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ブログとかで他人のホームを荒らしてくるやつの第一目的は、自分が目立ちたいという点かもしれない。自分のブログ等では人様を引きつけるだけの力がないから、自分より他人様を引きつけているブロガーのホームを荒らして一時、勝った気になったりする恍惚境というものがその手の人間の動物的な心理にはあるみたいだ。酔っては他人や身内に絡むやつの心理でもある。自分のホームで目立とうとしても一般論か他人の悪口か良くて食べた食事の写真程度のことしか出す能力がないから、他人の評価の上に乗ろうとする家畜根性だと思う。全部が全部そうではなくて、様々な穢らわしい理由はあると思う。ともあれ、一番タチが悪いと思うのは、上記のような他人の価値のヨコドリを狙いながら、自分では心から、「正しいことをやっている」と確信している奴らだね。悪いことやる時はちゃんと「悪い」と自覚してるなら協力もするが、悪いことやってるのに自分は正しいと勘違いしてるやつがリアルでも昔からたくさんいる。驚いたことに、彼等にとって、自分の都合=客観的な正義なんだ。法律を学んだ俺には、どうしたらそんな思考形態をもてるかわからない。ところで昔、意地が悪いと評判の女社長 がいて、ロクな噂きかないから、陰で俺は彼女の悪口を言っていたんだよね。しばらくして、彼女が別の場所で俺を誉めているという話が人を介して伝わってきたんだよね。それから俺は彼女を大好きになりました……。俺もまた自分の都合=正義なのさ。あなたは?あなたはどうですか?まあ、みんなそんな愚かな部分はあるにしても他人のホームにまでは上がり込まないでしょう?上がり込めるやつはたいがい、「自分は正しい」と思っているんだ。彼等の多くは自ら計算ずくで勘違いできるという才能をもっている。
2014.07.28
フェイスブックとスカイプの友達であるモ○リンさんが、二年の断酒に成功した模様。 彼は医者から、 「酒は一生のんじゃだめ」 と言われたが、二年まえに俺に、 「自分の体験では十年断酒したら、普通に飲めるようになったよ」 と明るく言われて、一生じゃ無理だけど十年ならばなんとかなるか、と、断酒を継続できたという。 俺の体験を正確にいうならば、 「十年断酒してみて、別に酒を飲まなくても飲んでも大して変わらない心境になった。結果として普通のひとよりずっと飲んでいない。こだわらない」 といった感じである。 断酒会という場所に自分もしばらく通っていた。 アルコール依存症については、そうとうに読書や勉強会で勉強させていただいた。 要するに、だ。 ●アルコール依存症はコミュニケーションの病気である とか、 ●アルコール依存症は、自己承認できたら治る という趣旨のことをさんざん言われてきた。 なんのことだかわからなかったし……。 アルコール依存症について勉強すればするほど分かってきたのは、 「アルコール依存症って、酒と関係ないんだ」 という点。 酒じゃなく、ハート の病気なんだね。 俺はスリップを繰り返しながら、32歳から軽く10年以上、酒を一応、やめたことにしていた。 何でも物事を成就するのは、適当さである、と思う。 飲むときは飲む。 しかし、酒は止めているから断酒は成功した、飲んでしまったのはスリップだから仕方ない、明日への頚木だ、戒めだ、ああ飲んで良かった、またシラフでいきるきっかけになった……と、適当に適当に考えていた。 その辺は断酒会のテキストにも、 「飲んで罪悪感を持たない」 と、書かれていた気がする。 ここで小学校時代の漢字の書き取りの勉強を例に出そう。 漢字の書き取りをさせて間違えた児童をぶん殴り、同じ漢字を無理やり数十回かかせて覚えさせようとしている若い教師がいた。 彼は俺の担任だった。 俺はクラスで一番、ぶん殴られた。 それが……。 若い教師は、先輩の教師から漢字の書き取りについて説教されたらしく、 「無理なく楽に数回書き取りさせた方が漢字はすんなり覚えるんだ」 と言われたそうで、体罰をやめて、笑顔で漢字を教えはじめたんだ。 するとどうだろう? その日から俺もクラスメートも、メキメキと漢字を覚えはじめたんだ。 あんなに努力しても ダメだったのに楽にリラックスしてノリよく覚えたら、逆に間違えなくなってしまった。 酒や薬物をやめるのも同じで、 ●努力してやめるもんじゃない と、いう点が大切だと思う。 努力の末にスリップすると、 「自分はダメなやつだ。約束を破った。自分なんか死ぬばいい」 と、思えてしまい鬱になり次の酒につながりやすい。 そうなると負のスパイラルになる。 酒じゃなくても、物事を成就するには、明るくないとダメだ。 暗い努力で成就できるのは、スポーツやコンテストで言えば三回戦まで。 アルコールという薬物の禁断症状のひどさは実はあらゆる薬物の中でトップか、トップクラスらしいから、努力でどうにかなるもんじゃない。 もうひとつ例を出そう。 伊○さんというアルコール依存症の治療をしているひとに、自分はアンチエイジング治療を自力でやる方法をおしえた。 またたく間に○藤さんは、10歳以上、若返った。 抗酒薬のシアナマイドをそれまでと比較して微量に激減させてのみつつ、ついに酒をほぼ飲まない心身健康な状態に二年がかりでなった。 ○藤さんに言わせると、 「酒をやめようとしたらやめられないが、若返るのに酒が邪魔だと思ったらやめられた」 という趣旨を述べていた。 そういうことなんだ……。 つらい努力で物事は成就できないが、よりあかるい希望に基づいた必要が求めるならば、ひとはコトをなしてしまうものだ。 特にアルコールは歓喜がないとやめることは難しい。 ところが今の医療はアル中患者を追い込んで暗い努力と薬づけにもっていこうとする。 そんなんで酒などやめられるわけがない。 そんなに甘いもんじゃない。 例えば俺はタバコを吸っていた。 昨日、禁煙を決意して、最近、身についたこの、 ●楽しく物事を成就させる という技術から、まず、ドン・キホーテにいきパイプを買ってきて、これも最近覚えた合法的な紅茶葉の吸引で、楽しく自分をごまかしながら、やめる予定だ。 禁煙については、この紅茶葉とパイプの自己流代替療法でやめられるか、結論はまだだが、発想はそういうことなんだ。 例えば……。 友達からお金を借りている。 そういう例があったとしよう。 友達から100万円かりた。 これは多くの場合、返すのにそうとうな暗い努力が必要だし、なかなか返せない場合も多い。 そうじゃなくて彼のためになにか企画を考えて、もっと楽しく借りた金の数倍以上、もうけさせてやればいいんだよ。 発想や企画の動機を義務とか「……でなければいけない」という決めつけでなく、感謝とか明るい楽しみに見いだすんだ。 そうするとどうしても覚えられなかった漢字が軽く書けるようになったりする。 モ○リンさんは、俺 と話してから酒をやめられたから俺を恩人だといってくれた……、いやあ、うれしい、うれしいが、そうじゃなく、あの時に俺がなにを話したか覚えてないんだが、たぶん、 ●断酒という暗い話を明るくはなした 断酒に対するモ○リンさんの義務的発想がそのときに壊れたんだと思う。 彼はもっと眺めのいい、高い場所でゆったりと断酒できるようになったんだと思う。 それまではたぶん、自分で作った心の中の座敷牢の狭い空間で頭をかかえて、 「酒をやめなければ、い、け、ない」 と覚悟を決めていたからやめられなかったんだ。 ひとつ重要な点を述べる。 「病んで道心を得る」 という言葉がある。 アル中というのは、自分の中の神聖なものに気がつく最も近道のツールだったといまは考えている。 言葉は様々だがインナーセルフとか、内なる神とか、まあ表現はどうでもいい。 心のエネルギーの軸というか……。 例えば格闘家のヒクソングレイシーの動きをみただけで、インナーセルフを実感してからの俺は、ヒクソンは自分のインナーセルフに気づきインナーセルフに基づいて動いていることが、わかった。 ヒクソンって動きにも中心というか軸があるでしょう? ああいう感じなんだ。 インナーセルフに気がつくと声も軸とつながるから腹式呼吸になり声も腹式呼吸の良い声になる。 俺の場合はインナーセルフに気づいた途端に腹式呼吸になり、よく朝、アトピーが全部きえていたんだ。 最近またアトピーは出ているけどこれはたぶん、いつまでもエロい自分への戒めかもしれないね。 インナーセルフのエネルギーがやってきてから、それまで15年以上やりつづけてきたベンゾゼアピン系の睡眠薬のロヒプノールと抗不安薬のレキソタンもやめられた。 ベンゾゼアピン系薬物の禁断症状は酒に匹敵するくらいひどかったけれど、飲まなくてもインナーセルフ=エネルギーの軸とつながり感があって耐えられたんだ。 そうしていま、とくに自分の場合、心を明るく楽しい風通しのよい広い容量の部分にもっていくと、どんなことでも解決つくと実感している。 要は心だ。 アル中とか薬物中毒の場合はとくにそうで、飲んだとか飲まないとか、こだわる問題じゃないと信じている。 心が酒を飲んでも飲まなくても関係ない 段階にむかっているかいないかというリアリティだけが問題ま。 感謝できるようになったら精神病は治る、というが、言い換えるならば、 ●感謝できるような広い空間にシフトしてから解決策を練れ といいたい。 感動するから感謝できるのだ。 感動もしてないのに、 「感謝がたりない。感謝しなくちゃならない」 と命じてきた親や教師に真面目に反応してきたからアル中になったんだよね、俺の場合。 挙げ句の果てに、システムはアル中のレッテルをはったら、 ●不治の病 だなんていう……。 不治の病だから一生のんではいけない、という。 そんなことをいう画一性ゆえにアル中になったのに、さらに画一を求めたら、絶対なおらん。 学校で五科目あって、苦手科目に焦点をあてたら、全体の足を引っ張るでしょう? 仕事に家庭、趣味、酒、女、……などと大切なことが五科目あるとして、苦手科目の酒にばかり焦点あてるから酒すらやめられない。 大好きな女を追っているうちに酒やめてるかもしれない。 おれ、タバコやめはじめたでしょう? こう考えたのさ。 「1ヶ月にかかるタバコ代で、1ヶ月に一回、ソープランドにいける! そか、ソープにいけるのか、タバコやめるぞクラァッ」 と。 そんなところです
2014.07.23
離婚や倒産で死に体になると、それまで思いもしなかったレベルの低いやつらが一時、近づいてくる。「お前が心配だから」「お前のためを思って」と述べて寄ってくるが、違うんだ、弱っているから、獲物にしようとしている場合が多い。例えば自営業の会社が倒産しそうになると普通のサラリーマンや公務員が、なぜか説教してくる。自営業なんて自分じゃできないから、その腹いせに、ここぞとばかりに攻撃してくるんだ。儲かっているときはアドバイスしないくせに、死に体になると攻撃してくる場合が多い。これらは本当にあることだ。親切で優しい人間もいるが、例えば、「お前、金がないから俺がご馳走しよう」とご馳走してくれるところまではありがたい、「ご馳走さまでした」と、言う。しかし、レジでお金を払いながら、「ダメだ。払うまで待っていろ」と、大きな態度であからさまな優越感を人がかわったように出すやつもいた。時々、おもうんだ。そういう劣等感とか優越感に縛られているタイプの家畜化人間は、わずかなお金で奴隷として支配してもいいのではないか、と。そんな着想でブラック企業を営んでいる経営者は実際にいた……。離婚争議中の方々や経営者の皆さん、死に体になったら寄ってくる人間を警戒したほうがいい。むかし、凶作のときに、小作人の娘を売春させるための人かいがやってきた様子をこう詠んだひとがいる。いわく、「つけ込んで小作の娘かいにくる」人かいはだいたい、親切めかしてやってくるんだ。心理的なエネルギー面の人かいが本当に増えた。彼らの本性は餓鬼なんだな。そうじゃなく、本当にこまったときに真心から助けてくれるひとの特徴を一点あげておく。彼の人生は人助けの連続であったはずなのに、彼はひとを助けたことを、「あんまり覚えてないんだよね」という。他人の死に体を、心配めかして攻撃してくるやつの特徴は、人に世話したことをいちいち細かく覚えている点であった。
2014.07.22
まつお社労士事務所内に「札幌障害年金代行センター」というのを立ち上げることになった。障害年金は、もらえるのにもらえないひとが非常に多い。完全歩合制のスタッフを募集する。興味あるひとは、メッセージ電話よろしく。電話080-5584-4657松尾申請したら多くの場合、五年間分の障害年金がはいる。その10パーセントが社労士の手数料として、例えば五十万円はいったら、半額以上支払います。障害年金は非常にやりがいのある仕事だから、いいと思う。最低限の常識と理解力がある老若男女、応募よろしくね
2014.07.16
愛のない結婚をしてできた子供は、必ずおかしくなるみたいだ……。経済力とか社会的地位と結婚した男女の子や孫は、必ずおかしくなる。めちゃくちゃリアルな問題で、立て直すまでに数世代かかるようだ。人間の無意識は正直だから、愛しか信じていないようだ。金や地位は信じてはいないようだ。親の因果が子に祟るということは、残念ながら本当にある。愛のない家族で育った子は、まず、子をつくろうとしない。家畜はこづくりに励めないんだ……。この年になってはじめて、愛の意味がわかってきた。特に赤ん坊は愛を見抜く。愛のない状況で育てられた赤ん坊の一生は悲惨だ。彼は一生、愛をもとめてさまよい、人々に酷い仕打ちをして、人々を試すだろう
2014.07.15
一昨日、父が入院した。ウンコが真っ赤で貧血ぎみだから、近所の病院にいったら、医者が、「ガンでないのかな? ガンかもしれないな」と述べていたそうだ。翌日、看護婦さんが、「大きなストレスのあと大腸から出血することがありますから、ガンでない可能性が高いですよ。奥様を失った直後ですから」と言ってくれたそうだ。明後日まで検査は続く。老父いわく、「ガンだとしてもガン保険にたくさん入っているから大丈夫だ」と言う。カネが入ったら閻魔様も買収できるかもしれないから大丈夫だよ。……って、閻魔様を買収するのは、たぶん無理だよ、お父ちゃん
2014.07.07
悟りとはどういう状態かといえば、仮にアナタが八十歳を過ぎていても、道端で出逢った可愛い姉ちゃんやイケメンの兄ちゃんが自分の部屋に泊めてくれて養ってくれることだろう、と思う。インナーセルフにはそれくらいの価値がある。つまり、インナーセルフに向かって生きている人間には、モノなんかいらない。求めたら、他人が全部くれるんだから。魂の道が即物より価値が高いとは、そういうことだと思う。おれ?まだまだだし、最近、魂レベルが落ちているのか、ススキノをパトロールしていても、姉ちゃん方が次から次に、「部屋に遊びにきて」と云う段階にはない。しかし、俺は仮に一円ももっていなくとも、そうやって生きていく自信はあるよ。●カラマーゾフの兄弟と、いう小説の主人公であるアリョーシャは、知人にこんなことを言われていた。「アリョーシャ、お前は不思議な男で、例えばお前が一文無しで街に放り出されても、お前は生きていけるよね。誰かかれかがお前を助けて、また、そのお前を助けた人々は、お前を助けたことを自分自信の誇りと感じる」と……。インナーセルフとか魂とは至高のムードであり、外見に現れると美貌になるし、性格に出ると、えもいわれぬ善性になる。俺は貧乏型アンチエイジングでインナーセルフに基づいた若さを人々と共有してきたが、それは若返ることが本心ではなく、インナーセルフへの気づきこそが自他共々の潜在的な目的であったはずだ。●一文無しでも百億円もっているに等しい状態それは、実現できると思う。ほんとうにインナーセルフで生きている人間は、「いま、目の前のひとを魅了しつづける」そんなことは当たり前のことで、そんな状態に縁がないにしても、そういう人間の存在を認める方々はまだしも、インナーセルフとか人間の善性を心から否定する方々からみると、「インナーセルフに基づいていきる人間が無感情な最悪な悪党に映る」それもまた事実だろう。インナーセルフにそもそも感情などない。限りなきエネルギーの発露しかなかった。人間は本当は誰しもこの、●限りなきエネルギーの発露が、大好きなのだ。それは、赤ちゃんをみて可愛いと思う感情だとも言える。赤ちゃんは可愛い。エネルギーが炸裂しているからだ。インナーセルフとは唯一、電気的でないエネルギーのことだ
2014.07.05

2014.07.05
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