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と、かつて一世を風靡したハリソン君の主演映画をもじってタイトルをつけてみた。さて、何がソコにあるかというと、我が母と兄嫁、という嫁姑であり、今日はその二人を見ていて感じた、嫁と姑の間に横たわる深くて暗い「理不尽」という河についてお話したい。事の発端は兄嫁が発した不注意な発言なのだが、それも第3者である私から見れば、致し方ない話ではある・・・が、姑である母にとっては姑台風爆裂前のハザードであった。押しても引いても、なだめてもすかしても、断固として言うことを聞かない我が甥(小4)に困り果て、兄嫁が一言・・・「○○(兄の名前)に似て、本当にきかん坊です」。これがいけなかった、これが母の姑根性に火をつけてしまった。「あんたの躾を棚に上げて、うちの息子を悪く言うなんて!!」なのである。先の兄嫁の発言には、おそらく最近兄と上手くいっていない、というバックグラウンドがあるはずではあり(いつもなら同じような発言でも「ウチの頑固父に似て」と言っている兄嫁)、相手の人格を認めていればそんな背景も思い浮かぶのだが、ショートテンパー(短気)の母にはそんな考えも浮かばず、「嫁憎し!」の勘定だけが増幅されたのだ。こうなると話はどんどんややこしくなり、私が兄嫁の方を持つと、私まで憎くなるらしい。それが母親というものである、息子がどんなにロクデナシであっても、わが身を切り分けてやりたいほどにいとしい存在なのである。(参照:「東京タワー」リリーフランキー著)な、ワケで、私も口出しをやめた、もう諦めた、いや、疲れてしまった。が、ここで明確にしておきたいのは、影で我が母を庇ってくれているのは兄嫁だ。兄は母を軽蔑している。親であるので愛情はあるが、父の苦労に比べれば母の苦労など大した事ではない、と、私たちの目の前で堂々と語る兄。彼は自分が一家の大黒柱となり、その荷重の重さに非常なストレスを感じているのだろう。そのストレスを父に投影し、さぞ辛い人生であっただろう、と感じているようである。確かにそうである、父親、夫、という存在はデリカシーなんぞを持っていては、やっていけない程の荷の重さだろうということは想像に難くない。が、一方で彼は母親の存在を軽んじており、父親の庇護下に子育てをしてきた母を、心のどこかで嫌っている。そんな兄を、日々の会話でたしなめる兄嫁。「お義母さんもさ、母親としての重荷をずっと背負って来てはると思うよ。そんなにお義母さんを責めちゃかわいそうだよ。」と、いつものフレーズ。私はそんな会話を、幾度も目の当たりにしてきた。なのに、一度の失言でここまで母の怒りを買う、そんな「嫁」という立場が不憫で仕方ない。私もかつて、オットが母親を見下げたような発言をした折には、「おかあさんもいろいろ辛いと思うよ」などと庇ったものだ。今思えば、いくら私が心を砕いて、姑を庇ったとしても、息子の優しい一言「かあちゃん、元気でいてな」に勝てるわけが無いのだ。何だか本当にバカらしい。って言うか、娘という立場もバカらしくなってきた。私はひたすら親を思って、毎日顔を見に実家によっているが、年に2回実家に現れ、子供達を実家の両親に面倒を見させ、その間惰眠をむさぼるバカ息子である兄の方が珍重されるというのが納得いかない。やっぱり、世の中は間違っている??
2006.07.24
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先日から、ブックマークにばってん犬の散歩道というブログを追加しました。これは、私がリコンを考え始めた頃からずっと通い、共感したり、励まされたり、癒しをもらったりしたサイトなのです。管理人の「ばってん犬」さんは、私よりもうんと若くて、お仕事も出来て、しっかりモノさんです。けれど、やはり彼女の背負っている傷は深いのだなぁ、とつくづく感じつつ、静かに見守りつつ応援しています。私のこのサイトへも「離婚」の検索ワードから来られる方が少なくないはずで、そんな方に是非ばってん犬さんのお話も見て頂きたいと思い、リンクさせていただく事にしました。ご本人からも了承いただいているので、お知らせがてらブログ投稿の次第。失礼いたしました(ぺこり)。
2006.07.14
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ソーシャルネットワーキングサイト、というと、何だか小難しい・・・。簡単に言えば、この楽天ブログの親密版「リンクス」のことである。通常の楽天ブログには、会員登録をしていなくてもアクセスすることが出来るし、会員登録も個人の自由意志で可能だが、リンクスとなると話は別。既にリンクスに登録している「友達」からの紹介がなければ会員登録は出来ないし、閲覧もその会員達のみに限られ、いわゆる「通りすがりの名無しさん」の存在は許されないのである。いきなりこんな話で失礼いたします。数年前から、そういったネットサイト大手「○ク○ィ」で、オットが日記を公開していた。それも、ネットオークションでその「友達からの紹介状」を落札し(実際に友達でなくても紹介状を出してあげますよ、という口利き業のようなもの)、無理矢理に会員登録をするという荒業を使ってまで…。彼の場合は、HPやブログを複数持っていたし、私にもその存在を知らせていたので、私がアクセスすることも了解済みであったが、この「○ク○ィ」に関しては、彼が見せてくれる部分はあっても、私はあくまでも部外者であり、勝手に閲覧できなかった。不思議なことに、いつもなら私に真っ先に紹介状を発行して仲間にしてくれるはずの彼が、ことこれに関しては冷たかった。おまけに、今までのネット友達や自分の弟は、早々と仲間に引き入れたのに、私は仲間はずれであった(世に言う「○ク○ィ八分(はちぶ)」である)。離婚話が出た頃には、義弟に電話して「あのサイトにオットはどんなことを書いてるの?」と尋ねたことまである。(答えは「大した事は書いてないけどなー」だったが。)そんなわけで、ずっと気になっていた。すると、先日私のリアル友達が「sallyちゃん、私○ク○ィで日記かいてるんだけど、一緒にやってみない?」と誘ってくれた。あぁ、憧れの○ク○ィだ!!もちろん、やるやる~!!!と、二つ返事で了解した…が、いざ登録となって足踏みした。なぜなら、新規登録者はサイト内で紹介されるので、私のsallyというHNを使うと、オットにバレバレになってしまうのだ。誕生日なんかも検索で引っかかるので、仮HNにウソの誕生日で登録したのだが、結局ブログサイトを3個掛け持ち(楽天とgooと、○ク○ィ)は不可能に近く、登録してからほぼ2ヶ月弱が過ぎようとしているが、いまだ一つも記事を投稿していない・・・不甲斐無い。そして、やってはいけない!と自分を戒めて来たが、ついにやってしまった・・・そう、○ク○ィ内でオットの日記サイト探しを。果たして彼はそこにいた。足跡が残るので彼のサイトまでは行かず、その存在だけを確かめた。そして彼の寂しさを、見つけてしまった。私が知っていた頃彼はそのサイト内で、最近良く使っていたHNを使用していたのに、今は私と付き合うよりずっと前に名乗っていた(彼が頻繁にネット活動をしていた頃の)HNに戻していたのだ。ネット歴の長い人達なら、6割方が会員登録しているであろう大手サイトである、過去の友達をサイト内で探すことも良くあることなのだ。おそらく彼は、そういった過去の友人達に「見つけて」ほしいのだ。過去の人間関係を取り戻したいのだろう…。切なくなった。切なくなって、愛しくなった。バカだけど、私も彼に見つけて欲しくなった。何年先でもいい、「そういえば彼女"sally"って言うHNだったな、どうしてるかな?」と探して欲しい、そんな願望に囚われて動けなくなった。そうして私も、同じサイト内でHNをsallyに戻したのだ。本当に呆れてしまう・・・けど、探して欲しい。このネットの砂漠の中で、ブログの海の中で、ワタシヲミツケテクダサイ。
2006.07.10
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いきなり何だ?というようなタイトルで始まりだが・・・このHPの常連さんは、私が結婚していた頃、不妊治療をしていたことをご存知かと思う。実際に経験するまで、あれほど身体的、経済的、そして精神的にダメージを受けるものだとは思っていなかった。結局、精神的な苦痛と、治療の副作用による痛みで1年数ヶ月で治療を断念し、「必要なものは、必要なときにやってくる」と結論付け、私達夫婦に子供がいるべきなら、とき、ところを神様が選んで授けてくださるだろうと、ふっ切れたのが最後だった。(実際、子供がいなかったので、リコンもスムーズだったし、今の気楽な私がいるわけだし・・・)が、ここしばく友人からいろんな話を聞くことになった。独身の独り暮らしとなると、時間や家族を気にしなくていいからか、友人からのメールや電話で悩みなどを聞くことが多くなった。そうやって、辛いときに打ち明け話をしてくれるということは、ある意味ヒトから信用されている、ということかもしれないので、有り難く思うことにしている。で、この最近の友人からの話というのは、こんな感じである。<新卒入社で同期だったTちゃん>結婚してかれこれ10年。過去に不妊治療をしていたが、大きな大学病院で医師の判断ミスにより緊急入院、且つ、カルテを別人と取り違えられる、という事があり、怖くなりそれ以後治療をやめ、漢方で自然に子供を授かるように願っていた。が、ご主人の強い要望により、この度体外受精に踏み切った。薬の副作用で、歩けなくなり、排尿も困難な為、痛みを忘れる為に他の場所をつねりながら用を足す、そんな生活をしながらも採卵(受精させる為の卵子を卵巣から針で採取する)したが、充分な受精卵が育たず、今回は断念。次回は数ヶ月後にまた同じ思いをすることになる。<高校時代からの付き合いのHちゃん>私と同じく30歳過ぎてからの結婚だった。子供好きな彼女は、よほど妊娠を望んでいただろう。が、いまだ授からず、昨年より不妊治療を開始。もともと子宮筋腫があるため、なかなか授からない場合は、手術もあるだろう。今までは勤めていたので気分転換が出来たが、本格的治療の為退職し、より一層自分を追い詰めてしまっている。かなり参っている様子。 <派遣で勤めていたときの友人Sちゃん>すでに子育て9年選手である。小学校に長男が上がったころ、「うちの子、とろいねん」と、勉強が進まない話をしていた彼女。が、会うと愛想のいい可愛い男の子だったので、「可愛いし、それでいいやん」と、私も話していた。が、実は精神面に障害があったらしく、小学2年の終わりごろから周囲の子供達に暴力を振るい、怪我をさせることが増え、カウンセリングの為養護学校に通うよう指導されたらしい。未だに改善はなく、週に1度は母である私の友人が、菓子折りを持って怪我を負わせた子供宅を訪れて、頭を下げて回っているらしい。<高校時代からの仲良しでグループデートをしたR君>子煩悩な彼。会うたび、長男(4歳)の写真や笑えるエピソードを披露してくれていた。二人目を望んでいたのだが、流産してしまい、その後しばらくはその話をしなかった。その彼に、この6月めでたく第2子(次男)が誕生!私までが嬉しかった。が、先日、その次男くんが「ダウン症」であると告知された・・・。世の中のダウン症患者が少なくないことは、頭ではわかっていた。わかっていたが、ショックだった。彼も立ち直れないぐらいのショックを受けたようで、何かの間違いであってくれ、と念じたという。そして、「(ダウン症の)病状が酷くなって、早死にしてくれないか」と思ったのだと・・・そんなことを考えた自分を恥じ、そして、子供の将来を案じ、自分はその子供を愛せるのだろうか?と、眠れない夜を過ごした彼と電話で話した夜、私も泣いた。このすべての友人たちに、「人間は産まれてくることが奇跡だし、そうやって産まれてこられた自分を祝福せなあかんね」と私は話した。それぞれの悩みの大きさに、私自身も聞くだけで辛かったが、当人達は押し潰されんばかりだろう。命の神秘と、生の奇跡に敬意をもって生きたい、と、改めて思う。
2006.07.02
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