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2006年02月05日
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久しぶりに自転車に乗った。空気が抜けていた。空気をいれた。走った。空気がまだ足りない。がこがこいっている。ものすごく重い。自転車屋で空気入れを借りた。足が痛い。

自転車とは何も関係ない話。

いま紫キャベツの酢漬けの瓶詰を食べている。うまい。
ドイツ人は夜は煮炊きしないらしい。
作りおきした酢漬けと買ってきたパンと買ってきた腸詰。ドイツ人の主婦は働き者だといわれるが、台所がぺかぺかにできるのは、汚れる原因を作らないからだ。部屋を湯気でじゅうまんさせることがないので、換気扇もない。換気扇がなければ、換気扇の掃除の必要もないな。日本人に部屋を貸すと、食事を作って汚されるからいやだと断られることもあるそうだ。

イギリス番組をみた。現地に行ったイギリス人が「我々はフランスやイタリアのような欲望のおもむくままの食道楽の国をついバカにしてしまうが、うまいもんはうまい」というような趣旨でコメントしていた。これと同じ理由で慶尚道人も全羅道人をバカにすることがある。あえてうまいものを食おうとしない種族は、本能より理性を大切にしたいという傾向があるということだ。
伝統的な韓国では残さず食うのは、いやしい人というイメージがある。かつて王侯貴族がいたころは、残したものは下々のものが食べていた。見た目は悪くとも、うまいものは平等に食べられるということになる。なんでもご飯に混ぜてしまえばうまくなるというのも、その辺から来ているのか。
いまは飲食店に残飯をもらいにバケツを持って来る人がいて、それを家畜に食べさせていたりする。都会ではわからないが、田舎では習慣を無駄にはしないシステムがちゃんとある。

南米のいろいろな国では「もしもし」「ハロー」のかわりに

というそうだ。自分でかけておいてそれはないだろう、と思うが、インフラ整備直後、よく混線していたころの習慣が引き継がれているらしい。
かけた人がいい加減な性格だからということではない。

ひとつの側面だけをみて、その民族の精神を崇めたり批判したりするのはよろしくない。一見非合理的だったり理不尽だったりする慣習には、歴史的な原因とか、合理性をもった事情とかがある。

日本人が共同風呂に入るときはタオルや洗面器などで前を隠す、というと
「やっぱり日本なら、最低限のマナーとしてそれはそうでしょう」
と韓国人に勝手に納得されることがある。どういうわけか、韓国では、いまだに日本の風呂はすべて混浴だと誤解されているからだ。それで、
「日本に行ったら温泉か銭湯に行きたいです。そして(野蛮な)日本人の文化を理解したいです」
という人が多い。ついつい
「日本人はおふろが好きですからね」
などと言ってしまい、
「それは珍しいものが見られるからでしょう」

「そうですね、温泉では大きな窓があっていい景色が見られることがあります。銭湯では富士山の絵があったりしますね」
などといえば、富士山の絵というのはナニに関する隠語なのだろうか?と勘ぐられ、
「日本人は、その…大きい富士山のほうが好きですか?」
とよくわからない質問をされたことがある。
ちぐはぐな会話の理由に気づき、いまの日本では混浴は殆ど無い、一般的な習慣ではないというと、

と言われる。
で、「日本は混浴のころの習慣を引き継いで前を隠す」と結論付けられるのだ。
現在の感覚では違うような気もするし、実はそうであるような気もするし、これはどうもよくわからない。





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Last updated  2006年02月05日 21時25分36秒


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