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恐る恐る、引き戸を開けてみる。右手には手馴れた感じの老女が・・・私の怯えたような目を覗き込んで、彼女は言った。「370円」慌てて、コートのポケットから、用意していた400円の小銭をさらい出す。「おつり、30円」と、3枚の10円玉を受け取り、逃げるように奥に進む。そこで、何をどうしていいのか、私は呆然と立ち尽くした・・・。なーんて、皆様、もうお気づきだろうか?ワタクシ、独り暮らし後、初めて戦闘銭湯に行ったのだ。部屋の風呂はバス、トイレ一体型のユニットバスで、何となく温まりにくい。そんなわけで、近くの銭湯を物色していたので、思い切って挑戦~!夜10時前と言う時間のせいもあるが、人も少なく、結構キレイな浴場で大満足。体も温まるし、ジャグジーやサウナもあって、リラックス効果も有。毎日通うのは面倒だが、週に1~2回行くのなら、気分転換になっていいのではなかろうか?世の、独り暮らしをしている皆様、なかなかおススメなので、一度トライしてみてはいかが?
2006.02.22
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「カラー」と言っても、カラーテレビじゃない!そ・れ・は・な・に・か・と・たずねたらカラーリング、カラーリング、カラーリング~と、ベタな書き出しで、失礼。4年ぶりに、ヘアカラーをしてみた。もともと、フレグランス、コスメ、パーマヘア、ヘアカラーが好きなオンナだった。会社帰りに、毎日のようにデパートのコスメコーナーに寄り、3週間に1回ぐらい美容院に通うジョシだった。が、結婚してからは、同居人(いわずと知れた姑という生物)に、「女は何もつけないのが一番!」、「コロンは臭い!」、「猫も杓子も茶髪でアホみたい」といわれ続け、かなり洗脳されていたため、今まで好きだったことが「罪」のような気がしていた。その洗脳が解け始めた・・・と、言ってもよかろう。今日は、美容院でヘアカラーだっっっ………。小心者のワタクシ。一気に茶色にする勇気が出ず、筋染め(所々の毛束がカラーされる)が精一杯だった...orzかくして、私Sally、いつか全髪カラーに出来るのか?!乞うご期待!!
2006.02.18
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久しぶりの更新、しばしのお付き合いを。独り暮らしを始めてから、日々が大変忙しい。フルタイムの仕事をしつつ、両親が寂しがるので、時間を作っては実家に顔を出す。で、行き来を繰り返しつつ、必要な荷物をマンションに持ち帰り、マンションで不必要だが捨てられないものを実家に持っていく、そんな日々を繰り返し、洗濯や掃除、炊事をこなす毎日。と、ここまでは近況報告。そして本題。最近、顕著に感じる自分の変化がある。実のところ、私は一日の大半大抵笑っている、ということだ。体調不良で苦しんでいたり、仕事に追い詰められているとき以外は、大まか楽しい。いや、本当はもっと真剣に悩んだり考えたりしないといけないこともあるはずだが、なぜかにこやかで脳天気である。そして思うこと。ワタシって、こうだった!元々の私は、こんな感じだった、そう思い出した。新卒で銀行に勤めていた頃は、仕事や、社員間のイジメによるストレスが大きく、「私って不幸」ってな感じの不幸のヒロイン症候群であった節もあるが、既出の婚約解消事件もあり、擦り傷級の人生の谷(山?)も超えて、一皮ムケたのか、その後笑顔の人生を送ることと相成った。オットも「Sallyはいつも楽しそうやね~」と、嬉しそうに話していたものだ。いつの頃からか、そんな笑顔も、脳天気な感覚も、楽しいと感じる心も、忘れていた自分に気づく。夫婦別居、離婚、引越し、独り暮らし、とみるみる変化する自分の生活の流れにまだついていけず、生活のリズムもつかめない毎日だが、着実に自分を取り戻している気がする。それがいいことなのか、どうかはわからないが・・・。年末、高校時代からの友人と話していた折、彼女が言った言葉が私の心に焼きついた。「私、たまに自分がすごく変わったなー、って感じるねん。昔よく聴いた曲(彼女はレベッカのファンだった)を聴くと、その頃の自分を思い出して、『私って、(今のように)こんなじゃなかった。』って、痛いぐらい感じる」と。確かに彼女は、大らかで情緒豊かで、人の痛みに涙するような、心の温かい女の子で、よく二人で将来のことを語り合った。しかし、彼女は早くに結婚し、二人の子供をもうけたが、家庭生活は決して幸せなものではなく、精神的にはとても辛い日々を強いられている。その辛さに耐えるべく、心を鈍感に保ち、少しのことでは心を動かされないように、精神が鍛えられている、というのが正しいだろう。そんな彼女の中にも、「本来のワタシ」がいまだ眠っている、そして青春時代を思わせるきっかけがあれば、その「ワタシ」が少し顔を覗かせる。その「ワタシ」は、いつかその扉を開けて出てくるのだろうか?人間、ずっと「ワタシ」である必要は無いが、本来の自分を思い出せる余裕を持ち続けたい、そう切に思う。辛さに凝り固まって、本来の自分が顔を出せないほどに、心の扉を堅く閉ざしたくはない。心の片隅であれ、「ワタシ」を失わない人生、それが理想である。
2006.02.11
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今夜から、昨年来契約中のマンションへ引越します。バタバタして、皆様にご挨拶に伺えませんので、この場を借りてご挨拶。しばらく、ネット手段が設置できないので、お目にはかかれませんが、携帯、或いは勤務先から皆様のHPにはお邪魔する予定ですので、よろしくお願いします。忘れないでね~~。
2006.02.05
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最近、ようやく「自分」を取り戻しつつある。別に今まで自分を見失うほどやばかった、というわけではない。周囲に馴らされていた価値観が、自分の本来のものでなかったことに気づいた、というのが正確かもしれない。例えば、銀行に勤めていたころ、周りにいる男性が銀行員ばかり(当たり前だが)だったため、オトコを見る目が弱っていた、と感じたことがあった。銀行員→30代で毛髪に不自由している。 →20代後半で顔面、頭皮の皮脂が豊か。 →20代中盤で豊富な長さのベルトを愛用。 →スーツはTPOすべてにあわせられる1着のみを、毎日愛用。これが普通だった。ある日、化粧品会社に勤めていた兄の結婚式に出席した同僚(30代中盤)たちを見て、あまりのカッコよさに失神しそうになったものだ。私の目はフシアナだったと。さて、前置きはこれまでとして・・・で、今回気づいた私のフシアナは。元姑の苦労経験についての感情だった。結婚して以来、私がオットと買い物に出かけたり、ドライブに出たり、昼食を外食したりするたび、「私はそんなことしてもらったことが無かった」と、いつも愚痴をこぼしていた彼女。初めは「お義父さんって、家族サービスをしない人だったんだなー」ぐらいに感じていた。以前、義弟家族が来ていた時、義弟が義弟嫁に「おい、鍵が無いぞ。お前、どこやったんや?」と、アタマから義弟嫁がなくしてしまったように話しかけ、そんなとき義弟嫁は「おとうさんは、何でもおかあさんのせいにするんだよねー、困るよねー」と、子供に話しかけたことがある。実際、鍵は義弟のかばんから出てきた(だったかな?)し、その場で義弟が「あ、ここにあった、すまん、すまん」と謝って、円満な雰囲気になったのだが、その数時間後、姑の口から出た言葉は・・・「XXX(義弟嫁の名前)さん、あんなきついこと言うなんて!私やったらお父さんにあんなこと、絶対言えへんかったわ!!」だった。私には、そんなにキツイ言葉に思えなかったのだが、姑はこの世の終わりか?というほどの口調で、そんなことを言っていた。そんな小さなエピソードがいろいろ重なって、私の中で出来上がった舅の像はこんな感じだった・・・頑固で融通が利かないいつも怒っている人のミスをあげつらって(挙げ連ねて)非難ばかりする思いやりが無い子育ては妻に任せ、子に欠点があれば妻のせいにする細かいことにまで口を出し、妻を馬鹿扱いするなんてひどい人だったんだ!姑も苦労が絶えなくて、辛かっただろうに・・・心の底から同情していたし、自分のオットがそんな男性でないことに、とてつもない幸せを感じた。が、そのあたりから私の価値観が、元姑に馴らされてしまっていたようだ。彼女が発する「私はかなり不幸」というオーラに巻き込まれ、私は自分の実の母や、今まで知っていた主婦全てが、姑よりは幸せで、姑よりは楽をしている、と思い始めた。言い換えれば、姑ほどの苦労人はそんなにいるものじゃない、と信じていた。(周囲から漏れ聞くには、実際の舅はそうでもなかったらしい。風呂を改築する折、姑がピンクが好きなため、内装を全てピンクで統一したり、隣の本家にいた舅の母親が寝込んだ折、介護を交代して欲しいと本家嫁から言われても「○○(姑の名前)は長男の嫁じゃないんだから、そんなことはさせられない」と庇ってくれたそうだ。最近聞いた話では、舅は姑の不機嫌な態度が怖くて、一緒に居たくない、と愚痴っていたとか。)が、先日入院した伯母のことを考えると、「いやいや、伯母の方が元姑よりも苦労人かもしれない・・・」と思い始めた。伯母の夫(伯父という存在)は、酒飲みでいろんな女性にちょっかいを出し、家出をして帰らなかった日々もあった。彼は多くの男性と同じように気が小さく、胃がんの手術を受けたとき、真実を知らせられないぐらいに恐れ、伯母が気丈に「小さな胃潰瘍だ!」と言い切り、手術を成功させたというエピソードもある。また、伯父には長男であるプライドもあり、見栄を張り、亭主関白を見せびらかすようなところがあり、そんなちっぽけなプライドの為に、伯母はコマネズミのようによく働いた。そして、その伯母が腎臓がんで入院した。伯父はショックで何も出来ず、自分からは何も言えず、医者から本人告知をさせることになった。さてこうなると、実際のところ、姑は舅からいろいろ小言を言われたり、いつも怒られて辛かったかもしれないが、大きな決定をするときは舅がしてくれ、それが成功するかどうかは別として、それに従った。そして、成功しなかったときには、舅のせいだと、不平を言う人生だった。では、伯母は?大まか全ての決断は伯母に委ねられていたが、周りにはそうと思われないように気配っていた。そして、その決断が成功した折には「夫のおかげ」と思わせ、失敗したときには「自分のせい」と、自分を責めた、そんな人生だった。どちらが不幸だろう?いや、どちらが幸せなのだろう?答えはわからないが、私は伯母を尊敬し、そしてダイスキである。
2006.02.03
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