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最近、お金をもらってWebライターをやっている。 昨日も、夜中まで、唐突だが、 ●パンツの歴史 ……について書いていた。 原稿料は安い。 一文字一円から二円くらいだ。 あまりに原稿料金の安い依頼は、さすがに断っている。 例えば一文字一円以外の仕事はやっていない。 社労士の仕事は、皆さん、びっくりするくらいに単価が高い。 しかしWebライターはびっくりするくらい単価は安い。 Webライターの仕事は、ぶっちゃけ、 「いくらでもある」 という業界だ。 社労士は、仕事がいくらでもある世界ではない。 Webライターの原稿料は安いが、なぜやっているかというと、自分の場合、文章を書く速度が割と早いからだ。 一文字一円だとしても、原稿用紙一枚で四百円になる。 オレサマの場合、速ければ原稿用紙一枚、五分から十分で書ける。 だから、五分で原稿用紙一枚と計算すると時給は四千二百円。 一文字の単価が2円だと時給八千四百円……。 ところが実際は、どうか? 昨夜やった仕事で言えば、二千文字で報酬が二千円の仕事を受けた。 取材、……と言ってもネットサーフィンなんだが、……取材にだいたい一時間かかった。 実際に書いた時間は、四十分、推敲に二十分、計一時間。 合計二時間。 その他に細かい打ち合わせとか色々とあったから、合計で4時間はかかった。 ということは実際の時給は五百円程度だったかもしれない。 不慣れな部分を差し引くと時給は五百円以下である。 本業の社労士の仕事は、時給に直すと、時給、だいたい五千円。 ないし一万円。 社労士は単価が高いんから、あまり働かない怠け者のオレサマでも食べていけるんだが、Webライターは、過剰労働でなくては食べていけない世界だ。 だだし……。 居住地がウクライナとかブルガリア、ベトナムやタイだったら、月収十万円でもリッチな生活がおくれるわけだわな。 日本で林檎を一つ買う値段で、林檎がダンボール一箱かえるような国は割とあるのだ。 あらゆる先進国では、将来はソーホー型の仕事形態が主流になると思う。 いや、それは既に始まっている最中の実態だろう。 現に俺が通っている踊る方のクラブのフランス人の大将は、週末だけ札幌でクラブ経営をやり、あとは札幌でネットの音楽配信で収入を得て、家族を養っている。 「どこに住もうが、自由」 という時代になってきた感じだ。 俺の場合は貧乏だから、住みたい国の条件は次の通りだ。 ●治安がいい ●物価が安い ●食い物が美味い ●美人が多い ●親日国である ●腹痛を起こさない程度の衛星観念が確立されている ……などなど、色々とある。 と、なると、台湾が有力候補だ。 だけど、台湾はそんなに物価の安い国ではない。 日本の三分の一程度の物価らしいから。 物価で考えていくとベトナムがいいかもしれない。 ホーチミン市とか。 ベトナムは美人が多いし、平均月収も本当に安い。 平均年収、十五万円とかそういう世界である。 ベトナムは食べ物でも有名だし、ある意味、高度成長中の国なので、比較的、治安がよろしい。 国民の皆さんは誇り高い人々なので、付き合いやすいと思う。 動画で調べたところ、衛星観念も悪くない模様。 ブルガリアやウクライナは美人は多いが、治安には問題があるかもしれない。 ヨーロッパ最貧国のモルドバという国は、売春立国になりつつあるかもしれないし……。 そうそう、少なくとも日本語か英語の通じる国でなくちゃならんべし。 やっぱり、台湾かベトナムが最高かもしれない。 台湾もベトナムも有名な親日国である。 親日国と言えばトルコという国もある。 トルコの物価は台湾と同じくらいだと思うが、なにせ、遠い。 札幌市に社労士事務所をおいたまま高飛びするつもりなので、頻繁に日本に帰らないとならんから、飛行機代で破産するわけにはいかない。 と、色々と夢想している。 実はオレサマは、まだ海外旅行の経験すらない田舎もんである。 Skypeでは世界中の若者たちと話してはいる。 だから田舎もんながら、ガイジンに対する恐怖感とかコンプレックスはぜんぜん無くなった。 みんな同じ、弱く繊細な人間だと、身体で理解できてきた。 海外旅行の経験がないから、まず、パスポートの取得からはじまるのだ。 だけど……。 社労士事務所を日本において、別居中の可愛い息子が札幌在住であり、両親も札幌にいて、すすきのパトロールの隊長としての身分もあるから、やっぱり札幌を拠点にせざるを得ない。 そもそもなぜ、海外に住みたいかと言えば、第一理由は、 ●寒い! からだ。 冬場の札幌市は本当に寒く、洒落にならんのだ。 だから1月から3月までは海外、残りは札幌市という理想的な生活がしたいわけだよ。 冬場は、誰か仕事を頼めるヒトを地元にみつけなくちゃならない。 障害はあるにしても、冬場の海外移住は、いつか必ず実現したい。 これからはソーホー型の仕事形態が、世界中で本当に主流になるから、人類のライフスタイルは、その点だけ取り上げても、大々的に変化しつつある。 ピータードラッカーさんの本にもあったことだが、東京とかニューヨークのようなメリットの低い空気の悪い土地に住む合理的な理由がなくなってしまった。 いまは、札幌市ですら、人口約200万人で、ちょっと大き過ぎるゆえの不自由を感じている。 札幌市も中心部は家賃が高いんだ。 そうそう、最後に、海外移住する場合の外せない条件がある。 ●急性疾患の治療施設が充実している。 これだ。 きょうは歯が痛かったので、とりとめのない文章になった。 ばいなら、である。 また遭おう、明智くん!
2014.02.22

2014.02.10

2014.02.10
たぶん、人類はサルの遺伝子の時代から、「ああ、お腹すいたなァ……」という時間の方がずっと長かったと思う。アンチエイジング治療を自力ではじめて二年だが、いまの様々な病気の八割は、●食べ過ぎ……にあると、自分でもプチ断食やってみて、気づいたのさ。繰り返し述べてきたが、むかしからこういう言葉がある。「腹八分目で健康になり、腹六分目で病気が治り、腹四分目で神に近づく」と。みんな食い過ぎなんだよ。人間は原始時代の方が歴史上、ずっと長いわけだから、毎日、アイスクリームを食べたりビールを飲む生活には適応していないんだ。もっと言えば農作物を食べたり家畜をたべる生活にすら、ホントは肉体はまだ適応していないという。農耕社会が根付いたのは、進化の歴史上、ずっとずっと後で、今日始まったばかりのような食文化だと思うよ。よくススキノにいくけど、歓楽街ってのは、お金さえあれば何でも食える。暴飲暴食の上に、酒をのみタバコをふかし、ポテチを馬鹿ぐいして、体に合わない食べ物を食べて、過剰な労働をやり、水道水から毎日二十種類もの薬物をのみ、病院の薬づけで、超有害な車などの排気ガスを当たり前のように吸っている。少なくとも、自分の口に入れるものぐらいは選択した方がいい。俺はこう思うよ。食べ物を変えたりアンチエイジング治療をやったら外見はよくなるし、心身ともに健康になる。仕事では他人から好かれる。つまりコミュニケーションが円滑になると売上が伸びるんだ。誰だって肌つやのいい人は好きだからね。異性からモテるようになる。仕事も恋も健康も、数段階グレードアップする。アンチエイジングをやらないにしても、まず、●食べ過ぎないこの一点だけを実行するなら、お金だってかからない。経費が浮く。ただ健康的な生活を送りたいなら腹八分目、病気を治したいなら腹六分目、宗教的ななにかを得たいなら(精神病を治したいなら)腹四分目でいくといいと思う。俺はこの数ヶ月、ずっと腹四分目くらいで過ごしている。俺はキチガイのような部分のある不健康な人間だから、ファスティングは必須だ ファスティング-断食について 松尾大生 50歳: http://youtu.be/C36_BGIQRTQ @youtubeさんから
2014.02.10
自分で自分だと思っている部分ってホントに自分なのか俺の場合で言えば、北海道の札幌市に生まれた日本人で、オヤジはエキセントリックなテキ屋の息子の小学校の教員だった。母は事業に成功した家の娘で金持ちだった。しかし、オヤジとの結婚で、没落した。俺は、スーパー落ちこぼれの少年だった。小学校二年、中学校二年のときに、教師から養護学校への入学をつよく勧められもしたんだ。初恋以来、夢は破れつづけたが、いいこともあった。地元の大学を出て、アドバルーン監視員や社労士や公務員や、もろもろの仕事をやった。離婚して大切な家族を自ら失ってしまった……。……と、自分にまつわる属性は多々ある。しかし……。そういった属性は、この社会の仕組みの中での、時間の中でになってきた役割に過ぎないのではないか?世の中のシステムの中での自分の役割分担を、俺は「自分」だと信じているらしい。「マツオ、それは当たり前のことだよ。みんなそう信じているんだし、それでいいんだよ」もう一人の自分が自分にそう語りかけてくる。俺は答える。「だがな、俺もそうだし、まわりをみていてもそうなんだけど、そういう条件づけられた『自分』に忠実に真面目にいきてきた友達なんかは、現実問題、身も心もズタズタになっているんだよ。そういう人間を幸せにしない社会的なお約束に基づいたお約束の『自分』でいるうちは、結局、ヒトの根源的なパワーに一生、気づかないで死んでいくだけじゃないべか。ところでそういう君は、誰だ?」俺は自分に問いかけてきたもう一人の自分の正体が「悪」であることに気がつく。「そうだ、世の中はいいところも沢山あるけど、一番、代表的な管理システムのツールは『悪』だよな」と、一人で頷いている。そうだ、人間は社会的なお約束である自分に固執しているうちは、実際は自分の頭で考えることなどできない。考えているという人もいるが、それは的確な反応であったり損得勘定にすぎない。今夜ラーメンにするか蕎麦にするか、その程度の判断をみんな思考だと勘違いしているよな、やっぱり。じゃあ、本当に考えるということは何か?それは、システムの中でのお約束の自分が多くの場合、95パーセント程度だとすると、システムと関係ない本当の自分自身の5パーセント程度での考えを本当に考えるということではないだろうか? 自分で自分だと誤解している、世の中に小さいときから適応する中で身につけた「自分」という信念……。だけどそれはホントは世の中の一部としての自分であり、仮の自分であり、そういう自分にまつわるストーリーに過ぎなくて、まあ、小説みたいなものだろう。英語で言えばフィクションさ。でも、そんな仮の自分を自分だと信じ込んでいる自分が95パーセントだとすると、ホントの自分は5パーセント程度になると思う。仮の自分はあくまでストーリーとか虚構であるから、そこからはホントの健康は得られない。命の深い部分からの瑞々しいエネルギーを人々は得ていきてきた筈だが、その根元の命の泉に蓋をしているのは、他ならない、俺が自分だと信じ込んできた仮の自分だったんだ……。俺は生まれながらの貧乏人だ。しかし、昔から極端と言えるくらいに社会的に成功した人々と気があってきた。友人も多い。年収○億円とかの友達はいまでもいる。「なぜ俺はこうも金持ちと気があうのか?」と、昔から疑問だったが、その明確な答えがわかった。仮の自分で生きている部分が、普通、95パーセントくらいだとすると、あの成功者と呼ばれる一群の特性は、仮の自分の部分が90パーセント、ホントの自分の部分が10パーセントくらいで、本心で生きてる割合が割と高いんだ。俺は成功者でも何でもない人格破綻者だが、その本心で生きてる部分のパーセンテージが、たぶん、世の中の成功者と同じがそれ以上だったんだと思う。仮の自分とホントの自分のパーセンテージが似ていたのだ。世の中の成功者がなぜ成功するのかというと、国のお金を得ている成功者は別として、本心で考えている割合が普通より高いから、エネルギーが強いし自由な発想もできるし、運をミカタにできるからだよ。そして、そういう本心の部分のパーセンテージの高い成功者の特色はカラダも健康である点だね。外見も若いし。俺なんかは性欲一本の人間で、それ以外にあまり物欲がない。だから事業とかビジネスというタイプじゃない。だけど、本心の部分で生きてる割合は、割と高いみたいだね。世の中を見渡すと、そういう人はけっこういる。代表的なのが、子供だ。子供時代はみんなめちゃくちゃ活気があったべ?それが、成長とともに失われることをいまは大人になるという生きてると色々と困ったことが起こるべ?子供が熱を出したらアタフタするわな。思うように収入がないと支払いにホントにパニクックになるべ?誰でも持病の一つや二つはあり、しんどい思いしているべ?コンドーつけないでセクスしたら妊娠して、中絶してメンヘラになった女の子も多い……。地獄の苦しみみたいなことが、現実問題、たくさんあるっしょや。つらい悲しい、やりきれない、まいったまいった、……そう、日々、感じながら生きてるのは、実は、社会的なお約束の部分のフィクションとしての自分なんだよ。フィクションの自分が全体の95パーセントにもなり、その部分の軋轢とか毎日の面倒くさいなんやかやで悩むから、人は生気を失い自殺したり、老いたり、酒浸りになったりするんだと、わかったよ。本心の部分はみんな全体の5パーセントくらいしかないべさ。でも、その5パーセントくらいの部分のホントの自分は、絶対に物事に馬鹿みたく悩んだりしないんだよ。ホントの自分って瑞々しくて莫大なエネルギーそのものだから、そんな、職場の人間関係だの営業成績の低下だの夫婦喧嘩だの、そんな日常的なことではビクともしないのだ。だから、よく生きるとは、どういうことかというと、その5パーセントの自分の部分を、50パーセント以上に拡大するってことだと、前から薄々わかっていたが、きょう、気づいたんだ!半分以上、本心で生きている人間は、たぶん、どんな難局があっても、仮に拷問にあったとしても、平気でいられると思うんだ。「悟りとは平気で死ねることだと思っていたのは間違いで、何があっても平気で生きていけることであった」と、昔の俳人は述べた。たぶん、そういうことだったんだよ。そうして、この辺のことに気づくために、ヒトは何度も何度も何度も、何度も、……生まれ変わってきたのさ。そうに違いないよ。フィクションの部分の自分を支配している絶対的な掟は、劣等感と優越感だったり、食べていけなくなる恐怖だったり死の恐怖だったりする。そこから脱するために、昨日もきょうも明日もあるんだね
2014.02.07
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