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お茶とみかんの歌当方は、神奈川県の小田原でみかん栽培をしていますが。「八十八夜」は、今年は5月2日とのことですが。4月29日には、お茶摘みをしてきました。みかん畑の周辺には、お茶の木が植えられてます、みかん畑のお互いの境界を示す印でしょうか。お茶の木は、適切に管理すれば低木に抑えれるはずですから、みかんの木への太陽の光を妨げることはないはずなんですが、手入れを怠ると、人の手の届かない高さとなり、クズやヤブカラシがまきついて厄介な存在になります。当地は「足柄茶」のブランドで、お茶の産地でもあります。昔から農協が製茶工場をもっていて、茶葉の生育に合わせて日にちを限定で稼働させてくれています。ただし、その日に茶摘みしたものでなければだめ、また、濡れていてはだめで、晴れた日しか茶摘みはできませんから、工場の稼働日に合わせて、お茶摘みにはタイミングがあるんです、のんびりといつでもというわけにはいきません。わたしなどは手摘みですから、「一芯二葉」の茶摘みの単純作業が続くわけです。そんな中で、「夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る・・・・♪」これは、茶摘みの単調な作業を励ましてくれる励ましの歌なんですね。「つめよ、つめつめ、摘まねばならぬ。摘まにゃ、日本の茶にならぬ」これは、日本の近代化を、農家の努力を下から支えた歌ですね。私はこの歌は静岡の茶どころでつくられた茶摘みの応援歌かと思っていたんですが、そのもとは京都の茶どころでうたわれていた歌なんだそうです。もう一つ、茶摘みの時期というのは、みかんの花の咲く季節でもあります。みかんの花びらが、風に浮かれて茶摘みの収穫籠に入らないように注意が必要です。茶畑に隣接してみかんの木があります。これは真鶴の湘南ゴールドの木ですが、今花が満開です。茶摘みに追われていると、ついついみかんの花を楽しむどころではないんですが。注意してみると、ミツバチがいて、ところどころで、せっせと花粉を集めて飛び回っていました。ここでも自然と歌が出てきます。「みかんの花が咲いている、想い出の小道、丘の道。はるかにみえる青い海・・・・♪」私は小田原に縁のある北原白秋の作かと思っていたんですが、違ってました。これは川田正子(1934-2006)が、1946年につくった歌だそうです。小田原の景色とぴったりで、今も昔も自然の景色はそうそう変わりません、みかん畑は、いまも歌詞の通りで、相模湾が輝いてます。まるで小田原で作ったかのような感じがしてきます。どこで作ったんでしょうか。とにかく今、その歌の通りで、みかんの花の季節が始まりだしています。みかんの花の香りが、これから山全体に漂いはじめます。相模湾がキラキラと輝いています。今回も茶摘みをしていたら、近くでキジの鳴き声がしました。今回は、珍しくもメスが近くにいるツーショットです。こうなると、オスは鳴く必要はないと思います、この時はたしかに静かでした。オスは大きな声で鳴いて羽ばたきの音を立てるから、だいたいその居場所がわかるんですが。しかしメスは警戒心も強く、静かで鳴かず、地味な姿ですから、それをみれるのは珍しいんですよ。でもだいたいは、オスの近くには、メスがいるはずなんです。オスが鳴くときは「おれは、ここにいるよ」って、メスにアピールしているときかと思いますが。したがって、二羽が一緒におさまっている写真というのは珍しいんです、静かですから。以上、4月29日、小田原の午前のみかん園の様子でした。
2026年04月30日
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東京・町田でタケノコ市東京農民連・町田の大谷宅で、4月26日(日)にタケノコ市が開かれました。前日には、近くの竹林で、準備のためにタケノコ掘り、百本のタケノコを用意しました。また、収穫したての野菜を袋詰めして、販売の準備がされました。4月26日(日)は、天気も晴れました。午前9時過ぎには、タケノコをもとめるお客さんが大勢来てくれて、たいへんな盛会でした。このタケノコ市は近くの学生も来てくれました。東京の農業、生産された作物を販売する活動を支援してくれました。また、追加のタケノコを掘る作業にもあたってくれました。大勢のお客さんを相手に、てきぱきと販売の応対をしてくれて、日ごろ静かな庭先ですが、大勢の活気にとんだタケノコ市となりました。当方も、小田原のみかんを、清見と甘夏を販売させてもらいました。小田原と東京・町田との交流です。農家の人口が大きく減っている近年ですが、しかしどっこい、東京の農業・農家も健在です。このタケノコ市ですが、東京の農家と消費者との生きた交流の、一つの形を示してくれました。
2026年04月26日
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タケノコとフキの季節今、日本の農家の人口が激減をしているのをご存じですか。私などは長らく東京生活をしてきたものですが、2000年から郷里の小田原・真鶴でみかん農夫をしています。農業を支える人は70-80歳で、90、100歳近くの方も頑張ってます。農業は自然の恵みを生かすこと。私などは、本日・4月25日、東京・町田でタケノコ掘りをしてきました。この自然の恵みを、どのように掘ればベストなのか、その掘り方をアドバイスしていただきました。農業において、そのギャップが大きいと思いませんか。なんで、80歳前後の高齢者が現役の青年部として頑張っているのか。会社員の毎月の給料と違って、農家の収入は年に一度か二度なんです。その年の自然条件によって、収穫はまちまちです。その市場価格もまちまちです。それじゃあ、博打のような生活じゃないですか。子育てにキュウキュウとしている若もの夫婦が、そんな生活に命運をかけるなんて絶対にできません。せめて生産費を労働者並みに補償する、最低限の所得補償をはかること、それは、欧米では当たり前のことです。しかし、日本はどうか。暮らしの予算を削って、どんどん軍事費に注ぎ込む-それが極端化しているのが今の日本です。農業・食料なんて自給しなくてもよい、安い外国からの食品を輸入すればよい、といった政治です。だけど、この東京だって、豊かな農産物があるんです。そりゃぁ、もうけ本位の基準からしたら利益にはならないかもしれませんよ。だけど、東京の農地から、タケノコが生えてきているんです。この自然の恵みを生かさない社会は、いったい何を追求している社会なのか。今回、私の小田原行きでは、フキを採ってきました。これも同じです。この豊かな日本の自然の恵みを、その豊かさを生かせない社会というのは、じつにもったいないし、根本的にどこかが、くるっていると思いませんか。
2026年04月25日
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森宏一著『哲学とは何か-世界観の史的展開-』の紹介森宏一著『哲学とは何か-世界観の史的展開-』(合同出版 1976年刊)を紹介します。この本は1976年刊行ですから、今から50年前に刊行されたものです。森宏一氏(1901年-1993年)は、今から33年前に亡くなっているんですが。戦前の『唯物論研究会』の初めから参加されてきた、気骨ある方です。何故、私は今、その方の著作を紹介するのか。私はこの本を以前に読んではいるんですが、初めから通読しつつあるのは、今回が初めてです。私が森宏一さんを知ったのは、レーニンの『唯物論と経験批判論』の訳者としてだったんですが。それはレーニンによる唯物弁証法の内容を知るためでしたから、訳者がどういう人かなんてことは、その時はまったく意識になかったんです。人となり森宏一さんという方を意識するようになったのは、1969年刊行の『日本マルクス主義哲学の方法と課題』(新日本出版社)のなかでした。この一部は、古在由重氏が報告者となって、戦前の唯物論研究会の努力を、1970年ころに、哲学者の人たちが総括討論をされているんです。その中にあって、森宏一氏は戦前の当事者、治安維持法による思想弾圧を体験してきた方ですから、その発言は、日本で唯物論の開拓する努力、その確信が伝わってくる、それと同時にそれが思想の自由、民主主義をまもろうとする、苦難を余技なくされた、意識的な戦いだったことが述べられていたんですね。それは、ともかくとして。今回、私がこの『哲学とは何か』を紹介する動機ですが。この本は、世界の哲学の歴史を、古代ギリシャから中世、近代と、哲学の世界の歴史のあゆみをまとめているんですね。もちろん、たとえその中の一人についても、その人となり、学説となりを紹介しようとすれば、研究しようとすれば、それだけでゆうに一冊の、これくらいの本になっちゃうと思うんです。しかしこの本は、2000数百年の哲学の歴史を、その中心点、エッセンスを紹介しているんです。この種の努力をヘーゲルが『哲学史』で行っています。その努力を、唯物論者としての森さんが、森さん流に研究して、それをまとめたんですね。これはじつにすごい努力なんです。私などは、最近、感じるんです。ここに細かな点で研究をしている人は、学者・研究者は大勢いますよ。しかし、それらをマスターするのはなかなか容易なことではありません。他方では、そうした専門的な研究者でも、意外とごく基本的なことが理解されていない様子も目にします。ただ、全体としては、現代という激流の時には、哲学の方法論が鍛えられる必要があると思うんです。基本を押さえつつ、細目の研究部分にあたる必要があると思うんです。ではその基本はどの様な努力によって、学びうるのか。大事な問題ですが。私などが森浩一著『哲学とは何か-世界観の展開-』を紹介するのは、その基本を、あくまでも基本ですが、この本が提供してくれていると思うからなんです。どの様にこの本が評価されているのか、私などは知りませんが。私などは、今回この本を読んでみて、あらためて、先人の森さんの努力というのは凄いものだし、その努力を線上に私たちの今があるし、それを進めなければならないと感じています。その後すすめられた成果をまなばなければならないと感じています。
2026年04月22日
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八王子市鹿島で市政懇談会が開かれる広い八王子市のもっとも東側はずれにある鹿島地域ですが、4月18日(土)、ゲストに共産党・望月しょうへい市議をむかえて市政懇談会が開かれました。八王子市議会の第一回定例会が終わりました。ひごろ八王子市政に疎い私たちですが、3月26日本会議で発言した望月市議から、全体の様子を聞いて懇談しました。望月市議は、全会派一致でアメリカのイランに対する戦争反対決議が採択されたこと。本年度の八王子の予算について、①公共施設の使用料など727件もの値上げ条例が、賛成多数で決められたこと。②小・中学校の統廃校が決められ、すすめられようとしていること。③多摩で一番高い八王子の国保料ですが、一般会計からの補助・繰り入れが、ゼロにされてること。⑤補聴器の購入補助が、希望者が多いにもかかわらず、5万円から3万円に減らされたこと。⑥市内の循環バスが、毎日の運行していたのが、限られた曜日に変更がされること。など、本年度の八王子市予算のもつ問題点とその特徴について紹介されました。参加者からは、いろいろな角度から質問が出されました。それぞれ八王子の市民にとって切実な問題が、市民には知らされないところで、勝手に市議会の中の多数決で、マイナス方向に決められている感じがする、というのが共通の感想でした。懇談の中では、要望や意見も出されました。①図書館の問題。近隣の市に比べて、そのサービスがかなり遅れている。市民の要望に応えるものになっていない。本が古いし、借りようにもネットワークが弱く、係の人がいない場合がたびたびある。②高すぎる国保の問題。少子化対策は必要だけど、どうして医療保険がそれを負担しなければならないのか。どうして後退する国や都にたいして要望しないのか。③市民生活にとって、八王子市政というものの存在が遠くて疎遠だ、ついついあきらめ感になる。もしも望月さんがいなかったらその報告がなかったら、八王子市政の情報はなく、まっ暗闇になる。税金についてはビシビシと督促してくるのに。④八王子議会だよりについて。八王子市議会での発言者の紹介に、どうして発言した人の名前が載らないのか。これでは、誰にたいして、質問したり要望したらいよいのかわからない。などなど、多くの発言が交わされました。
2026年04月19日
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今週のみかん市を終了今週も永山商店会の土曜みかん市を終了しました。早川の農家が清見オレンジを2.5コンテナ出してくれました。しかし最近の永山商店会ですが、朝市を開く土曜日の朝は、いたって静かなんです。人通りが少ない。したがって、この場所での朝市販売は、せいぜい10袋程度に限定するようにして、あとは、市内と市外の各所にいるみかん愛好者に届けるようにしています。こんな閑散としたところで、いつまで客待ちしていても、販売できるのは限られてますから。客待ちしている間に、電話で注文も取るようにして、終わらせるようにしています。それでも、みかんを楽しみにしているお客さんがいるわけで、長年続けてきましたから、少しでもその人たちのためには、続けなければならない。今回も、わざわざ買いに来てくれた人たちが、何人かいました。ありがたいことです。当然ながら、小田原のみかん園の凍害問題を紹介しています。『農民』新聞をコピーして、渡しています。4月9日に50部、11日に20部、12日に10部、17日に24部をコピーしてますから、早川のみかん園の近隣の園主さん、関東各地からの愛好者の宅配注文、そして多摩市の朝市と近隣の注文者に渡してきていますが、記事を渡した人は100名を超えました。もちろん柑橘の凍害への対策が問題なんですが、被害の状態が各方面に知られないことには、対策をつくる知恵も借りれません。被害の事態というのは、もちろん農家は渦中の事態にあり、知っているわけですが、自分の被害はわかっても、被害の全体像はわからないんですね。農協に聞いても、全体的に「たいへんだ」とは言ってはいても、具体的な状況はわかりません。そうした中ですから、この農民連の「農民」新聞の取材記事は、客観的な大事な材料なんです。かりに、レモンの木が枯れたとすれば、植え替えの大変な作業となります。たくさんの苗木を確保するとのことも、すぐにはできません。記事にもありますが、植え付けができたとしても、ある程度なるには5-6年はかかります。樹勢が回復するかどうか、今は見守るしかないわけですが。こうした凍害が、いつまた起こるかわかりませんから、今回を機会にしっかりと対策を講じなければならないわけです。お米とかリンゴの自然災害は、それなりに経験と対策があると思いますが、柑橘の凍害は、30年ぶりとか、50年ぶりとか言われてますから、経験がない。今を働く農家にとっては、初めてのことかと思います。私などは、各方面に実情を知らせて、こうした場合、どのような対策がありうるのか、実際に取れるのか、知恵を借りようとしています。
2026年04月18日
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みかんの木を枯らすミカンナガタマムシ何故、みかんの木が枯れていくのか。カミキリムシが基幹を加害していたのは、3月26日のブログで紹介しました。しかし、症状からして、原因はカミキリムシだけではないことが見て取れました。(4月9日付ブログ)4月13日に根府川にある農業技術センターを訪ねました。課題は3つ。1、みかん畑に繁茂してくる「雑草」ですが、その主なものの名前を教えてもらうこと。雑草という草はないし、図鑑を見てもそれがなんなのかはっきりわからない。名前を教えてもらおうと、数種類を持ち込みました。2、今回の主題は、カミキリムシとは違う枯らされている木の原因で調査でしたが。さすがに農業技術技術センターです。具体的な説明にくわえて、玄関の横には加害された症状をしめした木が置いてありました。これではっきりしました、ミカンナガタマムシでした。別の件で調べものをしていたら、本日、一つの発見がありました。「防除情報(病害虫情報 号外 第3号)とのニュースが出されていて、ミカンナガタマムシの問題についての注意が発信されていたことを知りました。神奈川県農業技術センター発 令和7年4月16日付でした。このニュースは、私などの周りのみかん園の園主さんたちは知らないと思います。今度行ったときに紹介するつもりです。3、もう一つは、今回の雪・凍害を調査した『農民』新聞の提供でした。もちろん、2月20日付で「大雪・凍害による木に対する管理」は、JAと技術センターでニュース発信しているんですが、あくまで木の管理についての注意です。しかし、柑橘の果実に対する被害というのは、どこも調査しておらず、その後の時間とともにそれぞれの体感として明らかになりつつあるところだと思うんですね。そして、「天災だから仕方がない・・・」と、あきらめ的なんです。私などは、その被害の現場にいるわけですが、その点で被害を様子をリアルに取材した『農民』新聞(4月13日付)の客観的な情報は貴重だと思うんですよ。農家や農業団体、政治の各方面が、被害の実際と向き合って、被害のほどを早くキャッチして、この自然災害に対して、どのような救済策がありうるのか。その対策を探る必要があると思うんです。地球温暖化が指摘されるおり、同じようなことが来年も繰り返さないとは、誰も言えないんです。そうしたことで、今回の小田原行きは、この「農民」新聞コピーを、私と接点のある人たちみんなにとどけました。さらに農協や農業技術センター、小田原市議会議員の人たちと、ひごろ接点は薄いんですが、それでも社会的にかかわる各方面の人たちに対しても、資料として提供して対策を依頼してきました。みかん栽培には、自然災害への対策もあれば、病害虫対策の問題もあるということです。二つの災害が重なって発生したということです。
2026年04月16日
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聴涛弘著『ソ連共産党とは何だったのか』のお勧め昨年末に、不破哲三さんとともに聴涛弘さんが亡くなりました。たまたま、有田芳生さんのニュースを読んでいて、聴涛さんが死去されたことと、この遺言的な著書を知りました。『ソ連共産党とは何だったのか-日ソ両党関係史からの視点』(2026年2月28日 かもがわ出版刊)私は聴涛さんという方、その個人を知っているわけではないんですが。私の本棚には、ごちゃごちゃとして、いろいろな本がありますが、その中に、手放せない本として、その中に聴涛さんの本が、2冊がありました。一つは、1970年刊『レーニンの想い出の日々-フォティエワ回想録』(啓隆閣)。もう一つは、『社会主義と民族自決権』(新日本出版社 1982年刊)です。ともに、私にとって、古典的な力をもって現在を励ましてくれる、大事な著作です。そうした作品の著者の聴涛さんが、不破さんと同じく昨年12月に死去されたこと、知りませんでした。又、聴涛さんが日本共産党とソ連共産党との関係で、通訳者として現場にかかわっていたこと、このこともまったく知りませんでした。この聴涛さんの死後に出版された『ソ連共産党とは何だったのか』ですが、このリアルなやり取りに、これは、早く読んでおかなければならないと感じて、みかんの凍害対策の最中ですが、本が届いてから、4月14日-15日の二日間でしたが、とにかく通読しました。これは、『日本共産党の百年』史がありますが、その1960年代以降の日本とソ連の共産党間の対立とその克服問題がありますが、この事態にその都度通辞として立ち合い、かかわった聴涛さんの存在からして、その貴重な歴史に対する証言です。もちろん、この聴涛さんの感想・意見を絶対視するものではありませんが、そこには、いくつもの歴史場面にたちあった貴重な証言があると思います。その根底には、発達した資本主義国ならでわの社会主義の探求があると思います。これは聴涛さんの遺書となりましたが、これをどのように生かすのか、今を生きている私たちに、そうした問題が提起されていると思います。
2026年04月15日
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柑橘の凍害を報じた新聞『農民』小田原方面では、中・晩柑橘(湘南ゴールド・レモン・清見・甘夏・日向夏など)に雪と凍結の被害が発生しています。総選挙投票日(2月8日)の前夜から降り出した大雪と、その後の零下7.9度の低温により、徐々に被害のほどが、凍結被害があきらかになっています。農民連の新聞『農民』(4月13日付 第1695号)が、被害の様子を現地に取材し、リアルに報じました。本日、4月11日、私は、通常であれは東京・多摩市の永山団地商店会での朝市なんですが、団地居住の消費者も、そろそろ湘南ゴールドが売りだされるかと楽しみにしていたわけですが、今回の事態です。販売するものが、商品価値ゼロになっちゃいました。4月9日に新聞『農民』が手元に届きました。それ以来、その新聞を50-70部とコピーして、みかんの相手先に被害状況の紹介が始まってます。今回の朝市は、販売ではなく、被害の湘南ゴールドの現物と新聞コピーで、実情報告です。被害の実相を伝えてくれる農民連ならでわの紙面なんですよ。しかし、求められているのは、被害の様子とともに、大事なのは、この自然災害に対する農家支援と救済策です。が、しかし、この被害の事態は、まだ当事者のみかん農家しか知られていないんです。小田原の同じ農家でも、みかん農家以外は「よいお湿りだった」程度の認識の人もいます。また小田原の市街地に住む人は、「みかんが大変のようだ」と噂話程度の認識です。ましてや全国のみかん農家でも、零下7.9度の凍害がひどかったのは限られた地域ですから知らない。ようするに、当事者以外に被害をリアルに紹介したのは、この「農民」新聞が初めてなんです。その中で、早く事態が知らされなければならない。なによりも被害対策です。こうした大雪と凍害による大被害は、30年ぶりとのことで、被害をうけた農家も自分の被害については知っていても、どういう対策と支援が求められているか、対応する経験がないわけです。ひょっとすると農協や行政においても、話を聞くだけ。ただ見守るだけで、被害に応える有効な対策を打てない事態をきたすかもしれない。それが今問われていることです。しかし、確かなことは、この新聞『農民』が、全国にこの被害の様子を紹介してくれた。そのことは確かなんです。そして、問題は、ここからです。その道の政治や学者・研究者が、その知恵と力と、経験を生かして、この事態にどう対応するのか。被災者の痛みによりそって、励まして、その営農をどう支援していくか、農家の窮状に応える、社会的な共同の力が求められているわけです。そのためには、都会の消費者においても、この状況を理解してもらうことが大切です。今回の朝市ですが、限られてはいますが、すこしですが紹介しました。被害の湘南ゴールドの提供は、百聞は一見に如かずです。用意したものはどんどん、すべて渡されました。その横では、新聞の記事によってのみかん談議です。農家の人の表情が、レモンの木の様子が、事態を示していると、立ち話がひろがりました。最初は、「この黄色いみかんはレモンか? なんなの? あぁ、これが湘南ゴールドか」とか、「最近、販売が見かけないんで、どうしたかとおもっていた」などからはじまって、とにかく、たちどまった全員が「雪の後で災害が起こっていたなんて、知らなかった。初めて知った」とのこと。 そして話はひろがって、「はたして、この国は実のある支援をするだろうか。どのような支援策が必要か。どうしたら国は国民・農家への支援をするようになるのか」「農家の収入は、月給や年金の収入とは違うから、大変じゃないか。支援制度はどうなっているのか」「「地球温暖化」のなか、こうしたケースは、どこでも様々な形でおこりかねない」「支援が必要だ、がんばってください」と。等々の会話が交わされました。都会の消費者・永山団地の住民も、「支援しますから」と語ってくれています。
2026年04月11日
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東京・清瀬でみかん園づくり東京の南部・町田市でのみかん畑づくりを紹介しましたが。北部の清瀬市でもみかん畑づくりが始まっていました。今や清瀬市は全国に有名になりましたが、この地でも清瀬駅のすぐ近くで、みかん畑をつくろうとする試みがすすめられています。小雨がぱらつく中でしたが、4月4日、初めて清瀬にその農家を訪ねました。これらの木は、これまでに植えられてきたもので、東京都の指導員の方のアドバイスを受けて、40本の苗木を植えたということです。「木を植えたんけど、ちっとも実がつかない。どうしてなのか?」-園主さんの疑問です。ここでも2月8日の大雪のあと、5本くらいでしょうか、枯れていた木を抜いて片付けたとのこと。私は清瀬という地を訪ねるのは初めてだったんですが。これが園主さんのお宅です。これが東京か、信じがたい風景ですが。この畑とお宅は、清瀬駅から2キロくらいの、すぐ近くにあるんです。市街地に隣接して、農家があって、農作業が続けられているんです。これが東京の農家の、一つの現在の姿です。今回、4月9日に、私は「宮川早生」の苗木2本をもって、再び訪ねました。園主さんとともに、この2本の苗木の植え付け作業をするためです。二人でいっしょに、植え付け作業をしました。苗木を植え付ける穴を掘って、たい肥や苦土石灰等の土壌作りをして。苗木の根を横にはわせて、接ぎ木部分が地面から顔を出すように植え付けて、主柱をたてて紐で固定しました。これは、簡単そうでいて、いろいろな細かな配慮が必要なんです。毛根を大事にするとか、根を広げて横に這わすとか。足で踏み固めて活着させるとか、水をたっぷりかけるとか、頭で理屈を理解するだけではダメ、他人の作業者をただ見ているだけではダメなんです。実際に自分で手をかけて作業をすることで、細かな、しかし大事な点を、実際に体得できるんですね。失敗することもあります、しかしそうして学ぶしかないんですね。ということで、新たに2本の宮川早生の苗木が、追加として植え付けられました。この努力の検証は、みかんの木の生育で、果実を結ぶことで示されます。果たしてどうなるか、今後の様子が楽しみです。
2026年04月10日
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みかんの木が枯れる原因、その二小田原のみかん園を手入れしていますが、みかんの木が枯れてしまう。その原因はなにか?3月26日付のブログで、ゴマダラカミキリムシの加害を確認しました。しかし、木が枯れる原因は、それだけではない。カミキリムシは樹齢を重ねた太い木の基幹を食い荒らしますが、この木の基幹はカミキリムシの身長くらいでしかないのに、それでも枯れていく。やはり何本もの木が枯らされて、みかん園は草原にかわっている。いったいなぜなのか?今回、枯れつつある木の根回りを草取りして、その様子を調べてみました。すると基幹の状態に共通性があることがわかりました。前の写真の木の基幹です。さらに別の枯れこむ木と、その基幹です。他の枯れつつある木の基幹です。共通しているのがわかりますか。いずれも基幹の根元の近くが、ひび割れしてウロコのようにささくれだったいる。ふつうの木がさうなようにつやつやとしていないんです。どうしてなんだ?今回も農業技術センターに木の様子を伝えて原因を聞いてみました。電話で話をしただけだったんですが、すると、『それはきっと、みかんナガタマムシに違いない』との指摘でした。『小さな穴が開いてませんでしたか?』と聞かれたんですが、写真を調べたんですが、ささくれた樹皮しか見当たらなかったんですが。しかし、一枚だけありました。樹皮が枯れ落ちて木の芯が見えている木があって、その木の芯には、確かに1-2ミリの穴があいていました。しかし、その芯が見えた木は、たまたま1本の木の写真です。ささくれた樹皮の下がどうなっているか、調べてみる必要があるということです。近々、農業技術センターで写真を見てもらい、ほんとうにミカンナガタマムシの仕業かどうかを確かめる必要があります。すなわち、みかんの木が枯れるのは、カミキリムシ問題だけではなく、ミカンナガタマムシによっても加害されている可能性があるとのことです。対策が必要だということです。私などは、農文協の『果樹 病害虫百科』(昭和62年刊行)があります。対策の基本はここにあると思うんですが、しかし、近隣の状況はどうなのか。どう対処したらよいのか?農業技術センターのアドバイスをいただこうと思っています。草刈りして調査をしていたら、またキジがやってきました。おいおい、何をやっているんだ?とでも言ってるかのようでした。
2026年04月09日
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この3月のみかん園の様子です今年の3月のみかん園は、 ①.雪・凍害の発生、②カミキリムシ幼虫の発見と、③苗木の植え付け、この3点でした。1、雪・凍害の発生 総選挙投票日の2月8日は関東も大雪でした。雪景色は、小田原でも決して珍しくはないんですが、そのあと零下6度の冷え込みがあったんです。これは30年ぶりだという人もいます。3日後に通行止めが解除されて、見回りした時は、みかん園はいつもの様子にもどっていたんですが。一週間後に見たとき、甘夏が3割くらい落ちていました。2月20日にJAは「雪・凍害の緊急管理」ニュースを出していました。農民連に22日、その様子を紹介したところ「これは大問題じゃないか」と。それにより、初めて私なども今回の凍結害ということの重大性ということに気がついた次第でして。当事者は、がっかりとダメージの中にいたわけですし、今もいるわけです。全国の問題ではなくて、局地的ですから、あまり知られていないんですね。痛切な事態にあるのは、被害を受けた農家なんですが、同じ小田原の市街地に住む方だって知らないんです。しかし早速動いてくれました。小田原の北森市議がみかん園の現地に調査に来てくれて、農民連の本部では対策をとるべく現地の調査にきてくれました。国民の暮らしにつめたい政治が続いている現実ですが、そもそも政治とは何のためにあるのか、どの様な政治な力が発揮できるのか、問われている今の状況です。2、カミキリムシの幼虫の発見このところ、私などが手入れしてきたみかん園の木が、かなりの本数が枯れていたんです。ベテラン農家の人いわく、「なぜ、みかんの木は枯れたのか? 原因をつかまなくちゃだめだよ」と。あれかこれかと、いろいろと聞いたり調べたりして、探ってきたんですが。3月16日に一つの連絡がありました。みかんの木の枯れ株を割ったら中から、虫が少なくとも6匹はでてきたよと。3月23日にみかん畑の枯れ株を切って割ってみたんです。すると出てきました。何だこれは❔カミキリムシにしては、これまで見てきたものより大きいんだけど。それで、農業技術センターにもっていき見てもらいました。結論は、判定はゴマダラカミキリムシの幼虫とのこと。私などは二つ疑問が出てきました。ア、カミキリムシにしては大きいこと、ウ、枯れて株の中から出てきたこと。技官の説明によると、〇1年で羽化するものと2年で羽化するものと、カミキリムシには二種類があるとのこと。〇枯れた株でも、カミキリムシの幼虫のえさになること。とのことでした。枯れたみかんの木は、株を抜くのは大変な作業なんで、これまで放置してあったんですが、枯れ株をそのままにしていては、カミキリムシを飼っていたような状況だったんですね。まあ、木が枯れた原因というのは、一つじゃないと思うんですが、少なくともその一つ原因をつかんだということです。3、東京でみかんの苗木の植え付け現在、荒廃が広がりつつある畑ですが、もったいないですね、先人が苦労して開墾して、重機もないのに抜根して、畑づくりをしてきたんです。国は、減反のおしつけやら、宅地並み課税で畑つぶしを強いる政策を、今現在も続けています。それでいて、アメリカからの米を輸入を拡大している。これはまったくもって、自民党農政の亡国農政の姿です。『私はコメを買ったことがない、みな持ってきてくれる』-これが農林大臣の発言なわけですから。みかんの木は、それなりの実をつけるには5年間はかかるんです。農家は高齢ですから、手の及ばなくなる畑が広がっている折ですから、新たに苗木を植えることには、自分はいつまでやっていけるのか・・・、ためらうんです。しかし、東京の町田と清瀬では、今回、みかんの苗木の植え付けがありました。あきらめずに、一歩一歩の努力が続けられているんです。今の亡国の農政は、いつまでも続くわけではありません。人は生きていかなければならないし、そのためには、どうしたって衣食住が必要なんです。人類が始まって以来、それはつちかいつづけてきたことなんです。今は粗末にされ続けていますが、やがて、ほどなくですが、その基本を尊重する時代が来ます。そのためには、今はどんなに大変でも、それを準備しようとする努力が大事だと思います。それは、未来にとっては大切な宝だと思ってます。以上が、3月のみかん園のまとめです。
2026年04月05日
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1969年法政、学生たちの一枚の写真どういうわけか、57年前の一枚の写真があります。1969年4月から6月の間の法政大学の市ヶ谷・富士見町のキャンパスでのもの。当時、私は真鶴町から、つまり関東の片田舎から2時間の通学をしはじめたばかりの時でした。なんで、学生たちは集会したのか。それぞれ知らない人たちばかりだったんですよ。この時、その社会背景としては、ベトナム侵略戦争反対、日米安保条約反対・沖縄返還要求の社会問題がありました。それぞれに様々な意見がかわされていました。しかし、この集会の主題はそれとは別で、より切実な問題でした。参加している若者たちの表情は、厳しくて緊張しているでしょう。この集会の直接の目的は、「学内からの暴力の一掃」ということでして、それこそいつ暴力的に襲われるかわからない中での集会で、それはまさに命がけの集会だったんです。それが表情にでているんです。当時、「自分たちの意見に反対する学生は、実力・暴力で排除する」といった異常な状態が、学問研究の大学の学園内で横行していた。それは民主社会にとって異常だし、おかしい。法政大学の学内での「学問・思想の自由」「学園の民主主義」を明確にしようとして、まさに命がけで集まった若者たちでした。57年前の一コマです。しかし、私などは今にして思うんです。あの時は、一つの法政という学園内での学生のごまめの歯ぎしりでした。「暴力反対・民主主義をまもれ」「学問の自由」「戦争への道に反対」・・・いくら思いは正しいと思っても、あの当時、田舎から出てたばかりで、社会との理解しあうことは限られていて、ほとんどなすすべはなかったんです。それでも、民主主義をまもるために、いつ襲われるかわからない中でしたが、これだけの学生が集まったんです。今思うと、なつかしくも素晴らしいことだと思います。絶対に二度と繰り返えさせてはならない、当時の状況です。しかしですよ、なぜそんな過去が浮かんできたのか。それは、今の日本社会の世相を見たら、同じだからじゃないでしょうか。かつては、法政大学といういち学園の中での問題でしたが、今や同じ本質問題が、日本全国、いや世界の問題になっています。いっさいの他の国への軍事侵略をやめよ、国民諸階層の要求を聞かずごまかす政治をかえよう、政治的暴論を議員多数でおしとおそうとする民主主義の否定をゆるすな、・・・。まわりから道理に立った多数の団結をつくる。要するに、かつての学園内で感じていたことが、同じ本質問題が、いまや国民的な全体の課題だということです。しかもそれが、世界の諸国民の平和・くらしにつながっているのに、日本の政府はその苦悩をもたらしているトランプ政権にたいし何一つ批判せず、顔色をうかがっている。さらには、はしゃいでさえいる。ここで、声を上げなければ、かつての苦労が、いったい何だったのか、問い返されてしまいます。かつてはごまめの歯ぎしりでした。写真がそれを示しています。しかし、今やちがいます。そして同じ本質問題が、日本全国で、全世界としても問題になっています。私などは、これまで生きたあらゆるすべを駆使して、この危険な事態をかえるために、この時にこそ発信していくということです。
2026年04月04日
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小倉武一著『日本の農政』(岩波新書1965年刊)を読む当方は、この25年間、神奈川県の小田原でみかん栽培をしてきました。つい最近ですが、2月8日の大雪と凍害により、小田原方面の柑橘は大きなダメージを受けてます。昨年、2025年の3月には、みかんを栽培していながら農業のことは、ちっとも知らなかったんで、東京・八王子市に住んでいる関係もあって、「東京農民運動連合会」に参加しました。いまさらですが、これまで知らなかった農業論・農民運動論を、学んでいるところです。そうした事情により、今回、小倉武一著『日本の農政』(岩波新書)を引き寄せてくれました。これは本棚で、これまでずーっと埃をかぶっていた本だったんです。1965年に刊行されたものですから、いまから60年も前に出版された本なんです。人によっては、「なんでこんな昔の本をよんでるのか?」、疑問視する声もありますが。しかし、私にとっては、これまでただ草刈りばかりに追われていて、農業のことについてちっとも知らなかったんです。この本は私にとって、日本の農業を知る上では、たいへん参考になったんです。だけどそれは、私だけのことじゃないと思って、紹介する次第です。だいたい小倉武一氏といえば、農林事務次官を務めた、日本の農政の官僚トップを務めた方です。保守の農政の有識者とみていいんじゃないでしょうか。この本を読んでの感想です。1、日本の近代、徳川時代から明治にかわって、1945年の敗戦までの戦前の農業論ですが、これについては、なかなか冷めた客観性をもって、日本の農業の変化を見ていると感じました。徳川時代の封建制は、日本社会は農業が基礎になっています。鎖国をといて開国し、地租改正等の国内改革したのは、欧米の圧力もありますが、避けられない必然性をもっていた。そうしたことを指摘しています。戦前の日本社会の半封建的性格について、ここで指摘されていることは大事な点だと思います。2、ところが、戦後になって、小倉氏が社会的な活動をする時代となると、戦後の時代社会についての見方になると、その客観性がよれよれになっているんです。この二つについての特徴を感じさせられるんですね。その小倉氏の論点ですが、そこには、いろいろな問題をかんじますが。1つは、日本農業の課題というものを、戦前と戦後の農家の零細経営状態の打破にあるとの点を、これを基本課題としている点です。零細経営といっても封建社会のもとでの百姓と、明治になっての地主制のもとでの小作人、そして戦後の農地解放後の自作農、それぞれ零細な耕作ですが、それぞれに特質があるわけで、一口に零細経営が問題だといっても、そうした一般的な見方であっては、その戦前戦後の、時代社会での農業問題の特質がとらえられないと思うんです。2つ、そのことは、今日の問題にも関係してきます。日本の農業を大規模化することで、生産効率をあげることが、農業問題を解決する道だとしている点です。それにより国際的な競争力ある農業を育てていくとの主張です。はたして、規模の拡大ということが今の農業問題の解決策なのか。大規模農家に集約するといっても、自民党政府は今もそれを主張していますが、日本の農家の具体的な姿からして、その多くがそうした政治によってはそっちのけにされてきたんです。そこに農家の政治への不信があるんです。結局、今現在、自民党政治がすすめている農業政策の問題の基本ですが、60年-70年前に敷かれた対米従属を農業政策ですが、これというのは、この1960年の農業基本法に基本的レールが敷かれた。大規模農家づくり、一般農家はそっちのけの集約対象でしかない。その農政をすすめてきた小倉氏ですが、その見解には様々な見識ある指摘もあるんですが、ですがとどのつまりは、それらの指摘はこの基本政策をすすめるために、それをとりつくろうための飾りとして、利用したか、利用されちゃったんじゃないでしょうか。今の農政ですが、そうした以前の自民党の有識者がもっていた、悩める現実の農家の苦悩を、まったくけとばして、ただ厚顔無恥と馬耳東風で、その悪しき暴論の結論方向だけを、力任せにぐいぐい推し進めてきた。いまの農業の現状には、そうした矛盾が、ぎりぎのところでうずまいている、そうしたことが見て取れます。農家の人の政治に対する底深い不信というのは、こうした現実に対する長年の経験からくる批判のあらわれじゃないでしょうか。その意味で、60年前のこの著作ですが、あらためてその批判的見識とともに、太鼓持ちになっていて、この両面を示している。現状を知ろうとするとき、その基本に何が問題なのか、それを示すものとして参考になった次第です。
2026年04月03日
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雪・凍結の被害は、今現れてます総選挙の投票日・2月8日が、大雪だったことを記憶されてる方もいるかと思います。神奈川県・小田原ですが、今、そこでのみかん栽培にとんでもない被害が明らかになってきています。農民連の本部が、その柑橘被害の調査に入りました。当地の特産になる「湘南ゴールド」と「甘夏」の被害については、すでに紹介してきました。この「農民連」ニュースでも、レモンと湘南ゴールドの被害の様子が紹介されています。小田原方面ですが、2月8日の大雪もさることながら、その翌日に零下6度の寒さが襲い、冷凍世界になったというんです。道路が通行止めでしたから、私などは行けなくて、その様子は見れてないんです。このニュースによると、30年ぶりの大雪と低温だったというんです。今回、神奈川県真鶴町のみかん園ですが、わたしは日向夏(ニューサマーオレンジ)ですが、そのすべての果実を収穫してきました。これが、手を入れる前の日向夏の木です。かなりの実が木についている。「やれやれ、今回の雪害を乗り越えたか」と、初めは思ったんですが。しかし、よく見ると、そんな単純な事態ではないことがわかってきました。果実の周りにあるはずの葉がなくなっている。ないし、茶色く枯れて丸まっている。果実のへたと、果実が木につながる枝は枯れだしている。これじゃあ、果実がいつ落果したとしても、おかしくはない事態です。それで、日向夏の木の様子を見るだけのはずの真鶴行きでしたが、事態を見て、急遽予定変更です。日向夏の収穫というのは、4月下旬からを予定する。それが例年であれば予定でしたが。しかし今年は、そうはいかないというのが、今回の日向夏の収穫判断でした。3月29日(日)、予定にはなかった、現場判断による日向夏の収穫作業でした。今年は、落果するのを避けて、はやめに収穫せよというのが、木の様子からの判断でした。しかし、このことは、湘南ゴールドも同じです。次の写真が湘南ゴールドです。下に落ちているのは湘南ゴールドの果実ですが、なんとももったいないですね。以前には他の人の畑でこうした光景をみて「捨てるのはもったいないから、捨てないで残しておいてほしい」と要望したんですが。「コンテナに集めておくような時間がない」との返事でした。そうした農夫の気持ちですが、私などは、その気持ちが、すこしですがわかるようになりました。たぶんに、捨ててしまうのは「もったいない」、との気持ちが働いていたんですが。しかし、今回のことで分かりました。地域社会の特産品としての特質をまもるためには、本来のその味の質を維持して地域ブランドにするためには、確かなその信頼を得るためには、スカスカで内実のないような果実は、どんどん捨てろということ。農家の提供する品に対する責任というのは、それにより守られているということ。今回、あらためて農家のポリシーということを、認識させられました。
2026年04月02日
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