めたのが小松帯刀。勝の「日本国のために戦う覚悟です」という言葉に、ハッと我に返り、自分も覚悟を新たにするわけです。幕府がなくなる、大奥はどうなる??と慌てふためく女たちを前に、「大奥は安泰である」と励ます天璋院。大政奉還して、その後大阪城からもこっそり逃げ帰っちゃう慶喜とは大違いです。(まあ、慶喜にも言い分はあるかもしれませんが。)天璋院が、和宮降嫁の際に薩摩に帰国していたとしたら、もしくは次回描かれるであろう、小松らの計らいによって薩摩に帰っていたとしたら・・・。大奥は上を下への大騒ぎ、さすがの滝山も騒ぎを鎮めることが難しかったでしょうね。少なくとも、宮尾登美子さんも小説を書くことはなく、大河ドラマになることもなかったでしょう。滝山を主人公にした作品が出来ても面白いかもしれないですね。(ドロドロ系の大奥ものではなく。)
2008年11月02日
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前回に引き続き、「どこかで見たシーン」の連続です。公方様の棺を前に、泣き崩れる御台所。髪をおろし落飾する御台所。それを悲痛な面持ちで見守る滝山。和宮の姿は、かつての篤姫の姿。京へ帰るという選択を捨てたのも、薩摩へ帰るという選択を捨てたのも。嫁と姑という立場の違い、皇女と武家の娘という違いはあれど、愛する人を立て続けに失いながらも、生きる意味を、生きる場所を見つけて生きていかなければならかったのは、二人とも全く同じ。「どこかで見たシーン」が続くことで、2人がなぜわかりあい、心を許せるようになったのか、実感として本当によくわかります。それが、最後の和宮の「母上様と私は同じにございますね」という言葉に説得力を持たせます。家定と篤姫の間に夫婦関係はなかったとか、家定は暗愚だったとか、いろんな説があります。でも、天璋院が、故郷に帰ることも出来ただろうに、それをせずに江戸城にとどまった理由は、「篤姫は並々ならぬバイタリティと強い心を持っていた」だけでは説明がつかないですよ。当時は、一度嫁いだからには実家の敷居をまたげないのが普通だとは言っても、状況が状況ですから。薩摩に帰るチャンスだってあったんだし。絶対に徳川家を守る、という天璋院の決意。そこには「愛した人との約束を守る」という必然性がなければ、見てるこっちも納得できません。人ってね、あんな緊急事態になったら、「絶対にこうしなければ」という必然性が自分の中になければ、覚悟を持った行動なんてできないと思うんです。だから、このドラマの脚本で(原作もそうなのか分かりませんが)家定と篤姫の間にあった強い絆は、天璋院のその後の行動を裏付ける必要不可欠な要素なんですね。家茂と和宮が仲睦まじかったというのは良く言われていることなので、ドラマでの描き方は当然と言えば当然です。家定と篤姫の関係をあのように濃く描いたのは、このドラマの脚本の一番の上手さだと思います。「慕うております・・・今もなお。」宮崎あおいちゃんのこのセリフを、自宅で(仕事場で?)見ていた堺雅人くんはどんな気持ちだったでしょう?幽霊になってでも、もう一度会いに行きたくなりますよね。家定で良かった~~!としみじみ感じたことでしょう。一方、赤子をあやしながら西郷、大久保と仕事の話をする帯刀。今後の若い男性にも是非見習っていただきたい姿ですね。育児も仕事もばっちりこなす男。出来る男、帯刀。時代はいよいよ「倒幕」へ向かっていきます。そして、覚悟を決めた女たちの本当のかっこよさを、(天璋院だけでなく、和宮も、滝山も)残り7回で堪能させていただきたいものです。どうやら幾島も再登場のようですし。和宮の堀北真希ちゃんは、最初はなんだか大丈夫?って感じでしたが、今ではすっかり「徳川の女」です。これも「母上」の良い影響でしょうか。表情が、今回から変わってきましたね。良い感じです。
2008年10月26日
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この本を読んだのはおそらく3回目。高校生の頃に、「太宰治全集」を読破し、その後社会人になった頃に1度、そして今回で3回目。今、この作品を読んで、高校生の頃は、あんなに太宰が好きだったのに、ちっともこの作品のこと分かってなかったな~と思いました。今でも理解しているかどうかは自信はないのですが。もし、太宰が今の時代に生きている作家で、今の時代にこの作品を世に出していたら、彼があれほど望んでも手にすることが出来なかった芥川賞を受賞していたかもしれません。それくらい、現代にぴったりくる作品だと思います。当時は、時代が(選考委員たちが?)太宰に追いついていなかったんじゃないでしょうか?主人公の「葉蔵」は、自分のことを人間失格と言っているけれど、失格というより、彼は人間そのものなんだと思います。というと語弊があるとすれば、「人間のみっともない部分全てが表に出ている存在」と言えるかもしれません。人間同士の関係というものがうまく結べず、自分にうそをつかずに生きようとすると、あのような破滅的な生き方になってしまうのでしょう。それを折り合いをつけ、なんとか人間関係を結び、どうにかこうにか「世間」を生きていくのが人間だとするなら、そういう意味では彼は「人間失格」です。今の世の中には、葉蔵のような人間は多いんじゃないかと思います。信じがたいような恐ろしい事件を起こしてる犯人たちが、まさにそうでしょう。でも、それは自分とは全く違う生き物がやってることではなく、自分の中にもそういう部分はあるのです。それによって、誰かを傷つける行動をとるかどうか、その一線を踏み越えないでなんとか生きてる人がほとんどだというだけで。それを太宰はこの作品で見せ付けています。「道化」を演じて人間関係を作るところなんて、絶対自分の中にあると確信してます。悲しいけど。それにしても、太宰の文章はいつ読んでも天才的にかっこいいと思います。言葉の選び方なのか、リズム感なのか、独特な句読点の打ち方も、文体の変化の付け方も、彼にしか出来ないと思います。長編なら、ストーリーテラーとしての力量も問われるけれど、彼のような中・短編主体の作家であれば、よどみなく読ませる詩のようなリズム感が絶対必要。今の若い人に、夏目漱石や三島由紀夫は読みづらくても、太宰はきっと読めるはず。イマドキの高校生が「渋谷は喜劇名詞か悲劇名詞か?」なんて遊びをしてたら、ちょっと怖い気もしますが。最近は、いろんな出版社が古典的名作をいろんな装丁で文庫に作り直してます。人気漫画家に表紙を書かせたり、横書きにしたり。でも、新潮文庫が一番センスが良いと思います。「人間失格」がショッキングピンク一色のカバーですよ!黒とか白とか灰色ではなく、ショッキングピンク、というところに卓越したセンスを感じ、ブックカバーもかけず読んでしまいました。そのまま持っててもおしゃれなんだもの。若者に媚びてない感じも良い!(そのほうが逆に、若い人にはウケると思います。)大学の時にある先生が、「まあ、若い頃には太宰に熱をあげることはよくあるけど、大人になるとそれほどでもね・・・」なんて言ってましたが、それは違う、と反論したい気持ちでいっぱいです。ただ、ちょっと残念なのは、後ろの解説(太宰研究で有名な、奥野健男氏の文章。1972年の解説そのまま。)が長くて面白くないことでしょう。太宰の文章は全く古びていないのに、彼の解説は古臭いです(爆)誰か他の人に書き直してもらえばよかったのに。まあ、これから読む人は読まなくて良いと思います。
2008年10月23日
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フルート:エマニュエル・パユチェンバロ:トレヴァー・ピノックチェロ:ジョナサン・マンソンセカンドフルート:シルヴィア・カレッドゥパユが、満を持してバッハのソナタにがっつり取り組んだアルバム(10月8日リリースしたばかり)です。録音は今年。2008年1月のベルリン。はっきり言ってバッハに全く詳しくない、恥ずかしい私ですが、バッハの曲って、ただそこに流れているだけで「あ、バッハだ!」って分かる、唯一無二の存在のように思います。あ、唯一ではないです。モーツアルトもですね。そこにあるだけで、会話の邪魔もしないし、仕事の邪魔もしないけど、確実な存在感があって部屋中がバッハに満たされる感じ。バッハに関する薀蓄、バロックとは何ぞや、なんてほとんど知識のない私ですが、バッハを聞いてるとそんな満ち足りた気持ちになります。特に、フルートにとってはとても魅力的な曲も多いですし。とは言うものの、バッハなら誰が演奏したものでも良いわけではないのです。このCDを聴いてると、パユのナチュラルかつ力強いフルートの音の粒が、チェンバロやチェロ、もう1本のフルートと絡まって空から降り注いでくるような感じがします。そう。教会の天井から舞い降りてくる感じでしょうか。別に、宗教曲ではないのですが。そして、周りに満ち溢れてきます。私はクリスチャンではないけど、教会の雰囲気とか、窓から差し込む光とか、音、そんなものが感じられて、とても気持ちが静かになります。ちょっと涙も。フランスものの曲にもフルートの名曲は多いし、パユの演奏でも素晴らしいものがたくさんあります。彼の母語がフランス語なんだな~、と感じさせる演奏でステキなんですが、バッハではまた違った音色を聞かせてくれます。ベルリンで培ったドイツっぽいもの、でしょうか。そういえば、彼はブラームスのクラリネットソナタもフルートで演奏してますね。まあ、良き演奏の前では言葉は無力なものです。とにかく、聴け!って感じでしょうか。パユがバッハのソナタを日本で演奏することがあれば、是非是非万難を排してチケットゲットしたいと思います。このCDをきっかけに、もっとバッハをいろいろ聴きたいなと思っているところです。
2008年10月21日
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昼間たまたまテレビを見ていたら、竹中平蔵元大臣が出ていて、「今の政治の枠組みそのものを変えていかないと、付け焼刃の政策では今の危機を乗り越えることは難しい」と言っていました。言うまでもなく、このところ話題になっている金融不安のことです。明治維新からおよそ200年経って、この国はまた未曾有の変化の時に来ているのかもしれません。と思って大河ドラマを見てると、なんだか昔の出来事には思えず。アメリカから始まった金融不安は、今の時代の黒船なのかもしれません。なんとか難を逃れた龍馬は帯刀の計らいでお龍とともに薩摩で湯治。これが日本初の新婚旅行でした。お近さんといい、お龍さんといい、この時代の女性の強いこと強いこと。決して(表面上はそう見えても)夫の言いなりになりおとなしくしていたわけではないのです。そう見せかけてコントロールする。時代を動かした龍馬も帯刀も、女にはかなわなかったということで。その女性たちの中でも最大級に強いのが、天璋院。今で言うところの天然な姑・本寿院様の無邪気な振る舞いもひろ~い心で許せるようになったんですね。家定様をお生みあそばした方なのだから。和宮や天璋院の祈りも虚しく、21歳の若さで志半ばに生涯を終えなければならなかった家茂の悔しさははかりしれません。最初は、賢い少年っぽかった松田翔太くんが、次第に男として将軍としての品格を身につけていく様は、ほんとに素晴らしかったです。今日の家茂の最期は、家定のそれに負けずとも劣らない名シーンでした。ところで、滝山。それが大奥総取締としての仕事なのだから仕方ないとはいえ、天璋院に「公方様が身罷られました」と知らせに行くのは2度目。どれだけ因果な仕事なんでしょう。そして、あの時と同じリアクション。「何を言っておるのじゃ?」あのときと違うのは、自分がそれをまた誰かに告げに行かなければならないこと。自分以上に、息子の身を案じている嫁のところへ。あの時のように、自分の悲しみだけに暮れているわけにはいかない立場になってしまったんですね。息子が、そして夫が病に倒れることが、嫁と姑の距離を縮めるというのも、なんだか皮肉です。最後のシーンでは、二人は会話らしい会話は何も交わしていないのに、深い悲しみを共有せざるを得なくなった印象的な場面になっていました。二人とも、でも、いつまでも悲しんでいるわけにはいかない事態が次々に待ち構えていることに、気づいていないのですよね。そして、天璋院が不安に思っていたことが、本当になってしまうことも。よくくじけずに生きていけたなあ、とただただ感服するばかり。今の時代に、天璋院が生きていたなら、麻○総理になんて言って喝を入れるでしょうね?
2008年10月19日
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東野圭吾を読み始めて、2作目に読んだのが「容疑者Xの献身」でした。映画化されるし、観る前に読んで良いの?とも思いましたが、読んだ後に観た映画は、意外なほど期待を裏切らないというか、むしろ良かったんじゃない?と感じました。だって、話を知ってるのにラストに泣いてしまいましたから。相当原作に忠実だと思います。原作を読んだ時は、そのトリックに驚くと同時に、「なぜ?どうして?そんなことができるわけ?」と石神の行いを理解できない気持ちの方が強くて、感動というより読んでいて息苦しくなりました。(つまらないとか不快ということではなく。)こんな風に愛されたら、自分だったら辛いし、逃げたくなるだろうな、と。映画では、その石神の「動機」に少し膨らみを持たせていて、超凡人でミーハーな私にも少しは理解できるものになっていました。(安易?といえなくもないけど)とは言うものの、やはり石神の犯した罪はあまりに重いし、やってしまったことに対しては理解不能です。小説を映画化したり、ドラマとのコラボで作った映画って結構失敗するものが多いのですが、(少なくとも私の個人的印象では)この作品は珍しく成功していると思います。それは、ひとえに堤真一と松雪泰子の力によるところも大きいのではないでしょうか?原作のイメージからは程遠い堤さんですが、映画を見ていたらあまりのリアリティに(ストーカーっぽい雰囲気とか、冴えない高校教師の感じとか)すっかりハマってしまいました。松雪さんの、薄幸の美女っぷりも最高です。ドラマでは、被疑者の犯行動機とか人間関係にはちっとも興味を示さない湯川が、映画では思いがけない犯人と対峙し、苦しむのですが、その苦しみは私にもよく分かります。今までの事件は実験で実証できるものだったけど、今回のナゾはそうはいかなかったし、しかも解けなければ良かったと、後悔すらするものだから。堤さんの前では福山くんもさすがにかすんで見えますが、二人の天才の明暗を描くには、素晴らしい配役だったように思います。観終わった今、印象に残るのは石神@堤真一の迫真の演技です。留置所の天井を見て想像する四色問題は、あまりに美しくて、映像化のすごさを感じました。小説ではああいう言葉やこういう言葉で描かれていたものを、台詞もなく映像で魅せる。あのシーンが一番泣けたかも。まあ、全体的に観たら「それはあまり必要ないのでは?」と思うシーンもなきにしもあらずですが、それを補って余りある面白さがある作品です。東野圭吾のガリレオシリーズはまだまだ続いているようなので、是非ドラマも続編作ってほしいです。だって、小説も面白いけど、理系オンチの私としては、映像にして実験を見ないとピンとこないことも多いんだもの!作品世界にどっぷりつかった私を、現実に引き戻したのは、前後に座ってた家族連れの発言でした。子「あんまりおもしろくなかったー」母「そうねー、よく分からないし」子「ドラえもんの方が面白かったよー」・・・。ドラえもんと比べるな、子供!ていうか、子供は見にくるな!!!娘「あんまり面白くなかったー」父「そうだな~、ドラマの方がコミカルで面白いよな」母「そうねー。福山もあんまり出てこないし。」・・・。まあ、そういう人も多いかもね。この作品、R-18指定にしてくれ!子供の見るもんじゃない!!!残忍なシーンもエッチなシーンもありませんが、上記2組のような勘違いさんが続出してると思われます。平日に人が少ない劇場で、もう1回一人で見直したいです・・・。
2008年10月13日
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薩長同盟がその後の幕末維新の大きな流れを作った最大の事件だとすると、その立役者は間違いなく坂本龍馬。新しい日本を作る、という理想は薩摩も長州も幕府だって同じ志なんだけれど人の動かし方、物事の捉え方はみんな違っていたようです。幕府はやはり、300年近い時を経て制度疲労みたいなものを起こしてて、うまく機能しなくなった古い機械みたいな状態なんでしょう。もう、ちょっと部品を変えるとかするだけでは役目を果たさなくなってる。あとは新機種に変更するしかない、みたいな。そんな末期状態の機械の操作を任された家茂は、あまりにも荷が重すぎたのではないでしょうか?しかも、年上の部下(慶喜)は自分の考えで勝手なことばかりするし。いっそ「うつけ」になってしまったほうがラクかもしれません。薩長同盟を描くからには、篤姫が主役のドラマの中にあっても、この回だけは坂本龍馬が主役。彼が今の時代に生きていたら、スーパーエリート商社マンとして世界を飛び回り、やがては自分で会社を興していたに違いないです。政治家にはなっていなかっただろうな。今回の玉木宏演じる龍馬は、今までの龍馬に比べて若々しいというか少年ぽいというか、面白いことをみつけては目をキラキラ輝かせる子供みたい。その屈託のなさで幕末をすいすいと走りぬけていった感じがよく出ています。幕末って、いろんな人材がいてものすごい人間ドラマが繰り広げられていたと思うのだけど、観る角度によっていろんな見方が出来る人も多い時代のように思います。幕府の立場、長州の立場、薩摩の立場、あるいは会津の立場などなど。でも、どんな角度から見ても常にニュートラルかつ先進的な存在だったのは、坂本龍馬だけなんじゃないでしょうか?(勝海舟もそうかも)現代でもそうだけど、いつもニュートラルでいることが、人間一番難しいんじゃなかと思います。そういう意味でも、龍馬というのは興味がつきないし、いろんな人が小説やドラマの主役にしたくなるんでしょうね。さて、和宮とまた少しすれ違ってしまった天璋院ですが、薩長の動きも彼女の心に暗い影を落としていました。いやな予感が的中する日は、そう遠くないところまで迫っているのです。
2008年10月12日
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「仲睦まじい息子夫婦を物陰から見て、嬉しそうにうなずく母上」の場面がこのところお約束になってきてますね。この平和がずっと続けば良いのに・・・。とは思っても、時代はそれを許さないわけです。和宮ご懐妊!?で一気に幸せムード漂う大奥。自分のことのように喜ぶ天璋院は、自分が家定の子を授かれなかったから、というのもあるけれど、「家族をそなたに残したい」と言ってくれた亡き夫の言葉通りに、家族が増えて行く予感で幸せだったんじゃないかしら?残念ながらそれは実現しなかったけれど・・・。もし、本当に和宮が家茂の子を産んでいたとしたら、たとえ女子だったとしても、時代の流れは少し変わっていたかもしれない。男子だったら、もうしばらく徳川幕府は続いていて、違う形で開国していたかもしれない。慶喜も将軍になってなかったかも。かもの話はしても仕方ないですけどね。一方、風のような男・龍馬はついに小松帯刀と運命の出会い。初めて会ったとは思えないようなしっくりした空気はやはりのだめ仕込み?この二人と天璋院は同い年なんですよね。帯刀が9月、龍馬が11月、天璋院が12月生まれだったかと。そしてそして、帯刀くん、運命の女性とも出合ってしまいます。この時代は、桂小五郎と幾松、小松帯刀と琴花、みたいに、時代の要人と芸妓のカップルって多かったんですかね。命がけで働く男を支える女、という構図。でも、大奥の働く女性たちは、支えとなる男がいなくても命がけで働いてます。それがまたカッコ良いし、潔いし、美しいです。滝山も重野も、そのトップに立つ天璋院も。重野って最初出てきたときは、「幾島の代わりなんて務まるの?」って思いましたが、違った役割を果たしてる気がして、彼女がしゃべるとなんだか空気がやわらかくなる感じ。大奥の人たちを見ながら、私はどの役かしら?なんて思ってる女性視聴者は多いでしょう。いよいよ家茂の出番も残り少なくなってきました。「新選組!」もこのあたりで「将軍死す」でした。ラストスパート、名残惜しいです。家定様が再登場という情報もあり、(天璋院の夢枕に立つとかそういうの?)それは楽しみでもあります。
2008年10月05日
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ドラマ「ガリレオ」のSP。物理学者の湯川(福山雅治)が、大学の同級生で刑事の草薙(北村一輝)の捜査に協力したときの物語です。これも東野圭吾の原作があるんですね。それともこのドラマのための書き下ろし?映画「容疑者Xの献身」とのコラボ企画ですが、「実に面白い」。長澤まさみの役に意味はあったのか、とか、ビキニのお姉ちゃんたちがあんなに出てくる意味があるのか?という細かい突っ込みは置いといても、面白いです。トリックそのものは、ドラマ本編の方が凝ってた気がするけど、何が良かったって、湯川と草薙のツーショットですよ!ドラマもこのコンビでやってほしかった。そうすると、月9じゃなくて火曜10時とか木曜9時かもしれないけど、いや、いっそ土曜深夜枠で思いっきりマニアックにやってくれても良かった。すごくハマってるんですよ、なんだか。役者としては、北村一輝が変人ガリレオをやってもおかしくないんだけど、いかにも変人に見えない福山ましゃがやるところに意味があるのかも。この2人のコンビで続編やってくれないでしょうか?もっと観たいです。原作の湯川は、東野圭吾が佐野史郎をイメージして書いたらしいけど、ほんとに佐野史郎がやってたら月9にはなってないですね。それでも面白いけど。ていうか、佐野史郎がビキニのおねえちゃんとビーチバレーやっても絵にならないし(爆そしたら「変態ガリレオ」になっちゃう。
2008年10月04日
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あれだけコテンパンに欧米諸国に負けたのに、100年もすればまた欧米と戦って、国をボロボロにしてしまう。人間って、ほんとに学習しない生き物なんですね。しかも、長州だし。幕末も、太平洋戦争も。幕末維新は誰のおかげなのか?そんなことはどうでも良くなってきます。このドラマを見てると。誰のおかげでもなく、自然にそういう方向へ行くしかなかったし、それを徳川家がリードしたかそうでなかったか、というだけの違い。でも、歴史の表舞台に出てこないところで、国を変えるために戦っていた女性たちがいた、むしろ本当のところそういう人の働きが大きかったのでは?という視点を与えてくれる作品ですね、篤姫は。夫を病気になるまで追い詰めた姑を許せない嫁。一見すれ違っている二人だけど、本当は立場は同じだったことに気づけばお互いを認めることができるはず。二人の葛藤がそこはかとなく感じられる、ここ二回くらいは、派手ではないけれど天璋院と和宮をじっくり見せてくれますね。和宮の揺れる思いに、実母・観行院が気づき、励ましてくれたように、幾島が篤姫に寄り添っていたら・・・。などと今更言っても仕方ないし、幾島には幾島の立場もあったのだし。でも、もう少し長く、家定と篤姫の幸せは続いてたかも、なんて思ったりします。そういえば、幾島ってもう出てこないのかな。故郷・薩摩が戦禍に遭ったと知って動揺するも、「この国を変えていこう」と若き将軍を励ます母上。家茂にとっては、頼りになる母でありブレーンでもあったに違いありません。血のつながりなんてないのに、なんて良く似た母子なんだろう、と思ってしまいます。さてさて。篤姫もついにクランクアップしたとか。堺雅人さまの登場に、宮崎あおいちゃんが号泣したニュースを、ウェブのあちこちで見ました。正直、本物の夫より堺くんのほうがあおいちゃんとお似合いのような気がしたんですが・・・。だめ?そんなこと言っちゃ・・・?
2008年09月28日
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東京オペラシティコンサートホールにて。小曽根真がモーツアルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノム」を、キューバ出身でN.Y.で活躍するパキート・デリヴェラがクラリネット協奏曲を演奏するのが前半。後半は二人のデュオで、ジャズやラテンのライブでした。小曽根のモーツアルトは、途中でちょっと聞いてて苦しくなってきました、正直言って。カデンツァの部分をまるでジャズのように、時にはラヴェルのように、ガーシュインのように弾きまくる小曽根。確かにすごいんだけど、何かが違う・・・という違和感。それは、次にパキートのモーツアルトを聴いてはっきりわかりました。パキートの演奏するクラリネット協奏曲の第2楽章は「あれ?どんな曲だったっけ?ほんとは」って思うくらい、原曲は影も形もなく全てが新曲のよう。だけど!モーツアルトのエッセンスというか根っこの部分はしっかりあって、モーツアルトをちゃんと分かっていてぶち壊しているんです。”モーツアルト”という言語で”ジャズ”というテーマを語っている、とでも言うのでしょうか。一方小曽根の場合。モーツアルトに関する理解は、パキートほどではなく、ジャズの要素を少しでも沢山詰め込んで、どれだけモーツアルトらしさを壊せるか、奮闘している感じ。よって、余計なおしゃべりが多くしつこい印象。「クラシックだって、こうやって演奏すると、堅苦しくなくて楽しいよね、ね!」って無理に客を乗せようとしてる感じが、イタい。そもそも、モーツアルトは楽譜どおりに演奏したって、聴いてるものを楽しくさせるんだってば。よ~く分かったよ。「クラシックは堅苦しくないよ~」ってオーヴァーアクションをするイベントや試みがとにかく私はイヤなんだ。わざとらしくて。聴いてて恥ずかしい。だから、小曽根の「ラプソディーインブルー」はなんとか聴けても、モーツアルトはもうお手上げ。痛々しい。パキートくらい、身体でモーツアルトを分かってから出直してこい、と言いたい。(私がわかっているか、というのはこの際置いておきます。)休憩をはさんだ二人のジャズステージは、文句なく何も考えず楽しめました。小曽根もパキートも活き活きとして、本領発揮。やはり、小曽根真はジャズの人、なんですよ。ジャズピアニストとしては一流だと思います。それにしても。なぜ日本にはこんなステキな音を出すクラリネット奏者が誰もいないんだろう?特にクラシックには。なめらかでふくらみのある響きのクラリネットを、日本人の奏者で聴いたことがないんです。今日の演奏を聴いて、パキートのCDもぜひ聴いてみたいと思いました。アンコールではサプライズで、中川英二郎(Tb)塩野谷哲(Pf)などが客席から登場し、贅沢なセッションを聞かせてくれました。いや~、いつ聞いても中川英二郎のトロンボーンは素晴らしい!
2008年09月26日
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ついに坂本龍馬と勝海舟がご対面!玉木くんの龍馬はちょっと線が細い感じがしますが、のだめで鍛えられた「きょとん」とした表情は、屈託のない素直な龍馬の一面をよく表してる気がします。今後はきょとんとしたり白目剥いたりばかりしていられなくなってしまうので、今後に期待してます!かつて「次期将軍を一橋慶喜に」という密命を帯びて大奥に入った天璋院は、夫と信頼を深めていくにつれ、父の密命との間で板ばさみとなり、幾島にも何度も叱咤されてきました。そして、結局は夫と心をひとつにすることになりました。和宮も全く同じ境遇。幾島ほど厳しい言い方をしない母・観行院ですが、やはり帝との約束を忘れてはならないと言い含めます。姑もかつては歩んだ道のはずなのに、先週は少し歩み寄れた二人だったのに、またしても深い溝ができてしまいました。初婚でまだ10代の若い公方様には、嫁と姑の間をうまく取り持つ機転なんて利かせられないですよね。素直すぎます。素直に「母上が背中を押してくれました」なんて言ったら、和宮がへそ曲げるのなんて、分からないでしょうかね・・・。まあ、世の夫の皆様も気をつけられたほうがよろしいのではあらしゃいませんか?おそらく、和宮だって分かっているのですよ。将軍である自分の夫が都に出向かなければならないくらい、事態は厳しいということ。「あの国は今治安が悪いから、行かないで!」って総理大臣に言うようなものです。分かっていても、まだまだ新婚ほやほやの若きファーストレディにとっては、言わずにはいられなかったということでしょう。息子の無邪気なひとことのせいで、自分が恨みを買ってしまったとは気づいてない姑は、また深く傷ついてしまったようで・・・。それにしても、なぜお守り袋を作るときは「ソーイングミシーン」を使わなかったのでしょうね。あ、刺繍の部分だけは手縫いなのかしら。なんだか最近、つい和宮目線で見てしまうのは、姑という立場が自分には分かりづらいからなのかもしれません。一方、滝山たちとの場面では、働く女性としての目線(とは言っても、あそこまでの大変な仕事ではないのですが)で見ることができます。今回は久坂玄瑞、桂小五郎も登場。ああ、4年前に見た大河ドラマが、この「篤姫」の裏番組(?)なんですね。幕末つながりで、「新選組!」も再放送してくれませんかね。
2008年09月21日
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槙村さとるの漫画が原作のドラマ。有名百貨店の婦人服部長を黒木瞳、冴えない見た目だけど布団売場のエースを香里奈が演じました。香里奈が、突然婦人服売場に異動になり、黒木瞳のもとで働き、磨かれていくという成長物語。槙村さとるは、こういう働く女性を描かせたらほんとにうまい。以前「イマジン」がドラマ化されたとき、やり手のインテリアデザイナーを演じたのも黒木瞳でした。それ以上のハマリ役。原作を読んでないので、なんとも言えないのだけど、結構心に響くことがいっぱいです。人は見かけじゃない、中身だ!と部長に噛み付く天野(香里奈)に、「中身がおぼつかない人間ほどそういうことを言うものよ」と言い放つ神保(黒木)部長。ひえ~~~っ!痛いイタイ!自分探しばかりして、地に足ついてなかった頃の自分を思い出して恥ずかしくなります。(今が恥ずかしくないかといえば、それは微妙・・・。)面白かったので、漫画も読んでみようと思います。で、人生をつまらなくするような服を着ないようにしなきゃ(汗
2008年09月16日
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若い頃、自分が好きだった相手に、何年も経って再会するってどんな気分なんだろうな。しかももう会えないとあきらめてた相手。碁盤を挟んで久々に再会した帯刀と天璋院の場面は、女性の脚本家にしか書けない微妙な空気が最高でした。昔好きだった女の子は、今や人妻。しかも未亡人。夫亡き後の家を切り盛りしている。昔自分を好きだった男の子は、今や家老。出世してあの頃よりずっと頼りがいのある男になっている。しかも、私の親しかった女性を妻にして。あの時、もし彼の気持ちに気づいて、結婚することになってたら、今頃私はどうしていたかしら・・・?現代だったら、この後不倫ドロドロ話に発展してしまいそうだけど、この時代はそうはならないわけで。しかも、お互い対立する立場になってしまい、今はある意味「仕事」の話もしなければならない。覚悟を決めて生きてきている天璋院とは言え、ものすごい勢いであの日の桜島の思い出がよみがえったことでしょう。二人は本当にまた会えると思っていたのかしら。時代はどんどん二人を引き裂いていってしまうんだけど・・・。ところで本当に小松帯刀と天璋院に友情とか交流があったのか、なんて今更ふと思ったりもしてしまうのですが、もうそんなことどうでも良い感じ。それくらい、このドラマでの二人の描き方には納得させられます。「上等な人間は、人を力で動かすのではなく、心で動かすものだ」勝に言われて気持ちがすっきりした帯刀は、今後どのように生きていくんでしょう。ということは、大久保や久光らは上等な人間ではないってことで・・・。幕末維新って、結局上等じゃない人間たちが偶然成功しちゃったクーデターみたいなものなんじゃないかな~、なんて思う今日この頃。徳川が上等だったとも思わないけど、薩長が上等だったから勝ったとは思えない。それが正しかったかどうかって、何年も経たないと分からないものなんですね、歴史って。
2008年09月14日
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もし、兵を率いて上洛したのが久光ではなく斉彬だったら、天璋院はこんなに辛い立場に追い込まれたのでしょうか?幕府の重要人物たちとも交流が深く、人望も厚い斉彬であれば、事前の準備も怠りなく行ったのでしょう。久光は、「兄上の遺志を」とは言ってもそれを行うには器も違うし、段取りも悪すぎ。それが空回りして、結局力づくで動かそうとして、周囲の反感を買ってしまってる感じです。(そんな殿様の器の小ささを、山口祐一郎はうまく演じてますねえ。)自分が薩摩の出身であるゆえ、(しかも本来は斉彬からの密命を帯びていたのだから)周囲から疑われても仕方ない、こそこそ言われるよりはマシ、と気丈な態度の天璋院様も、一番信頼していた息子からの微かな疑心には深く深く傷ついてしまいます。そしてあのような行動に出てしまうのですが、それを見て張本人の息子はもちろん、嫁も深く傷ついたのではないでしょうか?公武合体とは言うものの、もし朝廷が薩摩のいいなりになって幕政改革を迫ったりしたら、自分の立場はどうなるんだろう?家茂様のことは信頼しつつあるけれど、でも自分の故郷・京の都のことを思えば胸が痛くなる。庭で薩摩の思い出を燃やしている天璋院の姿は、和宮にとってはまさに明日はわが身、なのです。自分の故郷が敵となってしまう。実際、数年後にはそれが現実となってしまうのですから。京方の誰にも、そこまで深くは理解できないところで、密かに和宮は天璋院に心を寄り添わせたのではないでしょうか?今回も滝山に泣かされました・・・。いつも冷静な判断をする滝山が初めて見せた涙。あれは絶対演技じゃないですね!稲盛いずみ、名演技です。ぶらぼー!演技じゃないといえば、宮崎あおいちゃんもそうですよね。ここまで本気で「徳川の妻」になりきっているのは、家定様@堺雅人との絆ゆえかと。本気の天璋院@あおいちゃんに、周りのキャストやスタッフも共鳴してる感じがひしひし伝わってきました。ところで、どうもやはり私は西郷吉之助という人間に共感できません。「久光様のもとでは働きたくない」そりゃそうだろうけどさ・・・。斉彬様に比べたら頼りないし。でも、そういう感情だけで動いているように見えるのです。自分がそういう行動を取れば、どういう混乱が起きるのか、そういうことまで思い至らない。結局、彼の勝手な振る舞いが、仲間をむざむざ死なせる要因のひとつになってしまったのだから。あまり頭の良い人ではないですよ。なぜそんなに人望が厚いのか私には分かりません。男性から見るとまた違うのでしょうか?不遇な時期を過ごした、というのであれば大久保も同じこと。どうして二人の方向性は分かれてしまったんでしょう。こんなことを言ったら、鹿児島の町は歩けませんね・・・。
2008年09月07日
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東野圭吾初体験です。しかも、ミステリーと言われる分野を全くと言って良いほど読んでいません。東野圭吾がミステリーにカテゴライズされるのかどうかもよく知らないんですが、ダブルの初挑戦のわりに、すんなりとその世界に入ることができました。実際読み終わるまでにあっという間。「記憶の改編」というのがポイントであることは、読み始めてわりとすぐに分かりました。こういうことって、脳のしくみがどうのこうの、バーチャルな世界がどうのこうのということとは全く関係なく、意外と日常の中でもあることです。あやふやな記憶を、自分の都合に合わせて修正を加えて、それがあたかも最初からそういう記憶だったかのように定着させてしまうこと。それに着目してこの作品を書いたのでしょうか?そういうミステリー要素と同時に、悲しいラブストーリーでもあります。何かに似てる・・・そうそう、夏目漱石の「こころ」ですよ。主人公3人の誰にも感情移入できない感じもそっくり。それにしても、携帯電話も出てこなくて、フロッピーディスクとか懐かしいな、と思ったら1995年の作品なんですね。あれから10年ちょっとなのに、世の中は随分変わったものです。当たり前に携帯電話を持ってるし、フロッピーディスクドライブのあるパソコンは過去の遺物になっちゃうし。話が逸れましたが、東野圭吾は自分には馴染める作家であるということをとりあえず認識できた作品でした。
2008年09月05日
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新妻が懐に秘めていたのは、懐剣ではなく、「乙女心」だったという可愛らしいオチ。自分が亡き夫と初めて寝所をともにした頃のドキドキ感を思い出して、思わずこの嫁のことをいとおしく思ったお姑様。物々しいタイトルなんだけど、とてもほのぼのしたエピソードでしたね。でも、「疑惑の懐剣」を胸に秘めているのは、和宮ではなく、薩摩の男たちなんではないかと、それに引っ掛けたタイトルか?と穿った見方もしたりして。大久保に説得されて、機嫌を直して上洛を承諾した西郷だって、久光の行列の後に従っている誠忠組だって、本当は「懐剣」を隠し持っているのではないでしょうか?次回、悲劇の寺田屋事件ですから。疑惑が解けて少しほっとしたところで、天璋院と滝山が「たまには羽目をはずしますか」と、杯を傾ける場面は、今回の大河ドラマの「私の選ぶ名場面ベストテン」に入れたいものです。大奥という「職場」で、苦楽をともにするうちに、互いに信頼関係を築きあげた二人を見て、共感したりうらやましいと思う女性視聴者は多いのではないでしょうか。私もそのひとり。滝山は、ほんとにデキる女です。デキる女(男もだと思うけど)は、自分の過ちは素直に認め、どんな相手でも認めるべきところは認めるという潔さと、何事も一歩引いて全体を見ることのできる、聡明さと冷静さのある人だと思うのです。それは、天璋院も同じで、だからこそ今こうして2人は堅い絆を結ぶことができたのでしょう。大奥でどの役をやりたいかといったら、絶対滝山ですね。今日は久々に本寿院様も登場。庭田嗣子とともに、大奥のお笑いキャラとして君臨してくれそうな予感です。大河でコメディ路線なんてやっていいのか!というお叱りを受けた「新選組!」でしたが、そのおかげできっとこれくらいの笑いは全く許されるようになったに違いありません。嫁、嫁の実家、大姑の間に立って、困り果てる天璋院だけど、なんだかちょっとそれを楽しんでいるようにも見えます。「渡る世間は鬼ばかり」で、どこかの家の嫁になるくらいなら、大奥で家茂様の嫁になるほうがずっと良いわよ。家茂と和宮もいいカンジになり、全体的に平和で温かい空気が流れている大奥ですが、表では恐ろしいことが起きようとしています。先代までの「大御台所」ならばそれも気にする立場にはなかったかもしれません。が、亡き夫から「表の政でも家茂を補佐せよ」と使命を受けている天璋院は、大奥のことだけを気にしているわけにはいかないのです。しかも、事件の発端は我が故郷・薩摩。次回はかなり悲しい話になりそうです。坂本龍馬@玉木くんは、顔見せだけでしたね。花背負って登場するあたり、さすが千秋先輩。
2008年08月31日
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「鬼などではなかった・・・」16歳の女の子の正直なつぶやきが、なんだか好感持てます。鬼どころか「眉涼やかにして心優しく堂々たる」家茂様ですものね。和宮じゃなくたって、一目惚れしてしまいます。かつて天璋院も、「うつけなどではない」と、夫・家定を見極めたのだけど、冷静に考えれば、「うつけか否か」を見極めるのと、「鬼か人間か」を見極めるのは、後者が断然簡単だと思います。でも、まあ、鎖国中の日本の中の異空間である御所からいらした方にしてみれば、「東の代官」が「鬼か蛇か」と恐れおののいても不思議ではないのでしょう。私が東京に就職することになったとき、京都の親戚のおばあちゃんが「東京は怖いところ。鬼に取って喰われる。そんなとこ行くのやめとき。」って言ったのを思い出しました(笑)今でも京都のお年寄りには、そんな感覚が残っているのでしょうか?(ごめんなさい。京都のみなさん)天璋院も和宮も、自分の意思とは関係なく、それぞれに使命を帯びて大奥に入った身です。生まれ育ちは違っても、いずれ分かり合える日が来るように思います。薩摩では誠忠組の人たちが、暴走しそうな勢いで、それを押さえに回る帯刀、大久保も困り果てている様子。大久保は特に、久光に引き立てられたために、仲間たちから孤立気味。それがその後の「寺田屋事件」の悲劇にもつながります。常に一歩引いた目線で世界を見ている大久保。そういう心境に至るまでに、悔しい思いを散々してきているわけですが、彼を見ていると新選組の土方歳三と重ねあわせてみてしまいます。なんだか似てるんですよね。大久保と土方。組織をまとめる冷静な判断力を持ったナンバー2の存在。しかし、そういう優秀な人材をうまく使える上司がいない時代だったのかもしれません。幕末って。斉彬がもっと長生きしていたら、井伊直弼がもう少し長生きしていたら・・・。宮崎あおいちゃんは、すっかり大奥の主の貫禄。和宮に比べてセリフが100倍くらいありそうですが、来年あたり「理想の上司ベストテン」に「天璋院」とかランクインしそうですね。最後の啖呵(に思えた・・・)は鬼龍院花子も真っ青のかっこよさでした。特に、「庭田嗣子」をギャフンといわせたところは、思わず拍手喝采です。このドラマを見てて思うのは「覚悟」と「役割」ということ。現代ではなかなか「覚悟を決める」ことってないですよね。しかも命がけで、簡単に引き返すことができない。離婚率も高い昨今では、結婚だって別に覚悟はいらないといえるし、転職だってできる。おじいちゃんの17回忌に京都の実家に帰るのも簡単です。なかなか実感しにくいけれど、そういう「自分をしっかり持つ」「自分の役割を理解し、きっちり果たす」ことが、とてもかっこ良いことなんだな、と篤姫や和宮、幾島、滝山などの女性たちを見ていて痛感します。「覚悟」が実感しにくければ「プライド」でしょうか?このドラマの中で篤姫に共感するのは、自分とは違う価値観・感覚を持った人に対しても、優れていると思えば素直に認められる度量の大きさです。だからこそ、大奥という閉鎖的で女性ばかりの「職場」のトップとして人々をまとめることができたんでしょうね。それは、江戸時代も平成の今にも通じるものではないでしょうか。
2008年08月24日
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