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帰ってきてテレビをつけたら「史上最強のカラオケソング」という番組をやっていた。ちょうどつけた瞬間にTRFが登場。suvival dAnceを熱唱していた。なんていい曲なんだ…としみじみしてしまった。以前も書いたが、実は私は小室ファミリーが嫌いではない。特に初期の小室ファミリーはかなり好きだった気がする。TRFは私の中で最強で、とくにsurvival dAnceはTRFを知ったきっかけの曲でもあり非常に思い入れがある。確か内田有紀や武田真治が主演の「17才」というドラマの主題歌だった。この前TRFのことを日記にも書いたのに、またしてもTRF熱が過熱してしまった。ので私の好きなTRF曲を勝手にランキングしてしまい、以下のようになった。1.survival dAnce2.overnight sensation~時代はあなたに委ねてる~3.Boy meets girl4.crazy gonna crazy5.mascaradeなんでこの順なのかといわれても、上手く答えられないのだが、なんか好きなのである。タイトルが全部英語(ニセ英語もあるけど)なのが小室ファミリーっぽい。TRFの小室プロデュース曲で英語タイトルでないのは「寒い夜だから」くらいではないか。ちょいと一つ一つ上のランキングを解説していくと、まず2はこの中では最も後期のもの。TRFが最後に紅白に出場したときの曲がこれだった。「えにうぇいゆうぉんと♪えにたいむだんす♪(←って聞こえる)」というサビの部分で勝手に手がぐるんぐるん動いてしまう私である。3は、まずイントロのところで早速自分が海水浴に来ているか、夏のプールに来ているかの錯覚にとらわれる。エコーがかかっていて何て言っているのかわからないんだけど夏の海辺かプールで聞こえるアナウンスに似ているのだ。あれ、なんていってるのかずっと気になっている。YU-KIの声であるとは思うのだが。まあとりあえず、この曲は思いっきり夏だ。冬に聞いても夏のワクワク感を味わえる。4は、夏かと一瞬思いがちだが冬の曲だ。歌詞で「雪が降る公園を~♪」と言っているのにようやく数年前気付いた。TRFの曲の中でもっとも売り上げが多かったのはこの曲だ。確かダブルミリオン行ったんじゃないかな…。CD売り上げが不審な2006年ではダブルミリオンなど考えられない数字である。5のmascaradeはこの5つの中では比較的マイナーだが、私が当時Mステを見ていてリアルタイムで聞いていたので、そのときの画が頭に残っているので5位に。ほんとはeasy do danceとどっちにしようか悩んだが、easy do danceはリアルタイムでは聞いていなかったため、こちらにした。TRFには珍しく、ちょっと大人っぽい曲。夏全開な1や3、冬でも爽やかな4と比べるとこの曲は妖艶な感じで、テイストが違う。それでもダンス曲ではあるが。ここまで書いておきながらハッと気付いた。私はTRFが好きといっていながら、TRFが落ち目になったときに出した曲は知らない。こんなことでは本当にTRFが好きといってよいのだろうか。TRFに失礼ではないだろうか。私のこよなく愛するピンクレディーの場合は、マニアックなB面から、ピンクレディーが人気が落ちていっているときの曲も知っている。しかしTRFの場合、最近の曲を知らないばかりか、絶頂期のB面すら知らないではないか。これではTRFに申し訳ない。勉強が必要だ。実はTRF、最新曲はなんと仮面ライダーの主題歌である(正確にはYU-KIソロ)。これを日曜の朝に聞くようにし、なんとかこれまでの遅れを取り戻さねば。また、仮面ライダーの曲と、この前TRFがうたばんで歌っていた曲は別なのでそちらも一刻も早くマスターせねばなるまい。…TRFを見て懐かしい気持ちに浸り、よい気分でこれを書き始めたはずなのに、いつのまにか変な使命感にとらわれてしまうmayokoであった。
2006.03.30
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先週、前から買おう買おうと思って買っていなかった「ナンシー関の記憶スケッチアカデミー2」をついに購入した。1は数年前に部室からかっぱらってきた(!)ので持っていたのだがずっと2を購入するのが延び延びになっていた。先週東京に行ったときに、夜することがないので本屋で購入したのである。記憶スケッチアカデミーのことをご存じない方のために少し説明するとナンシー関が出すお題に基づき、一般の読者が絵を描いて投稿する。その絵は、お題を単純に自分の記憶のみで描かなければならない。手本を見たり、写し絵ではダメだ。自分の記憶力と画力で勝負するのである。そしてナンシー氏が「これは!」と思う作品を選抜、掲載する。掲載された作品の9割は、先ほど申し上げた「記憶力と画力の勝負」に完全に負けたものである。とにかく、人間の記憶がいかに曖昧なものか、この本を読むと仰天させられるのである。記憶スケッチアカデミーの1では、不二家のペコちゃん、鉄腕アトム、ウルトラマン、こいのぼり、ランドセル、自転車、パンダなどなどがお題に出されていた。今回購入した2では1よりキャラ物(ウルトラマンみたいな)が減り、オーソドックスに動物を描かせるお題が結構多く、そうかと思えば初めて特定の人物を描かせた「アントニオ猪木」などのお題もあった。そして期待通り、記憶の世界の曖昧さを見せ付けられた。「鶏」というお題では、あろうことか寄せられた作品の2割が4本足だったという。日本人のうち20%は鶏を4本足だと思っているのだろうか。それも小さな子供が間違えているのではない。10代から80代までの人間が間違えているのである。30代40代が堂々と間違えて4本足を描いているのには恐れ入る。普通の大人であれば知識として鶏が2本足であることぐらい知っていよう。しかし現実に描かせると4本足となってしまう。これは記憶との勝負に間違いなく負けている。また、本当はこんなんじゃないのにと自覚しながら、描ききる力がないために間違えたまま投稿せざるをえないというケースもある。これも絵に「本当は私はちゃんとわかっているんだ!」という悔しさがにじみ出、味のある絵というか、心がこもった絵に見えてくる。画力との勝負に負けてしまったために、なんとも情けない絵になってしまっただけだ。本に載っている全ての絵を拝見したが、どの絵も嫌々描いたという気色はない。むしろ堂々と描いている。間違えていても堂々としている。それは記憶スケッチアカデミーの世界では、絵が上手いor正確な人が称えられるのではなくむしろ間違えてしまっている人が称えられているからだ。平凡な絵では現れない雰囲気を出せた人が優秀なのである。そのため、いかに間違えていても絵がなんだか自信満々なのである。数年前、記憶スケッチアカデミーの理事長であったナンシー関氏が急逝し、この本のシリーズは2で終わってしまった。しかしアカデミーが消えたわけではなく、生前ナンシー氏と近しかったいとうせいこう氏らが今もネタを暖め続けていると聞く(もともといとう氏らが記憶スケッチアカデミーの前身である雑誌宝島の「転脳」というコーナーをやっていた)。ぜひアカデミーが今後復活することを願う。それまで私は、この記憶スケッチアカデミーの本を何度も熟読し、記憶の神秘に一人勝手にひたっていく所存である。
2006.03.29
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昨日の斉木しげるの話題が、自分が思っていた以上に反響があったのでシリーズ化できはしないかと思い、すぐさま柴田理恵を思いついてしまった。いや、特撮の常連・シリーズ化はどうでもよいが、不思議コメディーシリーズには斉木しげると柴田理恵は二大双璧のごとくそびえたっているので、昨日の時点で柴田理恵のことはかなり思い出されていたのである。私の記憶が確かならば、柴田理恵は「魔法少女ちゅうかなぱいぱい」「魔法少女ちゅうかないぱねま」『美少女仮面ポワトリン」にレギュラー出演していた。とくにぱいぱい・いぱねまのときの役名が三軒茶屋のおばさんというもので、強烈なネーミングのため、覚えている。なんでこんな役名なのか謎だし、三軒茶屋ていうのが苗字なのか、そこに住んでるからそう呼ばれているのか全くわからない。役どころは、主人公を怪しみ、つけねらう謎のおばさんだ。役名も謎だが役どころ自体も謎だといえる。ぱいぱい・いぱねまだけでなく、ポワトリンのときも役名は違ったが、主人公を怪しんでつけねらう人という点ではほとんど同じ役回りだった。このあとしばらく不思議コメディシリーズのレギュラーからは外れるものの、不思議コメディーシリーズの最終作「有言実行姉妹シュシュトリアン」では敵の変な宇宙人役で出演。それが去年確かダウンタウンDXでとりあげられていた。その宇宙人は大変貧乏で、地球に出稼ぎに来ているという、髪の毛ボッサボさの宇宙人だ。ここに柴田理恵のワハハ本舗としての真髄を見た気がした。柴田理恵はいまでこそバラエティにたくさん出演しているが、90年代前半はまだ無名で、ボキャ天のVTRなどにもよく出演していた。それが今ではボキャ天司会のタモリと毎週水曜日に同じフィールドで出演しているのだから世の中何があるかわからない。よって柴田理恵はビッグになってしまったので今では斉木しげるのようにまた特撮に出てくれる希望は薄い。柴田理恵がチョイ役でテレビに出て、それをみて「あっ!三軒茶屋のおばさんだっ!」と言っていたあの頃が懐かしい。三軒茶屋の意味すらわからず、呪文のようにただ呼んでいた。ああ、またしても不思議コメディシリーズのDVDが欲しくなってしまった。ぱいぱい・いぱねま・ポワトリン、すばらしいことに現代ではDVDが発売されている。そのうち我が家に買い揃えられているかもしれない。
2006.03.28
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そもそも私と同年代の人で斉木しげるのことを知っているのかどうかまず疑問だ。この年齢で斉木しげるの話ができるのは自分くらいしかいまい。斉木しげるといえば、シティーボーイズの一番目立たない人として知られている(?)。大竹まことはそれこそTVタックルとかで毎週見ることができるしきたろうもそこそこバラエティ番組で見かける。でも斉木しげるはあんまりみない。そう思っていたら、先月始まった「轟轟戦隊ボウケンジャー」に博士役でレギュラー出演していた。久しぶりに見た斉木しげるは昔より太っていたが、斉木しげるが特撮に出ているのを見て非常に懐かしい気持ちになった。斉木しげるは私の世代の、女の子向け特撮の常連だったからである。その特撮シリーズは「不思議コメディシリーズ」と後々名づけられた、(番組放映当時はそんなシリーズ名がついていなかった)東映による、女の子も楽しめる特撮番組のことで、最初はロボコンっぽい番組から始まり途中で探偵物に路線変更、そして私が主にはまって見ることとなる、アイドル中心路線になり1993年にシリーズを終了している。斉木しげるが出ていたのは、その最も私がはまったアイドル路線の「魔法少女ちゅうかなぱいぱい」からの連続4作、「魔法少女ちゅうかないぱねま」「美少女仮面ポワトリン」「不思議少女ナイルなトトメス」である。斉木しげるの役どころは主人公が居候することになる一家のお父さん。ぱいぱい、いぱねまは同じ舞台設定なのでよいとして、全く別世界のポワトリンとトトメスまで、同じ人が、役名こそ違うものの、主人公が居候する家のお父さん役とはこれまた不思議だ。なんで毎年斉木しげるがお父さん役なのか、私も小学生ながら疑問に思っていた。どの番組も私には思い入れがあるが、特に一番最初に見たちゅうかなぱいぱいは大好きだった。ぱいぱいのステッキも持っていて、たくさん振り回していた思い出がある。このころはまだ小学校にも通っていない年齢だったが、あのときのことをしっかり覚えているあたり、よほど番組が好きだったのだろう。続くいぱねまは、今をときめくバラエティの常連、島崎和歌子(当時はアイドル)主演だった。いぱねまは妹がコンパクトを持っていたので、こちらもよく覚えている。ぱいぱいといぱねまは同じ舞台設定なのに、なぜか二人が共演することはなかった。それが今となっては悔やまれる(何様だよ)。ポワトリンは結構こども以外にもブームになったときく異色作。これもうちにマスクとステッキがあった。ただしストーリーはぱいぱいやいぱねまより記憶が薄い。トトメスはもっと覚えていない。トトメスは玩具も持っていなかった。こうして4作思い出しては見るが、当時の主役は島崎和歌子以外はもう芸能界から姿を消しており、よく顔を思い出せないのである。しかし、主役以上に4年も活躍した斉木しげるは忘れられない。斉木しげるがテレビに出るたびに「ぱいぱいのお父さんの人だ」と言ってしまい、斉木しげるさんが斉木しげるという芸名であるのを知ったのはおそらく中学生以降だった。話は変わるが、そういえば高校のとき斉木先生という人がいて、斉木先生は自己紹介のとき「斉木っていう苗字めずらしいでしょう?あんまりいないんですよ。あの俳優かなんかに斉木しげるさんって方、いらっしゃるのご存知ですか?あの人くらいですねえ、斉木って名前の方。他に誰か知ってます?」と言ったが私のクラスには斉木君という人がいたので、クラスのみんな全員が「斉木君の立場は…」と思ってしまった。しかし誰一人そのことを口にできなかったのであった。ちなみにこの斉木先生の授業は選択科目であり、斉木君は斉木先生の授業を受けておらずまあその場にはいなかったから先生も斉木君のことなど知らなかったのだが、クラスの誰もフォローしなかったことに、斉木君の立場のなさが思い出される今日この頃である。全く関係ない話をしてしまったがそれも斉木しげるさんが久々にレギュラーで登場したおかげ。斉木さんが今、戦隊モノに出てくれたおかげで非常に懐かしい気持ちになれ、こうして、普通の人が読んでもわからない日記をお送りしてしまった次第だ。斉木さん見たさに轟轟戦隊ボウケンジャーを見てしまうかもしれない。そんな気がするmayokoであった。
2006.03.27
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今日は自分にとって節目の日でしたので、そのことを書きます。今まで黙っていましたが、(というかうすうす気付かれてはいたでしょうが)私は学生でした。公言はしていなくてすみません。あんまり身分(?)をネットで明らかにしたくなかったんで言ってませんでしたがその身分もほとんど今日までなんで、思い切って書きました。今日は卒業式だったのです。たくさんの友人・後輩・先生方に支えられながら、無事4年間を過ごすことができました。本当にありがとうございました。これからは社会人として厳しい世の中を渡り歩かねばなりません。というかもうすでに働いていますが(^^;)。明日も早速仕事だし…。しかしつらいことがあっても、この4年間で得たものを生かしていきながら頑張っていこうと思います。頑張りすぎて最近は身体を壊してばかりなので壊さない程度の頑張り方を早く習得しなければなりませぬ。学生は卒業ですが、もうすでに働いていたり、学生と社会人の中間にいたのでスパッと生活が変わるわけではありません。卒業は形式的には節目ですが実際の人生は連続しているわけで。それにレトロ館はまだまだ卒業というわけには行きませんよ。これからも続いていきます。更新頻度は減ると思いますが、内容はなるべく濃くしていきます。卒業おめでとう(自分に)。そしてこれからもがんばろう(自分に)。以上、今日は自分にエールを送ってしまった日記でした☆
2006.03.24
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こんにちは。昨日東京から帰ってきましたmayokoです。研修は疲れました。研修でやってることは全然きつい作業じゃないんですけどやはり家とビジネスホテルではくつろぎ方がなんか違いますから疲れが残ってしまいます。研修中は毎日6時ごろ終わり、そこからは自由時間なので、夜のテレビは見れます。ここ数日はドラマの最終回が多くて、同じ研修を受けている同期たちが「○○見なきゃ!」とよく言っておりましたが、私には一切そんなことは関係ありません☆西遊記・アンフェア・白夜行…どれも見てないから「?」です。月曜日は「きよしとこの夜」を見、火曜日はず~っと社交ダンスを見、最終便で東京から帰ってきた昨日は眠いのにものまねを最後まで見てしまいました。昨日、家に着いたのは10時くらいだったのでもうだいぶものまねを見過ごしてしまい、残念でしたが、ホリや山寺宏一などは見ることができてよかったです。ものまねのことは、以前私がどれだけものまね番組が好きかということを書いたので今日は社交ダンスのことについて書こうと思います。始まりは10年くらい前でしたかねえ。ウリナリ社交ダンス部。たまたま結成初日というか、部員集めが始まったときのオンエアを私は見ていました。杉本彩、あのころはアイドル的な歓迎をされていたけど今は普通にバラエティ班に。ウリナリを見ていたので社交ダンス部の活躍はずっと見ていました。すっごい最初の頃は室井滋さんとかいたなあ。ウド鈴木とペアだったので全然予選通過できず。ウッチャンとビビアンは練習ではいいのに、本番でどっちかが絶対怪我をしていてなかなか決勝まで行けなかったり。そんな二人は最近の社交ダンス部に全然出てこない(笑)。もうあきらめてしまったようです。ビビアンはそもそも国に帰ってしまっていますが。うわー室井滋とかビビアンとか書いてる時点ですごい懐かしいです。ウリナリ…もう10年も前の話…。月日って早いものです。社交ダンス部も何回か進化して、初期のメンバーを第一期とするならゴルゴ松本さんが加わった頃を第二期とすることができるのではないでしょうか。ゴルゴさんの加入はかなりのプラスになったはずです。だってうまいんだもん。うちの祖父は社交ダンスをしていた(今も教室には行っている)ので、祖父もウリナリの社交ダンスは見ています。そして「ナンチャンよりゴルゴさんのほうがうまい」と豪語します。それは当たっていると私も思います。おとといはゴルゴさんは小池栄子さんではなくて山田花子さんとだったので視聴者としては残念でした。ゴルゴさんのうまい踊りを見たかったなあと思いまして。他のメンバーも、新しい人が多すぎてなんだかゴタゴタしていましたね。なぜ板東さん!?大沢さんがかわいそうだと母も言っておりました。もうアンガールズとロバートは出ないのかなあ。あんまり入れ替えられると、うまいダンスが見れないから…。熟練者求む。なんだかんだ言ってますけど、結局はまた社交ダンス部放送されるや否や見ちゃうでしょう。あの、一回戦を通過するかしないかのドキドキ感がたまりません。マンネリであろうがなんであろうが続いてほしいものです。
2006.03.23
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今日から東京に研修に行きます。まだ体調が万全ではないので不安もありますがやるしかないです。体調が万全でないのに研修中に健康診断があるというピンチ。絶対健康じゃないんですけど…(^^;)。そういや昨日、ブロードキャスターを見てたら民主党の出来事かなんかで、倒れても絶対おきあがる会津のおきあがりこぼしを党幹部にあげて、民主党は倒れてもまた立ち上がるんだというげん担ぎをやってました。そしたらなんと前原代表にあげたおきあがりこぼしが全く起き上がらないというすごい悲惨な状況になって、その場が気まずい雰囲気に。前原代表、顔ひきつってました。父と一緒に見てて笑ってしまいましたが、これは何かの陰謀?だって偶然にしてはすごいですよ。おきあがりこぼしを作った職人さんは「これは何かのお告げ」と言っていたし。笑っちゃいました。話を元に戻しますと、今日午後飛び立ち、22日に帰ってまいります。なにかおもしろいものがあれば注目しておきます。それでは、また。
2006.03.19
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私は歴史学を専攻していた経緯もあり、少し歴史には関心があります。専攻していたわりには知識がなく(日本史で卒論書いてないとか言って友達に言い訳する)、歴史マニアほどの探究心もないため、大河ドラマの登場人物を知らないこともしばしばです。しかし私が歴史学を学ぶことになったきっかけは大河ドラマであったのかもしれないです。私は小学校6年のときから大河ドラマを見ています。初めて見たのが「八代将軍吉宗」でした。西田敏行主演の。これがおもしろかったので、翌年から続けてみているわけです。ただ、数年前の「武蔵」は数回見て中断。私は大河ドラマの醍醐味は、やっぱり綺麗な着物を着た女性がでていたり政治史っぽいのが大河かな~と思っているので武蔵は途中で見るのをやめたのですが翌年の新撰組で無事再開しました。脚本が三谷幸喜さんだったというのもあります。現在の「功名が辻」も可能な限り欠かさず見ています。実は山内一豊って名前しか聞いたことなくてどんな人か全然知らないんですけど原作を中学生のとき読んだことがあって、やけに不倫(?)みたいなとこだけ覚えています。不倫みたいなところは大河ドラマではカットされるだろうと思ってたらこの前出てきたので今回は原作に忠実なんだなあと思って見ていました。私は原作よりも史実に忠実であって欲しいとほんとは思っているのですが(^^;)。ドラマはおもしろいもの、史実に必ずしも忠実でないのは重々承知しているのですが、たまに「あれは違うだろ」とか思っている自分もいたりして矛盾してますね(笑)。現に大学の歴史学の先生方のほとんどが大河ドラマを見ないらしいです。理由は前述の「歴史に忠実でない」って感じです。でも私は大河ドラマがあって、それを見た人が「歴史おもしろい!」と思って歴史が好きになってくれたら、ドラマの存在価値もあると思うのです。だからときどき不満をもらしつつも、あいからわず大河ドラマを私は見続けています。長年見ていたら、大河ドラマにはある法則があることに気付きました。今日はそんな思い(大河のあるある)を書き記したいと思います。○西田敏行・津川真彦・江守徹は一年おきぐらいに大河ドラマに出ている。○ジャニーズでは松岡昌弘、滝沢秀明、今井翼の出演率が高い。○毎回必ず歌舞伎界からの出演者がいる。○オープニングに流れる出演者名は、だいたい一年おきに手書きか機械の字体かの交互。○戦国時代の取扱が多すぎて、しかも西田敏行などが出てくると、どの役か混乱してくる。○主人公の幼少時代を演じる子役は、大概もとの主役に似ていない。○チョイ役の俳優に「真実一路」という人がおり、この人は毎年といっていいほどチョイ役で大河ドラマに出ている。しかし存在感が薄く、出演していても見のがしてしまう。○信長・秀吉はいいかげんもうよい。○松坂慶子が大好きだ(※私の個人的あるある)。○コミカルなおばちゃん役は松金よね子か鷲尾真知子で決まりだ。…後半からちょっと無理やり感が出てきましたけど、これらはよく実感しているものです。戦国時代は確かに入り組んでいておもしろいかもしれませんが逆にあまりスポットライトが当たっていない時代で、でも名前は有名な人物などをとりあげてみた方が、興味があります。だから「北条時宗」とかはおもしろかったです。そういや時宗のとき、ちょうど私は受験を控えてまして、歴史の勉強をしてるときによく宗教の「時宗」と北条時宗の「時宗」を混乱してましたね。ただ単に「時宗」と書いてあったら宗教なのか北条なのかわからなくなったり。そんなどうでもいい思い出。今までで一番はまった大河ドラマは「毛利元就」でした。原作も買い、NHKの出してる本も買い、さらにサントラCDまで買ってしまっていまやCDの使い道に困っている始末。でもこれは本当におもしろかった覚えがあります。さすが内館牧子さん脚本。たまたま毛利元就を大河でやってる時期に宮島に行って、NHKの毛利元就テレカ(中央に中村橋之助)を発見し即買い。まだ未開封。その翌年の「徳川慶喜」では、NHKの本を買ってプレゼントに応募したらまたテレカがあたって(中央にモックン)、それも未開封。ほかにもNHKに行ったときもらったポスターやらなにやら今となっては大事な思い出の品々になりました。今後も大河ドラマ、見ていこうと思います。それぞれの年にそれぞれの思い出がこれからも募っていくことでしょう。
2006.03.17
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最近、どうも体の調子が悪くてですね…。昨日は上からも下からも大変なことになった上に発熱したのでついに病院行って点滴しちゃいましたよ。15年ぶりくらいかな~点滴したの。大元の原因は疲れからきているらしいです。体の免疫力が弱って、普段はかからない病気にもかかったり。ネットもこの分じゃ前みたいにガンガン更新できそうにないですねえ。少しずつ続けます(汗)。
2006.03.15
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私は街への移動によくバスを使うのですが、そのときは交通センターで降ります。熊本交通センターは熊本の中心街に位置するバスターミナルで、人通りも多いです。地下街にプレイガイドがある関係から、よくコンサートやイベントのポスターが待合の場やら地下街の掲示板に貼ってあります。私がフランスから帰った後に交通センターを通ったら、非常にインパクトのあるポスターを発見しました。最初はなんだか線と点にしか見えなかったのですがよくみると…これ顔じゃん!!ってびっくりしました。しかしポスターをじっと見つめると不審に思われそうなのでいつも横目で通過します。この年で、この人のコンサートに興味があるなんて、一般的にはちょっと変です。だからまじまじとは見れなかったのですが、ネットで検索したらやはりありました。すでにそのコンサートはDVDになっているらしく、あのポスターの写真はどうもそのDVDのパッケージをそのまま使っていたようです。DVDが出ているならそっちを買ってもいいような気がするけどなんとなくコンサートも行ってみたい思いがあり、今考え中です。もし一緒に行ってくれる人がいたら行きたいなあ。そんな気持ちにさせてくれたポスターとは…。この小さい肌色の点々、全部コロッケの顔です。最初、黒い線しか見てなくて、それでもまじまじと見つめるのが恥ずかしいポスターだったのにこんな演出されるとますます見たい×けどはっぱり恥ずかしくて見れないじゃないですか。熊本公演は6月2日、熊本市民会館だそうです。S席は7000円くらいするみたい。結構するなあ、いやこんなもんなのか。この人の場合、お客さんの年齢層ってどれくらいなんだろう。私くらいの人もいっぱいいるのかな。今まで何らかのコンサートに全く行ったことのない私ですが、これは興味があります。誰か行きたい人、ご一報ください。
2006.03.13
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昨日、帰宅したらNHKのど自慢のチャンピオン大会が放送されていた。実は偶然にも去年、おととしと、こののど自慢チャンピオン大会は見ていた。チャンピオン大会なのでうまい人しか出場しておらず、かつ結構有名どころの歌をみなさん歌うので、普通ののど自慢よりおもしろい。運良く今年も見ることができて、光栄というか、ラッキーであった。のど自慢で思い出したのだが、フランスから成田に着き、成田から羽田に行ったとき羽田のショップを見る時間があった。私は何かおもしろいグッズはないかと目を皿のようにし、雑貨の店を回っていたところ、NHKグッズを置いている店にたどり着いた。そこで見たものとは!売れ筋商品「のど自慢 幸せの鐘」。店員の手作りポップに「今売れてます!」「人気No1」などと書かれていた。これはその名の通り、あの鐘の音がなる玩具だ。いまいちのときの「カーン」(鐘一つ)と「カーンカーン」(鐘二つ)、そして合格のときの「チャラララチャラララ チャンチャンチャン♪」この3種類が、ボタン一つで鳴らすことができるという品物だ。私は猛烈に欲しくなった。しかし価格は2079円とあまり安くない。しかもフランスから帰ったばかりというのに、フランスとは全く関係ない幸せの鐘をフランス土産以上(もしくはそれ相当)の金額で買うのもどうかと思い、羽田では買うのをやめておいた。それにこういうものは、ほしいけれど使い道がない。以前勢いで買ってしまった欽ちゃんの仮装大賞パネルは、未だにたいした出番がない。幸せの鐘は、欽ちゃんのよりも使い道はあるかもしれない(例・カラオケなど)。でもやっぱりいちいち鐘をカラオケ屋にもっていくのも馬鹿らしい。結局この商品を買うメリットは、単におもしろグッズを持っていたいという私の欲望を満たすだけであり、しばらく購入は保留することにした。だれか私のようにおもしろグッズを欲しい人は、ぜひ買って体験し、使い心地を教えてもらいたいものである。
2006.03.12
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すごい間延びしてお送りしてきたフランス旅行記、ついに終盤へきました。ここまでかかったのは全て自分の体力のなさから来ております。思えば予定では3月初めには書き終えるはずだったのに気付けば中旬。最終章くらいバージョンアップせねば!ということで今回は写真を大放出です!主にセーヌ川下りの模様をお送りします。もちろんルーブルもありますが、絵は写真撮影が禁止されているのでとある有名彫刻でご勘弁ください。2月20日13時過ぎより、セーヌ川クルーズに参加しました。パリの中心を流れるセーヌ川を下ったり上ったりして町並みを眺めます。クルーズは2階建て(というか2階は屋根にいすがついてるふきっさらし)で、2階は見晴らしがいいのですがいかんせん寒い。しかもこの日くもりで、雨が降ったらどうしようと思いましたが、ひとまず見晴らしがいいので2階に着席しました。まずは川を上って、午前中にバスで何回か通過した箇所を通ります。写真はオルセー美術館。昔は大きな駅だったところを思い切って美術館にしちゃったという奇想天外な発想から誕生した美術館です。駅だったときには相当赤字で、もうとりこわそうというところまでいったらしいですがそこを美術館にしてしまい、かつ成功をおさめたのですからやはりパリは違います。駅の規模でいうと東京駅くらいの大きな駅だったそう。となるとまさに東京駅を美術館にしちゃったという感じです。日本では考えられないですよね。続きまして、このあとに実際中に入ることになるルーブルを概観で。ここもとてもじゃないけど一枚には収まらんのです。なぜならものすんごい広いから。川沿いから見ると横長。ひたすら横長。まもなくここに入場するのだなあと思うとわくわく感が増しました。次はノートルダム寺院。その名の通り、「ノートルダムの鐘」の舞台となったところです。ノートルダムという名前はどこにでもある寺院の名前ですが、このパリこそあの物語の舞台になったところであります(←前も言ったような気がする、このセリフ)。バスでも一回横を通ったんですけど、より近くを通れるのがこのクルーズのいいところ。通過していく様子を2枚の写真で表現してみました。 ちょいと写りが悪いですが 大きさはなんとなくわかります? でかいんですよ。全体が。 だから一枚の写真に全部 おさまらないのです。 縦も横も高さもなんかでかい。 しかし大きくても都会のビル より圧迫感を感じないのは やはりその落ち着いた教会の 雰囲気ですとか、周りに あえて新しい建物や高いビルを 建てない(禁止している)という ヨーロッパならではの風土が あるからでしょう。 日本もビルばっかりたてないで ほしいと思うばかりです。ノートルダムのちょい先まで行ったら船はUターンして川を下り始めます。このあとエッフェル塔の方角へ行きます。ただ、Uターンするということは、こっからしばらくはさっき見た風景を逆に行くだけであり、ずっと2階にいてふきっさらしだった私と母は、寒いし、なんかトイレにも行きたいぞということで、1階の、暖房の入った空間に移動しました。トイレも完備しているのでちゃんと行きました。そして見所が来たらちょいと外に出て撮影し、また暖房のもとへ帰参という、非常に消極的な方法でクルーズ後半へ突入したのであります。後半はあまりいい写真がなかったのですが、これだけは載せます。 ここはフランスです。 ニューヨークではありません。 でもこの像は自由の女神です。 ニューヨークの自由の女神像がフランスから 贈られたものであることはみなさんもご存知かと 思います。でもパリにも同じものがあるとは ご存知でしたか?私は知らなかったので 「え?あるんだ」と思って写真に撮りました。 他の人もあまり知らなかったみたいです。 ニューヨークのよりは小ぶりですし、 他にエッフェル塔などもっと有名な建造物も ありますので、そんなに目立つものでは ないかもしれないんですが、クルーズが 再びUターンして、降着場に向かう地点に 女神像があるので、我々はいやおうなしに 女神像を一周し、まじまじと見つめる運命に あったのであります。 ちょうどこのときデジカメのメモリーが 容量いっぱいになってしまい、あたふたしてる 間に、女神を一周してしまいました。こうしてクルーズは1時間半~2時間かけてセーヌ川に沿ってパリ市内を動き回りました。クルーズのあとはいよいよルーブルです。ルーブルに向かう途中のバス車内ではしきりにガイドさんがスリの多さを説きます。まあガイドさん曰く、自分が引率してきたこれまでの旅行者にスリの被害に会ったものはいないとのことですが、それでも「胸騒ぎがする」といってスリの恐ろしさ(プロ具合)を説いていました。ルーブルに到着すると人の多さにまずびっくりします。団体客のような人もいれば個人客もいるし、美術学校の生徒らしき人もいます。お土産ブースを通り抜け、まずは美術館の見学です。しかし総展示物数25万点(!!)もあるルーブルでは、全部を2時間程度で見るのは不可能。そこでガイドさんが、有名どころにさっささっさと我々を導くのです。最初の方で、「群集を率いる自由の女神」という絵を見ました。これは世界史の教科書によく載っているやつです。女神が中央にいて左側にリンカーンを模した人物が銃をもって参戦している絵です。写真をとることはできませんでしたが、この目でしかと拝見しました。また、教科書に載っている作品はほかにもナポレオンの戴冠式とかがありました。ガイドさんが早歩き&早口なので、ちゃんと他の絵を吟味することも出来ず、我々はいざなわれるままにモナリザへ向かいました。やってきました、あのモナリザがついに私の目の前に!!他の絵より何倍も多い人だかりがモナリザの前にはできていました。ここが最もスリの多い地点でもあるので、私はかばんをひしと手で覆いつつモナリザをガン見…もとい、鑑賞しました。不思議な絵です。モナリザの表情、何考えてるか読めません。奥も薄暗くて、彼女がどこにいるのかわからないし、彼女が美人なのかも不明です。一説にはモナリザはダビンチの自画像であるという声もあります。たしかにいわれて見ればそういう気もします。でもモナリザはそんな不思議そうな顔をした私たちにただほほえむばかり。なんだかこっちの気持ちを見透かしているような感じです。見れば見るほど不思議な気持ちになりました。モナリザのあとも、結構有名どころを転々としました。彫刻のコーナーでは写真も撮影オッケーですので、このような有名像もばっちりです。 モナリザの次に観客が多いという 「ミロのヴィーナス」です。 この日はわりとミロのヴィーナスの周りもすいていて 像の前で母と二人で撮影もしました。 この写真はヴィーナス単独です(前の人の頭除く)。 とっても昔の彫刻なのにくすみなどがなく きちんと手入れが行き届いているのがわかります。 25万点もあるルーブル、手入れだけでも大変そうです。 また、母と二人で一緒に写った展示物は ほかに「ハムラビ法典」などがあります。 ハムラビ法典の前で写真を撮ったと友人に 言ったら、「なぜ!?」と言って笑われましたが 世界最古の法典です。撮ったっていいじゃないか。 むしろ今回の同じツアーのみなさん、 全員ハムラビ法典の前で写真撮りました(笑)。 ハムラビのあとに一旦私たちのグループは 解散し、トイレ休憩やお土産タイムと なりましたが、たった20分しか与えられず そのなかで楽しい土産を発見することは困難です。とりあえずルーブルの解説本(日本語)だけは買い、それだけで買物は終わりました。楽しかったパリ観光もこれでおしまい。ホテルに戻って夕食を食べたら部屋で帰国の用意をしなければなりませんでした。長いようで短かった旅です。もう次の日とあさってはこのフランスにいない、そう思うと寂しくもあり、変な感じがします。今座っている場所には24時間後には確実におらず、何万キロ先に私はいるのです。外国にこんなにも容易に行ける時代、不思議だよなあと思ってみたり。2月21日、パリのシャルルドゴール空港からロンドンのヒースロー空港へ向かいました。ヒースローではまたしても乗り換え時間がギリギリになり、空港内を走り去ることになりました。ヒースローから東京の成田に向かい、機中で2月22日となりました。こうして日記は2月23日の日記「葉加瀬太郎との遭遇」に懐古されるのでした。いかがでしたでしょうか。フランス日記。これで最終章です。かなりの量になりました。最後までお付き合いくださったみなさまに心から感謝いたします。数々の遅筆・乱文・お許しくださいませ。さあまた次回からは通常営業です。これからもどうぞよろしくお願いします☆
2006.03.11
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みなさん、お待たせしました!!ついについにパリを書く時間がとれました。といっても今ネットカフェで書いております(笑)。ネットカフェ初体験です。でも昨日のうちに画像を登録しておいたのですべてオッケーです。準備万端でお送りします。2月20日くもり(もう2週間も前ですね)。前の日のモンサンミッシェルでは5時45分起きだったけど、この日は7時おきとゆっくり。9時ごろにホテルを出発し、パリの有名どころを観光しました。すべての場所で下車するのは不可能なので、バスに乗ったまま見るのみの場所もありましたがまず最初に降りたのはコンコルド広場。パリの中心(多分)に位置し、四方八方見渡せちゃう広場です。まあ街中が歴史的な建造物でいっぱいの街ですので見渡す限りどこかしら彫刻があります。広場自体はなんてことはないのですが、結構観光客はここで降りるらしく、私たちの後にも別のグループがやって来たりしていました。広場よりもバスの車窓から見たいろいろな建物の写真のほうがおもしろいので以下に有名どころを。 ジャーン ジャジャジャジャジャーン ジャジャジャジャジャーン♪ 勝手にテーマ曲を歌いました。 ここはオペラ座です(笑)。 上のジャーンとかはあの曲です。 「オペラ座の怪人」。 オペラ座の怪人の舞台となった オペラ座はここです。 オペラ座という名前はどこにでも あって、私はウイーンのオペラ座 にも行ったことがあります。 しかしオペラ座の怪人のオペラ座 とは、こっちのことを指します。 今でもいたりして、怪人が。 中にもちょっと行ってみたいです。 出たー。凱旋門。 いろんなアングルから 写真とったんですけど これが一番気に入って います。 本当はこちらも とても下車して見たい 所だったんですけど 時間の都合上あえなく 断念。 昔、祖父がここで 写真を撮っていたのを 見たことがあって、 そのときは祖父は 下車していたので 今回も降りれるかと 思っていたのですが。 う~ん惜しかった。ほかにもいくつかバスから写真をとりましたが、あとからセーヌ川クルーズしたときに同じ場所を通過して撮った写真もありますので、そちらに集約させることとします。先ほどのコンコルド広場の後に向かったのはエッフェル塔です。その前・エッフェル塔に下車する前に、ガイドさんが「時間があるからダイアナ元イギリス王妃が事故死したトンネルに行ってみましょう」と言い出し。予定には入っていなかったダイアナさんが事故死した道を通過することにしました。とおってみたら、ぶつかった柱とされる個所が確かに傷がついていて、上から新しくペンキが塗りなおされていました。しかし部分的に塗りなおされているだけなのでかえって目立ったいたというか、わかりやすいというか。通過するときまばたきしてなければわかります。なんだかここにダイアナさんがいた・そこに自分が今きているということが信じられない気持ちでした。ダイアナさんの場所を後にし、下車地点であるエッフェル塔につきました。 高さは東京タワーと同じくらいですが まわりに何もないというか、ビルで視界が さえぎられない点が全く日本とは違っています。 東京タワーはこういう感じで写真はとれないのでは ないでしょうか。 この日の天気はあいにくくもりではありましたが これが晴天だと逆に完璧な逆光になってしまって いたので、くもりでよかったです。 それでも映りはいまいちですけどね(笑)。 ここではスリが多いと聞いていましたが だれもスリの被害にあうことなく無事 写真を撮り終えました。このあともいろいろな 場所を車窓から見学し、最後に免税店で 買い物をして午前中の部は終わりました。 免税店では私はあまりブランド物に魅力を感じず またしても時計だけはSWATCHを買いました。 海外に来たら毎回なぜかSWATCHを買ってしまう。 普段倹約している分、こういうときはじけます。 でもブランド物のバッグよりぜんぜん安いので これでも倹約しているかのごとくです。このあとランチに行ったのですが、フランスの名物エスカルゴが登場しました。エスカルゴといっても最近はちょっと廃れた感もありますが、初めてだったので興味津々です。食べてみたら…おいしかったです。ほんとに。フランスで食べた料理で一番おいしかったです。というのも今回のランチの店が、このツアーでもっとも高そうな店だったので店の腕がよいのかもしれませんが、この味だったらいっぱい食べれそうな気がしました。中にはあまり口に合わなかった同じツアーの人もいましたけど、私と母はなんなくこなしました。午後からセーヌ川クルーズとルーブル美術館に行きました。こっから写真がたくさんありますので、また次回に。ああ~いいとこだったのに~という声が少し画面の向こう側から聞こえてきそう。どうぞあたたかく次回も見守ってください…☆
2006.03.07
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フランス日記、ここまで来ておいてあと一歩が全然進まなくてほんとすみません。あまりに忙しくてパソコンを開く時間さえなく…。所要で今日まで佐世保にいました。最近有名な佐世保バーガーを食べました。おいしかったです。でも値段が高かった…量&味のわりにはね…。佐世保バーガーマンっていうキャラクターがいるのですが、どうみても作・やなせたかしって感じなんですけど、当たってますでしょうか。多分そうです。そういうキャラです。下手したら次回のフランスの更新は今週できないかもしれません。みなさん、気長にお待ちくだされ(そういう日に限って明日更新できたりして)。では今日はこれで。おやすみなさい(早)。
2006.03.05
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多忙につき、ネットが出来る時間が大幅に減ってしまって、書きたいのにかけない日々が続いております。フランス日記、自分でも楽しいので更新したいのですがなかなかそうもいかず。今日は更新できて何よりです。しかし明日とあさって、出かけるのでまた更新できません。申し訳ないです。でも今日はやりますよ!フランス、残りはパリです。前回のモンサンミッシェルではモンサンミッシェル~パリ間は書いていなかったのでそのときのことをやりたいと思います。変な時間帯のみを書いてしまい、すみません。でも結構内容濃いですよ。2月19日、モンサンミッシェルを15時過ぎに発ち、パリへ向かいます。早くても4時間半かかるそうで、しかもこの日はフランスの学校の長期休みが終わる日で、道路(とくにパリ)は渋滞している可能性があるとのことでした。添乗員さんによると、すんなりいけば夜7時半ごろにはつくけど、渋滞によって8時9時、さらにときには11時くらいにようやくついた事例もあるとの話。ツアー客全員がそのような事態に不安を覚えました。私の場合、そうなったらトイレ休憩はあるのかどうかが非常に心配であり、遅く着いてもいいからトイレだけはありますようにと願うばかりでありました。前半2時間は非常に順調で、無事休憩所に到着。この日は夕食はついていなかったので、この休憩所でツアー客の多くが夕食を買っていました。私もサラダとチーズ、サラミを買いました。この休憩所で、コカコーラ社の新製品の試飲をしていましたが、「コカ・コーラブラック」と称するもので、興味はありましたが買わされたらいやだと思って飲みませんでした。しかし、コカコーラは元来黒いものだから、コカコーラブラックだなんて変なの、と思ったりまあコーヒーのブラックのように甘くないんだろうなと推察しつつ、じゃあまずそうだとも思い、結局は触れなくてよい商品だとの結論が出ました(私の中で)。再びバスに乗り出発しました。今買ったばかりのサラミを噛み千切りながら、渋滞よ起こるなと念じました。バスは途中まで順調でしたが、パリまであと50キロというとき、やばい雰囲気となりました。明らかにスピードが落ちています。止まりこそしませんが、ときどきつまります。どうやら渋滞のようです。でもものすごい渋滞ではなく、ジャンクションみたいな分岐点をすぎるとまたスピードを出して走れるというようにすごい走ってはゆっくりになり、ゆっくりだったかと思うと走れるようになるといったことを数回繰り返していきました。そして7時くらいにはパリの夜の町並みが見えるところまで来ました。パリに入りました。まだ郊外部ではそんなに渋滞はありませんでしたが、中心部に行くにつれやはり渋滞でした。もうパリについている、エッフェル党のイルミネーションも見えるというのに、ホテルになかなか到着しません。外は随分前から雨が降っています。バスを降りたら確実にぬれます。雨と渋滞って結構ストレス溜まりますよね~。しかもおなかがすいてきています。イライラと疲れ、もう早くホテルで休みたい、ものすごく切なく思いました。ホテルに到着し、ようやく自分の部屋に入れたのは8時半くらいです。夕食もさっき買ったのを食べていなかったので、食べました。そして夕食はサラダだけではありません。私と母は、この日に食事がついてないことから、前もって食糧を持ってきていました。カップヌードルです。あまり量は多くないけど、このくらいで丁度いいってもんです。そろそろフランス料理にも飽きてくる時でもあり、私と母は無我夢中で食べました。高級な料理と同じくらい、おいしく感じました。さらに、その部屋に置いてあったアメニティ(?)の紅茶を飲んだらものすっごくおいしかったです。なぜ紅茶がこんなにおいしいのだろうとビックリしました。バスの中ではトイレが心配だったので、水をあまり飲まないようにしていたからかもしれません。私と母はトイレを心配せずにはいられない性格なので、人より水分補給を我慢していたのでしょう。ホテルではしばし紅茶をがぶがぶ飲める幸せに浸りました。テレビのユーロスポーツを見ていると、明日からスケート女子フィギュアがありますよという映像がやっていました。そこでは練習風景の荒川選手が写っていました。遠い異国で日本の選手の話題が見れると思っていなかったのでうれしかったです。疲れていたので10時半には寝てしまいました。明日はパリ市内の見学です。ここ数日パリは雨続きだと聞いていたので、明日晴れることを願って寝ました。…半日のことなのに、こんなに書いてしまえるとは。よっぽどきつかったのでしょうか(笑)。緻密に覚えています。次回はパリ市内の観光について書きますが、内容が多いのでまたも分割するかもしれません。どうぞ次回もよろしくお願いしますね☆
2006.03.02
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