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2004年11月15日
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カテゴリ: ことば
 日頃意識せずに自由に使える母語である日本語にも、体系やら法則があることをあらためて認識した、

   「日本語は奥深いなぁと思いました」
という表現がうんざりするほど高い頻度で出てくる。

 それぞれの書き手のほうとしては、純粋に自分の発見を書いているのだろうが、たて続けに同じ文で
まとめたものを目にしてしまうと「もう少し表現を工夫しろよなぁ」と思ってしまう。

 タイトルは忘れたけど、向田邦子の小説で、
  「・・・と思う今日このごろである」とまとめるのは女なんだよなぁ
と夫が妻に言う場面があった。

なってしまうという類のものである。

 そうしたものの一つで、私が気になったフレーズがある。
  「私にとって、それ以上でもなければそれ以下でもない」
というヤツだ。
 これは二十歳前後の若者が、自分の価値観を強く打ち出したいポイントで、よく用いたりするのである。
 最近の芥川賞受賞者のコメントにあったので、同世代のとんがった若者たちには影響力があるのかな
と思っていたのだが、実はその作家自身、同世代の人物が書いた文に影響されているのだろう
ということに気づいた。

 今から7年前の1997年に、14歳の少年が引き起こした凄惨な事件があった。
 あの時公開された犯行声明文には次のように書かれていた。

  そうすれば得るものも失うものもなく、

  作っていけると思いますよ

 これは犯人の心の中で作り上げた「世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人」によって
囁かれた言葉の中にある。
 当時、各界の識者たちがこぞって犯人像のプロファイリングをしたものだった。文字や文体の幼さの
わりに、精神年齢の高い内容であるというギャップから「学校教育に恨みを持つ、比較的若い成人男性」


 犯人と同世代の子供たちは当時、おそらく上の世代以上に、あの犯行声明文の解釈を丹念に
試みていたのではないだろうか。
 原典に気づかず使っている若者も、意識の底に刷り込まれた自分のことばとなっていて、
同世代の作家や歌手なんかが復活させて使った時に思わず共感を覚えてしまったりするのだろう。

 しかしこの「それ以上でもなければそれ以下でもない」という表現は、
「奥深い」「今日このごろ」と同様に、「これ以上の言及は避ける」
という宣言でしかない。
 さしたる言及もなく使ってしまうと「これ以上の追求はやめる」という思考停止の表示となって
しまう。
 そのため「いや、こちらとしては、せめてそこに至るまでの詳しい話を聞きたいのだが」
と思ってしまうのである。





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Last updated  2004年11月18日 08時14分31秒
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