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「役所に聞いたら分かることなんて、お客さんは社労士に求めていない。 役所で分かることなら、役所は無料で教えてくれる。 お客さんは我々、士業に、役所にきけないことをききたいんだよね。 それは弁護士であれ、なんであれ、同じだよ」 高校の後輩の税理士さんから、さっき、電話がきて、俺は先輩風を吹かして、そんなふうに語っていた。 そりゃそうだ。 役所はなんでも無料で教えてくれる。 書類の書き方まで、丁寧に教えてくれる所が役所。 だいたい、役所で教えてくれる情報ならば、今は、役所に聞くまでもない。 インターネットで即座に出てくる。 社労士であれ、税理士であれ、弁護士であれ、お客さんが求めているのは、つまるところ、 ●思考力 この一語に尽きる! ところが士業のセンセ方は、社労士も含め、基本的に、優等生である。 士業は、公務員よりも師業よりも、平均すると遥かにペーパーテストの得点力がある……。 多分、日本一、お勉強のできる人々が多い業界だと思う。 反面、思考力の無さも日本一かもしれないと感じる。 優等生とは、悪く言えば、思考力を奪われた人々である。 あてがわれた枠組みに反応したり、枠組みからの記憶に基づいて真面目に行動するのは、ピカ一。 しかし、新しいことが考えられない人が多い。 法律と法律を組み合わせて、新しい対処方法なり、新規の発想を、思いつかない人々が多い。 ここで自慢だが、俺はちょくちょく、弁護士センセを呼ぶ席にオブザーバーとして顧問先から呼ばれる。 弁護士は自分じゃ新しいことを思いつかない人々が多いが、提案したことがらが法律的に是か非かという点には的確にこたえる。 まあ、新司法試験組の弁護士は、提案したことがらにすら、的確に答えられない、その場でインターネットで調べはじめるセンセも、実際おおくて、 「大丈夫かよ、おいおい……」 と心配になるひともマジで多くて驚くのだが、少なくとも旧司法試験組のセンセ方は大丈夫。 提案したことがらのコンプライアンスならば的確に答えるんだが、提案ができないんだ……。 これ、マジだから。 だから、俺が呼ばれるんだ。 俺は少しは法律をかじってるし、法律のシロウトではあるが、ドシロウトではないから……。 思考とはなにか? 意識とはなにか? われわれは、今の自分をどのような人間だと、思っているだろうか? 過去に学んできたこと、机の上、日常で学んできたこと、 「それらは、今、記憶となって我々の頭蓋骨の中に詰まっている」 と、最近、Skypeのカウンセリングなどで話している。 社会的なシステムの中での、担い手としての自我は、システムの一部としてのダミーの自分なんだよね。 ダミーとしての自我とは何かと尋ねられたら、 「過去の固有な記憶に反応するゆえに自分で自分だと思い込んでいるのが、ダミーとしての自分だよ」 と、応えているのさ。 そのダミーとしての自分は、結局は、車で言えばプラモデルみたいなもので、ホンモノじゃないから、走れないんだよね。 できることは、過去の固有な記憶に対する反応であり、しつこいようだが、反応とは、思考じゃないんだ。 いつも例にだすが、 「今夜、ラーメンにするかソバにするか」 と、悩むことと、基本、同次元の葛藤であり計算であり、つまるところ、反応なのだ。 優等生は、素早く反応する訓練をうけているが、しょせんプラモデル的な自分だから、本当に走れない。 人間の適性、サルとか犬とか猫との違いって、考えられるか考えられないか、という点だからね。 そのために進化したんだし、進化してそうなったわけだし。 極端にいえば考えない人間は本来の人間じゃない。 考えるアシですらリアルにないじゃないか? 考えるとは、自由自在に考えるとは、基本、反省的自我に基づいて考えることを考えるという。 これについては何回も書いてきたが、俺のブログを読んでいる人は、むちゃくちゃ優等生が多いから、たぶん、分かってないと思うのさ。 自由自在な思考力とは、本当の自分自身に基づいた思考のことさ。 時間ないから、また書くよ。
2014.03.25
突然だが、今、地球が滅亡した。俺いがいは全員、死んでしまった。俺は火星の基地で、ただ一人、地球が火の玉になって消滅する様子を観ていたんだ。人間というものは、もうこの世に俺しかいない。あなたでも、いい。宇宙の中で貴方が最後の人だ。一人でしばらく過ごすうちに、貴方は気がつく。自分の中にあの地球の川は血管として、海は体液として、懐かしいあの人やあの人は、まだ自分の中に残っているんだと、孤独の中で気がつく。自分が全人類を代表した存在であることに気がつく。人類の全部の歴史がカラダの中にあることに気がつく。貴方は地球という惑星の小島の住人であり、○○会社や○○学校の、あるいは○○家の一員だと、思ってきた。主人公ではなく、ハシ役だと考えてきた。だが、火星の宇宙基地で一人で過ごしてみて、本当は最初から全人類を代表してきたことに、ようやく気づけた。次に、宇宙が消滅した。貴方は、多元宇宙の別の宇宙にワープして、宇宙が火の玉になって消滅する様子を、今、目にしている。しばらく経って考えてみると、あの宇宙の構成要素が、貴方にだけ残っていることに気がつく。そうなんだよ。我々は組織の中に生きていても、システムのルールに従うとるにたりない分断された存在ではない。本当は一人一人が地球を代表してきた。宇宙を代表してきた。代表する能力は、求めずして、最初からあったんだ。宇宙の片隅で貴方はそこいらに気づいて、宇宙空間に向けて射せいする。すると、……。貴方の宇宙は再生されて、再び地球も出現した。貴方は地球に帰り、いつもの朝焼けの道を歩く。貴方は自分をつまらない人間だと、内心しんじていなかったか?しかしそれは誤解であることが、わかった。みんな宇宙を代表していた。
2014.03.16
江藤淳さんの「失われた言語空間」の言語空間のニュアンスは、戦後の文壇が、「あたかも虚構の中で虚構を演じているような危うさ」であった。俺は、当たり前なんだが、事実関係を最重視している。しかし、事実じゃないんだが、「共通の『お約束』なんだから、嘘を前提にした事実もまた、事実」という視点が、テレビや紙媒体の新聞などではまかり通っている。「王様の耳はロバの耳」と言ってはいけないし、「王様は裸だ」と、言ってはならないんだな。ロバ耳や裸王の場合は、実際はみんなもわかっていたことだが、今は、王様がロバであることと裸であることすら、大多数の大衆はしらないんだ。安部公房さんの「良識派」では、鶏は、肉にされる可能性に気づいていたが、今の大衆は、学者や政治家も含めて、「自分たちが鶏」だと、気づいていない。鶏どうしで序列をつけあうことにやっきになるあまり、肝心の、「ニワトリ小屋からの脱出」という視点が無い。本物のニワトリ小屋では、傷ついたニワトリが出ると、周りの仲間が、よってたかって、つついて殺すそうだ。隣のニワトリ小屋からも、騒ぎをききつけて、つつきにやってくる場合もある、と読んだことがある。とかく、家畜の本性とは、「共食い」である。会社や家庭で他人の噂話に興じている人々は、楽しんでいるんじゃなく、不安なのさ。噂話で不安を消そうとしている。他人の懐具合が気になる人は、「心配している」のではなく、不安なんだよ。怖いんだよ。家畜はリアルに共食いをするが、人間は、遠まわしに遠まわしに共食いを止めない。こうしたことは、実際、当たってると思うよ。「なぜ気づかない?」と、呆れ顔の一群も世界中で出てきている。たぶん、いまの日本のシステムにとても馴染めないニートやフリーターが、かろうじて正気をたもっている場合が多いから、ニートやフリーターの彼等が新しい日本のリーダーになるよ。みんな小さい頃に読んだ、●三年寝太郎のストーリーを忘れているんだね。三年ねてから思い出してほしいよ
2014.03.16
原始仏典を読むと、生身のブッダって、気取ったところのない率直なだけの男なんだよね。それがなぜ、仏像にまでなって、崇められているか?どんな世界でも優等生というものは自分で最初の枠を創る能力が低いから、すでにこの世にいない最初の仕組みを創った人の権威の上に自分の都合を乗せるでしょう?そんなことが二千年も続いて、ただの男であったブッダさんは、大仏にまでなっちゃった気がするよ。まあ、大乗のブッダのニュアンスもわかるんだがね。とかく優等生は、自分の都合を権威の上に乗せる。日本の大学のセンセの大半も、それをやっている。結局、人間は年をとると劣化するし、愛されなくなってくるから、かわりに尊敬されたいのかもね。男は実際は女よりも嫉妬深いからね。年とってからも綺麗な姉ちゃんと○○したいしね。内容のない男ほど他人の風上にたちたがるし、勉強不足なやつほど、マイクの前で話したがるしね。いやだね
2014.03.16
俺が組織に属さずいつも懐の寒い状態でかつ、「稼げる能力あるのに稼がない」と友達などから批判を浴びてるのは、結局、自由でいたいから。俺は学生時代から一貫して自由を求めてきた。俺の自由とは、もちろん、コンプライアンスからの自由ではない。システムの奴隷ではいない、という意味での自由だ。せめて頭の中や、言論だけでは自由でありたい。我々、システムの奴隷には、奴隷の美徳や、シキタリがあるし、ルールもある。担ぐ御輿もある。しかし、俺は明らかに、●アリとキリギリスの寓話で言えば、キリギリスなんだ。太宰治は、アリが嫌いだった。アリは冬場、食べ物を恵んでくれと訪問してきたキリギリスを、原作では、迎え入れないで、厳寒の中に放り出して殺してしまうんだ。「お前は、暖かい時に、仕事もしないで、遊んでいたべや!」と。しかし太宰治に言わせると、「ギリギリスは、夏場、歌って踊ってみんなを楽しませていた」という言い分。アリはキリギリスの適性を全く評価していなかった。昆虫どうしの多様性を認めないで自分たちの価値観で、キリギリスを殺してしまった。これは物凄く現代的な問題。サラリーマンでも町内会でも官僚でも、家庭でも、いまだに我々は、「キリギリスは働かかったんだから、遊んでばかりいたんだから、死ぬばいいべや」と、本音では考えていないか?そうでも思わないと、われわれ奴隷は毎日の過酷な労働に耐えられない。古来、奴隷には必ずキリギリスのような「噛ませ犬」が必要だ。しかし、夏場、自分の楽曲をみんなに提供していたキリギリスは、ちゃんと仕事していたんだよ。いまは、政治でも経済でも、会社でも、家庭でも、キリギリスが求められている。モノあまりで、当たり前のものならば、商品にしても考え方にしても、中国人が大量生産できる。だからアリとキリギリスの話はリアルではこうなる。……じたいが変化しているのに前と同じ働き方しかできないアリの集団は厳しい冬を迎えました。アリの屋敷は抵当にとられて、アリはアリの妻たちが歌舞伎町の熟女ヘルスで働くわずかな収入で暮らしています。そこに自家用ジェット機に乗ったキリギリスが現れて、アルマーニの上着をアリに与えながらいいました。「俺はロックスターとして世界を公演してまわっている。君達もアリ楽団をつくり儲けろ」
2014.03.16
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